Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

警察日記

2014年04月30日 01時50分16秒 | 邦画1951~1960年

 ◇警察日記(1955年 日本)

 大学時代、ぼくは原付で下宿から大学に通ってた。

 原付スクーターは、

 いまではもうほんとに町中を走る姿は少なくなってるけど、

 当時、おばさんスクーターとかお買物スクーターとかいわれたやつで、

 ぼくの愛用してたのはキャロットってやつだった。

 バックミラーをわざわざ左右につけて、しかもノーヘルで通用した。

 こいつを手放したっていうか、友達にあげちゃったわけは、

 ヘルメット着用が義務づけられたからで、

 それがなかったら、ずっと乗ってただろう。

 で、その原付で、ぼくは名画座にも通ってた。

 いちばんよく出かけたのが銀座の並木座で、

 当時、並木通は自動車だってそっと置いておけたし、

 原付にいたっては並木座のまんまえに堂々と駐車できた。

 のんびりした時代だったわ、ほんと。

 で、この映画も、

 その並木座で観たのが初めてだったんだけど、

 当時よりも遙かに映画の中はのんびりした時代の話だった。

 この映画は、

 刑事が取り調べをするときの定番、

「天丼食うか?」

 といって天丼を食べさせてやる場面を、

 日本でいちばん最初に撮ったらしい。

 ほんとかどうかは知らないけど、たぶん、ほんとなんだろう。

 この後、刑事ドラマではその丼がかつ丼になったり親子丼になったりした。

 ま、人情刑事物にはいちばん似つかわしい挿話なんだろね。

 それと、もうひとつ。

 この映画でデビューしたのが、宍戸錠だ。

 ちっちっち、エースの錠もまだ青二才だぜ。

 ところが、いまひとり、

 最高の子役が登場してる。

 仁木てるみだ。

 初めてこの映画を観たときには、いやもう、泣いたわ、てるみちゃんに。

 ものすごく好い演技をして、もうすべてをかっさらってくれた。

 ところが、だ。

 今観直すと、いやあなんていえばいいんだろ、間延びしてるんだよね。

 ひとつひとつの挿話はおもしろいんだけど、

 この会津磐梯山のふもとにある田舎町を撮った映画は、

 いったいなにがいいたいんだろうってな疑問にかられ、

 ほんのちょっとため息をつく。

 團伊玖磨の見事な調べから始まるタイトルバックは、

 その重低音にしても合唱にしても天下一品だし、

 姫田真佐久のカメラワークも秀逸だし、

 バスに花嫁さんが乗ってくるくだりの調子は、いや、たいしたもんだ。

 ところが、

 その小気味良さが最後まで持続しないで、途中、間延びする。

 当時としては軽快な喜劇だったはずだし、

 それから30年間くらいは、観客もちゃんとついてきたはずだ。

 なのに、時代は変わってきてる。

 もっとも、これは『警察日記』だけの話じゃなくて、

 デジタルが登場するあたりまでの映画は、

 なんとなく間延びした感じを受けるようになっちゃってる。

 いやだな~と、ぼくはせかせかしてる自分に対しておもうのだよ。

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最後の初恋

2014年04月29日 00時52分24秒 | 洋画2008年

 ◇最後の初恋(Nights in Rodanthe 2008年 アメリカ)

 とどのつまりは、不倫の話でしょ?

 とかいったら、身も蓋もなくなっちゃうんだけど、

「君といる幸せに気づかない男は、愚か者だ」

 とか、リチャード・ギアにいわれちゃったら、

 そりゃもう、ダイアン・レインでなくてもほだされる、かもしれない。

 ま、そんな甘ったるいことはさておき、

 浮気をくりかえす夫や、

 理解を示してくれない娘に疲れた中年の主婦と、

 おなじ医師の道を歩んでくれた息子とどうしても理解しあえず、

 妻にも出て行かれた中年の医者が、

 どこかで誰かに本音を話したいと欲していたときに偶然に出会えば、

 これはもう恋に走ってしまうのは、当然の帰結ってやつだろう。

 ところで、

 ぼくの勝手な想像なんだけど、

 ノースカロライナのアウターバンクスにある海辺の町ローダンテ、

 その波打ち際に建てられているホテルは、セットなんだろうか?

