Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

ダブルフェイス 秘めた女

2013年06月30日 00時41分51秒 | 洋画2009年

 ◎ダブルフェイス 秘めた女(2009年 フランス 110分)

 英題 DON'T LOOK BACK

 原題 NE TE RETOURNE PAS

 staff 監督/マリナ・ド・ヴァン 脚本/ジャック・アコティ マリナ・ド・ヴァン

     撮影/ドミニク・コラン 美術/ヴェロニク・サクレ

     衣裳/マグダレーナ・ラビューズ 音楽/リュック・ロランジェ

 cast ソフィー・マルソー モニカ・ベルッチ アンドレア・ディ・ステファノ

 

 ◎豪華な二人一役

 実におもしろい映画なのに、どうして日本では公開されなかったんだろう?

 一般受けしないかもしれないけど、

 ソフィー・マルソーとモニカ・ベルッチの二人一役なんて、

 おそらく、最初で最後だとおもうんだけどな。

 ただ、ほんのちょっと、話がややこしい。

 こんな話だ。

 ソフィー・マルソーには8歳までの記憶がない。

 だから、自伝的小説を書き始めたものの、どうしても感情面が物足りない。

 その内、異変が起きる。

 違和感といってもいいんだけど、

 家族の顔の変化、家の調度の場所が変化、自分であって自分でない感覚、

 そう、いってみれば、自分の趣味どおりに生きているはずなのに、

 まるで別な誰かの趣味に、生活のすべてがすり替えられていく気分、

 それも、夫や子どもまでもが、

 まちがいなく夫や子どもなのに、自分の夫や子どもではなくなっていく気分、

 自分すら、自分であるはずなのに、自分ではなくなっていくような気がし始める。

 ところが、家族は誰ひとりとして違和感がなく、いつもと同じだと断言する。

 このあたり、良質なスリラーかSFでも始まった観がある。

 鍵は、失われた記憶にあると、ソフィーはおもい、

 たったひとつの手掛かりといえる8歳の頃の写真を頼りに、旅に出る。

 イタリアへ。

 旅の途中から、さらに変化は強まる。

 ソフィー・マルソーからモニカ・ベルッチへ、顔も身体も変化してゆく。

 すると、イタリアのその地には、モニカを知っている人々がいた。

 やがてわかった事実は、ソフィーは8歳のときに死んでいたということだった。

 モニカは、母の連れ子で、養父と折り合いが悪く、フランスへ養子に出された。

 ところが、

 養父母とその娘ソフィーとの4人で交通事故に遭い、

 養母と自分だけが助かっていた。

 このとき、モニカの体内で、

 母に捨てられた事実と、養父とその娘ソフィーを失ってしまった事実の否定が始まり、

 以後、

 モニカの精神はソフィーになり、養母とふたりで暮らし、育ち、夫と子どもを得た。

 ところが、自伝を書く段になり、昔の事実をおもいだそうとしたため、

 思い出したくないことを思い出さざるを得なくなってしまったってわけだ。

 けれど、事実はわかったものの、

 これから先は、

 8歳から今までソフィーとして生きてきたモニカの心には、

 ソフィーとモニカというふたりの自分が同居していくしかないのだろう。

 っていう話なんだけど、あらま、書いてみると単純な話だわね。

 ソフィー・マルソーとモニカ・ベルッチが二人一役をしてるだけじゃなくて、

 ほかの家族も一人二役をしてたり、

 自分だけが違和感というか幻想というか要するに変化してしまい、

 それを一人称の映像で追い駆けていくから、小難しそうに見えるんだね、きっと。

 でも、そうやって描かなかったから、

 単に「妙なことを口走ってる女がいる」てなふうに見えちゃうのかな?

 ま、自分探しの旅の好きなぼくとしては、非常に好みの映画でした。 

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カレンダー・ガールズ

2013年06月29日 16時28分58秒 | 洋画2004年

 ☆ カレンダー・ガールズ (2004年 イギリス 108分)

 原題 Calendar Girls

 staff 監督/ナイジェル・コール 脚本/ジュリエット・トウィディ

     撮影/アシュレイ・ロウ 美術/マーティン・チャイルズ 音楽/パトリック・ドイル

 cast ヘレン・ミレン ペネロープ・ウィルトン シーリア・イムリー リンダ・バセット

 

 ☆1999年、カレンダー発売

 偶然にも、ぼくはこのニュースをテレビで見た。

 イギリスでおばあちゃんたちが、

 白血病の研究に寄付するため、

 自分たちのヌードでカレンダーを作り、

 しかも、それがすごく売れてるっていうニュースだった。

 初刷り500部が30万部になったっていうんだから、たいしたものだ。

 ただ、そのときは、

「すごいこと考えるな~」

 と素朴におもったけど、

 そのカレンダーを見てみたいとは、あんまりおもわなかった。

 ましてや、買おうなんていう衝動はいっさい起きなかった。

 ぼくは慈善活動には向いていないらしい。

 ま、それは性格上、仕方のないことで、そんなことはいい。

 実際に、45~65歳の女性のヌード・カレンダーを発案したのは、

 ヨークシャー在住のトリシア・スチュワートとアンジェラ・ベイカーという婦人らしい。

 彼女らを演じるのが、ヘレン・ミレンたち芸達者なご婦人方なんだけど、

 徹底して実物のカレンダーに似せようとしたらしい。

 さすがに女優さんだけあって肌は綺麗だし、

 スタイルも、多少くずれてきてはいるけど、やっぱり綺麗だ。

 というより、彼女らが人生を踏み外しそうになる瞬間も含めて、

 単なるコメディにしていなくて、

 人生の岐路に立った女性の生き方に迫っているのが脚本の上手いところだ。

 イギリスっていう国は、

 どうしても紳士と淑女の印象があって、どちらかといえば堅苦しそうなんだけど、

 快進撃を続けているコメディを見たり、

 この映画の元になってる実話を知ったりすると、

「いやほんと、余裕に満ちたセンスってのはこんなことをいうんだろな~」

 とかって、おもっちゃうんだよね。

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ローマでアモーレ

2013年06月28日 00時23分02秒 | 洋画2013年

 ◎ローマでアモーレ(2013年 アメリカ、イタリア、スペイン 101分)

