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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

御法度

2021年10月12日 18時09分52秒 | 邦画1991~2000年
◇御法度



おもしろいのかおもしろくないのかようわからんのだけど『戦場のメリークリスマス』とよくにた匂いはするね。

まあしかし崔洋一はなんであんなに黒目を動かしてるのか不思議なんだけど、総じて浅野忠信を除いて他の役者たちの演技はうまくない。

大島渚にとっては演技よりも個性が優先されるんだろうけど、素人臭さも度を超すと厳しい。とはいえ、青山知可子は綺麗だったけど。

ただ、カメラと美術がいいからな~。なんとなく最後まで観ちゃうんだよなあ。
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リービング・ラスベガス

2021年06月06日 17時38分38秒 | 邦画1991~2000年

 △リービング・ラスベガス

 エリザベス・シューはずうっとご贔屓なもんだから、どうしても観ちゃうんだけど、なんだか緊張感に欠ける娼婦とアル中脚本家の恋愛話だったな~と。

 しかしエリザベス・シュー、下半身のスタイルは惚れ惚れするんだけど、なんだかはつらつさの無くなった観が濃厚で、そもそも綺麗なのが足をひっぱってるだよな~。

 ニコラス・ケイジの出演作の多さは突出してるね。でも面白い話はその半分もない気がする。今回だって、せっかくアル中になるまで売れなくて自殺したくてもできずにいるところへ、夫のロシア人ジュリアン・サンズが暗黒街の揉め事で殺されて最後に会ったのが娼婦をさせられて尻を切られ続けてきたエリザベス・シューと出逢うわけなんだから、そのあたりから追い込まれていかないと、単にのんびりした中年まぢかな男女の破滅行にしかならないんだよね。

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男はつらいよ 寅次郎紅の花

2019年11月26日 00時23分50秒 | 邦画1991~2000年

 ◎男はつらいよ 寅次郎紅の花(1995年 日本 110分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 後藤久美子 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 浅丘ルリ子

 

 ◎第48作 1995年12月23日

 美作滝尾駅で駅長桜井センリが新聞の尋ね人欄を見ると、向こうに寅という構図で、寅が蝶々を捕まえようとするんだけど逃げられる。なんだか、不安な出だしだな。

 で、美作の山車祭のタイトルバックで、久しぶりに帝釈天の山門に立つさくらから始まる。

 シリーズの最後の出だしだし、つくづく、これでよかったとおもうわ。

 それに、阪神淡路大震災のボランティアで映る行方知れずの寅というのもよかったんじゃないかしらね。

 でもまあしかし、寅に世話になったとお礼にくる宮川大助の「寅がふられていなくなった」という報告に、さくらは「やっぱり、迷惑をかけたんですね、兄は」とあやまる。さくらは、結局、こういうあやまりどおしの半生だったってことなんだね。

 ただ、満男が後藤久美子のお見合い結婚のショックで姿をくらますまで、寅は出てこない。

 当然、寅の物語は進展しない。

 たしかに、渥美清の体調を最優先されなくちゃいけないから仕方ないんだけど、そんな状態でも尚、撮影したということに驚くわ。

 夏木マリも三人並びのタイトルになっちゃうのは仕方ないけど、せっかくの朝丘ルリ子のリリーがもったいない気もしないではない。ルリ子さんは山田監督に「寅と結婚させてください」と頼んだそうだけど、どうなんだろう。寅はどこまで幸せになってよかったんだろう。この長い長い寅の物語は、寅の成長譚でもあるわけだけれど、どうかなあ。

 なんていうのか、やっぱり、48作中の白眉はリリーとの物語で、ときどき、それに匹敵するようなおもしろさの回はあったけれど、このふたりの物語は突出してた。そういうことからいえば、合わせて400分を超えるリリーとの物語は再編集して一本の映画にしてもいいかもしれないね。

 その一方で、このところ挿入される甘ったるい歌謡曲は、すべていただけないな。なんで、挿入してたんだろう?

