◇シン・ゴジラ(2016年 日本 119分)
監督/庵野秀明 樋口真嗣 音楽/伊福部昭 鷺巣詩郎
出演/長谷川博己 竹野内豊 石原さとみ 高良健吾 市川実日子 國村隼 平泉成 大杉漣
◇ヤシマ作戦
昭和ゴジラ世代の初代へのオマージュ。エヴァのBGMが流れたときは噴いた。
◇シン・ゴジラ(2016年 日本 119分)
監督/庵野秀明 樋口真嗣 音楽/伊福部昭 鷺巣詩郎
出演/長谷川博己 竹野内豊 石原さとみ 高良健吾 市川実日子 國村隼 平泉成 大杉漣
◇ヤシマ作戦
昭和ゴジラ世代の初代へのオマージュ。エヴァのBGMが流れたときは噴いた。
◇ジャンヌ・ダルク(1999年 フランス、アメリカ 158分)
原題/The Messenger:The Story of Joan of Arc
監督/リュック・ベッソン 音楽/エリック・セラ
出演/ミラ・ジョボヴィッチ ジョン・マルコヴィッチ フェイ・ダナウェイ
◇百年戦争
なんだか、えらく堂々としてるね。正攻法っていうか、妙にリュック・ベッソンらしくないっていうか。
ただ、捧げられたワインを飲んで神との疎通がなされ、それで次のシーンでは成長してしまったばかりか、すでに民の支持まで受けているとするのは、跳ばし過ぎな気がしないでもないけど。
それはそれとして、なぜか、天草四郎をおもいだした。
ま、神のお告げを聞き、自分こそが民を救えるのだと信じる少年と、それを信じる民、利用する民、否定する民、ありとあらゆる民がまんだらのように散りばめられた物語なわけだから、おんなじになるのは当たり前か。そんなことをいったら身も蓋もないけど、たぶんそういうことなんだろう。
しかし、佳境、火焙りになるまでのダスティン・ホフマンとのやりとりはちょっとだれる。
◇エージェント : ライアン(2013年 アメリカ 106分)
原題/Jack Ryan : Shadow Recruit
監督・出演/ケネス・ブラナー 音楽/パトリック・ドイル
出演/クリス・パイン ケビン・コスナー キーラ・ナイトレイ ミハイル・バリシニコフ
◇ジャック・ライアン、CIA入局
同棲中の彼女に疑われちゃうんだから、映画の半券くらい始末しとこうぜ、ジャック。
てなことをいわれかねないくらい、疑り深くて嫉妬深くて頭の悪い眼科医の婚約者を演じたキーラ・ナイトレイなんだどけ、ちょっと顔にちからが入りすぎてるのはなんでなんだろう?
まあ、時代がかった作品の常連ってこともあって、どうしても現代劇ではオーバーな演技になっちゃうのは仕方ないのかもしれないど、そんなことより、なんてまあ顔の小さいこと。あ、クリス・パインが大きいのかな。
いずれにせよ、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを出てニューヨークの投資銀行に勤めていたジャック・ライアンがCIA情報分析班のアナリストになって最初の晴れ舞台を踏むって内容ながら、続編は作られないのね?
△ウォールフラワー(2012年 アメリカ 103分)
原題/The Perks of Being a Wallflower
原作・監督・脚本/スティーヴン・チョボスキー 音楽/マイケル・ブルック
出演/ローガン・ラーマン エマ・ワトソン エズラ・ミラー メイ・ホイットマン
△小説家志望の高校生の恋
アメリカではものすごく売れた原作だそうで、その作者がもうおもいきり楽曲を使いまくって仕上げたって感じだけど、サイモン&ガーファンクルも、ビートルズも、ピンク・フロイドも、まったくすっかり耳に入ってこなかったのはなんでなんだろう?
