私がボブ・ディランを知ったのは、高校1年の時で、当時流行り始めの吉田拓郎が、心酔していたという話を聞いて興味を持ったのだ。
1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでの、エレキギターによる演奏で大ブーイングを浴びたのも、その時に知った。
『風に吹かれて』は簡単な3コードでハーモニカも入っていたので、迷わずコピーしたものだ。
しかし、その他の曲の、一見シンプルなようで実は難解な歌詞は、どうにも性に合わなかった。
まだ、サイモン&ガーファンクルのほうがとっつきやすかった。
それ以上に、当時はディランもアメリカン・フォークの衰退とともに、絶頂期を過ぎ、私はビートルズやハードロックにより傾倒していた。
ディランを再び目にしたのは、ジョージ・ハリソン主催の『バングラデシュ難民救済コンサート』のアルバムでだ。
ジョージをはじめ、リンゴ・スター、エリック・クラプトン、レオン・ラッセルなどの一線級の中に、ボブ・ディランの名前があった。
ディランの扱いはまさにレジェンド級で、あのジョージやクラプトンも一歩下がっていた。
その時にディランの偉大さを再認識したものだ。
1997年には大阪厚生年金ホールのコンサートにも出かけた。
残念ながら、そのコンサートは小編成で音響も悪く拍子抜けしたものだ。
初期のディランは、たぶんそのようだったのだろうと自分に言い聞かせたものだ。
しかし、私の中でボブ・ディランの評価は変わらなかった。
惜しむらくは、例のノーベル文学賞は辞退してほしかった。
受賞に甘んじるより、名誉の辞退のほうがディランらしかった。
現在、YouTubeで見るディランは、ほとんどが他のミュージシャンのコンサートのゲスト出演だが、その苦虫を潰したような表情や、独特のフェイクした歌い回しは必聴に値する。
後輩ミュージシャンたちは、生けるレジェンドに最大級の配慮をしているのがわかる。
黒のストラトキャスターをやや持ち上げ気味に、胸の下でかき鳴らすスタイルもクールだ。
ニューポート・フォーク・フェスティバルでの、エレキギターへの持ち替えは今となって見れば正解だったのだ。
『風に吹かれて』では、How many roads must a man walk down (before they call him a man)と歌っていたが、今は How many roads has he walked down だ。
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