 だとしたら、たいしたデザインだし、お金かかってるよね。

 まあ実際、あんな波打ち際に建てられてたら、

 嵐が来るたびに恋が芽生えてしまうんだろうか?

 そんな余裕はないかもしれないよね、怖くてさ。

 でもまあ、

 こういう設定は誰もが憧れちゃうものなのかもしれないし、

 ともかく、みんな、いくつになっても恋をしようぜ。

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ワイアット・アープ

2014年04月28日 13時41分10秒 | 洋画1994年

 ◇ワイアット・アープ(1994年 アメリカ 211分)

 原題 Wyatt Earp

 監督 ローレンス・カスダン

 

 ◇いやもう、長い。

 どうしてケビン・コスナーの映画はこうも長尺物ばかりなんだろ?

 ワイアット・アープの事績を忠実に描こうとすれば、たしかに長くなるのは当たり前かもしれないんだけど、観客からすれば「OK牧場の決闘の前後だけでいいからじっくり見せておくれな」といいたくなるかもしれない。すくなくともぼくはそうだ。とはいえ、映像はすこぶるよかった。重低音のきいた音響も悪くはなかった。ということは、つまり、絵づくりについてはほぼいうことはないんだけど、やっぱり、長い。

 そんなことはさておき、アメリカ人にとってOK牧場の決闘ってなんなんだろう?ぼくたちの国に見立てると、なんになるんだろう?決闘鍵屋の辻にでもなるんだろうか?そんなことをおもいながら、観た。ぼくだったら、コルト・シングル・アクション・アーミーに徹した話にするかもしれないな~。てなことをおもったりもした。

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東京公園

2014年04月27日 02時58分18秒 | 邦画2011年

 ◇東京公園(2011年 日本)

 謎めいた展開をちょっとだけ期待したけれども、

 頼まれストーカーなのか、頼まれ盗撮なのか、

 どちらともわからない内に、

 家族愛と恋愛の狭間にゆれる物語に集約されてくってのは、

 なんとなくわかるんだけど、

 淡々とした話なだけに観てるこちらも淡々と事実を観ている。

 それはそう、まるでファインダーをのぞきながら、

 すれちがう風景や人間たちを見つめているのとおなじだ。

 これといった感想もなく、

 ひたすら写し続けた写真の中に、

 あれ、これけっこういいじゃん、

 とかおもえるものにでくわす瞬間があるかないかってのを、

 ちょっとだけ期待しながら、

 でも淡々と撮り続けているような、そんな感じだ。

 まあ、ありそうでなかなか現実的にはないであろう展開が、

 果たしてこの物語に適したものなのかどうかは、

 ぼくにはよくわからないんだけど、ね。

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(500)日のサマー

2014年04月26日 02時45分39秒 | 洋画2009年

 ◎(500)日のサマー((500)Days of Summer 2009年 アメリカ)

「ペニス!」

 たとえば、女の子とつきあってて、子供もいる静かな公園で、

 ふたりで交互に「ペニス!」と叫んで、徐々に声を大きくしていって、

 それが叫べなくなった方が負け、みたいなゲームをしようってなったとき、

 できる?と聞かれたら、できるって断言できる自信はぼくにはない。

 ということは、つまり、ぼくも所詮はジョゼフ・ゴードン=レヴィットとおなじなわけだ。

 気が強いわけでもなく、女の子とつきあうのは上手でもなく、

 それでいて、好きな女の子は独占したいっていう、ちっぽけな感じが。

 ま、そんなことをおもっちゃうくらい、この作品は上手に観客を誘い込む。

 500日という出会ってから別れるまでの時間は、

 長いのか短いのかよくわからないんだけど、

 結局、ゾーイ・デシャネルの心は最後まで見えてこない。

 いったいどんな女の子だったんだろうっていう印象だ。

 けど、女の子ってのは、どこかしら、みんな、ゾーイなんだよね。

 結婚する相手との出会いについては「運命的な」とかいうんだけど、

 はたから観てれば、ジョゼフとの出会いだって充分運命的だ。

 つまり、女の子にとっての「運命」ってのは自分に都合のいい「運命」なんだ。

 だから、ビッチ!とか冒頭でいわれちゃったりするんだろね。

 ただ、途中、

(サマーと別れてから出会う女の子がオータムとかってないだろな~)

