★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

23人…誕生日のパラドックス

2017年10月23日 00時22分50秒 | 徒然(つれづれ)
 誰しも、自分と同じ誕生日の著名人を、ネットで検索したことがあるだろう。
 9月9日生まれの私と同じ誕生日には、オーティス・レディング、弘兼憲史、村西とおる、大塚愛らがいる。

 同じ誕生日の人間がいる確率は、ランダムに366人を抽出すると、閏年や双子を考慮しなければ100%だ。

 では、同じ誕生日の人間がいる確率が50%を超えるには、最低何人必要か。
 難しい計算は割愛するが、答えは23人ということになるらしい。
 ランダムに23人抽出すれば、50%の確率で同じ誕生日の人間がいるという。
 そういわれると、今まで結構狭い範囲で、同じ誕生日の人間がいたなあ。

 しかし、23人より1人少ない22人を抽出して、残りの1人に自分を入れ、自分と同じ誕生日の人間がいる確率は、計算によると6%ということだ。
 同じ23人なのに、異なる確率だ。
 これを誕生日のパラドックスというらしい。

 これは、論理的な矛盾に基づくパラドックスではなく、結果が一般的な直感に反するという意味でのパラドックスだ。 

 それがわかればパラドックスでもなんでもない。
 単なる思い込み、錯覚に過ぎない。
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【競馬】第78回菊花賞予想

2017年10月22日 10時12分55秒 | 競馬
 先週の秋華賞は配当は低いものの、見事ゲット。
 その勢いで連勝を目指したい。

 例年、菊花賞は良馬場と相場が決まっていたが、今年は台風の影響で重、下手をすると不良馬場だ。
 枠順を見ると、有力馬は外枠に集まった。
 過去10年のデータでは内枠が圧倒的に有利だ。
 すべての馬が初距離で、血統的な距離適性が云々されるが、最近はさほど重要なファクターではなくなってきている。
 
 さて、何を基準に比較しよう。

 秋華賞と菊花賞は相似性があるように思うのは私だけだろうか。
 NHKマイルカップ優勝馬アエロリットと皐月賞優勝馬アルアイン。
 トライアルのローズステークス優勝馬ラビットランと神戸新聞杯2着のキセキ。
 格下トライアルの紫苑ステークス優勝馬ディアドラと、同じくセントライト記念のミッキースワロー。
 どちらも武豊鞍上の善戦ホース、リスグラシューとダンビュライト。
 オークス最先着のモズカッチャンと、ダービー最先着のマイスタイル。

 この伝でいけば、1着ミッキースワロー、2着ダンビュライト、3着マイスタイルということになる。
 
 しかしそこは敵(JRA)も然る者、そうは問屋が卸すまい。

 まずは上位人気馬の死角探しだ。
 アルアインはダービーではマイスタイルに、セントライト記念では、叩き台とはいえ、ミッキースワローに完敗だ。
 キセキは前走2着も、1着レイデオロには完敗、3着サトノアーサー、4着ダンビュライトとは僅差だ。逆転も考えられる。
 ミッキースワローは前走が目イチの仕上げで、秋華賞のラビットランとダブり、上積みは期待できない。

 初距離、実績馬不在、台風の影響と大荒れの予感も漂うが、そんな時こそ人気どおりということもありがちだ。
 
 ダービー1~3着馬不在のここは、実力拮抗、中荒れと見て、1着に人気馬3頭、2着に下位人気馬7頭、3着は道悪巧者のダンビュライトを固定というフォーカスでいってみよう。

<結論>三連単フォーメーション21点
 1着⑫ミッキースワロー⑬キセキ⑯アルアイン
 2着③スティッフェリオ④クリンチャー⑤トリコロールブルー⑥マイネルヴンシュ⑨クリノヤマトオー⑭ポポカテぺトル⑱マイスタイル
 3着⑮ダンビュライト
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このハゲ~~~!!!

