Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

愛人 ラマン

2022年02月28日 23時02分08秒 | 洋画1992年

 ☆愛人 ラマン(L' Amant

 

 ジャン=ジャック・アノー、うまいな~。

 撮影が凄いわ。当時の再現のうまいこと。サイゴンのショロン地区がこれまた大したもんだ。

 つかこの中身も凄いな。植民地で貧乏のどん底に落ちた中国人嫌いのフランス家族の15歳の小娘が、華僑の不動産王のセックスしか能のないくそったれ純粋息子の愛人になるとか、たいした発想だ。

 モノローグも気になる。わたしといったり彼女はといったり統一性がないというより三人称がどうも嫌な感じになるんだけど、なんか中国人があまりにも純粋すぎる気もする。

 それにしても華僑の金持ち度は半端じゃないな。

コメント

遙かなる大地へ

2022年02月26日 23時38分44秒 | 洋画1992年

 △遙かなる大地へ(Far and Away)

 

 パナビジョン・スーパー70mm方式!っていうほどのものじゃないような気がするのは僕だけなんだろうか?

 すごく見たかったのにちょっと肩透かしを食らった。想像してたのとまるでちがってた。

 金持ち娘と小作の息子が身分の垣根を超えてなにかのレースに挑んでゆくのがメインの時代劇かとおもってたらボストンの貧民街で殴り合いの商売をちんたら続けるのが長過ぎる。ようやく話が動くまでに100分も掛かってる。脇役の使い方も途切れ途切れで関連してないし、これではあかん。

コメント

クロノス

2022年01月06日 00時34分56秒 | 洋画1992年

 ◇クロノス(La invención de Cronos)

 

 さすがにギレルモ・デル・トロ作品だけあって、ひとりひとりの人物設定やひとつひとつの場面、ことに火葬場で燃やされる瞬間にいつのまにか蘇生して空の棺が焼かれ、復活が秘匿されることになるところとか、実におもしろく描かれてはいる。

 いるものの、どこかテンポが遅い。

 アウロラという孫娘タマラ・サナスが救いで、でなければ400年前に作られた生命蘇生機械虫による爺いロン・パールマンの吸血鬼誕生物語にしかならず、より退屈なものになっちゃっただろう。

コメント

ナイト・アンド・ザ・シティ

2018年02月08日 21時35分46秒 | 洋画1992年

 △ナイト・アンド・ザ・シティ(1992年 アメリカ 105分)

 原題/Night and the City

 監督/アーウィン・ウィンクラー 音楽/ジェームズ・ニュートン・ハワード

 出演 ロバート・デ・ニーロ、ジェシカ・ラング、ジャック・ウォーデン、アラン・キング

 

 △『街の野獣』のリメイク

 とはいえ、ぼくはもともとの映画を観てないからなんともいえないんだけど、プロレスがボクシングになってるそうで、いったいリメイクする意味があったのかな~とちょっと疑問におもった。

 ただ、監督のアーウィン・ウィンクラーにとってはかなり意味のあることだったようで、かれはもともとプロデューサーで、しかも『ロッキー』シリーズのプロデューサーだった。まあそんなことをおもえば、リメイクするにあたりボクシングの話に変えたいとおもってもふしぎはない。

 でも、内容はいまひとつだったわ。

 そりゃいくらなんでも無茶だろうってのは、歩道の陰にもならないような軒端で立ったままするところだ。これ、初めて観たときもおんなじことをおもったんだけどね。

 とはいえ、ラスト、救急車で運ばれていくデ・ニーロが、ジェシカ・ラングが西海岸に移住しちゃうらしいと知ったとき「西海岸のやつらは野菜ばかり食べてる。店を出すんなら、名前はなんだ。グリーン・ストリートか」みたいなことを訊くんだけど、まったく最後の最後まで口の減らない奴っていう設定だけは好かった。

コメント

パトリオット・ゲーム

2016年03月17日 00時32分08秒 | 洋画1992年

 ◇パトリオット・ゲーム(1992年 アメリカ 117分)

 原題 Patriot Games

 監督 フィリップ・ノイス

 

 ◇愛国者のゲーム

 ハリソン・フォードのジャック・ライアンは2作しかなかったんだ~といまさらながら気がついた。たしかにこの作品と『今そこにある危機』しかおもいうかばないんだからそうなんだけど、シリーズが何作も映画化されているのにこれといった適役がいなかったんだろうか?

