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CHASE チェイス 猛追

2024年12月16日 20時41分52秒 | 洋画2022年

 CHASE チェイス 猛追(Last Seen Alive)

 

 ガソリンスタンドでジェラルド・バトラーが給油中に、水を買いに行った妻ジェイミー・アレクサンダーが誘拐されたかもしれないっていう出だしなんだけど、それに気づいて行動し始めるまでの段取りが長くて…。

 それはいいとしても、冒頭の刑事ラッセル・ホーンズビーが容疑者らしき爺さんをちからづくで口を割らせようとするのをなんで前置きしたのかわからん。

 つか、後半、まるきり違う話じゃん。

 わけわからんヘロインの精製アジトみたいなところに潜入して、悪人としかおもえんやつだけどおもわず撃ち殺しちゃったりするって展開はどうよ?

 まあ半年前に浮気してたオトコがそこのボスだったてな展開だったはずなんだけど、その恨み辛みはなんも触れないまんま銃撃戦になって、死んだとかいわれて埋められてたはずの奥さんはどーなってんだいって話で、いやもう破綻してはいないけど、おもいもよらない展開で、いったいなんの映画だったんだろう。

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ブラックライト

2024年12月06日 19時48分36秒 | 洋画2022年

 ◇ブラックライト(Blacklight)

 

 FBIの中でも特殊諜報員っていうのか、とにかく窮地に陥った仲間を救出するだけを仕事にして、これまでに一度も相手を殺したことがないっていう、なんだかむりっぽい設定の役柄なんだけど、なにを演じてもリーアム・ニーソンは説得力がある。すごい存在感だな。つっても、たいがいの作品は、過去になんだかとてつもない戦いの日々を送ってきた男が引退するか引退間近になって事件に巻き込まれるんだけどね。で、今回もおんなじ。

 後半、旧い仲間が殺され、ネタを横取りした新聞記者が殺され、さらに娘と孫が行方不明になってくると、がぜん、おもしろくなる。

 

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生きる LIVING

2024年09月10日 19時09分25秒 | 洋画2022年

 ◎生きる LIVING(Living)

 

 黒澤のと何処がちがうんだ?単純に撮影と演技が進歩しただけで、本質は変わらず、オリバー・ハーマヌスの演出とカズオ・イシグロの脚本はほとんどそのまんま、画面の構図もおんなじ。観る価値を教えてくれ。

 ビル・ナイは道理のよくわかった紳士に見えちゃうし、トム・パークも羽目を外せない好人物に見えちゃう。それじゃダメで、もっと落ちぶれた市民課長も落ちぶれた作家じゃないと、人生の皮肉も残酷も空虚も伝わらない。

 なにより、スコットランド民謡のナナカマドの歌じゃだめなんだ。浜辺のストリップ小屋すらら格調高い。あかん。もっと不潔で猥雑で下品わじゃないと。

 ただ、エイミー・ルー・ウッドに、余命いくばくもないことを告白するところから面白くなってきたんだけど、やっぱり菟はクレーンゲームで取るのはあかんよ。おもちゃ工場で作ってて、こんなん作ってても楽しいよと生きる意味を無意識に示唆してあげないと。

 カズオ・イシグロ、下手だな。

 てゆーか、わかってないな。

 仕事し始めた途端に葬式って、いやまじ、そのまんまじゃん。真似乞食は、あかんだろ。おまえたちの『生きる』を撮れよ。

 アレックス・シャープと付き合うのと、手紙を遺したくらいが変わったところかな?まいったなあ。でもまあ最後はちょっとうるっとしたけど。

 黒澤明の凄さをいまさらながら感じるわ。

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ヒトラーのための虐殺会議

2024年09月05日 17時35分17秒 | 洋画2022年

 ◎ヒトラーのための虐殺会議(Die Wannseekonferenz)

 

 なるほど。1944年の時点ではユダヤ人の移住促進を建て前にした収容の結果、ヨーロッパには1100万人のユダヤ人がいた。ドイツ国内には13万人、フランスには100万人、ポーランド総督府には230万人、ソ連のウラル山脈より西つまり白ロシアやウクライナを含む地域には500万人、バルカン半島には160万人などだ。ドイツの生存権を守るというのは、東部にドイツ人が定住してゲルマン化を促進して、民族のごった煮を解消するのだと。欧州ゲルマン化、他の民族は奴隷化すると。元軍人もふくめて役人は懸念するが、百姓からすれば鍬を入れなければ農地は耕せないと。いやまあ、なんつうか、断種、強制離婚とかもおもいもよらない提案だけど、こんなふうにして決まっていったんだろうか?

