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☆=☆☆☆☆☆
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▽=☆

タクスゥ 魂の踊り子

2019年10月06日 18時46分44秒 | 邦画2011年

 △タクスゥ 魂の踊り子(2011年 日本 58分)

 監督・撮影・編集/仁田美帆

 

 △バリ島の舞踏

 ニ・クトゥット・チュニックという推定86歳の舞踏家の晩年を取材したドキュメンタリーなんだけど、たしかにこのおばあさんの手の動きは、会話をしていて踊りの話になると、ちょっとその振りをしてくれるんだけど、ぴたりと決まる。長年、踊ってないとこうはいかない。

 舞踏の歴史に名を遺しただけのことはあって、彼女のあとを継いでゆく女の人達はもちろん現代においては第一人者になるんだろうけど、やっぱり、ぴたりと決まらない。

 ただ、編集、もう少し刈り込んだ好いんじゃないかしらね。冒頭から、なんとなくそう感じた。ドキュメンタリーは素材をどれだけ集めて、あらためて脚本を書いて、そこで編集するわけだけれども、このとき、どうしても自分で撮影したものは一秒でも多く残したくなる。それは仕方のないことなんだけどね。

 もうひとつ、視点をもうすこし大きく捉えた方が良いような気もする。バリにとって舞踏とはなんなのか、バリの舞踏はどのように生まれ、受け継がれてきたのか、そのあたりの大枠がもっと語られててもいいのかな。あと、彼女の村についての情報が乏しすぎる気もした。

 こうしたところまで語らないといけないのは、ほんと、難しいけどね。

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蛍火の杜へ

2018年08月24日 01時23分08秒 | 邦画2011年

 ◇蛍火の杜へ(2011年 日本 44分)

 監督・脚本/大森貴弘 音楽/吉森信

 出演/内山昂輝 佐倉綾音 辻親八 沢田泉 田谷隼 山本兼平 町田政則 後藤ヒロキ

 

 ◇上色見熊野座神社

 そして少女はおとなになっていくのだけれども、こうした物語はここ半世紀あまり、漫画では常に語られてきた。

 そうしたことをおもえば、異世界に足を踏み入れかけることのできる少年あるいは少女は、初恋という胸のときめきをときに幻想的な映像詩に変えてしまうちからを秘めているのだなとつくづくおもってしまうのだな。

 かくいうぼくにもこうした物語に胸をときめかせた時代があったような朧な記憶はあるものの、それはやはり朝露のように儚いものでしかなく、今はほらこんなに老いてしまったんだよね。

 ただまあ、この物語においてこれまでとは違った新鮮さを感じられたのは、少年にしか見えない異界の彼は、どうやら赤ん坊のときに死んでしまっているわけで、けれど魂を実体化させているため、この神秘的な森の中でだけ生きていることを許されているというか、まあいってみれば物の怪たちに守られていることになる。

 だからこの森の生きものでない、つまり外部の人間に触れられてしまったとき、泡になって消えてしまうのではなく、実体化していた幻のような光が単に正体を現してしまうわけで、それを死というのか、ほんとうの消滅というのかわからないけれども、ともかく魂そのものまで失われてしまうんだね。

 なるほど、そういうことだったのかと、観終わって想った。

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ツレがうつになりまして

2017年11月05日 01時12分48秒 | 邦画2011年

 ◇ツレがうつになりまして(2011年 日本 111分)

 監督 佐々部清

 出演 堺雅人、宮崎あおい、津田寛治、大杉漣、余貴美子、梅沢富美男、吹越満、田山涼成、吉田羊

 

 ◇宇宙風邪ねえ

 冷蔵庫の中がきれいに整頓されてないと発狂しそうになるのは、ぼくだってそうだ。

 ていうか、そんな人間は山ほどいるし、ぼくの本棚を見ると、たいがいの人間は「なにもかもひっくりかえしたくなる」というくらい、きち~っとしている。なにもかもきっちりしていないと嫌になるし、椅子も机も本棚ももちろん、扇風機もストーブもテレビも家具という家具のすべてが自分の決めた場所に収まってないとイライラする。あたりまえのことだが、それは数センチ単位で決まってる。