 ま、そんなことはさておき、この作品は世界観としてはとてつもなく大きなものという感じじゃないんだよね。たとえば『レッド・オクトーバーを追え』みたいな大掛かりなものじゃないってことだけど、それでもアイルランド共和軍暫定派(IRA)による英国王室のホームズ卿を暗殺しようっていう計画の打破ってのが舞台設定になってる。ただ、この作品の場合、英王室からナイトの称号を賜ってホームズ卿を守るというのはあくまでも表向きな動きで、映画の中で語られるのは、暗殺を阻止したことで家族を狙われる羽目になってしまったジャック・ライアンが妻と娘の災難を乗り越えて復讐にやってきた暗殺者どもを返り討ちにするという、なんとも小さな戦いに凝縮されてる。

 いかにもハリソン・フォード的なジャック・ライアンなんだよね。

 それはともかくジェームズ・ホーナーの音楽がちょっと不気味さがあっていい感じだ。ただ、暗殺現場にたまさか居合わせたハリソン・フォードが飛び込み、シーン・ビーンの弟を射殺するという導入なんだけど、サーの称号が与えられるのはよほどの光栄なんだね。感覚として、日本だったら卿とかいわれるんだろうか。レディは夫人なんだろうけど、貴族を無くされた国の人間がなにか考えても仕方ないか。

 ただ、何度観なおしても話は小さい。17歳だった弟の復讐に高速道路で妻子を襲い、娘の脾臓を摘出させるほどの危険運転に追い込む狂気の逆怨みっていうだけの話だ。IRAを誹謗することなく物語を進めていかなくちゃいけないからそのぶん苦労したんだろうけど。とはいえ、IRAの大物リチャード・ハリスに喧嘩うっちゃうんだから、ま、そのあたりは感情の突っ走りだ。

 話は飛ぶけど、衛星って凄いな。砂漠の中のおっぱいまで鮮明に写しちゃうんかよ。もう、最後になると思想とかじゃないんだね。父親を警察に殺されたこともあって、怨みの矛先がジャックライアンに集中しちゃうんだね。まあ、物語ってのは、これでいいんだろうけど。

コメント

ア・フュー・グッドメン

2016年03月16日 20時10分05秒 | 洋画1992年

 ◎ア・フュー・グッドメン(1992年 アメリカ 137分)

 原題 A Few Good Men

 監督 ロブ・ライナー

 

 ◎You can't handle the truth!

 おまえに真実はわからん!とかいわれても追及しなくちゃ仕方がないんだよ~っていう映画なんだけど、結局のところ、国家の体裁がうんぬんというよりもアメリカ市民は常に弱者のために戦う者を支持するのだということを再確認するというのが主題になってるわけで、ということはつまり真実はいろんな人間たちの思惑によってうやむやにされちゃってるんだってことだよね。

 それはともかく、この作品のトム・クルーズもデミ・ムーアもとっても綺麗な顔をしてる。ジャック・ニコルコンが凄味がある分、かれらの綺麗さが際立つんだけど、でも、顔がそのまま性格まで表しすぎな感じがしちゃうんだよな~。

コメント

ボディガード

2015年08月11日 02時39分22秒 | 洋画1992年

 ◇ボディガード(1992年 アメリカ 130分)

 原題 The Bodyguard

 監督 ミック・ジャクソン

 

 ◇I Will Always Love You

 なるほど、スティーヴ・マックイーン、ライアン・オニール、そしてケヴィン・コスナーでようやく成立かとおもえば、納得できるような設定で、これまでどうにも気づかずにいたんだけど、この3人ってなんとなく似てんのね。醸し出してる雰囲気がまるで違うじゃんとかおもったりもするけど、本質的なところが同じなのかもしれない。だから、この主人公は三船敏郎の『用心棒』が好きで62回も観てるわけか~。なんとなく納得するわ。三船さんもこうした系統の役者さんだもんね。なんで邦画の現代物で三船さん主演のこういう作品がなかったんだろ?ないわな~嗤。

