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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

戦場のメリークリスマス

2013年12月24日 17時08分13秒 | 邦画1981~1990年

 ☆戦場のメリークリスマス(1983年 イギリス、日本 125分)

 英題 Merry Christmas Mr.Lawrence

 staff 原作/ローレンス・ヴァン・デル・ポスト『影さす牢格子』『種子と蒔く者』

     監督/大島渚 脚本/大島渚 ポール・マイヤーズバーグ

     撮影/成島東一郎 美術/戸田重昌 音楽/坂本龍一

     主題歌/デヴィッド・シルヴィアン『Forbidden Colours』

 cast デヴィッド・ボウイ トム・コンティ 坂本龍一 北野武 ジャック・トンプソン

 

 ☆昭和21年9月11日、森正男処刑

 兵庫出身、森正男陸軍曹長33歳。

 北野武演じるところのモデルになった人だ。

 ジャワ俘虜収容所第1分所・派遣第3分遣所虐待事件について起訴され、

 イギリス管轄のシンガポールにおいて裁判の後、絞首刑になった。

 連座6名で、

 阿南三蘇男中佐、森正男曹長、川井吉次曹長、

 植田忠雄大尉、倉島秀一大尉、島田蔵之助大尉が全員、処刑された。

 事件の全容について、その真実がどのようなものだったのかはわからない。

 けど、

 少なくとも、この映画の原作者ローレンス・ヴァン・デル・ポストは、

 かれらと接触していただろうし、森正男とはそれなりに親密な仲だったんだろう。

 それと、全員の遺書を読むかぎり、

 かれらは、絞首刑に対する恐怖もあっただろうけれども、

 一所懸命に耐え、家族と祖国への愛惜だけを伝えている。

 阿南三蘇男の絶筆は「有色人種の為に立て」というものなんだけど、

 おそらく、かれらはかれらなりに大東亜共栄圏の理想を追い求めてたんだろう。

 戦争ってやつは、人間を狂気に駆り立てるし、

 戦後、かならずといっていいほど、俘虜収容所での虐待が問題視される。

 でもさ、フィリピンで、死の行進とかって後に呼ばれた移動のときだって、

 飢餓状態になってる米軍の兵士を憐れみ、牛蒡を食べさせたら、

「木の根を食べろと強制された、これは虐待だ」

 と起訴され、処刑されたとかって話もあるくらいで、

 戦場っていう異常な場所で起きたことは何が真実なのかよくわからない。

 大島渚は、そうした常軌を逸した時代と場所を背景にして、

 男同士の恋愛感情を漂わせながら、ふしぎな青春物語を撮り上げた。

 いや、たいした映画だった。

 とはいえ、いまさら、この作品のあらすじや挿話とかを書いても仕方ない。

 ぼくは、これまでにかなりの数の映画を観てきたけど、

 溝口健二の『雨月物語』と『山椒大夫』と『近松物語』、木下恵介の『二十四の瞳』、

 黒澤明の『赤ひげ』と『七人の侍』と『隠し砦の三悪人』と『白痴』と『天国と地獄』、

 同黒澤の『羅生門』と『用心棒』と『椿三十郎』と『野良犬』と『影武者』と『生きる』、

 森谷司郎の『八甲田山』と『海峡』と『聖職の碑』、渡辺邦彦の『アモーレの鐘』、

 市川崑の『犬神家の一族』と『細雪』、野村芳太郎の『砂の器』と『八つ墓村』、

 稲垣浩の『無法松の一生』と『風林火山』、熊井啓の『千利休・本覚坊遺文』、

 小津安二郎の『東京物語』と『晩春』と『麦秋』、山下耕作の『戒厳令の夜』、

 小林正樹の『切腹』と『上意討ち』、岡本喜八の『日本のいちばん長い日』、

 黒木和雄の『祭りの準備』、斎藤耕一の『約束』と『渚の白い家』、

 鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』、河瀬直美の『萌の朱雀』、

 山本薩夫の『戦争と人間』、高林陽一の『本陣殺人事件』、

 山田洋次の『故郷』と『同胞』と『幸福の黄色いハンカチ』、

 内田吐夢の『飢餓海峡』、工藤栄一の『十三人の刺客』、

 川島雄三の『幕末太陽伝』、成瀬巳喜男の『浮雲』、

 増村保造の『遊び』、大島渚の『愛のコリーダ』、

 そしてこの戦メリを含めた50本に、かなり影響を受けた。

 もちろん、今あげた他にも影響を受けたものはあるし、

 それを並べたら、ベスト100とかになるのかもしれないけど、

 98本しかなかった、とかってことになったら困るから、50本にしとく。

 そんなことはともかく、戦メリだ。

 戦メリは渋谷東映の地下で観たとおもうんだけど、

 ぼくにしてはめずらしく、3回くらい観に行き、

 サントラとそのピアノバージョンまで購入するという入れ込みようで、

 もしかしたら、これ以後の日本映画は変わるんじゃないかとまでおもった。

 でも、全然、変わんなかった。

 なにがどう変わんなかったについては、ここで書かないけど、

 まあ、そういうふうに昂揚させてくれたってことにおいては、

 この戦メリは忘れ難い1本なんだよね~。

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大洗にも星はふるなり

2013年12月23日 14時41分10秒 | 邦画2009年

 △大洗にも星はふるなり(2009年 日本 103分)

 staff 原案舞台/ブラボー・カンパニー『大洗にも星はふるなり』

     監督・脚本/福田雄一 撮影監督/中山光一

     撮影/高野稔弘 美術/小泉博康 ヘアメイク/池田真希

     タイトルバック/本郷信明 主題歌/メロライド『ココニアル』

     オープニングテーマ/スケルト・エイト・バンビーノ『I'll be waiting』

     劇中歌/Mountain Mocha Kilimanjaro+Nello『Just A Rambiling Man』

 cast 山田孝之 戸田恵梨香 山本裕典 ムロツヨシ 佐藤二朗 安田顕 小柳友 白石隼也

 

 △クリスマスイヴってなんだろ?

 日本だけがこんなことになってるんだろか?