 で、津山で卒業まがいの花嫁車押し戻し事件を満男が仕出かすわけだけれども、このあとようやく沖縄だ。

 しかし、そうか。満男の逃避行の船長は田中邦衛か。じゅん~とはいわないで、沖縄弁だ。北海道から奄美大島に移っての共演か。成長というのは、いいものだね。邦さんもそうおもってたんじゃないかな。なんだかまるで関係ないけど、しみじみしちゃうよね。

 朝丘さんは、あいかわらず啖呵を切る。寅は「ぐにゃちん」だそうな。

 それにしてもなんだ、柴又の歓迎ぶりは。鼻つまみ者だから寅なわけで、ほんと、ここ数作はなんだかね。加計呂麻島まで犬塚弘のタクシーで行ってくれといって去ったところで終わってもよかったんじゃないかな。さくらの気持ちも伝わったわけだし、それで大団円な気もするけどなあ。

 たしかに、神戸の長田地区の復興の現場に顔を出す寅の図というのも最後らしくていいかもしれないけど、チョゴリを着て踊る円陣はわからないでもないけど、う~ん、最終話だからねえ、寅の身近なところに収束した方が良かった気もするし、ひるがえって寅という存在がこの国のなにか大切なものになってしまったということからすれば震災復興の場で良かった気もするし、まあいずれにせよ、どうもご苦労様でした。

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男はつらいよ 拝啓車寅次郎様

2019年11月25日 00時13分02秒 | 邦画1991~2000年

 ▽男はつらいよ 拝啓車寅次郎様(1994年 日本 101分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 牧瀬里穂 かたせ梨乃

 

 ▽第47作 1994年12月23日

 夢の代わりに越後高田で小林さち子演じる演歌歌手のどさ回りの哀愁ぶりを見せてくれるんだけれども、渥美清がすごく小さくなった気がするね。

 病をおしての出演だもの、つらいものがあるよ。

 まあそれは呑み込んで、高田駅前郵便局はいい感じだ。

 で、この頃定番化してる博のマラソンから始まるんだけど、満男は靴屋に就職していて、社長がすまけい。それにしても、太宰久雄もすまけいも細くなったな。出演者たちの年の取り方がありありとわかるようになってきたんだね。

 寅も前回からマフラーが定番になって、登場の仕方も静かなもんだ。往年の威勢も影をひそめて、下条正巳との喧嘩はさくらの満男への電話説明にとどめてという段になると、さすがに観るのがつらすぎる。

 それはともかく、吉岡秀隆と牧瀬里穂の出会う長浜の曳山祭なんだけど、いやまあ時代を感じる町並みで、今昔の観がありありだね。黒壁はあるからこの時期から観光客は多かったのかな。ちょいと残念なのは曳山の舵をどんなふうに切るのか見たかったけど。

 にしても、寅はいきなり現れて満男を励まして消える。で、柴又にかたせ梨乃がやってきて帰ってくる寅とすれ違ってひと悶着あるかとおもえばさくらの満男への報告でまた裏芝居だ。まあかたせ梨乃は大泉成の奥さんってことになってるし、人妻に横恋慕してもね。そっと見送る寅の図でいいんだろね、たぶん。

 なんにしても、脚本は難しかったろうなあ。

 ていうか、江ノ電で見送られて寅が去って行ったのは初めてだな。

 ちなみに、牧瀬里穂が正月に満男を訪ねてナレーションになったあと、寅がいるのは雲仙なんだけど、小林さち子と再会するのがここだ。陸前高田から雲仙とまあなんだか被災地めぐりみたいになってるわ。

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男はつらいよ 寅次郎の縁談

2019年11月24日 19時31分07秒 | 邦画1991~2000年

 ▽男はつらいよ 寅次郎の縁談(1993年 日本 104分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 光本幸子 松坂慶子

 

 ▽第46作 1993年12月25日

 ついに夢もなくなり、すまけいの娘の花嫁行列に言葉をかけ、見送ったあと関敬六が嫁を若いのにとりかえたことに腹を立てるという日常だけでさっさとタイトルだ。

 タイトルバックは栃木県烏山市(当時は町)の山あげ祭り。で、吉岡秀隆がついに一枚看板。三枚目だけどね。高羽哲男もトリの前に撮影監督になってる。いろいろ変わるんだね。

