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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

ドリーム・シナリオ

2025年02月28日 08時11分56秒 | 洋画2023年

 ◎ドリーム・シナリオ(Dream Scenario)

 

 剃ったんか、髪の毛を、ニコラス・ケイジ?ま、もともと薄いんだから、剃ろうと剃らまいとどっちでもいいんだけど、まあそんななりふりかまわないダサい大学教授であることが大切な映画だった。おもしろかった。ただし、佳境になるとちょっとつまらなくなる。これって『ミッド・サマー』の監督だったアリ・アスターが製作になってるせいか、どうも最後がつまんなくなるようにできてるのかもしれない。

 なんの変哲もない、まるで害の無い、居ても居なくてもどっちでもいいほど存在感の薄い進化生物学の大学教授であるからこそ、ニコラス・ケイジはそこらじゅうの夢の中にさまよいこんでも、なんの問題もない。ただ、特徴的なハゲ頭と眼鏡と髭と図体のでかさと弛緩したような歩き方が、そこらの無害なおっさんたちとは一線を画してしまっていたが故に、なんとなく夢に出てきてしまったことを覚えられてしまった。そういうことだ。

 ところが、このニコラス・ケイジ、奥さんのジュリアンヌ・ニコルソンに欲情してセックスしてしまったがゆえに、その欲情がディラン・ゲルラの夢の中に現われちゃって、それがために現実でもニコラス・ケイジをまのあたりにしたディラン・ゲルラは発情しちゃうっていう展開は好かった。また、ニコラス・ケイジのライバルの女性大学教授ポーラ・ブードローが、もともとニコラス・ケイジが研究していたアリの生態についての理論をパクって論文を発表しちゃったことに猛烈に怒り、それが増幅されて、さまざまな夢の中でも殺したり犯したり放火したりと鬼ようなありさまを呈するようになり、子供の発表会で中に入れてもらえなくなって揉めたときに相手の女性教師の手が傷つくくだりで頂点となる。

 このあたりの展開はとってもわかりやすくていいんだけど、それが、この夢への侵入という現象を商品化して、アップルウォッチみたいに腕に装着する商品が出てくると、なんとなく興醒めしちゃう。なんかちがうんじゃないかと。でもまあ、おもしろかった。自分の欲望の醜さと現実の情けなさに怒りをおぼえて、自分を嫌いになったときようやく自分も夢を見て、そこで自分にボウガンで殺されそうになるっていうのもよくわかるしね。つまりは、自分の心のありようが、自分も含めてありとあらゆる人間の夢の中に像を結ぶっていうわけで、しかし、頂点をきわめると忘れ去られてゆくのは世の常で、ニコラス・ケイジもそうなってゆくっていう締めくくりは哀愁が籠もってて好いね。

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ミッドナイト・マーダー・ライブ

2025年02月23日 23時02分44秒 | 洋画2022年

 ◇ミッドナイト・マーダー・ライブ(On the Line)

 

 メル・ギブソンのひとり舞台なんだけど、トーク・レディオとどうちがうのかな?

 まあ、鼻持ちならないDJっていう設定なんだから、ギブソンの熱っ苦しい演技もけっこう嵌まってる気はする。ウィリアム・モーズリーの情けなさも嵌まってるけど、見ているうちに「あ、これって」とおもいだした映画が2本ある。マイケル・ダグラスとデビッド・フィンチャーの『ゲーム』とグスタフ・モーラーの『THE GUILTY ギルティ』で、まあそのふたつの作品をおもいだして組み合わせてるんだねって。

 ただまあ、ラジオ局だけが舞台っていう密室劇は、どうしても開放感がないし、低予算な感じがありありとしてきて、これまでのメル・ギブソンの映画っぽくないなあって気もしちゃう。

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A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー

2025年02月17日 00時05分49秒 | 洋画2017年

 ◇ A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー(A Ghost Story)

 

 なんか淡々とした物語で、自分ケーシー・アフレックが死んだあと、妻ルーニー・マーラがどんな人生を送るのか見つめるだけっていう、それでまた忘れ去られてゆくだけっていう、でもじつはそんな存在は自分ひとりだけじゃなかったっていう、なんだか淋しすぎるけれども穏やかな話だったような気がする。

 それくらい、ぼくにとっては、印象が薄かったなあ。

 まあ、印象はさておき、ケイシー・アフレック、ほんとに唐突に死ぬんだよね。

 あとは、四隅が丸くされてる好き古めかしいスタンダードで、シンメトリックめいた画が静かに展開する。ただ、退屈といえば退屈だ。妙な緊張感はあるんだけどね。ルーニー・マーラが帰宅するとそこで靴を脱いで片隅に置くんだけど、あ~日本家屋だったらよかったのにね~とおもったりする。