 こんなことってのは、要するに惚れた腫れたっていう話だが、

「メリークリスマス」

 とかいって乾杯したり贈り物したりご馳走食べたりエッチしたり、

 幸せだな~っておもう恋人や家族がいる一方で、

 不幸せさを噛み締めてる孤独な者もいたりするし、

 さらに「そんなもん、どーでもええわ」とおもってる奴もいる。

 人は、それぞれだ。

 ところが、この映画は登場人物のベクトルがおんなじで、

 ただひたすら戸田恵梨香のことを好きな連中が大洗に呼び出される。

 もちろん、勘違いしてるわけなんだけど、それぞれに個性はあるものの、

 結局のところ、戸田恵梨香に翻弄されてる哀れな男どもでしかない。

 さらには、クリスマスイブの海の家に呼び出したのは、

 戸田恵梨香じゃないっていう最初からわかりきってる話に展開するんだけど、

 とにもかくにも、舞台が元になってるものだから、台詞がめったやたらに長い。

 さらにいえば、映画的な手法は取らずに、

 ひたすら舞台を思い出させる感じの固定キャメラと長回しで進んでく。

 好い悪いはこれもまた人それぞれだけど、

 舞台的な撮り方をしてるものだからか、大仰な芝居で包まれてるのには、

 いや、たしかにみんな一所懸命だし、

 練習も積んできたんだろうな~って感じは、

 ひしひしと伝わってはくるんだけど、

 ちょっとだけ「ん?」っておもわざるをえない。

 だって、

 舞台を元にしてても映画は映画なんだから映画的な撮り方でいいし、

 芝居も同じことだ。

 舞台を映画にするのであれば、舞台そのものを撮ってもいいんだし、

 そういうことからいうと、

 なんだか映画なのか舞台なのか微妙な感じもあって、

 どっちつかずな印象をちょっとだけ持っちゃったかな~って感じだ。

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パットン大戦車軍団

2013年12月22日 19時21分50秒 | 洋画1961~1970年

 ◇パットン大戦車軍団(1970年 アメリカ 170分)

 原題 Patton

 staff 原作/ラディスラス・ファラーゴ『Patton』

     監督/フランクリン・J・シャフナー

     脚本/フランシス・フォード・コッポラ エドマンド・H・ノース

     撮影/フレッド・J・コーネカンプ 特撮/アート・クルックシャンク

     特殊効果/L・B・アボット 視覚効果/アレックス・ウェルドン

     美術/ウーリー・マクレアリー ジル・パロンド

     軍事監修/オマル・ブラッドレー 音楽/ジェリー・ゴールドスミス

 cast ジョージ・C・スコット カール・マルデン カール・マイケル・フォーグラー

 

 ◇大胆不敵であれ!Be audacious!

 1944年6月5日、ノルマンディー上陸作戦を前にして、

 パットンは、とてつもなく暴力的な演説をした。

 映画の冒頭にあるのがそれで、

 星条旗を背にして登壇するパットンの姿が、すべてを語っている。

 この場面はそのままポスターにもなってるけど、

 あまりにも有名すぎて、パットンといえばこの絵だ。

 ていうか、

 パットンといえば、ジョージ・C・スコットというくらい、役に嵌まりすぎてた。

 史上最高の演技のひとつっていわれるのは、無理もない。

 実はこの作品の続きにあたるテレビ映画があって、

『パットン将軍最後の日々』

 っていうんだけど、これも146分あるから、合わせて観ると316分、

 つまり、5時間16分の超大作になっちゃう。

 ジョージ・C・スコットがパットンそのものに見えてきちゃうから困りものだ。

 まるで、栗塚旭が土方歳三に見えてくるようなものだよね。

 ま、それは余談だけど、

 この作品、上手にできている。

 さすがはフランシス・フォード・コッポラというべきで、

 いっておくけど、大戦車軍団うんぬんっていう映画じゃない。

 パットンという、

 あまりにも言葉と態度が暴力的な、しかし愛すべき武断派の半生が、

 いろんな挿話をまじえて語られている。

 北アフリカ、シチリア、ノルマンディなどの戦線、野戦病院、そしてバルジ作戦と、

 伝記映画としてはたしかに派手な作りではあるけれど、

 獰猛な野獣のような戦争狂とまで陰口を叩かれる、

 軍人の中の軍人ってのはいったいどんな人間なんだ、

 ってことを、ぐいぐい見せてくれたことはたしかだ。

 ただ同時に、

 人間はどれだけ才能があっても言葉や態度がその才能を潰してしまうか、

 あるいは対人関係に齟齬をきたしてしまうことが多々あるという、

 なんとも痛烈な戒めもまた感じるよね。

 どこまでも誇り高く生きようとすれば、それはときに敵を生み、嫌われる。

 我慢を知らない人間はたしかに正直ではあるけれど、やはり損な人生になる。

 人間関係というのは、ほんとに難しい。

 そんなことを、この映画はパットンという鮮烈な軍人の半生によって、

 多角的に教えてくれているような気がするんだわ。

 そういうところが、

 他の戦争映画とは一線を画すところなんだろね。 

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はやぶさ HAYABUSA

2013年12月21日 02時20分39秒 | 邦画2011年

 ◇はやぶさ HAYABUSA(2011年 日本 140分)

 staff 監督/堤幸彦 脚本/白崎博史 井上潔 撮影/唐沢悟

     美術/相馬直樹 装飾/田中宏 衣装デザイン/清藤美香 音楽/長谷部徹

 cast 竹内結子 西田敏行 高嶋政宏 佐野史郎 山本耕史 生瀬勝久 鶴見辰吾 筧利夫

 

 ◇竹内結子の役は創作?

 映画というのはどうしたところで監督の作品だから、

 たとえ「はやぶさ」を扱っていたところで、その内容は監督の世界だ。

 たしかに、はやぶさは偉業を達成した。

 日本中が沸き、次々に映画が作られた。

 はやぶさが好きな人はどれも観ただろうけど、

 そこまではやぶさに肩入れしていないぼくは、ようやく1本、観た。

 で、おもったんだけど、

 ここまで日本を沸かせたものに関しては、

 監督の世界を追うのは難しいんじゃないかと。

 なぜかっていえば、

 こと、このはやぶさを取り扱った映画についていえば、

 観客が、ていうか、ぼくが期待しているのは、はやぶさそのものだ。

 はやぶさがどのようにして作られ、打ち上げられ、危機を回避し、

 そしてどのような作業をした上で、帰還したのかという地味で派手な内容だ。

 あと、もしもあるとしたら、はやぶさと共にあったJAXAの人々の日々だろう。

 もちろん、それはとっても専門的なことで、素人にはとてもじゃないけど難しい。

 だから、それぞれの映画は苦労したんだろうし、狂言回しを必要とした。

 で、気になったのが、メガネっ子の竹内結子だ。

 ほかの登場人物はそれぞれJAXAとかにモデルがいるような感じだけど、

 竹内結子はどうなんだろう?

