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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

リトル・ランナー

2015年07月31日 20時50分36秒 | 洋画2004年

 ☆リトル・ランナー(2004年 カナダ 98分)

 原題 Saint Ralph

 監督・脚本 マイケル・マッゴーワン

 

 ☆ハレルヤ

 何度観ても好いものは好い。この作品はなんか好きなんだよね。カナダのハミルトンというところは綺麗な空気が張りつめてるっていうような印象があって、その逆光の美しさに映える映像もなかなかいい。なんとなく『小さな恋のメロディ』をおもいだしちゃうんだよな、なんでだろ。

 それと、ボストン・マラソンの当日、アダム・ブッチャーを眼の仇にしている校長がラジオに向かって「勝て!」と叫ぶところはわかっていることながらやっぱりええです。アカペラで流れるハレルヤがいつまでも耳に残っておもわず口ずさんじゃうのは、やっぱり僕の好みと合ってたってことなんだろね。

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列車に乗った男

2015年07月30日 21時36分42秒 | 洋画2002年

 ◇列車に乗った男(2002年 フランス 90分)

 原題 L' Homme du train

 監督 パトリス・ルコント

 

 ◇三日間でも一期一会

 自分の人生をふりかえったとき、たいした人生じゃなかったかもしれないけどそれでもまあ満足だ、とかっておもえる人はどれくらいいるんだろう。やり残したこととか、やっておきたかったこととか、まったく自分とは吊り合わない世界で生きてみたかったとか、いろいろとあるんじゃないのか。ぼくは、もう、ごまんとある。

 だからこういう映画はしみじみしちゃうんだよね、きっと。

 フランスにはとてもよくある風景の町で、たそがれていくとき町の往来には誰もいなくなっちゃうようなうらさびれた田舎町、そう、ツールとかあのあたりの風景によく似てる。人生をなんの漣も立てずに生きてきて心臓病を患ってる元国語教師ジャン・ロシュフォールと、人生嵐ばっかりで今もって悪い昔の仲間から絶対に失敗しそうな銀行強盗に誘われるジョニー・アリディが出会うのはそんな町だ。

 ただ、旅をしていると、ここまでではないものの、こんな場面に出くわすことはないわけじゃない。人間ってのはおかしなもので、とくに孤独な人生を送ってたりすると、まったく初めて出会った人間なのにいちばんの親友のように感じちゃことがある。で、その人間の人生が自分の憧れていた生き方だったりしたらもうほんと交歓したいくらいにおもっちゃうもんだ。そうした心の機微がよくわかるだけに、心臓の手術と銀行強盗のカットバックは悲しいね。

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北国の帝王

2015年07月29日 21時52分11秒 | 洋画1971~1980年

 ◇北国の帝王(1973年 アメリカ 122分)

 原題 Emperor of the North Pole

 監督 ロバート・アルドリッチ

 

 ◇1933年オレゴン州19号列車

 まあなんともアルドリッチっぽいっていうか、アルドリッチの好きそうな連中による骨太の男っぽい活劇ではある。

 とはいえ、たしかに大不況時代は無賃乗車でもしなければ生きていけないくらいだったんだろうけど、それだけで映画にしちゃってるところは凄い。北国の帝王っていってもそれは所詮無賃乗車の帝王なわけで、そんなことだけで伝説の男にされちゃうっていうんだから、不況とはいえなんだか好い時代だったんじゃないかって気もしてきたりする。そういうことからいえば、たしかに貨車の上での決闘っていうか喧嘩はなかなかちからが籠もってはいるものの、なんだか長閑な感じもするんだよな~。

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カリスマ

2015年07月28日 18時52分10秒 | 邦画1991~2000年

 ◇カリスマ (1999年 日本 104分)

 監督・脚本 黒沢清

 

 ◇木をめぐる人間ども

 カリスマっていう題名がどうしてもしっくりとこなかったんだけど、カリスマなるものがどういうものかその定義について考えればなんとなく納得できるような気がしないでもない。

 カリスマと呼ばれる木はまわりの土壌に毒素を拡散させ、それでまわりの木々はつぎつぎに死に絶えてしまう。枯死させる毒というのがなんなのかわからないけど、木を枯れさせるものなんか出してたら自分だって木なんだから枯れちゃわないのかなって気もするんだけど、およそ毒というものはそういうものなんだろう。

 ともかく、この不思議な木に価値があるとわかれば欲に餓えた人間どもが群がってくるのは無理もないことで、映画はそれを生真面目ながら運の悪い刑事、植物学者、得体の知れない世捨て人のような若造など有象無象の人間を絡めてもがき回らせる。ただ、嫌になるくらい淡々としている分、ふしぎな雰囲気は出てるし、薄気味の悪さは倍増している。