2017年10月22日 00時07分02秒 | 徒然(つれづれ)
 髪の分け目を左から右に変えた。
 頭頂部に白髪が多いのはわかっていた。
 その白髪のあたりの頭皮を指で触るとやけにツルリとしていた。

 胸騒ぎを覚えて、合わせ鏡で頭頂部を見てみると、あろうことか禿げていた。
 ビックリ仰天だ。
 天然パーマの剛毛で、歳の割には白髪の比率は少ないと思っていたが、頭頂部は真っ白だった。
 白髪になると髪は細くなり、生えている密度も過疎化状態で、地肌が丸見えだ。
 所謂、カッパ禿げというヤツだ。

 まさか自分が禿げるとは夢にも思わなかった。
 分け目を元に戻し、サイドやフロントの髪でなんとか取り繕えたが、他人に真上から見られると、角度や照明の具合で透けて見えるかもしれない。
 
 ここは早めのカミングアウトをすべきだろうか。
 
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22才の別れ

2017年10月22日 00時03分50秒 | 徒然(つれづれ)
「かぐや姫」解散後に結成された、フォークデュオ「風」のデビュー曲「22才の別れ」。
 伊勢正三の作詞作曲だ。
 もともとは「かぐや姫」時代のアルバム「三階建の詩」収録曲だ。

 その時一緒に収録されたのが、同じく伊勢の作詞作曲の「なごり雪」だ。
 2曲はカップリングの要素が強い。悲愛のコール&レスポンスだ。
「22才の別れ」の主人公は女で、「なごり雪」は男だ。
 アルバム発表年を調べてみると、ちょうど伊勢が22歳の時と合致する。
 両曲とも歌詞の内容はフィクションと思われるが、22歳の心情は痛いほど投影されている。

「22才の別れ」の歌詞の内容から推測すると、2人は彼女が17歳の時から付き合い始め、22歳の誕生日が、昨日のことのように思い出されるくらい、月日が経ったあとに別れたのだ。
 多分22歳6ヵ月以降、22歳10ヵ月以前の間くらいか。

「なごり雪」の歌詞の内容を加味すると、彼女は田舎の親が勧める縁談に乗ってしまったのだ。
 多分、彼に内緒でお見合いをして2、3回は会っているはずだ。
 それで彼と天秤にかけて、優しさでも経済力でも勝る、お見合い相手のほうを選んだわけだ。

 男は貧乏学生。
 優しさは弱々しさの裏返しで、踏ん切りがつかない優柔不断な奴だ。
 彼女が別れを決断したあとで、その重大性に気づいたが、あとの祭り。
 彼女が去ったあとの駅のホームで、「去年より君はきれいになった」なんて未練たらしく呟いているのだ。

 私はその男の情けなさに、わけもなく共感したものだ。
 
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感音性難聴

2017年10月21日 12時19分29秒 | 徒然(つれづれ)
 最近、といっても1、2年ほど前からだが、よく後ろを振り返る。
 別に歳を取ったから過去を振り返る、というわけではない。
 文字通り、身体的な動作だ。

 道を歩いていて、横に進路を取る時、必ず後ろを振り返る。
 クルマやチャリが来ていないかの確認だ。
 最近はクルマのエンジン音も静かになり、チャリは歩道を我が物顔で疾走する。
 以前だったら、聞こえてくる音で後ろの雰囲気を確認できていたのが、1、2年前からその音が聞こえづらくなってきたのだ。
 
 耳鼻科で診察してもらったら、加齢による感音性難聴だという。
 音の聞こえる範囲が狭くなり、音自体もぼやけている。
 治療法はなく、重症化すると補聴器が必要になるという。

 最近ではテレビの音声も聞こえづらくなってきた。
 特に女性の高音や、下手な漫才師の滑舌の悪いしゃべくりが聞こえづらい。

 会社でも何度も聞き直すので、難聴がバレてしまっている。
 最近では問いかけには肯定の返事しかしない。8割方は肯定の返事で会話は成り立つものだ。
 喋り声は普通に聞こえるのに、言葉がぼやけて聴き取れない。
 まるで耳に霞がかかったようだ。
 
