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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

ザ・ファーム 法律事務所

2013年05月30日 13時59分51秒 | 洋画1993年

 ◇ザ・ファーム 法律事務所(1993年 アメリカ 155分)

 原題 The Firm

 staff 原作/ジョン・グリシャム『法律事務所』

     監督/シドニー・ポラック

     製作/シドニー・ポラック スコット・ルーディン ジョン・デイヴィス

     脚本/デヴィッド・レイフィール ロバート・タウン デヴィッド・レーブ

     撮影/ジョン・シール 美術/リチャード・マクドナルド 音楽/デーヴ・グルーシン

 cast トム・クルーズ ジーン・ハックマン エド・ハリス ホリー・ハンター テリー・キニー

 

 ◇人間味という点において

 シドニー・ポラックという人は、いつも知的だ。監督としても、製作者としても、俳優としても知的な印象を崩さない。この作品ももちろんそうで、底辺にあるのは社会悪に対する正義の志だろう。トム・クルーズはそうしたポラックの代弁者ってことになるわけだけど、やっぱり法科大学院を出たてって設定だから非常に若い。この若さが正義感が即時そのまま行動に反映する。

 貧窮の子ども時代を送った者はたいがい、給料も自家用車も住宅も、なにもかも高級でありたいと渇望する。子どもの頃にかみしめた惨めさは、金持ちになって、ほかの連中を見返し、優越感にたっぷりと浸りたいという強烈な意志を生む。トム・クルーズはそうした過去を持つ勤勉な学生ってことになってる。けれど、こうした勉強だけやってきたような青臭い新入社員は、社会人として練れてない分、甘い罠に嵌まりやすい。結局、嵌められる。

 けど、持ち前の行動力によって、自分の就職した法律事務所がマフィアと深く関係し、マネーロンダリングなどを行い、それに抗おうとした同僚4人を殺しているという、とんでもない真実を、盗聴や脅迫や実際の危機を乗り越えて暴露していく。そこに大きく関与してくるのがトムの妻ジーン・トリプルホーンで、彼女はジーン・ハックマンの誘いに乗るふりをして秘密を探り出そうとするんだけど、このふたりの場面は、別な緊迫感をもたらしてくれる。というのも、正義感だけで突っ走られても、どうも人間味が足りないからだ。

 冒頭から中盤にかけてはいろんな物に執着するさまが描かれてるのに、途中からどんどん正義の人になっていく。けど、ジーン・トリプルホーンとジーン・ハックマンはちがう。夫の不貞に嫉妬しながらも夫を愛している自分に悩み、考え、行動するのは、それはそれで人間的だし、悪に手を染めたいとはおもっていなかったのに、いつのまにか手先になり、手先になりながらも、心の奥底にある良心によって完全な悪になりきれない、といったなんとも人間臭いところをハックマンが見せてくれているからだ。

 ただ、もっと人間臭いのは事務所の連中だ。法律を扱っているからといって、それはひとつの職業に違いないわけで、仕事を依頼されれば、それがマフィアであろうと淡々とこなして何が悪いんだと、この事務所の連中はひらきなおってる。もちろん、悪事に加担した時点でそれはいけないことなんだし、だからこそ、FBIの捜査対象にされてるんだけど、人間がいかに金に弱く、高級な物に惑わされるのかっていう賤しさを、かれらは見せてくれてる。賤しい人間にはなりたくないけど、そういう気持ちはよくわかる。

 いやだ、いやだ。

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トイレット

2013年05月28日 23時21分13秒 | 邦画2010年

 ◇トイレット(2010年 日本、カナダ 109分)

 英題 toilet

 staff 監督・脚本/荻上直子

     撮影/マイケル・レブロン 美術/ダイアナ・アバタンジェロ

     音楽/ブードゥー・ハイウェイ フードスタイリスト/飯島奈美

 cast もたいまさこ アレックス・ハウス タチアナ・マスラニー デイヴィッド・レンドル

 

 ◇ばーちゃん、幽霊?

 またもや、見当違いなことを書いちゃうのかも。

『かもめ食堂』でも『めがね』でも同じことを感じたんだけど、

 荻上直子の作品を観ていると、

 深い山の奥にある湖のほとりに立ったような気分になる。

 その湖面に石ころを投げると、綺麗な円形の波紋が立つんだけど、

 それが周辺に溶け込んで、やがてふたたび静寂が訪れると、

 湖は何事もなかったように、漣ひとつ立たなくなる。

 つまり、

 荻上直子の描いている世界はそれとよく似ていて、

 整然と調和していたはずの世界に異邦人が入り込むことで、

 ほんのつかのま、ざわめき、混沌とした世界になりかけるんだけど、

 まもなく異邦人が世界に同化するのか、あるいは世界が異邦人の色に染まるのか、

 ともかくふたたび調和の保たれた世界が復活する。

 その世界は、湖の底に石ころが沈んだように、

 以前とはやや違う世界になっているはずなんだけど、

 でも、その新しい世界は何気なく見ただけでは以前とほぼ変わらない。

 いや、変わっていないのかもしれないし、

 変わったことがわからないのかもしれない。

 そうした石ころを、荻上直子の常連になっている役者さんたちが演じてきた。

 この映画でいえば、もたいまさこだ。

 もたいまさこは、映画の中の兄弟のほんとの祖母なのか?

 母親が連れてきたのは赤の他人なんじゃないのか?

 いや、そもそも、もたいまさこは生きているのか?

 兄弟たちにだけ見える幽霊なんじゃないのか?

 だから、ご飯も食べないし、トイレも長いし、

 寿司を食べてしまったことで、人間界から去らないといけなくなったんじゃないのか?

 なんていう、あきらかに的外れな想像までしてしまうんだけど、

 実をいえば、そんなことはどうだってよくて、

 ばーちゃんという石がぽちゃりと落ちてきて、

 静かに波紋を広げながらも、その家庭という名の湖に受け入れられ、

 湖を構成するひとつの欠片となり、やがて湖はふたたび静謐に包まれる。

 そういう話なんだから、

 ばーちゃんの正体なんて、どうでもいい。

 にしても、もたいまさこはどうしてあんなにお金を持っているんだろう?

 いや、これは『かもめ食堂』でも『めがね』でもそうだった。

 お金はどこからともかく湧いてくる。

 そんな印象を受けるんだけど、

 世の中、お金の出所なんてセコイことを考えてちゃいけないんだろうね、たぶん。

 みみっちい観方しかできないのが、辛いところだ。

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モネ・ゲーム

2013年05月27日 16時04分44秒 | 洋画2012年

 ◇モネ・ゲーム (2012年 アメリカ 90分)

 原題 GAMBIT

 staff 監督/マイケル・ホフマン 脚本/ジョエル・コーエン イーサン・コーエン

     撮影/フロリアン・バルハウス 美術/スチュアート・クレイグ 音楽/ロルフ・ケント

 cast コリン・ファース キャメロン・ディアス アラン・リックマン トム・コートネイ

 

 ◇『泥棒貴族』のリメイク

 モネの『積みわら』の連作は30点ほどが確認されてるそうだ。

 にしても、

 ジヴェルニーの近くの畑の積みわらを描いたときには、

 まさか、映画の題材になるとは、モネもおもってなかったろう。

 けど、

 映画の中身からいけば、別にモネでなくてもいいし、

 印象派の絵である必要もなく、たとえばロダンの彫刻でもいいわけで、

 だから、原題も『GAMBIT』つまり『先手』とされたのね。

 それと、

「なるほど」

 と、おもったことがある。

 最初に書かれた脚本は、どうやら日本が舞台だったらしい。

 後に、コーエン兄弟が書き直すことになったんだけど、

 その残り滓が、途中で登場する得体の知れない日本人なんだー。

 ちょっと驚いたのは、

 ほんとにサヴォイホテルで撮影されてることで、

 その値段の高さや気どりぶりが皮肉られてるってのに、

 よくまあ許可したもんだなと。

 ていうか、

 こういうコメディに気軽に応じるだけの余裕があるってことなのかな?

