△エスケープ・フロム・L.A.(Escape From L.A.)
なんだか、邦題にすると「ナカグロ」だの「ピリオド」だのがうざったくなるね。
つまりは、ハードボイルド・パラレルワールド映画でしかない。ぐちゃぐちゃになったロスを楽しめればいいけど、ロスを知らない僕には、この面白味は半減するわね、当然。ジョン・カーペンターらしいっていえば、ジョン・カーペンターらしいんだけどさ。
それにしても、カート・ラッセルもスティーブ・プシェミも、さらにはピーター・フォンダまでも、愉しかったんだろうか?
◎ファーゴ(1996年 アメリカ 98分)
原題 Fargo
監督 ジョエル・コーエン
◎THIS IS A TRUE STORY.
なんでふた昔も前の映画をひっぱりだしてきたかというと『トレジャーハンター・クミコ』という映画を観るためだ。まあ、それについては『~クミコ』の稿で書けばいいから省くけど、フランシス・マクドーマンドをはじめ、役者たちの演技はみんな「Ya~Ya~Ya~」の連発で、能天気に見える大仰さで芝居をする。最初はこのみょうちくりんな雰囲気に戸惑い、おもしろいのかおもしろくないのかさっぱりわからんなと半分おもいつつも、後の半分はふしぎなくらい映画に惹かれていることに気づく。
結局、最後の最後まで、狂言誘拐を企んでおろおろし続けるウィリアム・H・メイシーがなんの借金をしたのかがわからないまま話が進んでしまうという突飛さもさることながら、いやまあ、人間が単なる物体であるかのようになんの躊躇もなくあっさり殺されていく。スティーヴ・ブシェミに至っては、ピーター・ストーメアに粉砕機で粉々にされる運命にある。人間の命のおそまつさといったら、ない。これをブラック・ユーモアというのかどうか僕にはよくわからないんだけど、なにもかもが軽薄で、知的さは皆無で、しかしながら誰もがなにかに追われているように齷齪し、いいしれない焦慮を抱き、いつ爆裂するのかわからない危険水域に達している。そうした中でフランシス・マクドーマンドの能天気な冷静さは際立っている。ラスト、吹雪の中、ピーター・ストーメアを護送しながら「こんなすばらしい日になんだってそんなひどいことをしでかしたの?」という無意識の皮肉がなんとも効いてる。
あ、もちろん、この狂言誘拐がほんとうの誘拐になってさらに次から次へとどうしようもない殺人が起こるという不運の連鎖を描いた作品がフィクションだってことは誰もが承知していて、最初に登場するホラ話の象徴ポール・バニアンの像がそれを端的に物語っているんだけど、どうやら実話だとおもっちゃった観客がいたようで、これについてはコーエン兄弟は「まじかよ~」と頭を抱えたかどうかは知らない。
(以下、2度目)
嫁が偽装誘拐されそうになったときに階段から転げ落ちるんだけど、あ、死んだな、そういうおもいもよらない展開もおもしろいな、過失致死なのか事故死なのか微妙な死因の嫁を誘拐したことにするわけかとおもったんだけど、なんとまあ、生きてた。
妊婦の警察署長を演じるのは『スリー・ビルボード』のフランシス・マクドーマンド。ほんと、上手だな。しかし、物語だが、何度観ても、破綻してるようで緻密に構成されてるように見えるものの、起伏があるようなないような複雑な展開だわね。
◇ザ・エージェント(1996年 アメリカ 139分)
原題 Jerry Maguire
監督 キャメロン・クロウ
◇タッチダウンという人生の掛詞
いかにもアメリカ人の好みそうなどん底からの這い上がり物なんだけど、いやまあ、トム・クルーズが青臭いこと青臭いこと。けど、その青臭さの故に、理想的なエージェント業を求めて走り回るんだから、爽やかスポーツマネージメント映画としてはよくできてる。アカデミー作品賞を獲っているとは知らなかったし、ちょいと驚きではあるけれど、それもこれもひっくるめて、まあいいかって感じだ。
一般的に、どんな会社でも利益を上げてほしいとおもう。トム・クルーズのいた会社もそうだ。社員はひたすら営業成績を上げてほしいし、スポーツ選手もそういう会社を期待している。けど、それは会社がでかくて、すべてが利益優先で、選手も調子がいいときの話だ。とうが立ってきて、選手としてそもそも2流だったりして、1流の実力はあるけど運が悪かったり人気がなかったりするような、そんな選手のマネージメントなんてしたくないし、会社としてもそんなやつに関わってる社員なんていらなかったりする。
こうした構図はどの社会でもおんなじだ。
