Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

許されざる者

2018年01月09日 01時07分00秒 | 邦画2013年

 △許されざる者(2013年 日本 135分)

 監督・脚本/李相日 音楽/岩代太郎

 出演/柄本明 柳楽優弥 忽那汐里 小池栄子 國村隼 滝藤賢一 小澤征悦 三浦貴大 佐藤浩市

 

 △イーストウッド作品のリメイク

 舞台は明治初期の北海道。

 まあよくある設定で、渡辺謙はおんなじような感じの『北の零年』とかってなかったっけ?

 まあそれはさておき、わざわざリメイクする必要がどこにあったんだろう。

 マカロニウェスタンの時代じゃないし、北海道を舞台にした西部劇もどきを作りたかったんならまったく自由な発想でやればいいんじゃないかな。いくらイーストウッドが『用心棒』からスターになったとはいえ、イーストウッドの名前と題名をそのまま宣伝にできるっていう甘い汁をすすろうとしたんじゃないのかって勘ぐられてしまう分、不利益になっちゃったんじゃないかと。

 売り物はなんなのかってところを、邦画界はもうすこし考えなくちゃいけないんじゃないかな。

 北海道の極寒での撮影は大変だったとかが売りになるような時代はもう終わってる。むかし『八甲田山』を撮ったときはたしかに命懸けだっただろうし、それはそのまま画面に出てた。そういう凄味は感じなかった。女郎の復讐業ってのもいただけない。申し訳ないが、大仰なばかりの役者たちの顔ぶれもさらにいえば殺陣も目新しさが感じられない。辛かったというより、観ていて悲しくなってきた。どうしたもんだろうね。

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はじまりのみち

2017年11月14日 19時11分12秒 | 邦画2013年

 ◇はじまりのみち(2013年 日本 96分)

 監督・脚本 原恵一

 出演 加瀬亮、田中裕子、宮崎あおい、濱田岳、光石研、大杉漣、松岡茉優、斉木しげる、濱田マリ

 

 ◇1945年の木下恵介

 当時、木下恵介は『陸軍』を撮ったばかりだ。さきにこの田中絹代の主演作について書いておけば、いやもう凄い映画だった。なにが凄いって最後の10分。陸軍の出征していく兵士の中に自分の息子を見つけようとして必死においすがっていく母親を延々と追いかけていくカメラが圧倒的で、その臨場感たるや滅多にお目にかかれない。

 で、この『はじまりのみち』はその撮影の後日譚みたいなものとおもえばいい。木下恵介の実家は浜松なんだけど、そこから母親をリヤカーに乗せて山奥の疎開先まで送っていくっていうただそれだけの場面設定なんだけど、まあ、映画を撮ることができなくなってしまった木下恵介の復活への志がわきあがってくるかどうかって物語だ。もちろんそこにあるのは戦争はもう嫌なんだよねって主張なんだけど、そんなことは誰でもおんなじだからなにも声を大にする必要もないし、映画でも漂わせるようにあつかってるように見えた。とはいえ、避けて通れないんだけどね、こういう話だと。

 まあ、木下恵介フアンとしてはちゃんと観ました。

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ベニシアさんの四季の庭

2017年10月28日 11時49分42秒 | 邦画2013年

 ◇ベニシアさんの四季の庭(2013年 日本 98分)

 監督 菅原和彦

 出演 ベニシア・スタンリー・スミス

 

 ◇京都大原2009~2013

 このドキュメンタリは好きで、テレビでふと見かけるたびに観てた。

 いつ放送されてるのか知らないんだけど、ほんとにふとしたときテレビがついててさらりと視界に入ってきたとき、そのままなにげなく観てた。なにかの参考にするわけでもなく、ああいいな~とおもうわけでもなく、それでいてなんとなく愉しみな番組だった。

 そういうことからいうと、彼女が丹念に栽培している庭のハーブに似ているのかもしれないね。イギリス庭園はぼくみたいなど素人には想像もつかないほど手入れが大変で、雑草が生い茂ってるんじゃないかって勘違いしちゃう人間はまあおいといて、でも常に自然体で驕らず気取らず風光に身をゆだねるようにして時を刻んでるように作っていく。なかなかできることじゃない。それを彼女はほんとに緩やかにテレビの向こうの誰かに語り掛けるような独白を続けて手入れしている。演出がそうさせるのかもしれないけど、彼女の優しくも厳しくかつ誇り高い人柄が漂ってくるような番組だった。