 っていう懸念が湧いてきてた。

(まさか、そんなくだらないオチとかつけないよな~)

 で、ラストになったんだが、

 ぼくはオータム役のミンカ・ケリーの方が贔屓だ。

 ま、そんなことはともかく、

 編集の勝利というのか、脚本が練り込まれているっていうのか、

 ともかく、500日の内の特定の日を、

 アトランダムに出し、

 まるでパッチワークのように作り上げてるのは見事だった。

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十七人の忍者

2014年04月25日 00時34分40秒 | 邦画1961~1970年

 ◇十七人の忍者(1967年 日本)

 天尾完次さんは、この年は当たり年だ。

 なんつっても、

『十三人の刺客』と『十七人の忍者』の企画をしてるんだから、

 たいしたもんだ。

 で、こちらの作品は天尾さんの単独企画。

 たぶん、あまり期待もされずに、

 予算も少なめな習作って感じで撮られたんだろう。

 けど、

 そうだからこそ、余計に好きなことができたような気がしないでもない。

 女忍者に対する暴行まがい拷問まがいな感じは、

 なんつうか、すこし後の女番長やセックスシリーズを匂わせもするけど、

 近衛十四郎や大友柳太郎などの御大や、

 里美幸太郎や東千代之助などの若手に、

 おもいきりのびのび演じさせてる観もあったりして、

 充分、愉しめる。

 まあ、話の内容は、

 徳川忠長が外様大名から集めた謀反連判状を、

 老中阿部豊後守によって十七人の忍者が奪取に走り、

 これを駿府に雇われた浪人どもが迎撃するんだけどってなものなんだけど、

 浪人と忍者の親玉同士の過去の因縁と、

 忍者の跡継ぎとそれを慕う女忍者がいたりして、

 スピーディな集団戦による戦いが展開されるのは斬新だ。

『十三人の刺客』もそうだし、実は『十一人の侍』も天尾さんの企画だ。

 してみると、

 東映の集団戦を確立させたのは、

 天尾完次じゃないかって気がするんだけど、

 実際のところはどうなんだろね?

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扉をたたく人

2014年04月24日 00時34分41秒 | 洋画2008年

 ☆扉をたたく人(The Visitor 2008年 アメリカ)

 リチャード・ジェンキンスが、実に好い。

 というより、役者は誰もが好演してる。

 ジェンキンスにジャンベの演奏法を教えるハーズ・スレイマン、

 その彼女のダナイ・グリラ、

 スレイマンの母親ヒアム・アッバスも、みんな、そうだ。

 けど、

 この映画のみごとなところは、脚本だよね。

 同時多発テロ以来、アメリカは移民に対して厳しくあたるようになった。

 それはそれで仕方のないことかもしれないけど、

 移民にだって、さまざまな人達がいる。

 ここに登場してくるシリア系の青年と母親やセネガル系の女性も、そうだ。

 もちろん、不法滞在は悪いことだし、

 それによって強制退去させられてしまうのもわかるけど、

 物事は杓子定規には行かない。

 アメリカは温情のある国だとおもってたけど、

 やっぱり、国家というものを背負ってしまうと、どうしても四角四面になる。

 悲劇は、たとえ、善人ばかりであっても、生まれる。

 それも、地下鉄の構内でストリートセッションをしようとしたとき、

 切符をもって乗り込もうとしながらも、

 誰もが少なからず経験しているように、改札が締まってしまったとき、

 むりやりに乗り越えようとした際、現行犯で連行されてしまうという、

 ほんとにささいなことから、悲劇が始まる。

 このあたりの展開は、上手だ。

 さらに、脚本は移民のありようだけでなく、

 妻に先立たれた大学教授の、

 孤独からの再生もまた見つめるんだけど、

 これが、ヒアム・アッバスとの恋愛に発展しそうでせず、

 結局は、再生するかもしれない魂のゆらぎだけを描いて終わる。

 そのあとの物語は、観客に想像してもらおうという構えだ。

 実に、うまい。

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K-19

2014年04月23日 19時23分43秒 | 洋画2002年

 ◇K-19(K-19 The Widowmaker 2002年 アメリカ)