 満男は就職活動の面接だし、とらやも女の子の店員を雇おうとしてるし。しかも就職が決まるまで寅は帰ってきてほしくないとも。そうなっていくんだね。

 面接でお父さんの仕事はと聞かれ、住所をいえば、町工場かと。つらいところだね。で、家出だ。夜行特急瀬戸で高松。さらに、多度津から琴島。しかしそれにしても、さくらはまた「行こう」といっちゃう。さくらは、あかんね。ていうか、甘やかして、手を出しすぎるんだね。ま、そんなことから、寅が「いく」という。で、こう話してやろうという。

「満男、おれの顔を見ろ、これが一生就職しなかった男のなれのはてだ」

 ま、寅が誰かを、さがしに行くというのは、いつものとおりの展開だね。

 ていうか、光本幸子か冬子役で再登場するんだけど、一枚じゃないのね。なんか淋しいね。でもまあ、笠智衆の消息を話すための出番だから仕方ないか。

 そんな説明場面を経て、琴島だ。満男が住み込んだ家の親父が島田省吾で、娘が松坂慶子というわけだね。そこで、満男は看護婦と好い仲になり、寅は松坂慶子が神戸の料理屋を広げて借金だけこさえて夜逃げしてきた事実を知るというわけで。

 映画の展開はまあそういうことなんだけど、しかし、この物語、時代はいつだ?

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男はつらいよ 寅次郎の青春

2019年11月23日 22時53分32秒 | 邦画1991~2000年

 ◇男はつらいよ 寅次郎の青春(1992年 日本 101分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 後藤久美子 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 風吹ジュン

 

 ◇第45作 1992年12月26日

 夢が、まともになってる。

 不忍池のほとりでシェイクスピアを訳す文学博士車寅次郎のもとへ、その甥満男と彼が岡惚れした及川泉が駆け落ちしてきて、追っ手をつぎつぎに池へ投げ落とす講道館八段車博士なんだけど、おもしろさはない。

 で、目覚めた日南海岸でのタイトルバックもまた、警官に賄賂を握らせて怒られるくらいのことで、おもしろみはない。

 で、多摩川の土手を走る博と満男という展開だ。平和なホームドラマだな。

 で、宮崎の油津になるんだけど、寅に地名のクレジットが出ることってあったっけ?

 しかし、後藤久美子と宮崎城で再会するのはいいとしても、またもや、抱き着く。後藤久美子は、いつものこととはいえ、その抱き着き方の下手くそなことといったらなく、この回も観ていてかわいそうだった。後の彼女の結婚とかおもうと、なんだかとても想像できない抱きつき方だわ。

 まあ、それはさておき、永瀬正敏は上手いね。

 寅はあいかわらずの寅で、風吹ジュンとの別れになるんだけど、また満男が解説者だ。

「おじさんは最初はおもしろいけど、そのうち飽きる。おもしろいだけで奥行きがないからだ」

 そのとおりなのに、なんでまた、寅が町の連中に慕われてるんだ?

 嫌われ者の鼻つまみ者なんじゃなかったのか?

 拍手までされてなんか、ほんと、変われば変わるもんだね。風吹ジュンの床屋にふらりとやってきて髪を切ってもらいながら「おれと一緒にならないか」といわれる一幕だけど、なんとなく風吹ジュンの心情とひととなり、良かったね。でもそういうシンデレラ的な待ちの発想を、後藤久美子は否定するんだな、真っ向から。

 ま、それはそういう設定だからさておき、御前様、車椅子なんだね。笠智衆はいったいどうなっちゃったんだ…と心配してれば、蛾次郎に頭を剃られてた。ちょっとだけ、ほっとした。映画観て、役者さんの心配するってのもなんだかね。

 まあ、しかし、もはや、主人公は満男だな。東京駅のホームでの見送りのときのぎこちない抱き着きと、さらにぎこちない初キスは、なんというか、切ないね。

 てか、寅は、こんなに穏やかに旅立つのか。

「別れるときはどうしてこう心が通い合うんだろうね」

 というおばちゃんの台詞と、さくらのなにもかも悟った表情もつらいね。なんにしても、満男にまで無心しないといけない寅も、封筒に金を入れて満男から渡させるさくらも、みんなつらいな。

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男はつらいよ 寅次郎の告白

2019年11月22日 22時39分15秒 | 邦画1991~2000年

 △男はつらいよ 寅次郎の告白(1991年 日本 104分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 後藤久美子 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 吉田日出子

 

 △第44作 1991年12月21日

 やけに旅情たっぷりのモノローグで、落合川駅の雰囲気もまた良かった。

 けど、中津川か恵那峡かの船旅を単に撮っただけの旅情のみの出だしはなんだったんだろう?

