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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

積木くずし

2024年11月19日 18時36分32秒 | 邦画1981~1990年

 △積木くずし(1983)

 

 いやまあ当時は不愉快で見る気もなかった映画なんだけど。非行と家庭内暴力はこの頃がピークだったのかもなあ…。

 つか、なんだか、テレビサイズだなあ。

 渡辺典子が不良に走る理由が後半にならないと見えてこないのと、前半はケンカしたりシンナー吸ったりするからってそれほど問題をかかえた非行少女には見えないのが、物語がわかっているだけに外された感じがする。ことに非行に走りつつも、母親のいしだあゆみには恋の悩みを泣いて相談するくらい良い子に見えるのがまだるこしい。途中、錦糸町の駅前を深夜にふらついて警察に捕まるとかゆーのも中途半端な気もするし。まあ、藤田まことが京都ロケに行ってるときにいしだあゆみからちからづくで金をせびろうとするところから徐々に凄くなってくるんだけどね。

 それにしても『絞殺』もそうなんだけど、子どもはたいがい部屋の中でどでかい音で、くそうるさい和風ロックを響かせる。なんで?

 しかし、あれか、これ、子どもの不良化は親に原因があって、とくにこの場合、藤田まことの浮気と夫婦のいびつな喧嘩がそうなんだけど、こうしちゃうと非行と家庭内暴力の映画ながら普遍性がなくなるんじゃないかなあ。いやそんなことより、やけに藤田まことが好い人で、なんでこんなに物分かりがいいのに浮気してるんだろう?

 で、林隆三演じる相談員に頼るしか術がないって感じなのは、ほんとうにそうしたからなんだろうか?

 話は変わるけど、穂積隆信が俳優座の第3期ってのは知らなかったわ。

 

 

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松本清張のゼロの焦点

2024年10月01日 17時55分43秒 | 邦画1981~1990年

 ◎松本清張のゼロの焦点(1983)

 

 監修・野村芳太郎、脚本・橋本忍、山田洋次とかってあったら、2時間ドラマでも観るしかないじゃん。

 ということで観たんだけど、まさか、1961年版の脚本がほとんどそのまま再利用されて1983年当時のドラマにしてあるとはおもわなんだ。もちろん、役者は総入れ替えされてて星野知子、竹下景子、大谷直子、勝野洋、河原崎長一郎、風見章子…。おお、懐かしい顔ぶれだ。

 で、当時のドラマでは多用されていたかもしれないんだけど、夫の死に顔の確認に向かうところから棺桶を覗き込むまで、鼓動音が徐々に高鳴る。あんがい効果的だわ。

 この能登の赤崎地区は好い感じだねっておもったら、このロケ地も1961年版とおんなじなのね。

 それにしても、ほとんどおなじ脚本ながら、立川のパンパンが横須賀のアメリカ・ガールに変更されてるって、なんだよ、これ。いや、そんなことは仕方ないにしても、殺人を犯すほど知られたくない過去なのかな?でもそうかなあ。たぶんそうなんだろうなあ。てなことをおもいながら観たんだけど、なんというのか、監督やカメラや音楽の差って、こんなにあからさまに見えちゃうものなのかなあ? 

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スケバン刑事

2023年02月14日 21時53分49秒 | 邦画1981~1990年

 ☆スケバン刑事

 

 追悼、手塚治。

 そうか、もう、36年も経っちゃったか。涙が出るね。

 当時、東映の企画制作室で「スケバン刑事を映画化したい」といきなり声をあげた若手のプロデューサーがいた。

 横山やすし・渡辺裕之・白戸真理・武田久美子・朝比奈順子・陣内孝則出演の「ビッグマグナム黒岩先生」や、学研との提携作品の志村香・奥田圭子・中山秀征・島田奈央出演「パンツの穴・花柄畑でインプット」や、古村比呂・畠田理恵・沢田和美・小松みどり・光石研出演の「童貞物語」などの青春映画を続けて担当していたが、どうしても自分のやりたい映画を企画したくて、和田慎二の「くまさんの四季」が大好きだったこともあり「スケバン刑事」を映画化したいと望んでいた。

 宣伝部の後輩に「初代と二代の麻宮サキを登場させて、血染めのダブルヨーヨーって仮題にしたい」と夢を話した。できない話ではなかった。テレビ部で斉藤由貴、南野陽子のドラマが制作され、知る人ぞ知るヒットをかっとばしていたからだ。とにかく映画にすれば、大ヒットするのは目に見えていた。若手はテレビ部にかけこみ、スケバン刑事を担当していた同期のプロデューサーに話をもちかけた。