 原子炉の冷却水漏れを食い止めるために、

 果敢に立ち向かう男たちという構図は、

 この先、いろんな映画で描かれていくんだろうけど、

 それが原子力潜水艦の事故となると、

 密閉性が高い分、サスペンス度は増す。

 キャサリン・ビグローはそういうところがよくわかっている。

 演出力は大変なもので、

 緊迫感を生み出す方式をきっちりと把握してる。

 ちなみに、

 ハリソン・フォードとリーアム・ニーソンには、

 共にアイリッシュの血が流れている。

 このふたりがロシア人を演じるのは、

 なんとなく印象としてしっくりくることはくるんだけど、

 英語のわからないぼくは、

 リーアム・ニーソンのアイリッシュ訛りもわからず、

 さらにロシア語めいた英語で話してる感覚もよくわからない。

 こういうところ、映画のすべてを愉しめないのが辛いね。

 ただ、まあ、

 ハリソン・フォードは製作総指揮を兼ねているんだけど、

 自分が最後には英雄になるとはいえ、

 全編をとおして敵役のような扱いになっちゃう脚本を、

 よく承認したな~っていう気もする。

 実話が基になってるし、あまりいじれなかったんだろうけど、

 それでも、

 こういうふうに自分の立場よりも作品を重視する姿勢は、

 とってもいい。

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あかね空

2014年04月22日 00時00分48秒 | 邦画2006年

 ◇あかね空(2006年 日本)

 市井のひとびとを描いた人情話は、この頃の流行りらしい。

 まあ、好きな人達にはたまらない話なんだろうけど、

 ふしぎなもので、

 戦後まもない頃はこういう話がやつぎばやに作られてた。

 それがいつのまにやらテレビドラマの得手になり、

 映画ではあんまり見られなくなった。

 だって、銀幕ではもっと派手なものがいいじゃんか~と映画会社が判断したからだろう。

 たしかにそういう時代もあったかもしれない。

 それが、また時代が巡った。

 そういうもんだ。

 で、この話なんだけど、

 京の豆腐と江戸の豆腐のちがいは固さや大きさってわけではなくて、

 おそらく、大豆と水だろう。

 どうしたところで、大豆と水が違う以上、

 当時の江戸で京の味は出しにくいんじゃないかな~と勝手におもってりするんだけど、

 それはいいとして、

 内野聖陽がふた役やってる意味はなんだったんだろう?

 まあ、いろんな考え方ができるけど、制作者側にしか正解はわからないよね。

 観客にとっては、それがしっくり来るか来ないかってだけの話だ。

 それと、

 江戸の豆腐屋の生き別れになった息子が、

 博徒の親分になってて、親子の名乗りも得られないまま、

 ふしぎな縁で親の遺した豆腐屋の窮地を救うってのも、

 これまた好き好きだ。

 ぼくはといえば、まあ、素直に観ました。

 なんだか懐かしい感じの映画だったな~。

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パリの灯は遠く

2014年04月21日 02時06分52秒 | 洋画1971~1980年

 ◎パリの灯は遠く(MONSIEUR KLEIN 1976年 フランス)