 もうひとつ驚いたことは、

 小品として手軽に撮られてるような印象ながら、

 実に10年以上もすったもんだしたあげく、撮影されたらしい。

 監督も変わり、脚本家も変わり、出演者も変わったみたいなんだけど、

 その中で、

 コリン・ファースだけは途中で名前が出てからずっと残ったみたいだから、

 かれのコメディ演技はやっぱり定評があるんだろね。

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ピクニックatハンギングロック

2013年05月26日 23時44分41秒 | 洋画1971~1980年

 ☆ピクニックatハンギングロック(1975年 オーストラリア 116分)

 原題 Picnic at Hanging Rock

 staff 原作/ジョーン・リンジー『Picnic at Hanging Rock』

     監督/ピーター・ウェアー 脚本/クリフ・グリーン

     撮影/ラッセル・ボイド 美術/デヴィッド・コッピング 音楽/ブルース・スミートン

 cast アン・ランバート カレン・ロブソン ジェーン・ヴァリス マーガレット・ネルソン

 

 ☆1900年2月24日、ハンギング・ロック

 この神秘的な岩山があるのは、

 オーストラリアのヴィクトリア州 マドセン山近くらしい。

 メルボルンから車で1時間半くらいだというから、

 旅行に行ったついで上ってみることくらいできるだろう。

 ワイナリーもあるみたいだし、のんびりした休日を過ごせるだろう。

 ハンギング・ロックの木陰でまどろんでいれば、

 もしかしたらなにかの息吹が聞こえ出し、

 なにかに誘われるままに岩の割れ目へ向かい、

 やがて忽然と消え失せ、

 映画の舞台で神隠しってな報道がなされるかもしれない。

 でも、このいかにも実話めいた括られ方をしている作品は、

 とうに、すべて、作者の想像の産物であることは明かされている。

 だから、映画化された際の原作者や監督の取材が、

 なんともいえない曖昧さに包まれていたのは無理もない。

 けどまあ、事実だったかどうかなんてことは、どうでもいい。

 アン・ランバートの神がかったような美しさと、

 神秘的な少女たちの雰囲気と音楽、そして絵画のような映像に息を呑み、

 あれだけ美しかったから神さんも隠してしまいたくなるよな~とおもえばいいのだ。

 まったくそれだけの映画なんだけど、

 日本だったら、どのあたりなんだろう?

 明治33年あたりだとおもうんだけど、やっぱり、吉野山あたりかな~。

 全寮制の華族の女学校に通っている女学生たちが、

 洋装に身を包んで郊外の山へお花見か紅葉狩りにでも出かけるんだろうか。

 そこで、何者かに誘われ、ひとりの美しい女教師と共に消えていくんだ。

 糸のように細い黒髪で、透き通るような雪白の肌の女学生を集められるなら、

 可能なんだろか?

 この映画では、彼女たちを連れ去ったものの正体はいっさい明かされないけど、

 得体の知れない、擬人化された自然そのものが連れ去ったのかもって感じはある。

 原作の、しばらく発表されなかった第18章ではモノリスが登場するみたいだけど、

 そういう具体的なイメージは、作品を台無しにしてしまう。

 やはり、

 彼女らは風にさらわれたのだ。

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マディソン郡の橋

2013年05月25日 00時56分38秒 | 洋画2000年

 ◇マディソン郡の橋(1995年 アメリカ 135分)

 原題 The Bridges of Madison County

 staff 原作/ロバート・ジェームズ・ウォーラー『Love in Black and White』

     監督/クリント・イーストウッド

     製作/クリント・イーストウッド キャスリーン・ケネディ

     脚本/リチャード・ラグラヴェネス 音楽/レニー・ニーハウス

     撮影/ジャック・N・グリーン 美術/ジャニール・クラウディア・オップウォール

 cast クリント・イーストウッド メリル・ストリープ アニー・コーリー ジム・ヘイニー

 

 ◇橋の名は、ローズマン・ブリッジ

 たった4日間の不倫が、生涯を通した恋になる話。

 といえば、なんだかな~とおもってしまいがちながら、これがどうして原作小説も世界的にヒットし、破格の安さで撮られた映画も世界的にヒットしたばかりか、各国でいろんな賞まで受賞しちゃったんだろ?なんだよ、それっておもっちゃうんだけど、あれですかね、やっぱり、不倫だろうとなんだろうと、純粋な恋とか永遠の恋とかには、誰もが憧れてやまないんですかね?

 まったく、ぼくみたいにひねくれた人間は、どうしても物事を斜めに観ちゃって「所詮、中年の男女の不倫じゃんか~」とかいっちゃうもんだから、だめなんだ。ていうか、そんなふうにおもってたもので、封切られて20年近くも経ってから、ようやく観た。

「ああ、なるほど」

 と、おもった。

 かいつまんで筋を追ってみれば『母親が亡くなったとき遺言が見つかり、自分は火葬にしてくれとあったため、こりゃなんだよ~と子どもたちが読んでみれば、とある4日間の話が書いてあった。1日目、夫が出張に出、妻が道を聞かれたカメラマンにひと目惚れし、屋根付きの橋に案内し、夕食をご馳走するんだけど、また逢いたいとおもう。2日目、また夕食をご馳走した後、ダンスを踊り、そのまま自宅でエッチをする。3日目、ふたりで郊外にピクニックに出かけたんだけど、明日は夫が帰ってくるとおもいだし、もう残された時間はないってことで、またエッチをする。4日目、朝、これは遊びなのかと妻が聞き、一緒に来てくれと男が答え、荷造りをし始めるんだけど、家族を思い出した妻の表情で男は悟って去り、夫と子が戻ってきたことで、これまでと変わらない日常が戻ってくる。で、数日後、妻が夫と買い物に出かけたら、町を去りつつある男を見つけ、交差点で、その車の後ろに自分たちの車が止まり、男はウインカーを点滅させて曲がり、妻は夫の横に乗ったまま家へ帰った。っていう4日間の話があって、自分の遺体は火葬にして橋から撒いてくれと書いてあったので、子どもたちは母親の恋を成就させてやろうと遺灰を河に撒いてやる』とかいうことになるんだけど、こんなふうに書いたら、身も蓋もない。