それにしてもエマ・ワトソンやローガン・ラーマンがひとりずつトラックに乗って風を感じるんだけど、ちょいと耐えられない。タイタニックかよ、と。けど、タイタニックよりも両手を広げてる時間は長かった。
△スワンの恋(1983年 フランス、西ドイツ 110分)
原題/Un Amour de Swan
監督/フォルカー・シュレンドルフ 音楽/ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ
出演/ジェレミー・アイアンズ オルネラ・ムーティ アラン・ドロン
△貴族と娼婦とカトレアの花
退屈だな。
単調な構図とべったりした色調で、せっかくのアラン・ドロンはホモかどうかもよくわからない脇役で、現実と唐突な幻想との区別もなく、だらだらと単調な物語が進むんだけど、この時の流れがあまりにも遅い。失われし時を求めちゃうわ。
◎暗黒街のふたり(1973年 フランス、イタリア 100分)
原題/Deux Hommes Dans La Ville
監督・脚本/ジョゼ・ジョヴァンニ 音楽/フィリップ・サルド
出演/アラン・ドロン ジャン・ギャバン ミムジー・ファーマー イラリア・オッキーニ
◎悪とはなにか?
当時のフランス車はどれもこれも前後ともベンチシートなんだね。首を預けられないのは辛いだろうな。
ポスターに使われてるスチールは後半、ギャバンが印刷所にドロンを訪ねたときのカットだ。この場面、上手にふたりを動かして、両方の表情をうまく捉えてるわ。
しかし、ジョゼ・ジョヴァンニ、剛腕だな。裁判の場面で、ひとりだけ過失傷害致死に居合わせた恋人の証言を音声カットしてギャバンのナレーションだけで処理しちゃうとは。ちからわざだね。
さらにうまいのは、ドロンの最初のカットは印刷所の輪転機の向こうに顔が見えてくるんだけど、それがラストのギロチンの断頭台に見立てられてるところだ。この伏線が上手すぎるのに、ラスト、ギロチンの模型とセットがおそまつなのがなんとも悲しいね。
◇助太刀屋助六(2002年 日本 88分)
監督・脚本/岡本喜八 音楽/山下洋輔
出演/真田広之 鈴木京香 仲代達矢 村田雄浩 鶴見辰吾 本田博太郎 小林桂樹 岸田今日子
◇岡本喜八の遺作
よほど、この作品にはこだわりがあって、自分でも好きな物語だったらしい。
まあ、いかにも岡本喜八らしい展開と演出なんだけど、癖のある役者が並んでる分、ことさらに大仰な演技が目立つのはもはやどうしようもないとはいえ、ほかの監督だったら目も当てられない出来になってたかもしれないね。
いや、実際のところ、大仰な演技はちょいと度を超してわざとらしいし、おもしろおかしくしようとしたもののなんとも気恥ずかしくなってしまい、結果、すべる。音楽もそうで、好きなジャズとか使われてるのはとってもよくわかるんだけど、いかんせん、狙い過ぎな印象が優ってくるかな。
しゃれた中身にしようとすればするほど難しくなっちゃうんだよね。
◇メカニック(2011年 アメリカ 93分)
原題/The Mechanic
監督/サイモン・ウェスト 音楽/マーク・アイシャム
出演/ジェイソン・ステイサム ドナルド・サザーランド ミニ・アンデン ベン・フォスター
◇ブロンソン版のリメイク
自分の師匠を殺して、その息子を不憫におもって弟子にして、その事実を知られてしまうという筋立てはほとんど同じで、要するに殺し屋が自分を育ててくれた恩人を殺すように依頼されたもののそれが嵌められたという展開になってくるんだけど、ドナルド・サザーランドの起用が良かったっていうのはさておき、シリーズ化を予定している以上、ブロンソン版と同じようにはできないわね。