 すると、ちょうどそのとき、スケバン刑事を放送していたフジテレビでも映画化の話が持ち上がってた。だから、企画制作室の企画書にするのはちょっと待ってくれと。話がびっくりするくらい同時に持ち上がっていたことになる。結局、企画書がテレビ部から映画の企画制作部に持ち込まれて成立したものの、大泉撮影所の本編を撮影する第1制作ではなく、スケバン刑事のテレビ版を撮っていた第2制作で撮影が開始され、予告編はビデオスタジオで撮られた。

 予告編のカット割りの際、ひと文字ずつ「ス・ケ・バ・ン・刑・事」と出るのは、過去にぴあフィルムフェスティバルに出された佐藤東弥監督の「ゼロバード・チェイス」の透過光タイトルへのオマージュである。

 なにもかも、異例づくめの制作だった。

 スケバン刑事を5人出すことになり、5人目は素人の新人をデビューさせることになって、全国縦断オーディションが為され、東映本社のあった銀座の電話回線がパンク、オーディションの詐欺事件も原宿管内で勃発するという異常な事態がひきおこされた。オーディションは予選が札幌、東京、名古屋、大阪、福岡で行なわれ、本戦は東京、当時にメイキング・ビデオを制作、小林亜也子(森川あやこ)がフォトジェニック賞を受賞してデビューが決定、撮影に入った。

 現場は、出渕裕のデザインによる仮面と義手を伊武雅刀が装着、テレビとは打って変わって蟹江敬三の乗り込む劇用車はベンツになり、杉本哲太と坂上忍が夜の横浜港で泳ぎ着いてくる場面からクランクインし、海上保安庁から救難時のゴムボートを借り、ヘリコプターの模型製作所に協力してもらい、マリン企画とのタイアップでウエットスーツによる城ヶ島上陸を敢行し、東宝の成城砧撮影所の大プールでクリスマスの雪の降る中に撮影し、エキストラには当時東映と密接だった有名漫画家の息子も参加し、早稲田大学映画制作グループひぐらしの学生を動員し、寄居の石切り場でヘリを撃ち落とし、坂上忍がハチの巣になる場面を撮影、廃ホテルに火薬を仕掛けて敵基地の大爆発シーンを撮影するなど、季節外れの低予算のアイドル映画としてはありえないようなマルチカメラで撮影し、劇場用の音楽にかぎってグスタフ・マーラーを特別に使用するなど、当時としては正に破格の、とてつもないアイドル映画の撮影と仕上げになった。

 そして、1987年2月14日に公開された。丸の内東映、渋谷東映、新宿東映、五反田東映、浅草東映の周辺のビルを数周するほどの行列ができ、スケバン刑事5人の握手と舞台挨拶がなされるなど、東映はこの日、本社も劇場も予想外の大ヒットに盛り上がった。これ以上音を上げたらスピーカーが壊れると悲鳴をあげた爆音上映となった渋谷東映の舞台挨拶の後、昼食は焼き肉がふるまわれた。この当時の撮影の風景や舞台挨拶の様子は「メイキング・オブ・スケバン刑事」で観ることができる。

 奇しくも、この公開日は1987年2月14日、手塚の訃報が為されたのは2023年2月14日である。

 尚、ウィキペディアの「スケバン刑事」の項に掲載されている「制作」の「稲生達郎」は「稲生達朗」のまちがい。

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ジャズ大名

2022年06月26日 22時41分50秒 | 邦画1981~1990年

 ◇ジャズ大名

 

 ま、これはどうしたところで大映の作品よね。この1986年当時、映画界はまだまだどん底にあって、まあちょっとだけ上向いたとはいえ、なにを作っていいのやら、混迷の極みみたいなところがあった。ことにこの作品の実際の制作にあたってた大映映像はフジテレビの3時間ドラマ『不帰水道』のあと『未完の大局』から『敦煌』と続いて、必死になってるあたりだった。でまあ、岡本喜八はどういうわけか大映とつかずはなれずで『ダイナマイトどんどん』以来の大映作品になった。