 アイデンティティを求めて彷徨するなら、

 やっぱり、こういう作品がいい。

 冷徹なまでにひとりの人間の存在証明を追い求めてる。

 観終わってから、

 フランツ・カフカの『審判』と、

 ジャン・ポール・サルトル『出口なし』が基になってると知ったんだけど、

 活字を受け付けないぼくは、まことに恥ずかしい話ながら、どっちも読んでない。

 たしかに包み込んでる世界観は不条理なものではある。

 でも、自分が同姓同名のユダヤ人に間違えられて、

 しかも、

 そのユダヤ人はいったいほんとうに存在しているのかどうかわからず、

 たとえ存在していたにしても、

 なぜ、自分の影のように存在し、

 さらには、なぜ、自分がその影の存在を必死に追い求めようとしているのか、

 いつのまにやら、影と本体が入れ替わっていくというのは、

 不条理以外の何物でもないとおもうんだけど、

 こういう事態に直面して哲学的な世界に入り込むんじゃなくて、

 1942年のパリという緊迫した時代に設定されている分、

 不条理はそのままサスペンスに変わる。

 まあ、結局は、ユダヤ人に対して人種差別的な扱いをしたことで、

 ユダヤ人の報復に遭わされていたのだという謎解きめいた話で、

 因果応報までもくっついてくるんだけど、

 ただそうなると、

 ほんとうにロベール・クレインは存在していたのか、という疑問まで浮かび、

 いったい自分は何者なのだろうという自問が浮かびつつ、

 ラストの貨車に乗り込んでしまう。

 こういうところ、なんともめくるめく迷路のような映画なんだけど、

 奥深い絵づくりもさることながら、物にこだわった美術もいいし、

 なにもかもが上質な混沌を作り出してるように感じた。

 あ、

 最後の展開は、ヴェル・ディヴ事件(Rafle du Vél' d'Hiv)だよね?

 ある種、フランス人にとっては原罪のような話なんだろか。 

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プラチナデータ

2014年04月20日 13時29分46秒 | 邦画2013年

 ◇プラチナデータ(2013年 日本)

 なんだか『マイノリティ・リポート』みたいだった。

 たいがい、

 近未来における新たな技術に絡んだ犯罪あるいは事件物は、

 その技術を開発した責任者あるいはそれを使用する集団の長が、

 支障をきたした技術の被害者とか、

 生起した事件の犯人とかいう事態に陥り、

 濡れ衣をかぶせられたことから逃亡し、

 その疑惑を晴らしていく過程で、

 とんでもない真実を見つけ出していき、

 やがてその新技術が、

 人類や社会に悪影響を及ぼしかねないことを悟り、

 そのシステムをみずから破壊することで未来を救うんだけど、

 それによって自分が犠牲になっていくことが多い。

 ま、この場合、

 解離性同一性障害も絡んでくるものだから、

 その分ちょいとひねってあるわけなんだけど、

 二宮くんのその後についてはどうなってしまうのかといえば、

 明るい将来が待っているとはちょいとおもえない。

 それが好いのか悪いのかは観客の趣味なんだろう。

 ちまたのそこらじゅうにある監視カメラを駆使して、

 生瀬らが二宮くんを追い掛けていくのは、

 それなりにスリリングな画面と展開だったんで、

 うん、愉しめたよ。

 ただまあ、

 設定と筋立てがそうなだけに、

 リアリティは求めていないものの、

 母親のはずの鈴木保奈美の動機というか、

 プラチナデータの真実というか、

 そうしたあたりに新鮮味が感じられないのがちょいとね。

 まあ、とどのつまり、

 こうした物語の主題はアイデンティティの肯定ってやつなんだろうけど、

 人種差別とかいった社会的な構造に問題があったりする話でないかぎり、

 どうしても新たな範囲を社会の構図の中に採り入れなくちゃならないわけで、

 そうした設定の説明に時間を要するために、

 設定のおもしろさを愉しめるかわりに、

 物語そのものに割く時間が少なくなるもんだから、

 いろんな人間を描きつくす時間に限界が来ちゃう。

 こういうあたり、難しいね。

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ボーイズ・ドント・クライ

2014年04月19日 23時24分14秒 | 洋画1999年

 ◇ボーイズ・ドント・クライ(1999年 アメリカ 118分)

 原題 Boys Don't Cry

 監督 キンバリー・ピアース

 

