Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

ミッション:インポッシブル

2013年08月31日 23時51分40秒 | 洋画1996年

 ◇ミッション:インポッシブル(1996年 アメリカ 110分)

 原題 Mission:Impossible

 staff 原作TVシリーズ創作/ブルース・ゲラー『スパイ大作戦』

     監督/ブライアン・デ・パルマ

     製作/トム・クルーズ ポーラ・ワグナー

     脚本/デヴィッド・コープ ロバート・タウン

     原案/デヴィッド・コープ スティーブン・ザイリアン

     撮影/スティーブン・H・ブラム 美術/ノーマン・レイノルズ

     特殊メイク/ロブ・ボッティン 視覚効果監修/ジョン・ノール

     衣裳デザイン/ペニー・ローズ 音楽/ダニー・エルフマン

     テーマ曲/ラロ・シフリン

 cast トム・クルーズ エマニュエル・ベアール クリスティン・スコット・トーマス ジャン・レノ

 

 ◇おはよう、フェルプスくん

 小学生のときだったんだろうか、「スパイ大作戦」は、毎週、テレビで観てた。

 でも、オープニング以外におぼえてる場面はひとつもない。

 けど、そうか、フェルプスくんの次の世代の話という設定なのね。それで、旧来のメンバーは全員抹殺しておく必要があったんだ~。てな内容の話は、語り尽くされてるからやめておこう。そもそも、いまさら「MI」をアップしてどうすんだってな話だけど。まあ、観ちゃったことだし、まだブログに書いてなかったんだから、仕方ないよね。

 ちなみに、ブライアン・デ・パルマは、ぼくの好きな監督のひとりだ。いかがわしさにかけては五指に入るとおもうくらい好きだ。ところが、この作品を撮った頃、デ・パルマはやけにメジャーな監督になってしまい、ぼくの好きだった胡散臭さやいかがわしさは陰をひそめてしまい、その分、一般的な監督になっちゃった。こういうのって悲しい。

 まあ、デ・パルマはさておき、なんといってもラロ・シフリンだ。この音楽家はときどき奇跡的な名曲を書く。テレビシリーズのテーマ曲もそのひとつだけど、ハリウッドはほんといろんなところにアンテナを張ってるよね。

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マザーウォーター

2013年08月30日 02時56分19秒 | 邦画2010年

 △マザーウォーター(2010年 日本 105分)

 staff 監督/松本佳奈 脚本/白木朋子 たかのいちこ

     撮影/谷峰登 美術/富田麻友美 フードスタイリスト/飯島奈美

     衣裳/堀越絹衣 ヘアメイク/竹下フミ

     音楽/金子隆博 エンディングテーマ/大貫妙子

 cast 小林聡美 小泉今日子 市川実日子 加瀬亮 光石研 永山絢斗 もたいまさこ

 

 △マザーウォーターってのは、

 ウイスキーの仕込み水なんだね。

 知らなかったわ~。

 それはさておき、ぼくは京都が好きだ。

 暮らしたいとはおもわないので、異邦人として訪れるのが好きだ。

 だから、この映画に登場するロケ地は、ほとんどわかる。

 ま、そういう意味からすれば、贔屓したい映画ではある。

 でもな~、

 監督が変わると、こうも主題と雰囲気が変わるんだね~ていう、

 見本のような映画になってるような気がするんだけど、

 そんなことないかしら?

 荻上直子の世界というのは、自然な中の不自然さだけでなく、

 それなりに物語が展開して、筋が通っていて、ふしぎな見立てがある。

 この映画は、たんに雰囲気は似ているんだけど、

 登場人物たちの成長というか変化はほとんどなく、ただたゆたっている。

 とあるコミュニティがあって、そこに異邦人の訪れるのが荻上直子の物語だ。

 ところが、この映画の異邦人は小泉今日子のはずでしょ?

 なのに、最初から小泉今日子は完成されていて、

 そのかわりに不完全なのが市川実日子という設定になってる。

 荻上直子の世界では主役だった人間が、ふたつに分かれてしまってる。

 しかも、主人公は小林聡美となってるものだから、視点が分散してしまい、

 観客は自分の思い入れを誰に託していいのかわからなくなってしまうんだよね。

 雰囲気だけを愉しむのならこれでいいのかもしれないんだけど、

 でもね、ちょっとね、なんか欲しいじゃん。

 そんな感想でした。

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チェルノブイリ・ハート

2013年08月29日 16時42分19秒 | 洋画2003年

 △チェルノブイリ・ハート(2003年 アメリカ 61分)

 原題 Chernobyl Heart

 staff 監督/マリアン・デレオ

     編集/ジョン・クストディオ 協力/アディ・ロッシュ 

 