 ただ、テレビの場合、あまり深くは入り込んでおらず、たとえば、イギリスの壮麗な実家っていうか城だとか、娘たちのこととか、さらにはご主人との出会いと暮らしと別れにいたるまでのこととか、まるで語られてこなかった。いつのまにか、どこからか大原にやってきて、その風物と一体化したような透明感のあるふしぎな英国女性という印象は、にわかに現実味のあるベニシア・スタンリー・スミスという英国婦人になった。観てよかったのかどうか、よくわからない。

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利休にたずねよ

2017年10月15日 22時13分43秒 | 邦画2013年

 △利休にたずねよ(2013年 日本 123分)

 監督 田中光敏

 出演 市川海老蔵、市川團十郎、中谷美紀、伊勢谷友介、大森南朋、黒谷友香、中村嘉葎雄

 

 △なんで高麗?

 よくわからんのだけれども、なんで利休の物語にわざわざ高麗から攫われてきた女を絡ませる必要があるの?

 ていうか、一般的な話なんだけど、利休について最初から美であるとか侘びであるとか天賦の才であるとか褒め言葉が出尽くしてくること以外は許されないような気にさせられちゃうことに、ぼくとしては小首を傾げたくなる。利休を必要以上に持ち上げるのは、信長をあまりにも英雄視しすぎるんじゃないかってのと同様な違和感を感じるんだ。

 だから、この映画のようにわけのわからん青春期があったっていうのはまあそれはそれでもいいんじゃないのって感じはするし、なんだか傲慢不遜な利休だな~っていう印象を与えようとするのもまあそういうのもありかもしれないけどさって感じもする。するけど、それが興味深いかどうかっていうのは別物だ。

 うん、あくまでも別物だ。感想としてはそれ以上でもそれ以下でもない。

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奇跡のリンゴ

2017年10月13日 11時16分16秒 | 邦画2013年

 ◎奇跡のリンゴ(2013年 日本 129分)

 監督 中村義洋

 出演 阿部サダヲ、菅野美穂、池内博之、笹野高史、伊武雅刀、原田美枝子、本田博太郎

 

 ◎1971年、青森県中津軽郡岩木町

 無農薬・無施肥でのりんごの栽培はとっても難しいそうで、この映画の原作者の木村秋則さんはその方法を世界で初めて確立したんだそうだ。すごいな~と率直におもう。少しずつ栽培方法が向上していったにしても10年間も無収入でりんごを育て続けるっていう意志はなみたいていのものではないし、家族の理解と協力がなければ絶対にできない。つまりは、木村さんの大成功は木村家のひとびとがちからをあわせて文字どおりもぎとったものなんだろね。

 で、この作品はその木村家のひとびとを描いているんだけれども、うん、上手に撮ってる。いつもおもうのは、もうなにをやってもだめだと阿部サダヲが絶望して首をくくろうと森の中へ入っていく場面で、このとき、草木の向こうに自然のりんごの樹が見えてくる。で、そこで阿部サダヲは自分のめざしてる栽培方法が正しいことを確信するんだけど、そりゃそうだよね、りんごだってもともと自然の中で育ってきたんだから、根の周りの雑草を除去したり農薬をまいたりしなければ実が獲れないなんてことはないんだよね。でなければ、もうとっくのとうにりんごなんて地球上から無くなってる。

 ただ、自分の信じる道を行くっていうのは難しくて、誰も認めない道ならなおさらで、世間の白い目をがまんしながら生きていかなくちゃいけない。でも、ただ生きていくんじゃなくて、自分の為そうとしることをこつこつとし続けてなくちゃいけない。それが我が道を行くってことで、たいへんな苦労だ。たいがいは途中で挫折する。だって、生きていけなくなるんだもん。自分だけじゃなくて家族も。だから、木村さんのように家族の理解と協力が要るんだね。でも、それは、家族が木村さんのちからを心から信じているかどうかってことで、家族としては途中で木村さんがなんの成果もあげられずに倒れてしまったとしてもそれで満足できたのかもしれない。ひとつのことを信じていくことの尊さをたぶんご存じだったんだろう。なかなかこういう素敵な家族はいない。

