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☆=☆☆☆☆☆
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▽=☆

帰らざる日々

2024年12月24日 15時40分19秒 | 邦画1971~1980年

 帰らざる日々(1978)

 

 懐かしい。

 たぶんそうなんだろうけど、藤田敏八の描いてきたこういう青春時代のやるせなさってのは、田舎の高校生とか地方出身の大学生には刺さるもんがあったんだろうなあ。

 それにしてもなんつーか、自主制作映画の35ミリ版っていうのがなによりしっくりくるかなあ。大掛かりな自主制作な感じ。ま、ともかく、飯田にデパートが進出して、中央高速が開通したばかりの時代。そうかあ、だから、あの頃、信州が舞台の映画が多かったのか。

 喫茶店に掛かるのは『旅の宿』だが江藤潤が不良に見えない。映画館は『日本侠客伝』で『唐獅子牡丹』が流れ、朝丘雪路の経営するスナックで掛かるのは『傷だらけの人生』だ。

 江藤潤の家、むかしの町家だなあ。向かって左の戸を開けると通り庭。入って右手が江藤潤の部屋。浅野真弓を手籠めにしようとしたとき、浴衣の足元から覗き込むようなアングルで下着を撮るんだけど、趣味の良くないカットながら白い下着ってのがなんとなく当時を匂わせる。

 しかし、当時の喫茶店はええね。特徴的な雰囲気は当時でしか味わえないなあ。

「太宰の斜陽の中に不良とは優しさのことではないかしらっていう一節があるよな」

 と、河原で友達にいうのは、5月生まれのタツオこと永島敏行で、その青春物語なんだけど、相手は竹田かおり。中学でて名古屋の美容学校に通って美容院にも勤めてたとかで、店主に強姦されて、だけど、かなり深入りしてたようで、見切りをつけて出直そうと飯田に帰ってきたんだが、だから、童貞の永島敏行が挿入しようとしたとき、ちがう、そこじゃないといわれちゃう。これは、めげるんだよなあ。

 そうか、飯田のパチンコはまだ手打ちだったのか。しかし竹田かおりを犯そうとした翌日に、江藤潤のたくらみで浅野真弓とデートするときの純情ぶりはなんだよって話だけど、まあ、それがばれて、竹田かおりが怒るのはいいとしても、母親の吉行和子が朝丘雪路と電話でお互いに店を知ってたりする話をしてるうしろではやくざの中村敦夫が大喧嘩したりと、まあ、そんなありがちの世界なんだが、まじ、田舎はそんなもんだ。

 とにかく、いろいろ懐かしいけど、いくらなんでも、アリスの『つむじ風』のかかるミュージックビデオみたいな画面で夢精するか?

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放課後

2024年12月13日 19時18分55秒 | 邦画1971~1980年

 ◇放課後(1973)

 

 知多東宝で宣材を配ってた。鮮明な記憶だ。

 この作品の価値は世田谷線の動画かなあ。あとは当たり前のことながら昭和58年の風物がそのまんま観られるってことくらいかなあ。

 それにしても、主人公はいったい誰なんだろうね。栗田ひろみはどうしても物足りないし、かといって地井武男と宮本信子の新婚家庭に喫茶店キャンディのママ宇津宮雅代が絡んだ4角関係っていってもなあ。

 ただ、後半残り30分で栗田ひろみが地井武男の上着のポケットにCANDYのマッチを入れるところから宮本信子と喧嘩して、宇津宮雅代とセックスしてしまうまで+篠ひろ子と宇津宮雅代が喧嘩するまでが妙に上手い。

 てなことを考えるだけの映画だったのかなあ。宣材をもらって、それをアルバムにまで貼って、いつか観られる日が来るのを愉しみにしてたんだけどなあ。50年待ったのになあ。

 あ、井上陽水の楽曲と、星勝の編曲はGOOD!

