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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

クーデター

2016年02月29日 01時03分47秒 | 洋画2015年

 ◎クーデター(2015年 アメリカ 103分)

 原題 No Escape

 監督・脚本 ジョン・エリック・ドゥードル

 

 ◎東南アジア某国といっても

 ベトナムへ難を逃れるわけだから、タイかラオスかカンボジアが舞台とされてるわけだけれども、まあ、空港から降りてすぐに白タクがやってきて交渉が始まるのはなんとも昔懐かしのタイの風物だ。今はどうなんだろう。それはわからないけど、結局のところ、アメリカをはじめとする他国の企業が入り込んでくるのを好しとしない国民の一部が、暴徒と化して外国人を襲い始めるという筋立てで、これはどちらかといえばクーデターというよりも騒乱に近いような気がするんだけど。

 とはいえ、作品中の緊迫感はただものじゃない。どこまでも追われ続けるオーウェン・ウィルソンとレイク・ベルの家族とそれを救けようとするCIAもどきのピアース・ブロスナンというだけの映画なんだけど、よくもまあこれだけ次から次へとピンチを作ってこられたもんだと、ちょっとばかり感心する。ただ、なんていうのかなあ、いくら東南アジアが政情不安になったとしても、これだけアナーキーな連中が町ぐるみでゾンビみたいに襲いかかってくるもんだろか?

 いや、ピアース・ブロスナンが実生活でもかなり筋金入りの正義感だってことはなんとなくわかるんだけど、なんだか、ちょっと東南アジアに対して偏見とかないのかしらって気にもほんの少しだけなった。これがたとえば東ヨーロッパとかアフリカとか中南米だったらどうだったんだろね?

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キャロル

2016年02月28日 13時36分56秒 | 洋画2015年

 ☆キャロル(2015年 アメリカ 118分)

 原題 Carol

 監督 トッド・ヘインズ

 

 ☆エチュード10の3ホ長調

 つまり別れの曲なんだけど、これがものすごく好い。ジョー・スタッフォードが歌ってて、当時のタイトルは『No Other Love』だとか。実は、これ、気がつかなかった。この挿入歌、えらく盛り上げるな~ってくらいにおもってて、でも聞いたことあるのはなんでなんだろう、とかって感じだった。ところが、映画を観終わってから、あ、別れの曲じゃん、てな感じだ。まいっちゃうな、まじに。

 で、なんでそこまで魅せられちゃうのかっていえば、リアリズムなのかもしれないね。監督のトッド・ヘインズは前にも『エデンより彼方で』で1950年代のアメリカを再現してみせたように、ほんと、細かいところまで気がついてる。まあそれと、なんでこんなに高慢で威厳があるのに寂しげで物欲しげなんだよケイト・ブランシェット、とか、なんでこんなに純粋で可憐なのに野暮ったくて強情で命懸けなんだよルーニー・マーラ、とかって感じだ。ほんと、このふたりの微妙な演技にはまいっちゃうわ。とくに粉雪の舞う中、ケイト・ブランシェットをカメラでそっと撮っていくルーニー・マーラのおもいつめた場面なんざ、これはたまりませんな。レズビアンの映画なんだけど、これはそういう同性愛だとかなんだとかをこえた大人の悲しくも純粋な恋愛譚なんだよね。

 ちなみに、なんでこのまるで対照的なふたりが恋してそれをまるで不倫でもしているかのようにひたすら隠そうとして最後には逃避行まで仕出かしちゃうのは、当時、アメリカでは同性愛は違法だったかららしい。よくは知らないんだけど、なるほど、そういうことなら、こういうふうに切羽詰まった感じはわからないじゃないな~と。

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ガーデン・オブ・エデン~失楽園の3人~

2016年02月27日 00時25分26秒 | 洋画2010年

 △ガーデン・オブ・エデン~失楽園の3人~(2010年 イギリス、スペイン 97分)

 原題 Hemingway's Garden of Eden

 監督 ジョン・アーヴィン

 

 △ヘミングウェイが観たらなんていうだろう?