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MEMORY メモリー

2024年05月27日 00時31分06秒 | 洋画2022年

 ◇MEMORY メモリー(Memory)

 

 ついに、リーアム・ニーソンまでもがアルツハイマー型の認知症に殺し屋の役を演じるようになってしまった。

 世界のどこもかしこも認知症はもっとも悩ましい病になってるんだなあと、あらためておもう。モニカ・ベルッチがなんとも似つかわしくない不動産王の悪役ってのも時の流れを感じさせるわ。母親っていうだけでもそういう時代なのかあっておもったりするけど、そうか、もう綺麗な愛人とかっていう薄幸な役とかじゃないんだね。ガイ・ピアーズはなんだか通り過ぎちゃいそうな印象だったわ。

 それにしても、物忘れがひどいときって、外人は決まって手や腕にマジックとかで書き込みをするんだけど、どうも日本人はそういうのが似合わない。なんでなんだろうね。

 しかしそうか、子どもを誘拐して人身売買するっていう物語はわかるし、子どもを殺せと依頼された暗殺者がそれをせずにいたんだけど、記憶障害のせいで自分が殺したかどうかすらわからなくなるってのもそれはそれでいいんだけれども、でもやっぱり子どもを殺すっていう展開はなんだか禁じ手を使わされたみたいな気がするし、リーアム・ニーソンが驚異的な強さを見せつけるわけでもなく、佳境、自分の死とひきかえに大団円にまで持って行かせるっていう展開は、主人公がラストを放棄しちゃったようで、あまり後味はよくないな。

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フェイブルマンズ

2023年11月10日 00時33分09秒 | 洋画2022年

 ◎フェイブルマンズ(The Fabelmans)

 

 なんてまあ、ポール・ダノは、亡き手塚治に似てるんだろう。なんだか手塚にまた会えたようで、見てるだけでなんともいえない気分になってきた。お別れ会があったのは何か月前だったか。そんなことをおもうと、なんとも個人的なことながら、見る機会が別だった方がよかった。

 それはさておき、少年の日に『史上最大のショウ』を観るんだけど、へ~こんな映画だったんだあ、迫力満点じゃん、とかっておもった。

 この親父はクレムリン。叔父はバックトゥーザフューチャーだね。ETの自転車連中と腰のアクセサリーと家族構成。

 しかしそうか、銃撃場面でなにかが足りない、嘘っぽいと悩んでいたあと、母親のピアノ弾きで爪があたる、爪を切る、楽譜に穴が開く、穴!ときてフィルムに穴を開けて迫力を出し、写真部門に入選。誰もこの凄さはわからないけど、エンジニアの父親手塚にだけはわかる。父と息子。凄い。

 お母ちゃんの浮気を突き詰めるのに8mmを利用するのはうまいし、浮気相手の父親の親友とのカメラ屋の別れも、引っ越し先の家族の不和も見事だったのに、変人クリスチャン女子が出てくると、がくんとつまらなくなる。でも高校時代のあとはまたおもしろくなる。

 なんといっても、ジョン・フォードを演じていたのがデビッド・リンチだってのが凄い。過剰な演技だ。芸術とはなんだ?地平線が下にあるのはおもしろい。上にあるのもおもしろい。だが、真ん中にあるのはだめだ。芸がない。てなことをいわれるんだけど、ラストカットは、撮影所の地平線が真ん中だったのが手持ちで下に来る。なるほど、主人公の心模様はこうでなくちゃ表現できないね。

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オットーという男

2023年11月02日 14時04分21秒 | 洋画2022年

 ◇オットーという男(A Man Called Otto)

 