 創作なら創作でかまわないし、もしもモデルがいたなら、

 せめてラストに顔写真の対比をしてくれるとよかったとおもわないでもない。

 ただ、この作品に関していえば、

 もしも創作の人物であれば、

 その生活や心情を語られても、ぼくはあんまり嬉しくない。

 映画の登場人物は、なにも美人でなくてもいいし、カッコよくなくてもいい。

 物語はそれに似合った登場人物が必要なので、

 なにも名前のある役者が出ていなくたって、現実味があればいい。

 そう、ぼくはおもっているものだから、ことにはやぶさみたいなものを扱ったときは、

 なおさら、そうおもっちゃうんだよね。

 かつて、黒澤明が『トラトラトラ』を監督し、志なかばで中断したとき、

 登場人物の多くに素人を起用した。

 そういうことがあってもよかったんじゃないかっておもうんだけど、

 やっぱり、役者のドラマがないと興行的に無理なんだろね。

 なんだか、辛いな。 

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REDリターンズ

2013年12月20日 23時54分14秒 | 洋画2013年

 ◇REDリターンズ(2013年 アメリカ 116分)

 原題 RED 2

 staff 監督/ディーン・パリソット 脚本/ジョン・ホーバー エリック・ホーバー

     キャラクター創造・原案/ウォーレン・エリス カリー・ハムナー

     撮影/エンリケ・シャディアック 美術/ジム・クレイ

     衣裳デザイン/ベアトリス・アルナ・パスツォール

     SFX/VFX監修/ジェームズ・マディガン 音楽/アラン・シルヴェストリ

 cast ブルース・ウィリス ジョン・マルコヴィッチ アンソニー・ホプキンス

     ヘレン・ミレン キャサリン・ゼタ=ジョーンズ イ・ビョンホン

 

 ◇メアリー=ルイーズ・パーカーが、ノッてる

 続編というのはたいがいそういうものだけど、

 なにより主人公たちの説明をしなくて済むのが楽だ。

 いきなり事件が展開させられる。

 ま、今回は、

 ヘレン・ミレンは『クイーン』のエリザベス女王を、

 アンソニー・ホプキンスは『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターを、

 それぞれパロディにし、それを愉しんでるところもあったりして、

 アクション・コメディはしかめっ面しないで愉しむしかないわね。

 ただ、なんだか、世界の平和をしょって立ってしまうのが、

 あまりにも短絡的な感じがしないでもないし、

 大御所を並べると、どうしても見せ場を順番に作らなくちゃいけないのが、

 なんだかちょっぴり、ハリウッドも辛いんだな~とおもわざるを得ない。

 そういう中で、ほんとに愉しんでるように見えるのが、

 メアリー=ルイーズ・パーカーだ。

 ブルース・ウィリスの恋人だから事件についていくっていうだけではなく、

 拳銃大好き女の子だから事件に巻き込まれたくて仕方ないっていうのがいい。

 たしかに、

 自分の好きな男が、

 キャサリン・ゼタ=ジョーンズみたいなお色気たっぷりお姉さんに気がありそうなら、

 当然、やきもちを焼くし、その嫉妬が行動力のみなもとになるのはわかるけど、

 拳銃をぶっぱなしたい、とか、カーアクションをやってたいとかいう衝動が、

 彼女を突き動かしているのだという設定は、好い。

 だから、

 次の任務があるといって、

 ラテンの某国で拳銃をぶっぱなすおまけが生きてくるんだけどね。

 

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あなたになら言える秘密のこと

2013年12月19日 13時02分20秒 | 洋画2005年

 ☆あなたになら言える秘密のこと(2005年 スペイン 114分)

 原題 La Vida Secreta De Las Palabras

 英題 The Secret Life of Words

 staff 監督・脚本/イザベル・コイシェ 撮影/ジャン=クロード・ラリュー

     美術/ピエール=フランソワ・リンボッシュ 衣装デザイン/タチアナ・ヘルナンデス

     挿入歌/アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズ『Hope There's Someone』

 cast サラ・ポーリー ティム・ロビンス ハヴィエル・カマラ エディ・マーサン

 