 それは鬱というのではなくて性格で、もしかしたら鬱になりやすい性質なのかもしれないし、あるいはとっくのとうに鬱っぽくなってるのかもしれないけど、ほんとにそうだったらなにもかも嫌になるときになにか別な行動を起こしているのかもしれないね。

 で、この映画なんだけど、うん、堺雅人は運がいいんだな。宮崎あおいっていう頑張り屋の奥さんがいるんだもん。そうおもっただけで、なんていうか、そう、あんまりめずらしい感じはしなかったし、数奇な物語っていう印象もなかった。ごくふつうの夫婦のようにしかおもえなかったんだよな~。

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先生を流産させる会

2017年11月04日 16時49分28秒 | 邦画2011年

 ▽先生を流産させる会(2011年 日本 62分)

 製作・監督・脚本 内藤瑛亮

 出演 宮田亜紀、大沼百合子

 

 ▽2009年3学期

 監督の内藤瑛亮は、愛知県の某中学校で起こった事件を元にしたこの作品の製作理由について、こう述べているらしい。

「先生を流産させる会は実際にあった事件。この言葉に、いちばんの衝撃を受けたんです。こういう悪意の在り方は自分には想像しえなかった。流産させても殺人罪にはならない。でも、先生を殺す会よりも先生を流産させる会という言葉のほうが、遥かにまがまがしく、おぞましい。それはなぜなんだろう。そう思ったことが企画の始まりでした」

 以上。

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映画けいおん!

2017年08月11日 01時44分14秒 | 邦画2011年

 △映画けいおん!(2011年 日本 110分)

 監督 山田尚子

 

 △計画!の後日談

 桜が丘女子高等学校軽音部を卒業する唯、律、澪、紬が在校生の梓に贈り物をするっていうだけの話にロンドンの卒業旅行が絡められてにわかに話が大きくなってるんだけど、その分学園内の軽音部の風味が薄れてしまってないかな。

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星を追う子ども

2016年01月04日 20時27分55秒 | 邦画2011年

 ◇星を追う子ども(2011年 日本 116分)

 監督・脚本 新海誠

 

 ◇鉄道が陽にきらりと光った

 新海誠らしくないといえばらしくないし、宮崎駿へのオマージュだといえばそうかもしれないし。

 なんにしても、鉱石ラジオにアガルタ人の最後の歌が入ってくる出だしはいいけど、おでこにキスされただけで、まあそれが初めての恋心だからっていってしまえばそれまでだし、自分の居場所を求めるとかっていうなんだか逃げにも聞こえるようなおもいつめた心をしょってるからっていわれればそれもそうだとおもうけど、それで命をかけるような旅に出るのかしら?

 出るんだよね、それが少女だ。

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RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ

2015年08月12日 21時37分58秒 | 邦画2011年

 ◇RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ(2011年 日本 123分)

 監督 蔵方政俊

 

 ◇富山地方鉄道

 小さい頃から鉄道は好きだったんだけど、かといって機関車や客車について車種がいえるほどのめり込むことはなかった。

 だから、たとえば、列車の写真を撮るために泊まり込みで出かけていったり、ホームで何時間も待機したり、写真集を集めたり、そういう趣味の人達の集う場に出かけたりすることもなかったし、ましてや人生もなかばにさしかかってから運転手になろうとかおもったことは一度もない。ただまあ、この作品の友和さんのように、自分の人生すべてを鉄道運転手として過ごしてきた人の誇りめいたものはなんとなくわかる。

 ただまあ、なんていうのか、友和さん、好い役者になったね。

 中学のときに百恵ちゃんの映画を観に行ってたこともあって、なんとなく同窓生みたいな感じをこっちだけ勝手におもってるんだけど、富山っていう長閑な世界で淡々としたした物語を観てると、まったくちがう意味で懐かしさみたいなものをしみじみと感じたりするんだよ。

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アフロ田中

2014年06月25日 23時58分14秒 | 邦画2011年

 ◇アフロ田中(2011年 日本 114分)

 staff 原作/のりつけ雅春『上京アフロ田中』

     監督/松居大悟 脚本/西田征史 撮影/小林元

     美術/尾関龍生 衣裳デザイン/西留由起子 ヘアメイク/酒井夢月

     音楽プロデューサー/笹井章 主題歌/鶴『夜を越えて』

 cast 松田翔太 佐々木希 堤下敦 田中圭 原幹恵 美波 辺見えみり リリー・フランキー

 