 加藤雄大さんとは連続した仕事だったみたいで、まあ、大映側の考えてることはわからないでもなくて、日本やらアメリカやら外交交渉をしている連中なんかすっとばして庶民の交流は音楽さえあれば始まるんだっていう、なんともひらきなおった作品だったんだけど、でもなあ、役者たちがちからをいれすぎで、喜八さんもやりたいことはわかるんだけどもうすこしわざとらしさをおさえられなかったんだろうかっていう気がするかなあ。

 やりたいことはとてもよくわかるんだけど、1986年の制作でしょ?20年遅かったんじゃないかなあ。せめて1970年代に撮ってれば面白かったかもしれないね。そしたらキャストも全員ちがってただろうし、ま、仕方ないか。

 ただ、タモリがセッションの部分でちょっとだけ出てたんだね、へ~。

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アマ・ルール大地の人バスク

2022年05月01日 22時28分24秒 | 邦画1981~1990年

 ◇アマ・ルール大地の人バスク

 

 姫田忠義がバスクを撮ったドキュメンタリーなんだけど、やっぱり時代なんだね。バスクにかぎらず、こういう地域を追いかけたものってのは中途半端な時が流れただけだと単に古さばかりが目立っちゃって、訴えたかったことが稀薄になっちゃうんじゃないんかなあって気がしたな。

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トータル・リコール

2021年07月05日 01時05分07秒 | 邦画1981~1990年

 ◎トータル・リコール

 

 学生の頃、自主製作映画の主題のひとつはアイデンティティの肯定だった。おれは誰だ?ってやつだよね。

 そんな映画ばかり撮ってる連中の聖書のひとつがフィリップ・K・ディックで、自主製作映画を観てると、おやおやおや、これは『火星のタイムスリップ』だねとか、これは『流れよ我が涙と警官は言った』だねとかいう話題になったりした。

 で、この映画は、ぼくらのそんな時代が終わってしばらくしたときに封切られた。だから、とっても懐かしくて、他人事じゃないんだよな~。

 ま、そんなことで、シャロン・ストーンがえらく若くて美人で、しかもシュワルツェネッガーを蹴り倒した後で、シュワルツェネッガーに撃ち殺されるとかありか?てなことはどうでもよかったりした。今となってはこっちの方が肴になりそうだけどね。

 でもまあそれはポール・バーホーベンも感じるところがあったんだろう。だから次の作品を『氷の微笑』にしたのもシャロン・ストーンにいかれちゃったのかもしれないよね。

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男はつらいよ 寅次郎の休日

2019年11月21日 00時02分02秒 | 邦画1981~1990年

 △男はつらいよ 寅次郎の休日(1990年 日本 106分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 後藤久美子 夏木マリ

 

 △第43作 1990年12月22日

 夢が復活した、とおもえば単なる平安絵巻もどきのさくら式部の再会だけでなんのおもしろ味もない。

 タイトルバックにしても、地方の窯元と川釣りだけでやっぱりなんのひねりもない。

 出だしも、このところ毎回、さくらの家なんだが外見がどうも毎回ちがうような気がするんだけど、中のセットはおんなじなんだよね。勘違いかな。

 それはさておき、夏木マリと吉岡秀隆との並列で、後藤久美子がトリで一枚なのはもうヒロインは後藤久美子てことなのね。だって『くるま菓子舗』を訪ねてくるのは後藤久美子なんだもんね。もう、寅の惚れた腫れただけじゃ難しいのかもね。

 それにしても後藤久美子、このときまだ演技経験はないのかな。

 しかし後藤久美子が訪ねてくると、満男はいつも友達を連れてきてて、あわててなんの説明もなく追い返し、友達はおもいきり腹を立て「おまえなんか、もう友達じゃねえ」とかいって帰っていくという展開はどうだ。満男までもがワンパターンになっていってしまうのね。

 ていうか、音楽と挿入歌のひどさはなとかならんものだろうか。

 しかしながら、満男はともかく、寅は『くるま菓子舗』の連中と喧嘩するでもなく、だから当然飛び出すでもなく、そのかわりに満男が日田まで向かうという展開で、そこでようやくヒロイン夏木マリがくるまやへ訪ねてきてようやくいつもの話のようになるんたけど、寅がブルートレインに乗るは初めてだね。

 昔の邦画にはよく夜行列車があったけど、そういうとき渥美清は車掌だったかなあ。

 ラスト、友達をおきざりにしながら後藤久美子に会うために自転車を蹴ったくる満男の、幸せについて考察し、人間はほんとうにわかりにくい生き物なのだというモノローグは良かった。

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男はつらいよ ぼくの伯父さん

2019年11月20日 23時55分15秒 | 邦画1981~1990年

 ▽男はつらいよ ぼくの伯父さん(1989年 日本 109分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 後藤久美子 檀ふみ

 

 ▽第42作 1989年12月27日

 もう冒頭の夢は完全になくなったんだろうか?