 △1986年4月26日、チェルノブイリ原発事故

 アカデミー賞の短編ドキュメンタリー部門で受賞したってこともあって、

 ともかく、観た。

 とてもよくできた映画だった。

 けど、なんだか『コーヴ』と同じ匂いを感じた。

 チェルノブイリの事故はたしかに大変なものだった。

 大変というのは、周囲に対する放射能の影響のことだ。

 言葉では言いあらわせないほど悲惨だし、

 この映画の描いているとおりの状況ならば、

 どれだけ恐ろしい事故が引き起こされたのか、想像を絶するし、

 ぼくたちの棲んでいるこの国の将来について非常に懸念されるわけだけれど、

 ちょっと、違和感を持ったところがないでもない。

 チェルノブイリ・ハートというのは、

 チェルノブイリの事故により放射能が漏れ、その放射能による影響で、

 生まれついて心臓に重度の疾患をもってしまうことなんだけど、

 そうした子どもたち、あるいは放射能障害の人達の実数や正確なデータ、

 さらには病院関係者の数値をもってする証言や奇形や疾患の原因などが、

 この映画を観ているだけだと、いまひとつ、よく見えてこないってところだ。

 制作者側は、なるほど、明確な意思と意義をもって撮影している。

 それは、わかる。

 ただ、たとえば、この作品に併映されてた『ホワイト・ホース』もそうなんだけど、

 チェルノブイリで放射能を浴びてしまったとおもわれる主人公が、

 27歳の若さで他界したttことを知らされたとき、

 その原因が原発事故による放射能障害であるとは明確に断定されてないんだよね。

 こういうふうに映画を完成させてしまうのは、

 なんとなく「惜しいな~」とおもっちゃう。

 感情に訴えるんじゃなくて、

 もっと具体的な分析データみたいなものを、

 冷静に提示することが必要なんじゃないのかな~と。

 たとえば、チェルノブイリから放出された放射能について、

 広島の600倍だとかいうけど、それはどこまで信憑性があるのかとか、

 被災者は900万人で、移住を余儀なくされた人は40万人で、

 隣国ベラルーシの方が放射能の被害は大きく、

 そこで生まれてくる子どもの小児甲状腺ガンの発生率は、

 0.9%だったのが26%に跳ね上がったとかいうのは、

 たしかに数値ではあるんだけど、

 どこで誰がどのようにして調べて、どれだけ確実性のあるものなのかということを、

 いったいどれくらい検証されたかが、語られていない。

 だから、惜しいな~とおもうんだよね。

「汚染地域の新生児の85パーセントがなんらかの障害を持って生まれてくる」

 とかいわれると、そりゃあエライことじゃんっておもうし、

 チェルノブイリ・ハートの子どもを持った両親とかの証言は、

 たしかに身につまされるものはあるんだろうけど、

 病院に収容されてる新生児や幼児たちの全員が、

 放射能障害による患者なのかどうかも明確にされてないんだよね。

 ドキュメンタリは、膨大な量のフィルムを回した上で、

 撮影されたものに従って脚本を書き、編集していくものだ。

 当然、そこには制作者の主観は入れられるし、

 ほんのちょっとした編集で、意味合いは大きく変わる。

 そうしたことを踏まえた上で、自分なりの鑑賞眼をもって観ないといけない。

 だから、

 この作品は人道的な怒りをもった良心的な人達によって撮られたんだろうけど、

 そうであれば、なおさら、観客がぐうの音も出ないような数値が必要になる。

 そんなふうにおもってしまう僕は、

 ほんと、物事を斜めに見ちゃう性質なんだろか…。

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バンディダス

2013年08月28日 02時01分34秒 | 洋画2006年

 △バンディダス(2006年 フランス、メキシコ、アメリカ 93分)

 原題 Bandidas

 staff 監督/ヨアキム・ローニング エスペン・サンドバーグ

     製作/リュック・ベッソン アリエル・ゼトゥン

     脚本/リュック・ベッソン ロバート・マーク・ケイメン

     撮影/ティエリー・アルボガスト 美術/ユーグ・ティッサンディエ

     特撮/ロレンチオ・コルデロ ロドルフ・シャブリエ ブリュノ・ショファール

     衣装/オリビエ・ベリオ 音楽/エリック・セラ

 cast ペネロペ・クルス サルマ・ハエック サム・シェパード スティーブ・ザーン

 

 △ヒーハー!はいいけど…

 原題の意味は、女盗賊らしい。

 しかも、かなりの大作に見える。

 でも、いつものことながら、

 ぼくは、リュック・ベッソンとはもしかしたら相性が好くないんだろうか?

 と、おもっちゃう。

 ペネロペ・クルスがご贔屓だから観なくちゃおさまらないんだけど、

 なんていうんだろう、

 ベッソンのおもっているツボと僕のツボはなにかが違うんだよね、きっと。

 西部劇の時代、

 メキシコの良家の子女がちゃらんぽらんな盗賊劇に巻き込まれるんだよ、

 しかも、ウェディングドレス、喪服、踊り子、カウガールとコスプレめじろ押しで、

 とかっていわれたら、あ、それ、おもしろいかも、とはおもうものの、

 完成した作品を観ると、なんか違うな~と感じちゃう。

 たしかにペネロペはどうしようもなく魅力的で、

 それはそれで満足はするんだけど、

 作品の持ってる軽さや笑いどころみたいなものなんだろうか、

 ともかく、ちょっと、ずれる。

 そうとしかいえないんだな、これが。

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トゥ・ザ・ワンダー

2013年08月27日 01時57分41秒 | 洋画2012年

 ◇トゥ・ザ・ワンダー(2012年 アメリカ 112分)

 原題 To the Wonder

 staff 監督・脚本/テレンス・マリック

     撮影/エマニュエル・ルベツキ 美術/ジャック・フィスク

     衣裳デザイン/ジャクリーン・ウェスト 音楽/ハナン・タウンゼント

     編集/A・J・エドワーズ キース・フレイジー シェーン・ヘイゼン

         クリストファー・ロルダン マーク・ヨシカワ

 cast ベン・アフレック オルガ・キュリレンコ レイチェル・マクアダムス ハビエル・バルデム

 

 ◇純粋なまでに映画的な映画

 というべきなのか、

 それとも詩的な映像表現というべきなのか、

 映像で表現された恋という題名の詩歌というべきなのか、

 ともかく、ありきたりの映画でないことはたしかだ。

 ぼくの贔屓のレイチェル・ワイズの出番が削られているのは気に入らないけど、

 まあ、それについては監督の認めたことだから仕方ない。

 そう、カット。

 この映画が非常に特徴的なのは、徹底した編集にある。

 なんたって、5人も編集の担当者がいるんだよ。

 普通じゃ考えられないでしょ?

 相当、テレンス・マリックも含めて、編集は揉めたんだろね~。

 ちなみに『To the Wonder』の「Wonder」ってなんだろ?

 これは、フランスの北岸にあるモン・サン=ミッシェルのことじゃないのかな?