 ◇なるほど、アフロの中は妄想だらけか

 くっだらねえ。

 でも、おもしろかった。

 あらためておもうまでもなく、

 世の中の男の大多数の頭の中は、

 スケベなことしかない。

 そのほかにちょっとだけあるものは、

 仕事のことか、家族のことか、友達のことか、

 地球と人類の未来についてのほんのわずかな不安と絶望くらいなもので、

 どだい、たいしたことは考えてない。

 だから、髪の毛がアフロになっているかいないかっていうだけの差だ。

 で、

 もしも、アフロ田中にモテナイ問題があるとすれば、

 それは単純にいえば垢抜けてないってことだけで、

 要するに野暮はモテナイ。

 どれだけかっこつけても田舎者はすぐにお里が知られるし、

 頭の悪さも行儀の悪さもすぐに見破られる。

 ぼくもかなりの田舎者だから、そのあたりのことはよくわかる。

 田舎者はどうしても心が偏狭で、金に醜く、口が賤しく、股間は貪欲だ。

 この国は実をいうとふたつあって、

 日本国都会部と日本国田舎部に分かれる。

 簡単にいってしまえば、人口の増えているのが都会部で、

 いまや社会問題になっている人口の減少地域が田舎部だ。

 アフロ田中はその田舎の生まれだから、

 常に可愛い女の子とみだらなことをする妄想することで生き永らえている。

 ま、そういう性衝動すなわちリビドーの塊が、

 純愛なんて幻想はくそくらえだ!とばかり、

 いかにして妄想を具現化してゆくかっていう、

 栄光への挑戦の過程が描かれているわけで、

 こんなやつが可愛い子ちゃんをものにしたら、ぼくはゆるさん。

 だけど、このアフロ田中が失敗することによって、

 世の中のくそ野郎どもは、ほっと幸せな気分になれるんだよね、たぶん。

 もちろん、どうしようもない田舎者のぼくも、ほっとし、笑った。

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小川の辺

2014年06月23日 11時36分11秒 | 邦画2011年

 ◇小川の辺(2011年 日本 103分)

 staff 原作/藤沢周平『小川の辺』

     監督/篠原哲雄 脚本/長谷川康夫、飯田健三郎

     撮影/柴主高秀 美術/金田克美 音楽/武部聡志

 cast 東山紀之 菊地凛子 勝地涼 片岡愛之助 尾野真千子 松原智恵子 藤竜也

 

 ◇小川って、どこの川なんだろ?

 とおもってたら、

 逐電した片岡愛之助夫婦の棲んでるとこの川なのね?

 まあ、藤沢好みの方々からは失笑と痛罵を浴びせかけられるんだろうけど、

 短編小説だというこの原作を読んだことはない。

 だから原作の世界はよくわかっていないのかもしれないんだけど、

 これはあくまでも監督の創り出した世界のみで勝負する映画の話なので、

 とかいって、逃げる。

 逃げるのは嫌いなんだけど、ぼくの人生、いつも逃げてる。

 もともと気も弱いし、どちらかといえば自分から身を引いちゃうし、

 ちょっと難しそうな問題にぶちあたるとすぐに背を向ける癖がついてる。

 逃げ癖っていうのかどうかわからないんだけど、

 だって、物事にまともにぶちあたるのは怖いし、逃げた方が楽じゃん。

 なんていう姿勢が、おそらく、ぼくの体内に常にあるらしい。

 で、片岡愛之助なんだけど、

 東山紀之の妹菊地凛子を妻にしてて、一緒に逐電する。

 藩の農政を批判したために身の危険を感じての脱藩だ。

 ヒガシはこの竹馬の友を討つように命ぜられて討ちに行くわけだけど、

 まあ、小川に至るまでは一族郎党おのおのの葛藤があったりして、

 ちょっとばかり淡々とし過ぎてるきらいがないでもないながら、

 それなりに観られた。

 問題は、その先で、片岡愛之助と菊地凛子に再会したとき、

 東と従者の勝地涼はどういう態度で臨むのかってことだ。

 結局は藩命をまっとうして斬り合いになるんだけど、それでいいんだろか?