 かわりにイッセー緒形の小芝居になってる。今回は地方の電車の中で老人緒形に無理矢理席を譲る譲らぬの話で、それが袋田駅におりてからも続く。

 で、本編はやはり博の家からだ。

 最初に家を買ったときの家とおんなじなのかな、引っ越したのかなってどうでもいいことをおもった。

 そんなことはさておき、浪人の満男が旅行に出たい出さないの話になっていくんだけど、もう帝釈天前から始まる暢気な出だしじゃないんだね。

 で、さくらの台詞を聞いてておもったんだけど、卒業アルバムに後輩の写真と名前が載ってるのっておかしくないかと。

 ま、その後輩が後藤久美子だ。へ~高校生なのかとか、名古屋市中川区大橋ってどこなんだろうとか、そんなことをおもったり、さらに文通とか懐かしいな~とか、バイクに満男が乗るようになったのかとか、子供が育っていくのを追うようになると時代の流れを感じるようになるな~とか、寅が帰ってきてもなんかみんなにパワーがないし、やけに他人行儀でいつにもまして芝居じみた感じだな~とか、いろいろとおもった。

 映画を観てるのかどうかもよくわからないような展開で、なんだか柴又のすべてが寅を歓迎してるような感じまでしてきたりした。

 もうこれは同窓会っていうか、なんだか家庭用ビデオの録画を観てるような気分だった。

 そんなことで物語なんだけど、寅はもう保護者なんだね。人妻の壇ふみを綺麗だな~とはおもいながらも惚れるのか惚れないのか微妙な分別を見せ、尾藤イサオに鼬の最後っぺを食らわせるのが精一杯というか、こういう展開はやっぱり精力を欠くね。

 なんだかすべてがつらいな。観てるのすらつらくなってきた。観客もつらいよ。

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男はつらいよ 寅次郎心の旅路

2019年11月19日 20時34分57秒 | 邦画1981~1990年

 △男はつらいよ 寅次郎心の旅路(1989年 日本 109分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 淡路恵子 竹下景子

 

 △第41作 1989年8月5日

 また、夢がない。

 木賃宿にさくらから手紙が届く。一万円入ってる。飲もうという関敬六に「ばかやろう、かたぎの女が額に汗して働いて稼いだ金だ。おまえらの飲み代にできるか」と叫ぶ寅がいるわけだけれども、なんだかまじな出だしだな。やっぱり40作品を過ぎたことで雰囲気を変えようとしたんだろうか。

 ひるがえって、さくら。やっぱり出だしは違う。いつもののんびりした出だしじゃない。寅に憧れるような台詞を吐く満男に「おじさんは社会に否定されたのよ」と。たしかにそのとおりだ。

 なんだか、回を追うごとに寅に対する台詞の風当たりは強くなってる。寅ももちろん自分の人生がどのようなものだったかと肌で濃く感じるようになってきてるから、辛さは増してきてるね。でも、それでいいのだ。

 まあ、それはともかく、淡路恵子と竹下景子の共演は、ちょっと前の『知床旅情』とおんなじじゃんね。だから、淡路恵子の夫の写真が飾ってあるとき三船敏郎かとおもったらオーソン・ウェルズだった。たしかにウィーンだし、スパイだったとかっていうんだからそりゃ三船敏郎じゃなくてオーソン・ウェルズなんだろうけど、でもなあ。

 ま、それもいいとして、寅が恋をしているのかどうかもよくわからない微妙なまま、ラストだ。なんとまあ、つまらない展開だろう。

 寅が初めての海外旅行へ出かけるわけだから、なにかあってもよさそうなものなのに、なんの話の展開もなく、いきなりウィーンだ。しかも、そこらの旅回りと大差のない展開で、せっかくウィーンに行った甲斐がまるでない。嫌々撮ったとしかおもえないような筋立てと撮り方のように感じられたけど、どうなんだろう。