 で、博のランニングから始まる初めての話だけど、まあ、あれだね、さくらの家で後藤久美子の噂をするのがワンパターンになってきたのね。満男も落ち着いてきたし、なんかね、時代は流れていくんだね。

 それにしても、後藤久美子はよく抱きつくな。誰かに会うとしよっちゅう抱きついてる。前の回もそうだった。

 誰に抱きついたかは覚えてないけど、なんていうのかな、後藤久美子の現代性なのか国際性なのか、もしもそれを表現しようとしてたんなら、かわいそうだけど、このときの彼女はそこまで演ずることになれてなかった。日本人が日本人の生活習慣にないことを演じようとすると、どうしてもこうなっちゃうんだよね、照れ臭くて。だから、かわいそうといえば、かわいそうだった。

 しかし、寅はお悔やみをいうとき、帽子を脱がないのかね。墓参りのときも、そうだ。殊勝な態度でいるなら帽子を取らないとあかんのじゃないか?

 ま、それはそれとして、寅は両思いになるとなぜ逃げるのかという最大の疑問なんだけど、後藤久美子の問い掛けに満男はこんなふうにこたえるんだな。綺麗な花は摘み取りたいのか、そっと眺めていたいのか、と。しかし、寅はもてるね。その恋の相手なのか憐憫の相手なのか友情の相手なのかわからないけど、ともあれ、吉田日出子、死んでしまえとおもっていた亭主に死なれた料亭の女将をちゃんと演じてた。

 で、寅だ。寂しくなることはないのかと聞く満男に「ばかやろう、寂しさなんてのは風が吹き飛ばしてくれるよ」と。これはこれでいいんだ。でも、あまったるい挿入歌は気持ち悪かった。ま、なににせよ、寅はつらいな。

「ばかね、おにいちゃん、なにやってんだろ」

 と、玉葱を切りながら洟はなをすするさくらの背中は、うん、上手だった。

 しかし、笠智衆はこのとき幾つだったんだろう。歳食ってたなあ。

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12人の優しい日本人

2018年01月20日 13時58分39秒 | 邦画1991~2000年

 ◎12人の優しい日本人(1991年 日本 116分)

 監督/中原俊

 音楽/エリザベータ・ステファンスカ(モーツァルト/ピアノ・ソナタ 15番ハ長調 K545)

 出演/塩見三省 相島一之 上田耕一 二瓶鮫一 中村まり子 大河内浩 梶原善、

    山下容莉枝 村松克己 林美智子 豊川悦司 加藤善博 久保晶 近藤芳正

 

 ◎オマージュかパロディか

 もちろん『十二人の怒れる男』に対するものなんだけど、これはその両方なわけで、三谷幸喜って人はほんとに往年のハリウッド映画が好きなんだな~ってあらためておもったりもする。

 シドニー・ルメットの『十二人の怒れる男』はそりゃもう大した心理劇で、正義と倫理によって論議されて真実に辿り着こうとするきわめて真摯な映画なわけだけれども、そういう名作に対する憧れが濃厚に出てるのはもういうまでもないことで、しかしながら日本で撮ったらこうなっちゃうんだよね~っていう三谷幸喜の微笑みが聴こえてきそうな茶化しもまた色濃く出てきちゃうのも当然の結果だ。

 ただまあ、いかにも「死んじゃえ」と「ジンジャエール」の聞き間違いはむりやりな気もするし、トラックのヘッドライトにはどちらも向いていても気づくだろうし、ピザの大きさについては店のメニューのほかにも食べる人の体格と胃袋と大きさとお腹の減り具合とその日の気分とでずいぶんな差が出てくるだろうし、もちろん喜劇だという前提もあるからそこまで突っ込まなくてもいいし、そんなことをいいだしたら切りがない。

