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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

ふたりの男とひとりの女

2022年11月06日 18時52分51秒 | 洋画2000年

 △ふたりの男とひとりの女(Me, Myself & Irene)

 

 ジム・キャリーの映画ってどうしても顔芸が臍になっちゃうから、ぼくのようにすこしばかり閉口しちゃってる顔芸はきつい。これって、コロッケで邦画にしても可能なんじゃないかって気がしたけど、たぶん、あたらないだろうなあ。

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60セカンズ

2022年10月21日 23時12分43秒 | 洋画2000年

 ◇60セカンズ(Gone in Sixty Seconds)

 

 もともと『バニシングin60″』の熱狂的なファンというわけでもなかった。そのため、この作品についても強い思い入れはないんだよね。でも、おお、なるほど、スピーディで派手だね。ただ、なんか、アンジェリーナ・ジョリーがちょっと蓮っ葉すぎる観はある。ニコラス・ケイジとロバート・デュバルはいつものとおりだ。

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JSA

2022年05月29日 00時03分42秒 | 洋画2000年

 ◎JSA

 

 JSAってのは大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の軍事境界線上にある地域のことで、つまり板門店だね。ただまあ、架空の物語とはいえ、国境の壁というのは、こういう人情劇を生むものなんだな~。なんとなく時代を感じるけど、上手に作ってあったわ。監督のパク・チャヌクは苦労人らしいんだけど、手慣れた感じはした。

 ヒロインのイ・ヨンエは、綺麗だね。

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あの頃ペニー・レインと

2017年08月15日 00時36分57秒 | 洋画2000年

 ◇あの頃ペニー・レインと(2000年 アメリカ 122分)

 原題 Almost Famous

 監督・脚本 キャメロン・クロウ

 出演 パトリック・フュジット、ケイト・ハドソン、ビリー・クラダップ

 

 ◇I Am A Golden God!

 どうやらキャメロン・クロウの自伝的な物語らしいけど、ペニー自体はそれほど本人に絡んでるわけではなく、自分はロックバンドのツアー取材してその思い出ぶかい顛末を描いているにすぎないのかなと。まあローリングストーン誌のトップに掲載されるかどうかというのはたいしたものだけどさ。

 ちなみに、おれは輝ける神だ!ていう叫びの元は、レッド・ツェッペリンのロバート・プラントがロスアンゼルスのハイアット・ホテルで叫んだのをキャメロン・クロウが聴いたものらしい。

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グラディエーター

2017年08月03日 23時21分19秒 | 洋画2000年

 ◇グラディエーター(2000年 アメリカ 155分/172分)

 原題 Gladiator

 監督 リドリー・スコット

 出演 ラッセル・クロウ、リチャード・ハリス、ホアキン・フェニックス

 

 ◇『スパルタカス』みたいだ

 どうも古代ローマ物というのは、欧米人とくらべてなじみが薄いせいか、いまひとつ入り込みにくい。

 ただ、どうしたところで大作になるのは必然のことで、圧倒的な物量と画面によって各賞を総なめしてしまう印象がある。内容は実をいえば想像を超えるものはほとんどなくて、たいがい定番どおりに進んでゆくものだ。まあ、この作品についても例外じゃなくて、そういう意味でいえば堂々たる王道の超大作といえばいいんだろうね。

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キャスト・アウェイ

2014年11月15日 18時40分23秒 | 洋画2000年

 ◇キャスト・アウェイ(2000年 アメリカ 144分)

 原題 Cast Away

 staff 監督/ロバート・ゼメキス 脚本/ウィリアム・ブロイルズ・ジュニア 製作/スティーヴ・スターキー、トム・ハンクス、ロバート・ゼメキス、ジャック・ラプケ 撮影/ドン・バージェス 美術/リック・カーター 衣装/ジョアンナ・ジョンストン 音楽/アラン・シルヴェストリ

 cast トム・ハンクス ヘレン・ハント ジェニファー・ルイス クリス・ノース

 