 世界遺産にもなってるMont Saint-Michelは「西洋の驚異」といわれる。

 驚異すなわちWonderだ。

 てことは、ファーストシーンの「モン・サン=ミッシェルまで」っていう章題になるわけで、

 もしかしたら、全編を通したタイトルは存在してないんじゃないかっておもうくらいだ。

 ていうか、マリックにとってタイトルなんて、もはや必要ないのかもしれないね。

 いや、そもそも、この映画においては、

 単純なカット割りや会話すら必要のないものだったのかもしれない。

 だから、あらすじはいたって単純だ。

 小説家志望のアメリカの青年がフランスへ行き、パリで女に知り合う。

 女は夫と別れ、娘とふたりだけで暮らしているが、ヨーロッパには恋の魔力がある。

 ことにパリやモン・サン=ミッシェルには恋の悪魔が棲んでるらしく、

 男は、女とその娘をつれてアメリカへ戻り、同棲を始める。

 しかし、魔力のない土地では恋は長続きしない。

 それどころか、同棲したままアメリカのど田舎に棲むのはかなりめんどくさい。

 娘としては、男と母親が結婚してくれればアメリカに永住できるんだけど、

 男はどうしても踏み切れない。

 で、滞在ビザの期限切れとともに母と娘はフランスに戻り、

 男は、再会した昔の同級生と焼けぼっ杭に火がつくんだけど、これも長続きしない。

 一方、女は元夫の要請で娘を手放さなくちゃいけないことになり、傷心暮らしに入ってる。

 これを知った男は、自分と結婚すればいいと女をまたアメリカへ呼び寄せる。

 こうして結婚した男と女だったけど、早くも倦怠期となり、

 自分の信仰に疑問をもっている神父に懺悔したりしても得られるものはなにもなく、

 そうこうする内に、女は地元の風采の上がらない男と一度きりの浮気をしてしまう。

 女はこの浮気を正直に告白するんだけど、当然ながら、男は怒る。

 むろん、理屈では女の心はわかっているし、一度は許す姿勢も取るんだけど、

 浮気したとかしないとかではない次元で、ふたりの絆は切れてしまう。

 で、女はやっぱりフランスへ帰るしかなくなり、男の離婚して旅立ってしまう。

 男と女の心に残るものは、もはや、モン・サン=ミッシェルしかない。

 てな感じに話は展開するんだけど、

 ほとんどが自然照明のドキュメンタリータッチのせいか、

 かなりの部分、登場人物の後ろから撮っていて、表情がつかめない以上に、

 登場人物の心の中に入り込んでいくのがなかなか厄介だ。

 それにくわえて、各シーンは、印象的なカットだけがぶつ切れに繋げられ、

 そこへモノローグが加わるものだから、

 観客がドラマの画面を観ているというより、心をそのまま映像にしたような、

 たどたどしくも悶えているような、ときに恍惚とした画面を見せられることになる。

 難解というんじゃない。

 これといって物語は判りにくくはないし、登場人物の心の襞もよくわかる。

 ただ、映画の中に入り込むのがちょっと面倒なだけだ。

 そういうことからいえば、

 一般的な映画を望んでいる観客にはすこしばかり辛いかもしれないけど、

 観終わって、街中をぶらぶら歩き始めたときに、

 ふしぎなことが起こる。

 映画というのはいつもそういうものなのかもしれないけど、

 各シーンの映像が断片的に脳裏に蘇ってくること、ない?

 あるよね。

 それと同じように、ぶつ切れだった映像が断片的に蘇り、

 観ていたときよりも、映像が繋がり、

 各シーンが頭の中で綺麗に繋がって再生されるんだ。

「まさか、テレンス・マリックはこんなことまで予測して映画を撮ったんだろか?」

 とおもったとき、愕然とした。

 天才は、やっぱり、凄い。

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迷宮のヴェニス

2013年08月26日 16時42分10秒 | 洋画1981~1990年

 △迷宮のヴェニス(1990年 イタリア、アメリカ 100分)

 伊題 Cortesia per gli Ospiti

 米題 The Comfort of Strangers

 staff 原作/イアン・マキューアン『異邦人たちの慰め』

     監督/ポール・シュレイダー 脚本/ハロルド・ピンター

     撮影/ダンテ・スピノッティ 美術/ジャンニ・クワランタ

     衣裳デザイン/ジョルジョ・アルマーニ 音楽/アンジェロ・バダラメンティ

 cast クリストファー・ウォーケン ナターシャ・リチャードソン ヘレン・ミレン

 

 △サイコ、ヴェニス版?

「父はいつも黒い口髭を生やしていた。

 髭が白くなってくると、黒く染めていた。

 ブラシで、女性の使うもので黒く染めていた。

 そう、マスカラ」

 というクリストファー・ウォーケンの供述(ナレーション)から想像するに、

 ヴェニスを訪れた不倫カップル、

 いや、独身男と2人の子持ち女のカップルをストーキングし、

 自分たちの身近において若さを吸収することで、

 倦怠期にさしかかっているSM趣味の夫婦が、

 ふたたび人生を謳歌しようとしていたところ、

 不幸にもカップルの抵抗に遭ったために、

 男を殺してしまうという悲劇が生じてしまったという展開なんだろう。

 たしかに、異常ともいえるような性衝動と性生活に惑溺してしまった男女は、

 どうしても新たな刺激を求めて生贄を捕獲しようとするんだろうし、

 結婚しようとおもっていたカップルもやや倦怠期にさしかかっていて、

 そういう異常な夫婦の煽情に遭ったことでふたたび情欲が燃え、

 真っ昼間から求め合うことの快楽を知ってしまったために、

 異常な夫婦と離れがたくなってしまうという設定はわからないでもないし、

 こういう精神構造を映像化するにはヴェニスは最適で、

 神経症を演じさせたら右に出る者のいないウォーケンをはじめ、

 音楽も衣装も演出も当代一流を集めたにも拘わらず、

 なんでこんな感じの映画になってしまったかといえば、

 これはひとえに脚本とカメラにあるとしかおもえないんだよね。

 いや、まいったな~。

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麒麟の翼

2013年08月25日 17時18分09秒 | 邦画2011年

 ◇麒麟の翼(2011年 日本 129分)

 staff 原作/東野圭吾『麒麟の翼』

     監督/土井裕泰 脚本/櫻井武晴 撮影/山本英夫

     美術/金勝浩一 音楽/菅野祐悟 主題歌/JUJU

 cast 阿部寛 新垣結衣 溝端淳平 松坂桃李 松重豊 田中麗奈 三浦貴大 中井貴一

 