 いやまあ、リアルといえばリアルなんだろう。

 でも、なんとなく、肚の底にちっぽけなわだかまりが残らないでもない。

 そりゃあ、片岡愛之助とふたりして藩に逆らうのもありだけど、

 それは藩をおもう気持ちと矛盾するし、

 かといって藩に棄てられたような身の上の友を斬ることが、

 はたして藩のためかどうかもわからない。

 さらにかといって小川の辺で自害しちゃったりしたら、

 今度は自分の家族に類がおよぶ。

 だから、東はもっと葛藤しなければいけないし、

 なるほど!とかいうような結末が待ってなくちゃいけないはずだ。

 このあまりにも淡白な前半と、

 あまりにも予定調和な後半を持った映画の最大の難問は、

 佳境の始末だったはずで、

 音楽も行動もなにもかも淡々と進んでいるとはいえ、

 すべてが丁寧に撮られてる分、

 結末の付け方はもうちょっとばかり勘考してほしかったかなと。

 あ、それと。

 話題性や時事性を考えれば、

 菊地凛子と尾野真千子は旬のキャスティングだったんだろうけど、

 彼女らのすこしばかり傾斜したスタイルを活かそうとするんなら、

 もうすこし中身を考えてあげないといけないんじゃないかしらね。

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ステキな金縛り

2014年06月20日 13時57分36秒 | 邦画2011年

 ◎ステキな金縛り(2011年 日本 142分)

 staff 監督・脚本/三谷幸喜 撮影/山本英夫 美術/種田陽平

     装飾/田中宏 衣装デザイン/宇都宮いく子 音楽/荻野清子

 cast 深津絵里 西田敏行 阿部寛 竹内結子 中井貴一 市村正親 小日向文世

 

 ◎昔のハリウッド映画みたい

 なんかメモをとりづらいんだけど、

 総じておもしろかった。

 メインは法廷劇になってて、

 このあたりがひと昔前のハリウッドっぽい。

 もちろん、幽霊譚がハリウッドのわけはないから、

 そのあたりは和式だ。

 で、感じたのは、役者たちの伸びやかさだ。

 芝居の上手さをひきだすのが監督のちからだとするなら、

 うん、三谷幸喜、上手になってきた。

 とかいったら、なんとまあ上から目線なやつだって話だけど、

 これまでのビリー・ワイルダー好みな観ありありの作品よりも、

 なんか一本つきぬけた印象があるんだよな~。

 まあ、

 素人がくそなまいきなこというんじゃないよって話だけどね。

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聯合艦隊司令長官 山本五十六

2014年05月02日 01時51分17秒 | 邦画2011年

 ◇聯合艦隊司令長官 山本五十六 太平洋戦争70年目の真実(2011年 日本)

 なんで、こんなに題名が長いんだ?

 という素朴な疑問はもとより、

 キャッチコピーの「誰よりも、戦争に反対した男がいた。」というのを、

「ほんとにそうなの?」

 という疑問をもって観た日本人はどれだけいるんだろ?

 ていうか、

 連合艦隊ではなく聯合艦隊と表記するんなら、

 なんで大東亜戦争じゃなくて太平洋戦争と表記したんだろ?

 帽子の二本の白線もさることながら、

 山本五十六の愛人だった河合千代子がまるで無視されていることや、

 ギャンブルが好きで仕方がなかったことや、

 ロンドン軍縮条約のおり「潜水艦の数を減らすな」と叫んだことや、

 ともかく、いろんなことが抜け落ちてる気がしてならないんだけど、

 いったいどこまで「実像に迫る」とかいう宣伝文句と合致してるんだろ?

 山本五十六を全否定するつもりもないし、

 戦争を美化するつもりもないんだけど、

 かつて東映が製作した反戦映画『大日本帝国』の方が主題は濃厚だった。

 大東亜戦争の正体についてもうすこし掘り下げないと、

 これまでの戦争映画となんら変わるところがないんじゃないかといわれても、

 仕方がないようにおもえちゃうんだけど、どうなんだろ?