 ◇FedExとWilson

 ハリウッドの俳優はときおりとてつもない減量をしたり、強靭な肉体を造ったりする。かれらの芝居に対する態度はとても真摯なもので、こういうところ、どの国とはいわないが、役者なのかタレントなのかよくわからない中途半端な感じのする人々は見習ってほしいとおもったりする。その昔、老いさらばえた役だからと歯を抜いてしまった役者もいるにはいたが、ハリウッドの役者たちのような凄さはもうない。

 で、トム・ハンクスなんだけど、がんばってる。

 物語の出だしと最後では体重差が25キロあるそうだ。たしかに痩せこけてる。たいしたものだっておもうし、髪や髭についても同様だ。もっとも、かれの場合、もともと大柄なせいもあってそんなに減量したのかっておもわせちゃうところもあるけど、全編の約8割をひとりで芝居しなくちゃならなかったわけだし、当然、その肉体も目立つことがわかってるから徹底した減量とメイクの必要には迫られたにちがいない。役者根性の凄さだ。

 ロバート・ゼメキスはこういう大掛かりなエンターテイメントはお得意なんだろうけど、それでも相当な予算が掛かったんだろうか。国際航空貨物取扱業のFedEx Corporationの敏腕社員という設定で、もう画面のいたるところにロゴが登場する。けど、FedExもたいしたものだなっておもうのは、自社の航空機が墜落し、荷物もばらばらになったりして、もう大変な状況に追い込まれる話ながら、文句のひとつもつけないところだ。映画と現実とは違うんだと胸を張っているところは、実にたいしたものだ。映画なんだから楽しんでくれればいいのさという声まで聞こえてきそうだ。タイアップってのはこうやってやるんだっていう見本みたいなものだよね。

 タイアップといえばもうひとつ。

 ウィルソン・スポーティング・グッズ社のバレーボールだ。そもそも、ぼくたち日本人にはあまり多くないかもしれないけど、アメリカ人は愛用品に名前をつけるのは大好きだ。だから、孤独な人生を送っている人間はときおり大切にしている物に名前をつけて話をする。たったひとりで無人島に漂着しちゃったんなら、なおさらだ。この設定がよくできてる。というのも、トム・ハンクスが怪我をし、おもわずバレーボールに血の手形がついてしまったことで、まるで炎の化身が刻印されたかのように見え、それにちょっと手をほどこしていかにも赤ら顔の相棒のようにして、ウィルソンと名づけるんだけど、いや、よく考えてるよね。

 だって、孤独な人間にとって、独り言を喋るよりも、なにか話し相手になる物があった方がいいわけで、それは鏡の中の自分だったり、写真だったり、絵だったりするんだけど、ともかくそこに目鼻のある物でないと話し相手にはなりにくい。だからボールじゃダメなんだけど、手形による顔で、しかもそれが自分の血であればもはや分身に等しい。これでトム・ハンクスの鬱はすこしは治まるし、なにより観客に対して心模様を語って聞かせられるという抜群の効果まで生み出す。

 劇中、トム・ハンクスは何度「ウィルソン」って呼ぶんだろう。もはや数え切れない。さらには途中からウィルソンにはなんの植物かわからないけど毛も生えて、どんどん擬人化が進んでくる。バレーボールだから当然受け答えてくれるわけもないんだけど、話が進んでいく内に妙な実在感が漂い始める。いや、実際、ウィルソンは大切な相棒となり、筏に乗って島から脱出していくときも一緒に行く。けど、やがて離れ離れになって海へ消える。これって、無人島という異世界から現実の社会へ戻るときの儀式のようにも感じられる。もはや、バレーボールの相手はいらない。これからは生きた人間が相手になるんだっていうような。ともかく、こういうところはうまい。

 まあ、解釈はいろいろあるだろうけど、ウィルソン社にとってはほんとに拍手物だよね。

 ところで、最後まで開けなかった羽の描かれた箱なんだけど、この中身については実はどうでもいい。トム・ハンクスがそれまでの恋人が待ってくれているものと信じていたところで、現実はなかなか夢のようにはいかない。いろんな事情と機会が重なり、別れざるをえなかった。ところが、Federal Expressの勇気ある社員トムは、この羽の箱を届けることにこだわる。それは自分の仕事に対する義務感や責任感つまりは誇りを最後まで持ち続けるってことにつながるんだろうし、なにか運命的なものを感じたのかもしれない。で、その運命は、羽をモチーフにしている芸術家で、しかも冒頭では結婚していたはずが最後の場面では離婚しているっていう展開で、ふたりの次なる恋へ導くものになるわけだから、中身なんざどうでもいいんだよね。