 たぶん頭を抱えるんじゃないか?っておもうんだけど、そんなことないのかな?

 トラウマを抱えた作家をとりあうミーナ・スヴァーリとカテリーナ・ムリーノがもうちょっと魅力的っていうか蠱惑的な感じがあればいいんだろうけど、それでも物足りないのは、父親マシュー・モディンとアフリカに象狩りに行ったときのトラウマがまるで活かされていないからなんだよね。

 全体的なチープ感がどうしても気になっちゃうし。いや、というより全般的に中途半端なんだよね、たぶん。エロスを前面に押し出すのならそうしないといけないのに、そういう点はまるで足りないし、かといって小説について悩み苦しむ作家の姿なんて欠片もない。これは、辛いよ。

 というか、この原作が出版されたのは今でもよく憶えていて、たしかにぼくも買ったんだけど、実をいうと、まるで面白くなかった。ヘミングウェイってこんなにつまんないのかな~っておもったことを今でもおぼえてるわ。ま、ぼくの読み方が足りないのかもしれないんだけどさ。

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マーシャル・ロー

2016年02月26日 23時44分51秒 | 洋画1998年

 ◎マーシャル・ロー(1998年 アメリカ 116分)

 原題 The Siege

 監督 エドワード・ズウィック

 

 ◎3年後を予見したようなNYのテロ

 エドワード・ズウィックっていう人はアメリカ軍に対して決して信じ切らないという姿勢を貫いているように感じられる。ま、権力や軍力に対して懐疑的な姿勢をとるのは決しておかしなことじゃないし、盲信するよりも遙かに好ましい。で、ここでもそうなんだけど、ニューヨークで生起するテロへの対処が徐々に膨れ上がっていく怖さの元凶は、なにもアメリカ人がなかば本能的に恐れているイスラムにあるのではなく、軍隊を掌握することのできる将軍ブルース・ウィルスの姿勢というか心構えにあるって話を展開してる。

 ただ、それを突き詰めていこうとするのがニューヨーク市警のデンゼル・ワシントンなわけで、決して軍人じゃない。権力というよりも、その一部に身を置きながらそれよりもニューヨークの一市民であるというのが前提になってる。これもまたエドワード・ズウィックの視点ってことだよね。

 それにしても、この映画を初めて見たとき、アネット・ベニングがとっても知的で綺麗だな~っておもった。彼女はコンスタントに映画に出てて、徐々に好い年の取り方をしてる。そういうのっていいんだよね。

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ジョン・カーペンターの要塞警察

2016年02月25日 22時46分46秒 | 洋画1971~1980年

 ◇ジョン・カーペンターの要塞警察(1976年 アメリカ 90分)

 原題 Assault on Precinct 13

 監督・脚本・音楽 ジョン・カーペンター

 

 ◇リオ・ブラボーのオマージュ

 これって封切られた頃はただの「要塞警察」ってタイトルじゃなかったっけ?

 ま、そんなことはどうでもいいんだけど、なんとまあ乾いた映画だろうね。立て籠もることになる国人の警部補オースティン・ストーカーが9分署のなんか妙に色気たっぷりの女性職員ローリー・ジマーに珈琲を淹れてもらったときに「ブラック?」と訊かれて「生まれつきね」と答えるあんまり程度のよくないジョークのときから、乾き切ってる。

 この渇きは、警察を憎んで復讐したいとおもってる人種の坩堝を象徴するような集団ストリート・サンダーがサイレンサーでアイスクリームを買いに来た少女もろともアイスクリーム屋を射殺するとっても乾いた場面に繋がり、やがて9分署への大襲撃が始まるんだけどこれまた乾いた演出で次々に人が殺され、警察署はぼろぼろになっていく。

 そうした場面が時刻の表示と共に淡々と描かれていくんだけど、いやまあ、なんとも素人臭くそれでいて70年代のアメリカを凝縮したような画面つくりはたいしたもんだ。音楽もこの頃のカーペンター作品とよく似てて単調ながらも妙な盛り上がりのある仕上がりになってる。

 とはいえ、いくら悪党どもがサイレンサーだとかいっても、署内でがんばる連中はジョン・ウェインよろしくショットガンをぶっぱなし続けて窓ガラスも壁もドアも次から次へとぶっ壊してるんだから、いくらなんでも付近の住民たちは気づくんじゃないか?