 まあ、世の中のどうでもいい雑音や、自分に都合の悪いことが、耳に入らなくて済むと思えば、不幸中の幸いと思うことにしている。
 
 
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21世紀

2017年10月21日 09時12分31秒 | 徒然(つれづれ)
 子供の頃、21世紀には住居がすべて摩天楼になり、クルマが空を飛び、宇宙旅行が可能になり、ロボットが仕事や家事をしてくれる社会になると半ば本気で考えていた。
 現実には住居は一部が高層マンション程度に、クルマは依然として地面を走っているし、宇宙旅行は、何人かの大富豪が宇宙に何分か滞在しただけ、ロボットなど、まだまだ鉄の塊に毛が生えた程度だ。

 大きく変わったのは、コンピュータ、あるいはネット社会になったことだ。
 その社会は、強力な電磁パルス攻撃に曝されると、ほぼ壊滅してしまうほど、コンピュータに依存している。
 その攻撃は核ミサイル攻撃より、コストやリスクの面からもはるかに簡単だという。

 私程度でも、パソコンがなかったら不自由するし、確実にストレスも溜まる。
 若い世代など、パソコンやスマホの依存度ははるかに高いはずだから、発狂は大袈裟だが、ノイローゼやうつ病になってしまうだろう。
 
 そんなリスクを承知の上で、もはや社会はコンピュータに対する依存度を高めこそすれ、止めることはないだろう。
 電磁パルス攻撃にはセキュリティやセーフガードの強化で対応するだろうが、完全なガードなど無理だ。
 複雑にネットワーク化したシステムは、その攻撃を完全に阻むことは不可能だ。

 21世紀はそんなリスクの上に成り立っている。
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ワーム

2017年10月20日 21時14分54秒 | 徒然(つれづれ)
「今日はなんて暖かい日なんでしょう! 上田君、英語に直して」
 桃地先生が僕を当てる。
 教育実習の桃地先生は、アイドルには敵わないが、クラスの女子が束になっても勝てないくらい美人だ。
 先週初めて授業を受けて僕はファンになった。僕だけじゃない。クラスの男子の半分くらいがそうだった。
「ホワット・ア・ワーム・デイ・トゥデイ」
 僕は自信満々に答える。
 今日のために珍しく例文を予習して来たのだ。
「惜しいなあ、ちょっと発音が違ってるよ」
 先生は黒板に英文を書きながら言った。
 Whatの発音だろうな。ホとワの中間くらいの音だけど、結構難しいんだよな。
「ホワッ、ホアッ、ワッ・・・」
 僕は何種類かのWhatを、口に出して言ってみる。
「それじゃなくて、暖かいが間違ってるわよ」
 先生は黒板のwarmを指差す。
「ワーム・・・?」
 僕は言う。
「ワームじゃなくてウォームでしょう。このaはオと発音するのよ」
 ウォの形に尖らせた先生の口がキスを連想させる。
「ワームだと虫になっちゃうじゃない。それもミミズとかヒルとか毛虫とか、気持ち悪い虫ね」
「じゃあ、気持ちいい虫ってなんですか?」
 先週は監視役の先生がいたが、今日はいないのをいいことに、ガキ大将の大山がチャチャを入れる。
「そうね、たとえば蝶とかバッタとかカマキリとかね。そういうのをインセントというの」
「でも、蝶はいいけど、バッタもカマキリも気持ち悪いですよ」
 クラス委員の麻紀が言う。
 僕にしてみたら、蝶だろうがなんだろうが、虫はすべて気持ち悪い。
「ごめん、ごめん。ワームとインセントの違いは気持ち悪いかいいかじゃなくて、足があるかないかなのね。もう少し詳しい分類があるかもしれないけど、それは生物の先生に聞いてね」