 こういう展開は嫌いじゃないけど、ちょっとここにいたるまでが長いんだよな~。

 もうちょっと刈り込めなかったんだろかっておもうんだけど、無理か~。

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マディソン郡の橋

2013年05月25日 00時56分38秒 | 洋画2000年

 ◇マディソン郡の橋(1995年 アメリカ 135分)

 原題 The Bridges of Madison County

 staff 原作/ロバート・ジェームズ・ウォーラー『Love in Black and White』

     監督/クリント・イーストウッド

     製作/クリント・イーストウッド キャスリーン・ケネディ

     脚本/リチャード・ラグラヴェネス 音楽/レニー・ニーハウス

     撮影/ジャック・N・グリーン 美術/ジャニール・クラウディア・オップウォール

 cast クリント・イーストウッド メリル・ストリープ アニー・コーリー ジム・ヘイニー

 

 ◇橋の名は、ローズマン・ブリッジ

 たった4日間の不倫が、生涯を通した恋になる話。

 といえば、なんだかな~とおもってしまいがちながら、これがどうして原作小説も世界的にヒットし、破格の安さで撮られた映画も世界的にヒットしたばかりか、各国でいろんな賞まで受賞しちゃったんだろ?なんだよ、それっておもっちゃうんだけど、あれですかね、やっぱり、不倫だろうとなんだろうと、純粋な恋とか永遠の恋とかには、誰もが憧れてやまないんですかね?

 まったく、ぼくみたいにひねくれた人間は、どうしても物事を斜めに観ちゃって「所詮、中年の男女の不倫じゃんか~」とかいっちゃうもんだから、だめなんだ。ていうか、そんなふうにおもってたもので、封切られて20年近くも経ってから、ようやく観た。

「ああ、なるほど」

 と、おもった。

 かいつまんで筋を追ってみれば『母親が亡くなったとき遺言が見つかり、自分は火葬にしてくれとあったため、こりゃなんだよ~と子どもたちが読んでみれば、とある4日間の話が書いてあった。1日目、夫が出張に出、妻が道を聞かれたカメラマンにひと目惚れし、屋根付きの橋に案内し、夕食をご馳走するんだけど、また逢いたいとおもう。2日目、また夕食をご馳走した後、ダンスを踊り、そのまま自宅でエッチをする。3日目、ふたりで郊外にピクニックに出かけたんだけど、明日は夫が帰ってくるとおもいだし、もう残された時間はないってことで、またエッチをする。4日目、朝、これは遊びなのかと妻が聞き、一緒に来てくれと男が答え、荷造りをし始めるんだけど、家族を思い出した妻の表情で男は悟って去り、夫と子が戻ってきたことで、これまでと変わらない日常が戻ってくる。で、数日後、妻が夫と買い物に出かけたら、町を去りつつある男を見つけ、交差点で、その車の後ろに自分たちの車が止まり、男はウインカーを点滅させて曲がり、妻は夫の横に乗ったまま家へ帰った。っていう4日間の話があって、自分の遺体は火葬にして橋から撒いてくれと書いてあったので、子どもたちは母親の恋を成就させてやろうと遺灰を河に撒いてやる』とかいうことになるんだけど、こんなふうに書いたら、身も蓋もない。

 そこで、考えた。メリル・ストリープは結婚してからずっとど田舎で暮らし、畑仕事をしたりして、まるで変化のない日常を過ごしつつも、なんとなく都会的で文化的なものに憧れて、気は好いんだけど面白みのない夫につまらなさを感じていたところ、都会からカメラマンのクリント・イーストウッドがやってきて、なんだか芸術的な話をされちゃったことで萌え上がり、夢中になり、それからは、夫につくしながらも、ほんとは死ぬまでイーストウッドが好きだったわけだけど、これを不倫っていう言葉で括ろうとするから厄介なことになるわけで、なんかまあ、いろんな事情で結婚して、子どもとか生まれちゃったものの、ほんとうの恋にめざめてなかった女性が、ようやくほんとうの恋を知ってしまい、それを生涯、大切にしてたとすれば、そりゃまあ、仕方ないよねっていうことになるんじゃないだろか。