 そこで、考えた。メリル・ストリープは結婚してからずっとど田舎で暮らし、畑仕事をしたりして、まるで変化のない日常を過ごしつつも、なんとなく都会的で文化的なものに憧れて、気は好いんだけど面白みのない夫につまらなさを感じていたところ、都会からカメラマンのクリント・イーストウッドがやってきて、なんだか芸術的な話をされちゃったことで萌え上がり、夢中になり、それからは、夫につくしながらも、ほんとは死ぬまでイーストウッドが好きだったわけだけど、これを不倫っていう言葉で括ろうとするから厄介なことになるわけで、なんかまあ、いろんな事情で結婚して、子どもとか生まれちゃったものの、ほんとうの恋にめざめてなかった女性が、ようやくほんとうの恋を知ってしまい、それを生涯、大切にしてたとすれば、そりゃまあ、仕方ないよねっていうことになるんじゃないだろか。

 難しい話だ。

 ただまあ、こういうことはよくあることで、たとえば、一週間の海外旅行に出たりしたとき、その旅先で、なんとなく野性味があって、それでいて芸術的だったりする男と出会い、濃厚な数日間を過ごしてしまったとしたら、どうだろう?

 なんにもおもしろくない日常とはまるで異質な、めくるめくほどに甘美な世界がそこにあったってだけじゃなく、その思い出は、決して色褪せない。思い出に出てくる男は夫と違ってハンサムで、いつまでも逞しく、加齢臭も漂わせず、腰が痛いだの肩が凝っただのといわず、衰えず、萎びず、つまらない愚痴もいわず、妻をなじらず、声も荒らげず、老眼にもならず、腹も出ず、白髪にもならず、禿げず、歯も抜けず、自分の耳元に、詩歌を奏でるような愛の告白をし続け、やさしく肩を抱きながら、キスをし続けてくれる。そりゃもう、ずっと好きでいるって。好きでいないわけないじゃん。

 だから、こんな都合のいい話、あるわけねえだろ~とかいえないんじゃないかしら?

 ただ、ひと言だけ、当時65歳のイーストウッドに告げたい。なんで、にやけてんだよ!もっと、いつものように、苦虫を噛み潰したような渋い表情で、いてくれよ!拳銃ぶっぱなして、唾はいて、眉間に皺を寄せて、シガリロを喫いながら、頑固一徹にふるまってくれよ!と。

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アイアンマン3

2013年05月24日 22時18分29秒 | 洋画2013年

 ◎アイアンマン3(2013年 アメリカ 133分)

 原題 IRON MAN 3

 staff 監督/シェーン・ブラック 脚本/ドリュー・ピアース シェーン・ブラック

     撮影/ジョン・トール 美術/ビル・ブルゼスキー 音楽/ブライアン・タイラー

     衣裳デザイン/ルイーズ・フログリー 視覚効果監修/クリストファー・タウンゼント

 cast ロバート・ダウニー・Jr. グウィネス・パルトロウ ドン・チードル ベン・キングズレー

 

 ◎なんとすでに、マーク42

 世の中には、縁のある映画とない映画とがある。

 実をいうと、この『アイアンマン3』を観るために予習しなくちゃとおもい、

『アベンジャーズ』に挑戦した。

 けれど、体長が悪かったんだろう、3度挑戦して3度とも爆睡し、

 結局、アイアンマンが登場するまで意識が持たなかった。

 だから、たぶん『アベンジャーズ』には縁がなかったんだろう。

 そんなこんなで、

 予習もできないまま、本作に挑まなくちゃいけなくなった。

 聞くところによると、この映画は『アイアンマン』の1と2の続きではなく、

 どうやら『アベンジャーズ』の続きになっているらしい。

 ということは、起承転結の図式を想い浮かべるまでもなく、

 発端、発展、転換、結末となっているにちがいないわけで、

 途中をすっとばしてラストを観てしまっていいものかどうか、

 ちょっとだけ、心配した。

 けど、そんなものは無用だった。

 さすがにMARVELはよくわかっていて、

 たとえ『アイアンマン』や『アイアンマン2』を観てなくたって、

 充分に愉しめるように作られてる。

 ま、登場人物について多少の想像はいるけど、おしなべて問題ない。

 とはいえ、

 アイアンマンスーツを装着する速度が、1からすると断然に速く、

 もう途中からは、あっという間に空中で最新型スーツ「マーク42」が装着される。

 でも、

「変身するのとおんなじじゃん」

 とかいってはいけない。

 それは単に寄る年波で、動体視力が衰え、

 画面についていけなくなっているだけの話なんだから。

 でまあ、なんとか観た。

 ロバート・ダウニー・Jr.はホームズになろうがスタークになろうが、

 本質はまったく変わらず、

 時代を超えたコスプレをしているだけのように見えるけど、

 そんなことはまったく構わない。

 だって、ぼくらは、どこまでもカッコつけたビッグマウスの、

 決して死なない筋金入りの女たらしのロバート・ダウニー・Jr.が、

 CGを使わないと絶対無理みたいなアクションを見せてくれることを期待して、

 劇場に足を運んでいるわけだから。

 で、

 のっけからでかい口を叩いたおかげで、

 自宅が襲撃される羽目になり、ぼろくそにされる。

 けど、ヒーローはこうでなくちゃいけない。

 自分の存在に悩み、普通の人間として恋人と愛し合うために、

 ヒーローであることを捨てようとしつつも、

 でも、オタク心がそれを許さず、

 結局、恋人を守るためにふたたびヒーローとして復活するという構図は、

 定番といえば定番なんだけど、この定番は崩しちゃいけない。

 アイアンマンだって例外じゃない。

 それはともかく、

 よくまあ、こんなお祭り映画にアカデミー賞がらみの役者が揃ったもので、

 まさか、ベン・キングズレーまで出てくるとはおもわなかった。

 ウルトラシリーズに三船敏郎が登場するようなもんだ。

 けど、さすがにベン・キングズレーは大した役者で、

 中東あたりに本拠地を構えるイスラム過激派の親玉みたいに登場したかとおもえば、

 なんのことはない、

 米国内にいる真犯人の薬品開発研究者に雇われた、女好きの端た役者って設定だ。

 ただ、このギャップの面白さの裏には、

 アメリカの抱えているイスラム教圏への潜在的な恐怖感があるわけで、

 かといって、絵空事の物語まで、

 イスラム教圏に悪の秘密結社が存在してアメリカをぶっ潰そうとしているみたいな、

 妙に生々しいことはできない。

 ハリウッドも悩ましいところだけれど、そんなことは、

 大統領までもが宙づりにされた造船所に、

 雲をついて集結する遠隔操作されたアイアンマンの集団と、

 超人ハルクみたいになっちゃった悪党どもの活劇の前には消え失せる。

 あ、そうそう。

 宙づりといえば、グウィネス・パルトロウも、

 磔にされたかとおもえば、超人化される注射を打たれるとか、

 なかなか過激に痛めつけられるんだけど、

 さかさまになったときの腹筋には、ちょっと驚いた。

「ハリウッドの女優さんは、ちゃんと鍛えてるんだね」

 ていうか、燃え狂う炎の中へ突き落されたとき、

「これ、どうやって助かったことにするんだろう?」

 っていう心配が先に立ったけれども、

 まさか、そんなIncredibleなオチになるなんて。

 でもまあ、話の筋を追えば、あたりまえか。

 冷静に映画が見られなくなるくらい、

 スピーディな展開でした。

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コールドマウンテン

2013年05月22日 18時59分47秒 | 洋画2003年

 ◎コールドマウンテン(2003年 アメリカ 155分)