 ちょうどその時終業のチャイムが鳴った。
 その日は土曜日で、僕たちは急いで帰る準備をして教室を出た。
 僕と大山は真っ直ぐ海岸へ向かった。
 海は暖かい春の日差しの中で、キラキラと輝いていた。

 波止場に着くと、大山は親父さんの漁船に乗り込んで、釣竿を二本持ってきて、一本を僕に渡す。
 晴れた土曜日は、波止場で釣りをするのが僕たちの日課になっていた。

 僕たちは海岸の砂と泥が混じったあたりで餌のゴカイを探す。
 十数匹のゴカイを、転がっていた缶詰の空き缶に入れて波止場へ戻る。

 僕たちは定位置に座り、釣り針にゴカイをつける。
「ジス・イズ・ア・ワーム」
 大山がゴカイを指差して言う。
「ホワット・ア・ワーム・デイ・トゥデイ」
 僕は言いながら釣竿をしならせ、釣り針を遠くへ投げた。 

           (了)
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二十歳の原点

2017年10月20日 00時28分03秒 | 徒然(つれづれ)
 高野悦子の「二十歳の原点」と奥浩平の「青春の墓標」は、大学時代の私たちにとって、一種の青春の指標みたいな書籍だった。
 まわりの連中が読んで話題にしているのを見て、私も取りあえず読んでみた。

 当時の私にはピンと来なかった。
 とにかく暗い。
 その暗さは著者が無理やり追求した暗さに思えた。
 大学生活の明るい側面に敢えて背を向けた、どこかアウトロー的な雰囲気がどうにも共感できなかった。
 反面、自分の刹那的な能天気さが、悪いことのようにも感じた。

 時代が違っていたからだろう。
 私たちの時代には、両著の背景の学生運動は終焉を迎えていた。

「二十歳の原点」は京都が舞台なので、見聞きした場所や地名がやたらと登場する。
 ジャズ喫茶「しあんくれーる」は、本来ならジャズに興味を持ったり、ジャズ喫茶の退廃的な雰囲気に憧れて訪れるべき場所なのに、「二十歳の原点」の暗いイメージが先行して、学生時代には、ついぞ行くことはなかった。

 高野や奥と同世代で、彼らと同じように学生運動に身を投じ、悩んだ学生のほとんどが、大学を卒業すると熱が冷めたように、「いちご白書をもう一度」ではないが、「もう若くないさ」と言い訳して、普通の社会人となっていった。
 そのことを踏まえて読み直すと、ふたりとも純粋であったがために、早まってしまったようだ。
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19(ジューク)ボックスの想い出

2017年10月19日 07時29分31秒 | 徒然(つれづれ)
 初めてジュークボックスに出会ったのは、小学6年の修学旅行で泊まった長崎のホテルだった。

 私はその頃、若大将加山雄三のファンで、「君といつまでも」の4曲入りシングル盤を小遣いで買って、自宅の電蓄で擦り切れるほど聴いていた。
 当然ジュークボックスでも「君といつまでも」と「夜空の星」を選曲した。
 デカいスピーカーから流れる曲は大迫力で、それまでショボい電蓄で聴いていたものとは雲泥の差があった。

 時は流れて、ジュークボックスが私の身近に再登場したのは、京都での大学生活を始めた頃だった。
 行きつけとなった昼間は喫茶店、夜はスナックになる店にそれはあった。 
 週に2、3回は立ち寄り、ジュークボックスで流行りのヒットポップスを聴いていた。

 当時は私が通う喫茶店、スナック、パブには、ほとんどジュークボックスがあった。
 まだステレオを持っていなかった私は、当時のヒットポップスはラジオでチェックして、ジュークボックスで聴くというパターンだった。

 時代の徒花的なジュークボックスは、私の音楽史において、電蓄からステレオに移行する期間の、欠かせないアイテムだった。
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18は青春のターニングポイント