 ◇ここから羽ばたく

 テレビシリーズは小さな世界で展開していた。

 そうした小ぢんまりとパッケージされた空間に、とても好感が持ててた。

 ところが、今回はそうした世界がすこしばかり広がってる。

 ま、それはそれでいいんだけど、

 せっかく映画なんだし、折りヅルの翼もからめて、

 日本橋の麒麟像が鍵になってるわけだから、

 橋の上にある高速道路をCGで消してしまえばよかったのに。

 と、ぼくなんかは無責任におもったりする。

 映画というのは、監督の世界をそのまま反映すればいいんで、

 まあ、監督が高速道路はあってもいいよっていうんなら別だけど、

 なんか、この映画にかぎっては高速道路は邪魔なように見えちゃうんだよね。

 それと、

 話の内容がなんだか前半と後半でまるで分けられてるように感じのは、

 僕だけなのかしら?

 あと、ひとつ。

 テレビの世界をひっぱるのは贔屓にしていたぼくとしてはかまわないんだけど、

 この映画を観て、はじめて『新参者』に触れた観客にとって、

 テレビの準レギュラーを特別出演のかたちで引っ張るのは、

 ちょっとだけ、違和感があるんじゃないかしら?

 てのは、まあ、余計なお世話なんだろうね。

 けどさ、

 千羽鶴、中井貴一の車の中から発見されるんだよね?

 いまの警察の捜査でいえば、もうすこし早い段階で発見されない?

 とかいう疑問が出てくるのは、いいっこなしかな。

 ただ、あれだよね、

 このシリーズは「人が嘘をつくというのはどういうことか?」が大事なわけで、

 そこには「愛があるから」という主題に収束してゆくわけだけど、

 そういうことからいうと、過不足なく纏められてた気はする。

 でも、3時間スペシャルドラマ的な感じだったのは、

 テレビを観ていたせいなのかな?

 ドラマの映画化ってのは、ほんと、余分な感想も生んじゃうんだね。

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エディット・ピアフ 愛の讃歌

2013年08月24日 01時47分00秒 | 洋画2007年

 ◎エディット・ピアフ 愛の讃歌(2007年 フランス、チェコ、イギリス 140分)

 仏題 La Mome

 英題 The Passionate Life of Edith Piaf/La Vie En Rose

 staff 監督・脚本/オリヴィエ・ダアン 脚色/オリヴィエ・ダアン イゼベル・ソベルマン

     撮影/永田鉄男 美術/オリヴィエ・ロー 衣裳/マリ・アレン

     音響/ローラン・ゼイリグ パスカル・ヴィアール ジャン=ポール・ユリエ

     音楽/エドゥアー・デュボワ オリジナル曲/クリストファー・ガンニング


 cast マリオン・コティヤール ジェラール・ドパルデュー マルク・バルベ

 

 ◎1963年10月11日、ピアフ、47歳で没

 ぼくは、世の中からおいてきぼりになりそうなほど、音楽に疎い。

 けど、そんな音痴なぼくでも、ピアフくらいは知ってる。

 特徴的なだみ声で、でも、深みのあるビブラード。

 小柄で、

 おそらく幼少期の悲惨さのためなんだろか、

 実際の年齢よりもずいぶんと老けてみえた容姿。

 そして、奔放な性の遍歴まで、なんとなく耳に入ってきたものだ。

 だから、マリオン・コティヤールがマイクの前に立っても、

 聞こえてくるのはもちろん本物のピアフの声だったのは、嬉しかった。

 ただ、それにしても、よくもまあ、あれだけ完璧に、

 ピアフの歌に合わせて歌う演技が出来たもんだ。

 マリオン・コティヤール、すげえ。

 彼女が観客に向かって「愛しなさい」と遺言を語るように言い残す場面なんか、

 まるで、ピアフそのものだった。

 もちろん、ピアフに詳しい人達からすれば、いろいろと不満はあるだろう。

 2度の結婚や、マルセル・セルダンとの恋、

 若手の見出しや、マレーネ・デートリッヒやジャン・コクトーとの友情、

 そりゃもうたくさん、いいたいところのある内容にちがいない。

 でも、それはいわずもがなの話で、

 そういうことを全部知った上で、この映画は作られてるわけだから。

 そんなことより、

 びっくりしたのはセットとカメラワークで、

 すべてのショットは気が利いてて美しいんだけど、

 なんといっても、

 ピアフの家のセットからパンと移動のワンカットで舞台の上に繋がるショットは凄い。

 これには、驚いた。

 アパルトマンでロケをしてると思い込んでいたんだけど、

 もしかしてCGで繋いだりしてないよね?

 ピアフの声はわかったのに、撮り方が自信を持って感じ取れないのは、

 なんとなく、さびしい。

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変態島

2013年08月22日 12時44分34秒 | 洋画2008年

 ◇変態島(2008年 フランス、ベルギー、イギリス、オーストラリア 96分)

 原題 Vinyan

 staff 監督/ファブリス・ドゥ・ヴェルツ

     原案・脚本/ファブリス・ドゥ・ヴェルツ デヴィッド・グレイグ オリヴァー・ブラックバーン

     撮影/ブノワ・デビエ 編集/コリン・モニー

     音楽/フランソワ=ウード・シャンフロー

 cast エマニュエル・ベアール ルーファス・シーウェル ジュリー・ドレフュス ヨセ・デパウ

 