 日米開戦は絶対にしてはならないという覚悟があるのなら、

 それを最後の最後までつらぬきとおすべきで、

 もっというなら叛乱をひきおこしてでも開戦を阻止するべきで、

 そういう軍人はぼくの知るかぎりひとりもいなかった、はずだ。

 にもかかわらず、なんでこの時代まで、

 米内、山本、井上の三人に、

 戦争反対論の要をしょわせるのかよくわかんないんだよね。

 もうすこしいえば、アメリカに対して、

「リメンバー・パールハーバー」

 という開戦の一大口実を作らせてしまったのは、

 申し訳ないながら、まぎれもなく山本五十六その人で、

 しかも、真珠湾攻撃で空母を一隻も撃沈できず、

 さらには、ミッドウェイ海戦を惨敗に追い込んだのも、そうだ。

 真珠湾やミッドウェイ以外に戦術はなかったのかという反省が、

 いまだに見られない物語ができてしまうのは、なぜなんだろう?

 山本五十六という提督の描き方がいっこうに変わらないのは、なぜなんだろう?

 昭和30~40年代の邦画の方が、

 もっと戦争に対していろんな角度から迫ってたような気がするのは、

 ぼくだけなんだろうか?

 まあ、なんにしても、ひとつだけ知りたいのは、

 この映画の主題はなんだったんだろうってことかしらね。

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東京公園

2014年04月27日 02時58分18秒 | 邦画2011年

 ◇東京公園(2011年 日本)

 謎めいた展開をちょっとだけ期待したけれども、

 頼まれストーカーなのか、頼まれ盗撮なのか、

 どちらともわからない内に、

 家族愛と恋愛の狭間にゆれる物語に集約されてくってのは、

 なんとなくわかるんだけど、

 淡々とした話なだけに観てるこちらも淡々と事実を観ている。

 それはそう、まるでファインダーをのぞきながら、

 すれちがう風景や人間たちを見つめているのとおなじだ。

 これといった感想もなく、

 ひたすら写し続けた写真の中に、

 あれ、これけっこういいじゃん、

 とかおもえるものにでくわす瞬間があるかないかってのを、

 ちょっとだけ期待しながら、

 でも淡々と撮り続けているような、そんな感じだ。

 まあ、ありそうでなかなか現実的にはないであろう展開が、

 果たしてこの物語に適したものなのかどうかは、

 ぼくにはよくわからないんだけど、ね。

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怪物くん

2014年04月04日 12時22分18秒 | 邦画2011年

 ▽怪物くん(2011年 日本)

 小学生のとき、少年画報で『怪物くん』は連載されてた。

 付録に怪物くんだけを載せた冊子があったような気もするけど、

 おもいちがいかもしれない。

 当時のぼくは、藤子不二雄がコンビを組んだ漫画家だってことは知ってたけど、

 のちに藤子・F・不二雄と藤子不二雄Aに分かれることになるなんて夢にもおもわずにいた。

 それどころか、作品によって筆致が変わるのはわかってただけど、

 それがどちらの筆によるものかなんて、まるで知らなかった。

 コンビが解消されたとき、ぼくはとっくに社会人になってたから、

 あれ~いつのまに、って感じだった。

 だからあらためて『怪物くん』の漫画をおもいだして、

「そうか、あの絵は藤子不二雄Aだよな~」

 っておもったくらいだ。

 藤子不二雄Aの作品の中で、ぼくが愉しだのは『まんが道』と『少年時代』だけど、

 実をいえば、

 月刊誌『少年』だったかの付録に『まんがの描き方』だったかいうのがあって、

 これが実は大好きだった。

 今でも実家のどこかにあるはずなんだけど、物語の作り方が完結にまとめられてた。

 当時アニメ版の『怪物くん』はとっても印象が深くて、

 もちろん、主題歌も忘れてない。

 そんな『怪物くん』が映画になってる。

 ふ~んっていう感慨が湧いた。

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はやぶさ HAYABUSA

2013年12月21日 02時20分39秒 | 邦画2011年

 ◇はやぶさ HAYABUSA(2011年 日本 140分)

 staff 監督/堤幸彦 脚本/白崎博史 井上潔 撮影/唐沢悟

     美術/相馬直樹 装飾/田中宏 衣装デザイン/清藤美香 音楽/長谷部徹

 cast 竹内結子 西田敏行 高嶋政宏 佐野史郎 山本耕史 生瀬勝久 鶴見辰吾 筧利夫

 

 ◇竹内結子の役は創作?

