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Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
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▽=☆

悲劇の将軍 山下奉文

2025年02月16日 23時51分11秒 | 邦画1951~1960年

 ◇悲劇の将軍 山下奉文(1953)

 

 なるほど、たしかにシンガポール攻略ののち、すぐに山下奉文は牡丹江に追いやられてるなあ。3年ぶりの転任もフリッピンだからなあ。それにしても、この映画に出てくる山下は優しいなあ。記録写真だと、もうすこし暴れん坊な感じで、パーシバルとかと交渉してるけどなあ。まあ、早川雪州だから、仕方ないのかな。

 それにしても、みんな若い。岩崎加根子は、焼け出された女学生の役だけど、面影があるだけでまるで別人みたいに若いなあ。信欣三もそうで、幼い息子と植えながら逃げる若いお父さんの役なんだけど、若すぎる。でも、このあたり、フィリピンの密林のところなんだろうけど、大泉撮影所からすぐの平林寺の林にしか見えないなあ。

 佐伯清の指示なのか、それとも音楽プロデューサーでもいたのか、ベルリオーズの「断頭台への行進」がえらく何回もくりかえされてるんだけど、これ、山下の最後を匂わせてるのか、それとも画面にあるように避難民の行進だからなんだろうか?

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日本の夜と霧

2024年11月25日 12時49分55秒 | 邦画1951~1960年

 ◇日本の夜と霧(1960)

 

 ほぼ舞台劇なんだけど、台詞の失敗くらいじゃNGにできないほど予算がなかったのか、それとも大島渚は「それがリアルなんだ」というんだろうか?

 で、戸浦六宏、哲学論争で気張る。

「歌や踊りがマルクス主義とどういう関係があるんだ?ロシアやスイスの民謡を女の子と歌うことが革命となんの関わりがある?」

 映画の中でたったひとつほっとできた台詞なんだけど、この舞台劇のような大仰な台詞と長回しは、つまり、撮影期間が足りなかったってことね?長回しだし、フィルム不足だし、台詞を噛んだくらいじゃあNGは出してられないしね。

 しかし、この学生運動と戦前の青年将校たちはどうちがうんだろう?

「宗教なら信じるか信じないかの二者択一でいい。しかし、政治というメカニズムの中ではあれかこれかという押しつけはよくないとおもう。それではあらゆるエネルギーを汲み上げることはできない」

 戸浦六宏と渡辺文雄に向けられたこの台詞は学生運動にだけ向けられるものでもないような気がするんだが。ま、渡辺文雄は反論する。

「ひと握りの前衛が戦えば、あとの者はついてくるよ」

「しかしそのひと握りの前衛が前衛であるためにはあらゆる大衆の支援を必要とする。信じるか否かで切っていけば、それはもう政治じゃない。組織を抜きで学生運動は考えられないな」

 まあ、こうした主義主張のつよい自己陶酔したような台詞の応酬なんだけど、時代だけは感じるものの、映画に入り込むのは辛いなあ。

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第五福竜丸

2024年11月15日 15時10分54秒 | 邦画1951~1960年

 ◇第五福竜丸(1959)

 

 今見ると、なんか身が入らない。まあ、新藤兼人の特徴のひとつなんだろうけど、やっぱりどことなく明るい。宇野重吉のとぼけた風味がそう感じさせるのかもしれない。いや、本人はいたって大真面目に演技してるかも。ま、そんなことはいいんだけど、ピカドンを見たときの船員たちの、最初の、見世物を見るような反応がやけにリアルだ。特撮が当時としては妙に上手で、これは『ゴジラ』なんかもおなじことを感じる。

 徐々に被曝状況がわかってくるのとともに、宇野重吉とその妻の乙羽信子ら家族たちに焦点が絞り込まれていくんだけど、ここもまた悲劇を煽るような演出はない。どことなくあっけらかんとした悲劇で、これもまたいい。

 ただ、主張されるところは自明だからことさら声を大にする必要は無いって新藤兼人は判断したのか、宇野重吉演じる久保山愛吉が真っ黒に日焼けして焼津に帰ってくるところから死の床に就くまで、強烈な起伏もなく語られていく。現実の写真や家族の嘆きの方がつらい。だからか、物足りなさもあるにあるけど、これでいいんだろうなあ。

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新選組鬼隊長

2024年06月16日 02時08分39秒 | 邦画1951~1960年

 △新選組鬼隊長(1954年)

 

 片岡千恵蔵の近藤勇って、これがいちばん最初なのかな?

