孤立していた炭山地域。志津川経由のルートが時間限定、軽のみ制限付きながら通れるとの情報を聞き、「stadio木壺」の柳原さんと炭山へ向かいました。

通れるとはいいながら道路は何カ所かが半分落ち、

いたるところに山からの土砂や倒木の山が・・・

その間を軽自動車がやっと通れる程度の道が確保できているといった状態でした。

炭山に入ってみると至る所に豪雨の爪痕が残っていました。
まず、暁陶房の笹谷さん宅に行ってみました。
なんと、奥さん、息子さんとも食中毒で昨夜は病院で点滴を受けられたとのこと。
工房の隣のKさんのご主人、お世話になっているOさんも・・・。
特にOさんは重症で入院中とのこと。
被災し、電気も水道も止まり、孤立している中で、支援食料のおにぎりが原因とみられる食中毒とは・・・。
もう言葉がありませんでした。
朝倉木工さんも食中毒で病院へ行って点滴をされたそうです。
幸いお子さんや奥さんはおにぎりを食べなかったので難を逃れと聞きほっとしました。
この環境の中では大変なので奥さんと子どもさんは、ご主人の実家に避難されたそうです。
急ぎの仕事が入っている中で、この停電がいつまで続くのか心配されていました。我々小さな工房に取ってはまさに死活問題なのです。

区長さんの会合に参加される笹谷さんを送って上炭山へ
途中、両側から山が迫り狭くなっている箇所には特に大きな土砂崩れが。

それが志津川をせき止め、道路が川になってしまいました。

この崩落で2軒の家が押しつぶされたりの被害を受けたそうです。
家にいた方は幸い助け出されましたが、そのうち一軒の山本工房さんは機械などがほとんど押し流されるという大きな被害を受けられました。

いつも通っている二尾木幡線を木幡側に登ってみると、峠を越えたところで大きな土砂崩れ。

ヘアピンカーブの上と下の2カ所に渡って土砂や倒木が完全に道路をふさいでいました。

登り口も崩れ、電柱がなぎ倒されていました。
私の工房は幸い被害はありませんでしたが、

工房の裏を見ると、いつも見慣れた風景が一変。

裏山が大きく崩れていました。
すぐ下には2軒のお家がありましたが、土砂は2軒のお家の間を流れ下ったのでかろうじて浸水は免れたようです。

しかしその土砂は更に下に流れ下り、「一木一優」の仲間、「stadio木壺」の柳原さんの工房の周りを埋めていました。
こう見ると、何事もなかったようですが、入り口は50cm以上の土砂で埋まっていたのです。

このままでは工房に入ることもできませんので、急遽駆けつけた柳原さんのお父さんと3人で、掘り出しに掛かりました。

炎天下、スコップで掘り土砂を除けること1時間以上、やっと元の地面にたどり着き。

何とか中に入れることができました。
工房の陶芸の部屋は泥水が入っていましたが、木工の部屋はサッシが水を防ぎ、かろうじて床上の浸水はまねがれました。
ただ、土砂は床より高く積もっており、また雨が降れば浸水は避けられない状態です。
重機での土砂の除去が早急に必要です。
そうこうしていると、志津川経由のルートが閉鎖されるという情報が入り、引き上げることにしました。

途中まで来ると、二尾木幡線の二尾方面が開通し、危険な志津川経由のルートは閉鎖されていました。
そこで二尾へ出て、開通した京滋バイパスを通って家に帰ってきました。

途中、崩れた箇所がいくつもあり、稲穂が揺れていたはずの棚田は一面土砂に埋まっていました。
大きな災害に遭い、電気も水道も止まり、孤立状態が続いた上に、食中毒の被害まで被った炭山の皆さんですが、その中でも力を合わせて地域内の道路確保のために土砂を取り除いたり、助け合ったりするだけでなく、地域外に住む我々のために峠の上まで登って工房の安否の電話を掛けてくれたり・・・その優しさに本当に頭の下がる思いがしました。
ここに工房を持てて本当によかったと改めて思いました。
炭山の皆さん、ありがとうございました。復旧まで頑張りましょう。
また、本当に多くの皆さんから、心配の電話やメール、ブログ及びfacebookへのコメント、励ましのお言葉をいただきました。
元気で頑張っております(年も考えながらですが)、本当にありがとうございました。