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札幌オリンピック

2024年11月26日 03時34分17秒 | 邦画1971~1980年

 ◇札幌オリンピック(1972)

 

 最初のカット、頭上からジャンプがフレーム・インしてきたときは、びっくりした。けど、佐藤勝の音楽はやけに明るくてイメージがきつすぎた。

 笠谷幸生とジャネット・リンは懐かしかった。でも、これって当時を懐かしむ人間だけの愉しみなんだろうなあ。氷の上をエッジが擦っていく音がやけに耳に残るのは、どういうことだろう。エッジはスケートだけじゃなく、スキーもそうで、無音の中に効果音のようにぎしゅぎしゅ入ってくるのはちょっと疲れた。

 篠田正浩の興味はどうやら選手よりも会場の整備員や報道班員といった裏方にあるようで、選手たちの買い物やファッションまで執拗に追いかけている。札幌の歴史もクラークまで遡って語られたりと、監督の興味が延々と撮されるのはどのドキュメントもおなじだが、詩歌の朗読めいたナレーションはちょっとあざとい。陶酔度が高いというのか、酩度が高いというのか。その中でも、岸田今日子の朗読する「ああ、オリンピック」がなんともしつこい。オリンピックの映画を観たいという人たちはその競技について観たいわけで、なにも裏方や選手の日常風景を観ていたいわけではないんじゃないかっておもうんだけどね。

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動乱

2024年11月24日 03時21分49秒 | 邦画1971~1980年

 ◇動乱(1980)

 

 昭和7年4月仙台から始まる。姉の手紙で脱走する展開は『銃殺』とほぼ同じ。脱走兵の永島敏行の姉が吉永小百合なんだけど、身売りサせられそうな貧農にしては小綺麗だし、訛ってないのが気になるなあ。

 そして皇道派の五一五事件。皇道派かと問われる高倉健は「自分は軍人であります。政治に興味はありません」というが、これに対して小池朝雄が「国民が豊かになるにはまず国家が豊かにならにゃならん。そのためには強い軍隊が必要だ」という。まあ、定番の理屈だね。

 満洲朝鮮国境にて匪賊と戦い、陸軍の横流しした武器で負傷した部下が「日本帝国陸軍の兵隊はいったい誰のために死ぬのでありますか?」と叫ぶにおよび、高倉健は手紙をしたためる。

『國軍の御威光は今や地に堕ちたり。我が隊にはもはや医薬品なく、弾薬なく、食糧もなく、あるは兵士の御國をおもう忠誠心のみなり。我らが兵士らは辺疆の地にありて誰がために戦い 誰がために散らんとするや。ここに至り國軍の腐敗極まれリと閣下に直訴するも我ひとりの憤激の私情にあらずしてあまねく兵士らの声なき声というなり。閣下には国権を司る君側の奸賊らを今直ちに打ち倒し、國軍の改革こそ御国に対する急務なり。もしや閣下にそのご意思なしとするならば、我ひとりといえども御国のために暴発するを辞せず、もとより我が身はこの世に生を受けしときより大御心に対し奉り、一命を捧げるべしと』

 こんな感じで第一部が終わるんだけど長い。

 で、兵営やら会議やらは議論の応酬。

「おなじ日本国民でありながら、贅沢三昧な暮らしをしている奴がいる。一方、労働者や農民はいくら働いてもその日の飯が食えない。これが正しい国のあり方だといえるのか?」

「われわれは兵隊のために血気するんじゃないんですか?国防の第一線に立つ兵隊たちの家族がどんな暮らしをしているとおもってるんです?百姓は食えないから娘を売り、それでも食えないから首吊りをする、中小企業はばたばた倒産する、全国で小作争議や労働者のストライキが頻発し、それをいいことに財閥や政治家どもが豚のように肥えている。この期に及んで迷うということは同志に対する裏切りになりませんか?」

「五一五事件は一個人として蹶起した。だがわれわれはちがう。万一の場合、陛下の軍隊に汚名を着せることになる。しかしやるべき時がきたようにおもう」

 ベクトルがまっすぐすぎないか?

