母の49日の法要と納骨に、先週より信州へ帰省していました。
帰省途中、清里高原からの八ヶ岳赤岳。
多少の春の気配はあるものの山はまだ冬の装いでした。
故郷の町の千曲河原。こちらは梅が満開を過ぎたところ。
土曜日、孫を中心に集り、母の納骨を済ませ、寂しいながらもちょっとホッとしたような・・・。
葬儀に参列できなかったので、と東京から駆けつけていただいた私の又いとこのYさんを駅までお送りした帰り道、
子どもの頃よく遊んだ羽黒山の上り口に立つ庚申塚では、桜が咲き始めていました。
翌日は朝からの快晴に誘われて千曲川辺を散歩。
前夜の雨は、山では雪になったようです。
咲き始めたしだれ桜と八ヶ岳。実にきれいでした。
この日は時間があいたので、隣町の小海高原美術館で開かれている、
フィンランドと日本の生活デザイン展『木の椅子』を見に行ってきました。
ここ、小海町では、昨年小海フィンランド協会が設立され、様々な取組が計画されています。
フィンランドの木の椅子と、日本の椅子が展示されていましたが、フィンランドの椅子が少し少なかったのが惜しまれます。
途中通った、八千穂高原スキー場。営業は3月で終了していますが、まだ雪はたっぷり。
私のホームゲレンデとも言えるようなスキー場なのですが、ここ数年は冬に来る機会がありません。
帰りに少し足をのばし、新海三社神社へ。
古来佐久地方の総社と言われている神社で、訪れたのは小学校の遠足以来です。
拝殿の前には欅と桧の巨木が向かい合って立っています。
社殿の後には、なぜか三重の塔が。
元来は隣にあった神宮寺の塔として室町時代に建立されたもので、神社の宝庫として使われ、明治の廃仏毀釈での破却を免れた、と案内板に書いてありました。
その後、桜を見ようと龍岡城五稜郭に寄ってみました。
まだ3分咲と言うところでしたが、お堀をバックにした桜は何とも言えない風情があります。
その中でも、高遠から贈られたコヒガンザクラは満開を迎えていました。
今回は、お堀に沿って内側の土手を一回りしてみました。
城跡は小学校として使われているにもかかわらず、お堀にも柵一つないのがとても印象的でした。
帰省途中、清里高原からの八ヶ岳赤岳。
多少の春の気配はあるものの山はまだ冬の装いでした。
故郷の町の千曲河原。こちらは梅が満開を過ぎたところ。
土曜日、孫を中心に集り、母の納骨を済ませ、寂しいながらもちょっとホッとしたような・・・。
葬儀に参列できなかったので、と東京から駆けつけていただいた私の又いとこのYさんを駅までお送りした帰り道、
子どもの頃よく遊んだ羽黒山の上り口に立つ庚申塚では、桜が咲き始めていました。
翌日は朝からの快晴に誘われて千曲川辺を散歩。
前夜の雨は、山では雪になったようです。
咲き始めたしだれ桜と八ヶ岳。実にきれいでした。
この日は時間があいたので、隣町の小海高原美術館で開かれている、
フィンランドと日本の生活デザイン展『木の椅子』を見に行ってきました。
ここ、小海町では、昨年小海フィンランド協会が設立され、様々な取組が計画されています。
フィンランドの木の椅子と、日本の椅子が展示されていましたが、フィンランドの椅子が少し少なかったのが惜しまれます。
途中通った、八千穂高原スキー場。営業は3月で終了していますが、まだ雪はたっぷり。
私のホームゲレンデとも言えるようなスキー場なのですが、ここ数年は冬に来る機会がありません。
帰りに少し足をのばし、新海三社神社へ。
古来佐久地方の総社と言われている神社で、訪れたのは小学校の遠足以来です。
拝殿の前には欅と桧の巨木が向かい合って立っています。
社殿の後には、なぜか三重の塔が。
元来は隣にあった神宮寺の塔として室町時代に建立されたもので、神社の宝庫として使われ、明治の廃仏毀釈での破却を免れた、と案内板に書いてありました。
その後、桜を見ようと龍岡城五稜郭に寄ってみました。
まだ3分咲と言うところでしたが、お堀をバックにした桜は何とも言えない風情があります。
その中でも、高遠から贈られたコヒガンザクラは満開を迎えていました。
今回は、お堀に沿って内側の土手を一回りしてみました。
城跡は小学校として使われているにもかかわらず、お堀にも柵一つないのがとても印象的でした。
一度ゆっくり訪れて見たいものです。
日本の城郭は好きでないけれど、なぜか、龍岡城五稜郭にこころ引かれる。
祥山さんに取りまして海がそうであるように、生まれ育った故郷の山や川は、子どもの頃の思い出と共にいつまでも忘れられないところですね。