通れるとはいいながら道路は何カ所かが半分落ち、

いたるところに山からの土砂や倒木の山が・・・

その間を軽自動車がやっと通れる程度の道が確保できているといった状態でした。

炭山に入ってみると至る所に豪雨の爪痕が残っていました。
まず、暁陶房の笹谷さん宅に行ってみました。
なんと、奥さん、息子さんとも食中毒で昨夜は病院で点滴を受けられたとのこと。
工房の隣のKさんのご主人、お世話になっているOさんも・・・。
特にOさんは重症で入院中とのこと。
被災し、電気も水道も止まり、孤立している中で、支援食料のおにぎりが原因とみられる食中毒とは・・・。
もう言葉がありませんでした。
朝倉木工さんも食中毒で病院へ行って点滴をされたそうです。
幸いお子さんや奥さんはおにぎりを食べなかったので難を逃れと聞きほっとしました。
この環境の中では大変なので奥さんと子どもさんは、ご主人の実家に避難されたそうです。
急ぎの仕事が入っている中で、この停電がいつまで続くのか心配されていました。我々小さな工房に取ってはまさに死活問題なのです。

区長さんの会合に参加される笹谷さんを送って上炭山へ
途中、両側から山が迫り狭くなっている箇所には特に大きな土砂崩れが。

それが志津川をせき止め、道路が川になってしまいました。

この崩落で2軒の家が押しつぶされたりの被害を受けたそうです。
家にいた方は幸い助け出されましたが、そのうち一軒の山本工房さんは機械などがほとんど押し流されるという大きな被害を受けられました。

いつも通っている二尾木幡線を木幡側に登ってみると、峠を越えたところで大きな土砂崩れ。

ヘアピンカーブの上と下の2カ所に渡って土砂や倒木が完全に道路をふさいでいました。

登り口も崩れ、電柱がなぎ倒されていました。
私の工房は幸い被害はありませんでしたが、

工房の裏を見ると、いつも見慣れた風景が一変。

裏山が大きく崩れていました。
すぐ下には2軒のお家がありましたが、土砂は2軒のお家の間を流れ下ったのでかろうじて浸水は免れたようです。

しかしその土砂は更に下に流れ下り、「一木一優」の仲間、「stadio木壺」の柳原さんの工房の周りを埋めていました。
こう見ると、何事もなかったようですが、入り口は50cm以上の土砂で埋まっていたのです。

このままでは工房に入ることもできませんので、急遽駆けつけた柳原さんのお父さんと3人で、掘り出しに掛かりました。

炎天下、スコップで掘り土砂を除けること1時間以上、やっと元の地面にたどり着き。

何とか中に入れることができました。
工房の陶芸の部屋は泥水が入っていましたが、木工の部屋はサッシが水を防ぎ、かろうじて床上の浸水はまねがれました。
ただ、土砂は床より高く積もっており、また雨が降れば浸水は避けられない状態です。
重機での土砂の除去が早急に必要です。
そうこうしていると、志津川経由のルートが閉鎖されるという情報が入り、引き上げることにしました。

途中まで来ると、二尾木幡線の二尾方面が開通し、危険な志津川経由のルートは閉鎖されていました。
そこで二尾へ出て、開通した京滋バイパスを通って家に帰ってきました。

途中、崩れた箇所がいくつもあり、稲穂が揺れていたはずの棚田は一面土砂に埋まっていました。
大きな災害に遭い、電気も水道も止まり、孤立状態が続いた上に、食中毒の被害まで被った炭山の皆さんですが、その中でも力を合わせて地域内の道路確保のために土砂を取り除いたり、助け合ったりするだけでなく、地域外に住む我々のために峠の上まで登って工房の安否の電話を掛けてくれたり・・・その優しさに本当に頭の下がる思いがしました。
ここに工房を持てて本当によかったと改めて思いました。
炭山の皆さん、ありがとうございました。復旧まで頑張りましょう。
また、本当に多くの皆さんから、心配の電話やメール、ブログ及びfacebookへのコメント、励ましのお言葉をいただきました。
元気で頑張っております(年も考えながらですが)、本当にありがとうございました。