 けど、総じて役者たちは上手に演じてたし、この時代の中原俊はとても好いね。

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女殺油地獄

2018年01月12日 11時50分20秒 | 邦画1991~2000年

 △女殺油地獄(1992年 日本 115分)

 監督/五社英雄 音楽/佐藤勝

 出演/樋口可南子 藤谷美和子 堤真一 井川比佐志 岸部一徳 長門裕之 石橋蓮司 辰巳琢郎

 

 △ぬるぬる

 油地獄ね。なるほど。でも、このくだりだけかな。あとはなんだか品性が感じられないのは僕だけなのかな?そうだとしても、いやあ、女の嫉妬と女同士の艶の競い合いみたいな感じになってて、なんかね。

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月光の夏

2017年11月21日 22時03分36秒 | 邦画1991~2000年

 ◇月光の夏(1993年 日本 111分)

 監督 神山征二郎

 出演 若村麻由美、仲代達矢、山本圭、渡辺美佐子、田村高廣、滝田裕介、高橋長英、内藤武敏

 

 ◇振武寮のこと

 映画っていうのは、もちろん、虚構の世界だ。

 物語を作って役者に演じさせ、それを撮影して仕上げるんだから明らかに嘘の産物だ。いうまでもなくこの作品もそういう物語のひとつに過ぎない。だから、この映画が真実とは異なっているとか、この映画に登場する特攻隊員はいなかったといわれても、ああ、そうだろうな~としかおもいようがない。

 だって、映画なんだもん。

 ただまあ、よくできているのは事実だ。よくできているからこそ、こういうことがあったんだね~とかいう人がたくさん出てきて、舞台やらコンサートやらいろいろと広がりを見せた。それはそれでいい。戦争という悲劇を語る上で、いろいろな物語があっていいし、事実をもとにしたものという括りでいえば、事実を真正面からとらえようとしているのか、それとも真実のかけらというか本質のすみっこだけでも扱おうとしているのか、まあそれこそいろいろあるわけだから、あとは観客がおのおの判断すればいい。

 でも、いろんな物語はあっていいけど、あとあと混乱が起きないようにするには、原作の冒頭あるいはあとがき、もちろん映画の最初にも、誰にでもわかるように「これは、歴史に題材をとった架空の物語です」という一文もしっかりと明記するべきだったのかもしれないね。

 で、中身なんだけど、まあ、とある学校に現れたふたりの特攻隊員が最後にピアノを弾きたいから弾かせて下さいなと頼んで弾かせてもらうんだけど、ひとりは出撃したものの帰還して振武寮に収容されていたことから振武寮の存在が明らかになってくるっていうような、簡単にいってしまえばそんな物語だ。

 ぼくみたいな斜に構えた野郎は、ふ~ん、そういうことがあったのね~とかおもえないんだけど、役者たちの顔を見るごとに「お~」と声を出していた。とくに仲代達矢と山本圭が顔を合わせたりしていると、いやもう『謀殺下山事件』をおもいだしちゃったりして、テレビで『五芒星殺人物語』を観ていても、山本圭が登場するだけで嬉しくなっちゃったりする。映画が衰退していく時期に映画を支えようとしてきた人達の演技が観られるのは、なんだか嬉しいんだよね。

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居酒屋ゆうれい

2017年10月23日 23時56分17秒 | 邦画1991~2000年

 △居酒屋ゆうれい(1994年 日本 110分)

 監督 渡邊孝好

 出演 豊川悦司、橋爪功、余貴美子、西島秀俊、三宅裕司、尾藤イサオ、絵沢萌子

 

 △横浜反町「かずさ屋」

 居酒屋を営む萩原健一と、幽霊になった前妻の室井滋と、後妻になった山口智子の三角関係。

 それ以上でもそれ以下でもない物語で、まあカウンターだけの居酒屋で常連もいて、なんだかんだと人情味のある話が出たり引っ込んだりってのは邦画の定番のひとつのような感じだけど、いやなんていうのか、脚本が田中陽造なんだよね。陽造さんだったらもうちょっと湿っぽくてどろどろした感じになっててもいいような気がするんだけど、そういうつもりはなかったのかな。