 原題 TO ROME WITH LOVE

 staff 監督・脚本/ウディ・アレン 撮影/ダリウス・コンジ 美術/アン・セイベル

     衣裳デザイン/ソニア・グランデ 主題歌/ヴォラーレ『Nel Blu Dipinto di blu』

 cast ウディ・アレン ペネロペ・クルス アレック・ボールドウィン ロベルト・ベニーニ

 

 ◎やっぱり、愛を語るならローマ

 とはいえ、ローマだからって観光名所が出てくるわけでもない。

 たしかに4つある物語のひとつで、

 出会いの場となるのはスペイン階段だし、そのままトレビの泉で会話は深まる。

 それとラストの結婚式をおもわせる大フィナーレの音楽隊もスペイン階段に並ぶ。

 フォロ・ロマーノや嘆きの壁は遠景として捉えられているし、

 コロッセオとおもわれる遺跡に、雷雨の夜半、忍び込んでキスもするけど、

 それだけのことで、この映画がローマでないと語れないのかといえば、

 その必然性はあんまりない。

 でも、おもしろかった。

 さすが、ウディ・アレン。

 カットバックして語られてゆく4つの物語は、別に関連してるわけでもないし、

 実をいえば、時間の推移もまるで関係ない。

 同一時間でさまざまなカップルを描いてるのかとおもったら、全然ちがってた。

 つまり、

 アレンは自分の作った物語を期待を絶妙なタイミングでカットして、

 ローマで起こっている不条理な出会いと別れを描いてるんだと。

 だったら、

「4つの短編を4本立てにしてくれればよかったんじゃない?」

 といえなくもないんだけど、やっぱり、この方がいいんだろね。

 古代と現代がごちゃまぜになってる町なんだから、

 いろんな恋の物語もごちゃまぜになってる方がいいのかもしれない。

 秀逸だったのは、やっぱりアレンみずから出演している、

 浴室でシャワーを浴びると美声になる葬儀屋の話で、

 オペラの舞台にまで

 浴室を引っぱり出して歌うまでエスカレートしていくんだから、たいしたもんだ。 

 ただ、目をひくのはどうしたところで娼婦を演じたペネロペ・クルスで、

 ローマに新居を持とうとする新婚カップルの話に出てくるんだけど、

 豊満で魅惑的な肢体とすれっからした態度と高慢そうな眼光が、

 なんとも役にぴったりはまってる。

 ふと、ソフィア・ローレンをおもいだした。

 顔つきはまるで違うんだけど、醸し出してるものが似てるんだろうか?

 他の出演者とちょっとだけ違う雰囲気なのは、アレック・ボールドウィンだ。

 建築家をめざしている学生の浮気話に出てくる。

 なんだかずんぐりしちゃったけど、ま、それはいいとして、

 以前のアレン作品だと、心の相談相手を必要とするのはアレンだったはずで、

 今回はアレンのかわりにジェシー・アイゼンバーグが登場し、

 エレン・ペイジとの浮気をするとき、

 ボールドウィンがいきなり出てきてあれこれと囁く。

 アレンの物語ではときおり使われる手法だけど、ほとんど違和感はない。

 有名と無名について茶化した物語に登場するロベルト・ベニーニも、

 これまたひと昔前からアレンが自身で演じてたかもしれない。

 ある朝起きたら有名人になっていたっていうシュールな物語は、

 有名人という人種に対する風刺になってて、

「結局、どれだけ有名になったところで流行が終われば誰も知らなくなるんだ」

 っていう、ちょっぴり残酷で哀愁のこもった内容は、

 ウディ・アレンというオシャレな天才の自戒が籠められてるんだろね、たぶん。

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テルマエ・ロマエ

2013年06月27日 17時08分35秒 | 邦画2012年

 ◇テルマエ・ロマエ(2012年 日本 108分)

 staff 原作/ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』

     監督/武内英樹 脚本/武藤将吾 撮影/川越一成 美術/原田満生

     衣裳/纐纈春樹 音楽/住友紀人 主題歌/ラッセル・ワトソン『誰も寝てはならぬ』

 cast 阿部寛 上戸彩 市村正親 宍戸開 笹野高史 キムラ緑子 いか八朗 蛭子能収

 

 ◇ひとっ風呂、タイムスリップしませんか。

 笑った。

 涙によってタイムスリップするっていう設定は理解した上で、

 なんで、阿部寛は、

 古代ローマから地球の反対側の銭湯にタイムスリップするのか?

 さらに続いて、現代の時間軸のとおりに、

 家庭の内風呂、実家の温泉へとタイムスリップし、

 上戸彩もまた逆のタイムスリップをし、

 父親の笹野高史もまたタイムスリップし、みんな、

 古代ローマの時間軸どおりにタイムスリップするのか?

 なんでいきなりバイリンガルになるのか?