 難しい話だ。

 ただまあ、こういうことはよくあることで、たとえば、一週間の海外旅行に出たりしたとき、その旅先で、なんとなく野性味があって、それでいて芸術的だったりする男と出会い、濃厚な数日間を過ごしてしまったとしたら、どうだろう?

 なんにもおもしろくない日常とはまるで異質な、めくるめくほどに甘美な世界がそこにあったってだけじゃなく、その思い出は、決して色褪せない。思い出に出てくる男は夫と違ってハンサムで、いつまでも逞しく、加齢臭も漂わせず、腰が痛いだの肩が凝っただのといわず、衰えず、萎びず、つまらない愚痴もいわず、妻をなじらず、声も荒らげず、老眼にもならず、腹も出ず、白髪にもならず、禿げず、歯も抜けず、自分の耳元に、詩歌を奏でるような愛の告白をし続け、やさしく肩を抱きながら、キスをし続けてくれる。そりゃもう、ずっと好きでいるって。好きでいないわけないじゃん。

 だから、こんな都合のいい話、あるわけねえだろ~とかいえないんじゃないかしら?

 ただ、ひと言だけ、当時65歳のイーストウッドに告げたい。なんで、にやけてんだよ!もっと、いつものように、苦虫を噛み潰したような渋い表情で、いてくれよ!拳銃ぶっぱなして、唾はいて、眉間に皺を寄せて、シガリロを喫いながら、頑固一徹にふるまってくれよ!と。

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アイズ ワイド シャット

2013年04月23日 23時49分06秒 | 洋画2000年

 ◇アイズ ワイド シャット(1999年 アメリカ、イギリス 159分)

 原題 Eyes Wide Shut

 staff 原作/アルトゥール・シュニッツラー『夢小説』

     監督・製作/スタンリー・キューブリック 

     脚本/スタンリー・キューブリック フレデリック・ラファエル

     撮影/ラリー・スミス 美術/レスリー・トムキンズ ロイ・ウォーカー

     音楽/ジョスリン・プーク 衣装デザイン/マリット・アレン

 cast トム・クルーズ ニコール・キッドマン シドニー・ポラック ヴィネッサ・ショー

 

 ◇ファック

 のっけから困ったもんだけど、

 そもそも題名の「Eyes Wide Shut」の意味ってなんだろう?

 実は、そんなものは、ない。

 英語の慣用句で「eyes wide open」ってのは、ある。

「目ん玉、おっぴろげて、しっかり見ろい」

 てな意味になるらしく、これと反対に「eyes shut tight」ってのがあって、

「ぎゅっと目を瞑ってな」

 てな意味になる常套句も、ある。

 けど「Eyes Wide Shut」なんていう言葉は、ない。

「目を大きく瞑って」

 とか、いわないもんね。

 じゃ、なんでまたキューブリックは、こんなありえない言葉を題名にしたんだろ?