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偉大なる、しゅららぼん

2017年08月02日 23時06分30秒 | 邦画2013年

 ◇偉大なる、しゅららぼん(2013年 日本 114分)

 監督 水落豊

 出演 濱田岳、岡田将生、深田恭子、貫地谷しほり、津川雅彦、村上弘明、佐野史郎、笹野高史

 

 ◇屁かよ

 湖の民というのは、なかなか好きな設定だ。海の民、山の民、里の民などと、上古から連綿と続いてくる民の伝承を主題のひとつにするというのは、これといって新しさはないものの、こういう世界観を好きな者にとってはわくわくする作法だとおもうんだよね。

 あとは、その物語がドラマチックに運ぶかコメディタッチで描かれるかによるんだろうけど、これは原作者の万城目学の持ってる味がこういう物柔らかな雰囲気になってるとおもえばいいんだろうね。あ、読んだことないんで、実はよくわからないんだけど。まったく不勉強だな、ぼくは。

 いちばん記憶に残るのは八郎潟の民の末裔である源爺で、この笹野高史がええね。ところどころに張られた伏線も悪くないし、物語に締まりがあるのはこの源爺のおかげのような気がするんだ。

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蠢動 しゅんどう

2017年07月18日 01時18分11秒 | 邦画2013年

 △蠢動 -しゅんどう-(2013年 日本 102分)

 監督・脚本 三上康雄

 原案 三上康雄、近藤誠二

 出演 平岳大、若林豪、目黒祐樹、中原丈雄、さとう珠緒、栗塚旭

 

 △殺陣は、好かった

 栗塚旭を観たい一心で、えんえん我慢した。

 若林豪、目黒祐樹、中原丈雄がおもいきり熱をこめて芝居してくれてたけど、いや、そういうことではないような。しかしそれにしても、みんな老けたね。栗塚さんも台詞回しは往年のままな感じだけど、ほかの人達とおなじくやけに踏ん張るようになっちゃってて、もうすこし寛容な優しい栗塚さんの嗤いが観たかったわ。

 とかって、感想をいえばいうほど窮屈な気分になりそうだから、もうやめとく。

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清須会議

2015年09月28日 00時05分37秒 | 邦画2013年

 ◇清須会議(2013年 日本 138分)

 原作・監督・脚本 三谷幸喜

 

 ◇なるほど、更科六兵衛も出てるんだ

 なんで西田敏行がちょい役で、しかも記憶にある雰囲気なんだろとおもってたら、そういうことか。

 けど、それくらいのおかしさだけで、あとはいかにも三谷幸喜の世界で、それはそれでいつもどおりの印象だ。こういう世界の好きな人にはくすくす笑えて、なんだかビリー・ワイルダーみたいだよねとかっていいながら楽しめるんだろうし、そうじゃない人はふ~んこんなものかとおもうだけの話だ。

 だから、正史ではどうだったかとか、柴田勝家とお市の結婚するくだりは実は秀吉が暗躍したんじゃなかったの?とか松姫と信忠は許嫁ではあったけど婚姻はしてなくない?とかいった指摘はする必要もないし、そんなことをいいだしたら海辺で旗取りとかなしだしって話にもなって収拾がつかなくなっちゃう。だから、これでいいのだ。ま、もうちょっと毒気があってもいいような気もしないでもないけどね。

 ひとつだけ、ちょっとな~とおもったのは、剛力彩芽の陰謀という裏話がもうすこし濃厚だとよかったかな。なんだか最後になって取って付けたような感じでちょろっと出てくるのはおしゃれといえばおしゃれなんだけど、観客にはちょっとわかりにくかったんじゃないかしら。

 そういえば、この『清須会議』の撮影で使われた清洲城のミニチュアが調布映画祭のエントランスホールに復元展示されてたけど、雰囲気は悪くなかった。ただ、城だけがとんっと置かれた感じだったから、周辺の野山もちょっとくらいジオラマのように作り込んでくれてたらもっとよかったのにっておもうんだけどな~。

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あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。

2015年09月24日 14時42分15秒 | 邦画2013年

 ◎あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。(2013年 日本 99分)

 監督 長井龍雪

 

 ◎めんまへの手紙

 なんで、この物語にみんな感動して泣いちゃったのか?