 ◎私はもう遠くにいて、多分戻ってこない

 ボスニア紛争にかぎらず、

 世界のどこのどんな戦争でも、それが終わって何年も経っていくと、

 どんどんその記憶は薄れ始め、やがてとっても遠いものになっちゃう。

 でも、戦争の直接間接を問わず、犠牲を強いられた身にとってみれば、

 死ぬまで忘れることのできない凄惨な記憶として残り続ける。

 民族浄化作戦が、そのひとつだ。

 人類の歴史上、民族浄化というのは、絶対に許しちゃいけないものだろう。

 ボスニア・ヘルツェゴヴィナはその陰惨な歴史を背負ってしまった。

 映画の中で、その体験は「秘密」として語られる。

 たとえば、

 相手の兵士に銃をつきつけられ母親が、

 自分の娘の性器に銃口を挿入するよう強制され、

 さらに発砲しろと命ぜられる。

 これで孫の顔を見ることはできなくなるなという兵士の言葉は、

 人間が絶対に口にしてはいけないことだし、

 さらに片方の耳が暴力によって聞こえなくされてしまったヒロイン、

 サラ・ポーリー演じるところの元看護婦は、

 何十人にも兵士に日々繰り返しレイプされ続け、

 そのたびに胸をナイフで切られ、そこに塩を塗りつけられる暴行を受け続けた。

 この秘密をいえるまでになる過程が、映画の前半だ。

 サラ・ポーリーは、

 海底油田の掘削所における火事で被害を受けた職員の手当をし、

 その怪我人ティム・ロビンスとその同僚たちと一か月過ごすことで、

 徐々に心を開き、ティム・ロビンスだけに秘密を打ち明けるんだけど、

 ふたりの間に恋が生まれているから、余計に痛々しい。

 むろん、ティム・ロビンスは、

 陸に上がったあと、なにもいわずに去ってしまったサラ・ポーリーを見つけようとし、

 やがて彼女のもとまで辿りつくことにはなるんだけれど、

 その前に、

 ボスニア紛争で心に拭い切れない傷を負わされた女性たちのカウンセラーを訪ね、

 彼女たちの証言したテープをつきつけられる。

 つまりは、こういう意味だ。

「ここに、彼女がいる。このテープを見る勇気と責任が、あなたにあるか。

 彼女の心の傷は生涯消えない。その傷をともに背負っていけるのか」

 大変なことだ。

 一緒に暮らせば、その過去は現在の現実となって、ふたりに生涯ついてまわる。

 ティム・ロビンスの決断は、重い。

 映画の中で、少女のモノローグがある。

 それはおそらくボスニア時代の彼女にちがいない。

 悲劇を体験した少女の時はそこで止まり、

 看護婦であった自分、工場で働いていた自分、

 さらに油田掘削所に派遣された当初の自分は、みんな、少女だ。

 少女であった自分が、何年経っても自分のすぐ横にいて、囁き続けてきた。

 けれど、ティム・ロビンスとたぶん結婚して暮らすにようになったんだろう。

 だから、モノローグはこういうんだ。

「私はもう遠くにいて、多分戻ってこない」

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旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ

2013年12月18日 14時34分11秒 | 邦画2009年

 ◎旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ(2009年 日本 112分)

 staff 監督/マキノ雅彦(津川雅彦) 脚本/興水泰弘

     原案/小菅正夫『旭山動物園 革命-夢を実現した復活プロジェクト』

     撮影監督/加藤雄大 動物撮影/今津秀邦

     動物実景/植原雄太(秋田市大森山動物園、アフリカゾウ)

             進藤慧太(日立市かみね動物園、ゴリラ)

     美術/小澤秀高 壁画/あべ弘士

     ゴリラスーツ製作/江川悦子 梅沢壮一 チンパンジー造形/若狭新一

     音楽/宇崎竜童 中西長谷雄 主題歌/谷村新司『夢になりたい』

 cast 西田敏行 中村靖日 前田愛 笹野高史 長門裕之 岸部一徳 柄本明 六平直政

 

 ◎1967年7月1日、旭川市旭山動物園、開園

 動物園って、もう何年行ってないんだろう?

 ぼくの田舎には丘の上に公園があって、その一角に動物の檻がいくつかある。

 鹿の柵、猿の檻、水鳥を含めた鳥類の檻、その他小動物の檻が5つくらいかな。

 ともかく、動物園とはいえない代物なんだけど、もう半世紀以上も飼育されてる。

 昔から疑問があって、

 あの施設はいったい誰が管理してるんだろうってことだ。

 以前は、檻の近くの展望台の下に売店があって、そこで食べ物も買えた。

 いったい誰が営業してたのかわからないんだけど、

 市の委託を受けた家族とかが管理営業していたんだろうか。

 もうこれは何十年来の謎で、

 小さいときからよく遊びにいった公園に、こんな謎が残されてるのも妙な話だ。

 いや、実際のところ、春の桜の季節のほかには誰も来なくなった公園に、

 いまだに鹿や猿が飼育されているのかどうかすら市民は知らないだろうし、

 閑散とした公園の端にある動物の檻の前で、動物を観ることほど淋しいものはない。

 まあ、これは車で1時間も行けば名古屋の東山動植物園があるからで、

 全国で3本の指に入る巨大な施設にあれば、みんな、そこに行っちゃう。

 なんだか淋しい話だけど、そういうもんだ。

 で、おそらく、

 旭山動物園も、ある時期にはぼくの田舎の公園みたいになってたんじゃない?