 ま、想像するに、

「ほんとは、目ん玉ひん剥いて見たいんだろうけど、見ないでちょーだいね」

 っていう意味になるんだろう、たぶん。

 世の中には見てもいいものと、決して見てはいけないものがある。

 それは、

 足を踏み入れてもいいところと、決して入ってはいけないところがある、

 っていうのと、ほぼおんなじだ。

 知りたいんだろうけど、知ったらあかんこと。

 ほんとはあるんだけど、あったらあかんもの。

 それって、誰もが本能的に、

 見たいし、知りたいし、入りたいし、触りたいし、体験したい。

 なにかっていえば、おとなだったら誰でも想像がつくとおり、

 性の深淵、だ。

 この映画でいえば、黒マント仮面乱交変態パーティ、となる。

 こんなふうに書くと、なんだかキワモノ作品みたいになるけど、

 宴に参加しているのは社会的にも経済的にも恵まれた紳士淑女で、

 もちろん、そこらの会員制秘密変態倶樂部なんぞとは比べ物にならない。

 ましてや、巷にあるカップル喫茶みたいに、誰でも会員になれるところじゃない。

 参加条件に満たない者は口にするのも憚られる、

 いや、存在してはならない宴なのだ。

 つまり、Eyes Wide Shut。

 だから、仮面ひとつにしても、そんじょそこらの意匠じゃないわけで、

 ニコール・キッドマンとの間で、倦怠期にさしかかったトム・クルーズが、

 偶然に彷徨いこんでしまったこと自体、罪になる。

 そういう、妖しくもおぞましいところが舞台になる作品の映像化なんだけど、

 まあ、さすがにキューブリックだから、非常に節度が保たれ、品が好い。

 内容が内容だけに、ぞくぞくするような緊迫感よりも好奇心の方が勝ってしまう分、

 ゆるい作品に仕上がってしまったのかもしれないね。

 ま、そんなところで、筋らしい筋があるわけではなくて、

 妻の不倫を妄想して娼婦を買い求めて深夜の街を彷徨い歩く男が、

 ふとしたことで紛れ込んでしまった仮面の宴を忘れられず、

 そこにふたたび潜入して咎められ、自宅で待っていた妻に、

 ふたりに必要なものはいったいなんなのか、

 世の男と女の絆とはなんなのかって、

 いちばん大切なあることを突きつけられるられる話なんだけど、

 最後のキッドマンのひと言が、このキューブリックの遺作を明解に物語ってる。

「Fuck」

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ホワット・ライズ・ビニース

2012年12月08日 15時45分27秒 | 洋画2000年

 ◇ホワット・ライズ・ビニース(2000年 アメリカ 130分)

 原題 What lies Beneath

 監督 ロバート・ゼメキス

 出演 ハリソン・フォード、ミシェル・ファイファー、ダイアナ・スカーウィッド、アンバー・ヴァレッタ

 

 ◇ハリソン・フォード、よく出たなあ

 なるほど、たしかに静かに展開する怪奇物やサスペンス物は好きだ。

 しかし、連れ子の娘を大学寮に入れて、少し前に浮気した夫とやり直して乳繰り合う日々を始めようと思った矢先、隣家に越してきた夫婦がDVの末に妻殺しをした思い込むという展開も良ではあるものの、う~む、途中からなにもかも予測されたとおりになってしまうのがなんとも。

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ザ・セル

2010年06月09日 01時59分02秒 | 洋画2000年

 ☆ザ・セル(The Cell)

 

 映像と衣装は、まさに現代アート。

 夢に入るのは素敵で、こういう物語の構図がそもそもお気に入りで、くわえて、夢である事に拘った動きまで演出しているのはじつに凝ってる。

 ただ、最初の資産家の息子と後の犯人の幼年時代とリンクできなかったのか悔やまれるし、水槽に至る過程も小児精神科医のジェニファー・ロペス自身が押していかないとね。物語がやや弱い分、映像詩になっちゃってる。だから、いまひとつ、批評がかんばしくないのかもしれないな。

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プルーフ・オブ・ライフ

2010年05月23日 11時53分33秒 | 洋画2000年

 ◇プルーフ・オブ・ライフ(Proof of Life)

 元兵士の人質交渉人が夫を誘拐された妻の涙にほだされるところも、ふたりの感情が燃えあがっていくところも、佳境の奪還作戦も、なんとなく外連味が足りないような印象だなあ。

 どうでもいいことながら、メグ・ライアンの左目、腫れてない?ラッセル・クロウとのゴシップが公開前に漏れてるのは関係ないよね?