 というタイムスリップの基本的な疑問はもとより、

 いろいろな突っ込み事案が念頭に浮かぶけど、

 ま、こまかいことはいいっこなしに、

 時空を超えた入浴スペクタクルを楽しむしかないね。

 うん、おもしろかったですよ、前半は特に。

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インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア

2013年06月23日 20時12分06秒 | 洋画1994年

 ◎インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア(1994年 アメリカ 124分)

 原題 Interview With The Vampire

 staff 原作・脚本/アン・ライス『夜明けのヴァンパイア』

     監督/ニール・ジョーダン 撮影/フィリップ・ルースロ

     美術/ダンテ・フェレッティ 特殊メイク/スタン・ウィンストン ミシェル・バーク

     衣裳デザイン/サンディ・パウエル 音楽/エリオット・ゴールデンサル

 cast ブラッド・ピット トム・クルーズ クリスチャン・スレイター アントニオ・バンデラス

 

 ◎クリスチャン・スレイターに捧ぐ

 学生の頃、萩尾望都の漫画が好きで、中でも『ポーの一族』は大好きだった。この映画を観てておもいだしたのは、その一篇『メリーベルと銀のばら』だ。筋立ては異なるけど、印象はほとんど同じだった。ヴァンパイアたちが歴史の陰でひっそりと生きていたっていう発想は、どうやら、洋の東西を問わずに同じものらしい。死なないっていうことは人類の憧れでもあるけど、それはそのまま恐怖の対象になる。死ぬことも恐怖なら死なないことも恐怖だけど、ぼくだったら、たとえヴァンパイアになっても生きていたい。そんなふうに、誰もがヴァンパイアをとおして生死について考えがちだ。

 ただ、この映画が封切られたとき、ぼくは勘違いしてて、全編を通してインタビューだらけのものにちがいないと思い込んでた。だから、クリスチャン・スレイターがもっと出てくるものと信じてた。でも、そうじゃなかった。早とちりもいいところだけど、ヴァンパイア諸君は、みんな、一見の価値があるくらい美しかった。まあ、欲をいえば、ラストのどんでん返しっていうか、お決まりの死人復活劇のために前後のインタビューが作られてるんだとしたら、なんだかな~っておもっちゃう。もうちょっとクリスチャン・スレイターに、ヴァンパイアの歴史と実在について深いところまで探ってほしかったかな~と。

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エンド・オブ・ホワイトハウス

2013年06月22日 18時01分05秒 | 洋画2013年

 ◎エンド・オブ・ホワイトハウス(2013年 アメリカ 120分)

 原題 Olympus Has Fallen

 staff 監督・脚本/アントワン・フークア

     製作/ジェラルド・バトラー マーク・ギル アラン・シーゲル

     撮影/コンラッド・W・ホール 美術/デレク・R・ヒル

     衣裳デザイン/ダグ・ホール 音楽/トレヴァー・モリス

 cast ジェラルド・バトラー アシュレイ・ジャッド モーガン・フリーマン アーロン・エッカート

 

 ◎オリンパス、陥落

 ホワイトハウスのコード名がオリンパスっていう話は初耳だったので、

 ほんとうかどうかはわからない。

 毎度のことながら、知識と情報が不足してるわ~。

 でも、

 ギリシャ神話に出てくる「神々の住まう山」だってことくらいは、

 どれだけ物を知らないぼくでも知ってる。

 いや~、いかにもアメリカ合衆国のつけそうな隠語だよね。

 矜持のかたまりっていうか、もう、なんもいえない。

 ただ、北朝鮮そのものの派遣した武装集団ではないにせよ、

 工作員がAC-130を乗っ取ってワシントンまで侵攻できたり、

 日本海から第七艦隊を撤退させるのが最初の条件だったり、

 合衆国中の核弾頭ミサイルを自爆させようとするなんてことは、

 アメリカに敵対している国が陰にいないかぎり、無理だ。

 設定では、もちろん、北朝鮮との関係は曖昧なままにしてあるから、

 まあ、そういうことで観るしかない

 それにしても、

 AC-130の凄さはどうだ。

 AC-130HスペクターかAC-130Uスプーキーなのか、

 見る人が見れば一発で違いがわかるんだろうけど、ぼくにはわからん。

 けど、どっちだっていい。

 ものすげー強い。

 この空中戦と対地攻撃の場面を観るだけでも興奮したけど、

 気になったのは、女優のふたり。

 大統領夫人を演じた聡明な美しさが魅力のアシュレイ・ジャッドが、

 冒頭で事故死?するのは、ちょっとばかり残念だったけど、

 そのかわりに、国務長官を演じたメリッサ・レオが非常に好かった。

 彼女は『フローズン・リバー』でやけに上手な女優さんだなとおもっていたら、

『オブリビオン』ではモニター画面を通してしか顔が見られず、

 ちょっとだけ物足りなかった観はあったものの、今回は大活躍だった。

 まあ、細面で皺が深い分、なんだか貧相に見え、苦労してきた印象は濃くなるけど、

 そうした人生の味わい深さが、

 合衆国に忠誠を誓う鉄のような女って感じで、よいです。

 ただ、現代の時間設定では、

 ホワイトハウスが陥落するのはタブーかとおもってたんだけど、

 そうでもないのね。

 このあたり、アメリカは寛容っていうのか、

「たとえ、ホワイトハウスが陥落しても、アメリカは闘うのだ」

 っていうプロパガンダと捉えて許容したのかは、わからないけど。

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ドレスデン、運命の日

2013年06月21日 15時26分02秒 | 洋画2006年

 ◇ドレスデン、運命の日(2006年 ドイツ 106分)

 原題 Dresden

 staff 監督/ローランド・ズゾ・リヒター 脚本/シュテファン・コルディッツ

     撮影/ホリー・フィンク アートディレクター/ニルス・アイヒベルグ

     美術/トーマス・シュタンマー 衣裳デザイン/ルシア・ファウスト

     特殊効果/カール・ハインツ・ボフニッヒ デーニス・ベーンケ

 cast フェリシタス・ヴォル ジョン・ライト ベンヤミン・サドラー マリー・ボイマー

 