 結局、このカリスマはまわりの土壌を汚染するだけでなく、まわりの大気までも汚染して、その毒素を吸った人間どもは互いに殺し合ってすべてを消滅させてしまうわけだけれども、それこそがこの世界の法則なのかもしれないっていうところに落ち着くのかしらね。人間は結局、毒を制御できずにみずから滅びの道を選ぶんだっていうのが主題だったのかしらね。難しくてよくわからないんだけどさ。

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フィッシャー・キング

2015年07月27日 02時11分49秒 | 洋画1991年

 ◇フィッシャー・キング(1991年 アメリカ 137分)

 原題 The Fisher King

 監督 テリー・ギリアム

 

 ◇漁夫王

 いかにもテリー・ギリアムっぽいっていうのがいちばんしっくりくる感想なんじゃないかと。

 それはロビン・ウィリアムズにしてもそうで、深い悲しみのせいで気が変になり、けれど同時にたぐいまれな優しさを持って人に接するようになってしまうというのは、かれ自身がそうだったのかもしれず、たとえそうじゃないにしてもそういう演技をやらせたら右に出る者はいないんじゃないかしら。

 そういうところからすると、元教授の浮浪者ロビン・ウィリアムズと知り合う元DJはジェフ・ブリッジスでもいいし、ギリアムがキャスティングしたかったというブルース・ウィルスでもいい。つまりは口が災いして輝かしい人生から真っ逆様に転落していきながらも結局はお人好しっていう性格が出せる役者であればいいんだから。

 あ、でも、ここまで書いてきておもったんだけど、たしかに聖杯伝説は絡んでるものの、それを基本にさえ置いていれば、あとは登場人物ふたりの性格を描くにはどんな物語がいいんだろうと想像するだけで、この作品は成り立ってることがわかる。そうか、結局、この映画は性質は異なるように見えながらも本質は同じっていう人間を描こうとしているだけで物語そのものに徹底して重点が置かれてるわけではないのかもしれないね。

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特別な一日

2015年07月26日 20時54分38秒 | 洋画1971~1980年

 ◎特別な一日(1977年 イタリア、カナダ 110分)

 原題 Una giornata particolare

 監督 エットーレ・スコラ

 

 ◎1938年5月4日

 いまさら内容をおさらいするまでもないくらいによく知られた映画で、これをそのままリメイクしたところでどうにもつまらないものしか撮ることができないのは自明でもある名作だ。かといってなにも触れずにおくのも仕方がないので、簡単になぞる。

 ところで、ヒトラーとヒットラーという書き方なんだけど、ぼくの小さなときはヒットラーだった。それがいつのまにやらヒトラーと書かれるようになってきたけど、洋画を観てると誰もがヒットラーっていってるような気がするんだけど、どうなんだろう?

 ま、それはともかく、ムッソリーニがドイツを訪問して、その返礼にとヒットラーがイタリアを訪問したのは1938年の5月3日のことだ。で、ふたりが肩をならべてパレードをおこなったのが翌日の5月4日。つまり、当時のイタリア人にとってその日はまさしく特別な一日だったわけだけれども、ここでいう特別な日は主役のふたりにとっても個人的な特別な日なんだよね。

 マルチェロ・マストロヤンニはファシスト党への抵抗活動を続けているような素振りではあるんだけど、それよりも彼の場合、男色家であることが先決される。この日、かれは連行され、サルディーニア島へ島流しにされちゃう。つまりはローマで生活を送れる最後の日ってわけだ。ただ、男色家とはいえ両刀使いだからソフィア・ローレンともできる。

 一方、ソフィア・ローレンはどうかというと、大家族の母という位置で、もう疲れ切ってて籠の鳥に逃げられたらそれを追いかけるくらいしかできない籠の鳥だ。だから、逃げた鳥は捕まえるものの、自分だってほんとは逃げ出したいとおもって悶々と暮らしてる。そこへちょうど籠の鳥の逃げた先にいたのがマルチェロ・マストロヤンニだったってわけだ。で、マルチェロ・マストロヤンニの悪態を借りれば、発情しちゃう。夫との交渉はなく、身体が夜泣きするような軟禁状態からたった一日だけ連れ出して自由な身にしてくれ、快楽を味わわせてくれるのがマルチェロ・マストロヤンニなんだよね。つまりはそのたった一日、家族がパレードに出ているときだけ、おもいもよらない男との逢瀬をした特別な一日ってことになる。