 感情的になりすぎた自己陶酔度が高いようにも感じるんだけど、森谷司郎、調子よくないなあ。

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日本万国博(Expo'70)

2024年11月21日 22時15分36秒 | 邦画1971~1980年

 ◎日本万国博・Expo'70(1971)

 

 日本万国博(Documentary Film "Japan World Exposition, Osaka 1970)というのが、正式なタイトルなのかどうかよくわからない。

 クレジットでは『日本万国博』とだけ、ある。

 各国の風物詩のような点描から大阪天理丘陵の整地から始まり太陽の塔の顔がつけられてゆゆく家庭を経て、丁寧な手仕事による仕上げの様子、そして開会時の空撮。堂々とした正攻法の演出は、いかにも谷口千吉。くわえて、金管が鳴らされる間宮芳生の音楽がなんだかやけに好ましい。

 石坂浩二のナレーション

「1970年3月14日、アジアで初めて開催された日本万国博覧会の開幕です」

 ありきたりだが、のちに編集された『記録映画 日本万国博』のナレーションはもうすこし詳しい。

 ほお、香港は独立参加なんだね。

 このときしか歌われなかった合唱曲と梵鐘を打つ音色が開会式を盛り立てる中、いやあ、昭和天皇のご祝詞もやけに印象深いし、お祭り広場を起動させるのが名誉総裁の皇太子だっていう演出もさることながら、大阪の小学生のブラスバンドがいちばんに吹奏するのが『君が代行進曲』ってのは凄い。この国、立憲君主国家なんだとあらためておもったわ。

 新聞配達人が不要になる電送新聞というのがペルー地震を伝えているんだけど、そうかあ、ファックスは一時代を席巻したけど、令和の今はネットのニュースに取って代わられつつある。時代とはこういうものなんだよね。

 しかしそうかあ、ベトナムはパビリオンを出して参加してるけど、この時期はまだ戦争の最中なんだよね。インドシナ半島はまだまだ揺れ動いてて、それでも参加してる。大変だったんじゃないかな。てなことを考えてると、いつのまにか興味を引かれてることに気づく。淡々とした男目線ともおもえるようなドキュメンタリーなんだけど、日本人の見学の仕方もじつに素朴で、柔らかい物腰と礼儀正しさが好ましい。

 なんだか人類の進歩と調和ってのはこれくらいがちょうどよかったんじゃないかっておもえてくる。

 券売所の慌ただしさは凄まじく算盤片手の販売で、警備所もそれと変わらず、迷子探しにテレビ電話は使われたりするものの、自動化がほとんどなされていない昭和の風景がやけに懐かしい。

 人間洗濯機はなんかすごい。チリ館の前にモアイ像が展示されてるんだけど、人間洗濯機の方が注目されてる。

 アメリカ館にドジャース32番のサンディー・コーファックスのユニフォームが展示されてる。時代は変わるんだろうなあ。

 時代が変わるといえば、タイムカプセルは西暦2000年に開けられたんだろうか?あとひとつ、西暦5000年に開けられるものも埋められたらしい。白いブラジャーとパンティ、眼鏡と入れ歯とかが撮されているのがやっぱり男性目線の時代なんだろうなあ。で、そんな場面に、石坂浩二と竹下景子(ここでようやく登場な気がする)のナレーションがかぶさる。

「だけど、こんなに戦争ばっかりしてて5000年後に人間はいるのかな?」

「でも、案外、言葉も民族もひとつになって平和が来てるかもしれないわよ」

 そのあと、最後に子どもたちの朗読がなされる。

「人類がかつてないほど文化を築きつつあるこのとき、わたしたちは皆、ひとしくその恵みを受ける権利がある。お母様はケーキを絶対食べない、痩せるつもりなんですって。ぼくの村の人たちはみんな痩せている、一度でいいからお腹いっぱい食べてみたい。病気になっても心配なし、いつでもお医者さまに来てもらえる。お医者なんて見たことがない。わたしたちは戦争を知らない。今いちばんかっこいい遊びは戦争ごっこ。戦争になったらなにもかもなくなってしまう。戦争になったら僕なんかあっという間に。戦争になったら……。わたしたちの世界は明日どういうことになるか(略)」

 最後は、皇太子の閉会の辞のあと『ほたるの光の合唱行進曲』だ。すごいわ。

 ただ、ふしぎなのは『日本万国博・再編集版』という動画が存在しているのことだ。

 まるきり、ちがう。

 冒頭のアジア各地のモノクロームやら、会場建設のモンタージュやらいっさいなく、淡々と開会式、博覧会、閉会式が記録され編集されている。各パビリオンの空撮が、谷口版ではソ連館、アメリカ館の順に編集されてるんだけど、こちらはソ連館のアップはなく、アメリカ館から始まる。また、皇太子夫妻の入場の際も、皇太子殿下ならびに妃殿下がご臨場になりますとかしこまった言い方でナレーションされ、昭和天皇の臨場のときは越天楽が奏される。そういう時代なんだね。