 というようなことをおもったんだけど、どうやら違うらしい。

 今では東山動植物園と全国2位を争う巨大施設は、

 当初からかなりの期待を込めて建設されたものみたいだ。

 そりゃそうだろう、北緯43度46分4.9秒、東経142度28分47.2秒っていう、

 日本のいちばん北にある動物園を作ろうってんだから、期待しない方がおかしい。

 けど、人口30万の旭川市では維持しきれないほどの赤字に追い込まれた。

 この映画は、開園のくだりはなく、廃園の危機に追い込まれたあたりから始まる。

 ま、あらすじのあらかたは、実際の年譜にあるとおりだ。

『1972年、飼育員がアジアゾウに襲われ死亡する。あべ弘士、入園。

 1988年、飼育員達が行動展示の夢を語り合い、あべ弘士が絵として残す。

 1994年、ニシローランドゴリラとワオキツネザルがエキノコックス症で死亡、途中閉園。

 1995年、小菅正夫が園長就任。

 1996年、1984年から減少していた年間入園者数が最低の26万人まで落ち込む。

 1997年、行動展示施設の建設開始。ととりの村が完成。あべ弘士、退園して絵本作家に。

 2000年9月、ぺんぎん館が完成。

 2001年8月、オランウータンの空中運動場が完成。

 2002年9月、ほっきょくぐま館が完成。

 2004年6月、あざらし館が完成。行動展示をめざした水槽が入園者数激増の要因となる。

 2004年7月・8月、初めて月間入園者数が恩賜上野動物園を抜き日本一になる。

 2007年12月、レッサーパンダの吊り橋が完成。

 2009年4月、坂東元が園長就任』

 時系列的にはこうなってるんだけど、

 これらをたった数年の時間軸に組み込んでるわけだから、

 当然、エピソードは盛り沢山になるよね。

 くわえて狂言回しになる新人の飼育員と、

 市政とのカットバックをスムーズにするための市長の姪とを設定し、

 そのふたりのほのかなやりとりから、

 新人飼育員の幼少時の虐めによる昆虫採集への逃避とそこからの再生について、

 さらには、実際には行われていない市長選挙による市長の交代劇まで、

 もう、これでもかってくらいに、詰め込まれてる。

 さすが「マキノ」というべきなのか、ともかく、よく物語になってるってくらい上手だ。

 まあ、それについては達者な役者たちの演技もあるんだろうけどね。

 なにより拍手したいのは、監督の実兄長門裕之の演技だ。

 晩年はどうしても大物の役が多く、動かない役回りだったのが、

 この映画ではおもいきり爆ぜてる。

 弟がマキノを名乗って監督しているし、

 恥ずかしい演技はできないっておもったんだろうね。

 飛び回り、叫び回り、哀愁を籠め、頑固に振る舞い、照れてみせる。

 長門裕之の演技の集大成になってるっていってもいいくらいだ。

 そういうことでいえば、出演者はびっくりするくらい豪華なんだけど、

 映画となればこの役者とかっていう人達が出てきてないのがまた好ましい。

 ただ、なににも増して好いのは、動物の撮影だ。

 実景班は、役者の撮影に入る半年も前からカメラを回してるみたいで、

 まあ、そうでなくちゃ、

 象の交尾とか、象の雪だるま投げとか、ゴリラのドラミングとか、撮れないよね。

 西田敏行が退職して去っていくとき、動物たちはいっせいに鳴き、

 ペンギンにいたっては「おつかれさまでした」といってでもいるように頭を下げる。

 もう、凄い。

 一般の映画の実働日数では絶対に撮れない映像だった。

 ちなみに、ぼくは動物が好きだ。

 小学校の頃、動物のフィギュアを集めることに没頭してた。

 集めていたのはイギリスのブリテン社のもので、

 まがいものの香港製品とかとは比べ物にならないくらい精巧なフィギュアだった。

 その後、アメリカのサファリ社やドイツのシュライヒ社とかが隆盛を極めて、

 ブリテン社はなくなってしまったんだけど、

 ぼくにはどうも顔が妙に愛らしくなってしまったサファリやシュライヒは苦手で、

 母親の買い物について名古屋へ行くたびに、ブリテンの動物を買ってもらった。

 何百体になったのかわからないけど、いまでも200体くらいはあるんじゃないかしら。

 当時、動物フィギュアは名古屋でも松坂屋でしか取り扱ってなくて、

 それも、ほんのちょっとショーウィンドウの中に陳列されてるだけで、

 象やキリンやライオンやゴリラはいつもあるんだけど、

 カモノハシやオカピやチンパンジーはめったに入ってこなかった。

 もっとも、いまでは、フランスのパポ社もくわわり、

 Schleich(シュライヒ)、PAPO(パポ)、Safari(サファリ)といって三つ巴の競争で、

 どこも大量の種類を出して、どんどん精巧になってる。

 動物園の売店とかに行っても、見かけるようになったのは、

 20年くらい前だったような気がするけど、ともかくその頃からフィギュアは変わった。

 そんなぼくにとって、旭山動物園の話はなんとなく身近な感じがして、

 ついつい見方も肩入れしたものになっちゃう傾向にはある。

 ま、仕方ないよね。

 ただな~、こういう映画を観ると、

 どうしても、また、フィギュアを集めたくなっちゃうし、旭川にも名古屋にも行きたくなる。

 でも、そんな予算も時間もないから、

 とりあえずは、恩賜上野動物園にでも行ってみようか。

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マーシャルの奇跡

2013年12月17日 12時12分53秒 | 洋画2006年

 ◇マーシャルの奇跡(2006年 アメリカ 131分)

 原題 We Are Marshall

 staff 監督/マックG 製作/マックG ベイジル・イヴァニク

     原案/ジェイミー・リンデン コーリー・ヘルムズ

     脚本/ジェイミー・リンデン 撮影/シェーン・ハールバット

     美術/トム・マイヤー 衣装デザイン/ダニー・グリッカー

     音楽/クリストフ・ベック 挿入曲/ニール・ダイアモンド 『Cracklin' Rosie』

 cast マシュー・マコノヒー マシュー・フォックス イアン・マクシェーン ケイト・マーラ

 

 ◇Southern Airways Flight 932

 1977年4月4日、ジョージア州ニューホープで航空機の事故が起こった。

 アラバマ州ハンツビル発ジョージア州アトランタ行のサザン航空242便が、

 突然の暴風雨と巨大な雹によってエンジン停止の状態となり、

 ニューホープの高速道路への緊急着陸を余儀なくされ、

 タッチダウンはうまくいったものの、電柱や道路標識にひっかかり、

 大きくバウンドして付近のガソリンスタンドや店舗に衝突、炎上した。

 この事故による犠牲者は最初72名だったんだけど、まもなく増えた。

 その中に、マーシャル大学のアメフト部75名がいた。

 マーシャルは全米有数の強豪チームで、このときも遠征の帰り道だった。

 チームは解散の危機に見舞われたんだけど、

 この復活をかけて町中が応援する態勢をとり、

 他大学でコーチを務めてたジャック・レンゲルがやってきて、

 見事に再生を遂げるという、まさに奇跡のような実話がこれだ。

 もちろん、寄せ集めのチームだから、

 全米の強豪に返り咲くまでにはいたらないものの、

 チームのあるハンティントンの市民たちの、

 喪失からの再生という主題はちゃんと描かれてる。

 アメリカ人の大好きな主題といってよく、

 ぼくもこうした主題は好きだ。

 でも、

 日本の観客層はこういう映画は好みじゃないのかもしれず、

 もちろん、

 絵作りや配役などの興行面を考慮した問題があったかもしれないけど、

 劇場で公開されなかったことだ。

 こういうところが、この国は辛いんだよな~。

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浮雲

2013年12月16日 14時22分13秒 | 邦画1951~1960年

 ◇浮雲(1955年 日本 123分)

 英題 Floating Clouds

 仏題 Nuages Flottants

 staff 原作/林芙美子『浮雲』

     監督/成瀬巳喜男 脚色/水木洋子 撮影/玉井正夫

     美術/中古智 音楽/斎藤一郎 監督助手/岡本喜八

 cast 高峰秀子 森雅之 中北千枝子 金子信雄 山形勲 岡田茉莉子 加東大介

 