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ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲

2016年02月24日 22時18分58秒 | 洋画2014年

 ◇ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(2014年 ハンガリー、ドイツ、スウェーデン 119分)

 原題 FEHÉR ISTEN

 監督 コーネル・ムンドルッツォ

 

 ◇犬の叛乱

 少女と犬の成長譚とかいう生易しいものではないのはわかっているんだけど、でも、やっぱり成長譚なんだろね、たぶん。

 離婚した父親のもとに引き取られて、いつまでも子供扱いされ、ちっとも一人前の人間として認められず、このまま行けば社会の中でも下層階級に追いやられ、いろんなところから置き去りにされてしまうような人生が待ち受けているんじゃないかっておもえる少女ジョーフィア・プショッタと、彼女が買っている雑種の話なんだけど、まあ、雑種からは税金を取るとかいうとんでもない法律が作られてしまう近未来の話ながら、ペットの人権を大切にしているヨーロッパだから出来たような話だ。

 結局のところ、ジョーフィア・プショッタと雑種犬とは、並行して同じような物語が語られる。棄てられたのは少女も犬もおんなじで、酒や麻薬に手を染めていっちゃう少女と、闘犬をさせられたことで獰猛になり保健所に収容されたことで人間を憎み始める犬とは、おたがいが再会できないながらもおんなじ道を歩んでる。こういうつくりは嫌いじゃないけど、ちょっとあざとい気もしないではない。

 とはいえ、徐々に変貌していく少女と犬の映像は凄いんだけどね。

 見ていておもいだすのは、鉄腕アトムの「赤い猫」と「青騎士」だ。動物の叛乱、ロボットの叛乱、どちらも人間の我儘や非情さや残酷さに嫌気がさして自分たちの楽園を築いていこうとする物語で、まあちょっとばかり近代史における革命的な雰囲気も漂ったりもするんだけど、たいがい叛乱を扱ったものはそういう側面を抱えているもので、それはこの映画にしても例外じゃない。

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007 スペクター

2016年02月23日 01時10分40秒 | 洋画2015年

 ◎007 スペクター(2015年 イギリス 148分)

 原題 Spectre

 監督 サム・メンデス

 

 ◎Mの遺言が発端になってる

 とは知らなんだが、まあどこかで話が繋がっているのがダニエル・クレイグ版のボンドだから、これはこれでいい。

 というよりもこの頃ぼく自身年を取ってきたものだから、前の話と繋がっているのは好いような悪いような感じなのだ。繋がっているのがわかるとどうなるのかといえば、ああそうだったかもしれないと頭のどこかで前作の断片が浮かんでくるんだけど、困ったことにはまるでおもいだせないものだから話がよく見えてこないという場合もあったりする。ああ、いやだいやだ。

 で、それはさておき、今回は、前作の「スカイフォール」が故郷をはじめとした過去との決別というのが主題のひとつだったようにおもえるんだけど、それに対して過去の因縁が甦ってくるというのが話の底にある。宿命のライバルとでもいうべき存在がそうスペクターなんだね。

 物語はちょっと荒唐無稽なところが多くなりすぎてる気がしないでもない。たとえばオーストリアの山岳でスキー場を滑空していく翼のもがれた飛行機とか、砂漠のクレーターの中にある秘密基地とかさ、そういうのが出てくると渋みが薄れて興味も半減しちゃい始める。以前の007がそうだったように、ボンドの超人ぶりと悪党のまぬけなでかさばかりが強調されてしまいかねないからだ。そういった中では冒頭のメキシコシティの「死者の日」の髑髏のパレードの場面が凄かった。ワンカットで延々つなげていくんだけど、これがたとえCGを使っているにせよ、見事だった。