 ま、それはそれとして。

「1970年3月14日、人類の進歩と調和をテーマに千里丘陵に開幕した日本万国博覧会。77か国、国連をはじめとする4つの国際機構、1政庁、6州、3都市、それに31の国内企業団体が参加し、会期183日の間に、内外の入場者6421万8770名を数え、万国博史上かつてない記録を残して9月13日、その盛況の内に幕を閉じました。アジアで初めての万国博を日本で開く、大阪府市、大阪商工会議所などが中心となって努力した誘致運動はその実を結んで1965年9月14日、万国博を日本で開催することが決定、その会場に千里丘陵が選ばれました……」

 という、なんともアクのないナレーションが続けられてゆく。

 たぶん、記録映画ってのは、こういうものなんだろね。

 ところが、中には啓蒙的なところもあって、広場に接して作られた展示スペースには、現代社会の持つ危機と矛盾をえぐり人間回復を呼びかける世界セクションとかあって原爆の写真を大きく展示したり、「人間性をとりもどせ」だの「人間はどこへいく」だのと大きな文字を掲げ、こんなアナウンスをしている。「人類は水爆によって太陽を、人工衛星によって月をとらえた、そのちからは巨大だ、だが、それは滅びるためのちからかもしれない、人間を幸福にするための文明は新しい不幸を生み、戦争や紛争、公害が事故、さまざまな矛盾が地に満ちている。国家、民族、宗教、階層などの違いはさまざまな差別と争いを起こしている……」といわしめたりして「調和の世界」を追い求めるように語られている。日本館「日本と日本人」では五つの塔に分かれて歴史や生活について展示がなされてるんだけど、そのひとつの塔の「悲しみの塔」には原爆の様相が京都の綴れによる展示がなされてる。圧倒的な展示だ。それで最後に掲げられるのが「答えよう いま 答えよう 明日のために あなたは すでに問われている 答えよう 自分のことばで」ていう文字パネルで終わるんだけど、いやまあ、なんか警鐘を鳴らしたり、未来を信じてたり、信じてなかったり、いずれにしてもてらい無く真正面から問題に対峙しているところとか、ほんとにまじめな時代だったんだね。ただ、ぼくはこういう展示でよかったような気もするよ。50年で取り返しが付かないくらいめちゃくちゃになっちゃったかもしれないけど。

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絞殺

2024年11月20日 15時55分13秒 | 邦画1971~1980年

 ◎絞殺(1979)

 

「…やってしまおう。…おしまいだ」

 西村晃が乙羽信子に言う。昭和五十年代の非行や家庭内暴力は戦後3番目の多さだったらしい。町内会や婦人会など、まわりの好奇な目に見られ、そのストレスに耐え切れず神経を病んでしまう。つらいだろうなあ。小金井から千住に越してきて、営んでいたスナックも移転させた。でも、変わらない。

 教師役は戸浦六宏。当時、いやらしい教師役は戸浦六宏か穂積隆信かっていう印象がある。ふたりとも憎々しげな演技が上手だった。戸浦さんの方がずる賢く、穂積さんの方がお人好しで小心なぶん卑怯さや卑屈さがよく表れてた。

 ちゃぶ台、茶だんす、家具調テレビ、レコード・コンポーネント、サイドボード、水割りセット、洋ダンス、ガラスケース入りの唐子人形、親のむつごとの声が生々しく漏れ聞こえる明かり障子とモルタル住宅、すべてが現役の昭和世界だ。

 懐かしの茅野駅。

 息子と養父殺しの娘の道行。蓼科湖畔、雪の白樺林で青姦するんだが、さらにお別れにと蓼科高原、城の平の頂きで八ヶ岳を見晴かしながらまぐあう。なんとも昭和臭いなあ。やっぱり懐かしいなあ。

「勉のしたことは、わたしにはよくわかります」

 乙羽信子の遺した書き置きにはそうあるが、新藤兼人の若者に対する言葉と見えなくもない。突破口のない、自己表現のできない、激情にかられてしまう若者に対する言葉だが、さて…。