 佳境、空港で寅がおもいきりのけぞって、なんだ惚れてたのかよとおもえる場面では、竹下景子がいきなりのラブシーン。いくら演ずるのが仕事とはいえ、恥ずかしかっただろうな、こんな展開は。なんだか、同情しちゃったわ。

 ただ、ラスト、帝釈天の庫裡で「寅の人生そのものが、夢のようなものですからな」という笠智衆に、さくらはこういうんだ。だとしたらいつ覚めるんでしょうね、と。覚めないんだな、悲しいことに。

 だから、ウィーンから傷心のおもいで帰ってきた寅は、こういう。

「じゃあまた、夢の続きを見るとするか」

 辛いな、こういう台詞は。その寅の心をわかっているのかいないのか、さくらは「また寝るの?」と訊く。

「旅に出るのよ」

 寅の夢は旅しかないからね。このあたりは実にうまいな。冒頭に夢がなかったのはそういうことなんだね。

 しかし、どうでもいいことかもしれないんだけど、柄本明も前田吟も『とんでもありません』という。どうやらこの頃から日本語の乱れが激しくなってきたのかもしれないね。ま、ラストカットの港越しの富士山はやけに好い画だったけど。

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男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日

2019年11月18日 20時10分24秒 | 邦画1981~1990年

 ▽男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日(1988年 日本 100分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 奈良岡朋子 三田佳子

 

 ▽第40作 1988年12月24日

 夢が、ない。

 寅が小海線に乗り一杯やりながら、しみじみさくらに語りかける。酒をすすめた車掌にえびせんにハサミをいれられたらもうタイトルだ。小諸の懐古園の祭だ。笹野高史に運動靴とジャンパーをかすめとられる小芝居のタイトルバックからそのまま小諸の旅になる。静かな展開だな。

 というよりなんとなく死の匂いがするのは、三田佳子が女医になって登場するからかしらね。でも、寅はそのまま小諸にいる。で、とらやだけど、さくらがほぼ女将になっちゃってるんだよね。三平くんだかなんだかいう店員はいるし、なんだかちらっとだけと団子焼きの職人らしき人影も見えたりして。

 ま、そんなことで徐々にとらやも変わっていくのかなって感じが漂い、御前さまも帝釈天の境内に立っているのではなく自宅の縁側でさくらと会話をかわすといった、なんていうのか、とにかく全員ががくんっと年を食ったっていう感じだった。なんだかね。

 物語も見も知らぬおばあさんの死が底流になってて、全体的に暗さが漂う。

 まあ、それを払拭しようとしてか、満男の受験話があったり、三田佳子の姪に三田寛子が出てたりして、なんだよ苗字つながりかよとかはおもってたって仕方ないんだけど、この早稲田の挿話がなんともつらい。

 いくらなんでも大学の講義に寅が入り込むことはないし、講義を奪ってあほみたいなワット君の話を披露して早稲田の連中が行儀よく聞いているはずもないし、どっと笑い転げるはずもないもんね。

 なんだか、ほんと、つらかった。

 それにしても、またすまけいの登場かよっておもったけど、よほど山田洋次はすまけいが気に入ったんだろうか?

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男はつらいよ 寅次郎物語

2019年11月17日 19時54分33秒 | 邦画1981~1990年

 ◎男はつらいよ 寅次郎物語(1987年 日本 101分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 五月みどり 秋吉久美子

 

 ◎第39作 1987年12月26日

 夢は、寅の子供の頃の思い出話だった。初めて家出したときのなんか時代劇じみた、長谷川伸の劇でも始まりそうな感じだとおもったら、森川時久監督映画『次郎物語』のパロディだった。

 で、目が覚めても兄ちゃんを呼ぶ少女の声とわかり、常総線中妻駅でめざめるんだけど、さらにはタイトルバックもなにやら地方ロケなんだけど、どちらも地味な印象が続き、1stシーンも帝釈天の前を通りすぎるさくらではなく、学校に面談に訪れるさくらだ。

 なにもかもが、ちょいと違う。

 で、寅の出したハガキを頼りに、郡山からとらやを訪ねてくるテキヤ仲間の忘れ形見のくだりになるんだけど、やはり、ちょいとちがう。さらに、お~なんだかテレビが家具調のボタンチャンネルになってるな~とおもっていたら、いつものように寅が店先を通りすぎる前に寅のアップから始まる。