(以下、2022年6月18日)

 なるほど、アメリカンはタンジールのホテルの名前だったんか。そしてここで運命的に見つけるビデオが『ヴェスパーの尋問』てのはなんとも込み入ってるな。それにしても、そうか、ダニエル・クレイグはこの作品でボンド役を終わりたかったんじゃないかな、やっぱり。というより制作側もこれまでの総決算みたいな扱いにしたかったからこそ、Mi6の本部も爆破させたし、すべての悪者はスペクターのもとに繋がってたってことにしたわけだよね、たぶん。

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マギー

2016年02月22日 21時43分32秒 | 洋画2015年

 ◎マギー(2015年 アメリカ 95分)

 原題 Maggie

 監督 ヘンリー・ホブソン

 

 ◎シュワルツェネッガーのゾンビ映画

 とくれば、誰もが愛する娘を守るために片っ端からゾンビを打ちのめす物語を想像する。

 もちろん、ぼくもそうだ。

 ところが、そうじゃなかった。シュワルツェネッガーはどこにでもいる中年のおじさんで、ちょっとばかり筋肉質みたいだけれどもずんぐりむっくりで、超人的な肉体を誇っていたり、戦えば敵なしとかいった風には見えない。いや、実際、前妻とその娘とは別れ、郊外で後妻と幼子ふたりと暮らす農夫でしかない。この親父が、地上にゾンビがはびこってしまった中、もう2週間も行方不明になってる娘を探しに町に出かけ、やがて娘を見つけたもののすでにゾンビに噛みつかれてその菌に感染してしまっていて、もはや手遅れの状態になってるという悲劇を迎える。こうなると一般人のシュワルツェネッガーにはなにもできず、ただ苦渋を浮かべながら郊外へ連れて帰り、やがてゾンビになってしまう娘を助ける方法はないのかと悩み、結局のところ、隔離施設へ入れることもできず、娘のゾンビ化は止まらず、しかも自分の友人の警官の息子はゾンビとなって施設に収容され、自分もまたライフルで娘を撃ち殺すか、はたまた施設で使われる安楽死させる注射を打つかどちらかだという選択を迫られることになるんだ。もちろん、娘がみずから命を絶つという選択もあるし、シュワルツェネッガーがみずから娘に腕を差し出して噛みつかせて自分もまたゾンビとなっていくという選択だってある。けど、どれも悲劇的な結末しかない。希望はどこにもないのだ。

 辛い物語だね。

 ここで誰もがおもうことは、たぶん、このゾンビ化する菌は要するに狂犬病みたいなものじゃないの?ってことだ。老いの目立ち始めたシュワルツェネッガーはよくある難病物の父親役を演じてるだけなんじゃないの?と。もちろん、そうだ。けど、そうだといってしまっては元も子もない。ただ、不治の病の物語を真正面から作ったところでそれはさすがにシュワルツェネッガーの物語ではないし、どうせなら、ゾンビ物の方が僕としてはしっくりくる。

 なんだか、ニコラス・ケイジもそうだし、スタローンもそうで、みんな、年相応の老け役をやるようになってきたんだね。時の流れというのは悲しいね。筋肉が売り物だったヒーローが渋みのある老人役を演じるようになるというのは、うん、僕自身、もうそんな年になってきたんだな~っていう感慨すら抱いてしまう。

 とはいえ、アビゲイル・ブレスリンもなかなか熱演してるし、メイクもけっこう効いてるし、ぼくとしてはシュワルツェネッガーの新境地とかいうのではなく、単純に父と娘の悲しいゾンビ物語として受け取った。