コメント

インドシナ

2013年07月12日 14時58分40秒 | 洋画1992年

 ◎インドシナ(1992年 フランス 159分)

 原題 Indochine

 staff 監督/レジス・ヴァルニエ

     脚本/ルイ・ガルデル エリック・オルセンナ カトリーヌ・コーエン レジス・ヴァルニエ

     撮影/フランソワ・カトンネ 美術/ジャック・ビュフノワール

     衣裳デザイン/ガブリエラ・ペスクッチ ピエール=イヴ・ゲロー

     音楽/パトリック・ドイル

 cast カトリーヌ・ドヌーヴ ヴァンサン・ペレーズ リン・ダン・ファン アンリ・マルトー

 

 ◎1930年代、仏領インドシナ

 仏印といえば、ベトナム、ラオス、カンボジアで、舞台となっているのは、そこで植民地支配の中心だったベトナムだ。カトリーヌ・ドヌーヴはサイゴンで生まれ、育ち、ゴム園を受け継いだ。ベトナム華僑の養女をとり、フエの王室とも繋がるなど、そりゃもう、徹底した支配者階級で、代々にわたって搾取してきたのかどうかはわからないけど、世の中が近代に突入している中、そうじゃいけないっていう先進的な考えもまた抱き始めてる女性だ。欧米の植民地をあつかった女性映画では、ちょっとばかしステレオタイプなんだけど、でも、そんなことはいい。

 ドヌーヴが、どうしようもなく美しい。

 若い人から見たら、ちょっと高圧的で気どったおばさんに見えるのかもしれないけど、やがてベトナムから追い出されてゆく運命をなんとなく感じとっていることで、そこはかとなく哀愁と翳りに満ちて、退廃的ながらも傲然と生きる美しい女性を演じられるのは、おそらく、ドヌーヴ以外には考えられない。

 毎回、そんなことをおもいながら観ちゃうんだけど、自分の乳繰り合った愛人が養女と駆け落ちするってのはどうよ?てなことをおもいながら逃避行のくだりに入っていくと、ちょっと退屈する。

「え、この映画って、やっぱり反資本主義映画なわけ?」

 ほんのちょっとだけだけど、そんな雰囲気が漂うんだ。でも、宗主国フランスの上流階級にとって、植民地がどうのこうのってよりも、娘や孫がどうしたこうした方が大切で、さらにいえば、いかに自分が毅然として生きたかを晩年にいたったときに考え、満足するかどうかってことを優先するのかな~?ゴム園を棄てざるを得なかったドヌーヴはどうだったんだろう?ラスト、シルエットの中でどうおもったんだろね。

コメント

マルメロの陽光

2013年06月18日 21時33分15秒 | 洋画1992年

 ◇マルメロの陽光(1992年 スペイン 132分)

 原題 Elsol del Membrillo

 staff 原案/ビクトル・エリセ アントニオ・ロペス 監督・脚本/ビクトル・エリセ

     製作/マリア・モレノ(アントニオ・ロペス夫人)

     撮影/ハヴィエル・アギレサロベ アンヘル・ルイス・フェルナンデス

     音楽/パスカル・ゲーニュ 編集/ホアン・イグナシオ・サン・マテオ

 cast アントニオ・ロペス マリア・モレノ エンリケ・グラン

 

 ◇この小さな庭には世界のすべてがある

 現代美術に関心の薄いぼくは、アントニオ・ロペスがスペインを代表する画家のひとりで、マドリッド・リアリズムの旗手と呼ばれてることすら知らなかった。知らないことは多いもので、ぼくはスペインは好きな国のひとつなんだけど、九月二十八日がマドリッドにとっては特別な日で、夏の太陽が戻ってくる日といわれてて、しかもそれが「マルメロの陽光」といわれてることも知らなかった。まったくもって知らないことだらけの人間が、まるで知らない世界を観てるんだから、困ったもんだ。

 けど、写実に徹底的に拘り、マルメロがどんどんと育っていくのをいろんな工夫をして追い駆けていくさまは、なんともほほえましいドキュメントとして成立してるように感じられた。んだけど、なんだか、ラスト近くになってきて、ロペス本人が寝床で夢を見、その夢を語っている内に、それまで徹底したリアリズムで撮られていたのに、どういうわけか、にわかに幻想味を帯び始める。

