◇オッペンハイマー(Oppenheimer)
とんでもなく評価が高いけど、ちょっとふしぎだ。これまでのクリストファー・ノーランの作品の方がおもしろかった気がするんだけどなあ。
まあ、公聴会にいたるまでの半生を描くのに、時間をこれでもかってくらいに交錯させるのはいつもどおりの構成なんだけどね。
キエミリー・ブラントがリアン・マーフィと連れ立って遠乗りに出た先で、こんなふうに前の夫の話をする。
「彼はスペインへ」
「戦うため?」
「旅団に加わってね。そして塹壕から頭を出して撃たれた。思想のための犬死」
「意味はある」
「私たちの未来を犠牲にしてファシストの弾を一発止めた。無意味でしかない」
端的だなあっておもった。
ただ、アメリカ人にとって日本人はおまけなのか?って感じがした。
ロスアラモスの理論部をひきいてほしいとキリアン・マーフィが頼んだとき、
「僕は無理だ。爆弾は善人も悪人も無差別に殺す。物理学300年の集大成が大量破壊兵器なのか」
「わからない、そんな兵器を僕らがあつかっていいのか。だがナチスではいけない。やるしかないんだ」
つまり、かれらの対峙しているのは、白人なんだよね。
ナチスを逃れてきたケネス・ブラナーは言う。
「私は助けに来たんじゃない。私など無用だ。君が送り出す強大なちからはナチスを駆逐する。だが世界には早い。政治家にわかるか。新型爆弾ではない、新世界だと。私もちからを尽くすつもりだが、君は米国のプロメテウスだ。人類にみずからを滅ぼすちからを与えた男。称賛されて、君の真の仕事が始まる」
それで、ドイツが降伏したとき、オッペンハイマーはようやくこう言う。
「まだ日本がいる。我々は理論屋だ。我々は未来を想像し、その未来に恐怖を覚える。だが世界は実際に使い、理解するまで恐れない。世界が恐怖を知ったとき、我々の仕事は人類の平和を確実にする」
そして原爆の使用の可否をめぐって、
「心理的な影響は過小評価できません。高さ3000メートルもの火柱、数キロ四方に中性子が飛散、たったひとつの装置でです。B29から密かに投下された原爆は、神のちからの恐るべき啓示となる」
なんか、日本に落とすのが唐突なんだよなあ。躊躇もないし。とってつけたように京都を除外するだけだし。庶民はどうでもいいのかよ?
足下に黒い消し炭になっちゃった死体のまぼろしや、女学生の肌がなんか綺麗なケロイドで剥けていくカットはあるけど、おざなりだ。
オッペンハイマーが原爆投下の罪の意識に苛まれるには、ちょっと原爆の悲惨な映像が足りないんじゃないか?