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夏至

2008年07月31日 16時22分57秒 | 洋画2000年

 ◎夏至(2000年 フランス、ベトナム 112分)

 原題/Mùa hè chiều thẳng đứng

 仏題/À la verticale de l'été 

 英題/The Vertical Ray of the Sun

 監督・脚本/トラン・アン・ユン 製作/クリストフ・ロシニョン

 撮影/リー・ピンビン 美術/ブノワ・バルー

 音楽/トン=ツァ・ティエ 編集/マリオ・バティステル 衣裳/スーザン・ルー

 出演/トラン・ヌー・イェン・ケー、グエン・ヌ・キン、レ・カイン、ゴー・クアン・ハイ

 

 ◎淡々ながらリアルでない世界

 ハノイ、ハロン湾の数日を、母の命日から父の命日まで集った3姉妹を描くわけだけれども、ともかく、清冽な水が流れるように美しい映像だ。

 でも、その美しさとは相反して、集う三姉妹と夫が、それぞれ、不倫だの、二重家庭だの、妊娠だの、兄妹愛だの、処女喪失だの、を抱えているのは良いとしても、それが最後にわっと出てくるのは、少し嘘っぽいかなと。

 でも、喋らない不倫の設定は見事だった。

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ペイ・フォワード 可能の王国

2007年09月24日 17時22分57秒 | 洋画2000年

 ◇ペイ・フォワード 可能の王国(2000年 アメリカ 123分)

 原題/Pay It Forward

 原作/キャサリン・ライアン・ハイド『Pay It Forward』

 監督/ミミ・レダー 脚本/レスリー・ディクソン

 撮影/オリヴァー・ステイプルトン 美術/レスリー・ディリー

 衣裳/ルネ・アーリック・カルファス 音楽/トーマス・ニューマン

 出演/ケヴィン・スペイシー ヘレン・ハント アンジー・ディッキンソン ジョン・ボン・ジョヴィ

 

 ◇A kindness is never lost

 情けは人のためならずっていう話だ。

 ひとりが3人に親切にし、親切にされた3人がそれぞれ3人に親切にし、親切にされた9人がそれぞれ3人に親切にしていけば、やがて世界は親切で満たされ、世界は変わるっていう方法なんだけど、それを考えた主人公の男の子は、決して幸せじゃない。家庭内暴力の耐えないオヤジはどこかに家出しっぱなしで、おっかあはアル中でその経営するバーを手伝わないといけない。邦画で描いたら悲惨なことこのうえないけど、まあ、観れる。なんで観れるかはわかんないし、それについてはおいとこう。

 ともかく、主人公ハーレイ・ジョエル・オスメントはこの考えを実行に移そうとし、アル中の男、顔にやけどを負った先生、いじめられっ子に親切をほどこす。それと、先生とおっかあをくっつけようともする。たいがいうまくいったかとおもったとき、物語の予定調和どおり破綻する。これは、いい。けど、死んじゃうってのが、観客を泣かせたところで、どうしても後味が悪くなる。

 もちろん、恩送りっていうか、幸せの連鎖が起こるためには、少年の死といったような衝撃的なものがないと駄目かもしれないってことはある。だからこそ、少年を弔い、回り回ってきた親切のお礼になってくる長蛇の列が途切れないんだっていうラストになっていくんだけど、登場人物の死をもって感動を呼ぼうとする手法は、ぼくはあまり好みじゃない。

 まあ、なんていうんだろう、家族的な範疇で完結させてしまうところは物足りないけど、音楽とラスベガスの風景は良いし、DVや虐めやアル中を扱っているのも好いし、「世の中は糞だ」という言葉に凝縮されている物語の構図はあざといけど、それなりに活かされてるかな~ってなところが無難な感想かもしれないけどね。

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ハンニバル

2007年09月22日 15時42分59秒 | 洋画2000年

 ◇ハンニバル(2000年 アメリカ、イギリス 131分)

 原題/Hannibal

 原作/トマス・ハリス『ハンニバル』

 監督/リドリー・スコット 脚本/デイヴィッド・マメット スティーヴン・ゼイリアン

 製作/ディノ・デ・ラウレンティス マーサ・デ・ラウレンティス リドリー・スコット

 撮影/ジョン・マシーソン 美術/ノリス・スペンサー

 特殊メイク/グレッグ・キャノン キース・ヴァンダーラーン

 音楽/ハンス・ジマー 追加音楽/クラウス・バデルト スティーヴ・ジャブロンスキー

 挿入曲/ヨハン・セバスチャン・バッハ『Aria Da Capo』

 出演/アンソニー・ホプキンス ジュリアン・ムーア ジャンカルロ・ジャンニーニ

 