 原題 Cold Mountain

 staff 原作/チャールズ・フレイジャー『コールドマウンテン』

     監督・脚本/アンソニー・ミンゲラ

     製作/シドニー・ポラック ウィリアム・ホーバーグ アルバート・バーガー ロン・ヤークサ

     撮影/ジョン・シール 美術/ダンテ・フェレッティ

     音楽/ガブリエル・ヤレド 衣装デザイン/アン・ロス

 cast ジュード・ロウ ニコール・キッドマン レニー・ゼルウィガー ナタリー・ポートマン

 

 ◎1864年7月30日、クレーターの戦い

 ぼろぼろに傷つきながらも故郷をめざしていくという話は、

 それがいつの時代のどんな人間を扱ったものでも、感動的だ。

 ましてや、故郷に許嫁がいて、

 それもたった一度だけ口づけを交わした彼女が待っててくれるとなったら、

 そりゃもう帰るしかないよね。

 で、この映画だ。

 南北戦争の中でも激戦地で知られる、バージニア州ピーターズバーグ。

 そこで起こったクレーターの戦いに参加したジュード・ロウが、

 故郷コールドマウンテンで待っているニコール・キッドマンのもとへ帰ろうとする。

 途中、ジュード・ロウは、ナタリー・ポートマンなどに出会い、そして別れるんだけど、

 それは、たった一度だけキスしたニコール・キッドマンが忘れられないからで、

 ニコール・キッドマンにしてもレニー・ゼルウィガーたちに励まされながら、

 ジュード・ロウに再会するまでは歯を食いしばって生きようとする。

 ただ、それだけの話だけど、どうやら実話らしい。

 ジュード・ロウが演じたのはW・P・インマンという青年で、

 実際に南北戦争中、アメリカ連合国軍の兵士で、2度脱走したんだと。

 で、この青年の兄弟の曾孫が、息子に話してきかせ、

 その息子がみずから筆をとって小説化したのが原作になったんだとか。

「へ~」

 てな話だ。

 映画の成立過程はさておき、ジョン・シールのカメラは見事だ。

 悲惨きわまりないはずのクレーターの戦いすら、流れるように美しい。

 戦いからしてそうなんだから、

 コールドマウンテンにいたる旅の風景や、故郷の自然が美しくないはずがない。

 くわえて、

 これでもかってくらい登場する豪華なキャストの演技と表情も見事に撮られてる。

 歴史を背景にした恋愛映画は、

 その筋立てが納得できるだけの映像がなくちゃ、やっぱり話になんないもんね。

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リンカーン

2013年05月21日 02時15分30秒 | 洋画2012年

 ◇リンカーン(2012年 アメリカ 150分)

 原題 Lincoln

 staff 原作/ドリス・カーンズ・グッドウィン『リンカン』

     監督/スティーヴン・スピルバーグ 脚本/トニー・クシュナー

     製作/スティーヴン・スピルバーグ キャスリーン・ケネディ

     撮影/ヤヌス・カミンスキー 美術/リック・カーター

     音楽/ジョン・ウィリアムズ 衣裳デザイン/ジョアンナ・ジョンストン

 cast ダニエル・デイ=ルイス サリー・フィールド トミー・リー・ジョーンズ

 

 ◇1865年12月6日、修正第13条、憲法に追加

 南北戦争の全貌であるとか、

 奴隷解放宣言であるとか、

 ともかく派手な場面を期待すると、とんだ肩透かしを食らうことになる。

 ていうか、実際にぼくがそうだった。

 なんの情報も仕入れずに観に行くと、たまにこういうことがある。

「え、超大作なのに、なんで、こんなに地味な映画なの?」

 というのが正直な感想で、観ている間中、

「南北戦争の最後の四か月っていうけど、世界史やってないし」

 とか、

「まさか、下院の議員をひとりひとり自陣営に鞍替えさせてるだけの話?」

 とか、

「そもそも奇蹟の28日間とかって知らないし、そんなに有名な挿話なわけ?」

 とかいった疑問が心の中で渦巻いてた。

 で、映画を観たあとで、スピルバーグたちのインタビューを観た。

 すると、そういう批判が出るのを承知の上で、

 スピルバーグは用意周到なインタビューを用意してた。

 だけど、

「観客の反応がわかってるんだったら、なんでまた…」

 とはおもったものの、ちょっとしてから、おもいなおした。

「なるほど」

 スピルバーグが描きたかったのは、家族の再生の物語だったんだ~って。

 つまり、こういうことだ。

 南北戦争という75万人もの戦死者を出した内乱に直面することで、

 それまで夫唱婦随の仲だったはずのリンカーン夫妻は、

 ことに妻の精神的な脆さが仇になり、いまにも最後の絆が切れそうになっていて、

 息子は息子で、自分だけが守られているという特別扱いに、

 尊敬していた父親への失望と近親憎悪が生まれ、

 父子の絆もまた最悪の危機に陥っている。

 けれど、大統領である自分は、ときに面白くもない冗談を口にしながら、

 なんとしても奴隷解放を明文化させるべく憲法修正をしなければならず、

 また、それが成るや、すぐさま悲惨な戦争を終わりに導かねばならない。

 この順序が逆であってはならないというのが持論で、

 そのために、リンカーンは懐柔策を採用し、

 議員の一本釣りという、したくもない根回しをしている。

 そうしたリンカーンとその家族、そして知人にのみ焦点を絞って演出した、と。

 それはそれでかまわないし、観る側にしても、

「ああ、リンカーンってこういう人だったんだ~」

 みたいな感想はいえるし、

 なにより、一代記を箇条書きのようにして描かれても退屈なだけだし、

 そんなものは資料で読めばいい。

 役者が演ずる以上、人生のあるひとコマを切り取った方がいい。

 人生が凝縮されたようなある時期を描くことで、

 その前後の状況は見えてくるし、なにより人間味がよくわかる。

 あとは、人生のどの瞬間を切り取るかって話になってくるんだけど、

 黒人差別と黒人との友情について語りたいとおもうなら、

 当初の草案だったフレデリック・ダグラスとの友情話にするべきだったろう。

 けど、スピルバーグは、家族の話に終始した。

 だって、

 実際のところ、憲法が修正されようと、戦争が北軍の勝利に終わろうと、

 奴隷すべてが一夜にして解放され、自由と仕事を手に入れられるわけでもないし、

 フレデリック・ダグラスはそうした状況をまのあたりにして悶えたみたいだし、

 そういうところからすると、

 家族の再生の話だけを映像化した方が、ドラマとしての完成度は高い。

 リンカーンの人生に関するいろいろな場面を描いたり、

 南北戦争を映像によって再現しようとしたら、

 それはたぶん絵本のようになって、うすっぺらなドラマだけが残ったろう。

 なにもかも承知の上で、スピルバーグは戦争末期の28日間を選んだ。

 それで、いいのだ。 

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翼よ!あれが巴里の灯だ

2013年05月20日 19時20分11秒 | 洋画1951~1960年

 ◇翼よ!あれが巴里の灯だ(1957年 アメリカ 138分)