 ◇破れ鍋に綴じ蓋

 当時のポスターに書かれた惹句を見れば、

「漂泊(さすらい)の涯てなき

 恋の旅路の歌か

 あわれ女の情炎図」

 とある。

 いや、凄い。

 男と女というのは、

 南方の雨季のように隠々滅々とした腐れ縁で結ばれてるってことを、

 情け容赦なく突きつけてくる。

 出会いの場が、農林省の仏印出張所というのがなんともいい。

 異国情緒の中で、農林省の技師とタイピストの恋愛というのは、

 なんだか夢を見ているようなふんわりした印象があるのと同時に、

 南洋のむせかえるような風土の中で汗がぐっしょりするような印象もまたある。

 これがふたりの未来を予測しているのが、なんともいえない。

 森雅之はどうしようもない自堕落な男を演じ、

 高峰秀子はこれまたどうしようもなく男に流されてしまう女を演じる。

 このふたりが付かず離れず、

 おたがいに不倫し、情夫と絡み、さらにまた不義不貞を重ね、義兄に囲われながらも、

 結局、破れ鍋に綴じ蓋のことわざどおり、

 屋久島の濃密な大気の中で死化粧をほどこしてやるまで密着し続ける。

 いや~これほど陰気くさくて根暗で、じとじとに濡れる映画があるだろうか。

 雨と湿気が、この作品を支配してる。

 濡れるという語句が、そのまま内外かまわず空間と男女を包み込んでる。

 成瀬巳喜男によれば「このふたりが別れられないのは体の相性のせいだ」という。

 えてして、男女の仲というのは、そういうものだろう。

 なによりも大切なものは体の相性で、

 こればかりは体験した者でないとわからない。

 どんなに聡明で、直感と洞察と理解と応用に長けた人間だろうと、

 男と女の抜き差しならない関係を味わい、

 体の相性を実感しないかぎりわからない。

 たぶん、

 林芙美子も成瀬巳喜男も、そうした人間のひとりだったんだろう。

 人間として生まれてきて、

 そういう男女の腐れ縁を体験しないまま死ぬのはなんとも哀れな気もするけど、

 こればかりは出会いがないかぎり、ひとりじゃどうしようもないことだしね。

 ただ、

 この成熟した映画が当時の日本では絶賛されながらも、

 いまではほとんど顧みられず、そのかわりフランスとかで評判になるのは、

 ほんと、よくわかる。

 おとなになろうぜ、みんな。

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悪の法則

2013年12月15日 16時16分07秒 | 洋画2013年

 ◇悪の法則(2013年 アメリカ 118分)

 原題 The Counselor

 staff 監督/リドリー・スコット 脚本/コーマック・マッカーシー

     製作/リドリー・スコット ニック・ウェクスラー

         ポーラ・メイ・シュワルツ スティーヴ・シュワルツ

     製作総指揮/マイケル・コスティガン マーク・ハッファム

              コーマック・マッカーシー マイケル・シェイファー

     撮影/ダリウス・ウォルスキー 美術/アーサー・マックス

     衣裳デザイン/ジャンティ・イェーツ

     衣裳/エンポリオ・アルマーニ(マイケル・ファスベンダー)

         ジョルジオ・アルマーニ(ペネロペ・クルス)

         ポーラ・トーマス(キャメロン・ディアス)

         ヴェルサーチ(ハビエル・バルデム)

     音楽/ダニエル・ペンバートン

 cast マイケル・ファスベンダー ペネロペ・クルス キャメロン・ディアス

     ハビエル・バルデム ブラッド・ピット ブルーノ・ガンツ ナタリー・ドーマー

     ジョン・レグイザモ(カメオ出演)

 

 ◇ニーチェか

「深淵を覗き込む者は深淵もまたこちらを覗き込んでいる事を忘れてはならない。

 怪物と戦う者はその過程において自分が怪物にならないよう気をつけねばならない」

 とはいえ、

 この映画の主役たちは皆、怪物になりきれずに深淵に呑み込まれてしまうのね。

 けど、そんな哲学的な話だとはおもえず、迫力ばかりが押し出されてた。

 ちなみに、

 舞台になってるアメリカとメキシコの国境の町、

 シウダー・フアレス(エル・パソ・デル・ノルテ)はやばい。

 世界で2番目に危険な町(1番目はホンジュラスのサン・ペドロ・スーラ)だからだ。

 いやまったくそのとおりの展開で、

 バキュームカーがいまだにがんがん現役なのも、

 それだけ下水道が完備されていないってことで、

 麻薬も汚水も一緒くたというのが、善も悪も一緒くたってことの象徴なんだろね。

 男はほんとにアホで、

 愛人のためなら犯罪も犯して、

 3・9カラットの黄色がかったHランクのダイヤモンドを買ってやったりする。

 2000万ドルの儲けを4人で分配すれば、ひとり500万ドル。

 巨額だ。

 ダイヤを買ったところで、一生遊んで暮らせるのはいいけど、

 うんこと一緒に流れていっちゃったお金の変わりに命を奪われてゆくさまは、

 なんともいえず、後味が悪すぎる。

 なによりこの難解さと、

 怪物に追われる者たちの一方的な逃走と戦慄、そして敗北感。

 観終わったときよりも、

 しばらくしてからの方がより映画の世界が見えてくるのは、

 それだけ、ぼくに直観力と洞察力が欠けているからなんだろな~。

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太陽がいっぱい

2013年12月14日 13時29分14秒 | 洋画1951~1960年

 ◎太陽がいっぱい(1960年 フランス、イタリア 118分)

 原題 Plein Soleil

 staff 原作/パトリシア・ハイスミス『才人リプレイ君』

     監督/ルネ・クレマン 脚本/ルネ・クレマン ポール・ジェゴフ

     撮影/アンリ・ドカエ 美術/ポール・ベルトラン 音楽/ニーノ・ロータ

 cast アラン・ドロン マリー・ラフォレ モーリス・ロネ エルヴィール・ポペスコ

 カメオ出演 ロミー・シュナイダー ポール・ミュラー

 