2017年10月18日 00時09分51秒 | 徒然(つれづれ)
 9月生まれの私にとって、18歳は青春のターニングポイントだった。
 18歳前半は九州の辺境の田舎町の高校3年生、後半は日本が世界に誇る観光都市、古の文化と現代のカルチャーが渾然一体に同居する京都の大学1回生だった。

 これほどの変化、落差は私の人生でも大エポックメーキングな出来事だった。
 海と山に挟まれた、何の変哲も刺激もない、時が止まったような田舎町から、一夜明けたら、当時の私の中では大都会である京都での生活だ。

 我ながらよくその変化に対応できたものだと思う。
 多分、その変化が、夢のあるアップグレードなものだったからだろう。

 あの本当に夢のような18歳後半を私は忘れない。
 京都という歴史ある大都会を闊歩する私、最高学府の大教室で学問に勤しむ私、音楽同好会でバンド活動に没頭する私、酒にパチンコ、麻雀に競馬、そして華やかな男女交際…辺境の田舎町で描いた夢を実現したのだ。
 
 まだ日本に数えるほどしかなかったマクドナルドやケンタッキーは、今のスターバックス並みのアメリカナイズされた空間だった。
 貧乏学生御用達のジャズ喫茶やパブや居酒屋は、私たちを大人の世界へ導く羅針盤だった。
 そんな場所へクラブの連中と繰り出したものだ。
 
 夢のような日常に慣れるのも早かったが、あの半年間が私の記憶の中で色褪せることはない。
 つらい時、つまらない時、そして夢を見る年齢を卒業した今、私はいつも今では極度に美化されたあの頃を振り返る。
 そんな時期を持っている私は、人がどう思おうと、幸せだ。

 その18歳の私の京都での生活をデフォルメして描写した拙著をぜひご購読ください。

拙著「京都青春セレナーデ」アマゾン・キンドルにて発売中

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南沙織「17才」

2017年10月17日 00時03分20秒 | 徒然(つれづれ)
 沖縄出身のアイドルの走り、南沙織。
 私と同年齢の1954年生まれだ。
 ちょうど彼女が17歳の年に、デビュー曲「17才」が大ヒットした。
 当時まだ沖縄はアメリカの占領下で、返還は翌年の5月だ。
 南沙織もパスポート持参で上京したはずだ。

 その年はアイドルが豊作の年で、彼女は天地真理、小柳ルミ子と並び、三代目の三人娘と持てはやされた。
 ちなみに初代三人娘は、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみで、二代目は、伊東ゆかり、中尾ミエ、園まりだ。
 
 三代目三人娘の中では、断トツで南沙織のファンだった。
 大衆受けでは天地真理、実力では小柳ルミ子だったが、そのエキゾチックなマスクと妹的な可愛らしさが売りだった。
 吉田拓郎とかまやつひろしも彼女のファンで、「シンシア」という曲を彼女に捧げた。
 
「17才」は作曲家筒美京平が、彼女が好きだったリン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」からインスピレーションを得て書いた名曲だ。
 イントロは今でいうところのパクリに近い。
 この曲は多数の歌手がカバーしており、その中でも森高千里バージョンが秀逸だ。

 彼女は結局、商品に手をつけた篠山紀信に略奪され、私たちの夢もあえなく潰えることとなった。
 
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iPhoneって持ちにくいよね

2017年10月16日 21時31分22秒 | 徒然(つれづれ)
 現在iPhone7を使用している。
 7に限らずiPhone全般に言えることだが、どうも持ちにくい。
 私だけだろうか。

 思い当たる原因をあげてみよう。

 まず、あの薄さだ。
 縦、横に対する厚さが、筐体にしては極端に小さい。
 まるで分厚い厚紙のようだ。
 滑らかな表面と相俟って、手から滑り落ちやすい。

 次に、前面のホームボタンや、側面の音量調節やスリープボタンの存在だ。
 誤って押さないように、手加減して持つことになる。
 
 もうひとつが、皮脂が付着しやすく、いかにも圧力が悪影響を与えそうな液晶画面だ。
 これもなるべく触らないように気をつけて持っている。

 前述の理由で、iPhoneを持つ時は、他の筐体を持つ時とは違った持ち方になる。
 持つという動作に、微妙な違和感の伴う手加減が必要なのだ。
 要はしっかり、しっくりホールドできないのだ。
 