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戒厳令

2024年11月08日 01時27分04秒 | 邦画1971~1980年

 ◇戒厳令(1973)

 

  のっけから一柳慧の現代的な電子音楽、また広角的な奥行きを見せたコントラストの強い画面。蝉の声の降り注ぐ中で、十かぞえて下駄を脱いで短刀を引き抜いた朝日平吾(辻󠄀萬長)が安田善次郎の暗殺に走る。

 画面の端に人物を置いて空虚な空間を見せる、なんとも不安定な構図がつづく。ひと目でそれとわかる吉田山の東面の長屋住宅。ここでも不安をかきたてる画面は変わらない。

 三國連太郎演じる北一輝は、墓場の中でいう。

『戒厳令の下ではどんな小さな行いもまちがいですらも厳粛さの内に取り込まれる。戒厳令が場所を得てすべての無秩序の中から秩序を見出しつつあるからだ。戒厳令は人々に秩序を与えるのではない。ただ人々の無秩序の中にある秩序を見出すのだ。やがて人々も気づくだろう。自分たちの内にある秩序について。(略)もしかしたら人々はそこに陛下を見るかもしれない。陛下がそこにおられてもいいということに気づくかもしれない。そしてもしかしたら人々はそこに感動することもできるだろう。そのとき人々はすべてを許すことができるからだ。いいかね、われわれの革命はそんなふうにして成就する』

 わかるよーなわからんよーな台詞だ。

 軍人勅諭を唱える兵(三宅康夫)はいう。

『陛下はいまたいへんお苦しみになっておられる。だからわたしはいまこそお国のために一命をあげてご奉公しなければならないと考えている』

 実にわかりやすい。

 ま、理屈をこねくりまわすより、一途な人間の言葉の方がすうっと入ってきちゃうね。吉田喜重や別役実はそんなことをおもってなかったかもしれないけど。

 ただ、この作品はまんなかまで緊迫感があるんだけど、五一五事件のあたりからがくっと緊張が切れる。なんでかなあ。

 で、叛乱が起きたのだが、憲兵隊の下士官(飯沼慧)は、上(内藤武敏)に訊ねる。

『われわれはなにをすればよいのです』

『まあ当面はじっとしていることさ。陛下のご意思がはっきりとするまではな』

『陛下はどうお考えになるとおもいます』

『う〜ん、もしかしたら陛下はなにもお考えになっておられないのかもしれない。そんなことを考えてみたことはないかね。考えているのは向こう側とこっち側で、陛下はただ黙ってそこにおられるだけなのかもしれない』

 吉田喜重と別役実の言葉に聞こえる。

 

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卑弥呼

2024年10月24日 00時26分02秒 | 邦画1971~1980年

 ◎卑弥呼(1974)

 

 阿蘇に風が吹き上げて、雲を渦巻かせる。好いショットが撮れたもんだ。それにしても予算がとことんなかったのか、粟津潔が舞台のように前衛的なセットにしてる。これはお見事だし、阿蘇山のロケとかはロケセットをほとんど無しにしてる。まあ流木とかでセットめいたものにしてるんだけど、これもこれで見事だ。

 しかしあらかた三國連太郎の独壇場なんだけど、ラストの前方後円墳はどこなんだろう?つぎつぎに古墳が出てくるけど、いやまあ、むざんに開発されまくった前方後円墳まであるんだね。

 ま、なんといっても体当たりで見事なのは岩下志麻の演技なんだけとね。いや、横山リエと、おもいきり端正な草刈正雄の演技も好い。小林芳雄が照明助手、小栗康平が助監督。そういう時代なんだね。

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やさぐれ刑事

2024年04月13日 01時01分00秒 | 邦画1971~1980年

 ◇やさぐれ刑事(1976)

 

 実はこの映画、高校生のときに予告編を見た。それ以来、見たいな~っておもってたんだけど、見たらきっと後悔するだろうなあって不安を抱えてた。

 案の定、そのとおりだった。

 原田芳雄がいなかったら成立しなかった映画なんじゃないかって気もするけど、実は大谷直子の知的な艶めかしさが際立ってる。まあ、やくざの顔役の高橋悦史に誘拐されて強姦されて暴力団のコールガールにされてブルーフィルムにまで出させられるっていう、いかにもな転落をしていくのに大谷直子の色気は申し分ないんだけど、いやまあ、あまりにも定番な筋書きで、ちょっとね。

