この巻から「悪名高き皇帝たち」というタイトルになり、初代皇帝アウグストゥス以降の四皇帝が描かれます。しかし、前書きで筆者は、「タイトル自体が、同時代人のタキトウスを初めとするローマ時代の有識者と、・・・近現代の西洋の歴史家たちの「採点」の借用であって、これには必ずしも同意しない私にすれば、反語的なタイトルなのである’。」(P10)と書きます。このちょっとした皮肉だけで、ぐぐっと引き込まれますので、見事に筆者の術中にはまるわけです。
本巻は、アウグストゥスから中継ぎとして後継者指名されたティベリウスの施政が描かれます。
「ローマ帝国とは、ユリウス・カエサルが設計図を書き、アウグストゥスがそれに基づいて構築した大建造物のようなもおのである。だが、その他建物も、設計の意図を解さない人の手に渡ろうものなら、設計図にはなかった改造など加えられたりして、当初の建造物とはまったく別のものに変わってしまう危険がある。そのような変形を防ぐには、設計者の意図もそれに基づいて構築した人の考えも完全に理解している人物が建物の持ち主になり、後から誰が手を加えようにも絶対に基本形は変えること不可能というくらいの堅固な建造物にして後に残さねばならない。ティベリウスに課されたのは、地味でありながら苦労ならば劣らないこの任務であった。そして、後を託して死んだアウグストゥスを除けばほとんど彼だけが、自分に課せられた任務の性質を理解していたのである。」 (p91)
緊縮財政による財政再建、ゲルマニアからの撤退とライン河防衛体制の確立、アルメニア・パルティァら東方の安全保障体制の整備、ドナウ河防衛線の確立など、まさに、カエサル、アウグストゥスが作った建物のメンテナンスが描かれます。決して、ワクワクしながら読むような内容ではありませんが、自分を知り、公のために尽くすティベリウスは、立派としか言いようがありません。
また、ティベリウスは誇り高い人間でもあったようです。筆者が、歴史家タキトスが紹介したティベリウスの言葉を紹介しています。ティベリウスの業績を讃え、彼に捧げる神殿を建てたいとの元老院の提案に対しての言葉です。
「私自身は、死すべき運命にある人間の一人にすぎない。そのわたしがなす仕事もまた、人間にできる仕事である。あなた方がわたしに与えた高い地位に恥じないように努めるだけでも、すでに大変な激務になる。
このわたしを、後世はどのように裁くであろうか。わたしのなしたことが、わが祖先の名に恥じなかったか、あなた方元老院議員の立場を守るに役立ったか、帝国の平和の維持に貢献できたか、そして国益のためならば不評にさえも負けないで成したことも、評価してくれるであろうか。
もしも評価されるのならば、それこそがわたしにとっての神殿である。それこそが、最も美しく永遠に人々の心に残る彫像である。他のことは、それが大理石に彫られたものであっても、もしも後世の人々の評価が悪ければ、墓所を建てるよりも意味のない記念物にすぎなくなる。わたしの望みは、神々がこのわたしに生命のあるかぎり、精神の平静とともに、人間の法を理解する能力を与えつつけてくれることのみである。」(pp212-213)
こんな言葉を語れる人間になりたいものです。
本巻は、アウグストゥスから中継ぎとして後継者指名されたティベリウスの施政が描かれます。
「ローマ帝国とは、ユリウス・カエサルが設計図を書き、アウグストゥスがそれに基づいて構築した大建造物のようなもおのである。だが、その他建物も、設計の意図を解さない人の手に渡ろうものなら、設計図にはなかった改造など加えられたりして、当初の建造物とはまったく別のものに変わってしまう危険がある。そのような変形を防ぐには、設計者の意図もそれに基づいて構築した人の考えも完全に理解している人物が建物の持ち主になり、後から誰が手を加えようにも絶対に基本形は変えること不可能というくらいの堅固な建造物にして後に残さねばならない。ティベリウスに課されたのは、地味でありながら苦労ならば劣らないこの任務であった。そして、後を託して死んだアウグストゥスを除けばほとんど彼だけが、自分に課せられた任務の性質を理解していたのである。」 (p91)
緊縮財政による財政再建、ゲルマニアからの撤退とライン河防衛体制の確立、アルメニア・パルティァら東方の安全保障体制の整備、ドナウ河防衛線の確立など、まさに、カエサル、アウグストゥスが作った建物のメンテナンスが描かれます。決して、ワクワクしながら読むような内容ではありませんが、自分を知り、公のために尽くすティベリウスは、立派としか言いようがありません。
また、ティベリウスは誇り高い人間でもあったようです。筆者が、歴史家タキトスが紹介したティベリウスの言葉を紹介しています。ティベリウスの業績を讃え、彼に捧げる神殿を建てたいとの元老院の提案に対しての言葉です。
「私自身は、死すべき運命にある人間の一人にすぎない。そのわたしがなす仕事もまた、人間にできる仕事である。あなた方がわたしに与えた高い地位に恥じないように努めるだけでも、すでに大変な激務になる。
このわたしを、後世はどのように裁くであろうか。わたしのなしたことが、わが祖先の名に恥じなかったか、あなた方元老院議員の立場を守るに役立ったか、帝国の平和の維持に貢献できたか、そして国益のためならば不評にさえも負けないで成したことも、評価してくれるであろうか。
もしも評価されるのならば、それこそがわたしにとっての神殿である。それこそが、最も美しく永遠に人々の心に残る彫像である。他のことは、それが大理石に彫られたものであっても、もしも後世の人々の評価が悪ければ、墓所を建てるよりも意味のない記念物にすぎなくなる。わたしの望みは、神々がこのわたしに生命のあるかぎり、精神の平静とともに、人間の法を理解する能力を与えつつけてくれることのみである。」(pp212-213)
こんな言葉を語れる人間になりたいものです。