でもなあ、ベン・フォスターとジャン・マイケル・ヴィンセントと比べちゃうとどうしても身が入らない。
ただ、ストイックな役柄はジェイソン・ステイサムも似合ってるね。アクションが派手になるのは当然のことなんだけど、なんというのか、味という面においてはどうかな。
◎ブッチ・キャシディ 最後のガンマン(2011年 スペイン、フランス 102分)
原題/Blackthorn
監督/マテオ・ヒル 音楽/ルシオ・ゴドイ
出演/サム・シェパード エドゥワルド・ノリエガ スティーヴン・レイ
◎1927年、南米、ボリビア
ブッチ・キャシディは、こういうんだ。男には2種類しかない、家を出るときと帰るときだ。
てなことをいうんだけど、これは要するに、門出と最期ってことで、どんな人生を送るのかその志を得たときと、そのおもうがままの人生を終えようとするときってことで、どちらもかっこよくないとつまんないぜっていってるわけだね。
別に、わざわざブッチにしなくてもいいのにとおもっていれば、なるほど、ところどころに『明日に向って撃て!』の続きが描かれてるわけね。そうなると、興味はサンダンス・キッドはどうなったんだろうってことになるわけで、なるほど追われ追われてやがて重傷を負い、最期は親友ブッチの涙の銃撃で送られるわけかと納得できる展開になってる。それなら、わかるかな。
でも、いちばん印象に残るのはやっぱりウユニ塩湖の銃撃戦で、真っ白な世界の中での殺し合いは凄かった。
△木と市長と文化会館 または七つの偶然(1993年 フランス 105分)
原題/L'Arbre, le maire et la mediatheque ou les sept hasards
監督/エリック・ロメール 音楽/セバスチャン・エルムス
出演/ギャラクシー・バルブット ジェシカ・シュウィング アリエル・ドンバール
△パリ南西部ヴァンデ県サン=ジュイール
退屈しのぎにはならんな。おもいきり真剣に見ないと理解できん。
田舎が好きなんだね。のんびりできるし美しいから。でも、3日もすると退屈になるの。小説を書くには騒音やざわめきや混乱が必要なの。ここはなにも起きないから思考が停止する。政治という目的がなきゃあなたも退屈する。まさにそのとおりだ。
この映画にメッセージがあるとすれば、文化会館の建設中止の決定から始まる歌かな。
田舎は美しくなる、燕も戻ってくる、花が咲き乱れる草原、てんとう虫もいる、殺虫剤も農薬もいらない、重油も高速道路もいらない、酸素はいるけど灯油はいらない、ごみ捨て場も原発もいらない、オゾン層の穴もない、整備地区もいらない、メディアセンターもいらない、図書館は古い物語の中、ビデオセンターは古い水車小屋、ディスクセンターはワイン倉庫の中。
私達は田舎に住んでいる、畑と草原に囲まれて、ブルターニュに住むのもいい、ノルマンディでも、オフィスの責任者で会計士で技術者、オフィスに行く必要はない、車や電車に乗ることもない、年中バカンス気分、農産物も豊富にある、ほんとうに幸せだ、解決策を見つけた、新しい世代のために。
それが実現したら週末や休暇は、インドやカラカスに飛行機で行かず、人里離れた場所に車で行かず、都会に行きましょう、アスファルトやコンクリートを見に、町の娯楽を味わいましょう、これこそ真の余暇よ、ほんとうに幸せね。
ほんとか?
そうした余暇を支えていく人達はどないすんねん?