でも人間のあらかたは特別な選手じゃなく、たいした取り柄もないし、それどころか才能も実力も人気もない。なのに、人目につく職業にいるだけで、おなじフィールドにいる人気者と比べられ、馬鹿にされ、捨てられていく運命にある。でも、どうしようもない選手でもなにか光るものがあればそれに期待して全身全霊をかけてマネージメントをしたいという信じられないほどピュアな人間がいたらどうなるだろう?っていうのがこの映画だ。
うそっぽい話なんてもういいよと、ちょっとはおもうけど観てしまうのは、そういう夢物語を経験してみたいと僕もちょっぴりおもっているからだ。そういう点をこの映画はついてくる。なるほど、アカデミー賞、とるか~。
◇イレイザー(1996年 アメリカ 115分)
原題 Eraser
監督 チャック・ラッセル
◇WITSEC、証人保護プログラム
ハリウッドの映画で初めてそうしたプログラムがあることを知ったとおもうんだけど、そんなにあの国は命が危険にさらされるのが日常茶飯事なんだろうか?よくわかんないけど、すくなくとも日本よりもそういう状況にあるのと、日本よりも危機意識が高いってことなんだろうね。
たしかに、日本の映画でも証人を保護する場合はあるけど、それはアメリカのような大掛かりなものじゃなくて、刑事がひとりでとかほんの数人とかでとかいったちんまい感じになっちゃうのがなんともね。ま、なんにせよ、こうした映画が撮られるのは、証人保護プログラムが物語に使いやすいってのはあるんだろう。
それはそれとして、この頃がアーノルド・シュワルツェネッガーとしては脂がいちばん乗ってたのかもしれないね。ちなみにヴァネッサ・ウィリアムスなんだけど、ミス・アメリカだったんだね。それもアフリカ系アメリカ人では初だとか。知らなかったわ。
◇英国万歳!(1996年 イギリス 111分)
原題 The Madness of King George
staff 監督/ニコラス・ハイトナー 原作・脚本/アラン・ベネット
撮影/アンドルー・ダン 美術/ケン・アダム
衣装デザイン/マーク・トンプソン 音楽/ジョージ・フェントン
cast ナイジェル・ホーソーン ヘレン・ミレン イアン・ホルム ルパート・グレイヴス
◇1811年、ジョージ3世、ご乱心
こんにちでは、ジョージ3世の乱心はポルフィリン症だったということが、ほぼ定説になってるらしい。
映画の終わりにそのことわりは掲げられてるけど、ただ、この発病のときに完全に癒えたわけではなくて、結局のところ、愛人と借金の大騒動でジョージ3世をひどく悩ませてたジョージ4世は摂政になって、それまでの放蕩息子ぶりとは打って変わって名君主めいてきて、懸念だったナポレオン戦争も終結させたりしてるわけだから、映画の中で描かれてる肥満の陰謀家でちょっぴりドジな感じとはちょっとちがう。
ま、それはそれとして、ヘレン・ミレンはここでもたいしたものだ。ジョージ3世の妃、シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツを演じてるんだけど、いやまあ、ほんと、これだけ英国王室の女性を何度も演じてると、普段から気品が漂い始めるんじゃないかってくらい、板についてくる。ただまあ今回は主役ってわけじゃないし、これから先も精神に異常をきたす夫を支え続けていくにちがいない献身的な妻役なわけで、そういう配役からいえばちょっぴり地味だし、活躍の場といったら、28年の間に15人も子供を産んだのよってな話の延長で仲睦まじいところを見せるか、夫がもはやぼろぼろになって引き離され、拘束され、おしめをあてられたまま馬車に引きずり込まれたりするのを見ていられず、助けに飛び込んでくるあたりしかないんだけど、それはそれで充分に存在感を見せてくれる。
ところで、登場する女性たちの綺麗なことといったらない。これはほんと、目の保養でございました。
◎シャイン(Shine 1996年 アメリカ)
原題 Shine
監督 スコット・ヒックス
◎欧米の役者は凄い
ぼくはほんとに芸術的センスがなくて、音楽も当然ながらよくわからない。だから、デイヴィッド・ヘルフゴットっていう、精神的な病気をかかえたピアニストが実在しているってことも知らなかった。この映画ができたとき、家族たちは事実に反しているって猛抗議したそうだけど、たしかに、実際の家族としてみれば、いろいろと言い分はあるかもしれない。だから、心の病気をかかえている人の半生を映画化する場合は、より慎重にならなくちゃいけないんだろう。むつかしいところだけど、でも、この映画がもたらしたものは小さくないんじゃないかしら?