 それはわからないんだけど、中村錦之助の沖田総司は初めて観た。恋人のあぐり田代百合子と逢い引きするのが石塀小路だった。なるほど、たしかに情緒はあるかな。

 伊東甲子太郎を月形龍之介が演じてるんだけど、この片岡千恵蔵と月形龍之介のコンビはもはや定番だな。ちょっと若さが足りないけど、蛤御門の変から始まるのはなかなかめずらしい気がする。近藤の愛人は、梅香こと喜多川千鶴。

 ところで、監督の河野寿一なんだけど、彼はテレビの『新選組血風録』の演出もしてて、テレビの方がおもしろのはなんでだ?

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続・男はつらいよ

2019年10月11日 00時09分04秒 | 邦画1951~1960年

 ◇続・男はつらいよ(1969年 日本 93分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 森川信 津坂匡章 佐藤オリエ

 

 ◇第2作 1969年11月15日

 タイトルバックに、森川信は「おじさん」となってる。へ~この頃はおじさんだったのか。

 びっくりしたのは、寅がさくらに5000円やったことだ。5000円といえば、500円の10倍だ。当時としては、破格だよね。

 鴨川の岸辺ですき焼きを食べてるんだけど、即席の床というより丁寧な造りのテラスがある。三条大橋からちょっと上がったところのように見えるんだけど、こんな店あったかな?

 いや、そんなことよりも、この回は、寅がラブホテルに入る。ラブホテルというか連れ込みというか、ともかくそういう施設だ。後年のシリーズからは考えられない話だけど、さらに、そこへ、風見章子演じる女中さんが部屋に入ってきて機器や飲み物の説明するんだけど、こんなこと当時はしたんだろうか?

 しかしそうか、東山の安井天満宮の近くか。あのあたりにミヤコ蝶々演じる寅の淫売あがりの母親の経営する『グランドホテル』があったっていう設定だったのね。しかし、寅は泣くし、わめくし、よく動くし、こけるし、落ちる。こんなに動いたかなっていうくらい躍動する。

 佐藤オリエが素で噴き出し、うつむいて必死に笑いをこらえているのがよくわかる。

 東野英次郎は、頑張って堪えてたけどね。

 あ、ここでも「京都の方」っていうのね。この当時から「~の方」っていう言い方は定着してたのかな?

 ラストカット、河口堰なめの三条大橋の仰角。凄いね。川の中に入って撮ったんだね。

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早春

2019年09月10日 13時53分12秒 | 邦画1951~1960年

 ◇早春(1956年 日本 144分)

 監督/小津安二郎 音楽/斎藤高順

 出演/淡島千景 池部良 岸惠子 笠智衆 山村聰 杉村春子 浦邊粂子 三宅邦子 加東大介

 

 ◇池部良と岸惠子、唯一の小津作品

 なんとも珍しいのは、移動撮影だ。

 ハイキングで江ノ島に行ったとき、何カットも移動なんだよ。左から右のカットなんだけど、へ~、小津が移動ね~。

 すき焼きをするとき百匁でいいわねと聞くと、淡島千景がうちはいつも五十匁というんだけど、一匁は3.75㌘だから当時はやっぱり肉が高かったんだなあ。戦友仲間の会でつ~れろ節を歌うんだけど、なんだかな。加藤大介らは、朝鮮では犬を殺してすき焼きをやったらしい。この宴会の台詞は、リアルだわ。

 それはそれとして、全体的にちょっとだれるな。

 でもまあ簡単にいってしまえば、岸惠子と不倫する物語なんだけど、けっこうリアルだったりする。

 お好み焼き屋の個室で池部良と岸惠子がキスするんだけど、へ~小津がね~っておもった。

 抜き差しならない関係になると「あたし、あんたのこと、もっと好きになった気がする」となる。で、池部良の方はといえば情事に至る前も後もつっけんどんなんだよね。まあそんなことはともかく、サラリーマンの転勤ってのは面倒で嫌だなとおもってたんだけど、そのせいで不倫が一区切りしちゃうんだね、なるほど。

 もちろん別れたくない場合はまた別な展開なんだろうけど。

 ま、この物語の転勤は、ほぼまちがいなく左遷で、会社に同僚との不倫がばれたってことなんだろうけど、上司の中村信郎はそんなことおくびにも出さない。腹にいちもつある役はほんと上手だ。

