△太陽はひとりぼっち(L'eclisse)
愛の不毛っていうより、物語の不毛なんじゃないかってくらい僕には理解しがたい。何度観ても、そうだ。
好いのは、ジョヴァンニ・フスコ作曲の主題曲だね。
△太陽はひとりぼっち(L'eclisse)
愛の不毛っていうより、物語の不毛なんじゃないかってくらい僕には理解しがたい。何度観ても、そうだ。
好いのは、ジョヴァンニ・フスコ作曲の主題曲だね。
◇シシリーの黒い霧(Salvatore Giuliano)
原題にあるとおり、サルバトーレ・ジュリアーノの半生とその死について考察していく映画なんだけど、いやまあ、戦時中の過去と当時の現時点とが交互に語られて、シシリー独立のために政府軍と独立義勇軍が衝突するありさまの中で、のちに義賊とされたジュリアーノの姿が描かれてはいるんだけど、わかるようなわからないようなどうにも難しい。
難しいのは要するに画面をひいているからで、シシリーのひとびとに出演してもらっているだけでなく、いやというほどの群衆場面の連続で、まじな話、誰が誰だかよくわからない。フランチェスコ・ロージの演出力は買うものの、これを観ながら頭の中で整理するのはなかなか至難の業だ。
なぜって、結局、殺害された理由も犯人もわからないままだからだね。
◇やつらを高く吊るせ!(Hang 'Em High)
この邦題は、なかなかつけられないよ。お見事!
インガー・スティーヴンスは農夫の娘とか西部劇の花みたいな役がよく似合ってて、ここでも雑貨店の女主人なんだけど、まさか、デニス・ホッパーが預言者で出てくるとはおもわなかったし、ブルース・ダーンにいたっては「やつら」のひとりだ。
なんかね、クリント・イーストウッドの西部劇の中に埋もれた観はあるけど、最初に首吊りにされるのはこの作品しかないんじゃないかな。もちろん、その復讐のために保安官に返り咲いていくんだけどさ。
◇グランプリ(Grand Prix)
三船敏郎のアテレコよくやってるとおもうけど、ちょっと違和感がないでもない。でも日本語の台詞は流暢だし、なによりかっこええわ。
◇ネバダ・スミス(Nevada Smith)
三十代のスティーブ・マックイーンが十代を演じることに無理があって、教養もなければ銃も素人という役柄はマックイーンの風貌や物腰からはとてもじゃないけど受け止められないし、興ざめする。ま、実話だとかいうけど、それはそれとして、だったらなおさらマックイーンに合わせて物語を作った方がよかったんじゃないかな。ヘンリー・ハサウェイは監督しててそうおもわなかったんだろうか?
◇引き裂かれたカーテン(Torn Curtain)
東ドイツからいかに逃げ出すのかってところのサスペンスはおもしろい。東側の教授から大発見された公式を必死で覚えようとするポール・ニューマン、上手いぞ。
それにしても、ジュリー・アンドリュースは逃げ出す映画によく出てるね。
臨時バスから郵便局そして劇場へと続く逃走劇は、よくできてる。
◇夜の訪問者(De la part des copains Cold Sweat)1970年
チャールズ・ブロンソンのクラッチ&アクセルだけで10分近く見せる。連れてきた医者は無用だったものの、草を燃やして追っ手を食い止めるとか、ライターで火がつくかどうかはともかく凄いわ。佳境、外人部隊の元傭兵はいう。
「今を楽しめ、人生は短い」
☆アラビアのロレンス
アカバに続くナフド砂漠の碍子は黒い。
休憩のあとがつまらんな~。途端につまらなくなるのは錯覚だろうかっていつもおもうんだけど、やっぱり、何度観なおしてもつまんなくなる。ロレンスの変容と狂気に得心がゆくような脚本になっていないからじゃないかなあって気がするんだけど、どうなんだろう?