 ふ~む、ちがう。

 とおもっていたら、五月みどりの写真を腹巻にいれてとらやを飛び出したときから、まあ、いつもとおんなじになったわね。

 ところが山田洋次、さすがにうまいわ。

 五月みどりの消息を訪ねて和歌山の和歌浦から奈良の吉野山へと向かう最中、いきなり、化粧品のセールスをしている秋吉久美子のカットが挿入され、五月みどりの辞めた旅館で秋吉久美子に出会うという展開になる。五月みどりの話から秋吉久美子に入れ代わり、子供のにわかな病気を媒介にして筋を回していくんだけど、笹野高史と松村達雄をからませて、おとうさんと呼ばれて単純に喜ぶあほな寅とお母さんと呼ばれて退屈な人生に小さな満足と喜びを感じてしまう秋吉久美子のもろい絆まで作り出してしまい、それどころかとらやまで巻き込み、ついでにお父さんお母さんと呼び合う電話口からあらたな岡惚れとその先の悲劇まで想像させ、チアノーゼの翌日、お決まりの寅が逃げるかとおもわせる一室での夜半のくだりも、大和上市駅の秋吉久美子の見送りまでぐんと回転させていくのは職人芸だね。

 伊勢英虞湾賢島でのすまけいに河内桃子もふくめた五月みどりとの再会から寅が別れを嫌がる子供に向かって『こんなおそまつな男になりたいのか』とたんかをきる桟橋の別れまでまあ上手なもんだわ。

 ただまあ、五月みどりの子供への抱き着き方はよろよろころがってまるで新派の芝居じみてたかな。

 しかし、今回は、台詞もいい。

 寅の説得だけでなく「仏様が寅に姿を変えて子供を助けた、仏様は愚者を愛しておられる、わたしのような中途半端な坊主よりも寅を」という笠智衆から「あれは愚者以前です」といわれる佐藤蛾次郎のとぼけた味までね。

 さらにいえば、師走にふられない寅がいて、ぼちぼち旅に出るかと悟ったような口舌を披露した後、のんびり出かけていくくだりまで、いや、寅が財布を忘れ、そこにさくらがお金をそっといれてやるさままでなにもかも、もうちょっといえば、駅前まで見送りに出た満男が「人間てなんのために生きてるの?」と訊いてきたときに「生まれてきてよかったなあとなんべんかおもうことがあるから、そのときのために生きてるのよ」も答える寅の後ろ姿が、なにやら、最終回みたいに感じられた。

 でもやっぱり、秋吉久美子は、最後の最後で『とらや』にくるのね。まあ、お決まりの展開は外せないのかしらね。

 で、五月みどりの「生きててよかった」という手紙から伊勢二見が浦で桟橋の別れを「せつないな~」と嘆じて船を出したすまけいが子供の未来の父親と予感させるラストまで、何度かある寅のアリアを除けば実に上手に撮られてた。

 山田洋次の職人芸を感じるな。

 あ、でも、ぼくは観るつもりはないんだけど、NHKでこの作品の夢の物語をそのまま映像にしたようなドラマが放映されてるみたいだけど、まあ、なんだかね、50年50作に合わせた寅さん祭りみたいな感じになってきるんだろうけど、ま、いっか。

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男はつらいよ 知床慕情

2019年11月16日 00時54分24秒 | 邦画1981~1990年

 △男はつらいよ 知床慕情(1987年 日本 107分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 竹下景子 三船敏郎

 

 △第38作 1987年8月5日

 まさか、三船さんが寅さんシリーズに出るとはおもわなかった。

 当時、三船さんは一枚看板で映画が撮れるような情況ではなかったかもしれないんだけど、でもたしかこのとき、日本アカデミー賞っていうテレビ局の賞番組で助演男優賞にノミネートされてて、でも三船さんは愉しそうに他の受賞者と並んで取材を受けてた。なんだか寂しかった。そんなことをおぼえてる。でも、とってもスタイルが良くてかっこよかった。

 ただ、三船さんは亡くなってしばらくしてから、わけのわからん風潮で、どこのどんな役者も名優だとか、糞映画でも名作だとかいう、もうおもねりとねつらいだらけの芸能界になってしまってから、やっぱり名優とかいわれ、担ぎ上げられたけど、当時はそんなこといわれなかった。

