セトル・カーライル鉄道の終着駅カーライルに到着したのが3時半前だったので、少しばかりカーライル街歩きを楽しみました。カーライルはイングランドとスコットランドの国境の街として、起源はローマ時代にも遡ります。 小さな街ですが落ち着いた感じのいい街です。
(ヘンリー8世が築いたシタデル)
(街のへそ、マーケットプレイス)
ハイストリートを抜け、街の外れにあるカーライル城を訪ねます。ケルト人、ローマ人の砦から始まり、この城自体は1092年築城。16世紀にはあの血のメアリー女王も幽閉されたことがある歴史的な城です。ただ、お城自体はそれほど大きくいわけでもなく、取り立てて特筆すべきものはありません。城内に展示してある、この城を中心としたカーライルの歴史のパネル資料が面白かったぐらいです。イングランドとスコットランドの戦いの歴史が垣間見れます。
(カーライル城)
(城内の様子)
(城の上から見る市内。正直、余り高くないので、面白くは無いです)
ここまでなら、「まずまずだったね。」で終わるのですが、城内にあるもう一つの資料館である国境部隊博物館というところで思いがけないものを見てしまいました。この博物館自体は、17世紀ぐらいから現代に至るまでの国境部隊の軍事史の史料(記録、遺品など)が展示してあるもので、特段、軍事に興味があるわけではない私はスーと軽く見て、出るつもりでした。
しかし、第2次世界大戦のコーナーで足が止まりました。対日戦線に参戦していた元イギリス兵士からの寄贈品として、日の丸や日本軍の軍刀など、日本兵の遺留品と思われる品がいくつか展示してあったのです。日の丸は出征兵士の武運を祈る親戚、友人の署名が入ったものです。墨ではっきりと「奉祈 武運長久 金種中等学校 清水公俊」と記名してあり日の丸の回りに百名ばかりの記名があります(英語の解説には朝鮮の金種中学から出征したシミズキミトシあてのヒノマルで5 platoon 34 column 4th BattalionのX氏の寄贈とありました)。思わず立ちすくみ、食い入るように、日の丸に記載された名前とかを一人一人追ってしまいました。また、遺留品の中には、兵士の彼女なのでしょうか?一枚の白黒の日本人女性と思われる写真とかもありました。
こんなイングランドの北の果ての小さな博物館でこんなものを見るとは思いもしなかっただけに、私には衝撃的でした。この戦争の是非はともあれ、こうした遺留品に託されていた一人一人の日本人兵士やその周囲の人々の思いや物語を思うと、胸が熱くなります。
予期せぬ出会いの衝撃で、「閉館時間ですから退館願ます。」と追い出されるまで、結局、居座っていました。多くはないものの、遺品の一つ一つが、何か私に訴えかけて離さないものがありました。
(第2次大戦展示エリア)
(中央の人形がイギリス兵士、廻りにあるのは日本兵の遺留品。左の日ノ丸は表裏逆です)
(右側の武運長久を祈る日ノ丸)
(第2次大戦関連の品。日本兵の軍刀、鉄兜など。手前の写真は、彼女か???)
(1937年7月7日の盧溝橋事件を記念したシガレットケース。英文の解説は若干、時代考証がちょっと違っているような・・・)
興奮醒めぬまま、外に出ると、まだまだ陽は高いです。カーライル聖堂に立ち寄り(これがまた素晴らしい教会でした)、ホテルにチェックインしました。
(カーディフの教会)
2011年4月30日
(ヘンリー8世が築いたシタデル)
(街のへそ、マーケットプレイス)
ハイストリートを抜け、街の外れにあるカーライル城を訪ねます。ケルト人、ローマ人の砦から始まり、この城自体は1092年築城。16世紀にはあの血のメアリー女王も幽閉されたことがある歴史的な城です。ただ、お城自体はそれほど大きくいわけでもなく、取り立てて特筆すべきものはありません。城内に展示してある、この城を中心としたカーライルの歴史のパネル資料が面白かったぐらいです。イングランドとスコットランドの戦いの歴史が垣間見れます。
(カーライル城)
(城内の様子)
(城の上から見る市内。正直、余り高くないので、面白くは無いです)
ここまでなら、「まずまずだったね。」で終わるのですが、城内にあるもう一つの資料館である国境部隊博物館というところで思いがけないものを見てしまいました。この博物館自体は、17世紀ぐらいから現代に至るまでの国境部隊の軍事史の史料(記録、遺品など)が展示してあるもので、特段、軍事に興味があるわけではない私はスーと軽く見て、出るつもりでした。
しかし、第2次世界大戦のコーナーで足が止まりました。対日戦線に参戦していた元イギリス兵士からの寄贈品として、日の丸や日本軍の軍刀など、日本兵の遺留品と思われる品がいくつか展示してあったのです。日の丸は出征兵士の武運を祈る親戚、友人の署名が入ったものです。墨ではっきりと「奉祈 武運長久 金種中等学校 清水公俊」と記名してあり日の丸の回りに百名ばかりの記名があります(英語の解説には朝鮮の金種中学から出征したシミズキミトシあてのヒノマルで5 platoon 34 column 4th BattalionのX氏の寄贈とありました)。思わず立ちすくみ、食い入るように、日の丸に記載された名前とかを一人一人追ってしまいました。また、遺留品の中には、兵士の彼女なのでしょうか?一枚の白黒の日本人女性と思われる写真とかもありました。
こんなイングランドの北の果ての小さな博物館でこんなものを見るとは思いもしなかっただけに、私には衝撃的でした。この戦争の是非はともあれ、こうした遺留品に託されていた一人一人の日本人兵士やその周囲の人々の思いや物語を思うと、胸が熱くなります。
予期せぬ出会いの衝撃で、「閉館時間ですから退館願ます。」と追い出されるまで、結局、居座っていました。多くはないものの、遺品の一つ一つが、何か私に訴えかけて離さないものがありました。
(第2次大戦展示エリア)
(中央の人形がイギリス兵士、廻りにあるのは日本兵の遺留品。左の日ノ丸は表裏逆です)
(右側の武運長久を祈る日ノ丸)
(第2次大戦関連の品。日本兵の軍刀、鉄兜など。手前の写真は、彼女か???)
(1937年7月7日の盧溝橋事件を記念したシガレットケース。英文の解説は若干、時代考証がちょっと違っているような・・・)
興奮醒めぬまま、外に出ると、まだまだ陽は高いです。カーライル聖堂に立ち寄り(これがまた素晴らしい教会でした)、ホテルにチェックインしました。
(カーディフの教会)
2011年4月30日