 ◇1945年2月13日22時14分、ドレスデン大空襲

 ふとおもったのは、

 連合国は、ドレスデンに対して、慰霊碑を立てるような行動をしてるんだろうかってこと。

 そしたら、あった。

 2005年10月30日に再生されたフラウエン教会(聖母教会)が、それだ。

 この教会は丸2日にわたってドレスデンが爆撃され続けた際、

 炎上崩壊し、東ドイツに組み込まれてしまったため、

 空襲の記念として瓦礫だけはなんとか撤去されずにいたものの、

 共産主義社会においては教会なんてものは無意味だとされて、

 1990年の東西ドイツ統一まで、瓦礫の山だった。

 それが、11年かかって再建されたんだけど、

 そのとき、イギリスから塔の上の十字架が「和解の印」として贈られた。

 もともとあった十字架は、戦禍を被ったままの状態で、教会内に展示されてる。

 こうしたあたり、ヨーロッパ社会はそれなりにまとまってるなと感じるけど、

 アジアはどうなんだろね?

 ま、それはそれとして、

 絨毯爆撃ほど非人道的なことはなく、

 ドレスデンと同じような悲劇に見舞われた都市はそこらじゅうにある。

 世界で、いったい何万人の民間人が、死んだんだろう?

 ま、そんなことをおもいつつ、映画だ。

 アメリカ軍のパイロットが撃墜されても生きてて、

 たまさか忍び込んだ病院の看護婦に介抱され、

 看護婦には婚約者がいるにもかかわらず恋に落ちるって設定はよくあるけど、

 この映画の場合、

 この看護婦の父親が病院の経営者でモルヒネの横流しで多額の金を横領してて、

 この金と家族を抱えてスイスに亡命しようとしてるってのが味噌だ。

 まあ、それらのことが全部暴露されつつ、ふたりで逃避行に入ったその日が、

 2月13日っていう設定は、まあ、それよりほかに考えられないけどね。

 ただ、よく撮ってるわ~。

 ドイツではテレビ映画として放映されて、劇場公開はされなかったみたいだけどね。

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ブレードランナー ファイナル・カット

2013年06月20日 14時06分21秒 | 洋画2007年

 ☆ブレードランナー ファイナル・カット(2007年 アメリカ 117分)

 原題 Blade Runner: The Final Cut

 staff 原作/フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』

     監督/リドリー・スコット

     製作総指揮/ブライアン・ケリー ハンプトン・ファンチャー

     脚本/ハンプトン・ファンチャー デイヴィッド・ピープルズ

     撮影/ジョーダン・クローネンウェス

     美術/ローレンス・G・ポール デイヴィッド・L・スナイダー シド・ミード

     衣裳デザイン/チャールズ・ノッド マイケル・カプラン

     特殊効果/ダグラス・トランブル リチャード・ユーリシッチ デイヴィッド・ドライヤー

     音楽/ヴァンゲリス

 cast ハリソン・フォード ルトガー・ハウアー ショーン・ヤング ジョアンナ・キャシディ

 

 ☆レプリカントは一角獣の夢を見たか?

 この映画がどれだけ面白くて、どれだけ物凄くて、

 撮影されるのにどれだけ苦労して、どんな裏話があったのかとかいう、

 数え切れないくらいのいろいろなことは、あえて書き留めておくこともない。

 要は、また観ればいいんだから。

 1982年、初めてこの映画を観た。

 当時は、

 ハリソン・フォードとショーン・ヤングのネクサス7型ふたりが、

 オーバー・ルック・ホテルをめざしてコロラドの山の中を飛んで行きながら、

 なんともハードボイルドなハリソン・フォードの独白が重なる場面が、

 ラストシーンだった。

 11PMだったかなんだったかで、SF映画の新作が出来たっていう宣伝があり、

 そこにハリソン・フォードが出てるけど、小難しいんだっていう噂だけが先行してて、

 あまり評判はよくなかった。

 けど、当時、大学に通ってたぼくや友達たちは、みんな、

「おおおお」

 と、声をあげてた。

 こんな映画観たこともなかったし、

 あまりにも哲学的すぎて、なにがなんだかよくわからなかったけど、

 それは当時の映画としては、そんなに珍しいことじゃなかった。

 もっと小難しい映画はごまんとあったし、ぼくらはそういうのが好きだった。

 このファイナル・カットで嬉しかったことは、

 ジョアンナ・キャシディが透明なコートをいまだに自前で保存してて、

 それを使って追加撮影をしたっていうことと、

 どちらかといえば否定的な態度に出てたハリソン・フォードの息子が、

 当時のハリソン・フォードと同じ年になって吹替えで出演したっていうこと。

 なんだか、嬉しい。

 ただ、いろいろと見比べておもうことは、

 リドリー・スコットはもちろん嫌がるだろうけれど、

 やっぱりハリソン・フォードのラストの独白はあった方がいいな~と。

 それと、

 ファイナル・カットにするんだったら、

 未公開のシーンをもうあと30分、つけたしてほしかったわ。

 もしかしたら、舞台になってる2019年に、

『ブレードランナー2019』

 とかってタイトルで、出してくれるとか?