 で、ひたすら友達の置いてったチョコパイみたいなのを台所の床に座って食べつづけるんだけど、冗漫だなあ。ルーニー・マーラが出かけるショットを幽霊アフレックが何度も見続ける合成場面があるんだけど、なんか虚しい時間なんだよね。そのあと、となりの家の窓にシーツ幽霊が見える。誰かを待ってるんらしいんだけど、覚えていないっていう。つらいな、こうなるんだね、死ぬと。

 で、あたらしくできたオトコが送ってくるのを見ると、怒りが生じて、家が震え、ものが落ち、電気がショートする。なるほど、家の軋みはやっぱり幽霊の仕業なのかな。そしてルーニー・マーラが出ていき、新しい家族が入るんだけど、その幸せさがうとましくて、ポルターガイストをひきおこして家族をおいだし、つぎのあほたれどもも追い出し、家が解体されてビルになり、会社に絶望して飛び降りた瞬間、時がいきなり遡り出すんだ。このノルタルジーな展開は、わかるね。

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悲劇の将軍 山下奉文

2025年02月16日 23時51分11秒 | 邦画1951~1960年

 ◇悲劇の将軍 山下奉文(1953)

 

 なるほど、たしかにシンガポール攻略ののち、すぐに山下奉文は牡丹江に追いやられてるなあ。3年ぶりの転任もフリッピンだからなあ。それにしても、この映画に出てくる山下は優しいなあ。記録写真だと、もうすこし暴れん坊な感じで、パーシバルとかと交渉してるけどなあ。まあ、早川雪州だから、仕方ないのかな。

 それにしても、みんな若い。岩崎加根子は、焼け出された女学生の役だけど、面影があるだけでまるで別人みたいに若いなあ。信欣三もそうで、幼い息子と植えながら逃げる若いお父さんの役なんだけど、若すぎる。でも、このあたり、フィリピンの密林のところなんだろうけど、大泉撮影所からすぐの平林寺の林にしか見えないなあ。

 佐伯清の指示なのか、それとも音楽プロデューサーでもいたのか、ベルリオーズの「断頭台への行進」がえらく何回もくりかえされてるんだけど、これ、山下の最後を匂わせてるのか、それとも画面にあるように避難民の行進だからなんだろうか?

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トールキン 旅のはじまり

2025年02月09日 18時53分49秒 | 洋画2019年

 ◎トールキン 旅のはじまり(Tolkien)

 

 母親(ローラ・ドネリー)の突然死によってバーミンガムのキング・エドワード高校に転入したとき、ラテン語の教師に「トールカイン」と呼ばれ、それを訂正することで鬱陶しがられるが、苗字をまともに呼ばれたことのない僕にはその気持ちはよくわかる。もっとも僕の場合、チョーサーの詩は暗記してなかったけどさ。

 友達になったやつがいう。

「もし僕が棒を手にこう言ったら?僕はケーキを食べすぎた、君たちはよせ。これが親の本質だ。われわれは食べたが子供はやめろ。ケーキは愉しいことの比喩だ」

 そしてかれらは、会員制の高級カフェで自分にとっての棒とはなにかという談義に入る。なるほど、アタマの良い領家のがきんちょらしい日常だな。僕の高校時代とはまるでちがう。ぼくらは喫茶「杉」に入り浸ってただけだもんなあ。こういう仲間のまじわりが『指輪物語』や『ホビットの冒険』の旅の仲間たちになっていったっていうくくりなんだろうか?

 けど、トールキンが貯金する緑の硝子の瓶は、僕がお金を入れてる瓶と同じだ。わお!

 本質といえば、トールキンは彼女(リリー・コリンズ)を自分の仲間に紹介する。彼女は水を得た魚のように話をする。ラインの黄金について仲間のひとりと話が弾み始めるが、トールキンは理由をつけて彼女とともに帰る。彼女は怒る。つまらない日常を忘れられそうなのにと。そんなにわたしが恥ずかしいのと。ばかだなあと男の観客はおもうだろう。彼の仲間と親しくするのは、彼に焼き餅を焼かせることだとどうしてわからないんだろう。女の観客はおもうだろう。彼の仲間と話すくらいなんだよと。別にキスするわけでもないのに、彼女は日頃の抑圧から解放されてるんだからそれくらい大したことないじゃん、あ〜嫌だと。男と女はおたがいの沸点が理解できないんだよね。よくわかるわ。

 けと、なんで前線で友達を探しに行くんだ?

