◎日本万国博・Expo'70(1971)
日本万国博(Documentary Film "Japan World Exposition, Osaka 1970)というのが、正式なタイトルなのかどうかよくわからない。
クレジットでは『日本万国博』とだけ、ある。
各国の風物詩のような点描から大阪天理丘陵の整地から始まり太陽の塔の顔がつけられてゆゆく家庭を経て、丁寧な手仕事による仕上げの様子、そして開会時の空撮。堂々とした正攻法の演出は、いかにも谷口千吉。くわえて、金管が鳴らされる間宮芳生の音楽がなんだかやけに好ましい。
石坂浩二のナレーション
「1970年3月14日、アジアで初めて開催された日本万国博覧会の開幕です」
ありきたりだが、のちに編集された『記録映画 日本万国博』のナレーションはもうすこし詳しい。
ほお、香港は独立参加なんだね。
このときしか歌われなかった合唱曲と梵鐘を打つ音色が開会式を盛り立てる中、いやあ、昭和天皇のご祝詞もやけに印象深いし、お祭り広場を起動させるのが名誉総裁の皇太子だっていう演出もさることながら、大阪の小学生のブラスバンドがいちばんに吹奏するのが『君が代行進曲』ってのは凄い。この国、立憲君主国家なんだとあらためておもったわ。
新聞配達人が不要になる電送新聞というのがペルー地震を伝えているんだけど、そうかあ、ファックスは一時代を席巻したけど、令和の今はネットのニュースに取って代わられつつある。時代とはこういうものなんだよね。
しかしそうかあ、ベトナムはパビリオンを出して参加してるけど、この時期はまだ戦争の最中なんだよね。インドシナ半島はまだまだ揺れ動いてて、それでも参加してる。大変だったんじゃないかな。てなことを考えてると、いつのまにか興味を引かれてることに気づく。淡々とした男目線ともおもえるようなドキュメンタリーなんだけど、日本人の見学の仕方もじつに素朴で、柔らかい物腰と礼儀正しさが好ましい。
なんだか人類の進歩と調和ってのはこれくらいがちょうどよかったんじゃないかっておもえてくる。
券売所の慌ただしさは凄まじく算盤片手の販売で、警備所もそれと変わらず、迷子探しにテレビ電話は使われたりするものの、自動化がほとんどなされていない昭和の風景がやけに懐かしい。
人間洗濯機はなんかすごい。チリ館の前にモアイ像が展示されてるんだけど、人間洗濯機の方が注目されてる。
アメリカ館にドジャース32番のサンディー・コーファックスのユニフォームが展示されてる。時代は変わるんだろうなあ。
時代が変わるといえば、タイムカプセルは西暦2000年に開けられたんだろうか?あとひとつ、西暦5000年に開けられるものも埋められたらしい。白いブラジャーとパンティ、眼鏡と入れ歯とかが撮されているのがやっぱり男性目線の時代なんだろうなあ。で、そんな場面に、石坂浩二と竹下景子(ここでようやく登場な気がする)のナレーションがかぶさる。
「だけど、こんなに戦争ばっかりしてて5000年後に人間はいるのかな?」
「でも、案外、言葉も民族もひとつになって平和が来てるかもしれないわよ」
そのあと、最後に子どもたちの朗読がなされる。
「人類がかつてないほど文化を築きつつあるこのとき、わたしたちは皆、ひとしくその恵みを受ける権利がある。お母様はケーキを絶対食べない、痩せるつもりなんですって。ぼくの村の人たちはみんな痩せている、一度でいいからお腹いっぱい食べてみたい。病気になっても心配なし、いつでもお医者さまに来てもらえる。お医者なんて見たことがない。わたしたちは戦争を知らない。今いちばんかっこいい遊びは戦争ごっこ。戦争になったらなにもかもなくなってしまう。戦争になったら僕なんかあっという間に。戦争になったら……。わたしたちの世界は明日どういうことになるか(略)」
最後は、皇太子の閉会の辞のあと『ほたるの光の合唱行進曲』だ。すごいわ。
ただ、ふしぎなのは『日本万国博・再編集版』という動画が存在しているのことだ。
まるきり、ちがう。
冒頭のアジア各地のモノクロームやら、会場建設のモンタージュやらいっさいなく、淡々と開会式、博覧会、閉会式が記録され編集されている。各パビリオンの空撮が、谷口版ではソ連館、アメリカ館の順に編集されてるんだけど、こちらはソ連館のアップはなく、アメリカ館から始まる。また、皇太子夫妻の入場の際も、皇太子殿下ならびに妃殿下がご臨場になりますとかしこまった言い方でナレーションされ、昭和天皇の臨場のときは越天楽が奏される。そういう時代なんだね。
ま、それはそれとして。
「1970年3月14日、人類の進歩と調和をテーマに千里丘陵に開幕した日本万国博覧会。77か国、国連をはじめとする4つの国際機構、1政庁、6州、3都市、それに31の国内企業団体が参加し、会期183日の間に、内外の入場者6421万8770名を数え、万国博史上かつてない記録を残して9月13日、その盛況の内に幕を閉じました。アジアで初めての万国博を日本で開く、大阪府市、大阪商工会議所などが中心となって努力した誘致運動はその実を結んで1965年9月14日、万国博を日本で開催することが決定、その会場に千里丘陵が選ばれました……」
という、なんともアクのないナレーションが続けられてゆく。
たぶん、記録映画ってのは、こういうものなんだろね。
ところが、中には啓蒙的なところもあって、広場に接して作られた展示スペースには、現代社会の持つ危機と矛盾をえぐり人間回復を呼びかける世界セクションとかあって原爆の写真を大きく展示したり、「人間性をとりもどせ」だの「人間はどこへいく」だのと大きな文字を掲げ、こんなアナウンスをしている。「人類は水爆によって太陽を、人工衛星によって月をとらえた、そのちからは巨大だ、だが、それは滅びるためのちからかもしれない、人間を幸福にするための文明は新しい不幸を生み、戦争や紛争、公害が事故、さまざまな矛盾が地に満ちている。国家、民族、宗教、階層などの違いはさまざまな差別と争いを起こしている……」といわしめたりして「調和の世界」を追い求めるように語られている。日本館「日本と日本人」では五つの塔に分かれて歴史や生活について展示がなされてるんだけど、そのひとつの塔の「悲しみの塔」には原爆の様相が京都の綴れによる展示がなされてる。圧倒的な展示だ。それで最後に掲げられるのが「答えよう いま 答えよう 明日のために あなたは すでに問われている 答えよう 自分のことばで」ていう文字パネルで終わるんだけど、いやまあ、なんか警鐘を鳴らしたり、未来を信じてたり、信じてなかったり、いずれにしてもてらい無く真正面から問題に対峙しているところとか、ほんとにまじめな時代だったんだね。ただ、ぼくはこういう展示でよかったような気もするよ。50年で取り返しが付かないくらいめちゃくちゃになっちゃったかもしれないけど。