朝起きると、米軍によるタリバン指導者オサマビンラディン氏殺害のニュースで一杯でした。この一件が更なる負の連鎖にならないことを切に願うばかりです。
ポーランド旅行記が途中のままなので、連休最後の本日、アウシュビッツ強制収容所を見学したことで、感じたこと学んだことなどを備忘録としてまとめてみます。
※アウシュビッツ訪問①はこちら→
(アウシュビッツ強制収容所入口)
(1)傍観者にならないこと
ガイドの中谷さんが繰り返しお話しされていたのが、「ドイツ、ナチスが悪だったという視点だけで、アウシュビッツの問題を捉えないで欲しい」ということでした。
アウシュビッツは、多くの関係者によって形成されたシステムとして動いていました。アウシュビッツの収容者を労働力として組込んだドイツの一流企業、実状に気付きつつも声を上げなかったドイツ国民、ドイツの占領下にあったとはいえ自国のユダヤ人連行に手を貸した他欧州諸国政権など、多くの間接的協力者、傍観者が、このアウシュビッツというシステムを支えていました。
言葉を変えると「傍観者にならないで欲しい」。それが中谷さんからの最大のメッセージでした。「非常時に当事者として動くことができるか?」それがアウシュビッツを通じて歴史を学ぶことの意味だと気付きました。
ナチの一党独裁政権も、決して、突然降って湧いたわけではありません。当時の世界でも高度の民度を誇ったドイツという国で、合法的にかつ民主的に、形作られていったのです。
なので、今現在を生きる我々にも、歴史の逆コースを歩む種はいろんなところにある訳です。そうした芽を早いうちに気付き、小さくとも声を上げていき、行動を取っていくこと。それが大切なのですね。
これも中谷さんの受け売りですが、東北大震災に際して日本人が取った冷静で協力的な行動。これは世界から賞賛を浴びていますが、中谷さんの見方は、毎年行なってきた防災訓練の賜物なのではないかということでした。アウシュビッツを通じて歴史を学ぶ意味は、日本人の防災訓練のように、非常時に常識的で適正な判断と行動が取れるかどうかだということなのです。
(ビルケナウ収容所に引き込まれる鉄道線路)
(2)個人の組織行動の問題なのか?信条(宗教)なのか?それともマインドコントロールなのか?
施設を廻り、当時の建物、写真等を見て感じた疑問。当時のSS(ナチス親衛隊)のメンバーはどういう気持ちだったのだろうか?ということです。ここで100万人を超える人間をユダヤ人といった理由だけで殺していったのです。(前記事記載のように殺されたのはユダヤ人だけではありませんが・・・)
私には、これは「組織における個人」の問題に見えました。レベルは全然違いますが、会社組織で働いていれば、時として個人の考えとは違うことも、組織の論理として行動に移さねばならないこともでてきます。SSのメンバーも、自己の考えには逆らいながらも、組織の命令として行動せざるえなかったのか?ということです。そうであれば、組織における個々の人間行動のケーススタディとして、彼らの心理や葛藤について知りたいと思いました。
しかし、中谷さんは、「戦後、アウシュビッツの関係者でこの殺人に対して謝罪した人は、(中谷さんが知るかぎり)存在しない。収容所のメンバーは『ベルリンの本部の命令に従っただけだ』と言い、本部の人間は『現場が暴走した』と批判しあっているが、自己批判は聞いたことがない」と説明してくれました。
仮にそうだとすると、アウシュビッツ関係者は『この世からユダヤ人を絶滅させることが真にドイツのためになる』と信じて行動していたのでしょうか。無差別テロを行なうイスラム教徒と同様に、SS教に基づいた個人の信条に従った結果なのでしょうか。
しかし、その信条は、個人の良心や考えに基づいたものなのか、それともマインドコントロールされたものなのか?どう考えればいいのでしょう。例えば、現代のイスラム教徒のテロとオウム真理教のテロは同じなのか、違うのか?違うとしたら何が違うのか?