 原題 The Spirit of St. Louis

 staff 原作/チャールズ・リンドバーグ『翼よ!あれが巴里の灯だ』

     監督/ビリー・ワイルダー

     脚本/ビリー・ワイルダー ウェンデル・メイズ 脚色/チャールズ・レデラー

     撮影/ロバート・バークス ペヴァレル・マーレイ 空中撮影/トーマス・タットワイラー

     音楽/フランツ・ワックスマン 編曲/レオニード・ラーブ

 cast ジェームズ・スチュアート マーレイ・ハミルトン パトリシア・スミス マーク・コネリー

 

 ◇1927年5月20日5時52分、離陸

 そして、33時間と29分30秒後、

 リンドバーグを乗せたThe Spirit of St. Louis号は、

 5,810kmを飛行して、ニューヨークからパリへの飛行を終えた。

 人類初の単独無着陸飛行の成功だったけど、

 どうやら「翼よ!~」の台詞はいってなかったらしい。

 ま、そんなことはどうでもよく、

 当時のニュース画像が挟み込まれてるような気がするけど、

 なんともリアルに、ビリー・ワイルダーはこの映画を仕上げてる。

 よくいわれるのは、

 飛行当時27歳だったリンドバーグを、

 撮影当時48歳だったジェームズ・スチュアートが演じたことだ。

 でも、そんなことはよくあることで、

 映画を観るかぎり、実際の年齢なんてまるで気にならない。

 びっくりしたのは、この飛行機、前方の視界がまるでないことだ。

 ぼくはほんとに無知なものだから、

 この映画を観るまで、まるで知らなかった。

 前方の視界をさえぎったのは、

 燃料タンクを大きくして、少しでも遠くへ飛べるようにするためで、

 そのため、潜望鏡のようなものを装着して飛行したんだけど、

「そんなこと、ほんとにできるの?」

 という疑問は当然、わく。

 だけど、現実に、

 このライアンNYP単葉機The Spirit of St. Louis号は、

 スミソニアン航空宇宙博物館に展示されてるらしいから、

 そこまで行けば、奇妙な形をした単座の飛行機に出会えるんだろう。

 まあ、それはさておき、

 ジェームズ・スチュアートのことだ。

 彼はもともと飛行機乗りだったようで、爆撃機の操縦士だったらしい。

 第二次世界大戦の頃は陸軍の大佐だったというから筋金入りだ。

 そんな経歴はともかく、

 飛行機乗りに憧れる青年にとって、リンドバーグは英雄以外の何物でもなく、

 その役を必死になって獲得しようとしたのは、よくうなずける。

 そういうことからいえば、この映画は、

 アメリカの良心といわれたジェームズ・スチュアートの

 渾身の大作だったってことになるんだろね。

 リンドバーグにしても、

 スチュアートにしても、

 たいした人間だな~と、心から想います。

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オリエント急行殺人事件

2013年05月19日 23時17分35秒 | 洋画1971~1980年

 ◇オリエント急行殺人事件(1974年 イギリス 128分)

 原題 Murder on the Orient Express

 staff 原作/アガサ・クリスティ『オリエント急行の殺人』

     監督/シドニー・ルメット 脚本/ポール・デーン

     撮影/ジェフリー・アンスワース ピーター・マクドナルド

     美術/トニー・ウォルトン ジャック・スティーヴンス

     音楽/リチャード・ロドニー・ベネット

 cast イングリッド・バーグマン ショーン・コネリー ローレン・バコール マイケル・ヨーク

     ヴァネッサ・レッドグレイヴ ジャクリーン・ビセット リチャード・ウィドマーク

 

 ◇1932年3月1日、リンドバーグ愛児誘拐事件

 チャールズ・リンドバーグといえば、

 1927年に大西洋単独無着陸飛行に初めて成功し、

 一躍、アメリカの英雄になった人物だが、

 1931年にも北太平洋横断飛行を成功させ、やはり喝采を浴びた。

 悲劇は、その翌年に起こったんだけど、

 身代金を要求されたものの、誘拐から二か月後、愛児は遺体で発見された。

 この衝撃的な事件の結末は、犯人は捕まったものの、

 いまだに少なくない謎を残したままらしい。

 一方、世界的に名の知られたオリエント急行が、

 ベオグラードの広野で、雪によって立ち往生するという事件が起こった。

 このふたつの事件に注目したのがアガサ・クリスティで、

 1934年、原作の『オリエント急行の殺人』が出版された。

 その40年後、この映画が製作されたことになるんだけど、

「まあ、なんて豪華なキャスティング」

 と、発表当時、世の人々は騒いだ。

 ぼくも、騒いだ。

 それから早くも40年が経っちゃったけど、

 当時、この映画はイギリスとアメリカでさまざまな賞にノミネートされ、

 両国でイングリッド・バーグマンが助演女優賞を受賞した。

 でも、ちょっと意外だったのが、バーグマンの演じた役は、

 なんだかうだつの上がらなそうなスウェーデンの宣教師で、

 往年のバーグマンとは打って変わったような神経質で地味なものだった。

 ところが、これはバーグマンがみずから希望した役どころだったようで、

「なるほど、美しさを見せつけるよりも演技を見せたいよね」

 と、納得したものだ。

 ただ、この小説はあまりにも有名になりすぎてて、

 小説をほとんど読まないぼくですら、犯人を知っていた。

 だから、映画を観るのもためらわれたんだけど、ま、仕方ないよね。

 結局のところ、ポアロが最後になってふたつの提案をするんだけど、

「この物語、ポアロはそのためだけに存在してるんじゃない?」

 てなことをおもってしまった。

 ま、犯人うんぬんについてはともかく、

 オリエント急行は動く密室なのに、

「雪で立ち往生しちゃったんなら、ただの箱と変わらないじゃんか」

 と感じてしまうのは、余計なお世話なんだろか?

 列車は走っているから面白いっておもうんだけどな~。

 あ、それと、

 雪が押し寄せ、吹雪の中で立ち往生した場合、

 もうすこし乗客はパニックになるんじゃないかとか、

 かれらを救出できるかどうかという厳しい状況が描かれれば、

 もっと緊迫度も高まったんじゃないのかしら?

 そもそも、トイレとかどうなってたんだろ?

 とかいった下世話なことも感じたんだけど、そんなことも余計だよね。

 ちなみに、

 アルバート・フィニーはいかにもポワロらしい素振りだったけど、

 どうやらこの1作だけで、次に続いているポワロ物は出なかった。

 なんでだろね?