 ◇1993年ネブラスカ州リンカーン

 で起こった殺人事件が基になってる分、内容があまりにも痛ましすぎて、ぼくにはちょっと辛い。

 性同一性障害について、ぼくはわかっているようで多分よくわかっていないから、その分もあって観るのが辛いのかもしれない。日本は、こういう問題に対してテレビとかの報道の方が先進的で、映画になると、ちょっとばかり軽く扱ってる気がしないでもない。なんでかっていうと、欧米のあらかたの国がR-18を適用しているのに対し、日本だけがR-12に指定しているからだ。

 なんでか知らないけど、日本は「性」について無理解かつ妙に開放的すぎる。というより、性については語ろうとせず、できるかぎり触れようとしないかわりに、妙に隠す一方で、妙に垂れ流している。だから、無理解が進み、子供に対する配慮もなくなる。1993年のアメリカにしても、彼女?を変態あつかいしたわけだから、日本は推して知るべしなんだろうけどね。

 R-12とかに指定するんだったら、学校動員どか、授業で見せれたりすればいいんじゃないかとすらおもうわ。

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もうひとりの息子

2014年04月18日 22時30分21秒 | 洋画2012年

 ☆もうひとりの息子(Le fils de l'autre 2012年 フランス)

 湾岸戦争の頃、ハイファの病院で同じ日に生まれた子が取り違えられる。

 これが悲劇の発端なんだけど、

 問題は、

 ふた組の夫婦が、

 イスラエル人家族と、ヨルダン西岸地区のパレスチナ人家族だってことだ。

 単なる息子の取り違えとその状況に苦しみ、

 おたがいを理解し合っていくっていう話は、

 そこらにごろごろしてて、これといって目新しいものじゃないけど、

 この映画は、ちがう。

 イスラエル人にとってパレスチナ人は自国に脅威をあたえる人間で、

 いつ蜂起するかわからない恐怖の対象であるし、

 パレスチナ人にとてイスラエル人は故国を占領している仇敵で、

 いつか蜂起して追い出してやろうとする憎むべき対象であるのと同時に、

 自分たちを隔離しているような壁の向こうには金と自由が溢れていて、

 それに対するひがみが色濃くあって、

 劣等感を持つが故に憎悪の対象にもなってるっていう、

 ほんとに悲しい関係にある。

 それでまた、

 陸軍の大佐とエンジニア職を奪われて自動車工になってる父親の息子っていう、

 なんとも皮肉な関係なものだから、余計にめんどくさい。

 ただ、育てた息子とまだ見ぬ息子への愛情を、

 全面的に出してくる母親はやっぱりたいしたもので、

 こういう母性愛はどこの国のどの人種も変わらないんだろうな~っていう気にもなる。

 ただ、

 息子たちはそれぞれ大人の世界に足を踏み入れている分、

 自分のすべき行動がもやもやしながらも徐々に出来あがっていく件りは、

 人種問題を含んでいるから底が深い。

 チンピラに刺され、病院に収容されて、両親がすぐに来るよと聞かされたとき、

「どっちの親?」

 というジョークを飛ばせるのは、やっぱりフランス映画だわね。

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陸軍

2014年04月17日 21時48分03秒 | 邦画1941~1950年

 ◇陸軍(1944年 日本)

 なにが凄いって、ラストの10分だ。

 それまでは、

 まあ、幕末から大東亜戦争までの小倉のとある一家の歴史を駈け足で追ってるだけで、

 ところどころに木下恵介の反戦思想が見え隠れしている。

 戊辰戦争で家屋敷が焼かれる中、

『大日本史』をいちばんに守ろうとするあるじの滑稽ぶりが斜めに語られるのをはじめ、

 三国干渉から日露戦争にいたるまで、

 ひたすらお国に忠誠をつくし続ける一家の姿を追うことで、

 観客にその可哀想なほどの滑稽さを描いて、

 戦意高揚映画でありながら軍国主義の愚かさを描いているわけなんだけど、

 そういう中で、

 出征していく息子のあとを懸命に追っていく田中絹代を延々と撮ったラストは、

 いやもう凄い。

 後援している陸軍省のはからいで、西部軍司令部の指示のもと、

 福岡の大通りに百十三連隊800名が行進し、

 これを、動員された大日本国防婦人会や国民学校の生徒が見送るんだけど、

 ドキュメンタリーでも観ているかのような錯覚すら受ける。

 まあ、実際にこの部隊はマニラに出征して九割潰滅という悲劇を迎えるそうで、

 そういうことからいえば、

 きわめて貴重な出陣の場面になるんだろう。

 とはいえ、

 木下恵介の力量にももちろん圧倒されるし、

 田中絹代の名演技にも驚かされるんだけど、

 当時、こういう反戦映画が堂々とまかり通ってしまうほど、

 陸軍部には映画の主題をしっかりと検閲できるだけの眼のなかったことが、

 そもそも、この国の貧しさだったのかもしれないね。

 