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卓球温泉

2015年08月06日 00時09分09秒 | 邦画1991~2000年

 ◇卓球温泉(1998年 日本 110分)

 監督・脚本 山川元

 

 ◇ロケ地へ別所温泉

 ちなみに宿の撮影は田沢温泉の「ますや旅館」と白骨温泉の「白船荘 新宅旅館」だったらしい。

 ますや旅館には今も尚、卓球台がある。

 ちなみに、温泉で卓球をしたという記憶は、新入社員の頃、越後湯沢だったか、うちの会社の経営している鄙びた温泉旅館があって、そこに同期の男連中と泊まりに行ったときのものだ。以来、卓球というものを一度もしたことがない。曖昧な記憶なんだけど、スマッシュを打ち合ったような気がして、負けたら嫌だな~という妙なプライドが顔をのぞかせていた。ぼくは友達と勝負事をすることが嫌いで、負ければ嫌な気になるし、かといって買っても後味が悪い。だから、友達と勝負するのは嫌で、このときもなんだかな~とおもってた。

 なのに、当時、温泉には卓球台があったんだよね。だいたい、どこの誰が温泉で卓球なんてするんだよとおもってたし、温泉に来て卓球してわあわあ騒ぐ連中の気がしれなかった。だから、はっきりいった話、温泉宿に卓球台があるのは好きじゃなかった。たぶん、ぼくよりもひと世代上の連中が好きだったんじゃないかと。けどさ、温泉旅館って、卓球台は今もときどきあるのに、ビリヤード台ってなかなかないんだよね。なんでなんだろね?

 ま、そんな温泉の卓球の話なんだけど、この映画を観て、ちょっと目からうろこが落ちた。

 わざとらしい演技や演出、テレビドラマみたいな単調さ、特徴のない画面、なにをとってもあんまり記憶に残らない出だしと中盤とラストなんだけど、まあ、松坂慶子はあいかわらずの松坂慶子で、この人、おばさんになってからずっと人の良いおばさんに徹してるんだよね。それはそれで凄いのかもしれないんだけど、この人の特徴が遺憾なく発揮されたといえなくもない。なんたって、温泉に現実逃避してきた人妻が卓球で町おこしをしたらどうだろうっていう田舎の温泉街に協力して唯一得意なものである卓球の指導と大会の運営までしちゃうっていう話なんだから、ちょっとおまぬけなお人好ししかやらない松坂慶子にはぴったりの役柄だった。いや、話したいのはそんなことじゃない。

 目からうろこだったのは「温泉の卓球っていうのはどれだけ長くラリーを続けられるかってことが大事なの」っていう定義だ。これは、すごい。温泉の卓球でスマッシュとかするのは、空気を読めないあほたれなんだよね。またそういうのをみてぎゃあぎゃあ騒ぐのも温泉場の礼儀を知らない奴ってことなんだよね。なるほど!

 この定義を教えてくれただけでも、この映画は作った意義があるんだよ、たぶん。

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カリスマ

2015年07月28日 18時52分10秒 | 邦画1991~2000年

 ◇カリスマ (1999年 日本 104分)

 監督・脚本 黒沢清

 

 ◇木をめぐる人間ども

 カリスマっていう題名がどうしてもしっくりとこなかったんだけど、カリスマなるものがどういうものかその定義について考えればなんとなく納得できるような気がしないでもない。

 カリスマと呼ばれる木はまわりの土壌に毒素を拡散させ、それでまわりの木々はつぎつぎに死に絶えてしまう。枯死させる毒というのがなんなのかわからないけど、木を枯れさせるものなんか出してたら自分だって木なんだから枯れちゃわないのかなって気もするんだけど、およそ毒というものはそういうものなんだろう。

 ともかく、この不思議な木に価値があるとわかれば欲に餓えた人間どもが群がってくるのは無理もないことで、映画はそれを生真面目ながら運の悪い刑事、植物学者、得体の知れない世捨て人のような若造など有象無象の人間を絡めてもがき回らせる。ただ、嫌になるくらい淡々としている分、ふしぎな雰囲気は出てるし、薄気味の悪さは倍増している。