 そんなことをおもってこの文章を書いている今、

 頭の中は、映画のテーマミュージックが無限にリピートされてる。

 リチャード・ベネットは、好い曲を作ったもんだわ。

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バニーレークは行方不明

2013年05月18日 02時00分46秒 | 洋画1961~1970年

 ◎バニーレークは行方不明(1966年 アメリカ 109分)

 原題 Bunny Lake is Missing

 staff 原作/イヴリン・パイパー『バニーレークは行方不明』

     製作・監督/オットー・プレミンジャー

     脚色/ジョン・モーティマー ペネロープ・モーティマー

     撮影/デニス・クープ 音楽/ポール・グラス タイトル・デザイン/ソウル・バス

 cast キャロル・リンレイ ローレンス・オリヴィエ ケア・ダレー ノエル・カワード

 

 ◎秀逸なタイトル

『サイコ』も出かけたソウル・バスのデザインは、まじに秀逸。黒い紙に指が伸びてきて、ちょっと破ると、そこにタイトルが出てくるんだけど、題名だけじゃなく、つぎつぎにキャストやスタッフが現れ、やがて、にょっきりと手が出てきて、いきおいよく紙をつかみ、ぐっと鷲掴みにして引き捨てると、本編が始まる。つまり、wipeになってるわけで、いやほんとに見事な出来栄え。

 鳥肌、立った。

 洋画のタイトルはこんなふうに凝ったものがよくあるけど、当時、この秀逸さに敵うものはなかなかなかったろう。

 本編も、かなりなもので、とにかくカメラがよく動く。パンと移動とクレーンが多様されて、ワンカットワンカット流れるようで、観ていて飽きない。どうやら引っ越しをしている姉キャロル・リンレイと、それを出迎える弟ケア・ダレーのようで、でも、一緒に暮らすわけじゃなくて、弟は雑誌記者としてロンドンに赴任してきて、私生児を生んだ姉はニューヨークから出てきたみたいなんだけど、事情はわからず、ともかく姉がその4歳の娘を保育園に預けたとき、事件は、起こる。

 娘のバニーがいなくなってる。

 ところが保育園の園長ほか全員は娘を観たこともなく、借りたマンションに戻れば、洗面台の歯ブラシなどの用具やよだれかけ、さらにはパスポートをはじめ、娘の荷物はひとつ残らずなくなってる。警察に連絡し、捜査が始まっても、娘の行方はわからず、ついには、弟の「幼い頃から姉には幻のバニーという幻の友達がいた」という証言から、一挙に、娘バニーはそもそもいないんじゃないかっていう話に追い込まれる。

 ここで凄いのは、最初からバニーの姿が一度も映されないことだ。観客までもが、刑事ローレンス・オリヴィエの視線になり、誰も彼もが疑り始めるという構図になってる。つまり、観る者も見られる者も共通した認識になり、ヒロインだけが娘の存在を信じるという、これまでになかった展開になる。ここが『フライトプラン』と違うところで、観客の惑わされ度は非常に高い。

 やがて、キャロル・リンレイのコートに人形修理の伝票が入っていたことで、事件は大きく展開する。人形の工房がまた雰囲気ありありで、娘は一度も映らなかった代わりに、無数の息をしていない人形が、キャロル・リンレイを包み込んでいくんだけど、このあたり、演出はほぼ頂点に達してる。

 やがて、預けてあった人形が見つかり、追い駆けてきた弟に託したとき、誰もが予想していたとおり、人形は燃え、たったひとつだけ、娘の存在を証明するものは消えて無くなる。

 かくして、キャロル・リンレイは精神病院に収容され、ここからようやく、彼女の行動すなわち娘を取り返す戦いが始まるわけだけど、あとは、真夜中の異様なかくれんぼや目隠し鬼さんや、トップシーンにそれとなく映されていたブランコでのクライマックスで大団円となる。犯人の登場からトランクの中の娘と暖炉に残されていた証拠品の埋め隠しなど、まあ、いろいろあるものの、この頃のハリウッドのような一対一の戦いはない。

 にしても、よく考えられた脚本で、前半の緊迫感はなかなかのものだ。

 ジョディ・フォスターが演じてみたいとおもったのも無理はない。

『フライトプラン』のように突っ込まれてしまいがちなところはほとんどなく、怪しい給食のおばさんやさらに怪しい保育園の創業者や保母さん、さらにはなんとも薄気味悪い隣人など、周りの全てが怪しくおもわれながらも、ま、冒頭のワンカットめから「あ、こいつ、犯人」とはわかるものの、でも、おもしろかった。

 ぼくは本をほとんど読まず、映画の原作に手を出すこともないけど、たまには早川のポケットミステリを手に取ってみよかな~とおもわせるほど、気持ちをさらわれた。

(以上 2013-05-18)

 

 

 実におもしろい。こういう行方不明の知り合いを探す物語の多くは、途中で行方不明になった人間はほんとうはいなかったんじゃないかって疑われはじめる。けれど、観客は最初に行方不明になる人物が登場してるのを観てるから、その人間がいつかどこかで発見されて大団円を迎えるんだろうなと安心して観ていられるんだけど、ところが、この映画はちがうんだよね。

 バニー・レイクは最初は登場しない。

 母親のキャロル・リンレーがどれだけ「バニーはどこかにいる」と訴えたところで、誰も見ていないんだから、行方不明になったんじゃなくて最初からいなかったんじゃないかってことになる。誘拐事件は、徐々にキャロル・リンレーの妄想劇のように疑われていくんだけど、それが観客もまたおもわずおなじような疑いを持っちゃう。

 これが、この映画のすごいところなんだよな。

 オットー・プレミンジャー、うまい演出だけど、そうそう、空想の友達が死んだときはどうするのかっていう質問をされたとき、日本では壊れた人形を供養するという話が出てくる。ほお、よく知ってるなって、おもわず感心しちゃったわ。

 ところで、ジャンケットっていう牛乳とチーズでできたお菓子は、ローレンス・オリビエ警視がつまみ食いするほど美味しいんだろうか。食べてみたいもんだわ。

(以上 2022-05-20)

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フライトプラン

2013年05月17日 23時57分15秒 | 洋画2005年

 ◇フライトプラン(2005年 アメリカ 98分)

 原題  Flightplan

 staff 監督/ロベルト・シュヴェンケ 脚本/ピーター・A・ダウリング ビリー・レイ

     撮影/フロリアン・バルハウス 音楽/ジェームズ・ホーナー

     美術/ケヴィン・イシオカ セバスチャン・T・クラウィンケル

 cast ジョディ・フォスター ショーン・ビーン ピーター・サースガード エリカ・クリステンセン

 