 丁寧な脚本だけど単調。盛り上がりに欠ける。孤独に堪えかねて自殺しようとしている男トム・ハンクスが近くに越してきた子持ちの女性マリアナ・トレビーニョに感化されてもう一度生きようとする物語はよくある。けど、彼女の学位がありながら頼りなくお人好しの夫マヌエル・ガルシア=ルルフォと、亡くした妻レイチェル・ケラーが登場してしまうことで、トム・ハンクスに未来がないんだなとわかり、ああ、とある朝に死んじゃってるんだろうなあっていうラストまで見えてしまうのは、脚本が考え違いをしてるとしかいいようがない。

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ザリガニの鳴くところ

2023年07月01日 01時26分17秒 | 洋画2022年

 ◎ザリガニの鳴くところ(Where the Crawdads Sing)

 

 結局、ザリガニってのは、なにかの象徴だったんだろうか。母親が「ザリガニの鳴くところへ逃げろ」といったんなら湿地じゃないはずなんだけど、これってほんとは小屋のあるところが湿地に点在している沼で、ザリガニの棲息しているのは湿地ってことなのかもしれないけど、どうにもザリガニを獲っていた小学生の頃をおもいだすと反対のような気がしてならないんだけどね。

 でも、なかなか見ごたえはあった。なるほど、とんでもない父親がいなくなったあとひとりで暮らさざるを得なくなったデイジー・エドガー=ジョーンズのたったひとつの恋の相手テイラー・ジョン・スミスに棄てられたとおもったあと、処女を奪い、さらにイキ癖までつけられ、イクときは目が光るくらいすごいことになるとかって噂まで流されて自分はさっさと名家の娘を婚約者にして、それでもまだ性欲の処理のためだけの道具にしようとするハリス・ディキンソンを見晴台から突き落として殺したのは誰かっていう単純な話なんだけど、いやあ、見ごたえあったわ。

 みんな、あやしい。引退したのに急に弁護を買って出るデヴィッド・ストラザーン、湿地の雑貨店のあるじスターリング・メイサー・Jr、その妻マイケル・ハイアット、怪しい。これが後になって登場してくる行方不明になっていた兄貴もそのひとりになるようにしてあれば、もっとおもしろかったのに、残念だわ。

 それにしても、絵がいい。テイラー・スウィフトの劇中歌「Carolina」もいい。

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アムー 負けない心

2023年03月09日 00時16分38秒 | 洋画2022年

 ◎アムー 負けない心(Ammu)

 

 家庭内暴力はどこの国もおなじで、暴力に走る沸点が低いのはわかるとしても、発火点がよくわからないといわれる。でも、おそらくは、言われても解決させられないことを突きつけられたり、気にしていることや図星をさされたりしたときにおもわず我を失って手が出るんだろう。

 このチャルケシュ・セカル演出の映画もそうで、アイシュワリヤー・レクシュミにはなんの嫌味もないし、ただ夫に尽くそうとしているのに、自分でもわけがわからない内に暴力をふるわれる。しかも夫アイシュワリヤー・レクシュミは警部で、部下たちの信望も篤く、上からの評判もいい。四面楚歌というのはこういう妻をしていうのだろうが、翌日になると夫はけろっとして、もっといえば、猫変わりして優しくなる。愛していると囁き、ひたすら謝り、けれど、またすぐに暴力が始まる。

 どこもおなじだ。

 で、映画では、妻の復讐が始まる。おひとよしの犯罪者を自宅に匿い、それで夫の足元を掬って復讐を果たそうというのだけど、現実は難しいんだろうね。それにしても、台詞をいうときに顔がゆれる。舞台みたいだ。

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母との約束 250通の手紙

2023年01月25日 23時56分49秒 | 洋画2022年

 ◇母との約束、250通の手紙(La Promesse de l'aube)

 

 どはずれたエキセントリック母ちゃんの物語だったわ。どんどん興味が薄れてくのが途中からわかったけど、いやまあ、なんとも驚きなのは、なるほど、このお母ちゃん、シャルロット・ゲンズブールだね。そう、いつまでも『なまいきシャルロット』じゃないわな~。

 喜劇なのか、悲劇なのか、作家ロマン・ガリの自叙伝が元だからなんともいえないんだけど、どうにも中途半端な感じは拭えないんだけど、どうなんだろう?