◇緑の光線(1986年 フランス 98分)
監督/エリック・ロメール 音楽/ジャン=ルイ・ヴァレロ
出演/マリー・リヴィエール リサ・エレディア
◇シェルブール、7月
グリーンフラッシュの話。
なにかって、映画の台詞を借りれば「太陽は赤・黄・青の光を発しているが、青い光が一番波長が長い。だから、太陽が水平線に沈んだ瞬間、青い光線が最後まで残って、それがまわりの黄色と混ざって私たちの目に届く」ってことらしく、まあ、めずらしい現象だから、これを観た者には幸せが届くってことになるわけで、当然、なかなか観られない。
観たいわね、そう聴くと。
途中、なんとなく画面のどこかに緑色のものがある。車のボディ、洗濯物のタオル、髪を縛っているハンカチーフ、鉢植えの観葉植物。
とはいえ、これは無口で、その場にいるかどうかわからないような男が身近な女の人達をただ観察しているような映画としか受け止められなかったのは、僕の感受性が稀薄なせいだろう。
「緑はわなしの今年の色らしいの。行く先々で緑色のものを見るの」とかいっていろんな事物をあげていくんだけど、だからなんなんだっていいたくなるし、実際、突っ込まれてるし、いやまあ一部の女の子にはこういうことをすぐに口にしちゃったりする子もいたりするけどさ。
「緑色の男に出会うかもね」とかいわれると、なんとなくフィリップ・K・ディックをおもいだしたりもするんだけど、まあ結局、情緒不安定な女の子の日常以外のなにものでもない。同時録音がリアルな効果はあげてるけどね。
☆キャリー(1976年 アメリカ 98分)
監督/ブライアン・デ・パルマ 音楽/ピノ・ドナジオ
出演/シシー・スペイセク パイパー・ローリー ウィリアム・カット ジョン・トラボルタ
☆汚れた娘
封切りでは観られなかったけど、文芸座に落ちてきてすぐに観に行ったのが1979年。もう何年経ったんだろう。そして、もう何回観たんだろう。結局、続編も新作もさっぱり忘れて、鮮烈な印象と共に憶えてるのは、この第一作だ。
それにしても、なんとまあ、おぞましくも下品な色気を漂わせた映画なんだろう。
まるで忘れてたけど、ナンシーアレンのフルヌードがあったんだね。そうか、ナンシーアレンとトラボルタは車の中で尺八する関係の役回りから『ミッドナイトクロス』に至るのね。なるほど。
あらためてびっくりしたのはやっぱりカメラで、ウィリアムカット舐めのシシースペイシクなんだけど、両方にピントが合ってる。ふたりに挟まれたマリオの女版みたいな格好の女子生徒はボケてる。なんつう出来のいい合成なんだ。
まあ、磔にされたキリストのように殺されちゃうお母さんことパイパー・ローリーが元凶とはいえ、凄い話だね。
スティーブン・キングにはある時期ものすごく凝ってて、すべての作品を読破しようとしてつぎつぎに購入してたけど、やっぱり『キャリー』は最高におもしろかった。そこへもって、絶頂期のデ・パルマだ。おもしろくないはずがないわな。
ちなみに『おばけのキャリー』とかいったことでキャリーの最初の念力にスッ転がされる自転車少年にキャメロンデパルマとかあるんだけど、これは息子か?
▽帝都大戦(1989年 日本 107分)
監督/ラン・ナイチョイ 一瀬隆重 音楽/上野耕路
出演/加藤昌也 南果歩 嶋田久作 丹波哲郎 土屋嘉男 中丸忠雄 日下武史 高橋長英
▽なぜ、実相寺昭雄に撮らせなかったのか?
孤児になってしまった目の見えない女の子が南果歩だけ見えるというのはどういうことかとおもってれば、加藤雅也も露草みたいに青く薄く光ってるというんだから、ま、そんな感じかと。
けど、それは映像で見せてくれないとね。
それと、戦後じゃあるまいし、金網で囲まれた秘密基地とか無しだせ。
それも呪法をするところでしょ?丹波さん、こういうときは文句いわないからな~。
それより、アクティオンアスカって何語ですか?
昭和20年の非常時にアクティオンとかあり得なくないか?
