ウォーキング途中ブランチで寄った吉野家の有線で、懐かしい曲が流れていた。
ピーター・ポール&マリー(PPM)の「悲しみのジェット・プレーン」だ。
「カントリー・ロード」が1971年に大ヒットする前にジョン・デンバーが作詞作曲し、1969年PPMが歌って全米ナンバーワンヒットを記録した50年以上前の曲だ。
ジョンのアルバム収録時のタイトルは「Baby,I Hate To Go」だったが、PPMのタイトルは「Leaving on a Jet Plane」で、どちらも歌詞の中に出てくる。
私は高校生になった1970年にこの曲を聴いた。
日本語のタイトルは「悲しみのジェット・プレーン」だった。
悲しみとジェット機、そのミスマッチは、目に留まること必至の名訳だ。
もちろん曲自体も、日本人好みの哀調を散りばめたメロディで、歌詞も訳してみればメロドラマだ。
コード進行も簡単だったので、歌詞を覚えてギターで弾き語りしたものだ。
50年の歳月は相当なもので、ジョン・デンバーはジェット機ならぬプロペラ機の墜落事故で亡くなり、PPMはマリーが亡くなり、ピーターとポールも82歳のおじいちゃんだ。
そして高校生だった私も、66歳を目前に控えた引きこもり年金生活の高齢者だ。
ピーター・ポール&マリー(PPM)の「悲しみのジェット・プレーン」だ。
「カントリー・ロード」が1971年に大ヒットする前にジョン・デンバーが作詞作曲し、1969年PPMが歌って全米ナンバーワンヒットを記録した50年以上前の曲だ。
ジョンのアルバム収録時のタイトルは「Baby,I Hate To Go」だったが、PPMのタイトルは「Leaving on a Jet Plane」で、どちらも歌詞の中に出てくる。
私は高校生になった1970年にこの曲を聴いた。
日本語のタイトルは「悲しみのジェット・プレーン」だった。
悲しみとジェット機、そのミスマッチは、目に留まること必至の名訳だ。
もちろん曲自体も、日本人好みの哀調を散りばめたメロディで、歌詞も訳してみればメロドラマだ。
コード進行も簡単だったので、歌詞を覚えてギターで弾き語りしたものだ。
50年の歳月は相当なもので、ジョン・デンバーはジェット機ならぬプロペラ機の墜落事故で亡くなり、PPMはマリーが亡くなり、ピーターとポールも82歳のおじいちゃんだ。
そして高校生だった私も、66歳を目前に控えた引きこもり年金生活の高齢者だ。
★★日頃小説など読んだこともない、文学的知識も希薄な、ド素人の引きこもり年金生活者が書き散らかした小説もどきも30冊オーバー。真人間のあなたは、絶対読んではダメですよ!!★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから買えます。
読後のカスタマーレビューをいただけたら幸いです。