 ただまあ、世の中の作家なんてもんはみんなこんなもんなんだろうがっていう印象は強いね。ひとつ当たれば故郷に錦を飾ったつもりになるし、自分のちからが無いために新聞に掲載してもらえないとはとても家族にはいえず、編集者がまちがってるだの、筆名を変えているんだの、とにかく自己愛と矜持がものすごい。ロマン・ガリはそれで成功したからいいけどさ。

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ナイル殺人事件

2023年01月01日 00時02分52秒 | 洋画2022年

 △ナイル殺人事件(Death on the Nile)

 

 ケネス・ブラナーは舞台の演出だけしていた方がいいんじゃないかな。

 とてもじゃないけど、これだけ退屈な映画を自分の主演も兼ねて撮れる人間はそうそういないぞ。ただ、この『ナイルに死す』の映画化はいつも失敗するような気がする。

 1978年のジョン・ギラーミン版もたいしておもしろくなかったし、あのときはまだ役者が揃ってたけど、今回は、ガル・ガボットとアネット・ベニングくらいなもので、ポアロの第一次世界大戦の塹壕戦に出ていたことも、そのときの突撃で爆弾を蒙り口許にすごい怪我をしたことが髭のきっかけになったってことも、実はどうでもよくて、そんなことに鉦をかけるくらいなら、観光客船に乗り込むまでの長ったらしい部分は削除してもうすこし船内劇に金をかけてほしかったわ。

 まあなんにしてもつまらなすぎてどうしようかとおもったぞ、ケネス・ポワロ君。

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幻影の彼方

2022年12月31日 00時34分58秒 | 洋画2022年

 △幻影の彼方(Iluzja/Illusions)

 

 グダニスク寒そうだな~。

 運転するクルマのフロントガラスに森の枝葉やたくさんの梢が映り込んでる。魂の迷路をさまよってるみたいでかっこいい。ユタ州リッチフィールドにあるパンド(アスペンの森)の話が出る。世界最大の生命体だと。

 でも、そのあとは最後まで、母親アガタ・ブゼクの孤独と絶望しかない。

 娘のものともしれないボタンを拾い、いくつか集めても無駄なことで、夫は自殺ともいえるような脳卒中でなくなり、家にも辛くて帰れず、浜辺のホテルに泊まっても癒されず、いくつかのボタンを浜に埋めても、まだ諦めきれず、わたし以外に誰が探すの?と。つらいな、これは。

 合鍵を持ってきた娘の恋人なのかわからないけどとにかく同棲してる男がDVDを置いていき、それで一挙に展開する。浜の一角をいきなり掘り出し、死体を見つけるんだね。で、相談をもちかけてる署長マウゴジャタ・ハイェフスカ・クシシュトフィクが、こういう。死体を浜辺で犯行現場が頭の中に見えた。犯人まで。好い加減にしなさいよと署長は怒る。こんなの証言にならないわ。犯人にされたいの?そりゃそうだよね。

 さらに、特定した男は自白したけど、見つかった死体は娘じゃなかった。ラスト、死体は息子だったっていう母親が訪ねてきて感謝されるものの、自分の娘探しの日常は終わらない。うーん。

 ところで、音楽は印象的だった。

 ヴィヴァルディ:
・詩篇『主が建て給うのでなければ』 RV.608
・スターバト・マーテル RV.621
 マリー=ニコル・ルミュー(メゾ・ソプラノ)
 フィリップ・ジャルースキー(カウンター=テノール)
 アンサンブル・マテウス
 ジャン=クリストフ・スピノージ(指揮)

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THE BATMAN ザ・バットマン

2022年12月14日 22時55分22秒 | 洋画2022年

 ◎THE BATMAN ザ・バットマン(The Batman)

 

 なるほど、バットマンになって2年目なのね。

 日記もつけてたりして、かなり内向的な若年の蝙蝠男なのかとおもってたら、そうか、両親が殺されたときのトラウマから逃れられず、その犯人に復讐する怒りを、街を守ろうとする正義にすり替えてるのを、ポール・ダノに見破られちゃうっていう話なのね。