 世界的なスターであることはまちがいなかったけど、世の評論家や訳知り顔の業界人どもはこぞって三船さんを大根役者といってはばからなかった。嘴の黄色い新参者の業界人や、大学の映画サークルの青二才連中も、みんながみんな、三船さんをこきおろしてた。

 そんな中で、ぼくは孤立して三船さんの応援に立ってた。三船敏郎は大根じゃなくて世紀の逸材を使いこなせない監督が三流なんだといいつづけてた。誰も耳を貸さなかったけどね。

 まあそんなこんなの時代があって、そのちょっとあとにこの映画が封切られた。

 車好きな三船さんがあいかわらずの仏頂面で、おんぼろ車をスピーディに扱ってみせるのはいかにも三船さんらしかったけど、もうちょっとなんとかならなかったのかなあ。三船さんと竹下さんの共演は嬉しかったし、森繁久彌の『知床旅情』も三船さんと共演してるみたいでなんだか嬉しかったけど、でもなあ、せめて三船さんに帝釈天を歩いてほしかったなあ。

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男はつらいよ 幸福の青い鳥

2019年11月15日 00時46分34秒 | 邦画1981~1990年

 ▽男はつらいよ 幸福の青い鳥(1986年 日本 102分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 太宰久雄 志穂美悦子

 

 ▽第37作 1986年12月20日

 なんか、つらいな。

 桜田淳子でも出てくるのかとおもったら、そんなことはなかった。

 青い鳥探しの夢はともかく、タイトルバックの萩の祭はよかったものの、それから後はなんだかちょっとね。飯塚炭鉱の芝居小屋でかつての旅芝居の座長が死んだという話を聴くんだけど、それが大空小百合こと岡本茉莉の父親を演じていた坂東鶴八郎こと吉田義男で、ところがこれはかなり現実的な話でこの作品が公開された二日後に吉田は亡くなってる。それは、ちょっときつい。

 いったい、この筋が作られたとき、吉田はどんな状態だったんだろうっておもうと、ぼくが吉田だったらかなり辛いな。

 だし、岡本茉莉にしたって、寅のことは「車先生、車先生」と慕ってる感じを濃厚に出してたわけで、志穂美悦子が寅に再会にしたときに顔を忘れてて、やがて「寅さん?」というのは違和感がある。成長してから何度も会ってるじゃないか。

 それは吉田義男にしてもそうで、準レギュラーみたいに坂東鶴八郎一座は登場してたし、なんだか十年以上も会ってなかったような雰囲気の物語はどうもなあ。なにより坂東鶴八郎じゃなくて中村菊之丞にされてるし。

 だから、できれば別な設定にしてほしかったな。炭鉱夫の娘だっていいじゃんね。飯塚炭鉱なんだから。

 芝居小屋の嘉穂劇場の表には梅沢冨美男の看板とか出てたから、当時そのままロケセットに使われたんだろうけど、そこでロケがしたかったのかしら?

 だから座長の娘っていう設定にしたのかしら?

 あるいは吉田義男の希望だったのかしら?

 それならなんとなく納得できるけど、だったら坂東鶴八郎で通さないといけないし、岡本茉莉を起用しなければあかんでしょう。強引だな、松竹。

 まあそれにしても、このシリーズは役者同士を出合わせるのかな。沢田研二と田中裕子もそうだったし、ここでも志穂美悦子と長渕剛を引き合わせてる。どちらのカップルもすったもんだしたけどさ。

 にしても、寅はいてもいなくてもどうでもいい印象を持っちゃったのは僕だけなんだろうか。

 正面から恋もできないような寅ってなんなんだろうね。いやそもそも、志穂美さんがコンパニオンを辞めて上京してくる理由がないし、中華そば屋で働くくらいなら九州で充分じゃないかっておもうんだけどな。

 なんだかすべてがあらかじめ敷かれているレールの上を走っているだけの物語って感じがして、つらかったわ。

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男はつらいよ 柴又より愛をこめて

2019年11月14日 00時33分27秒 | 邦画1981~1990年

 △男はつらいよ 柴又より愛をこめて(1985年 日本 106分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 太宰久雄 栗原小巻

 

 △第36作 1985年12月28日

 夢は、NASAの宇宙飛行士になった寅が打ち上げの際のあまりの緊張に何度も尿意を催し、ついにおしっこを漏らすところまでなんだけど、中継アナウンサーの松野直美が女子高生になって友達らと寅を覗き込んで「おじさん、大丈夫?」と声をかけてくるところで目覚める。ここで、おもわず笑った。寅さんシリーズで笑ったのは何作ぶりだろう?

