★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

Let's enjoy summer

2020年08月06日 18時54分06秒 | 徒然(つれづれ)
 猛暑だ、炎暑だとボヤいている今日この頃。
 今年は梅雨が長かったせいや、コロナ騒動のせいで、8月になってからやっと夏の猛暑を感じ出した次第だ。
 ということは、今年の猛暑の期間は例年より短いかもしれない。

 歳を考えると、人生であと何度夏を迎えられるかわからない。
 たぶんそう多くはないはずだ。

 ならば、暑い暑いとボヤいてばかりではいられない。
 この猛暑を甘んじて受け入れ、かつ、慈しむくらいの余裕を持ちたいものだ。

 夏の想い出とか、ひと夏の経験などというくらい、夏は他の季節に比べると想い出作りにも最適な季節だ。
 まあ、この歳になってそれはないだろうが、とりあえずは短いであろう猛暑の夏を楽しもう。
 


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主観的過去

2020年08月06日 12時08分23秒 | 徒然(つれづれ)
 昔はどこの家にもアルバムの1冊や2冊はあった。
 もちろんLPレコードではなく、写真が貼ってあるアルバムだ。
 親が撮ってくれた自分や家族の写真、自分で撮った友達の写真など、それらを見ながら過去に思いを馳せたものだ。

 時代が流れビデオカメラが出てくると、写真に代わりビデオに撮って保存し、時には結婚式などで、撮りためたビデオを編集して新郎新婦の生い立ちを披瀝したものだ。
 今ではスマホで画像や動画を撮ってそのまま保存したり、パソコンに保存し、SNSにアップしたりしている。

 いずれにしても、それらの写真やビデオ、画像や動画は、過去を見る手段だ。
 タイムマシンが発明されない限り、過去へは戻れないが、過去を見ることは可能だ。

 自分で撮ったり、自分が登場する写真や動画は、その時のことを覚えているので、実際の過去だと認識できるが、他人が撮った写真や動画は、そこに自分の存在や意識がないので、それが真実なのか作り物なのか判断できない。
 特に自分が生まれる前の昔の写真など、本当の過去なのか判断できない。

 家のアルバムには両親の若い頃の写真もある。
 私が生まれる前の写真だ。

 私が生まれる前と私が生まれて自我が芽生えたあとでは、その存在や主観において天と地ほどの違いがある。
 しかしその写真に大きな違いはない。

 写真に限らず、世の中やまわりを見るという行為は主観的なものだ。
 その主観が存在しない、過去の写真というのは実に不思議なものだ。

 それらが撮られた時点では、自分はこの世に存在していなかったのだ。
 その過去は客観視はできるが、主観では語れないし、認識できないのだ。

 ほんとうに私が生まれる前の過去は存在したのだろうか。
 
 

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