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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
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▽=☆

キラー・コンドーム

2025年01月08日 17時17分28秒 | 洋画1996年

 キラー・コンドーム(Kondom des Grauens)

 

 公開時は、観られなかった。観たかったんだけどね。

 なんといっても、この怪物コンドームのデザインが、エイリアンのH・R・ギーガーってのがまじらしい。すげえ~とはおもいながらも、どれだけつぶさに観察しても、なにもギーガーである必要はないな。しかしまあ、この手の物語ってのは、誰でもおもいつくんだけど、たいがいは予算がないとか、冗談はさておきってなことになって中止になる。この作品は、それをやっちまったところに価値を見いだせる。

 さて。

 捜査を担当した32センチのペニスを誇るニコチン中毒の刑事のもとへ、オクラホマから容疑をかけられている女子大生の両親がやってくる。

「娘に何があったか話してもらおう」

「ニューヨークの薄汚、い連れ込み宿で、教授のペニスを噛み切った。残念だが証拠はそろってる。発見したとき彼女はベッドの上で悲鳴をあげ、教授は床で意識不明、ペニスはベッドの上にあった。この街では決して珍しくない事件だ。ひと晩で4本のペニスが噛み切られ、42番地では義母を乾燥機に入れ、そのうえ窓から投げ捨てた。これがニューヨークだ。オクラホマとはちがう。娘さんは田舎へ戻った方がいい」

 そしてナレーション。

「この街は変態たちのはきだめだ。田舎育ちの娘もチンポを噛み切るようになる。俺は街の清掃係のようなものだ」

 なんとなく、まとめてる。

 しかし、このゲイとセックスしても記憶にないという刑事、髪の毛は薄いが、知的で可愛すぎる。ジョン・ベルーシみたいなアクが欲しいな。

 そして『サイコ』のパロディのあと、キラー・コンドームは瓦斯管で破裂し、解剖に附されるのだが、やはりニコチン中毒のおばちゃん解剖医に、

「人間の上皮の細胞でできているわ。普通のコンドームに見えても皮膚に似た外殻質の層を持つとても複雑な有機体よ。肉眼では見えない神経、均等に広がる脳、歯は鋭いけど柔軟性があるようね。消化機能がないから自然界の生物とはいえないわ。それにエネルギーは自給自足してる。人造生物ね」

 そんなわけないだろ、とおもったら。

「ミミズやクラゲなどの下等動物の混合よ」

 なるほど、なんとなくまとまってる。

 しかし、おばちゃんは興味がない。

「ここにある遺体の方がおもしろいわ。体重180キロの恋人が顔に座って窒息を。セックスか殺人か。女は無実を主張。男の喉には陰毛が数本入ってたわ。喉に詰まってる陰毛、見たくない?」

 見たくないだろ、ふつー。

 しかし『ジョーズ』のパロディはつまらんし、途中からかなりだれるな。

 ただ、病院の教会の地下に監禁されてるスミルノフ博士によると、

「幼態動物であるミリアリスとセタリアと好塩性生物ノイコサエダを掛け合わせた生殖核が融解したときリン酸、蟻酸、アミド酸、イミダゾール、カルボキシル基、異性化酵素が感応物質のラテックス繊条組織の収縮を生み出し、自主的に動く物体が完成した。そして人間と同じようにゼリーのような食物を摂取する」

 とかいうのには、感心した。こういうもったいつけた説明は欲しいな。

 で、このあたりは、おもしろかった。

「なぜ男の性器を噛み切るんだ」

「ゼリーがもらえるからさ」

 精液か!とおもったら、ちがった。

 そーか、聖書が鍵なのか。だから教会なのか。聖書には男は男と姦淫してはいけないとほんとに書いてあるのかどうかは知らないが、たしかに避妊やコンドームの記述はないし、意味のない射精もない。だから安ホテルの男娼が狙われるのか。この時代、性的な少数派が市民権をもっていたのかどうかはわからないけれど、とにかく、この映画はからかい半分ながら、かなり本気で向き合ってるような気がするんだけどなあ。

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すずめの戸締まり

2025年01月07日 18時44分33秒 | 邦画2022年

 ◎すずめの戸締まり

 

 新海誠が神代史を好きなんだなあってことは、今回もよくわかったし、ぼくもそうだから登場人物の名前から舞台から物語にちりばめられた言葉や名詞はとても嬉しい。それと、ドラえもんのどこでもドア。魔法少女まどかマギカのキュゥべえ。砂の惑星の砂虫・サンドワーム、あるいは、もののけ姫のディダラボッチ。千と千尋の神隠しの廃墟、魔女の宅急便のルージュの伝言、ETの自転車もおもいだしたけどね。ま、スウィートメモリー、夢の中へ、卒業、バレンタイン・キッス、けんかをやめて…とか、ぼくの年代にはしみじみわかるわ。

 ま、それもそうだけど、新海誠、やけにキレがよくなってる気がした。筋立てもそうだけど、やけにテンポが良い。廃墟がでかすぎないか?って感じはあったし、東日本大震災をここまで出してくるのかあってのはちょっとびっくりしたけどね。なかなか、ハードルの高いことをしたなあって。大災害をあつかうのは、いろいろと遠慮があったり、反応をおそれたり、まあ、とにかくいろんな懸念が渦巻くんだけど、新海誠はもうそういう次元ではなくなってるってことなのかな?