 そうおもうと、転勤ってのは人生の節目なんだね。日々の暮らしのリセットっていうか。そのたびごとに新たな出会いと生活になるわけだね。あらためておもったわ。

 しかし蒲田駅のあたりも当時は田舎なんだね。ホームの水抜きから水がだあだあ流れ落ちてて、へ~あんなに水が抜けるんだ~て感心したりもするけど、それにしてもこんなのんびりした国がよく戦争したもんだと、加藤大介たちの兵隊会を見てておもった。

 ま、淡路千景のいうとおりで「あんなんだから、日本負けたのよ」だよね。

 で、山本和子なんだけど『東京暮色』で雀荘の客でやけに綺麗なモダンガールを演じてて、今度はチャコていうあだ名のOLさんだ。いつも軽やかで美人だね。

 それと、山村聡、脱サラして純喫茶を営んでるんだけど、けっこう知的で、のんびりやってる。これはこれで幸せなのかなとおもわせるね。

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東京暮色

2019年09月09日 23時28分18秒 | 邦画1951~1960年

 ◇東京暮色(1957年 日本 140分)

 監督/小津安二郎 音楽/斎藤高順

 出演/原節子 笠智衆 山田五十鈴 有馬稲子 宮口精二 藤原鎌足 浦辺粂子 杉村春子 山村聰

 

 ◇小津版エデンの東

 キネ旬19位とはおもえないがそれでもまだ健闘したのかもしれない。

 有馬稲子が情夫を訪ねてゆくのは大崎広小路の相生荘というところなのだが、東急池上線、当時から高架なのね。有馬稲子の情夫どもの溜まり場になってる満洲チャムス帰りの山田五十鈴と中村信郎の営む雀荘は『壽荘』で荘、荘と続く。原節子の旦那は岸欣三なんだか、ウヰスキーをショットグラスで呑み、日本のウヰスキーも善くなりましたねという。なるほど、そういう時代なのね。

 ちなみに、有馬稲子が深夜喫茶にいるのを宮口精二に補導され、原節子が身元引き受けに行ったとき「申し訳ございません」という。そうか、このまちがった日本語は「申し訳ない」の小津調のいいまわしだったのか。そのあと、家に帰ると笠智衆が炬燵に入ってるんだけど、原節子が「あら、まだ起きてらしたの?」と尋ねる。そうか、い抜き言葉も小津調だったのか。

 してみると、この辺の言葉回しは戦後の山の手言葉といえるんじゃないかな。

 有馬稲子が堕胎するために手術室に入ってゆくんだけど、場面が変わると最初のカットが出戻ってきた原節子の二歳の娘になってる。狙いどおりの繋ぎだね。そこへ有馬稲子が帰ってくる。気分が悪くなるがなにもしらない原節子は「どうしたの?風邪?」と訊く。蒲団を敷いてやるが、待っている有馬稲子の目にまた二歳の娘が入ってくる。有馬稲子は顔をおおって泣く。うまいなあ。

 ここと有馬稲子の本当の母の山田五十鈴のところを原節子が訪ねてゆくところはさすが小津だ。

 あ、それと、下村義平こと藤原鎌足がおやじになってる珍々軒でやけ酒食らって彼氏がやってきて頬っぺた叩いて飛び出して踏み切りに見いられて跳ねられたとき、それを店の奥からとその切り返し、さらに店の立てネオン看板を前傾姿勢に入れ込んだ踏み切りのロングだけで見せるんだけど、このあたりもほんとに上手い。

 ただ、珍々軒から飛び出した有馬稲子が踏切に飛び込んで自殺をはかり、鎌足が「おい、なんかあったのかい」と駆け出していったとき、後に残された彼氏の前に練炭ストーブがあるんだけど、掛けられてるヤカンから蒸気が出てないんだよね。沸騰しててほしかったな。

 ちなみに、踏切番が「小便に行ってる隙をついた」と証言するんだけど、このあたり、まったく時代を感じるね。

 ところで、有馬稲子の死を原節子に知らされた後、居酒屋で「一本つけてちょうだい」という山田五十鈴なんだが、この人差し指を軽く延ばしたままお猪口をかたむける動作がなんともかっこいい。そこへやってきて「おい、どうした?」と隣に腰掛ける中村信郎がまた堂に入ってる。粋だな。