 ◇ハンニバル・レクターの恋

 おそらく禁じ手だったんだろう、レクターの恋というのは。

 人間は恋をすれば誰でも狂気に走る可能性がある。世はストーキングが希有なものではなくなり、空恐ろしい展開になってしまうこともある。博士の異常な愛情がこの先どのように変貌し傾斜していくのかをおもうと、もはや、その行き着く先はおぞましい展開にならざるを得ないんだろうけど、ともかく、この原作とはまるで結末の異なる映画の場合、どうしても完結編を創らざるを得ない展開にしてしまっている。善かったのか悪かったのかは、わからない。

 ただ、なんていうんだろう、A級の人々の作ったB級グロ超大作とでもいおうか。狂気の天才も、知的で官能的な女性に恋をしてしまえば単なる男になりさがる、という辛い現実を見せつけられてるような気がするのと、前作の神経をぴりぴりさせられるような興奮はなく、耽美に走ろうとしつつもグロに堕してしまったのが辛いところで、なんで、脳みそソテーとか獰猛豚の餌とか考えるかな~。

 こういうレクターのような強烈な登場人物は、完全な脇役にして、その悪としての存在が大きければ大きいほど、主役のFBI特別女性捜査官の挑戦と葛藤が生きてくるはずなのに、レクター自身が主役になってしまっては、どうしてもこういう歪な恋物語にしてしまうよりほかに仕方がない。

 なんで、レクターが人間的な恋心を持ってしまうんだろう。

 レクターという怪物はあくまでも怪物であって、危機とか窮地とか負傷とか、さらには殺されちゃうとか、あっちゃいけない。だから、たかが手錠から逃れるために手首を切るとかいうのはありなんだろうか?レクターらしくないんだよな~。そんな気がする。困っちゃうんだけど、もう映画になっちゃってるんだからね~。

 ただ、ぼくはジョディ・フォスターよりもジュリアン・ムーアの方が好みなんだけど、このシリーズに関していえば、ジョディの右に出る者はいないんじゃないかと。

 まったくオリジナルの映画だけの完結篇とか、できないんだろうか?

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メメント

2007年04月21日 12時09分21秒 | 洋画2000年

 ◎メメント(2000年 アメリカ 113分)

 原題/Memento

 原案・監督/クリストファー・ノーラン 音楽/デヴィッド・ジュリアン

 出演/ガイ・ピアース ジョー・パントリアーノ キャリー=アン・モス

 

 ◎サミーを忘れるな

 前向性健忘症っていう記憶障害がほんとにあるのかどうかは知らないんだけど、なんとも懐かしい雰囲気の映画だった。

 大学時代、異常な記憶についてはいろいろと考えたことがあって、時の流れというものについてもなんだかんだと考えてた。

 だから、ラストから始まり、時の流れを逆行することで、10分前の記憶を探し求めてゆくうちに、おそらくまちがいないであろう記憶が数珠つなぎに繋がるという構成は、もっと簡単にできるかなとおもいつつも、なんとも心の躍るような愉しさが味わえた。

 10分前の記憶が失われてゆく設定と場面構成は極めて面白く、構成を追わねばならないのがいささか鬱陶しいんだけど、ね。ま、事件そのものは簡単なものなので、思わせぶりな演出さえ除けば、もっと万人が疑問を抱えずに済むのにな~ってのが、いつわらざる感想。

 でもまあ、自主製作映画を観てるような気分にさせてくれるし、低予算の映画でも脚本が凝ってれば、相当に満足ゆくものができるっていう見本みたいな作品に仕上がるんだっていうことを証明してくれたわけだから、さすが、クリストファー・ノーラン。

 でもさ、ノーランの世界に共通してるのは、やっぱり、時の多重構造なんだね。縦の世界っていうのか、時間軸と空間軸が、ノーランの場合は常に縦になってる。こういう感覚が自主製作映画っぽくていいんだよ~。

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