 結局、このカリスマはまわりの土壌を汚染するだけでなく、まわりの大気までも汚染して、その毒素を吸った人間どもは互いに殺し合ってすべてを消滅させてしまうわけだけれども、それこそがこの世界の法則なのかもしれないっていうところに落ち着くのかしらね。人間は結局、毒を制御できずにみずから滅びの道を選ぶんだっていうのが主題だったのかしらね。難しくてよくわからないんだけどさ。

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ガメラ3 邪神覚醒

2014年11月28日 02時42分39秒 | 邦画1991~2000年

 ◎ガメラ3 邪神覚醒(1999年 日本 108分)

 英題 Gamera 3 : Revenge of Iris

 staff 監督/金子修介 脚本/伊藤和典、金子修介 特技監督/樋口真嗣 撮影/戸澤潤一 美術/及川一 怪獣造型/原口智生 怪獣デザイン/前田真宏、樋口真嗣 繭雛型/竹谷隆之 衣裳/石川純子 音楽/大谷幸 主題歌/ユリアーナ・シャノー『もういちど教えてほしい』作詞:金子修介、作曲:大谷幸、編曲:ヨシオ・J・マキ

 cast 中山忍 前田愛 藤谷文子 安藤希 山咲千里 手塚とおる 螢雪次朗 仲間由紀恵 生瀬勝久 渡辺裕之 本田博太郎 八嶋智人 川津祐介 三田村邦彦 かとうかずこ 清川虹子 徳井優 伊集院光 斉藤暁 根岸季衣 田口トモロヲ 石橋保 鴻上尚史 渡辺いっけい 草野仁 小沢遼子 松本志のぶ 小松みゆき 石丸謙二郎 上川隆也 津川雅彦

 

 ◎特撮とボク、その64

 かっちょええ~!

 もはや、平成ガメラについては、ここでメモしておくものはなにひとつとしてないんだけど、2009年2月4日に観て以来、ひさしぶりに観直したものだから、ずいぶんと忘れてるところってあるもんなんだな~って感じだ。でも、どのカットもガメラの登場しているところはかっこいい。地球を滅亡の淵に追い込んでしまうかもしれない連中がわんさとたむろしているとガメラに判断されたともおもえる渋谷の破壊から、奈良から京都へと移動していく空中戦、さらには京都駅から東寺にかけての一帯を火の海にした最後の決戦にいたるまで、いやあ、凄い。

 南明日香村の柳星張のくだりと、それに絡んだ山咲千里と手塚とおるのコンビの画策がちょいとばかりまだるこしいのと、ガメラを憎み、イリスと融合する少女前田愛の設定が物語上どれだけ必要なことかはわかるんだけど、イリスと出会うまで、さらにはイリスと融合するまではなんだか手間が掛かってる感じがするんだよな~。あのあたり、もうすこし刈り込んだらもっとおもしろいんじゃないかっておもうんだけどね。

 まあ、それでも脚本は上手にすべてを絡ませてて、これまでの伏線もしっかりと活きてて、きわめて満足できる作品に仕上がってる。水野美紀の出番を後撮りしてでも入れてほしかったってのはあるけど、それはまあ、我慢するしかない。ただ、螢雪次朗については非常に満足してる。あ、でも、これは大迫警部補の流浪の物語でもあるわけで、螢雪次朗と中山忍の運命的な巡り合いがあるのなら、やっぱり1の段階でもう少し別れをおしといてほしかった気もしないではないけどね。

 問題は、この後だ。ハイパー・ギャオスの大量発生の後はどうなるのか。もはやぼろぼろになったガメラは左手のみで戦えるのか。地球のマナはどうなってしまうのか。このシリーズは超古代史を基にした長い物語で、ギャオスの亜種となるイリスは延長線上の新展開だっただけに京都駅の格闘だけで話が終わるのは辛い。つまりは、21世紀にガメラは復活するかってことだ。ガメラ4ができるかどうか、いやまじ、どうなんだろね?