 という疑問にはいろんな解答があるだろうし、それを考える必要もあんまりないし、まあ、ぼくも泣いた。アニメで泣くのはひさしぶりのことで、この頃、心まで年を食ってしまったせいか、アニメ特有の台詞まわしや大仰な動作あるいは在るような無いような不思議な現実味などがどうにも食傷気味になってきてて、このシリーズを見ていたときも最初はそんな気分だった。

 ところがどうだろう。回を追うに従って妙にのめり込んでいる自分のいることに気づいた。自分の少年時代や高校時代と照らし合わせて似ているのか、どうか記憶の中の日々をおもいださせるものがあるのかどうか、そんなことはほとんどないんだけど、どういうわけか涙がこぼれてた。

 ぼくも困ったもんだわ、いつまでも。

 けど、だ。

 この劇場版については、たしかに新たなシークエンスはつけられているものの、どうしたところでテレビの再編集版の域を出ない。で、テレビ放映された前後篇からなる総集編とどちらに感情移入できるかといえば、尺が長い分、挿話のつながりがよく見え、明らかに総集編だ。となると、いったいこの作品はどうとらえればいいのか、ということになる。勝手なことをいえば、やっぱりエピローグの一部と考えるのがいちばんいい。あらたな感動話があるというのではなく、あくまでも本編の記憶を頼りにしている以上、エピローグとなる。ま、そんな分析はどうでもいいか。

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藁の楯

2015年07月25日 13時28分33秒 | 邦画2013年

 △藁の楯(2013年 日本 125分)

 監督 三池崇史

 

 △大仰な演技とこけおどしの展開

 不愉快な映画だった。それ以上でもそれ以下でもないので、ほかに書きたいことはなんにもない。

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真夏の方程式

2014年11月02日 00時39分23秒 | 邦画2013年

 ◎真夏の方程式(2013年 日本 129分)

 staff 原作/東野圭吾『真夏の方程式』

     監督/西谷弘 脚本/福田靖 撮影/柳島克己

     美術/清水剛 装飾/田口貴久 音楽/菅野祐悟、福山雅治

 cast 福山雅治 吉高由里子 北村一輝 杏 山光 塩見三省 白竜 風吹ジュン 前田吟

 

 ◎夏と海と少年

 よく、海と山のどちらが旅行に出た気分になりますかっていう質問を耳にする。

 そうしたとき、夏の海はおそらく一番人気かもしれない。

 なんたって開放的だし、きらきらした思い出ができそうなイメージだもんね。

 でも、ぼくはそうじゃない。

 だって、ぼくは3方を海に囲まれた半島に生まれ育ったものだから、

 海は山よりもふるさとに直結しちゃってる。

 だから、海っていうと、旅に出ているっていう気分にはあんまりならない。

 ま、それはそれとして、

 玻璃ヶ浦っていう海がどこにあるのかは知らないんだけど、

 東京からはそんなに遠くない距離のところにあるような設定におもえた。

 ま、そんなことはさておき、

 さすがに16年前の事件を絡ませ、

 また少年をとりまく人々の生活と感情を絡ませるあたり、

 ほんとに上手な作り方だなとおもわざるをえない。

 どの事件も大上段にふりかぶっているわけではないし、

 トリックそのものもやはり大掛かりなものではないけれども、

 抒情的な面に大きく傾斜させてるという点では、

 子供の苦手な湯川が、みずからすすんで子供と接していくという分、

 これまでの設定はちょっと忘れてもって感じかもしれないけど、

 そんなことは物語を進めていく上ではたいしたことじゃない。

 というより、苦手な対象となる子供は、

 小うるさいがきんちょなんだから、この少年はその範疇に入らない。

 また、

 ペットボトルのロケットを発射する実験もまた抒情性が高く、いいんじゃないかと。

 親子、家族、自然、そういうものを見つめ直そうってのが主題なんだろか?

 それとも、なにか別にあるのかしら?