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ブリッジ・オブ・スパイ

2016年02月21日 18時21分28秒 | 洋画2015年

 ◇ブリッジ・オブ・スパイ(2015年 アメリカ 142分)

 原題 Bridge of Spies

 監督 スティーヴン・スピルバーグ

 

 ◇ジェームス・ドノバンのドイツでの実話

 これってもしかしたら、続編ができるんだろうか?1962年12月に行われたドノバンとカストロによる交渉と調印で、ドノバンは1113人の捕虜を開放させた立役者だ。今回の作品よりも数倍スケールが大きい。キューバとの国交断絶が回復した今こそ、正に絶好のタイミングだとおもうんだけど、そんなことないのかな?

 トム・ハンクスはほんとジョン・ウェインみたいにアメリカを背負って立つような役回りっていうか雰囲気になってきた。本人が意識しているのかいないのかはわからないんだけど、なんとなくスピルバーグと息が合うんだろね。それにしても、この作品の評判はえらくいい。たしかに堂々と撮ってるし、狂いのない物語の展開と画像の処理そして演技で、ことにルドルフ・アベル役のマーク・ライランスはとても好い。でも、そこまでの作品なのかな~って気もしないではない。

 ちなみに、この作品中、おっとおもったのはベルリンの壁が作られる正にその瞬間が舞台のひとつになってたことだ。ぼくがあの壁の前に立ったのはもう35年も前になる。あの頃、まさか壁が崩されるなんて夢にもおもってなかったけど、この作品を観てて、なんだかちょっとおもいだしたわ。

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イット・フォローズ

2016年02月20日 18時02分06秒 | 洋画2014年

 △イット・フォローズ(2014年 アメリカ 100分)

 原題 IT FOLLOWS

 監督 デヴィッド・ロバート・ミッチェル

 

 △セックスすると感染する幽霊とかって

 いくら自主製作映画みたいな設定でももうすこし緊張感のある展開と画像にできないものかとおもっちゃうのは、ぼくだけなんだろうか?

 いやたしかに誰も考えなかったかもしれない。セックスをすると幽霊が見えるようになってしまって、しかもその幽霊に襲われるようになってしまい、それが嫌だったら別な誰かとセックスすれば自分につきまとっている幽霊はその相手を狙うようになるっていう発想のことだ。でも、これって重箱の隅を楊枝でほじくればもういっぱいいろんなものが引っ掛かってくるような気がしない?

 同性だったらどうなんだとか、避妊してたらちがってくるのかとか、感染したら終わりのはずなのになんでまだ感染させたはずの登場人物たちにも幽霊が見えてしかも襲われるのかとか、電撃ショックを与えようとしてプールに誘き出したのはいいけど自分は感電しないのかとか、幽霊を銃撃して血が噴き出すのはありなのかとか、もう次々に挙げられてくる。

 しかもそれが風光明媚な海辺の田舎町で、幽霊の半分以上が肌もあらわな女性で、中には失禁してそれを垂れ流しにしながら近づいてくるとかって、この趣味はなんなんだっておもっちゃったりする。

 ま、主演のマイカ・モンローはこの頃立て続けに何作かに出演して、ついに主演を獲得したわけで、なるほど、美人だ。だからまあどんな展開でも許しちゃうんだけど、ちょっとね、どうもなんとなくね、もうすこしなんとかならなかったんだろうか。

 青春ホラーというくくりは、世の東西を問わずどこにでも転がっているもので、かくいうぼくも高校大学時代はそういう自主製作映画に何度か挑戦した。どれも似たようなもので、たいがい素人くさいものになっちゃったけど、プロのスタッフがいればこの作品みたいになんとなくできちゃったんだろな~って気がしないでもない。

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クリード チャンプを継ぐ男

2016年02月19日 23時59分20秒 | 洋画2015年

 ☆クリード チャンプを継ぐ男(2015年 アメリカ 133分)

 原案・監督 ライアン・クーグラー

 