 まあ、病院でも亡くなるところは見せず、山田五十鈴の店の前にやってくる喪服の原節子で語り、八つ当たりのように有馬稲子が死んだと告げ、お母さんのせいとだけいってさっさと帰る原節子の凄さと、そのあとひとりで居酒屋にいる山田五十鈴のところへ麻雀屋に落ちぶれていた中村伸郎が来てそれまで渋っていた北海道行きを承知し、さらにその旅立ちの日、花束を持って原節子を訪ね、別れの後、ひとり泣き崩れる原節子という一連の場面繋ぎは流石といわざるをえない。

 それと、駅で列車に乗り込みながらも、原節子が見送りに来てくれるかどうか諦めきれない山田五十鈴と冷静な中村伸郞のやりとりから、結局、後ろ髪をひかれながらも自宅にいて笠智衆に嫁ぎ先へ帰る決意を口にする原節子というまったく安直さのない展開も悪くない。こうした非情ぶった展開は小津的な非情さで、リアリズムでもあるよね。

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ひろしま

2019年09月05日 00時39分41秒 | 邦画1951~1960年

 ◇ひろしま(1953年 日本 104分)

 監督/関川秀雄 音楽/伊福部昭

 出演/岡田栄次 山田五十鈴 月丘夢路 加藤嘉 信欣三 原保美 梅津栄 下條正巳

 

 ◇広島市民のエキストラ

 なんてまあ数なんだろう。

 当時、どのようにして人を集めたのかわからない。もしかしたら学校動員みたいな形だったのかもしれないし、日教組の製作だからおそらくそんな感じで集められたんだろうけど、それにしても凄い数だ。なんとなく木下恵介の『陸軍』をおもいだした。まるで制作側の立場が違うけれども、人間が動員されるとき、なにやらとてつもないことが起きないと雲霞のようなエキストラは集まらない。

 この映画は、当時、日教組によるプロパガンダだといわれた。でも、それから半世紀以上も経った今、左右どちらのプロパガンダにしてもそういう色眼鏡で映画を観たところで仕方がない。少なくとも僕はそうおもう。要は、この作品が映画として面白かったかどうかっていうだけのことだ。

 信欣三が、戦争継続をうそぶく軍人から目をそらして、会議室の窓に蛾が飛んでいるのを見つける。飛んで火に入る夏の虫って意味だろうか。象徴として、関川秀雄はそう考えたんだろうか。

 見ていて、なんだか後半の方向性がちがうなって感じた。戦災孤児の話に焦点が移っていっちゃって、まあそれはそれで製作の意図のひとつなんだろうとおもったけどね。

 ただ、その孤児の描き方なんだけど、兄妹が母親の死に際に対面したとき、そのあまりの悲惨さに妹が目を背け、いきなり走り出しちゃうんだけど、まっすぐに走るんだよね。ひたすら、まっすぐ。

 子供ってのはそうで、左右がまったく目に入らなくなっちゃって、もう止まらない。で、この妹もそのまま行方知れずになっちゃうんだけど、昔から神隠しに遭う子供の何割かはどうやらこういう状況らしい。

 もしもそれがほんとうなら、関川秀雄、さすがだわ。よく子供の習性を研究してから撮影に入ってるわ。

 それはさておき、被爆して死んだ人の遺骨を防空壕から掘り出して「ハロー」とかれらが呼んでいる米兵や外国人に売ろうとするのは凄いな。宮島の蛇の絡み付いた髑髏の土産物の場面がこの伏線になってるとはおもわなんだけど「人類の歴史上最大にして最高の栄光この頭上に輝く、1946年8月6日」という文章の英訳を髑髏の額に貼りつけて売ろうとするんだから戦後を生き抜いていこうとする連中の逞しさだね。

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私はシベリヤの捕虜だった

2019年09月04日 00時03分05秒 | 邦画1951~1960年

 ◇私はシベリヤの捕虜だった(1952年 日本 86分)

 監督/阿部豊 志村敏夫 製作/シュウ・タグチ

 

 ◇CIAによるプロパガンダ

 事実かどうかは知らないし、この映画が制作された当時、たしかに東西冷戦は始まっていた。

 映画にはいろんな映画があって、公開された時代によって製作意図も効果もちがっていたんだろうけど、今になって観てみれば、なんでこれくらいな暴露にアメリカもソ連も目の色を変えてたんだろうって気も湧いてくる。