まあ、そのあたりの複雑な事情はともかく、主役を演じたジェフリー・ラッシュは、たいしたものだ。手元のアップはデイヴィッド・ヘルフゴット本人らしいけど、引きの絵はそうはいかないんで、昔習っていたピアノの練習をふたたび始めて役をこなしたらしい。それは、10代を演じたノア・テイラーも、幼年期を演じたアレックス・ラファロヴィッツもおなじだ。たいしたものだ。こういうところが、欧米の役者は凄い。
ただ、たしかにデイヴィッド・ヘルフゴットの半生記ではあるけど、それとともに、かれの恋愛体験記でもあるわけで、そちらの中心になっているのは、ワイン・バーで働いているソニア・トッドの目線だ。こうしたあたりも脚本はちゃんと練られてる。単に時系列だけを追い掛けた、年表みたいな映画じゃないところが、またいい。
◇ミッション:インポッシブル(1996年 アメリカ 110分)
原題 Mission:Impossible
staff 原作TVシリーズ創作/ブルース・ゲラー『スパイ大作戦』
監督/ブライアン・デ・パルマ
製作/トム・クルーズ ポーラ・ワグナー
脚本/デヴィッド・コープ ロバート・タウン
原案/デヴィッド・コープ スティーブン・ザイリアン
撮影/スティーブン・H・ブラム 美術/ノーマン・レイノルズ
特殊メイク/ロブ・ボッティン 視覚効果監修/ジョン・ノール
衣裳デザイン/ペニー・ローズ 音楽/ダニー・エルフマン
テーマ曲/ラロ・シフリン
cast トム・クルーズ エマニュエル・ベアール クリスティン・スコット・トーマス ジャン・レノ
◇おはよう、フェルプスくん
小学生のときだったんだろうか、「スパイ大作戦」は、毎週、テレビで観てた。
でも、オープニング以外におぼえてる場面はひとつもない。
けど、そうか、フェルプスくんの次の世代の話という設定なのね。それで、旧来のメンバーは全員抹殺しておく必要があったんだ~。てな内容の話は、語り尽くされてるからやめておこう。そもそも、いまさら「MI」をアップしてどうすんだってな話だけど。まあ、観ちゃったことだし、まだブログに書いてなかったんだから、仕方ないよね。
ちなみに、ブライアン・デ・パルマは、ぼくの好きな監督のひとりだ。いかがわしさにかけては五指に入るとおもうくらい好きだ。ところが、この作品を撮った頃、デ・パルマはやけにメジャーな監督になってしまい、ぼくの好きだった胡散臭さやいかがわしさは陰をひそめてしまい、その分、一般的な監督になっちゃった。こういうのって悲しい。
まあ、デ・パルマはさておき、なんといってもラロ・シフリンだ。この音楽家はときどき奇跡的な名曲を書く。テレビシリーズのテーマ曲もそのひとつだけど、ハリウッドはほんといろんなところにアンテナを張ってるよね。
◎真実の行方(1996年 アメリカ 132分)
原題/Primal Fear
監督/グレゴリー・ホブリット 音楽/ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演 リチャード・ギア エドワード・ノートン ローラ・リニー フランシス・マクドーマンド
◎緋文字
多重人格を演じてる若者っていう設定は21世紀になるとありふれたどんでん返しになっちゃったけど、この作品がなかったらどうだったんだろ?
ていうことで、本作が影響を及ぼした物は大きい。多重人格であるか否かが裁判の最終的な論点になってゆくのを利用する被告の姿は「刑法39条」が三年後にも用いられてるんだけど、構造が単調だし性倒錯が絡む分、弱いかも。
まあ、これが元ネタでいろんな作品が出来ていくなら、弱い部分があるのは当然で、でもこの作品よりもおもしろいものが後に作られたかっていえば、さて、どうだ?