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ある愛へと続く旅

2014年04月16日 12時49分12秒 | 洋画2012年

 ☆ある愛へと続く旅(Venuto al mondo/TWICE BORN 2012年 イタリア・スペイン)

 ペネロペ・クルスが、好すぎる。

 女子大生から中年の母親まで演じたんだけど、

 その入れ込みようといったら、ない。

 ただ、

 カメラマンの夫が「海で死んだ」と聞かされたとき、

「サラエボに海はないわ」

 という呟きとも断言ともとれる台詞が、

 以後の謎を象徴してはいるんだけど、

 どうしても、夫の最後の行動は理解できない。

 海に向かってフィルムを引き出したカメラを投げ捨て、

 みずからも腕に致死量の毒物を注射して海に飛び込む必要が、

 いったいどこにあったんだろう。

 みずからの行動にあやまちがあったとはおもえない。

 代理母をもとめて、麻薬にも溺れた音楽家の女性と出会い、

 彼女が「セックスできないの、膣がぎゅうっと締まりすぎちゃって」と証言するように、

 セックスに対してそれなりに苦しい立場にあることも理解し、

 そういう性の奥手にも近い女性だからこそ代理母を頼んだことが悲劇につながった。

 これがあやまちといえば、あやまちだろう。

 けれど、

 彼女がサラエボ陥落の際に兵士たちに凌辱され、

 それを助けることができずに隠れ、

 しかし慙愧のおもいを抱えて、奴隷のような扱いを受けていた彼女を買い取り、

 妊娠していた体をいたわる一方で、

 自分は彼女とはセックスしていないと妻に証言したことが真実であるにも拘わらず、

 妻ペネロペが臨月となった彼女を観ることで妄想嫉妬の極致に至り、

 愛し合いながらも別れざるを得ない羽目に追い込まれてゆくのは、

 あやまちではなく、覚悟の上の行動だったはずで、

 しかも、

 生まれた赤ん坊をペネロペに託したのだから、

 もしも責任感というものが夫にあるのであれば、

 サラエボからローマに帰って、すべての事情を説明して、

 ペネロペとふたりで赤ん坊を育てて行かねばならないはずだし、

 赤ん坊を産み落とした彼女のその後についても、

 面倒を見ねばならないはずなのに、

 そういうケツを拭くという行動のすべてを放棄して、

 戦場の狂気によってぼろぼろになった精神だけに引き摺られて、

 みずから死を選んでしまうというのは、如何なものか。

 ただ、

 この物語に納得のいかない部分があるとすればそれだけで、

 謎を秘めた構成はなかなか見事で、

 孤島にホテル・レストランを営む元運転手が、

 すべての尻ぬぐいをひきうけて、

 赤ん坊の妹となる自分の娘を紹介していく件はたいしたもので、

 戦場もふくめて、そうしたさまざまな場面と女性の顔の経過を、

 あまりにも自然な特殊メークで演じ切ったペネロペもたいしたものだ。

 彼女の妊娠して流産したことによる乳首の変化と、

 下腹の妊娠線に見える皺は、

 いやまったく感心するほどによく出来てた。

 冒頭とラストは、

 船と波とを俯瞰するショットなんだけど、

 冒頭にだけ、波間に血が流れる。

 この象徴からして、

 海でなにかの悲劇があるなと匂わせるんだけど、

 それが夫に関するものになっていくとは、

 まるでおもえないように構成されている。

 好いのか悪いのかわからないけど、

 たいした演出だったわ。

 

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