 なるほど、いかにも、まことしやかに、当時、シュウ・タグチに対してCIAが働きかけて、日本の赤化を阻止しようとして、ソ連はシベリア抑留っていうこんなに非人道的なことをしでかし、さらには民主化とかうそぶいて洗脳まで施していたのだっていう、映画による宣伝工作を仕掛けたとされた。

 うそかほんとか、ぼくは知らない。

 でもまあ、当時の観客の心を逆撫でしたのは事実かもしれないし、この映画に描かれていることの何倍も、抑留者は苦労したにちがいない。

 実際、ぼくの伯父は、シベリアに抑留されていたし、実家のとなりの歯医者のおじちゃんもそうだった。学徒出陣で関東軍に配属された父親は命からがら逃げ帰ってきたようだけれど、そういう境遇からすれば、シベリア抑留とソ連侵攻は決して他人事じゃないんだな。

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雪国

2018年01月23日 16時18分08秒 | 邦画1951~1960年

 ◎雪国(1957年 日本 134分)

 監督/豊田四郎 音楽/團伊久磨

 出演/岸惠子 池部良 八千草薫 森繁久彌 加東大介 浦辺粂子 市原悦子 千石規子

 

 ◎日本画家にする理由がわからない

 いや、東京が麻痺するくらいの凄い雪が降ったからってわけじゃないけれども。

 團伊久磨の音楽もいいけど、なんといっても、安本淳のカメラがいい。ロケの空模様が書き割りみたいな綺麗さだとおもってたら旅館の中はたぶんスタジオだとおもうんだけど野外入れ込みで室内を撮ったときのリアルさは見事だな。ラスト、岸惠子が仕事へ向かっていくとき、闇に埋もれた雪景色の中へ沈みこんでいくような撮り方はまるで墨絵のようで、見事だ。

 それと冒頭、列車の窓に映り込んでくる八千草薫の美しさ、駅舎の窓に映り込んでくる岸惠子の凛とした美しさ、どちらもたいしたもんだ。カメラだけじゃなくて豊田四郎の演出も細部まで気持ちの演技が見えてくる。ワンカットワンカットが丁寧だね。鏡台に雪景色が映りそこへ岸惠子のアップがフレームインしてきたりね。

 ただまあ、池部良がうまいんだろうけど、この高等遊民のようなどうしてもなく浮世離れした野郎の情けなさといったらない。日本画家という設定にする必要はまったくなくて、そんな意味のないことをするより山歩きの好きな作家としておいた方が好かったんじゃないかっておもうわ。

 でもまあ、ひどい男だね。この男がいなかったら、岸惠子も八千草薫も幸せとまではいかないものの不幸のどん底に落ちてしまうこともなかったろうに。そうしたどうしようもなく凍てついた呪縛というか運命の悪戯みたいなものがこの作品の底流になってるんだけど、このあたりがどうしても僕には辛い。

 ところで、女風呂で池部良と岸惠子がふたりで浸かってるとき、池部良がタオルで湯面に風船を作るんだけど、これ、妙に懐かしい。その昔、そう、ぼくがまだ幼稚園に入って間もない頃だったか、母親に風呂に入れられたとき、湯面でよくこの風船を作ってた。当時園児だった僕はそれがうまくできなくて何度もやりなおしたものだ。銭湯で手拭いを風呂に入れるのは失礼なことだから勿論するはずもなく、つまり家のお風呂でしかできない。当時ちょうど、家庭で風呂を作るようになってて、その頃、この遊びがなんとなく世の中に広がってたのかもしれないね。

 原作とちがうところは、火事のあと、つまりラストになって後日譚が描かれていることだ。

 火事から救出された八千草薫が顔の火傷を恥て人前に出られないようになり、それがまた岸惠子に対する怨念のようになって家で留守を守り、岸惠子は岸惠子で八千草薫の自殺のような映画館での炎への包まれようは自分が追い込んでしまったとおもっているからなんとかふたりで生きていこうとして芸者稼業に身を窶しているわけだけれども、でも、もうそれも限界に近づいていることを自覚しつつも、かといってどうにもならない現状があり、これからどうやって生きていけばいいのだろうと、我が身を呪い、かつまたいけないことだとわかっていながらも八千草薫を憎まずにはいられなくなっている自分をどうしようもなく憎み、その絶望感に包まれながらもはや死へ向かっていくのように薄暗い雪に閉ざされた中、今夜も仕事に向かうしかないという哀れさがひしひしと沁み入ってくる。たいした映画だわ。

