◇戦場カメラマン 真実の証明(2009年 アイルランド、スペイン、ベルギー、フランス 100分)
原題 triage
監督・脚本 ダニス・タノヴィッチ
出演 コリン・ファレル、パス・ベガ、クリストファー・リー、ジェイミー・シーヴェス、ケリー・ライリー
◇死者のみが戦争の終わりを見てきた
っていうプラトンの言葉が最後に掲げられるんだけど、つまりはそういうことだ。
戦場で死んでしまった者にしか、その場の苦しさ辛さ悲しさはわからないかもしれない。
この映画もそういう観点から撮られてるんだけど、パス・ベガの父親クリストファー・リーが探偵役になるとはおもってもみなかった。リーの演じた精神科医なのかリハビリテーション医なのかよくわからない謎の医師は、フランコの時代に少なくない兵士たちを「治療」したというなにやらいわくありげな医者で、なんとも血なまぐささを感じる。だから娘のパスもやけに感情的になって父親と対峙するんだけどね。
それはそれとして、つまりこれはPTSDの治療にはちがいないんだけれども、その実、行方不明になっている親友ジェイミー・シーヴェスについての捜査でもあるんだね。もちろん、伏線はあった。原題にあるようにトリアージで、それも青い附箋と黄色い附箋だけで生死を分けられ、医師ブランコ・ジュリッチによって安楽死させられてゆく兵士たちが描かれたときから、これが伏線だなとおもってた。
まあ、そのあたりは予想どおりの展開なんだけど、戦場はもう嫌だ、帰りたい、子供がもうすぐ生まれるんだ、おれは子供の顔を見に帰ると告げていたジェイミー・シーヴェスの被弾はあまりにも残酷だし、その行方不明の真相が安楽死に近いものであると告白しなければならないコリン・ファレルもまた生き残ってしまった者の苦しさに苛まれる。辛いところだ。
もっとも、この作品の場合、戦争の犠牲あるいは戦場の非情といったものは描かれてはいるけれど、もしかしたら戦場がイラクである必要があったのかどうか。というより、イラクでなくてもよかったかもしれない。ただ、近代戦であることは疑いなく、戦場カメラマンという職業が存在する時代である必要はある。だから、かれらが目撃し、体験したことが物語になるし、親友を助けるために川へ飛び込んだものの、結果としてそれが仇になってしまって親友は川を流されてしまって溺死していくという辛すぎる真実を告白することが、残された者たちの救済になるという皮肉の物語が成り立つんだなと。
ただ、物語の展開からすると、トリアージにはならないんだよね。瀕死の重傷を負っているジェイミー・シーヴェスはコリン・ファレルが離さなければもしかしたら生きていられたかもしれず、だからコリン・ファレルは自責の念に苛まれるんだけど、これ、原題どおりならそうじゃないよね。川から助けられるんだけど、その後があるはずだよね。だって、服と靴が見つかったっていう報せが来るじゃん。で、パス・ベガに問い詰められるじゃん。あなたのほかに彼を知っている人が戦場にいたんじゃないのと。つまりそれはブランコ・ジュリッチだよね。となると、こんな想像が成り立つ。コリン・ファレルとブランコ・ジュリッチはふたりしてジェイミー・シーヴェスをトリアージしたにちがいないと。親友をみずから安楽死させてしまったという体験は絶対に口にすることはできないよね。そうであれば、謎の医師クリストファー・リーの存在も生きてくる。
カットして短くしちゃったでしょ、この映画?