自問はループするばかりで、答えは未だ出てきません。しかし、アウシュビッツで行なわれた行為は「悪」であるはずにもかかわらず、その判断が高い教育を受けた人たちが自分自身でできなくなるというのは、どういう時なのか?同様な過ちを繰り返さないためにも、もう少し探って行きたいと思います。
(ビルケナウ収容所)
(3)被害者と加害者、歴史の中で
私の不勉強もありますが、ユダヤ人の歴史というのは本当に複雑です。今読んでいる「ローマ人の物語」の中で、ユダヤ人離散の起こりが書かれています。ローマ時代に本格的に始まった離散や迫害の歴史ですが、アウシュビッツもその歴史の中、延長線にあり、更にその歴史は、現代のイスラエル、パレスチナ紛争へと繋がっていきます。まさに数千年の歴史を持った問題であるわけです。
そして、「被害者」であったユダヤ人は、今、パレスチナにおいて「自衛」の名の元、アラブ人に対しては「加害者」となっています。そして、そのアラブ人(の一部)も外部環境、立場によって、今度は被害者が加害者になります。それが、ユダヤ、パレスチナに限らず、人間や人間社会の複雑さ、難しさ、そのものだと思いました(かなりユダヤ、ユダヤ人、パレスチナ、アラブ、イスラムの言葉を区分けせず使っていますが、ご容赦ください)。この複雑な人間、社会を理解するには、こうしたアウシュビッツのような歴史を知ることが、感覚的にも一番良く理解できます。そして、まずは理解することが、進歩に向けての一歩になることだと、改めて感じた次第です。
以上、雑駁ですが、自分がアウシュビッツで感じたことをメモしてみました。正直、こうしたことを真面目に考える時間や機会は、日々の日常や仕事に追われる生活の中ではありません。こんな機会が与えられただけでも、ここに来て良かったと思いました。本を読むことはできても、当地で実感するこの生の迫力は何ものにも変えがたい迫力があります。そして、本で読んだことは忘れてしまいますが、この実感は、ずーっと自分の中に残り続けると思いました。できれば、今、学校で歴史を学んでいる子供と一緒に来たかったです。
(犠牲者の国際追悼記念碑)
ポーランド旅行記が途中のままなので、連休最後の本日、アウシュビッツ強制収容所を見学したことで、感じたこと学んだことなどを備忘録としてまとめてみます。
※アウシュビッツ訪問①はこちら→
(アウシュビッツ強制収容所入口)
(1)傍観者にならないこと
ガイドの中谷さんが繰り返しお話しされていたのが、「ドイツ、ナチスが悪だったという視点だけで、アウシュビッツの問題を捉えないで欲しい」ということでした。
アウシュビッツは、多くの関係者によって形成されたシステムとして動いていました。アウシュビッツの収容者を労働力として組込んだドイツの一流企業、実状に気付きつつも声を上げなかったドイツ国民、ドイツの占領下にあったとはいえ自国のユダヤ人連行に手を貸した他欧州諸国政権など、多くの間接的協力者、傍観者が、このアウシュビッツというシステムを支えていました。
言葉を変えると「傍観者にならないで欲しい」。それが中谷さんからの最大のメッセージでした。「非常時に当事者として動くことができるか?」それがアウシュビッツを通じて歴史を学ぶことの意味だと気付きました。
ナチの一党独裁政権も、決して、突然降って湧いたわけではありません。当時の世界でも高度の民度を誇ったドイツという国で、合法的にかつ民主的に、形作られていったのです。
なので、今現在を生きる我々にも、歴史の逆コースを歩む種はいろんなところにある訳です。そうした芽を早いうちに気付き、小さくとも声を上げていき、行動を取っていくこと。それが大切なのですね。
これも中谷さんの受け売りですが、東北大震災に際して日本人が取った冷静で協力的な行動。これは世界から賞賛を浴びていますが、中谷さんの見方は、毎年行なってきた防災訓練の賜物なのではないかということでした。アウシュビッツを通じて歴史を学ぶ意味は、日本人の防災訓練のように、非常時に常識的で適正な判断と行動が取れるかどうかだということなのです。
(ビルケナウ収容所に引き込まれる鉄道線路)
(2)個人の組織行動の問題なのか?信条(宗教)なのか?それともマインドコントロールなのか?