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ガメラ2 レギオン襲来

2014年11月27日 12時52分45秒 | 邦画1991~2000年

 ◎ガメラ2 レギオン襲来(1996年 日本 99分)

 英題 Gamera 2 : Attack of the Legion

 staff 監督/金子修介 脚本/伊藤和典 撮影/戸澤潤一 美術/及川一 レギオン・デザイン/前田真宏、樋口真嗣 音楽/大谷幸 主題歌/ウルフルズ『そら』作詞・作曲:トータス松本、編曲:太田要

 cast 水野美紀 永島敏行 石橋保 吹越満 藤谷文子 螢雪次朗 川津祐介 鈴井貴之 大泉洋 田口トモロヲ 養老孟司 長谷川初範 ラサール石井 ベンガル 角替和枝 沖田浩之 小林昭二 渡辺裕之 辻萬長 大河内浩 前田亜季 関谷亜矢子 薮本雅子 福留功男 小松みゆき 徳間康快

 

 ◎特撮とボク、その63

 平成ガメラは怪獣映画の傑作シリーズだとおもうんだけど、この作品はその中でも白眉だ。

 レギオン(マザー、ソルジャー、プラント)の宇宙怪獣としての納得のゆく設定といい、自衛隊の戦いぶりといい、水野美紀をとりまく男ふたりと両親との微妙なバランスといい、ガメラとそれを信じる人々との連携といい、なにより、進化したガメラの飛行と戦いぶりが実に巧みに散りばめられている。

 たしかに、地球の超古代文明をひきずった第1作と第3作の間にあって、ひとつとびぬけた設定と展開ではあるんだけれど、その分、単体としても楽しめる。邦画の場合、第2作目はたいがい前作よりも見劣りしたりするものなんだけど、この作品はそうじゃない。進化してる。それが凄い。

 おそらく、邦画の怪獣映画の中で、この作品ほど自衛隊がかっこいい作品はなく、人間と怪獣が共同戦線を張るというのはこういうことだと突きつけられているようで、そのあたりの清々しさがなんともいえない。そう、この作品において人間たちはちゃんと生きてる。石橋保が激烈な戦闘中に聖書をおもいだしてレギオンと名づけるのはちょっとありえないだろっていう突っ込みもあるけど、自衛隊というか軍人のある意味においてのかっこよさはしっかりと描かれている。

 いやまじな話、伊藤和典の脚本はこの作品では神がかってんじゃないかっていう感まである。戦争で東京を焦土にされた小林昭二の諦観ともつかない「今度こそ守ろうや」という台詞を筆頭に、随所に見られる自衛官たちのそれぞれの立場による言葉の数々は、逃げたって誰も文句はいいやせんというリアリズムに裏打ちされているようで、見ていておもわず唇をひきむすんでしまうほどだ。戦車の移動する際のリアリズムもそうで、昭和ガメラの常連大村崑の琺瑯看板での特別出演もあるが、ともかく、終始自衛隊はかっこいい。

 もちろん、自衛官だけでなく民間人の台詞もまたいい。子供たちのガメラへのおもいのつよさもぐっとくるけど、なんといっても水野美紀だ。軍人の妻となってもいいような「ご武運を」を台詞だけでなく、子供ような「ガメラの敵にはなりたくないよね」という締めくくりにいたるまで、終始、決まってる。

 ただ、水野美紀はなんでそんなに寒い中をいつもミニスカートでパンプスなんだっていう疑問もある。これはもしかしたら、生来のニンフで、ミニのまま吹越満がPCをいじってる机に腰かけたかとおもえば、台の上にいる彼女に対して永島敏行が手をさしかけるを無視してすたっと下りてしまったりと、常に男どもを惑わす妖しい魅力が無意識の内に備わっているんじゃないか。男ふたりが実家の薬局店を訪ねてきたときも「パワーバランス」といってミニスカートの奥を見せるような見せないような仕草でベッドに座る図など、どことなくあどけなさの残った顔を持ちながら、酒を隠し持っていたりするアンバランスさはまちがいなく男を虜にしてしまう凄さを秘めてるんだと見ながらおもってしまったのは、もちろん、ぼくだけじゃないはずだ。

 すごいぞ、水野美紀。

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