 これはたしかに不倫ではあるんだけど、誰も彼女を責められないんだよな~。人間ってのはこういうものなんだって、エットーレ・スコラは淡々とした展開なんだけど、見事な映像で見せてくれる。たいした映画だとおもうわ。

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藁の楯

2015年07月25日 13時28分33秒 | 邦画2013年

 △藁の楯(2013年 日本 125分)

 監督 三池崇史

 

 △大仰な演技とこけおどしの展開

 不愉快な映画だった。それ以上でもそれ以下でもないので、ほかに書きたいことはなんにもない。

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恋におちたシェイクスピア

2015年07月24日 18時32分34秒 | 洋画1998年

 ◇恋におちたシェイクスピア(1998年 アメリカ、イギリス 137分)

 原題 Shakespeare in Love

 監督 ジョン・マッデン

 

 ◇映画の中の舞台劇

 なんだか不思議な感覚を持った。

 映画そのものについてではなくて、きわめて個人的なことながら、手塚治虫の漫画をおもいだした。

 物語は上手に展開してた。スランプで借金の取り立ての受けているシェイクスピアから始まり、『ロミオとジュリエット』の初披露へと進んでいくんだけれども、そこへ男装したグウィネス・パルトローが絡み、けれど当時のきまりとして女性は舞台に立てないということから男と偽っての登場なんだけど、それがばれ、しかしながら男が女装したという偽りのもとに舞台をこなし、しかもその舞台が彼女に惚れてしまった妻あるシェイクスピアとの共演という構造になってるのはいかにも僕好みだった。さらにはグウィネス・パルトローに捧げた難破物語『十二夜』の上演の日が、ちょうど心とは裏腹の結婚をしたグウィネス・パルトローが難破しながらも生還してアメリカ上陸を果たした日だったとかっていう、あまりにもできすぎのラストもまた僕好みだった。

 それがどうして手塚治虫とつながったのかよくわからないんだけど、場面の展開や絵作りがどうにも手塚治虫なんだよね。昔読んだ『リボンの騎士』とか『双子の騎士』とか、ああいう宝塚調の衣装や歌や踊り、さらにはうねりのある多重構造の展開が似てたからなのかしら?

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イレイザー

2015年07月23日 02時53分12秒 | 洋画1996年

 ◇イレイザー(1996年 アメリカ 115分)

 原題 Eraser

 監督 チャック・ラッセル

 

 ◇WITSEC、証人保護プログラム

 ハリウッドの映画で初めてそうしたプログラムがあることを知ったとおもうんだけど、そんなにあの国は命が危険にさらされるのが日常茶飯事なんだろうか?よくわかんないけど、すくなくとも日本よりもそういう状況にあるのと、日本よりも危機意識が高いってことなんだろうね。

 たしかに、日本の映画でも証人を保護する場合はあるけど、それはアメリカのような大掛かりなものじゃなくて、刑事がひとりでとかほんの数人とかでとかいったちんまい感じになっちゃうのがなんともね。ま、なんにせよ、こうした映画が撮られるのは、証人保護プログラムが物語に使いやすいってのはあるんだろう。

 それはそれとして、この頃がアーノルド・シュワルツェネッガーとしては脂がいちばん乗ってたのかもしれないね。ちなみにヴァネッサ・ウィリアムスなんだけど、ミス・アメリカだったんだね。それもアフリカ系アメリカ人では初だとか。知らなかったわ。

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エバー・アフター

2015年07月22日 02時07分45秒 | 洋画1998年

 ◇エバー・アフター(1998年 アメリカ 118分)

 原題 Ever After

 監督 アンディ・テナント

 

 ◇灰かぶり娘

 どうしてこうもハリウッドはシンデレラが好きなんだろう?

 5年に1度くらいの割合でシンデレラの映画を作ってるような気がするんだけど、そんなことないのかな?いやもちろん作っちゃいけないとかってわけじゃないし、童話の中では群を抜いてロマンチックな物語だし、つねに若い人達は入れ替わってるわけだから、それくらいの頻度でシンデレラも作っていかないと新陳代謝にならないのかもしれないしね。

 で、たいがいの場合、ちょっとずつ中身が変わってるんだけど、それはまあ小細工といっていいようなもので、このドリュー・バリモア版シンデレラもそうだ。グリム兄弟の導入からシンデレラの生い立ちと環境について語られるあたりはそれなりに新鮮で、ふ~んって感じで観られたんだけど、途中からどうにもこうにもなんだか単なるシンデレラ物語をなぞっているだけのように見えてくるのが辛いところだったわ~。

 

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