 映画というのはどうしたところで監督の作品だから、

 たとえ「はやぶさ」を扱っていたところで、その内容は監督の世界だ。

 たしかに、はやぶさは偉業を達成した。

 日本中が沸き、次々に映画が作られた。

 はやぶさが好きな人はどれも観ただろうけど、

 そこまではやぶさに肩入れしていないぼくは、ようやく1本、観た。

 で、おもったんだけど、

 ここまで日本を沸かせたものに関しては、

 監督の世界を追うのは難しいんじゃないかと。

 なぜかっていえば、

 こと、このはやぶさを取り扱った映画についていえば、

 観客が、ていうか、ぼくが期待しているのは、はやぶさそのものだ。

 はやぶさがどのようにして作られ、打ち上げられ、危機を回避し、

 そしてどのような作業をした上で、帰還したのかという地味で派手な内容だ。

 あと、もしもあるとしたら、はやぶさと共にあったJAXAの人々の日々だろう。

 もちろん、それはとっても専門的なことで、素人にはとてもじゃないけど難しい。

 だから、それぞれの映画は苦労したんだろうし、狂言回しを必要とした。

 で、気になったのが、メガネっ子の竹内結子だ。

 ほかの登場人物はそれぞれJAXAとかにモデルがいるような感じだけど、

 竹内結子はどうなんだろう?

 創作なら創作でかまわないし、もしもモデルがいたなら、

 せめてラストに顔写真の対比をしてくれるとよかったとおもわないでもない。

 ただ、この作品に関していえば、

 もしも創作の人物であれば、

 その生活や心情を語られても、ぼくはあんまり嬉しくない。

 映画の登場人物は、なにも美人でなくてもいいし、カッコよくなくてもいい。

 物語はそれに似合った登場人物が必要なので、

 なにも名前のある役者が出ていなくたって、現実味があればいい。

 そう、ぼくはおもっているものだから、ことにはやぶさみたいなものを扱ったときは、

 なおさら、そうおもっちゃうんだよね。

 かつて、黒澤明が『トラトラトラ』を監督し、志なかばで中断したとき、

 登場人物の多くに素人を起用した。

 そういうことがあってもよかったんじゃないかっておもうんだけど、

 やっぱり、役者のドラマがないと興行的に無理なんだろね。

 なんだか、辛いな。 

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しあわせのパン

2013年11月20日 01時32分54秒 | 邦画2011年

 ◇しあわせのパン(2011年 日本 114分)

 staff 監督・脚本/三島有紀子 撮影/瀬川龍

     美術/井上静香 衣裳デザイン/宮本まさ江 音楽/安川午朗

     フードスタイリスト/石森いづみ 吉川雅子 パン指導/高田真衣

     主題歌/矢野顕子 with 忌野清志郎『ひとつだけ』作詞作曲・矢野顕子

 cast 原田知世 大泉洋 余貴美子 平岡祐太 光石研 中村嘉葎雄 渡辺美佐子

 

 ◇かんぱいの数だけ、人は幸せになれる?

