◎男はつらいよ 寅次郎物語(1987年 日本 101分)
監督/山田洋次 音楽/山本直純
出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 五月みどり 秋吉久美子
◎第39作 1987年12月26日
夢は、寅の子供の頃の思い出話だった。初めて家出したときのなんか時代劇じみた、長谷川伸の劇でも始まりそうな感じだとおもったら、森川時久監督映画『次郎物語』のパロディだった。
で、目が覚めても兄ちゃんを呼ぶ少女の声とわかり、常総線中妻駅でめざめるんだけど、さらにはタイトルバックもなにやら地方ロケなんだけど、どちらも地味な印象が続き、1stシーンも帝釈天の前を通りすぎるさくらではなく、学校に面談に訪れるさくらだ。
なにもかもが、ちょいと違う。
で、寅の出したハガキを頼りに、郡山からとらやを訪ねてくるテキヤ仲間の忘れ形見のくだりになるんだけど、やはり、ちょいとちがう。さらに、お~なんだかテレビが家具調のボタンチャンネルになってるな~とおもっていたら、いつものように寅が店先を通りすぎる前に寅のアップから始まる。
ふ~む、ちがう。
とおもっていたら、五月みどりの写真を腹巻にいれてとらやを飛び出したときから、まあ、いつもとおんなじになったわね。
ところが山田洋次、さすがにうまいわ。
五月みどりの消息を訪ねて和歌山の和歌浦から奈良の吉野山へと向かう最中、いきなり、化粧品のセールスをしている秋吉久美子のカットが挿入され、五月みどりの辞めた旅館で秋吉久美子に出会うという展開になる。五月みどりの話から秋吉久美子に入れ代わり、子供のにわかな病気を媒介にして筋を回していくんだけど、笹野高史と松村達雄をからませて、おとうさんと呼ばれて単純に喜ぶあほな寅とお母さんと呼ばれて退屈な人生に小さな満足と喜びを感じてしまう秋吉久美子のもろい絆まで作り出してしまい、それどころかとらやまで巻き込み、ついでにお父さんお母さんと呼び合う電話口からあらたな岡惚れとその先の悲劇まで想像させ、チアノーゼの翌日、お決まりの寅が逃げるかとおもわせる一室での夜半のくだりも、大和上市駅の秋吉久美子の見送りまでぐんと回転させていくのは職人芸だね。
伊勢英虞湾賢島でのすまけいに河内桃子もふくめた五月みどりとの再会から寅が別れを嫌がる子供に向かって『こんなおそまつな男になりたいのか』とたんかをきる桟橋の別れまでまあ上手なもんだわ。
ただまあ、五月みどりの子供への抱き着き方はよろよろころがってまるで新派の芝居じみてたかな。
しかし、今回は、台詞もいい。
寅の説得だけでなく「仏様が寅に姿を変えて子供を助けた、仏様は愚者を愛しておられる、わたしのような中途半端な坊主よりも寅を」という笠智衆から「あれは愚者以前です」といわれる佐藤蛾次郎のとぼけた味までね。
さらにいえば、師走にふられない寅がいて、ぼちぼち旅に出るかと悟ったような口舌を披露した後、のんびり出かけていくくだりまで、いや、寅が財布を忘れ、そこにさくらがお金をそっといれてやるさままでなにもかも、もうちょっといえば、駅前まで見送りに出た満男が「人間てなんのために生きてるの?」と訊いてきたときに「生まれてきてよかったなあとなんべんかおもうことがあるから、そのときのために生きてるのよ」も答える寅の後ろ姿が、なにやら、最終回みたいに感じられた。
でもやっぱり、秋吉久美子は、最後の最後で『とらや』にくるのね。まあ、お決まりの展開は外せないのかしらね。
で、五月みどりの「生きててよかった」という手紙から伊勢二見が浦で桟橋の別れを「せつないな~」と嘆じて船を出したすまけいが子供の未来の父親と予感させるラストまで、何度かある寅のアリアを除けば実に上手に撮られてた。
山田洋次の職人芸を感じるな。
あ、でも、ぼくは観るつもりはないんだけど、NHKでこの作品の夢の物語をそのまま映像にしたようなドラマが放映されてるみたいだけど、まあ、なんだかね、50年50作に合わせた寅さん祭りみたいな感じになってきるんだろうけど、ま、いっか。