 ◇手を変え品を変え

「バルカン超特急」は、当時、最新の移動手段だった。

 かつ動く密室として、コンパートメントは最適だった。

 これに対抗しうるものがあるとすれば、客船か旅客機しかない。

 ジョディ・フォスターがどうしてこの映画への出演を承諾したのかよくわからないけど、

 ただ、かなり昂ぶった演技になってることはまちがいない。

 夫の突然の死によって精神的にぼろぼろになっていたところへ、

 まちがいなく同乗したはずの6歳の娘が機内から忽然と姿を消し、

 まわりの乗客はおろか、客室乗務員も同乗していたことを否定し、

 娘の荷物、パスポートからチケットまでなにもかも消え失せ、

 さらには乗員名簿にも名前がないどころか、

 六日前に死亡したなどと告げられては、

 自分はもしかしたら気が狂ってしまったんじゃないかと怯え悶えるのもわかる。

 ジョディ・フォスターにしてみれば、ここが見せ所だとおもったんだろう。

 けど、子供がいきなり消え失せ、その存在までなかば否定され、

 さらに母親に対しては精神疾患の疑いまでかけられるという興味深い展開は、

 実をいえば、この作品が最初じゃない。 

 たしかに動いてゆく密室の中で人間が消え失せ、

 その知り合いを探し回るものが幻を観ているようにおもわれる展開は、

「バルカン超特急」だけど、そこに子供の影はない。

 別の作品なら、ある。

「バニー・レークは行方不明」という作品で、こちらは子供が消え失せる。

 しかも、主人公のキャロル・リンレイが、ブロンドの髪をひっつめにし、

 なんとも神経質そうに動き回るんだけど、

 これがまた「フライトプラン」のジョディ・フォスターとよく似ている。

 で、ほんとのところをいうと、

 この映画は「バルカン超特急」と「バニー・レークは行方不明」の、

 どちらも下敷きにして製作されたことになってるらしい。

「なるほど、だから動く密室の中で子供が消え失せるのか」

 って感じだけど、これ、大変だよね。

 企画が決まった時点であらすじができているのはいいけど、

 それは同時に、決して外れることが許されない大筋なわけで、

 この条件をクリアでき、

 しかも現代の動く密室、巨大旅客機を舞台にしなくちゃいけないなんて、

 まあ、さぞかし、脚本家も苦労させられただろう。

 この映画が、容疑者の置かれ方や身代金についての安易なやりとり、

 さらに同乗している他の乗客たちのあまりにも無関心な態度、

 くわえて客室乗務員たちの乗客に対する責任と配慮の無さなどについて、

 あれこれと批評が出てくるのは、そうした成立過程のせいかもしれないね。

 だから、前半こそ、

 ジョディ・フォスターの計算されつくしたような知的な演技に引っ張られるものの、

 後半は、徐々に辻褄合わせが見え隠れしてくるのは仕方のないことかも。

 ちなみに、

 破損した旅客機の修理費は、誰が払うんだろね?

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バルカン超特急

2013年05月16日 16時05分11秒 | 洋画1891~1940年

 ◇バルカン超特急(1938年 イギリス 97分)

 原題 The Lady Vanishes

 staff 原作/エセル・リナ・ホワイト『The Wheel Spins』

     監督/アルフレッド・ヒッチコック

     脚本/シドニー・ギリアット フランク・ラウンダー アルマ・レヴィル

     撮影/ジャック・E・コックス 特殊撮影/アルバート・ホイットロック

     美術/モーリス・カーター 音楽/ルイス・レヴィ チャールズ・ウィリアムズ

 cast マーガレット・ロックウッド マイケル・レッドグレイヴ メイ・ウィッティ ポール・ルーカス

 

 ◇interesting,most interesting!

 というのは、マイケル・レッドグレイヴの台詞なんだけど、

 なにが「実に面白い」のかといえば、

 バルコニーから落ちてきた植木鉢で頭を痛打され、

 意識が朦朧とした自分を抱えながら特急列車に乗り込んだ婦人が、

 まるで煙のように姿を消してしまい、

 彼女を目撃したはずの乗客はおろか、車掌までもがいなかったと答え、

 さらには食堂車で一緒にお茶を飲んだはずが伝票にはひとりと記載され、

 くわえていないとされていた婦人とまったく同じ服装の女が登場し、

 あなたを抱えて列車に乗り込んだのはわたしよと証言したばかりか、

 それまで婦人はいなかったと証言していた乗客たちが、

 今度は口をそろえて「このご婦人は最初からいた」と新たな証言をするという、

 なんとも狐に抓まれたような話の展開について、だ。

 たしかに、おもしろい。

 前半30分はものすごくかったるく、観るのをやめたくなるくらい、

 登場人物の紹介がだらだらと続いて、誰が主人公かもわからないような、

 なんともヒッチコックらしくない状況説明がなされるんだけど、

 バルカン・エクスプレスが出発するや、にわかにおもしろくなる。

 もちろん、脚本の細部を眺めれば突っ込み処はいくつもある。

 けど、それをさしひいても、

 第二次世界大戦前夜に、これだけのサスペンスを撮れたのは奇跡的だ。

 だから、

 1979年には『レディ・バニッシュ 暗号を歌う女』としてリメイクされたんだろうけど。

 それはさておき、この「実におもしろい」設定なんだけど、

 観ている内に、ここ数年の場合、とある映画をおもいだす。

 そう、『フライトプラン』だ。

 ま、それについてはまたの機会にして、

 バルカン・エクスプレスという特急列車は、実際に存在する。

 オリエント急行の末裔で、イスタンブールからベオグラードまで走ってる。

 といっても、昔のような豪華列車ではなくて、単なる深夜特急だ。

 1等車はともかく、2等車にでも乗ろうものなら、

 寝台も自分でがちゃんとおろさないかぎり、普通のコンパートメントだしね。

 実をいうと、ぼくは昔、このバルカン号に乗ったことがある。

 イスタンブールからソフィアまで、ソフィアからブカレスト、

 ブカレストからベオグラード、ベオグラードからブダペストまでの4度。

 もちろん、2等車。

 ただ、乗ったとき、ぼくはまだこの映画を観ていなかった。

 残念でならない。

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白い恐怖

2013年05月15日 15時55分15秒 | 洋画1941~1950年

 ◎白い恐怖(1945年 アメリカ 111分)

 原題 Spellbound

 staff 原作/フランシス・ビーディング『Spellbound』

     監督/アルフレッド・ヒッチコック 脚色/ベン・ヘクト

     撮影/ジョージ・バーンズ 音楽/ミクロス・ローザ

     美術/ジョン・エウィング 夢シーン装置/サルバドール・ダリ

 cast イングリッド・バーグマン グレゴリー・ペック ドナルド・カーティス ロンダ・フレミング

 ◎Spellboundの意味

 直訳すれば「魔法をかけられた、魅了された、うっとりした」とかいう形容詞なんだけど、意味のひとつに「呪文に縛られた」っていうのがある。

 てことは「呪縛」って訳すのがいちばんいいかもしれない。

 で、誰が呪縛されてるのかって話だけど、グレゴリー・ペックとイングリッド・バーグマンだ。

 謎解き混じりにいってしまえば、記憶を失って目覚めたときの状況から、偽りの医者となって病院に赴任したものの、白時に波線を眼にするとパニック発作が起きてしまうんだけど、それは幼い頃に弟を自宅の門で過失死させてしまったことからの呪縛で、スキー場で滑落したために意識と記憶を失ったものの呪縛は残っていて、自分を苦しめ、かつ身分と名前を偽ったため、同時に滑落した主治医殺害の汚名まで被せられてしまうという話。