「え。これ、セミ・ドキュメントの脚本があって、撮影されてるんじゃないの?」

 てな印象を受けたんだけど、勘違いなんだろか…。ま、それはそれとして、マルメロが育ち、たわわに実り、やがて落ちてゆく過程を、一心不乱に描き出そうとする画家も偉ければ、それを見守る友人と妻と娘も偉く、またそうした人々を丹念に撮り続けたスタッフたちも偉いっていうか、この映画は時間という概念を越えたところになにがあるんだろうっていうような、独特の人生観や死生観を淡々と見続ける我慢の映画なんだってことを観てる途中からおもいはじめたものの、でも、結局、ビクトル・エリセのふしぎな時間軸に捉えられている自分に観終わったときに気づくんだよね。

コメント

ラヴィ・ド・ボエーム

2012年11月17日 17時43分34秒 | 洋画1992年

 ◇ラヴィ・ド・ボエーム(1997年 フィンランド、スウェーデン、フランス、イタリア 100分)

 原題 La Vie de bohème

 製作・監督・脚本 アキ・カウリスマキ

 出演 アンドレ・ウィルム、マッティ・ペロンパー、ジャン=ピエール・レオ、ルイ・マル

 

 ◇パリのマルセル

 マルセルことアンドレ・ウィルムのパリにおけるボヘミアン時代の最後は、友達の画家マッティ・ペロンパーの彼女イヴリヌ・ディディの病院での不幸な別れとなるんだけど、そのとき、トシタケ・シノハラのビブラードの効いた『雪の降る町を』が流れる。ラストのこの部分は、やけに印象に残る。まるでモノクロ全盛期のような不思議さなんだけど、これが演出力っていうものなんだろうか?

コメント

BODY ボディ

2007年12月16日 13時42分32秒 | 洋画1992年

 ◎BODY ボディ(1992年 アメリカ 99分)

 原題/Body of Evidence

 監督/ウーリ・エーデル 音楽/グレーム・レヴェル

 出演/マドンナ ウィレム・デフォー ジュリアン・ムーア アン・アーチャー

 

 ◎ぼくの偏見

 かもしれないんだけど、日本人の映画好きの間ではマドンナは過小評価されてる気がするんだよね。

 セクシーを売り物にしている日本の歌手や女優には絶対に真似の出来ない露出過度の艶っぽさを出してくれるのは、マドンナがプロという証なんじゃないかともおもうんだけどな。

 まあ、内容はハリウッド形式を踏襲してて、それに官能のおまけがついたとおもえばいいわけで、やっぱり『氷の微笑』が意識されたとおもってもいいんだろうけど、それでも、けっこう愉しめたような気がするんだけどなぁ。

コメント

レザボア・ドッグス

2007年04月17日 22時58分13秒 | 洋画1992年

 ◎レザボア・ドッグス(1992年 アメリカ 100分)

 原題/Reservoir Dogs

 監督・脚本・出演/クエンティン・タランティーノ 音楽/カリン・ラクトマン

 出演/ハーヴェイ・カイテル ティム・ロス マイケル・マドセン エディ・バンカー、スティーヴ・ブシェミ

 

 ◎色分け

 登場人物を色で分けるのは『サブウェイ・パニック』を嚆矢とするらしいんだけど、この『吹き溜まりの犬ども』よりも前に日本の自主製作映画『ゼロバード・チェイス』に観られる。

 ま、そんなことはさておき、宝石強盗に失敗して逃げてきたくそったれどもが仲間の中の誰かが警官だという真偽定かでない情報に翻弄されて疑心暗鬼に陥り、やがて仲間割れして殺し合い、でもそんな血みどろの殺し合いながらも銃を手にしなかったスティーヴ・ブシェミだけが逃げ去っていくわけだけど、ハーヴェイ・カイテルがこの血塗れのサスペンスを気に入り、映画化が可能になったのもよくわかる。

 なんといっても、耳に残るのはジョージ・ベイカー『リトル・グリーン・バッグ』で、内容を徐々に忘れていってしまっても、この主題歌だけはスティーヴ・ブシェミの怪異な顔つきとおんなじくらい忘れない。

コメント

愛という名の疑惑

2007年02月12日 13時29分58秒 | 洋画1992年

 ◇愛という名の疑惑(1992年 アメリカ 124分)

 原題/Final Analysis

 監督/フィル・ジョアノー 音楽/ジョージ・フェントン

 出演/リチャード・ギア キム・ベイシンガー ユマ・サーマン エリック・ロバーツ

 

 ◇めまい?