◎セブン・イヤーズ・イン・チベット(1996年 アメリカ 139分)
原題/Seven Years in Tibet
原作/ハインリヒ・ハラー『チベットの七年 ダライ・ラマの宮廷に仕えて』
監督/ジャン・ジャック・アノー 脚本/ベッキー・ジョンストン
製作/ジャン・ジャック・アノー、ジョン・エイチ・ウィリアムズ、イエン・スミス
撮影/ロベール・フレス 美術/アト・ホアン 演奏/ヨー・ヨー・マ
衣装デザイン/エンリコ・サバッティーニ 音楽/ジョン・ウィリアムス
出演/ブラッド・ピット デイヴィッド・シューリス ダニー・デンゾンパ B・D・ウォン
◎1950年10月、チベット侵攻
動乱のチベットが描かれてるにもかかわらず、なんてまあ、静かさが特徴的な映画なんだろう。
静謐な雰囲気で情緒的にラサやポタラ宮が語られるんだけど、理詰めかつ感情の起伏の激しさのある映画に慣れていると、ほんのちょっと物足りなさを感じるかもしれない。でもさ、映画鑑賞ってのは、場面を眺めて想像してゆく事なんだな~と、あらためて感じさせられもする。
それよりも、制作者側の勇気を買いたい。
そもそも、原作者のハインリヒ・ハラーはヒトラーとも親交のあった登山家で、親衛隊にも入っていたらしい。けど、かれらは「ハラーの経歴と体験の映像化とはちがう」という信念を持ってる。それだけじゃない。この映画を作ったせいで、ジャン・ジャック・アノーは、また出演したせいで、ブラッド・ピットとデヴィッド・シューリスは、無期限に中国への入国は禁止されてるらしい。
やっぱり、かれらにとってこの映画は、つくらないといけないものだったんだろう。だから、ダライ・ラマの母親役は、現実のダライ・ラマの妹ジェツン・ペマが演じてるし、ジャン・ジャック・アノーは、アルゼンチンをロケ地に選んだにもかかわらず、結局、チベットとネパールでも撮影している。
肝が据わってるわ。
☆コーカサスの虜(1996年 カザフスタン、ロシア 95分)
原題/Kavajazski Plennik
英題/Prisoner of the Mountain
監督/セルゲイ・ボドロフ 製作・原案/ボリス・ギレル
脚本/セルゲイ・ボドロフ、アリフ・アリエフ、ボリス・ギレル
撮影/パーヴェル・レベシェフ 美術/ワレーリー・コストリン
衣装/デザイン・ヴェラ・ロマノヴァ 音楽/レオニード・デシャトニコフ
出演/オレグ・メンシコフ、セルゲイ・ボドロフ・ジュニア、ドジュマール・シハルリジェ
☆チェチェン紛争下のロシア
単調さが延々と続きながらも、詩的興奮もまたずっと続く。こういうのが映画が芸術たる所以なのかもしれない。ま、なまいきなことをいえばの話だけど。
捕虜に好意を抱いてしまうのはどこの世界でもあることながら、それで逃亡させてしまうことが、悲劇の結末をより鮮烈なものにさせてしまうわけで、そういうのをたぶん、物語の昂揚というんだろう。
紛争の是非ではなく、戦争の無益さと感情の愚かさ、そして紛争の町の奇妙さはよく描けてる。心の交流も静かな盛り上がりで、じつに見事だ。くりかえしになるけど、淡い恋と優しさの復活の後に、現実的な悲劇を予感させる終幕もまた見事だ。
◇チェーン・リアクション(1996年 アメリカ 107分)
原題/Chain Reaction
監督/アンドリュー・デイヴィス 音楽/ジェリー・ゴールドスミス
出演/キアヌ・リーブス モーガン・フリーマン レイチェル・ワイズ フレッド・ウォード
◇CQ493は車のナンバー
ばっかんばっかんと爆破シーンが連続するのに、石油の代替エネルギーの開発計画、すなわち、エネルギー発生装置“ソノ・ルミネセンス”の奪い合いっていう構図の、よくわからないB級大作だった。
まあ、キアヌ・リーブスをスターダムにのしあげないといけないし、つぎつぎにアクションの案が出され、環境問題も絡めないとあかんで、てなことから、どうにも頭でっかちな筋立てになっちゃったって観はいなめない。
逃亡という確立されたジャンルとはいえ、心理描写のない空虚さは如何ともしがたい。
恋愛も憎悪も正義も濃厚さが足りないというか、アクションも含めて押しが足りなくなってるのは、詰め込み過ぎによるものとしかおもえない。
それにしても、モーガンの葉巻は吸い過ぎだろってくらいで、たぶん、禁煙協会の人が見てたら、ひくひくしたんじゃないだろうか。
そんなこんなの作品ながら、見どころがひとつある。レイチェル・ワイズのどこか田舎くさい初々しさで、なんと、この作品がハリウッド・デビューだそうな。なるほど、貴重な作品だね~。
◇ポネット(1996年 フランス 99分)
原題/Ponette
監督・脚本/ジャック・ドワイヨン 音楽/フィリップ・サルド
出演/ヴィクトワール・ティヴィソル マリー・トランティニャン デルフィン・シュルツ
◇ほかに手のない締め括り
撮影はどうやったんだろう?この子たちの演出はどうしたんだろう?っておもうくらい、子供たちはごく自然なやりとりをしている。まるでドキュメンタリを観ているような錯覚すら、受ける。どうやら、粗筋だけ用意して、台詞は撮影前に子供達の話から拾い集めたらしい。
これって、すごくない?