 ◇Vinyanは、タイ語

 意味は「魂、成仏できない霊、幽霊」だそうな。

 エマニュエル・ベアールとルーファス・シーウェルの6歳の息子が津波に呑まれ、

 その生存が絶望視されて6か月経っても尚、

 ふたりはタイを離れることができず、プーケットに居続けている。

 そんなふたりがとある映像を観たことから、

 息子の生存、つまり、人身売買の村に連れ去られたことをつよく信じるようになり、

 いろいろな村々を巡り歩きながら

 ビルマの沖合にある島まで訪ねてゆくというシリアスな話だ。

 けど、島にいたるまで、いろいろな障壁があり、

 これに精神的に弱くなっているべアールがさらに痛めつけられ、

 やがて夫の惨殺とともに自我が崩壊してゆくありさまを、

 南洋特有のじめじめとした気象の中で描いているんだけど、

 後半、ていうか、ほぼ佳境になってから、

 ようやく到達した島で、彼女はVinyanに遭うことになる。

 このVinyanは少年たちで、

 息子がすでに他界しているという事実をべアールは認められずにきたんだけど、

 白い泥に包まれたVinyanたちに丸裸にされ、

 体中を撫でまわされている内に、

 Vinyanたちの求めているものが母親の肌であり、乳房であると確信したとき、

 彼女にようやく、心からの笑みが戻る。

 べアールが息子の死を認め、Vinyanとなりながら母親を待っていたのかどうか、

 これは、わからない。

 けれど、この島でVinyanらと遭遇して、肌を合わせたとき、

 すでにべアールは息子だけの母親ではなく、

 島という非常に暗示的な空間に取り残されているVinyanたちすべての母親になった、

 と考えるのが、いちばんストレートな見方なんじゃないかっておもうんだよね。

 なんとも不思議な世界だったわ。

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クリント・イーストウッドの真実

2013年08月21日 11時35分05秒 | 洋画2010年

 ◇クリント・イーストウッドの真実(2010年 アメリカ 90分)

 原題 The Eastwood Factor

 staff 製作・監督・脚本/リチャード・シッケル

     撮影/ジャイク・ゾートマン 編集/フェイス・ギンズバーグ               

     ナレーション/モーガン・フリーマン

 cast クリント・イーストウッド

 

 ◇1930年5月30日、イーストウッド生まれる

 実をいえば、ぼくはクリント・イーストウッドの映画が苦手だった。

 暴力的な映画がそもそも好きじゃなかったから、

 拳骨と拳銃に男らしさと渋さが凝縮されたような、

 イーストウッドの立ち位置がなんともいえない敬遠の対象だった。

 団塊の世代の人達は、

 こういうイーストウッドを、

 社会に風穴を開けるような存在として観ていたかもしれないけど、

 それよりひとまわり下の世代のぼくにはなんとも男臭すぎた。

 だから、ずっとイーストウッドの映画は観なかった。

 ところが社会に出てから、

 会社の同期と『ファイヤーフォックス』を観に行き、

 そいつがあんまり「クリント・イーストウッドは凄い!」とかいうもんだから、

 そういうものなのかな~と、ぼんやりおもったくらいだった。

 けど、それからあとはなんとなく封切作品を観るようになり、

 レンタルビデオの時代が到来してからは過去の作品も観るようになった。

 で、わかったことなんだけど、

 ぼくはどうやらイーストウッドの監督作品が性に合ってるらしい。

 このドキュメンタリでは出演だけだった初期の作品から、

 当時、公開される直前だった『インビクタス/負けざる者たち』まで、

 まあ、いろいろと語られ、

 イーストウッドの衣装のあらかたが保管されてるワーナー撮影所の倉庫まで撮られ、

 イーストウッドみずから、いろいろと語ってくれるんだけど、

 そのとき、やっぱり、年食ってからの方がいいな~と再確認した。

 ま、人間、誰でも年食ってからの方が味が出るし、好い感じになるんだけどね。

 イーストウッドはこんなことをいってる。

「思いどおりにならないことがあっても一歩ずつ前へ進めばいい」

「天才に出会ったことなんて一度もないよ。

 天才っていうのは、

 嫌いなことでも得意な奴のことだからね。

 好きなことなら誰でも得意になれるんだ。

 問題はそれを見つけられるかどうかなんだ」

「これからも前へ進むのみさ」

 けだし、名言である。

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ワールド・ウォーZ

2013年08月20日 17時33分59秒 | 洋画2013年

 ◎ワールド・ウォーZ(2013年 アメリカ、イギリス 116分)

 原題 World War Z

 staff 原作/マックス・ブルックス『WORLD WAR Z』

     監督/マーク・フォースター

     原案/マシュー・マイケル・カーナハン J・マイケル・ストラジンスキー

     脚本/マシュー・マイケル・カーナハン ドリュー・ゴダード デイモン・リンデロフ

     製作/ブラッド・ピット デデ・ガードナー ジェレミー・クライナー イアン・ブライス

     撮影/ロバート・リチャードソン 美術/ナイジェル・フェルプス

     衣裳デザイン/メイズ・C・ルベオ 音楽/マルコ・ベルトラミ

 cast ブラッド・ピット ダニエラ・ケルテス モーリッツ・ブライプトロイ

 