 ☆まさか『ロッキー』のスピンオフができるとは

 それもこんなに感動的な物語が誕生するとはおもってもみなかった。

 さらに、それも『フルートベール駅で』っていうまるで知らないけれど、実はとてもおもしろそうな作品しか撮ったことのないライアン・クーグラーっていう若者が、ここまで『ロッキー』のつぼを知っているとはおもわなかった。もっといえば、マイケル・B・ジョーダンも『フルートベール駅で』に主演してるんだね。いや~、世界はどんどん動いていってるんだな。

『ロッキー』がぼくらの前に彗星のように現れたのは今から40年以上も前のことだ。ぼくは高校1年生だった気がする。自主製作映画を作ってる連中はみんな生卵を呑んで走るっていう場面を撮って、ひたすら体を鍛える場面もそれに続けたりしたもんだ。

 なんだか、人間も時代もあんまり変わらないんだね。

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グランド・ジョー

2016年02月18日 23時25分14秒 | 洋画2013年

 ◇グランド・ジョー(2013年 アメリカ 117分)

 原題 JOE

 監督 デヴィッド・ゴードン・グリーン

 

 ◇ニコラス・ケイジのいちばん地味な作品

 なんじゃないかっておもえるくらい、前半の単調なつまらなさといったらない。それが後半なんとか持ち直して佳境へ到るのはたぶんニコラス・ケイジあってこそなんだろね。これが無名の役者だったら、もう堪えられなかったんじゃないかと。

 いやまあ唐突に始まるアル中でDVの極みのような父親と、どえらく一本気な息子との会話からしてそうだ。とてもニコラス・ケイジ主演の映画の出だしとはおもえないくらいじめじめした中途半端な幕開けだ。くわえて、ニコラス・ケイジの仕事といえば、違法伐採のとりまとめ役で、さらに前科者だってんだからこれはもう陰惨な物語以外の何物でもない。実際、そうだった。

 たしかに、自分のどうしようもない人生の中で、もしも荒くれの若いときに道をはずしていなかったら別な人生だったんだろうなと反省したとき、自分を頼りにしている15歳の少年が現れて、その少年の父親がどうしようもない飲んだくれで、少年の稼いだ金を殴りつけてむしり取っては酒や煙草にし、さらには実の娘つまり少年の妹まで暴力をふるって車の中で売春させる野郎だと知ったとき、この子を守るのが自分の最後の使命だとおもうのは当然のことだろう。往年のニコラス・ケイジだったらもうすこし格好いいけじめのつけ方があったのかもしれないけど、もう腹の出かかった今、最後のちからをふりしぼって数発の銃撃をおこなって刺し違えるくらいしかできなくなってるんだと自覚するのは辛いね。

 うん、こうしておもいなおすと、ニコラス・ケイジ物の中では演技が中心だったのかもしれないね。

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ザ・ウォーク

2016年02月17日 02時43分30秒 | 洋画2015年

 ☆ザ・ウォーク(2015年 アメリカ 123分)

 原題 The Walk

 監督 ロバート・ゼメキス

 

 ☆高所恐怖症は見ちゃいけない

 ぼくは高所恐怖症だ。だから、もうこの原作になってるフィリップ・プティの『マン・オン・ワイヤー』とかを読むのはかまわないけど、映像で見るなんてことはどうにも緊張する。もう手に汗を握りっぱなしで、いや、ストーリーは単純明快で、ワールドトレードセンターのふたつの棟の屋上から屋上まで綱渡りをしてみせるというだけの話ながら、なんともいえない緊張感だった。

 佳境、いざ綱渡りをしようかという段になって、ひとりのサラリーマンがあらわれてプティに頷いてみせるところがあって、このサラリーマンについてプティは「謎の人物だった」というけれど、たしかにそうなるのかもしれないね。建設途中のWTCに上がってくるなんてのは見学者のはずはなく、たぶん自殺しようとしていたんだろうけど、でも、どうやって入ってきたんだろう、それも夜明け前にってな話だ。