 この目覚めた会津高田駅が好い。只美線の沿線ロケーションもまた好い。まあ、1stシーンでさくらが帝釈天前を自転車で通り過ぎるわけだから、荒川の土手をタイトルバックにすることもないしね。地方ロケの方が味があるな。

 ところで、美保純が家出したことで太宰久雄が森本毅郎の番組に出のて叫ぶのは、一世一代の演技だな。

 にしても、寅、すごいな。下田でちゃんと美保純を探し出すとは、顔が広い。いや、顔が広いというか、初めて凄いとおもったわ。

 甘える美保純に男女のことわりをさりげなく講釈すると、どうして寅さんにお嫁さんが来ないんだろう、おれはめくらだからな、となる。よくわからんやりとりだけど、まあいいか。

 ただ、美保純を旅館に残して古なじみと呑んで帰らないというのはなんかね、いくらなんでもね、もしかしたら美保純とただならぬ関係になったらあかんという心配からなのだろうけど、そんなことを考えること自体おかしいだろ。美保純は小さい頃から寅に遊んでもらってたわけで、寅の気の回しようはおかしいぞ、やっぱり。

 しかし、あれかね、シリーズで唯一のヌードというのは、美保純が海岸の温泉に浸かったときにお尻と横からおっぱいが見える、これのことか~。

 それはさておき、いくら女先生にあこがれ、そうなろうとした栗原小巻に一目惚れしたとはいえ、美保純に「金魚のうんこみたいにくっついて気持ち悪い」とまでいわれるのはもちろんながら、栗原小巻もさみしいのはわかるけど、どこの馬の骨ともわからん寅にくっついてこられて島を案内とかしちゃうかな?

 そんなに人恋しいのかよとおもってて、またどうせなんかの都合でとらやを尋ねてくるんだろな~とおもってれば、その矢先、やっぱりそうなった。

 それはお決まりだからいいけど、川谷拓三と待ち合わせたマリオンの店内音楽が『カチューシャ』で夕食を食べに行った先の生演奏がバラライカだ。まあ、あれだね、やっぱり栗原小巻は『モスクワわが愛』なんだね。

 綺麗なんだけど、なんか強いな。厭味にならない高慢さというか、ひたすら重い。

 なところで、当時はまだ、調布飛行場の新中央航空の離島航路の発着所は、トタン屋根のバラックなんだね。ここでの演技ていうか台詞はまさしく舞台で、双発機が出ていくときにおもわず「ここは、カサブランカか」とおもったわ。

 ま、それはともかく、さくらが旅に出る寅を見送って帰ってきて「憑き物が落ちて、ホッとしたような顔をしてたわ」という台詞はまさしくそうだね。憑き物なんだよね、寅の恋は。

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男はつらいよ 寅次郎恋愛塾

2019年11月13日 23時37分45秒 | 邦画1981~1990年

 ▽男はつらいよ 寅次郎恋愛塾(1985年 日本 108分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 太宰久雄 樋口可南子

 

 ▽第35作 1985年8月3日

 タイトルバックは、信州の舞田駅。夢に出てくる姨捨山は、ここだったかしら。

 ま、そのあたりはいいとして、クレジットが終わって様子が、かわった。これまではさくらが自転車で、まあ、ちょいと数回原付きだったこともあるが、ともかく帝釈天の前を通り過ぎてとらやへやってくるところから始まるんだけど、満男が校門から出てくるところが1st Sceneになってる。

 吉岡秀隆の成長がひしひし感じられるね。

 けれど、新鮮なところはそれくらいなもので、なんだこれはっておもわず口をついて出てしまいそうになるくらい、時間が逆行しちゃってるような物語におもえて仕方がない。

 恋のキューピットとかいう使い古した名詞のとおりに寅が行動するのは、田中裕子とジュリーでもうとっくのとうにやっちゃったじゃないか。

 またもや、惚れた女に惚れている男のために、もちろん、からかい半分で、心の奥底では「どうせうまくいきっこないんだから、さっさとふられちまえ」っていういつものとおりの寅の醜い部分が頭を擡げてきてて、それに天罰を蒙るように若い連中は上首尾に運んで、傷心の寅はさっさと旅に出るんだけれども、まだおなじこと繰り返すのか、寅。

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