 それは、観るわな。

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グランド・マスター

2013年06月19日 14時24分06秒 | 洋画2013年

 ◎グランド・マスター(2013年 香港、中国、フランス 123分)

 原題 一代宗師

 英題 The Grandmaster

 staff 監督/ウォン・カーウァイ

     製作/ウォン・カーウァイ ジャッキー・パン・イーワン

     脚本/ゾウ・ジンジ シュー・ハオフォン ウォン・カーウァイ

     撮影/フィリップ・ル・スール 武術指導/ユエン・ウーピン

     美術・衣装デザイン/ウィリアム・チャン アルフレッド・ヤウ

     音楽/梅林茂 ナタニエル・メカリー

 cast トニー・レオン チャン・ツィイー チャン・チェン マックス・チャン ソン・ヘギョ

 

 ◎香港版を観てみたい

 どうやら、違うらしい。どんな違いがあるのかはわからないんだけど、戦争時代から国共内戦時代の葉問(イップ・マン)の困窮ぶりをはじめ、各地の武術家たちの人生を追ったとき、避けて通れないのが日本軍の存在で、これについて、ぼくたちにあまり見せたくない部分の量の差があるのかもしれない。てなことを勘ぐってしまいがちだから、日本版と香港版という括りで別バージョンは作ってほしくなかった。

 たしかに、日本軍に占領されていた時代から戦後の混沌期にかけて、香港には少なくない武術家たちが集まっていただろうから、戦前、完全な統一はされずに終わってしまった拳法が、香港という地で圧縮されていたという構図はとてもおもしろい。けれど、もしそうであるなら、やっぱり、トニー・レオンとチャン・チェンは闘わなければならなかったろう。

 チャン・ツィイーがチャン・チェンを列車の中で助けたところからして、彼女がふたりを引き合わせるような展開になるのかとおもってたら、そうじゃなかった。ウォン・カーウァイという人はどうしてもこういうところがあって、ときどき、脚本がぬるい。

 今回も、映像は圧倒的なものがあり、冒頭のワンカットめから、

「うわ、ウォン・カーウァイだわ」

 と唸らせるところがあるのに、物語の展開がいまひとつ雨もりしてる。

 なんでかは知らない。大筋だけ決めて撮るからだとかもいわれるけど、ほんとのところは知らない。ただまあ、満洲国についても触れざるを得ないから描かれてたけど、ちょっと驚いたのは、満洲国の国旗や街路がカラーで登場したことだ。

「え!?」

 と、おもった。色、つけたんだね。

 それだけの話なんだけど、冒頭の豪雨の中の街路のkung fuと、雪の中の満洲の駅のkung fuは好かった。ぼくは功夫をよく知らないからダメなんだけど、詠春拳、八卦掌、八極拳の違いが一目瞭然なほど、徹底した指導と撮影が行われたらしい。ただ、この映画は決して功夫の決戦を撮ろうとした映画ではないし、葉問のいちばん輝いていた人生といちばん辛かった人生に恋と戦いをからめて、中国とくに満洲と香港の戦前から戦後にかけての情景を描こうとしたんだろうから、拳法家同士の戦いを観に行くと、とんだ肩透かしを食らう羽目になる。

 だから、そういう観客に対しての返答の意味も込めて、もしかしたら、ウォン・カーウァイは、トニー・レオンとチャン・チェンの戦いをカットしてしまったのかもしれないね。映画としては尻切れトンボな印象ができちゃうとしても、あえて。

 ただまあそれはともかく、梅林茂の音楽はええね。どこまでが彼の作曲なのか詳しくエンドロールをチェックしてないけど、いつもながら雰囲気は抜群だ。いつもながらといえば、ウォン・カーウァイの特質は、キスをしそうでしないっていう微妙な距離なんだよね。このもどかしさで悶え狂いそうになるのがいいのかもしれないね。

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マルメロの陽光

2013年06月18日 21時33分15秒 | 洋画1992年

 ◇マルメロの陽光(1992年 スペイン 132分)

 原題 Elsol del Membrillo

 staff 原案/ビクトル・エリセ アントニオ・ロペス 監督・脚本/ビクトル・エリセ

     製作/マリア・モレノ(アントニオ・ロペス夫人)

     撮影/ハヴィエル・アギレサロベ アンヘル・ルイス・フェルナンデス

     音楽/パスカル・ゲーニュ 編集/ホアン・イグナシオ・サン・マテオ

 cast アントニオ・ロペス マリア・モレノ エンリケ・グラン

 

 ◇この小さな庭には世界のすべてがある

 現代美術に関心の薄いぼくは、アントニオ・ロペスがスペインを代表する画家のひとりで、マドリッド・リアリズムの旗手と呼ばれてることすら知らなかった。知らないことは多いもので、ぼくはスペインは好きな国のひとつなんだけど、九月二十八日がマドリッドにとっては特別な日で、夏の太陽が戻ってくる日といわれてて、しかもそれが「マルメロの陽光」といわれてることも知らなかった。まったくもって知らないことだらけの人間が、まるで知らない世界を観てるんだから、困ったもんだ。

 けど、写実に徹底的に拘り、マルメロがどんどんと育っていくのをいろんな工夫をして追い駆けていくさまは、なんともほほえましいドキュメントとして成立してるように感じられた。んだけど、なんだか、ラスト近くになってきて、ロペス本人が寝床で夢を見、その夢を語っている内に、それまで徹底したリアリズムで撮られていたのに、どういうわけか、にわかに幻想味を帯び始める。

「え。これ、セミ・ドキュメントの脚本があって、撮影されてるんじゃないの?」

 てな印象を受けたんだけど、勘違いなんだろか…。ま、それはそれとして、マルメロが育ち、たわわに実り、やがて落ちてゆく過程を、一心不乱に描き出そうとする画家も偉ければ、それを見守る友人と妻と娘も偉く、またそうした人々を丹念に撮り続けたスタッフたちも偉いっていうか、この映画は時間という概念を越えたところになにがあるんだろうっていうような、独特の人生観や死生観を淡々と見続ける我慢の映画なんだってことを観てる途中からおもいはじめたものの、でも、結局、ビクトル・エリセのふしぎな時間軸に捉えられている自分に観終わったときに気づくんだよね。

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オブリビオン

2013年06月16日 23時50分04秒 | 洋画2013年

 ☆オブリビオン(2013年 アメリカ、ロシア 124分)