 ◎漁村モンジベロからナポリへ

 まあ『危険がいっぱい』も観たことだし、

 ルネ・クレマンとアラン・ドロンとくれば、いっぱいシリーズの1も観ないとね。

 たぶん、生まれて初めて観たサスペンスだとおもうんだけど、

 たしかなことはわからない。

 でも、子供心に、

 ラストシーンの余韻たっぷりの怖さと悲しさはよくわかった。

 映画は省略と余韻の芸術で、

 映像で語っていない部分をどれだけ想像させられるかってところが、

 その監督の才能だとおもうんだよね。

 でも、この頃の映画を観てると、そんな奥ゆかしさやお洒落さはまるでなく、

 なんでもかんでもありったけ見せちゃえっていうより、

 小説でいえば、行間を読ませる、ていうところがないんだよな~。

 その点、この映画のラストシーンは凄すぎる。

 まあ、筋立てについてはいまさら書き留めておく必要もないし、

 マリー・ラフォレの美しさについても同様だ。

 淀川長治が「これはホモの後追い」だといったそうだけど、

 そりゃたしかにアラン・ドロンとモーリス・ロネの関係は、

 ホモを疑われても仕方のない意地悪さがあるけど、

 それをおもうと、マリー・ラフォレはどういう立場になるんだろう?

 たしかに、アラン・ドロンは彼女のことを愛してはいなかったろうし、

 彼女を間においた三角関係が生じていたとはおもいにくい。

 ただ、貧乏人の若いチンピラが、金持ちのどら息子にこき使われる内に、

 お金が欲しいというより、

 どら息子の存在そのものに嫉妬し、殺意を抱くというのは、よくわかる。

 アラン・ドロンの殺意は、自分のプライドを涙ながらに守ろうとした故のものだ。

 奥ゆかしい金持ちは好かれるが、

 傲慢で高慢で意地悪な金持ちは憎まれる。

 いつの時代も格差社会の悲劇はあるし、そこに殺意は当然生まれる。

 一寸の虫にも五分の魂ってのは、

 なんだか、この映画にもあてはまりそうな気がするんだよな~。

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ハーメルン

2013年12月13日 13時05分44秒 | 邦画2013年

 ◇ハーメルン(2013年 日本 132分)

 staff 監督・脚本/坪川拓史 撮影/与那覇政之

     美術/畠山和久 衣裳デザイン/宮本まさ江

     メイク/三沢友香 音楽/関島岳郎

     特別協力/福島県大沼郡昭和村

 cast 西島秀俊 倍賞千恵子 坂本長利 水橋研二 守田比呂也 風見章子

 

 ◇福島の心象スケッチ

 とでもいえばいいんだろうか。

 とにかく、映像が美しかった。

 物語自体はそれほど起伏のある者ではないし、

 やがて廃され壊される運命にある校舎を愛している人達の、

 交流と回想が中心になってる。

 ただ、回想というか思い出の再現というか、

 その切っ掛けになってるのが、

 福島県の埋蔵文化財研究員(だっけ?)になった卒業生、西島秀俊だ。

 かれがほんとうに卒業生なのか、

 あるいは校舎や自然の醸し出した精霊のひとつと捉えるのか、

 それについてはわからない。

 けれど、記憶の紡ぎ出す風景の中に、かれは無理なく溶け込んでいく。

 こうした淡白な美しさは、むろん、スタッフとそれを支援する人達のちからだろう。

 ご当地映画のひとつといっていいんだろうけど、

 こういう自然体の映画は、ぼくは嫌いじゃない。

 ただ、この作品は不幸な目にあった。

 東日本大震災で撮影が中断されてしまったことだ。

 その間に、西島秀俊はすごい勢いで売れっ子になったけれども、

 ぼくは、かれの本領というか骨頂は、好い映画に出ること、とおもってる。

 決して誇張せず、傲慢にならない謙虚さが、かれの好さだと信じているからで、

 たぶん、とても頭の切れる人なんだろう。

 この先も、大手が顧みない作品に出続けてもらいたいんだけどな~。

 その方がスマートし、ぼくはそういう役者が好きだ。

 ところで、

 福島県の大沼郡というところを、まず、ぼくは知らなかった。

 そこに昭和村があるなんて、もちろん、知るはずもない。

 昭和村というレトロな建築物を抱えている施設は、

 おそらくこの国には何か所かあるんだろうけど、

 とりあえずは、ここに行ってみたいわ~。

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危険がいっぱい

2013年12月12日 12時07分08秒 | 洋画1961~1970年

 ◇危険がいっぱい(1964年 フランス 97分)

 原題 The Love Cage/Les felins

 英題 Joy House

 staff 原作/デイ・キーン『Joy House』

     監督/ルネ・クレマン

     脚色/ルネ・クレマン パスカル・ジャルダン チャールズ・ウィリアムズ

     撮影/アンリ・ドカエ 美術/ジャン・アンドレ

     助監督/コンスタンタン・コスタ=ガヴラス

     衣装/ピエール・バルマン 音楽/ラロ・シフリン

 cast アラン・ドロン ジェーン・フォンダ ローラ・オルブライト オリヴィエ・デスパ

 

 ◇愛の檻

 いつ頃までか、屋敷物の映画はよくあった。

 広大な邸宅を舞台にして、そこで展開する男女のスリリングな物語だ。

 お化けの出そうな古色蒼然とした豪邸は、それだけでもはや映画になる。

 そこでホラーが展開されようが、サスペンスが披露されようが、

 そんなことはどうでもよくて、ともかく主役はその屋敷なんだ。

 この映画も多少、そういう面がないでもない。

 屋敷へ逃げ込んだチンピラのアラン・ドロンが、

 殺人事件をひきおこして高飛びしようとしている愛人関係のふたりに、

 パスポート欲しさのために狙われ、命を危険を冒して逆転し、

 まんまと自分だけが逃げ出そうとするんだけど、

 殺された女主人の姪ジェーン・フォンダに見染められて、

 殺人の嫌疑をかけられたために屋敷から生涯出られなくなってしまうという、

 要するにLove Cageの物語だ。

 展開はまあ予測どおりに進んでいくんだけど、

 ちょっと驚いたのはアラン・ドロンの運動神経で、いや、けっこう機敏だ。

 それと、衣装がお洒落なんだよね。

 ジェーン・フォンダの下着姿や水着姿はさすがに見とれるけど、

 ピエール・バルマンのおかげかもしれないね。

 それと、自動車がみんなカッコいい。

 さらに、ラロ・シフリンの音楽も洒落てる。

 道具と衣装と音楽に拘りをもって、

 それが当時のファッションを牽引する時代ってのはいいもんだ。

 スチールでアラン・ドロンが白いシャツ姿で映ってるのがあるんだけど、

 そのとき、横にちょこんといる子猫がなんとも可愛い。

 そういうところが、当時のフランス映画なんだよな~。

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幸福のスイッチ

2013年12月11日 19時04分35秒 | 邦画2006年

 ◇幸福のスイッチ(2006年 日本 105分)

 staff 監督・脚本 安田真奈 撮影/中村夏葉 美術/古谷美樹

     音楽/原夕輝 主題歌/ベベチオ『幸福のスイッチ』

     製作支援/和歌山県 田辺市 JTB西日本 松下電器産業(現:パナソニック)