 なんにせよ、

 夏の海と少年と家族愛ってのは、いいもんだよね。

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映画 謎解きはディナーのあとで

2014年10月25日 00時59分30秒 | 邦画2013年

 ◇映画 謎解きはディナーのあとで(2013年 日本 121分)

 staff 原作/東川篤哉『謎解きはディナーのあとで』

    監督/土方政人 脚本/黒岩勉 撮影/栗栖直樹

    美術/きくちまさと 特殊効果/朝倉怜 音楽/菅野祐悟

    主題歌/嵐『迷宮ラブソング』作詞:伊織、作曲:iiiSAK・Dyce Taylor、編曲:Trevor Ingram

 cast 宮沢りえ 中村雅俊 桜庭ななみ 要潤  黒谷友香 鹿賀丈史 伊東四朗 竹中直人 生瀬勝久

 

 ◇豪華客船スーパースター・ヴァーゴ

 ぼくが豪華客船に初めて乗ったのは、この国がバブルに翻弄されてる頃で、

 もう世の中が浮かれに浮かれていた時代だった。

 でも、バブルが破裂しても尚、豪華客船はそのまま世界の海を回り続けた。

 劇中でプリンセスレイコ号として登場するスーパースター・ヴァーゴ号もそのひとつだろう。

 ここにテレビシリーズでおなじみの櫻井翔、北川景子、椎名桔平が登場するんだけど、

 まあなんというか、上手にまとめられた脚本だな~っていう印象だ。

 もうすこしおちゃらけた話かとおもってたんだけど、意外とそんなことはない。

 アジアの富豪が新興財閥に取って代わられ、その成金が殺されるところから始まり、

 この殺人が実は旧財閥の執事が仕掛けたものだったという筋立ては、

 櫻井翔の演じるのが執事であるため、ちょっとばかり運命的なものにもなってる。

 もちろん、そんなことはおくびにも出していなくて、

 いろんな伏線をちりばめた、

 ちょうどパズルを解くような気分にさせる推理劇なんじゃないかっておもえた。

 まあ、おもいきり張り込んだゲスト出演者たちも並んでることだし、

 誰が犯人なのかってなことは考えずに、

 ひとりひとりの役者について、

「あ、ここが見せ場なのね」

 とか、

「まだまだ引っ張ってるし、これからラストにかけてが見せ所なんだろね」

 みたいな感じで観てると、いや、ほんとによく配慮された脚本だな~っておもえた。

 なにより、映画だからって肩にちからをいれず、

 もちろん、スーパースター・ヴァーゴの貸切ってのはおもいきり豪華ではあるけど、

 テレビのファンを裏切っていないのが、いちばん好感をもてたところだわ。

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劇場版タイムスクープハンター 安土城 最後の1日

2014年10月16日 02時35分36秒 | 邦画2013年

 ◇劇場版タイムスクープハンター 安土城 最後の1日(2013年 日本 102分)

 staff 監督・脚本/中尾浩之 撮影/小川ミキ

    美術/吉田透 装飾/中山大吉 スタイリスト/Baby Mix

    結髪/新宮利彦 特殊効果監修/菅原悦史 音楽/戸田信子

 cast 要潤 夏帆 杏 宇津井健 上島竜兵 時任三郎 小島聖 嶋田久作 竹山隆範 吉家章人

 