 ◎ゾンビ・ブラピ版

 おもってみれば、ゾンビ映画を初めて観たのは高校生のときだった。

 といっても『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』じゃなくて、

 同監督ジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』だった。

 このふたつに『死霊のえじき』を加えたものがロメロのゾンビ3部作になるんだけど、

 そんな解説めいたことはどうでもいいよね。

 でも、おそろしいもので、

 もともとコンゴ出身の奴隷たちの信仰してた神ンザンビ(Nzambi)が、

 ハイチとかを経てアメリカに入ってきたものがゾンビ(Zombie)になって、

 それが映画で扱われたことで、もう世界中の誰もが知る存在になり、

 ついにはブラピまでもが主演する映画のモチーフになっちゃったんだから、

 いやまったくたいしたもんだ。

 ただ、ぼくは活字がダメだからたぶん原作は読まないんだろうけど、

 どうやら、原作では日本も舞台のひとつになって、

 かなり大掛かりな仕掛けになってるらしい。

 ふつうはこれで「ふ~ん」とおもうだけなんだけど、ちょっぴり読みたい。

 ていうのも、映画はあくまでも独立したアクション大作で、

 原作とはかなり濃度が違ってるみたいだからだ。

 ま、それはそれとして、

 台湾で発生した新種の狂犬病ウィルスによって世界が死滅するのを、

 新たなワクチンをWHO細菌研究所が開発していくまでも簡単な粗筋なんだけど、

 やっぱり映画ってのは細かい説明や設定はかっ飛ばしても、

 どんどんと話を展開させていかないといけないんだよっていう見本みたいな映画だった。

 ハリウッド映画らしく離れ離れになった家族との再会がメインに置かれてるけど、

 それじゃあ色気もないわけで、イスラエル国防軍の女性兵士がちょっと色を添えてる。

 このアーミーカットの女性兵ダニエラ・ケルテスが好いんだわ。

 色恋にならないのが、さっぱりしててまたいい。

 ただ、飛行機事故で1匹のゾンビのほかには、かれらしか生還できないってのは、

 ちょっと都合が良すぎるだろとはおもうものの、尺ってもんがあるからね。

 でも、そんな突っ込みはさておき、軍隊蟻のようなゾンビのCGは凄かった。

 生きてる死体があんな敏捷に動くんかいってくらいの壮絶さで、

 これはまじにたいしたもんだった。

 すこしばかり『トゥモロー・ワールド』や、

 『28日後』あるいは『地球最後の男』とかいった匂いもあったけど、

 こればかりはこういう世界を描いたパニック大作なんだから、仕方ないね。

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旅の重さ

2013年08月04日 19時50分22秒 | 邦画1971~1980年

 ◎旅の重さ(1972年 日本 90分)

 英題 Journey into solitude

 staff 原作/素九鬼子『旅の重さ』

     監督/斎藤耕一 脚本/石森史郎

     撮影/坂本典隆 美術/芳野尹孝 音楽/よしだたくろう

 cast 高橋洋子 岸田今日子 三國連太郎 横山リエ 中川加奈 秋吉久美子 高橋悦史

 

 ◎今日までそして明日から

 ぼくの田舎の映画館では、封切の作品も上映されたけど、

 ちょっと前の映画もときたま落ちてきた。

 当時でいう2番館だ。

 これがなんでか知らないけど、思い出に残る映画ばかりだった。

 そういう映画の中に、斎藤耕一の作品がいくつかある。

 この作品も、そのひとつだ。

 高橋洋子は当時のぼくにとっては憧れとはいわないまでも、

 青春のおねーさんって感じで括られる。

 そんな彼女のデビュー作で、

 これがまた70年代の雰囲気を濃厚に伝えてくれてるんだ。

 あの時代、ひとり旅で、しかも無銭旅行に近い旅は、人生の通過儀礼で、

 ひとり旅もできないやつに青春は語れないみたいな青臭さがあり、

 ぼくもそういう旅に憧れた。

 けど、なかなか高橋洋子みたいな旅はできないもので、

 ヒッチハイクしたトラックの運転手にも「臭い!」と顔をそむけられるなんて、

 もう、21世紀の女の子には信じられないような話だろう。

 けど、70年代はそれでよかったんだよね。

 おとなの世界に憧れ、ちょっと背伸びをして、それで壁にぶちあたって砕ける。

 でも、砕けながらも、ほんのすこし何かがわかったような気になるっていう、

 なんともいじましくも、しみったれた世界だったけど、なんともいえない充足感はあった。

 この映画も、そんな感じで筋が運ばれてくけど、ちょいと重い。

 母親は浮気をしてる。

 もしくは、別居あるいは離婚したかして、ともかく、母子ふたり暮らしだ。

 で、毎日のように男のところへ通い、セックスをしてる。

 そういう母親を高橋洋子はよく見ているし、だからといって文句はいわない。

 母親も女であることに変わりはなく、自分もやがて母親のような女になる。

 そんな冷めた目で見てる。

 60年代から70年代にかけての若者たちは、多かれ少なかれそんな感じだった。

 片足、おとなの世界に足を突っ込んで、ものがわかった気でいた。

 そこで、自分なりに世間を見てみようと、ひとり旅に出る。

 自然がちょっとずつ失われてゆく都会に背をむけて、

 四国のお遍路さんの歩いている道を自分も歩いてみようってわけだけど、

 ここで出会うのが三國連太郎と高橋悦史、つまり、父親に近い年齢のオヤジだ。

 ということは、つまり、高橋洋子はファザーコンプレックスなのかもしれないね。

 ただ、三國連太郎とはセックスしないけど、横山リエとはレズビアンを経験する。

 18歳の小娘にしてはハードな展開だ。

 それどころか、

 栄養失調でぶっ倒れたときに助けてくれた高橋悦史のあばら家に転がり込み、

 まるで父と子のような生活が始まるんだけど、しばらくはセックスはしない。

 やがて、秋吉久美子と知り合い、彼女がいきなり自殺することで佳境に至る。

 高橋悦史とのセックスがもしかしたら初体験かもしれないけど、よくわからない。

 ちょっと驚くのは、ここで漁民の若い奥さんとして定住しちゃうことだけど、

 こればかりは、この時代の雰囲気にそぐわないような気もするんだわ、ちょっぴり。

 時代といえば、

 佳代(加代だっけ?)という名前もこの時代で、秋吉久美子の役どころなんだけど、

 これがいわゆる文学少女で、ほんっとにいきなり入水しちゃうんだ。

 田舎にいなくちゃいけない少女の鬱屈したやるせなさが原因なのかどうかは、

 わからない。

 吉田拓郎じゃないけど、

 なんもかもわからないまま生きているってのが、この時代なんだよね。

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終戦のエンペラー

2013年08月03日 13時42分23秒 | 洋画2012年

 ◇終戦のエンペラー(2012年 アメリカ 107分)