     ロケ協力/パナット田辺 田辺商工会議所 南紀田辺世界遺産フィルムコミッション

 cast 上野樹里 本上まなみ 沢田研二 中村静香 深浦加奈子 芦屋小雁 林剛史

 

 ◇和歌山県田辺市

 ご当地映画ってのは、いいもんだ。

 この頃、どうにも食傷気味なものがある。

 テレビ局と広告代理店と映画会社が製作委員会を立ち上げて映画制作することで、

 たしかに製作費の分担と広告宣伝と配給興行が一体となるメリットはわかるけど、

 なんだか映画を制作するってのはどういうことなのかって立ち止まる。

 もちろん映画は商品だし、それでお金を儲けなくちゃならない。

 でももうちょっと別なかたちがあってもいいんじゃないかなと。

 だからってご当地映画がいいのかどうかってこともあるけど、

 県や市町村が支援するのはまず良きことかなとおもうし、

 昔のように企業が一社で映画を制作するんじゃなくて制作支援って形も良きかなと。

 ま、そんなところで、この映画だ。

 なんで田辺なのかって話はおいといて、

 よくある地方の、どこにでもあるような話なんだけど、

 そこはかとなく幸せになれそうな物語ではあるよね。

 ちなみに、

 ぼくの田舎にも、ナショナルの電器屋さんがあって、

 うちの実家はそこのお得意さんで、

 背の届かないところの電球ひとつでも替えに来てくれる。

 そりゃあ小売店の家電はすこしばかり割高かもしれないけど、

 町の催事とかにはいろいろと協力してくれたり、

 なんといったらいいのか、田舎の共同体の中にあって、

 ご主人と数人の従業員だけで電気工事もこなしたりとあれこれ忙しい。

 そういう世界は地方の風景のひとつだし、

 そこを切り取って映画にするってのは、

 地に足が着いてる感じで、好印象なのよ。

 それと、地味そうなキャストではあるけど、

 上野樹里がジュリーを知らなかったってのは、

「ほんまか!?」

 とはおもうものの、

 大作映画には決まって登場してくる俳優を観るのは、

 それこそ食傷気味ってのもあって、好い雰囲気だったわ。

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マリーゴールド・ホテルで会いましょう

2013年12月10日 12時39分34秒 | 洋画2013年

 ☆マリーゴールド・ホテルで会いましょう

  (2013年 イギリス、アメリカ、アラブ首長国連邦 124分)

 原題 The Best Exotic Marigold Hotel

 staff 原作/デボラ・モガー『These Foolish Things』

     監督/ジョン・マッデン 脚本/オル・パーカー

     撮影/ベン・デイヴィス 美術/アラン・マクドナルド

     衣裳デザイン/ルイーズ・スターンスワード 音楽/トーマス・ニューマン

 cast ジュディ・デンチ マギー・スミス トム・ウィルキンソン デーヴ・パテール ビル・ナイ

 

 ☆色恋は永遠

 インド、ジャイプール

 高級リゾートホテルになる予定の超おんぼろ廃墟ホテルに泊まることになった、

 いろんな事情を抱えたジジババの物語なんだけど、

 ホテル復興を夢見るインド人の青年の母リレット・デュベイは、

 ちょっと高慢な感じはあるけど、綺麗だ。

 それにも増して、青年の恋人テナ・デサイーは、

 もうたまんないくらい超綺麗だ。

 インド人の彫りの深さと神秘的な瞳にはやられちゃうよね。

 でも、7人のジジババの内、

 18年間ジャイプールに棲んでたゲイのひとりは、

 最愛の印度男と再会して命の火を消すし、

 定年まで我慢して連れ添っていた老夫婦は娘に貸した貯金が返ってくるや、

 ゲイに惚れていた妻の方が、その傷心を隠したままロンドンへ帰るし、

 残された夫は、

 テナ・デサイーの兄の会社に勤め始める未亡人と好い仲になるし、

 人種差別に凝り固まっていた元家政婦は、

 スードラの下女と知り合ったことで人種差別の愚かさに目覚め、

 ホテルの建て直しのためにひと役買うことになるし、

 いくつになっても女遊びの止められないラジオ好きな色情じーさんは、

 高級会員制クラブで知り合いになった在インドの老イギリス婦人をひっかけて、

 カーマスートラを必死に学んで朝まで連続セックスに挑むし、

 おなじように色恋は永遠と豪語する孫を愛するばーさんは、

 やっぱり会員制クラブで知り合った元英将校と色恋沙汰に発展する。

 うん、人間、いくつになっても色恋に溺れないとあかんのだね。

 第2の人生を求めて右往左往するジジババの姿は、

 身につまされるけれども、人間臭くていい。

 このバイタリティは見習わないとね。

 ちなみに、

 原題のThese Foolish Thingsは、直訳すれば、これらの愚かな物事、となる。

 意訳すれば、ほんとにバカバカしいことながら、みたいな感じかもしれない。

 ただ、ジャズのスタンダードにも、このThese Foolish Thingsはある。

 These Foolish Things(Remind Me of You)ていって、

 日本語の題名は「思い出のよすが」とかって感じになってる。

 作詞エリック・マシューウィッツ、作曲ジャック・ストレイチー。

 こちらは、イル・ド・フランスを舞台にした、男の思い出話だ。

 映画の中身とは、関係ない。

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