 これに、絶世といっていいほどの美貌を備えながらも、真面目に診療と研究を続けることが当然だとする四角四面の女医が絡む。

 もちろん、イングリッド・バーグマンなんだけど、くそまじめで、なんのおもしろみもない女性ながら、実は、ペックにひと目惚れしちゃうわけだから、心の底では恋愛に憧れる女性だったんだろうなと想像できちゃうのがいい。

 ペックの呪縛はかなり深刻だけど、バーグマンの呪縛はかなり単純だ。恋も知らず、もちろん、男も知らずに医者になってしまったため、甘酸っぱくも苦しくかつ狂おしい緊張と焦慮と切迫をともなう体験もできず、ほんとうは悶々としているのに、それにすら気づかない天然娘なため、ひとたび恋を知ってしまうと、あとは彼のために雪山の危険な斜面にだって立っちゃうんだっていう、なんとも健気な行動派ぶりは、まあいってみれば、世の男どもの心をわしづかみにするような設定なわけで、誰もがペックになりたいと、当時、おもったことだろう。

 ちなみに、ヒッチコックは「理想の犠牲者はブロンド女。その美は、新雪に残る血の足跡に似ている」といってるから、雪山に立つバーグマンは、まさしく理想のブロンド女だったんだろね。

 ま、そんなつまらない感想はともかく、いまもいった背景を、バーグマンの視点で描いていく手法は、まさに心理サスペンスの教科書といってもよくて、記憶の断片と証拠の欠片とが徐々に明かされ、それと同時に、登場人物たちの心の綾が徐々に解けてゆく展開に加え、病院の禍々しさと雪山の恐ろしさと美しさが重なり合うことで、いっそう、面白みが増してくる。

 この映画が、以後の推理劇やSF劇にどれだけ貢献したか計り知れないけど、なんともため息をついちゃうのは、1945年に製作されたってことだ。

 終戦の年だよ。

 たまらんよね、まったく。

 なんたって、夢のシーンの装置を作ったのが、ダリ。

 ほんと、ヒッチコックとダリが組んで、バーグマンと映画を撮ってるとき、こちらは、生きるか死ぬかの瀬戸際にあったなんて、いやほんと、当時の日本が哀れにおもえてこない?

で、2021年12月01日にまた観たんだけど、すっかり忘れてた。恐ろしい。白い恐怖だ、まじ。ところでSpellboundの意味なんだけど、これ、バーグマンがペックに『魅了された』のもあるんだろうね。ところが、魅了された相手の署名を見たときに、別人じゃないかと怪しみ始め、Who are you?と尋ねるんだけど、この緊張した展開の数秒後、ペック自身が『ぼくが院長を殺してすりかわった』と告白しちゃうから観客は戸惑い始める。これがまた、Spellboundの『魔法をかけられる』のに通じるわけだね。

テーブルクロスにつけられたフォークの痕、鉄道の複々線、ベッドに平行に寄った皺、白い洗面台、こういう謎解きのかけらの小出しが徐々にペックの記憶を呼び起こすだけじゃなくて観客の興味と興奮も誘う。

なるほど、たいしたもんだ。

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ロープ

2013年05月14日 23時24分44秒 | 洋画1941~1950年

 ◇ロープ(1948年 アメリカ 80分)

 原題 Rope

 staff 原作/パトリック・ハミルトン戯曲『Rope's end』

     製作/アルフレッド・ヒッチコック シドニー・L・バーンスタイン

     監督/アルフレッド・ヒッチコック

     脚色/ヒューム・クローニン 脚本/アーサー・ローレンツ

     撮影/ジョゼフ・ヴァレンタイン ウィリアム・V・スコール

     美術/ペリー・ファーガソン 音楽/レオ・F・フォーブステイン

 cast ジェームズ・スチュアート ジョン・ドール ファーリー・グレンジャー

 

 ◇1924年5月21日、シカゴ、ローブ&レオポルト事件

「世紀の犯罪」という表現を史上初めて用いられたこの事件は、

 シカゴ大学に在籍し、同性愛の関係にあるユダヤ人学生の、

 ネイサン・フロイデンソール・レオポルド二世とリチャード・アルバート・ローブが、

 ユダヤ人実業家の息子で当時16歳のボビー・フランクスを誘拐殺害し、

 身元がばれないように顔と性器を硫酸で焼き、遺棄した上で、

 身代金誘拐に見せかけようとしたものの、ほどなく捕まった完全犯罪未遂事件だ。

 ちなみに、犯人ふたりが罪を認めながらも異常性をちらつかせ、

 たがいに罪をなすりつけあい、死刑においこまれようとするのを、

 老齢の弁護士クラレンス・ダロウが、世間の注視の中、

 終身刑(殺人罪)と99年の懲役刑(誘拐罪)に持ち込むという、

 至極、興味深い事件ながら、

 パトリック・ハミルトンは同性愛の部分を中心に戯曲の下敷きとしただけで、

 ヒッチコックもまた戯曲をほぼそのまま映像化し、

 事件については追わなかった。

 理由は、わからない。

 ヒッチコックは『見知らぬ乗客』を観るかぎり、

 同性愛には興味があったみたいだから、

 この事件はかっこうの題材だとおもうんだけどね。

 ま、それはともかく。

 この映画が「初づくし」となっているのは、

 なにも『ローブ&レオポルト事件』を初めて映像化したってだけじゃない。

 よくいわれているように、ホモを題材にした初めての映画であること、

 ヒッチコックの初のカラー作品であること、

 また、初の製作作品であること、

 さらに、初の現実時間との同時進行であること、

 くわえて、ジェームズ・スチュアートがヒッチコック作品に初出演したこと、

 以上の5点からだ。

 初の全編ワンショット撮影ともいわれるけど、これは明らかな間違い。

 ワンショットというのは、

 カメラが回り始めて停止するまでの一連の動作をいうもので、

 途中で止まってしまっては、ワンショットにならない。

 尺80分の短さながら、

 35ミリカメラの当時のマガジンは最長でも15分ほどしか撮影できない。

 だから、全編ワンショットに見せかけるために、

 ヒッチコックは苦労したにちがいない。

 死体を入れた箱を開いたときの蓋や登場人物の背中に寄り、

 暗転したような一瞬をつないで、

 あたかもワンショットのように見せているんだけど、

 それでも限界はある。

 で、結局、カットを割った。

 ジェームズ・スチュアートのバストショットから始まるカットだ。

 でも、80分の尺の内、ぼくが数えることができたのは、

 ちょっと好い加減ながら、トップも含めると7回のカット割りで、

 そのほかの繋ぎは見当たらなかった。

 カットの長さは約6分から約13分に散らばっていて、

 平均は11分くらいだったから、ほぼ80分になるよね?

 卒論にこの映画を取り上げるんなら、

 ストップウォッチ持って測るんだろうけど、

 悲しいかな、ぼくの当時、そんなことはおもいもよらなかった。

 実際、『ロープ』を観るためには名画座に行かないといけなかったし、

 テレビでやるのを待ってたら、卒業式が来ちゃっただろう。

 つまり、映画の研究室にでもいないかぎり、

 一般の大学生では、『ロープ』の研究は、ほぼ不可能だった。

 てなことからすると、

 ほんとに好い時代になったもんだね。

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