施設を廻り、当時の建物、写真等を見て感じた疑問。当時のSS(ナチス親衛隊)のメンバーはどういう気持ちだったのだろうか?ということです。ここで100万人を超える人間をユダヤ人といった理由だけで殺していったのです。(前記事記載のように殺されたのはユダヤ人だけではありませんが・・・)
私には、これは「組織における個人」の問題に見えました。レベルは全然違いますが、会社組織で働いていれば、時として個人の考えとは違うことも、組織の論理として行動に移さねばならないこともでてきます。SSのメンバーも、自己の考えには逆らいながらも、組織の命令として行動せざるえなかったのか?ということです。そうであれば、組織における個々の人間行動のケーススタディとして、彼らの心理や葛藤について知りたいと思いました。
しかし、中谷さんは、「戦後、アウシュビッツの関係者でこの殺人に対して謝罪した人は、(中谷さんが知るかぎり)存在しない。収容所のメンバーは『ベルリンの本部の命令に従っただけだ』と言い、本部の人間は『現場が暴走した』と批判しあっているが、自己批判は聞いたことがない」と説明してくれました。
仮にそうだとすると、アウシュビッツ関係者は『この世からユダヤ人を絶滅させることが真にドイツのためになる』と信じて行動していたのでしょうか。無差別テロを行なうイスラム教徒と同様に、SS教に基づいた個人の信条に従った結果なのでしょうか。
しかし、その信条は、個人の良心や考えに基づいたものなのか、それともマインドコントロールされたものなのか?どう考えればいいのでしょう。例えば、現代のイスラム教徒のテロとオウム真理教のテロは同じなのか、違うのか?違うとしたら何が違うのか?
自問はループするばかりで、答えは未だ出てきません。しかし、アウシュビッツで行なわれた行為は「悪」であるはずにもかかわらず、その判断が高い教育を受けた人たちが自分自身でできなくなるというのは、どういう時なのか?同様な過ちを繰り返さないためにも、もう少し探って行きたいと思います。
(ビルケナウ収容所)
(3)被害者と加害者、歴史の中で
私の不勉強もありますが、ユダヤ人の歴史というのは本当に複雑です。今読んでいる「ローマ人の物語」の中で、ユダヤ人離散の起こりが書かれています。ローマ時代に本格的に始まった離散や迫害の歴史ですが、アウシュビッツもその歴史の中、延長線にあり、更にその歴史は、現代のイスラエル、パレスチナ紛争へと繋がっていきます。まさに数千年の歴史を持った問題であるわけです。
そして、「被害者」であったユダヤ人は、今、パレスチナにおいて「自衛」の名の元、アラブ人に対しては「加害者」となっています。そして、そのアラブ人(の一部)も外部環境、立場によって、今度は被害者が加害者になります。それが、ユダヤ、パレスチナに限らず、人間や人間社会の複雑さ、難しさ、そのものだと思いました(かなりユダヤ、ユダヤ人、パレスチナ、アラブ、イスラムの言葉を区分けせず使っていますが、ご容赦ください)。この複雑な人間、社会を理解するには、こうしたアウシュビッツのような歴史を知ることが、感覚的にも一番良く理解できます。そして、まずは理解することが、進歩に向けての一歩になることだと、改めて感じた次第です。
以上、雑駁ですが、自分がアウシュビッツで感じたことをメモしてみました。正直、こうしたことを真面目に考える時間や機会は、日々の日常や仕事に追われる生活の中ではありません。こんな機会が与えられただけでも、ここに来て良かったと思いました。本を読むことはできても、当地で実感するこの生の迫力は何ものにも変えがたい迫力があります。そして、本で読んだことは忘れてしまいますが、この実感は、ずーっと自分の中に残り続けると思いました。できれば、今、学校で歴史を学んでいる子供と一緒に来たかったです。
(犠牲者の国際追悼記念碑)