看護婦當直室の字の並び、逆だし。しかし、嶋田カトウ久作、サイコキネシスでガス管とか曲げて爆発させられるんなら、南果歩の手足くらいいとも簡単に折れるんじゃないのかな。それは、しないのか。ほかの憲兵や歩兵は片っ端から捻り殺されちゃうのに。
なんか、あら探しになっちゃってるけど、せっかく大掛かりなセット組んでるのに、どうにも視点がくるくる変わる粗削りな脚本と緊張感の欠けた演出で、ちょいとつらいわ。
そもそも、脚本の方向性が間違ってるような気がする。
なにより、もう、将門とか関係なくて、将門に願うのは本来、東京を壊滅から守ってほしいってことで、原爆を落とされることになってたのから守ってもらうというんならわかるけどさ。
それに、ルーズベルト調伏ていう使い古された話題をまじめにしようとする丹波さんたちと軍部とかはちょっとありえなくて、それが丹波さんはやっぱり良い人で実はヒットラー調伏だったとかのラストは途中で見えてくるし、結局、それは物語を薄めるだけのことで、カトウはないがしろにされるし、それどころか最後の最後まで正体がわからず、単なる化け物にされちゃう始末だ。
なんだかまあ、知的要素の欠如した映画だったわ。
△帝都物語(1989年 日本 135分)
監督/実相寺昭雄 音楽/石井眞木
出演/嶋田久作 原田美枝子 坂東玉三郎 中村嘉葎雄 大滝秀治 島田正吾 高橋幸治 平幹二朗
△衣の年亥の月亥の日
知らなかったけど、この日は大正12年9月1日なの?
ま、それはさておき、なんだか焦点の定まらない脚本だな。
ながったるいっていうか、結局、主人公であるはずの勝新太郎はひとつのセットから動くことなく、その分、狂言回しの視点が多くなって、観る者を戸惑わせる。
作り手側にとってこの物語はちょっと荷が重すぎたんじゃないのかな。
ぼくなら関東大震災から物語を始めるけどな。そしたら、すべてのまだるっこさを解決できるのにね。
ただ、いちばんの疑問は、将門を目覚めさせても俵藤太を目覚めさせれば終わりなんじゃないかってことだ。将門のちからが強いってことは誰でも知ってるし、だからこそ神田明神もあるし、首塚もあれこれと謂れが残されてる。でも、その将門も討伐されたわけだから、将門を超えるちからの存在はあるはずだっておもうんだけどな。
それと、重箱の隅をつつくみたいだけど、娘の台詞で『この學天則を実用ロボットにすることがお父様の夢にもだったではありませんか』とかいうんだけど、当時、ロボットって言い方は一般的だったのかな?それはそれとして、學天則てなんとなく食いだおれ太郎に似てないかしら?それはないか。西村晃の作業着、娘とペアルックで場違いにかわいいわ。
◎ブロンクス物語、愛につつまれた街(1993年 アメリカ 120分)
原題/A Bronx Tale
監督・出演/ロバート・デ・ニーロ 音楽/ブッチ・ギンボール
出演/チャズ・パルミンテリ フランシス・キャプラ ジョー・ペシ
◎チャズ・パルミンテリ『A Bronx Tale』より
デニーロの演出はノスタルジックかつリズミカルだ。さすがだな。
お!馬乗りやん!
僕が小学生だった頃、休憩時間になるとかならず男子のやっていた遊びが馬乗りだった。ブロンクスの遊びだったんか!まあたしかに日本の遊びっぽくない感じだったな~と今にしておもえばそうおもえるわ。
ま、ハリウッドらしく子役とおんなじ顔をキャスティングしてる。煙草の吸い方や、への字口はまあご愛敬だが、似てる。
なるほど、後半の構図はロミオとジュリエットなのね。さらに、なるほど。息子が金を貸した奴を追おうとしたら、刑務所で10年間マキャベリを読んだという顔役のヤクザが止めてこういう。20ドルで嫌な奴を追い払った、もう奴はお前に金を借りに来ない、20ドルなら安いもんだと。おお、そう考えればいいのか。
邦画にはない展開だな。ことごとく死んじゃうことで、新たな世界が訪れるのかとおもいきや、因果はめぐるんだね。