 ヒッチコックという監督ほど、多くの後輩たちからオマージュを捧げられる人はいなかったんじゃないか?

 そんなふうに考えちゃうのは、ヒッチコックのショットが鮮烈なせいだろう。もちろん、ヒッチコックに限らず、いろんな先達が多くの後輩から慕われているんだろうけど、映画のワンショットそのものを尊敬されている監督はめずらしい。

 ここでいう献辞というのは、ヒッチコックの撮ったショットと寸分たがわぬようなショットを撮ることだ。たとえば『めまい』の有名な「めまいショット」はスピルバーグが『E.T』で捧げた。この映画でも同じように捧げられてる、とおもうんだよね。『めまい』はそのあらすじもデ・パルマの『愛のメモリー』でオマージュされたけど、どうやら、リチャード・ギアもヒッチコックのフアンだったみたいだ。

 ま、そんなことからいうと、この映画は、おもわぬ拾い物をしたような気分にさせられた。

 キム・ベイシンガーはあいかわらず魅惑的で見るからに素敵だ。高校の後輩で、それも女性で、彼女の大フアンがいた。てことは、彼女は女性からも憧れられる雰囲気を持ってるんだろうか。それはともかく、こんな美女が誘いかけてくれば、そりゃあ、リチャード・ギアならずとも誘われちゃうだろ、ふつう。このあたり、つまり、前半の展開はとてもいい。

 ただ、終盤はいささか予定調和っていうか、2時間ドラマ的な展開じゃない?それは、ラストのワンカット、ユマ・サーマンがここぞとばかり演技をするんだけど、これなんか、いかにも、という印象が拭えないんだわ。

コメント

レイジング・ケイン

2007年01月16日 12時27分09秒 | 洋画1992年

 ◎レイジング・ケイン(1992年 アメリカ 92分)

 原題/Raising Cain

 監督・脚本/ブライアン・デ・パルマ 音楽/ピノ・ドナジオ

 出演/ジョン・リスゴー ロリータ・ダヴィドヴィッチ スティーヴン・バウアー メル・ハリス

 

 ◎ひとり4役

 ジョン・リスゴーも大変だったろうけど、デ・パルマとは昔からのつきあいだし、愉しむしかないよね、とかいう感じで、この多重人格役をひきうけたんだろうか?

 それにしても、沼に沈められてゆく車を観て、

「ああ、サイコね~」

 と気がつく人は多いだろうけど、ヒッチコックのパロディはおろか、自作までパロディにするデ・パルマの脳髄は、いったい、なにを考えていたんだろう?ひさしぶりに好き勝手できる作品を撮る機会に恵まれたことで、もうやりたい放題やってやるぜってな気分になっちゃったんだろうか?

 ま、デ・パルマがなにを考えていたかはさておき、やっぱり、彼は大作よりも小品がいい。

 女の精神科博士フランセス・スターンヘイゲンの分析を警察が聞きながら、沼から引き揚げた死体の所まで降りてゆくところのカメラは圧巻だ。さすが、デ・パルマ。ドナジオの音楽も相変わらず冴えてるし、やっぱ、B級ながらも流れるような映像と音調は、このふたりの右に出る者はいないんじゃないだろうか?ってな気にさせるくらい、デ・パルマ心をくすぐられてしまった。

 なにかと悪評の多い『レイジング・ケイン』だけど、すこしくらい辻褄が合ってなくたって、すこしくらい破綻してたって、最初から多重人格のオチがわかったって、でっかいジョン・リスゴーの女装が恐ろしくたって、そんなことくらい、いいじゃんね。

 だって、デ・パルマなんだもん。

コメント