 ◇ただのタイムトラベル物になってしまった

 ぼくは実は『タイムスクープハンター』を贔屓にしてる。

 毎回楽しみにしてるってほどではないけど、

 でも、ときおり、テレビ欄で目に留まると、チャンネルをひねる。

 なにがいいかっていえば、結髪と装束と汚しで、

 どこまで現実味のあるものなのかはわからないんだけど、

 すくなくともほかの時代劇とかよりはリアリティを感じられる。

 ノンフィクションを装ったフィクションなんだけど、

 このシリーズの場合、世にいうモキュメンタリーとは一線を画している。

 なぜって、要潤がいるからさ。

 タイムワープをしてしまった瞬間に、それはもう物語であることを語ってる。

 でも、こんなことがあったのかもしれないな~とおもうのは、

 歴史上の事件や事実とされることを巧みに取り入れ、

 製作者側のほんとうはこうだったんじゃないかっていう考えを披露してくれるからだ。

 ところが、残念なことに、この劇場版は最初から物語になってる。

 要潤とそのまわりの人達の話がなんだか絡んでて、

 歴史上の好きなところに飛ぶことのできる技術がちょっと不安定だ。

 安土城はなぜ燃えたのかっていうことを知ろうとおもえば、

 そのいちばん原因となった場に最初から飛べるはずで、

 まあ、そうならないように夏帆の憧れみたいなもので物語を展開させるんだけど、

 そもそもテレビシリーズは庶民の暮らしのおもしろさがあるから観ているわけで、

 いたずらに物語が込み入ったり、背景が大きくなったりしたところで、

 それはこのシリーズが本来追いかけていたものとは異なるものなんじゃないかって、

 ちょっとおもったりするんだよね。

 本能寺の変から安土城炎上にいたる過程で、

 博多の豪商、島井宗叱が所有することになる楢柴の行方をからませて、

 話を上手にうねらせてはいるものの、

 でもやっぱり安土城の炎上に関しては、

 明智方の手が延びてこないのはちょっと腑に落ちない。

 途中からリアリズムが要のノンフィクション劇のはずが、

 なんだか少年ドラマシリーズのタイムトラベル物になっていっちゃったみたいな感じで、

 枠はたしかに東京空襲もあったりして大きくはなってるんだけど、

 その分、なんだか別な物語になってしまってるみたいで、

 ぼくとしては、ちょっぴり残念かもしれない。

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プラチナデータ

2014年04月20日 13時29分46秒 | 邦画2013年

 ◇プラチナデータ(2013年 日本)

 なんだか『マイノリティ・リポート』みたいだった。

 たいがい、

 近未来における新たな技術に絡んだ犯罪あるいは事件物は、

 その技術を開発した責任者あるいはそれを使用する集団の長が、

 支障をきたした技術の被害者とか、

 生起した事件の犯人とかいう事態に陥り、

 濡れ衣をかぶせられたことから逃亡し、

 その疑惑を晴らしていく過程で、

 とんでもない真実を見つけ出していき、

 やがてその新技術が、

 人類や社会に悪影響を及ぼしかねないことを悟り、

 そのシステムをみずから破壊することで未来を救うんだけど、

 それによって自分が犠牲になっていくことが多い。

 ま、この場合、

 解離性同一性障害も絡んでくるものだから、

 その分ちょいとひねってあるわけなんだけど、

 二宮くんのその後についてはどうなってしまうのかといえば、

 明るい将来が待っているとはちょいとおもえない。

 それが好いのか悪いのかは観客の趣味なんだろう。

 ちまたのそこらじゅうにある監視カメラを駆使して、

 生瀬らが二宮くんを追い掛けていくのは、

 それなりにスリリングな画面と展開だったんで、

 うん、愉しめたよ。

 ただまあ、

 設定と筋立てがそうなだけに、

 リアリティは求めていないものの、

 母親のはずの鈴木保奈美の動機というか、

 プラチナデータの真実というか、

 そうしたあたりに新鮮味が感じられないのがちょいとね。

 まあ、とどのつまり、

 こうした物語の主題はアイデンティティの肯定ってやつなんだろうけど、

 人種差別とかいった社会的な構造に問題があったりする話でないかぎり、

 どうしても新たな範囲を社会の構図の中に採り入れなくちゃならないわけで、

 そうした設定の説明に時間を要するために、

 設定のおもしろさを愉しめるかわりに、

 物語そのものに割く時間が少なくなるもんだから、

 いろんな人間を描きつくす時間に限界が来ちゃう。

 こういうあたり、難しいね。

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永遠の0

2014年04月02日 20時06分44秒 | 邦画2013年

 ◇永遠の0(2013年 日本)

 戦争映画だったっていう印象がないんだよな~。

 まわりの観客はぐすぐす洟を鳴らしてたりしたけど、

 まあ、特撮はこれまでの邦画とは一線を画すんじゃないかっていうくらいの出来栄えで、

 それはそれで満足できるものだったような気もしないではない。

 でもさ、ひとつだけおもうのは、

 航行してる空母の甲板にいるんだったら、もうすこし風がきつくないか?てことだ。

 空母が驀航してる感じがしないのはちょっとね。

 で、岡田くんへの最大の疑問は、

 みずから志願して海兵団に入ったんだよね?

 だったら、やっぱり戦う覚悟で入ってるんじゃないのかな?