 原題 EMPEROR

 staff 監督/ピーター・ウェーバー 脚本/デイヴィッド・クラス ヴェラ・ブラジ

     原案/芥川保志

     原作/岡本嗣郎『陛下をお救いなさいまし 河井道とボナー・フェラーズ』

     製作/奈良橋陽子 ゲイリー・フォスター 野村祐人 ラス・クラスノフ

     キャスティング/奈良橋陽子 ジェーン・ジェンキンス

     撮影/スチュアート・ドライバーグ 美術/グラント・メイジャー

     衣裳デザイン/ナイラ・ディクソン

     音楽/アレックス・ヘッフェス 音楽監修/デイヴ・ジョーダン

 cast マシュー・フォックス トミー・リー・ジョーンズ 羽田昌義 片岡孝太郎

     西田敏行 伊武雅刀 夏八木勲 中村雅俊 火野正平 桃井かおり

 

  ◇1945年8月30日、マッカーサー到着

 バターン号の飛んでるのがやけに高速な感じだったけど、

 ま、それはいいとして。

 兵たちがマッカーサーの車に背を向けたのは、

 歓迎の印でもなければ、そっぽを向いた心の抵抗というわけでもない。

 陸軍の合理的な指導によるもので、

 マッカーサーを暴徒から守らなければ終戦の調印に支障が出るためだ。

 それと、

 木戸幸一が「陛下のお命までも狙われたのです」というような証言をするけど、

 これについては明らかな間違いで、

 昭和20年8月14日から15日未明にかけての宮城事件についていえば、

 陸軍の狂奔的な一部幕僚が、近衛歩兵第二連隊の兵を煽動して、

 宮城を占領したかれらの目的は、

 連合国側が国体護持を確約しないかぎり徹底抗戦するよう、

 帝国陸海軍に呼びかけたもので、

 その際、玉音放送を録音したレコードの捜索が焦点となった。

 だから、日本軍の兵士が昭和天皇のお命を狙うなどということはありえない。

 また、ボナー・フェラーズが近衛文麿のもとを訪ねた際、

 たぶん、荻外荘だとおもうんだけど、

 まあ、池泉式の書院めいたロケ・セットはいいとして、

「靴を履いたままどうぞ」なんてことをいってから、

 座卓で面談するようなこともありえない。

 荻外荘には格式高い洋間があり、文麿ならばそこへ案内するだろう。

 さらにいえば、親日家で知られるフェラーズの面識のある女性は、

 女子英学塾から留学してきた渡辺ゆりで、関係の深さは伺いしれないけど、

 彼女をとおしてフェラーズは小泉八雲を知り、その文学に傾倒したらしい。

 そういうことからいえば、フェラーズの対日観はすでに育まれていて、

 決して付け焼刃のものではなかったし、色恋によって来日したわけでもない。

 こうした映画に色恋を入れることはある意味効果的な演出かもしれないけど、

 本来いうべきこととは相容れないような印象があって、余分なことにも感じる。

 フェラーズにおける日本文化の認識と、

 天皇制の維持や昭和天皇の戦犯不訴追については、

 同一線上で語りにくいけど、

 もうすこし掘り下げたものにしないと、映画の根本姿勢が甘くなる。

 情緒に流されたことで昭和天皇の戦犯不訴追をしたようにも見え、

 どうにも納得し難い。

 原作に河合道という名前があるんだから、

 たぶん、原作はそのあたりのことがしっかりと描かれているんだろう。

 活字嫌いのぼくは原作を読んでないからなんともいえないけどね。

 まあ、原作うんぬんはさておき、

 マッカーサーの大統領への固執と、日本の占領政策については、

 もうすこりリアリズムが欲しいところだし、

 そもそも真珠湾の攻撃について昭和天皇が命令したことではない。

 大本営と皇室との関係について明確にしないかぎり、映画の主題は成り立たない。

 てなことをいったところで、まあ、仕方ないからもうやめよう。

 映画というのは、監督の心の中の世界を表現するものだから、

 実際の歴史を持ちだして、ああだらこうだらいうもんじゃないからね。

 で、作品について、だ。

 衝撃の真実とかうたってるけど、これ、なんのことをいってるんだろ?

 残念ながら、ぼくの感度は鈍いらしく、

 なにが衝撃の真実なのか、わかんなかった。

 だから、内容についてはこれといった感想はない。

 聞けば、実際の皇居敷地内での撮影は初めてらしいんだけど、

 ちょっぴり、へ~っとおもった。

 これまでの邦画で、撮ったことないんだろうか?

 絵作りはさすがにピーター・ウェーバーで、

『真珠の耳飾りの少女』のような絵画に迫ろうとしたわけではないにせよ、

 落ち着いた色調には好感が持てた。

 ことに皇居、御殿内の絵作りはなかなか撮れるものじゃないよね。

 美術も、たいしたものだ。

 ニュージーランドでロケのあらかたは行われたらしいんだけど、

 そこにオープンセットも建てられたのかな?

 ともかく、オープンとCGの組み合わせも実にうまくまとまっていた。

 ただ、看板の会社名が左から右へ書かれていたのが見受けられたけど、

 戦前に掲げられたものだろうから、やっぱり右から左へ書いてほしかった。

 ただし、

 フェラーズの恋人役を演じた初音映莉子に関していえば、

 もう半年、

 映画的にナチュラルな演技の勉強をしてから、撮影に臨むべきだったかな。

 ちょっと言葉がきついね。

 ごめん。

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守護神

2013年08月02日 16時43分26秒 | 洋画2006年

 ◇守護神(2006年 アメリカ 139分)

 原題 The Guardian

 staff 監督/アンドリュー・デイヴィス

     脚本/ロン・L・ブリンカーホフ 撮影/ステファン・ST.ジョン

     美術/メイハー・アーマッド 視覚効果監修/ウィリアム・メサ

     タイトル・デザイン/ガーソン・ユー 音楽/トレヴァー・ラビン

 cast ケビン・コスナー アシュトン・カッチャー ニール・マクドノー メリッサ・セイジミラー

 

 ◇ハリウッド版海猿?