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浮草

2017年08月07日 17時45分38秒 | 邦画1951~1960年

 ☆浮草(1959年 日本 119分)

 監督 小津安二郎

 原作 ジェームス槇(小津安二郎)

 出演 中村鴈治郎、京マチ子、杉村春子、若尾文子

 

 ☆杉村春子「あゝそう」でNG70回

 とにかく気合いの入った映画だった。

 小津安二郎の中では初めてづくしなんじゃないかってくらいに珍しいものがいっぱい出てきた。愛人、雨、夜汽車、操車場、旅芸人、そりゃもう枚挙にいとまがないくらいだけど、特に凄いのが雨だ。黒澤映画みたいな豪雨で、その雨を隔てて愛人と大喧嘩する。その「どあほ」「くそったれ」「死にさらせ」みたいな口汚さも小津とはおもえない凄さだ。いやもう、びっくらこいた。前半がなんとなく退屈だったものだから、当時の伊勢の風物をなんとなく眺めながら、ぼくのふるさととよく似た景色だな~くらいにおもってあくびをしてたんだけど、後半、すごいから。

 けど、どうやら、原案があるみたいで、それも小津とはおもえないハリウッド映画で、ジョージ・フィッツモーリスの『煩悩』だそうで、それを昭和9年に『浮草物語』として映画化して、それをみずから原作を作ってリメイクしたのがこの作品なんだとかで、これもまた「へ~」て感じだ。

 ともかく、なんていうか、時代を感じさせるね。旅芸人の悲哀もさることながら、鴈治郎が実の子の川口浩に出生を秘密にしてたのは「の子として世間に出したくない」という劣等感から来てるっていうのがまさにそうで、なるほど、時世時節は変わってゆくね。けど、凄味はこの時代の方が明らかにあるな。

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近松物語

2017年08月01日 00時28分24秒 | 邦画1951~1960年

 ☆近松物語(1954年 日本 102分)

 監督 溝口健二

 出演 長谷川一夫、香川京子、南田洋子、新藤英太郎、小沢栄太郎

 

 ☆最初で最後の長谷川一夫

 近松門左衛門の人形浄瑠璃『大経師昔暦』通称「おさん茂兵衛」を下敷きに川口松太郎が書き上げた戯曲『おさん茂兵衛』を映画化したものなんだけど、まじ凄い。

 長谷川一夫も一世一代の名演だとおもうわ。

 いや~不貞の片鱗もなかったものが疑われ追われていくにつれて恋が芽生えてやがて死んでも離れないというほどに抜き差しならないものになっていく過程をこれほどねちっこく芸術的に撮られる監督ってほかにいるのかしら?

 ただまあ、なんていうか、不倫を疑われるよりも先に人妻でありながら夫ではない男を頼ってしまった時点で、自分では気がつかないものながら、もう心の中にはその男に対する情欲が湧いているわけで、男も男でこれも知らず知らずの内に主人の女房とはいいながら身を挺して尽くそうとしゃしゃりでた時点で早くも恋慕たっぷりになってるわけで、これはいつの時代も変わらないね。

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麦秋

2017年06月30日 22時23分09秒 | 邦画1951~1960年

 ☆麦秋(1951年 日本 124分)

 監督 小津安二郎

 出演 原節子、笠智衆、淡島千景、三宅邦子、東山千栄子、杉村春子、菅井一郎、佐野周二

 

 ☆小津作品唯一のクレーンショット

 たぶん小津の映画でいちばん最初に観たのがこの「麦秋」だとおもう。中学生くらいのときにテレビで観たんだけど、冒頭の北鎌倉と終幕の奈良・大和しか覚えてなかった。けど、印象が薄かったわけじゃなくて、後になって鎌倉の大仏の場面が妙に印象的に浮かび上がってきたりした。で、この「青い鳥」を探しにいくような近所の幼馴染の静かな恋物語をぼんやりと観つつ、ふと、こんなことをおもった。

「あれ?これって大仏つながりじゃん」

 鎌倉と大和をつないでいるのが大仏っていうことで、もちろん、物語にはなんにも関係ないんだけど、こういう純朴な日本人たちを大仏はずうっと眺めつづけてきたんだろうな~っていう、批評家はひとりもいっていないような感慨めいたものがふうっと湧き上がってきたのは僕だけなんだろうか。

 それにしても杉村春子はほんと上手だね。

 ちなみに、麦秋ってのは麦が収穫されるときの季語で、初夏のことね。

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源氏九郎颯爽記 白狐二刀流

2016年05月28日 21時54分48秒 | 邦画1951~1960年

 △源氏九郎颯爽記 白狐二刀流(1958年 日本 87分)

 監督・脚本 加藤泰

 

 △秘剣揚羽蝶

 なんかまあ、宮本武蔵の白塗り版みたいな感じじゃない?