 原題 Oblivion

 staff 原作/ジョセフ・コシンスキー アーヴィッド・ネルソン『Oblivion』

     監督/ジョセフ・コシンスキー

     脚本/ジョセフ・コシンスキー ウィリアム・モナハン

         カール・ガイジュセク マイケル・アーン

     製作/ジョセフ・コシンスキー ピーター・チャーニン

         ディラン・クラーク ダンカン・ヘンダーソン

     撮影/クラウディオ・ミランダ 美術/ダーレン・ギルフォード

     音楽/M83 衣装デザイン/マーリーン・スチュワート

 cast トム・クルーズ オルガ・キュリレンコ モーガン・フリーマン アンドレア・ライズブロー

 

 ☆ジャック・ハーパーは49号

 なにより良かったとおもったことは、

 予告編を観たのが、本編を観た後だったことだ。

 どういうわけか、ぼくは『オブリビオン』の予告編を覚えていなかった。

 劇場には毎週のように通っているからどこかで観てるはずなんだけど、

 なんでか知らないけど、その記憶が失われてた。

 けど、そのおかげで、

 モーガン・フリーマンの登場前後と、

 アンドレア・ライズブローについての展開がきわめて興奮できた。

 この予告編は、それを観れば物語のすべてが瞬間的に予想できちゃう。

 これは、いかんよ。

 さて、記憶が失われるという話だけど

 原題のOblivionの意味は、忘却。

 あるいは、忘れること、忘れられること、忘れられていること。

 なるほど、予告編と一緒で、タイトルもまた的確に物語を象徴してる。

 記憶が失われていることに疑問を持っても、

 任務に支障が及ぶかもしれないから、任務終了まで消されているという、

 いかにももっともらしい回答が用意されているため、それ以上深くは考えない。

 トム・クルーズも、ぼくら観客の多くもだ。

 でもまあ、そんなことはどうでもいい。

 ともかく、文句なく、おもしろかった。

 おおむね、トム・クルーズの視線のみで進行してゆくため、より物語に入り込める。

 謎が謎として提示され、謎の解明もトム・クルーズの思考と共にだ。

 トムと観客の思考とが僅かなずれもないように脚本を組んでいるのは、いや、見事だ。

 話としては、簡単にいってしまえば、

 記憶を失くしている男の存在証明、つまり、アイデンティティーの肯定で、

 自分探しの旅の舞台となっているのが、異星人に滅ぼされた地球ってわけだ。

 物語もそうだけど、美術がまたいい。

 トムの住居スカイタワー、丸っこい戦闘型監視球ドローン、監視用飛行機バブルシップ。

 どれも見事なものだし、アンドレア・ライズブローの衣装がさらにいい。

 素朴ながら、身体の線をしっかりと伝え、そこはかとないエロスを湛えているあたり、

 ふたりの司令官とされるサリーの思惑がほどよく感じられる。

 それにしても、アンドレア・ライズブローの美しさといったら、ない。

 まじに、好きだわ。

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女優マルキーズ

2013年06月13日 00時51分54秒 | 洋画1997年

 ◇女優マルキーズ(1997年 フランス、イタリア、スペイン 120分)

 原題 Marquise

 staff 監督/ヴェラ・ベルモン

     製作/ヴェラ・ベルモン マルセル・ボーリュー

     脚本/ジャン=フランソワ・ジョスラン ヴェラ・ベルモン

     潤色・台詞/ヴェラ・ベルモン ジェラール・モルディヤ

     撮影/ジャン=マリー・ドルージュ 美術/ジャンニ・クワランタ

     衣装デザイン/オルガ・ベルルーティ 音楽/ジョルディ・サヴァール

 cast ソフィ・マルソー ベルナール・ジロドー ランベール・ウィルソン

 

 ◇マルキーズ・デュ・ パルクの生涯

 17世紀、喜劇作家モリエールと悲劇作家ラシーヌに愛され、もともとは一座の看板役者グロ・ ルネに見出された女優がいたなんてのは、もうそれだけで伝説になっちゃうくらいなんだろうけど、日本でいえば、ちょうど歌舞伎が成立するくらいな時代なんだろうか。やっぱり、そのあたりから、洋の東西を問わず、大衆演劇の歴史が始まるんだね。

 マルキーズは踊りのちからはあっても演技が素人だったから、最初はどうしてもその美貌や肢体に目がいくし、それで人気が出るのは仕方のないことだ。けど、世の中、どこにどんな機会が巡ってくるのかわからないもので、マルキーズを見出したのは、時のルイ14世だったってんだから、正に伝説だ。なんだか出雲の阿国をおもいだしちゃうよね。

 ただ、同時に、ぼくはソフィ・マルソー自身のこともおもっちゃう。

 ソフィーは、ぼくのお気に入りのひとりなんだけど、『ラ・ブーム』でデビューしたとき、誰が『狂気の愛』とかに出るとおもっただろう。可愛いだけの女の子が、豊満な肉体を惜しげもなく晒して、つぎつぎに濡れ場を演じていく女優になるとおもっただろう。それがやがて、マルキーズを演じるまでになるんだから、もはや、堂々たるもんだ。

 ただ、どうなんだろう。女優のプライドってのは、どれだけ男たちから愛されていながらも、付き人風情が自分の代役に立ってしまうことに、耐えられないように出来てるんだろか?でも、毒入りのチョコレートを呷るなんてのが、やっぱり女優だよね。

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インクハート/魔法の声

2013年06月12日 02時39分59秒 | 洋画2008年

 ◎インクハート/魔法の声(2008年 アメリカ、イギリス、ドイツ 106分)