 ただ、原田芳雄の存在感はもっと出せるはずで、それにはこういうありきたりな物語だと埋没しちゃう気がしないでもない。また、原田芳雄の衣装もそうで、いったい誰が考えるのか、よろしくない。『君よ憤怒の河を渡れ』や『祭りの準備』のような徹底した衣装がいいんだけど、なんだか私服に毛の生えたような衣装は困っちゃう。

 渡辺祐介はこの頃の松竹の代表的な監督なのか、テレビでも映画でもひっぱりだこな印象があるんだけど、テレビ的な印象が拭い去れない。なにも北海道から九州まで自分を裏切った妻とその色を追いかけていくって筋立てにしなくてもよさそうなもので、北海道だけでも十分な物語にできそうな気がする。

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ひとごろし

2022年10月22日 23時33分51秒 | 邦画1971~1980年

 △ひとごろし

 

 高校生のとき、封切りで観た。

 そのときは『初笑いびっくり武士道』と原作が同じだってことはなんとなく知ってたとおもうんだけど、松田優作の映画なんだっていう感覚しかなく、丹波さんは単なる敵役だとおもってた。ところが、観なおしてみると、これがなんだか丹波さんの方が主人公におもえてくる。五十嵐淳子の演技は素人くさいし、松田優作もわかるけれどもわざとらしい。こういう臆病者を演じたいって気持ちはとってもよくわかるんだけどね。

 というより、高橋洋子の役柄がどうにも納得できない。松田優作のたくらみのせいで、宿に泊まれず路頭に迷いかけた丹波さんを泊めてやり話まで聞いてやったかとおもったら、掌の返すように松田優作の道連れになり、丹波さんをひとごろし呼ばわりする。こんなのありか?

 それと、助監督の小林さんの名前がまちがってる。正夫が正雄になってるんだけど、これ、わざとかな?

 さらに、音楽、宙明さんなんだけど、ちょっとこれはな~。いや、ひどいな。

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ホワイト・ラブ -White Love-

2022年03月13日 22時25分17秒 | 邦画1971~1980年

 ▽ホワイト・ラブ -White Love-

 

 皀角坂ていう東京一の勾配の坂が登場するんだけど、いいロケーションだな。マドリードでも、范文雀の住んでるマッサージパーラーの前の道は坂なのね。この映画でおもしろいのは坂道のロケーションだけで、まったく、誰が書いたかどうでもいいけど、人物設定も脚本もひどすぎるんじゃないか?

 それにしも、坂が多いなあ。友和さんのアパートのあるのが石段の途中なんだけど、百恵ちゃんがビキニの白の木綿の下着姿を披露するからホワイトラブなのかしら?

 ま、それはそれで、田中邦衛も岩城浩一も若いな~。つか三浦友和、シャツの前、はだけすぎだよ。

 音楽は、ひどい。百恵ちゃん映画の中じゃ、いちばんつまらないかもしれないね。美容室の娘の役なんだけど、時代を感じる。女ばかりの家で育ったから女が過ぎるかとおもった、あたしそんなかたわじゃないわ、とかっていう台詞にはチェックが入らなかったんだろうか?

 岩城浩一にまた別な坂の下で犯されそうになったあと、あたし、あいつに犯されそうになったんだから、とかっていう台詞もすごいわ。

 

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絶唱

2022年03月10日 22時58分35秒 | 邦画1971~1980年

 ◇絶唱

 

 タイトルのカットは人力車に乗せられた死体の花嫁というのはなかなか凄い。百恵ちゃん、死ぬ役多いな。

 しかし、原作の大江賢次っていう作家のほかの作品は知らないし、実をいうと、原作を読んだことはないんだけど、物語の筋はよく知ってるし、百恵ちゃんの歌は歌えないけど、舟木一夫の歌はよく知ってる。邦画にはこういう古典的なものが残ってて、西河克己も三浦友和もそのあたりの機微がちゃんとわかってたんだろうなあ。