トルコ軍に捕まって拷問と暴行を受けるのはいいとしても、そこにいたるのがわざわざ捕まりに出かけてるような捨て鉢な行動になってて、これがどうにも納得できない。もうすこしアラブの統合に理想を抱き続ける方がいいかな。だからこそ民族会議の破綻が衝撃的になるわけだし、ロレンスの復活の際もロレンスが金をばらまいたのがどうも物語としては裏切られ感が強すぎていけない。
とどのつまり、甘ちゃんの見る映画じゃないぞってことかしらね。
☆シャレード
おもしろい。ジバンシイの衣装もルイヴィトンの鞄もおしゃれだし、家に帰るともぬけの殻で、離婚したいとおもってた旦那が死体で発見されると出だしはなんともスリリングだ。ケーリー・グラントの出た顎をさわってどうやって剃るの?とか、煙草のフィルターをちぎって味がわからなくなるとか、いやヘプバーンがやると嫌味にならないのはすごいね。それにしても最後の最後までどんでん返しを連続させる脚本も音楽もうますぎる。
◇ワイルドバンチ
なんべん観ても途中でへこたれちゃう映画がある。それがこの作品なんだけど、どうも、サム・ペキンパーとは相性が悪いらしい。暴力的ってことでいえば、ウォルター・ヒルの方がよっぽど暴力的っておもうけど、そうじゃないんただよな~。
それはともかく、当時はカット割の多さや爆破の凄さやスローモーションが喧伝されたんだけど、こういうところはやっぱり色褪せてくる。ウィリアム・ホールデンとアーネスト・ボーグナインが出てなかったらたぶん見直してないな。
◇影の軍隊(1969年 フランス、イタリア 140分)
原題/L'armee des ombres
監督/ジャン=ピエール・メルヴィル 音楽/エリック・ド・マルサン
出演/リノ・ヴァンチュラ シモーヌ・シニョレ ジャン=ピエール・カッセル
◇フランス・レジスタンス
潜水艦も輸送機もものすごい質感。特に離陸したところはすごい重量感だとおもったけど、対空放火を受けたときだけはあかんかった。化けの皮がはがれちゃった。とはいえ協力してくれてる男爵の庭に降りるときはなかなか良かった。
でも、音楽は佳境を除いてほとんどないし、なんとも重苦しい。
佳境、バンチェラがシモーヌ・シニョレが次の飛行機でフランスを離れろというのに聞かず、朝ごはんを食べててレストランで捕まって投獄されたとき、最後の一服のゴロワーズを回してやるんだけど、これ、全員喫うんだよね。バンチェラは自分の煙草なのに一服すらできなくて、そのまま銃殺されていくんだ。
「走れ、機関銃にあたらなかったらそのまま逃がしてやる」
とかいわれて、道化になる惨めさをふりきって走るんだけど、それまで仲間を助けられずにもう不可能だとしていたシモーヌ・シニョレがやって来るのは好い。逃げる車の中で、そっと手を握ってやるのも好い。人妻で娘もいるんだけどね。先に降りて小さく手をふるときの別れの顔は、実にうまい。
でも、そのシモーヌ・シニョレが捕まって娘を守るために仲間を売ったとき、リノ・バンチェラたちは非常にも処刑するんだよね。ま、みんな、やがて捕まって処刑されるわけだけど、そのとき、リノ・バンチェラは走らなかったって字幕は語るけど、走れないよね。助けに来てくれる仲間はもういないし、たとえいたとしてもシモーヌ・シニョレを処刑した身としては走れないんだな。
◇仁義(1970年 フランス 140分)
原題/RouLe Cercle ge
監督・脚本/ジャン=ピエール・メルヴィル 音楽/エリック・ド・マルサン
出演/アラン・ドロン イヴ・モンタン ジャン・マリア・ヴォロンテ
◇ブールヴィルの遺作
なんか妙に男臭いな~。
まあ、それはちょいとおいて、アラン・ドロンはここでもスタントを使わない。いつもおもうけど運動神経が良いんだな。
なるほどっておもうのは、出所したドロンと逃亡犯とが上手に絡んでくるってことだ。ふつうだったらこんな出会いはないだろうって、最初から気が殺がれるんだろうけど、あんまりそうでもない。
ただ、札束を持ってるドロンが仲間を求める必然性を感じないんだな。物語の都合っていわれたら困るけどね。所長から聞かされた宝石泥棒に誘い込むつもりだったっていうのならまあ許せるかな~って感じだ。
いずれにしても、この男臭さはぼくの前の団塊の世代が好みそうな匂いではあるかな。
◇サムライ(1967年 フランス、イタリア 105分)
原題/Le Samouraï
監督・脚本/ジャン=ピエール・メルヴィル 音楽/フランソワ・ド・ルーベ
出演/アラン・ドロン ナタリー・ドロン フランソワ・ペリエ ミシェル・ボワロン カティ・ロシェ
◇小鳥を飼うビルに埋もれた薄暗い部屋
まあ、その冒頭がこの映画のいちばんの見どころなんだけど、カメラがフィクスされているようで実はそうではなく、時間と心象が混在したショットになってるのは、これまでにあまりにもたくさんの人達が批評してきたことだし、いまさらぼくごときがなにをかいわんやだ。だから、メルヴィルの侍のように孤独なこだわりをもった演出法やアラン・ドロンとの尊敬し合う仲についても、くだくだ書いたところで仕方がない。
で、ここでおもうのは、ふたりの女性だ。
恋人であるのか、それとも体よく利用されている娼婦なのか、よくわからない、頭が好いのか悪いのかもよくわからない、ただひたすら男好きする美形っていう存在のナタリー・ドロン。デビュー作なんだよね。凄いね。単に綺麗なだけじゃだめなんだね、雰囲気がないと。でも、こんなに身も心も好いオンナに、ドロンはまったく無関心を装っているのか見向きもしないっていうかともかく情けをかけない。都合のいい女っていう立場からまったくはずそうとしない。すんごいね。
いまひとりが、サロンのピアノ弾き、カティ・ロシェで、フランス人とどこの混血なのかはわからないけれど、もうとにかく人目を惹く。ドロンはたぶんひと目惚れしたんだろう。だから、彼女を殺せといわれようとが、殺害の目撃者になってしまわれようが、そんなことはどうでもよくどうせなら彼女の前で死にたいとおもったりするんだろうね。いや、知的かつ肉感的な女をこれだけちゃんと演じてるのに、彼女のほかの映画を僕は知らない。
まあ、いずれにせよ、男はボルサリーノひとつ被るにもかっこをつけないとあかんって教えられるような映画であるのは当時も今もおんなじで、殺し屋の部屋はこういうふうにストイックになっていないといけないし、あきらかに『冬の華』の健さんの部屋はこの映画の影響なんじゃないのかな。