◎私は告白する
◇クライムダウン
◇銭形平次(1967)
あらま、岡田茂の単独企画じゃないのね。ま、所長だったし、かかりきりは無理か。それにしても、八五郎は大辻伺郎だし、お静は水野久美だし、このあたりは映画版ってことで張り込んだんだね。ま、箕輪の万七はおんなじコンビだけど、遠藤さんは辰雄の漢字だったんだあ。へ~。
つか、平次はまだ賭博に顔を出す鳶職で、岡っ引きの父親に勘当されて飛び出してる時代なのね。映画版のシリーズにしたかったのかな。苦しい時代だね。
山内鉄也の演出はかっちりしてるな。田坂啓の脚本がいいんだな、これは。でも、十手でかための金打ってのは初めて見たわ。深川のお稲荷さんが祇園の辰巳稲荷でロケしてる。楽にできてたのかな。拓ぼんも志賀勝も汐路章もみんな若いな~。
いいロケセットだなっておもったのは、心中に見せかけられたとび政の死体が見つかる橋なんだけど欄干が壊れそうに傾いてる。この美術はええね。いや、待てよ。どうも既視感が強い。大友柳太朗が「煙草を持っていけ」というあたりから、これ見たな、虎の穴みたいな河岸が出てきて、江戸の歌舞伎町的な感じのところが巣窟になってて、幼なじみの小池朝雄が顔を潰されて殺されるんだけど実は……とかいう筋書きじゃなかったっけと。
あらあら、デジャビュじゃなくて、ほんとに前に観てたのね。
ま、なんにしても、僕はやっぱり銭形平次は大川橋蔵だな~。
◇トレイン・ミッション
ジャウム・コレット=セラとリーアム・ニーソンは息が合うんだね。ていうか、ニーソンの好みをよく知ってて合わせるのが上手いのかしら。
で、あいかわらず、妻と子供を人質に取られて追い込まれていくリーアム・ニーソンなんだけど、今回の導入はおもしろかった。
田舎に向かう通勤列車の中で、高額につられて終点で降りる鞄を抱えた見知らぬ乗客を見つけだせってのはなかなかおもいつかない。電車で常連客っていう感覚がないものだからなおさらだったわ。日本だったらどうかな、田舎の路線バスか遠距離の高速バスとかになっちゃうのかな。だとしたら筋書きがなかなかむつかしいぞ。
◇フライト・オブ・フェニックス
小学生のときだったか『飛べ!フェニックス』を観て、おもしろいな~っておもった。何度か観るうちにだんだん古さが目立つような気になった。リメイクした連中もそんなもんだったんだろう。
それにしても、墜落するときの絵はなかなかたいしたもんだ。
ただ、明日の命もわからない非常事態に追い込まれたにしては乗客たちがかなり落ちついてるように見えるのは、やがて飛び立つからっていう筋書きのせいなんだろうけど、ちょっと恐慌さが足りないね。
飛行機を作ろうと声が上がったときも、なんだか、デニス・クエイドのほかは右へならえで、すこし素直すぎないかって気もするけど、まあ、密航とか殺人とか余計な脇道がある分、結論のわかってる議論はさっさと省略した方がいいっていう判断なのかもしれないけど。なんつうか、みんな、物分かりが良くて頭が良すぎる印象だな。
ちなみに、元の映画ではサハラ砂漠で、そのせいでぼくはサハラっていう単語には敏感になって妙なあこがれを抱くようになったんだけど、このリメイクはゴビ砂漠だ。当時は中国がハリウッドに多額の投資をしてた頃だったかな~となんとなくおもった。
◇アサシン クリード
これだけ贔屓の役者が揃ってると贔屓の引き倒しをしたくなるけど、う~む、難しい。マイケル・ファスベンダーの過去で母親が父親に殺される印象的な全ての始まりになる場面だけはわかるんだけど、どんな殺人をしでかして逮捕されて裁判にかけられたのかがたったひとつの台詞回しだけで片付けられるってのはありなんだろうか?っていうよりそういう中身だってことだよね。
たしかに逆光を効果的に用いた活劇場面は見事なもので、これだけ迫力を出せるようになったのかと。テンプル騎士団とアサシン教会のスペインでの戦いと、暴力矯正施設の巨大アーム治療室とがダブルイメージになって描かれてゆくところとか、いやまじ凄い。
けど、空虚なんだよな~。
マリオン・コティヤールはまあ担当医だし演技にもちからは入るだろうけど、似合わない役柄で顔見せに撤しただけのようなシャーロット・ランプリングやジェレミー・アイアンズやブレンダン・グリーソンとかを観てると、なるほど、お金掛かったろうなあとしかおもえない。
拾い物はスペイン時代のファスベンダーの妻を演じたマリアンヌ・ラベットで、綺麗だし、身のこなしもいいしね。
ほんと、もうすこし脚本がまともなら良かったのになあ。
◎トータル・リコール
学生の頃、自主製作映画の主題のひとつはアイデンティティの肯定だった。おれは誰だ?ってやつだよね。
そんな映画ばかり撮ってる連中の聖書のひとつがフィリップ・K・ディックで、自主製作映画を観てると、おやおやおや、これは『火星のタイムスリップ』だねとか、これは『流れよ我が涙と警官は言った』だねとかいう話題になったりした。
で、この映画は、ぼくらのそんな時代が終わってしばらくしたときに封切られた。だから、とっても懐かしくて、他人事じゃないんだよな~。
ま、そんなことで、シャロン・ストーンがえらく若くて美人で、しかもシュワルツェネッガーを蹴り倒した後で、シュワルツェネッガーに撃ち殺されるとかありか?てなことはどうでもよかったりした。今となってはこっちの方が肴になりそうだけどね。
でもまあそれはポール・バーホーベンも感じるところがあったんだろう。だから次の作品を『氷の微笑』にしたのもシャロン・ストーンにいかれちゃったのかもしれないよね。
◇ニコライとアレクサンドル
大作だな~。
なにからなにまでばりばりお金が掛かってる。まあ、プロデューサーがサム・スピーゲルで、監督がフランクリン・J・シャフナーなんだから贅沢な絵作りになるのは無理もないけど、好い時代の映画だね。
ヴィッテは知られてない分、ローレンス・オリビエが演じても違和感はないけど、ニコライはそうはいかない。名の知れたいろんな役者が候補に挙がってもメイクで似せられない以上、だめだしね。マイケル・ジェイストンが起用されたのはまあ当然といえば当然だ。ほんと、よく似せてある。
洋画のこういう姿勢は、好きだ。邦画だったらこうはいかない。役者の名前が優先で、作品の中身よりも役者の名前で観客を釣ろうとする。そういう浅はかな考えがなくならないかぎり、邦画は進歩しないね。
けど、ロマノフ王朝の終焉ていう主題はちょっと観客の興味をかりたてないな。少なくとも日本じゃ難しかったかもね。王宮にエレベーターがあるのはびっくりしたけど、ここまでの文化があっても時代の流れに疎いと滅びの道をたどっちゃうってことかな。でも宮殿の場面で目をひくのはそれくらいで、あとは単調だな~。
出征の場面や、野外の人民とのいざこざや銃撃の場面が見事な分、室内の単調さが余計に見えちゃって辛いな。
でも、トム・ベイカーのラスプーチンと、ブライアン・コックスのトロツキーはなかなかよかった。いやまあ、ほんと、メイクも本物によく似せてて大したもんだし、目立たないけど好演だね。