 原題 Inkheart

 staff 原作/コルネーリア・フンケ『Tintenherz』

     監督/イアン・ソフトリー 脚本/デビッド・リンゼイ=アベアー

     製作/イアン・ソフトリー ダイアナ・ポコルニー コルネーリア・フンケ

     撮影/ロジャー・プラット 美術/ジョン・ビアード 音楽/ハビエル・ナバレテ

 cast ブレンダン・フレイザー ヘレン・ミレン イライザ・ベネット ポール・ベタニー

 

 ◎ジェニファー・コネリー、カメオ出演

 幼い頃から、童話が苦手だった。

 本を読むということがどうしてもできなくて、おかげで未だに活字は苦手なままだ。

 ただ、後悔はしてる。

 どうしてもっと本を読んでおかなかったんだろうって。

『オズの魔法使い』『ハックルベリー・フィンの冒険』『ヘンゼルとグレーテル』

『シンデレラ』『ラプンツェル』『アリババと40人の盗賊』『ピーターパン』……。

 読んどきゃよかった。

 読んどけば、この映画でところどころに本の中から飛び出してくるキャラクターに、

 もっとおもいいれができただろうし、そうした遊び心を嬉しく感じ、愉しめただろう。

 でも、ぼくにはできないんだよな~。

 で、どうして童話の中から現実に登場してくるのかといえば、

 主人公ブレンダン・フレイザーが魔法の舌を持ってるからだ。

 ところが、この舌のせいで、

 9年前に悪魔のような悪党カプリコーンを現出させてしまい、

 それとひきかえに奥さんを本の世界に閉じ込めてしまった。

 その世界の名前っていうか、本の題名が「インクハート」ってわけだ。

 で、この悪党が世界征服を企み、ブレンダン・フレイザーの舌を利用して、

 もともといた世界から手下をはじめ、さまざま事物を引き出そうとするって話だ。

 ま、おもしろかった。

 派手派手しい場面はないけれども、子ども向きに作られた良質さはよく出てた。

 ことに、大叔母役のヘレン・ミレンはいいね。

 髪をふりみだしてのばーちゃん活劇にちゃんとなってる。

 そうした活劇が繰り広げられるカプリコーンの城について、

 もちろん、城郭そのものはミニチュアなんだけど、

 城内および城下の町は、実際にある。

 イタリアのバレストリーノという地中海からやや内陸に入った村で、

 ニースとジェノバのほぼ真ん中あたりにある。

 あるんだけど、廃墟だ。

 地震による倒壊の危険があるとかで、住民が去り、過疎集落になったんだと。

 だから、今もなお、中世そのままの村がぽっかり残されてる。

 行きたいわ~!

 ところで、

「インクハート」っていう本の題名だけど、映画では「闇の心」って意訳されてる。

 なんで、闇の心なんだろ?

 インクで書かれた心、つまり、活字の世界の心って直訳になるよね?

 インクって、闇っていう意味も持ってるのかな?

 外国語がまるでわからないぼくは、首を傾げたままでいる。

 あほなんだね、たぶん。

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言の葉の庭

2013年06月11日 01時06分54秒 | 邦画2013年

 ◇言の葉の庭(2013年 日本 45分)

 英題 The Garden of Words

 staff 監督・脚本・原作・絵コンテ・演出・撮影監督・色彩設計・編集/新海誠

     作画監督・キャラクターデザイン/土屋堅一

     美術監督/滝口比呂志 音楽/KASHIWA Daisuke(柏大輔)

 cast 入野自由 花澤香菜 平野文 前田剛 寺崎裕香 井上優 潘めぐみ

 

 ◇新宿御苑、行こうか?

 どうでもいい話ながら、ぼくは『小さな恋のメロディ』が大好きだ。

 大学に入って間もない頃、サークルでそのことを話したら、

 先輩たちに鼻で嗤われた。

(こいつら、純粋な恋愛がわからないんだ)

