◇日本沈没
藤岡弘の同僚としてゲスト出演する小松左京のこの原作だけど、当時、うちの父親の本棚にも入ってた。あんまり本に興味のないぼくだったけど、これはなんとなく開いてた。まあ、無意味にいきなり海岸でまぐあう主人公のふたりの挿し絵を見返していたっていった方がいいかもしれないけど。
映画でもこの場面はサービスカットになってる。天城山が爆発するのを目撃するだけなら、なにもいしだあゆみが黒のビキニでいる必要もないし、お見合いをしたばかりの藤岡弘の腕の中で「ねえ、抱いて」とかいう、なんとも奔放な台詞をいってしまうんだから、サービス以外のなにものでもない。
それにしても橋本忍は地球から始まるのが好きなんだな。途中でも、マントル対流の説明があって、これを小松左京は「半熟のゆで卵」と表現するんだけど、当時のぼくにとって衝撃的な台詞は「個体が流れる」という丹波さんの台詞だった。説明するだけの場面なんだけど、当時のSF映画には必須のことだったんだろう。
しかし、橋本忍にしてはなんというか薄っぺらで中途半端な人間描写な気がしないでもない。群像が多すぎるからかもしれないけど、ちょっと類型的すぎるんじゃないかな。ま、リメイクよりも断然おもしろいのはいうまでもないが。
おもしろさの重要な因子は、もちろん、役者だ。みんな若くて、張り切ってる。丹波さんも、藤岡弘も、小林桂樹も、いちばん好い顔だった時代だろうなあ。だからいいってわけじゃないけど、なんかみんながみんな切羽詰まった感じを漂わせてるのは演技なのか時代なのかはよくわからない。
◇ランオールナイト
走り出すまでが、だらだらと長い。
リーアム・ニーソンは、ほんと、元殺し屋っていう設定が多いなあ。
とはいえ、自分を軽蔑する息子が殺しを目撃したために犯人に命を狙われ、それを助けるために殺した犯人が自分の親友にして元ボスにしてたったひとりの理解者エド・ハリスの息子だったもんだから、警察もふくめて町中すべてに親御ともども狙われるという設定は初めてだったわ。
それにしても小さくなったな、ニック・ノルティ。エド・ハリスも皺が深くなったし、老いるというのはこういうことか。ニーソンだけが小さくならないのか、それともまだ若いのかはわからないけど。
ま、それはさておき、ジャウム・コレット=セラだ。リーアム・ニーソンのサスペンスは演出しやすいのか、それとも肌が合ってるのか、飛行機だの、列車だの、小さな町だのと限定された空間で凝縮された時間を設定した活劇が好きなのかしら?