 どうしても二刀流とかってなっちゃうとそんな印象があるんだけど、これが全然ちがってて、幕末無国籍剣術活劇なんだから感想もいいようがない。当時はこんな感じの、つまり義経の子孫だとかいう九郎がなんでか知らないけど浮世離れした清潔感たっぷりの武士になって登場してくるんだけど、風呂は入らなくていいのか、とか、お腹は空かないのか、とか、生活費はどうやって稼いでるんだろう、とか、そりゃまあいろいろ疑問たっぷりの世界が展開するんだけど、ま、こんな感じの時代劇が流行ってたんだろね、たぶん。

 なんだかね。

 ところで、この時代、中村錦之助たちはどんな気持ちで演じてたんだろう?愉しかったのかな?これから後はどんどんとリアリズムがのしてきて、華麗な立ち回りはテレビの中だけの話になっていくんだけど、いつまでも白塗りでいないといけないのかなとかっておもってたんだろか?

 錦之助もそうだけど、邦画も大変だったんだろなって気がしたわ…。

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大怪獣バラン

2014年08月28日 21時49分30秒 | 邦画1951~1960年

 ◎大怪獣バラン(1958年 日本 82分)

 英題 Varan the Unbelievable

 staff 監督/本多猪四郎 特技監督/圓谷英二(円谷英二)

     原案/黒沼健 脚本/関沢新一

     撮影/小泉一 美術/清水喜代志 特技美術/渡辺明

     造形/利光貞三、八木寛寿、八木康栄、村瀬継蔵

     合成作画/石井義雄 光学作画/飯塚定雄、茂田江津子

     音響効果/三縄一郎 音楽/伊福部昭

 cast 野村浩三 園田あゆみ 千田是也 平田昭彦 土屋嘉男 本間文子 熊谷二良

 

 ◎特撮とボク、その39

 ぼくがこの作品を初めて観たのは、テレビだった。

 当時の白黒テレビは画像も悪ければ音も悪く、

 カラーの怪獣映画に慣れてたぼくには、ちっともおもしろくなかったんだけど、

 もうずいぶんと大きくなってから、伊福部昭のBGMを聴いた。

 そのときの衝撃たるや、なんでこの映画が劇場で観られないんだ!てなもので、

 以来、ぼくは『大怪獣バラン』の再上映を待ち焦がれてたんだけど、

 まったく再上映されることはなかった。

 でもまあ、劇場では今のところ観られずにいるものの、充分におもしろかった。

 いや、すごかった。

 バランの飛んでくところはちょっとばかりお粗末ではあるけれど、

 そんなことは、物語と映像と音楽による全体の出来栄えからすればたいしことじゃない。

 自衛隊の記録映像と上手にミックスされた戦闘場面の迫力は、

 特撮映画中の白眉じゃないかっておもえるし、

 合成されてる作画の見事さといったらないし、ミニチュアの湖がまたいい。

 もちろん、

 日本のチベットといわれる北上川の上流岩屋に残る婆羅陀魏山神の伝承とか、

 なんとも超古代オタクの心をそそるような設定もいいし、

 祠に祀られた婆羅護吽の像もまたいい。

 けど、なんといっても凄いのが、伊福部昭の音楽だ。

『婆羅陀魏』は伊福部昭の傑作じゃないかっておもえるし、

『兵士の序曲』をもとにする行進曲のオンパレードには鳥肌が立つ。

 鳴き声がゴジラほどの哀愁がないのと、

 照明弾につけられたメガトン爆弾を呑み込んでの体内爆発という設定が、

 もうちょっとなんとかならなかったんだろかとはおもうけど、ま、仕方ない。

 あ、そうそう。

 特技助監督のチーフとして出目昌伸さんが参加しているのには、

 ちょっと意外な感じがしたけど、これは余談。

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