 とおもっていたら、ある日、新宿御苑につれていかれた。

 何人かで出かけたとおもうんだけど、なんで出かけたか憶えてない。

 当時、新宿にはミニシアターが何館かあって、

 いわゆる芸術映画みたいなものを上映してた。

 それをサークルの先輩と観に行ったついでに立ち寄ったのかもしれない。

 ともかく、新宿みたいなごみごみした町とはおもえないような庭園だった。

 以来、何度か足を運んだけど、さすがに雨の日は行こうとはおもわなかった。

 だって、

 雨の音や水の音に耳を傾けるなんていうリリカルな大学生活じゃなかったし。

 ただ、この映画を観てて、ふとおもったのは、こんなことだ。

「時代設定って、いつなんだろ?」

 もしかしたら、ぼくたちの大学時代くらいなんじゃないだろうか、と。

 だって、携帯電話はいっさい出てこないし、

 水商売の母親と同棲を始める兄がいて、

 自分は高校に通いながらもなんとなく靴職人に憧れて、

 雨が降ったら地下鉄に乗るのが嫌になって御苑でデザインしてるなんて世界は、

 ほぼまちがいなく、70~80年代の世界なんだもん。

 ちょっとだけ違うのは、

 ぼくたちは学校をさぼるという行為を正当化する理屈をつけたがったけど、

 この主人公はなんとなく曖昧で、なかば現実逃避してるように見えることだ。

 御苑の東屋で出会う学校の古典の女教師にしても、それは同じことがいえる。

 不倫したか、それが噂になって生徒や親に糾弾されたのかよくわからないけど、

 ともかく、ストレスの塊になって心身症がかってしまったために味覚音痴になり、

 缶ビールとチョコレートだけを抱えて、授業を放棄して御苑にやってくる。

 いいのかそれでっていう文句はさておき、

 つまりは、

 社会とうまくつきあえないふたりが、現実逃避しに行った先で、知り合うわけだよね。

 でもまあ、

 自分たちが背を向けてきた学校の話題は触れたくなかっただろうからしないにしても、

「いきなり万葉集はないんじゃないか?」

 と、おもってしまった。

 引くだろ、ふつう。

 そんなことからすると、

 なるほど、新海誠は、スチールをもとにして、独特な自分色に染め上げ、

 雨と水の絶妙な混ざり具合の美しい音色を奏でてくれたけど、

 話の内容が、そうした背景と妙にアンバランスで、

 なんとも古色蒼然として、現実味に欠けてるような気もする。

 たしかに、

 男と女が知り合い、恋をするのは、別にどんな立場であろうとかまわない。

 教師と生徒であっても、そんなことに目くじら立てるのはお門違いだ。

 けど、リアリティってのもちょっとだけ要るかな~とおもっちゃう。

 電車とか、町の風景とか、自然の雨や光とか、部屋の中とか、

 そうした写実的なリアリティのことじゃないよ。

 写実を独自の芸術にまで高めている新海誠の技量は、他の追随を許さない。

 ぼくがいってるのは、主人公のことだ。

 ふたりとも自己陶酔しがちな、つまりセンチメンタリズムな性格で、

 夢の中に身を置きながらさらに夢を見たがってるところが垣間見える。

 だから、この先、ふたりはどうなるんだろうとか、余計なことまで考えちゃうんだ。

 彼女は四国に帰って教師をすることになるんだろうけど、

 社会に復帰したら、いつまでも夢の中だけでは生きていけない。

 料理は下手だけど、美人だし、スタイルもいいし、

 たぶん、さほど遠くない未来、

 彼女をちからづくで現実に引き戻そうとする同級生とか先輩とか、

 ともかくお節介な熱血漢を気どった野郎が現れて、

 その田舎特有の野蛮なまでの強引さに、

 もともとガラスのように脆い彼女は、おもわず目覚めの時を迎えるんだろう。

 そんなとき、

 たぶん、寸法を測ったときの不十分さからして、

 足に合わないぎゅうぎゅうきつきつの靴を抱えた彼が、現れるんだ。

 バイトでためた金をはたき、はるばる四国までやってきて、

 男と女の現実を突きつけられ、淡い初恋は終わりを告げることになるんだろう。

(ああ、なんて嫌味なやつなんだ、ぼくは)

 でもさ、

 そんなふうに意地悪で、醜悪な未来を予測してしまいそうになるのは、

 かれらふたりが、地に足のついた自己観察が出来ていないからじゃないかな。

 雨に濡れた地下鉄の匂いもまんざらじゃないし、

 不倫で抜き差しならなくなっても歯を食いしばって社会で生活してる人もいるし、

 自分が授業を放棄してしまったことで受験に支障をきたしてる子もいただろうし、

 母親が年下の男とどっかに行っちゃっても学校に皆勤してる子もいるってことを、

 かれらはもうすこしくらい認識してもいいんじゃないかな。

 そんなことをおもいつつ、映画を観終わったんだけど、

 ふと、『小さな恋のメロディ』を観たときの感覚をおもいだした。

 ぼくはどうやら、当時の先輩たちになっているらしい。

 都会の絵の具に染まっちゃったのね。

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G.I.ジョー

2013年06月10日 00時58分46秒 | 洋画2009年

 ◇G.I.ジョー(2009年 アメリカ 118分)

 原題 G.I. Joe: The Rise of Cobra

 staff 監督/スティーヴン・ソマーズ

     脚本/スチュアート・ビーティー デヴィッド・エリオット ポール・ラヴェット

     原案/マイケル・B・ゴードン スチュアート・ビーティー スティーヴン・ソマーズ

     撮影/ミッチェル・アムンドセン 美術/エド・バリュー

     衣装デザイン/エレン・マイロニック 音楽/アラン・シルヴェストリ

 cast チャニング・テイタム レイチェル・ニコルズ イ・ビョンホン シエナ・ミラー

 

 ◇因縁話の舞台は日本

 その昔、『W3』っていう漫画があった。

 手塚治虫のSF漫画なんだけど、そこにとある秘密機関が出てくる。

『フェニックス』っていうんだけど、

 要するに007みたいな人達が機関員になって正義のために闘うんだね。

 そのフェニックスに主人公の兄さんが入るところから始まるのが、少年マガジン版。

 ところが、こちらの『W3』はいきなり打ち切りになり、少年サンデー版が始まった。

 どちらかといえばマガジン版の方が青年向けな感じがして、ぼくは好きだ。

 で、なんでこんな話をしているかというと、

 この映画を観てる間中、フェニックスがおもいだされていたからだ。

 もちろん全然ちがうんだけど、

 ぼくの思考回路は昭和の漫画で出来ているから仕方がない。

 ただ、映画の中で描かれている日本は、まさしく昭和だった。

 それも中期、もしかしたら初期。

「あんな日本、もうないから」

 といいたかったけど、変なこといったらイ・ビョンホンのファンに怒られるよね。

 なんで因縁話が日本で、日本刀を2本も肩にさしてるのか知らないけど、

 刀の背負い方が逆だよって、誰も教えてあげなかったんだろうか?

 実は、この背負い方は日本人も多くの人が間違えてて、

 映画やテレビでも、逆に背負ってるものが多い。

 少なくとも、ぼくが知ってる「ちゃんとした肩かけ方」をしてる映画は1本だけだ。

 ま、そんなことはともかく、

 なんでも破壊しちゃうナノマイトっていう新薬の奪い合いが話のへそだ。

 ところが、登場人物が多いもんだから、話が妙にこんがらかり、

 アクション主体に進んでく分、ま、いいかとおもってしまった。

 だって、物語の中身を追うより、アクション観てる方が楽なんだもん。

 ただな~、イ・ビョンホンは日本人っていう設定だよね?

 なんで、日本なんだろ?

 やっぱり、忍者ってのはそんなに凄いのかな?

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