 家族に会うためには生きて帰らなくちゃいけないってのはわかるんだけど、

 そんなことは出征した人達はみんなおもってることで、

 でも、みずから志願して軍人になった以上は勝たなければ意味がないわけで、

 勝つためには命を賭けて戦わないといけないってのは当たり前なはずなのに、

 岡田くんの場合は、そういう気持ちがないのは、どうしてなんだろ?

 平さんの手が失われたエピソードについてはまるで触れられてないし、

 なんだか、全体的にセンチメンタルな面ばかりが押しつけられてて、

 あの戦争はなんだったのかという部分はないがしろにされてるばかりか、

 主人公の行動すべてが、泣かせるための予定調和になってるのは、さすがにきつい。

 戦争映画とはおもえないってのはそういうことで、

 これ、討入だってかまわないし、マフィアの抗争だってかまわなくない?

 ま、そんな気がしてしまうのは、

 出征した個人だけに焦点を当ててるからだってことはわかってるんだけどね。

 岡田くんが最後にみずから特攻を志願して乗り込む際の気持ちも今ひとつ謎だし、

 機体に支障があるのを気づいて、

 自分の家族を助けてもらえるかもしれないかつての生徒の機といれかわり、

 まあ、以前に助けられたっていうことへの恩返しもあるんだけど、

 かれの人生にふたたび光を灯してあげるかわりに助けてやってほしいと願い、

 それで、なにもかも悟ったようにして突っ込んでいくってのはどうなんだろ?

 家族のために絶対に帰るっていう信条は、

 生徒たちの死と共に潰れちゃったってことになるんだろうけど、

 そういうのを乗り越えて帰っていくからこそ感動が生まれるんじゃないのかしらね。

 この映画は、感動で泣くんじゃなくて、憐憫で泣かせてるんだってことは、

 まあ、最初から予感できたことではあるけども、なんだかちょっとね。

 特攻は外道だって、ぼくはかたくおもってるし、

 こんな戦術とはいえない戦術をしなければならなかった背景への憤りはあるけど、

 そういう主題はどこかにあったんだろうか?

 岡田くんは零戦が好きで好きで仕方がないって感じでもないし、

 いったい、この主人公はなにを考えて軍人になり、戦い、死んでいったんだろう?

 夏八木勲も、なんで孫がものごころがついたときに語っておかなかったんだろう?

 なんだか犯罪者がいつまでも口を閉ざして逃げていたような印象すらない?

 岡田くんのように、ほんとうは優しい心を持ちながらも誤解されていて、

 でも、かれを慕っている人が沢山いた軍人さんの場合は、

 かならずといっていいほど、戦争が終わってから後輩や同僚が訪ねてきてるはずで、

 戦後何十年も経ってるのに娘や孫が知らずにいたっていう設定はきつくないかしら?

 そんなこんな考えてると、

 結局、最後に微笑みながら突っ込んでいくカットのために、

 また、娘のかわいそうさに観客を泣かせるために、

 物語が作られていったような気がして、どうもな~っておもっちゃうんだよなあ。

 ちなみに。

 ぼくは何年か前の5月27日に『三笠』の記念式典で、

 昭和20年に特攻機の整備員だった人と話をさせてもらったことがある。

 そのとき、その整備員だったおじいさんは、

「おれが、たった1本の鋲をはずしちまえばよかったんだよな」

 といって、涙ぐんでた。

 1本の鋲で発動機が不調になるのかどうかはわからないけど、

 自分たちが一所懸命に整備してしまったために、

 特攻機はちゃんと戦場まで飛んでしまった。

 整備不良にしてしまえば、途中で引き返すしかないわけで、

 それは操縦士のミスにはならず、自分たちのミスになり、

 あたら惜しい命を失わずに済んだっていうことなんだろう。

 おじいさんは、それを悲しんでた。

 で、この映画に戻るんだけど、

 ぼくは、こうおもってた。

 岡田くんを慕っている整備員がいて、わざと岡田くんの機体を整備不良にして、

 途中で引き返させようとしてたんじゃないのかと。

 ところが、岡田くんはさすがに優秀な搭乗員だったから、

 プロペラが回った瞬間に発動機の不調に気づいてしまい、

 それが余計に徒になって、

 整備員のせっかくのミスが確実な特攻に繋がってしまったっていう皮肉もまた、

 物語の悲しみを増幅させるために必要な手順なんじゃないかと。

 でも、そんなことはなかったのね。

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