 そんな指摘をいろんなところで聞いた。

 まさかハリウッドがそんなことするかよ、とおもいつつも、

 ちょっぴり、不安になった。

 で、観るのが「なんだかな~」とおもってたんだけど、

 まあ『海猿』は海上保安庁の潜水士だし、

 こちらはアメリカ沿岸警備隊の救命士ってことで、

 なるほど、たしかに、似て非なるものではある。

 この映画がアメリカで封切られたのは、2006年9月29日。

『海猿』が封切られたのは、2004年6月12日。

 この映画は2006年の初頭に役者たちがトレーニングを始めたらしいから、

 制作が決定されたのは、たぶん、2005年の夏頃だったんじゃないだろか?

 となると、作品を発想する上でなんらかのヒントになったのかどうか…。

 でも、わからない。

 内容はたしかに「海猿」は訓練生の話で、こちらは教育官の話ではあるけど、

 海上で遭難した人を助けるという点においてはよく似ているし、

 そんなことをいいだしたら、

 どちらも『愛と青春の旅立ち』や『ハートブレイク・リッジ』にも見えてくる。

 リメイクとかいう噂も聞いたけど、

 リメイクというのは設定が国や地域を除いて後はおんなじで、

 ことに、あらすじはほとんどそのままというのが条件だから、

 これは明らかにちがう。

 また、

 勝手に設定も筋立てもおんなじにしてしまう著作権の侵害にもあたらない。

 となると、これは「ほとんど別物」と考えるのが妥当なんだろね。

 ちなみに、

 英語で守護神というのは「a guardian god」となるんで、

 原題の「The Guardian」からだと「守護する者」とかって感じになるのかしら。

 とかく日本人は人間を神に見立てるのが好きなんで、

 どうしてもこういう邦題になるんだろうけど、

 神格化されることをベン・ランドールが望んでたかどうかはちょっとわからない。

 まあ、最後になって、最後の救命を終えて海に散ったあと、

「声が聞こえた」

 と生還者が呟くのは、守護神になったのどうか。

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イヴォンヌの香り

2013年08月01日 13時01分12秒 | 洋画1994年

 ☆イヴォンヌの香り(1994年 フランス 90分)

 原題 Le Parfum d'Yvonne

 staff 原作/パトリック・モディアノ『イヴォンヌの香り』

     監督・脚本/パトリス・ルコント

     撮影/エドゥアルド・セラ 特殊効果/ジャン=ピエール・スーシェ

     美術/イヴァン・モシオン 衣装デザイン/アニー・ペリエ・ベルトー

     メイク/ジスレイン・トルトゥノー 音楽/パスカル・エスティーヴ

 cast イポリット・ジラルド サンドラ・マジャーニ ジャン・ピエール・マリエル

 

 ☆1958年、夏

「愛し過ぎるか、愛が足りないのかが、人間だ」

 どうしたところで、男と女は性の価値観もちがえば、人生に対する考え方も異なる。そんなことないよっていう向きもあるかもしれないけど、この映画には、そうした男と女とゲイの典型が描かれてる。もちろん、三人とも大仰な描かれ方ではあるけど、それなりに納得する。男は常に女の官能を見つめる側で、女は常に男の衝動を受け止める側で、ゲイであり、かつ老いてしまった人間は、男と女の愛の遣り取りの目撃者となる。男がロシア貴族の末裔であるかないか、女が女優を目指していたのかいないのか、ゲイが医師であり、かつアルジェリア紛争の地下組織に絡んでいるのかいないのか、そんなことはどうでもいい。

 かれらはレマン湖のほとりでひと夏を過ごし、男は女を愛しながらも愛が足りなかったために我儘な発想をして彼女を女優として大成させようとアメリカ行きを切望するけど、女は男を愛しすぎてしまったために相手の夢を壊してしまい自分が棄てられるのを恐れるためスイスに残ることを決める。ただ、男は結局のところ女を忘れることができずに12年後ふたたびレマン湖を訪れ、夢破れて相手も仲間もほんの少し残っていた活力も失ってしまったゲイと再会するけど、そこにはもう女はいなくて、おそらくその日暮らしのような恋を続けているに違いないと、取り残されたふたりは過去を回想することしかできなくなってしまってる。

 なんてまあ、寂しい映画なんだろう。

 恋をしているとき、人は生気に満ち溢れてる。

 レマン湖をゆく船の上でパンティを脱いで「これをわたしだとおもって」とかいって、さりげなく男のポケットに突っ込むのも、恋をしているから官能的な遊びに感じるけど、そうじゃなかったら、ただのアホ臭い行為でしかない。そんな官能のくすぐり方やくすぐられ方もさることながら、どうしてパトリス・ルコントは寂しくも儚い中年男の回想にしか興味がないんだろ?ルコントにとって男っていうどうしようもない生き物は、テーブルの下で絡んでくる女の脚に官能を疼かせ、彼女の育った部屋で彼女のすべてを知ることにかぎりない喜びを感じ、彼女の美しさも愚かしさもなにもかも冷静に観ている親族の言葉を無視し、ひたすら相手に溺れ、恋をする自分に自己陶酔し続けるしかない存在なんだろか?

 ま、そんなことをおもいながら映画を愉しんだけど、まわりの自然や衣装や調度や車や街の美しさがあるから、サンドラ・マジャーニの容貌と肢体が際立つんで、ロケーションの大切さを、ルコントはこれでもかってくらいに語ってくれる。それにしても、きぬぎぬの朝に流すサンドラ・マジャーニの涙はなんとも印象的で、彼女がいかにイポリット・ジラルドを愛しながらも、男の夢に自分が組み込まれてしまうことに恐れ、戸惑い、失望し、これが最後の交合なのよって囁こうとしているかをその涙だけで表現しちゃうんだから、たいしたもんだよね。いや、まったく、唐突な別れほど、相手を忘れられなくするものはないってことを、中年男の指南役ルコントは、よく知ってるわ。

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