 そうじゃない場合もあるかもしれないけど、たぶん、そうなんだろう。

 ぼくは、へそまがりにできている。

 だから、素直にものを見られないし、素直にいいものはいいっていえない。

 幸せそうな笑顔にはうさんくさいものをかんぐりたくなるし、

 好い人の心の中のいろんなわだかまりやいやらしいところを覗きたくなる。

 まったく、どうしようもない性格だ。

 で、大泉洋が原田知世に、つくり笑顔をする必要はないといったとき、

「だよな~」

 とおもってしまう自分がいる。

 つまり、原田知世は心を病んでて、大泉洋が介抱してるわけだよね。

 いたわるというのは、なにもおためごかしをいうのではなく、

 共に暮らし、好きなことを好きなときに一緒にしていくことで、

 愉しい時間を共有していくことで、それが癒しにつながっていくという信念を、

 大泉洋はひたすら献身的に実践してる。

 ふたりの過去はまるで語られないけれど、

 どうやら、数回会っただけで、大泉洋はプロポーズしたらしい。

 都会で暮らしてた原田知世の身のまわりになにが起こったのか、

 くわしいことはよくわからない。

 でも、人間を信じられなくなるくらい手ひどい目に遭わされたであろうことは、

 なんとなくわかる。

 犯罪に巻き込まれたか、極度のイジメとかDVとかに見舞われたか、

 残酷で悲惨なものをまのあたりにしてしまったとか、よくわからないんだけど、

 ともかく、恋人に裏切られ、さらには親が亡くなったことで、

 心から笑うことができなくなってしまったようで、

 大泉洋はそんな原田知世のことを陰からずっと見つめてて、

 なにかのきっかけで話すようになって数回目で、プロポーズしたんだろう。

 ていうか、仕事場から強引に連れ出したんだけど、それはともかく、

 自分しかこの人を幸せにしてあげられないという決意と覚悟は相当で、

 ふたりは月浦に移住してからも、ほんとの夫婦じゃない。

 つまり、大好きになった人と共同生活をしているにもかかわらず、

 もしかしたら寝室は別々で、セックスどころかキスもせずに、

 原田知世の心が再生されていくのをじっくりと待ちながら暮らしてるんだろう。

 そんなことはなかなかできることではなくて、

 抱きしめたいとかいう衝動をおさえながら、

 美味いパンを作り、給食のパンとかも作って家計をささえなくちゃいけない大泉洋の、

 悶え苦しみ続けるさまや、葛藤や煩悶で夜も眠れないさまとか、

 もう、考えれば考えるほど、暗くて惨めで爆発したいような自我を抑える大泉洋は、

 なんだか天使のようにおもえてくるんだけど、

 実際、この天使は、パン屋にやってくる客たちにも憐憫をなげかけるんだから、

 その心の許容量はとても人間とはおもえないほどに大きいんだろう。

 なんだか、杜氏が酒を醸造していくさまに似ているとおもった。

 ぷくぷくと幸せという名の発酵が始まるのをただ黙って見てる、みたいな。

 一方、原田知世にしてみれば、

 大泉洋は最後の頼みの綱かもしれない人間なわけで、

 もしも大泉洋が倒れたり、気が変わったり、あきらめたりしちゃったら、

 その場で原田知世の心は崩壊して、死んでしまうだろう。

 だから、月浦へ移住するという決意を固めるまでは、

 もう自分で自分をおさえきれないほどの不安に苛まれたにちがいない。

 けれど、自己崩壊寸前の自分にとって、最後に勇気をふりしぼるのは、

 大泉洋にすべてを預けることだって自分をいいきかせ、都会を後にしたんだろう。

 で、つぎつぎに訪れる客たちに巡り合うわけだ。

 癒されたいのに癒されなかった人々に、

 癒しのかけらになると信じるパンをさしだすことで、

 もしかしたら癒されたかもしれないと客たちがおもうのをまのあたりにし、

 もう癒されないかもしれないと絶望する自分を癒すには、

 目の前の人を癒すことがなによりの方法なんだと本能的に自覚したとき、

 ようやく、大泉洋に心からの笑顔を向けて、乾杯ができるようになるんだよね。

 そういうふうにおもっていくと、

 どうやらこの作品は、大泉洋というひとりの男の壮絶な戦いの記録ってことになる。

 もちろん、そういう物語をリアルに描こうとおもえば、できるにちがいない。

 ていうか、その方がよほど楽だったかもしれない。

 けれど、リアリズムに徹すれば徹するほど、

 どこにでもあるような陳腐な作品になってしまいかねないという懸念はある。

 そうした懸念を、三島有紀子は承知していたんだろう、たぶん。

 だから、絵本にしたんじゃないかしら?

 パンも料理も、いや、羊も家もまわりの風物や風光もすべて、

 どこぞのレシピ本か絵葉書みたいな平坦で明るいパステル調の映像に仕上げ、

 どの場面もすべてを絵本のように作り込むことで、

 ものすごくどろどろした世界を浄化させ、童話めいた世界に作り変えるという、

 ある意味においては挑戦的な仕事に挑戦したんじゃないかしら?

 まあ、いつまでも少年のようなほんわかした表情の大泉洋と、

 いつまでも歳をとらずに少女のような笑顔ができる恐ろしい女優原田知世とが、

 うまくはまったっていうか、キャスティングの勝利のような映画だった。

 そんなふうに、ぼくは観た。

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