 正体がわかっちゃうかもしれないっていうどきどき感は初めてだったかもしれないけど、そうだねえ、神経質で親に対するコンプレックスを抱えて愛を乞おうとしているバットマン像ってのもありかもしれないね。ロバート・パティンソン、身体鍛えてきたな~。ゾーイ・クラヴィッツはもはやすっぴんとは程遠い色気むんむんのキャット・ウーマンになってたけど、まあ、あれだね、コリン・ファレルのペンギンとの対決も続編であるのね、たぶん。

 とどのつまりは、クリストファー・ノーラン版と比較してどうよって感じになっていくんだろうけど、ここまで内面的な暗さを抱えたものが無かった分、うん、いいかもしれないけど、拳法の修行をしたり、蝙蝠のトラウマを抱えることになった原因だのといった親切な部分はおもいきり切り落とされてるのはどうなんだろうって気にもなる。

 音楽は、マイケル・ジアッチーノよりもハンス・ジマーの方がいいかな。

 ただ、バットスーツをハロウィンのコスプレまがいのものに設定しないと滑稽になっちゃうっていうのは、それだけこの映画がリアルさを追及してるからで、バットマンに変身する前は普通のバイクに小汚い私服でいるっていうのもいいし、ウェイン・タワーの地下にある秘密基地へも地下鉄まがいの出入り口から行くっていうのはええ感じだ。 

 現代に調和していかなければならないバットマンのリアルさの追及っていう点では、よかった。

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その瞳に映るのは

2022年12月06日 23時42分46秒 | 洋画2022年

 ◇その瞳に映るのは(Skyggen i mit oje)

 

 カルタゴ作戦っていう英空軍によるコペンハーゲンのレジスタンス救出作戦があったことも知らなかったんだけど、これって救出っていうよりコペンハーゲン市内のナチスの司令部に対する空爆作戦といった方がいいんじゃないかっておもうんだけど、なるほど、筋立てはよくできてる。

 英空襲舞台が看護婦を運んでいるタクシーをまちがえて空襲してしまったとき、それをまのあたりにして失語症になってしまった少年が、疎開していった先のコペンハーゲンでまたもや誤爆に見舞われ、そのときの献身的な行動によって声をとりもどす物語が中心になりながらも、修道院でみずからの素肌を鞭打って神の存在を知ろうとする修道女がナチス直率の警察に志願していた若者の心を開かせつつも誤爆のせいで水に飲まれた生徒のために飛び込んでゆくっていう物語とが交錯して描かれてるんだけど、う~ん、だからどうなんだ、なにがいいたいんだ?って気にさせちゃうのは、ちょっとね。

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スイマーズ 希望を託して

2022年11月30日 16時21分22秒 | 洋画2022年

 ☆スイマーズ 希望を託して(The Swimmers)

 

 マナル・イッサ演じるユスラ・マルディニは、途中までシリアの代表として五輪に出場したいと望んでるのがやがて難民チームの代表となるのを誇りにおもうようになるんだけど、その決意よりもかなり早い段階で、すでに彼女は難民チームの代表になってるってことを行動で示してるんだよね。このあたりはよく練られてる上手な脚本だっておもうんだけど、現実はどうだったんだろう?

 まあそれはともかく、五輪に対する憧れは世界の選手たちには共通したものだと信じてるんだけど、でもどうなんだろう、なんだか、日本と世界とは見えない壁みたいなものってないのかな。運動の世界に、政治や経済を入れるなっていう忘れ去られてしまったような大義名分はちょっとおいといて、祖国が存続するかどうかっていう瀬戸際の、自分の家族がダマスカスのようないつなんどき内戦に巻き込まれてしまうかもしれないような、そんな状態に追い込まれて、レスポス島へ行くために、ゴムボードに人数が溢れちゃうからって姉とふたりで泳いで人数を減らすっていう離れ業までして、それでリオ五輪にまで至るっていう、もはや、これは五輪をめざしたっていうだけの映画じゃないよね。

 サリー・エル・ホサイニ、頑張って監督したね。

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