 まあ、それはさておき、映像がとにかく引っ張ってくれる。どこまでCGとの合成なのかわからないけれど、かなりの部分がCGとの合成なんだろうなとはおもうものの、びっくりするほどよく合成されてる。もうCG凄すぎだ。それと、プティを演じたジョゼフ・ゴードン=レヴィットは実に堂々としていて、得意のフランス語も上手に披露してくれる。いやまじ、おもしろかった。

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黄金のアデーレ 名画の帰還

2016年02月15日 21時24分13秒 | 洋画2015年

 ☆黄金のアデーレ 名画の帰還(2015年 アメリカ、イギリス 109分)

 原題 Woman in Gold

 監督 サイモン・カーティス

 

 ☆松方コレクションはどうなるんだ!

 実にハリウッドらしい裁判劇で、ナチスが略奪した名画までも裁判によって決着がつけられるというのはなるほど国際間のわだかまりをおもえばより良い方法なのかもしれないね。ヘレン・ミレンの演じるマリア・アルトマンの叔母さんがクリムトのモデルになっていたことから、その名画はいったい誰の所有なのかといった裁判なんだけど、ただ、そもそもマリアの叔母アデーレがクリムトに頼んで絵を描いてもらったのか、それともクリムトが絵を描く際のモデルとなってほしいとアデーレに頼んだのかで、誰の所有物なのかってことは変わってくるんだろうけどね。

 どうやらこの場合は、もともとアデーレの所有していた肖像画だったようだから、それをベルベデーレ美術館が保持し続けたいとおもうのはちょっとばかり納得できない。だからアルトマン家の所有なんだけどそれを常設展示することを条件に返還されるというのはまあわかる。ただその後、別な人物ロナルド・ローダーの所有となっていくのがどうもね~っていう気もしないではない。なにせ、オークションで落札された際の価格は1億3500万ドルっていうんだから。

 ただまあ、マリア・アルトマンの過去の清算っていうかトラウマの払拭と、それに手を貸した青二才弁護士の人間的な成長譚という捉え方をすれば、これはこれで充分に楽しめる。

 映画の感想としてはそれでいいんだけど、ぼくら日本人はちょっとそうはいかない。小説『天国の門』にあるように松方コレクションがあるからだ。現在、ルーブル美術館にあるフランスに残されていた松方コレクションについてはいったいどうしてくれるんだって、そんなふうにおもうんだよね。

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グロリア

2016年02月14日 01時14分20秒 | 洋画1971~1980年

 ☆グロリア(1980年 アメリカ 123分)

 原題 Gloria

 監督・脚本 ジョン・カサヴェテス

 

 ☆あたしが寝た男の中であんたがいちばんだよ

 といわれるのは6歳のジョン・アダムズなんだけど、まあなんにしても、なんでこんなにかっこいいんだジーナ・ローランズ!と叫びたくなるのは僕だけじゃないはずだ。彼女は実はカサベテスの奥さんで、ここまでかっこよく撮れるってことは、よっぽど好きだったんだろね。

 この映画が封切られたとき、ぼくは大学に入ったばかりで、いやもうそのときはまじにぶっとんだ。これを見てきた後輩がめちゃくちゃおもしろかったですよとかっていうから、こんな50歳のおばさんが拳銃ぶっぱなす映画のどこがおもしろいんだとかなり馬鹿にしながら観に行ったんだけど、まったくの偏見でした、すみませんと謝った。

 ちなみに『レオン』だのリメイクされた『グロリア』だのについては、もうどうでもいいし、そういう表面的なかっこよさとはまるで次元のちがう世界にこの作品はある。すべてはジーナ・ローランズの堂々たる女っぷりにある。男と銃のすべてを知り尽くした女の開き直った余裕たっぷりの迫力というのはこういうものだっていうことをとことんおもいしらせてくれるんだよね。

(以下、2022年8月1日)

 観るたびに渋さが増すな~。

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