ネットのニュースを見ていたら、中学生の自殺があったという記事がありました。関連の情報がいろいろある中で、その子が飛び降りる直前までネットの掲示板にいろいろと書き込んでいたこと、その結果として、事実関係は不明ですが、飛び降りる動画が残されていたということがありました。 以前にも、自分の部屋の映像を動画サイトで流しながら自殺をした若者がいましたが、その際もその動画を目にしました。 そのどちらもその後、間接的に情報を見たのですがなんというか、昨夜も今使っているスマホなどの道具やソフトウェアについてあらためてその意味などを考えました。
なによりやるせないですね。
よく言われると思うのですが、今ネットにつなげて使っているいろいろな道具は、刃物と同じではないでしょうか。刃物は非常に便利で、それを使うことで人は多様なものを生み出してきているけれども、同時に自分を傷つけたり他人を傷つけたりすることで、悲しいこともたくさん生み出してしまっている。
ネットも同じで、今の自分もその恩恵の上にあると思いますし、これからの世の中はその便利で活用の広がる点を活かすことが必要だと思いますが、先に書いているようなことだけでなく、闇サイトの犯罪や個人情報への不正アクセスなど、自分だけでなく他人を傷つける面についても、大きなリスクをはらんでいると思います。けれども、リスクがあるからといって使わないという選択はありえないと思います。
ただ刃物とネットが違うことは、身体的な痛みがそれによって直接もたらされるのか、その危険を身体的な経験とつなげて考えられるかということではないでしょうか。
残念ですが昨日の出来事も、自分たちでは道具を使っているように思っていても、道具に振りまわされている今の私たちの一面を垣間見るように思います。SNSだけでなく掲示板や各種の投稿サイトなどは、便利な反面、そこにどのような人がいるのか本当のところはわからないという危険性もはらんでいて、なおかつ、そこで交わされている言葉も真実と虚構、思いやりと無責任が混とんとした状態であったりすると思います。また過剰に近いと思うほどの情報が流れていきます。
私たちは道具や言葉を使えることで、ネット上も実際の生活の場と同じようなコミュニケーションが取れると勘違いしがちですが、実際の生活でさえ言葉の行き違いで感情的になる場面も多いのに、まして文字だけのつながりであればなおさらでしょう。メールの一言で相手を必要以上に怒らせてしまうことや、SNS上で返信がないことなどに過剰に反応することなどはその一例といえるでしょう。
このような世の中に私たちはいるわけで、これからの世代を送り出していくことにもなるのですが、私たちはスマホなどの道具の使い方や、いろいろなSNSの活用の側面ばかりでなく、それ以上に私たちが過去から積み上げてきたコミュニケーションについて、これまで以上に時間を取って次の世代に伝える必要があるのではないかと思います。
なによりやるせないですね。
よく言われると思うのですが、今ネットにつなげて使っているいろいろな道具は、刃物と同じではないでしょうか。刃物は非常に便利で、それを使うことで人は多様なものを生み出してきているけれども、同時に自分を傷つけたり他人を傷つけたりすることで、悲しいこともたくさん生み出してしまっている。
ネットも同じで、今の自分もその恩恵の上にあると思いますし、これからの世の中はその便利で活用の広がる点を活かすことが必要だと思いますが、先に書いているようなことだけでなく、闇サイトの犯罪や個人情報への不正アクセスなど、自分だけでなく他人を傷つける面についても、大きなリスクをはらんでいると思います。けれども、リスクがあるからといって使わないという選択はありえないと思います。
ただ刃物とネットが違うことは、身体的な痛みがそれによって直接もたらされるのか、その危険を身体的な経験とつなげて考えられるかということではないでしょうか。
残念ですが昨日の出来事も、自分たちでは道具を使っているように思っていても、道具に振りまわされている今の私たちの一面を垣間見るように思います。SNSだけでなく掲示板や各種の投稿サイトなどは、便利な反面、そこにどのような人がいるのか本当のところはわからないという危険性もはらんでいて、なおかつ、そこで交わされている言葉も真実と虚構、思いやりと無責任が混とんとした状態であったりすると思います。また過剰に近いと思うほどの情報が流れていきます。
私たちは道具や言葉を使えることで、ネット上も実際の生活の場と同じようなコミュニケーションが取れると勘違いしがちですが、実際の生活でさえ言葉の行き違いで感情的になる場面も多いのに、まして文字だけのつながりであればなおさらでしょう。メールの一言で相手を必要以上に怒らせてしまうことや、SNS上で返信がないことなどに過剰に反応することなどはその一例といえるでしょう。
このような世の中に私たちはいるわけで、これからの世代を送り出していくことにもなるのですが、私たちはスマホなどの道具の使い方や、いろいろなSNSの活用の側面ばかりでなく、それ以上に私たちが過去から積み上げてきたコミュニケーションについて、これまで以上に時間を取って次の世代に伝える必要があるのではないかと思います。