いや、まじめに凄いんだけど、母親の死を受け入れられない幼児性を、どうやったら克服させられるんだろうという主題になる点で、幻想とも奇蹟ともつかぬ曖昧さを持ってくるしかなかったのも、もう、こればかりはどうしようもなく、よくわかる。
にしても、4歳で母親を失うという事実に直面したとき、いったい、現実に、4歳の子はどんなふうに受け止めるんだろう。かわいそうすぎて想像するちからすら失せてしまうんだけど、実際にそういう子供たちはたくさんいるんだもんね。
ひたすら、その気持ちだけを見つめる映画ってのは、あるようでないよな~と、おもった。
☆花の影(1996年 香港 128分)
原題/風月
監督/チェン・カイコー 音楽/チャオ・チーピン
出演/レスリー・チャン コン・リー ケビン・リン シェ・ティエン チョウ・チェ
☆1920年代、上海
流石な映像。クリストファー・ドイルのカメラは、まじ、凄い。
まあ、映像にばかり見とれてると、わかりづらい物語がなおさらわからなくなっちゃう危険もあるんだけどね。舞台が20年代の上海と江南だから尚更だし。でも、幼い頃の提灯の中での追いかけっことか、美しすぎる。
それにしても、血族を守らねばならないっていう凄さはさすがに中国で、日本の比じゃない。
でも、どうなんだろう、国共内戦の後、こういう血族主義は残ったんだろうか?そのあたりはよくわからないけど、上海のオープンといい、セットはどこもかしこも見事な出来栄えだ。蘇州の大邸宅にいたっては、どこまでがセットかもよくわからない。これもおそらく、ドイルの映像技術のたまものなんだろうけど、
ただ、チェン・カイコーは、どういう気分でこの映画を作ったんだろう?
もしかしたら中国史を順番に映像化していくつもりで、その一環として制作したんだろうか?
1911年に辛亥革命が起こって、それまでの血族主義の中国が揺るぎ始め、上海にマフィアが横行し、その渦の中に、かつて名家に仕えながらもそこからはみ出した連中が飛び込み、今度は自分を使っていた名家を牛耳るようになっていく時代、つまり、秩序が大いに乱れていった時代を描きたかったんだろうか?
それを、ひとつの恋愛で、名家の子女と召使と成り上がり者という三角関係ながら、時代の象徴として描いていこうとしたんだろうか?
現代との対比がないから、日本人のぼくには感覚的に今ひとつわからないんだけど、とにかく映像には圧倒されちゃうよね。
☆グース(1996年 アメリカ 107分)
原題/Fly Away Home
監督/キャロル・バラード 音楽/マーク・アイシャム
出演/ジェフ・ダニエルズ アンナ・パキン ダナ・デラニー ジェレミー・ラッチフォード
☆ビル・リッシュマン『FLY AWAY HOME』より
実際の話では、娘はいなかった?
ずいぶん前のことなんだけど、ニュースでこのもとになった映像を観たような記憶がある。
けど、そんなことはどうでもよくて、いや、ほんと、よく撮ってるわ~。
母親を亡くしたアンナ・パキンが、10年ぶりに再会する父親の棲んでいるカナダのオンタリオ州にニュージーランドからやってくるんだけど、森の中でたまたま卵の孵化を目撃し、雛の刷り込みで自分が母親だとおもいこまれたことから、親を亡くした16羽のグース(カナダ雁)の母代りになって、彫刻家の父親ジェフ・ダニエルズと、その恋人ダナ・デラニーたちに助けられながら、越冬地のアメリカのノース・カロラライナ州まで、父親と自分の操縦するエンジン付きグライダーで飛ぼうとする。
だけど、途中で、パパ・グース号が故障しちゃったためにママ・グース号だけで先導して、1羽も欠けることなく越冬地まで飛んでしまうなんて、ほんと、夢のような実話じゃないか。
もちろん、特撮はあるにせよ、かなりの尺を実写でこなしているみたいで、記録映画なんじゃない?と錯覚しそうなだった。
いや、まじに感心した。好きだなあ、こういう作品は。