 その持ち方は、咄嗟の状況に即応できない面がある。

 もしかして、それも交換需要を念頭に置いた、アップルの販売促進戦略のひとつなのだろうか。
 
 
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軟弱者

2017年10月16日 20時27分21秒 | 徒然(つれづれ)
 歳を取って軟弱になったと実感した小さな出来事。
 とある安居酒屋でひとり飲んでいた時の事。
 カウンターの横の席からカチッ、シュッ、カチンという懐かしい音が聞こえてきた。

 横を見ると、私より年長と思われるオッサンが、ジッポで煙草に火を点けていた。
 煙草はショートピース。
 煙草の箱の上に置かれた銀色のジッポが鈍く光っていた。
 決して高価なヤツではない。

 私もその昔はショートホープを吸い、2、3種類のジッポを愛用していた。
 それが嫌煙の風潮が高まり、煙草の値上げが相次ぐようになったため、銘柄はショートホープからゴールデンバットにグレードダウンした。
 ジッポもその重さゆえに使い捨てライターに替えてしまった。
 喫煙者の風上にも置けない情けなさだ。
 
 ジッポのオッサンも、作業着の風体で、安酒を飲むくらいだから、決して裕福な暮らしではないと思われる。
 しかし、ショートピースにジッポという、喫煙者の王道だけは、頑固に貫いている。

 軟弱者の私にはちょっと眩し過ぎて、正視できなかった。
 
 
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ワンコイン・ロースかつ定食の消滅

2017年10月16日 13時19分30秒 | 徒然(つれづれ)
 松乃家で昼食を取った。
 いつもは朝食の得朝ロースかつ定食を食べるのだが、今日はタイムサービス終了の11時を回っていたので、普通のロースかつ定食にした。

 そのロースかつ定食、今まではワンコイン500円を売りにしていたはずだが、いつの間にか、オーマイガッド、530円にこっそり値上げしているではないか。
 30円ごときでゴネる気はないが、安いワンコインを大々的に謳っていたからには、店頭なり、HPなりでそれなりに告知すべきだ。

 また卓上の食べ放題の漬け物が、オーマイガッド、なくなり、皿のキャベツの横に申し訳程度に鎮座していた。
 昼時だからないのか、オールタイムなくなったのかは定かではない。
 
 食べ放題の漬け物目当てに、松乃家を休日のブランチのヘビロテに入れていた私にとっては、少なからずショックだった。
 次回、朝食の折に確認が必要だ。
 
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医者丸儲け

2017年10月16日 12時59分12秒 | 徒然(つれづれ)
 本日半年ぶりに左目の緑内障の定期検査に行ってきた。
 結果、悪化兆候なし。当然、自覚症状もない。
 自覚症状が出たら、重度の状態らしい。
 現状、治療は不要で毎朝の点眼だけだ。

 素人ゆえに、本当に緑内障の初期なのかわからない。
 検査費と目薬代で3割負担の2,700円ほどだが、医は算術などといわれる昨今、病院の儲けに寄与している気がしないでもない。
 塵も積もればなんとかというではないか。

 来週は膵膿胞のMRI検査だ。
 こちらももう5、6年、半年毎にCT検査と交互に続けているが、膿胞に変化は見られない。
 検査費用は緑内障の4倍ほどだ。
 坊主丸儲けではないが、病院丸儲けだ。

 セカンドオピニオンという手もあるが、如何せん面倒だ。

 病気というのは、自覚症状があれば素人でも納得がいくが、そうでないと半信半疑だ。
 しかし手遅れになったら怖いので、検査は続けざるを得ない。

 そのあたりに、医者や病院が儲かるカラクリがあるのだろう。
 
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