 やっぱり、南野陽子は阿部寛とこの路線を行くべきだったな。

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必殺仕掛人 春雪仕掛針

2021年10月03日 17時14分00秒 | 邦画1971~1980年
◇必殺仕掛人 春雪仕掛針



やけに込み入った話だけど、梅安が昔なじんだ岩下志麻が盗っ人のおじき花澤徳衛に育てられつつ、新手の盗っ人集団の親方になってるわけで、で、用心棒の竜崎勝や子分の夏八木勲や地井武男を仕掛けてゆくんだが、まあそのあたりの出はいりがなんとなく上手に転がってく。

貞永方久、さすがだな。

まるで野良犬みたいに。でも自分で拾った犬ですもの。忘れるわけがありませんわ。わたしってだめなんです。憎い憎いっておもいながらも今ここにその人があらわれたらまたちからになってあげたいなっておもってしまうんです。とかって梅安のなじみの女ひろみどりがいうんだが、ま、これが原作にあるかどうかは知らないけど、男の理想だね。

ちなみに地井ニィに請け出される女郎の相川圭子、いいなあ。ひし美ゆり子と『忘八武士道』に出てて、東映ではひろみどりとよく出てる日活ロマンポルノの準主役級だった女優さんなんだけど、かわいいんだよ、これが。
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日本沈没

2021年08月26日 00時08分33秒 | 邦画1971~1980年

 ◇日本沈没

 

 藤岡弘の同僚としてゲスト出演する小松左京のこの原作だけど、当時、うちの父親の本棚にも入ってた。あんまり本に興味のないぼくだったけど、これはなんとなく開いてた。まあ、無意味にいきなり海岸でまぐあう主人公のふたりの挿し絵を見返していたっていった方がいいかもしれないけど。

 映画でもこの場面はサービスカットになってる。天城山が爆発するのを目撃するだけなら、なにもいしだあゆみが黒のビキニでいる必要もないし、お見合いをしたばかりの藤岡弘の腕の中で「ねえ、抱いて」とかいう、なんとも奔放な台詞をいってしまうんだから、サービス以外のなにものでもない。

 それにしても橋本忍は地球から始まるのが好きなんだな。途中でも、マントル対流の説明があって、これを小松左京は「半熟のゆで卵」と表現するんだけど、当時のぼくにとって衝撃的な台詞は「個体が流れる」という丹波さんの台詞だった。説明するだけの場面なんだけど、当時のSF映画には必須のことだったんだろう。

 しかし、橋本忍にしてはなんというか薄っぺらで中途半端な人間描写な気がしないでもない。群像が多すぎるからかもしれないけど、ちょっと類型的すぎるんじゃないかな。ま、リメイクよりも断然おもしろいのはいうまでもないが。

 おもしろさの重要な因子は、もちろん、役者だ。みんな若くて、張り切ってる。丹波さんも、藤岡弘も、小林桂樹も、いちばん好い顔だった時代だろうなあ。だからいいってわけじゃないけど、なんかみんながみんな切羽詰まった感じを漂わせてるのは演技なのか時代なのかはよくわからない。

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必殺仕掛人 梅安蟻地獄

2021年08月21日 01時42分37秒 | 邦画1971~1980年
◇必殺仕掛人 梅安蟻地獄



タイトルの意味がどうも不似合いな気がしてたんだけど、ようやく合点がいった。ていうか、たぶん、観るたびに『あ、ここか』とおもってたんだろうけど、メモしてないと忘れちゃうわ。

で、どこかといえば梅安の家で、小池朝雄の用心棒どもが、帰宅してくる梅安と林与一をねらってあらかじめ忍び込み、それぞれ持ち場を与えられて身を隠し、待ち伏せする。するとそのとき、いかにもわざとらしく『やつらはまるで蟻地獄に入ったようなものよ』とか嘯くんだけど、これかよ!と。たしかに、小池朝雄が逃げた先を教えて、それでも結局殺されちゃうっていうなんとも間抜けな用心棒は出てくるから大切な見せ場にはちがいないけど。

ところが、これは途中の単なる襲撃で佳境にも至らない。緒形拳が餅投げをしている佐藤慶を仕留めるところも関係なければ、甲府に向かう小池朝雄を林与一が襲撃して滝壺に叩き落とすのはそれからのことだ。

なんだかな~って感じはあるけど、松尾嘉代、この頃からお色気たっぷりだな~。
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