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オッペンハイマー

2025年01月06日 15時10分29秒 | 洋画2023年

 ◇オッペンハイマー(Oppenheimer)

 

 とんでもなく評価が高いけど、ちょっとふしぎだ。これまでのクリストファー・ノーランの作品の方がおもしろかった気がするんだけどなあ。

 まあ、公聴会にいたるまでの半生を描くのに、時間をこれでもかってくらいに交錯させるのはいつもどおりの構成なんだけどね。

 キエミリー・ブラントがリアン・マーフィと連れ立って遠乗りに出た先で、こんなふうに前の夫の話をする。

「彼はスペインへ」

「戦うため?」

「旅団に加わってね。そして塹壕から頭を出して撃たれた。思想のための犬死」

「意味はある」

「私たちの未来を犠牲にしてファシストの弾を一発止めた。無意味でしかない」

 端的だなあっておもった。

 ただ、アメリカ人にとって日本人はおまけなのか?って感じがした。

 ロスアラモスの理論部をひきいてほしいとキリアン・マーフィが頼んだとき、

「僕は無理だ。爆弾は善人も悪人も無差別に殺す。物理学300年の集大成が大量破壊兵器なのか」

「わからない、そんな兵器を僕らがあつかっていいのか。だがナチスではいけない。やるしかないんだ」

 つまり、かれらの対峙しているのは、白人なんだよね。

 ナチスを逃れてきたケネス・ブラナーは言う。

「私は助けに来たんじゃない。私など無用だ。君が送り出す強大なちからはナチスを駆逐する。だが世界には早い。政治家にわかるか。新型爆弾ではない、新世界だと。私もちからを尽くすつもりだが、君は米国のプロメテウスだ。人類にみずからを滅ぼすちからを与えた男。称賛されて、君の真の仕事が始まる」

 それで、ドイツが降伏したとき、オッペンハイマーはようやくこう言う。

「まだ日本がいる。我々は理論屋だ。我々は未来を想像し、その未来に恐怖を覚える。だが世界は実際に使い、理解するまで恐れない。世界が恐怖を知ったとき、我々の仕事は人類の平和を確実にする」

 そして原爆の使用の可否をめぐって、

「心理的な影響は過小評価できません。高さ3000メートルもの火柱、数キロ四方に中性子が飛散、たったひとつの装置でです。B29から密かに投下された原爆は、神のちからの恐るべき啓示となる」

 なんか、日本に落とすのが唐突なんだよなあ。躊躇もないし。とってつけたように京都を除外するだけだし。庶民はどうでもいいのかよ?

 足下に黒い消し炭になっちゃった死体のまぼろしや、女学生の肌がなんか綺麗なケロイドで剥けていくカットはあるけど、おざなりだ。

 オッペンハイマーが原爆投下の罪の意識に苛まれるには、ちょっと原爆の悲惨な映像が足りないんじゃないか?

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レイニーデイ・イン・ニューヨーク

2025年01月05日 23時38分23秒 | 洋画2019年

 ◇レイニーデイ・イン・ニューヨーク(A Rainy Day in New York)

 

 中身と関係のないミートゥ・スキャンダルで、アメリカでは上映中止になったとかいう、妙ないわくつきの作品になっちゃったね。そんなことも関係してるのかどうか、ウディ・アレンにしては評価が低い。まあ、実際のところ、あんまりおもしろくなかったかも。

 結局、カルトな映画監督、プロデューサー、人気俳優の3人からいっぺんに言い寄られるエル・ファニングとティモシー・シャラメの恋のなりゆきの物語なんだけど、出だしのやりとりは軽妙だ。でも、エル・ファニングの超ミニがやけに目につく。こういうところが、ウディ・アレンの余計なことまで連想させちゃうのかなあ。くわえて、エル・ファニングは記者志望の大学生なんだけど、男に言い寄られると子宮が身もだえし始めるとかで、

「性的に葛藤するときは連続しゃっくりよ」

 っていう台詞が伏線になって、そのとおりの展開になる。ひゃっく!

 で、この台詞に対して、

「ほくはどもる」

 やけにかっこつけたリーヴ・シュレイバーが、インタビューのときにいうんだな。

「監督を降りたい」

「率直な意見をいわせてもらうと、一般受けしないわ。独創的すぎるの。売るための譲歩を一切しなかった。自由な魂の芸術家なのよ。ゴッホやロコスやヴァージニア・ウルフと同じ。全員、自殺してるけど」

 洒脱な返しだね。

 ティモシー・シャラメの娼婦ケリー・ロールバッハとするホテルのバーの会話も好い。

「時は過ぎるわ」

「エコノミー・クラスでね」

「どういう意味?」

「快適な旅路じゃない」

 洒落れてるとおもうんだけど、そうでもないのかな。

 でも、お母さんに反抗してたのが、お母さんがもともと娼婦でお父さんの部屋をノックして買われたことが交際のはじまりだったってことを知るにおよんで、そういう母親の生き方に共鳴しちゃうっていう感覚って、どうよ?

 批評家はあんがい正しいのかもしれん。

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