 いくら親友だろうとなんだろうと、戦争中なんだから、尉官が勝手に持ち場を離れるのは無理ってもんじゃないのか?

 ま、それはさておき、ニコラス・ホルトはよくやってる。トールキンの青春時代ってこんな感じだったんじゃないかなあって気になる。言語マニアっていう感じだったんだろうか?それでオクスフォード大学の教授になってくんだから、いやあ、趣味は人生を決めるなあ。でも、190センチあるの?背高いなあ。

 ところで、トールキン財団はこの作品を認めないそうなんだけど、いったいどこが気に入らなかったんだろう?

 トールキンの言語へのこだわりと北欧へのなんともいえない感覚的な憧れが、その後のトールキンの世界観を形作っていったんなら、映画のはしばしにその伏線めいたものがあったりして、途中、ああだから指輪をモチーフにした物語を書いたんだあっておもわず納得しちゃったんだけど、そういうあたりが気に入らなかったんだろうか?

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ホビット 決戦のゆくえ

2025年02月06日 13時32分20秒 | 洋画2024年

 ◎ホビット 決戦のゆくえ(The Hobbit: The Battle of the Five Armies)

 

 もうすこし他に物語の結び方はなかったろうかっていう感じがする。

 前作『ロード・オブ・ザ・リング』と似たような展開っていうか、ほぼおなじ、崖にへばりついた城の攻防という展開で、そう、第3部にその戦いが集中するという展開で、こりゃあちょっときついなって気がした。もちろん、特撮はたいしたものだし、戦いそのものの迫力はいうことないんだけど、でも、リチャード・アーミティッジ演じるドワーフ王の黄金に目が眩んだことへの悔悟と人間性の回復に重点が置かれてしまった分、マーティン・フリーマン演じるホビットのビルボ・バギンズの影が薄くなってしまったのは、なんだか物足りなさを感じちゃうけどね。

 ただまあ、なるほど、指輪がどうしてビルボ・バギンズの手にあったのかっていうことだけはこれで納得できるんだけどさ。

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ホビット 竜に奪われた王国

2025年02月05日 00時21分27秒 | 洋画2013年

 ◎ホビット 竜に奪われた王国(The Hobbit: The Desolation of Smaug)

 

 ピーター・ジャクソンの三部作の作り方は、いつもおんなじなんだろうか?

『指輪物語』でもそうだったけど、この『ホビット』でも、第一部だけを独立させておいて、第二部と第三部は上下巻になってる。まあ、最初から三部作にするんだってことがわかってたら、そうするのが妥当なのかもしれないけどね。ただ、おなじといえば、城の作り方なんだけど、前の『指輪物語』でも山の斜面と谷を利用して正面に巨大な城壁を築いて、あとは地下や山の上に城を築いてる。これがどうもなあ。おもいだすのは『スターウォーズ』の未完成デザインのデス・スターで、これを叩き潰すときはいつも中に突入して爆破する。この『ホビット』でも『指輪物語』とおなじような城にしちゃうのは、ちょっともったいない気がするんだけどなあ。

 ベネディクト・カンバーバッチが龍スマウグと死人狩ネクロマンサーの声で出てたのは、マーティン・フリーマンへの友情と考えたい。ちなみに、ケイト・ブランシェットとオーランド・ブルームは前作にひきつづいての出演で、結局、いちばん良い役どころになってるわけね。

 にしても、ここでも特撮は大したもんで、ことに地下の宝石の山は感心したなあ。

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ホビット 思いがけない冒険

2025年02月04日 23時46分34秒 | 洋画2012年

 ◇ホビット 思いがけない冒険(The Hobbit:An Unexpected Journey)

 

 前作の『ロード・オブ・ザ・リング』がおもっていたよりも面白かったために、期待値が高くなっていた分、落胆も大きくなった。たしかに、マーティン・フリーマンは好演しているし、イアン・マッケランはその魔法使いの役柄を自分のものにしてるけど、どうにも散漫な印象を受ける。冒険させるために仕組まれた冒険ってな感じで、またいえば、前作よりも旅の目的が小さすぎる。

 もちろん、ドワーフの王国を再建するといのは決して小さな目的じゃないんだけど、でもまあ、前作は世界そのものを救うという究極の目的があった。その分、小さいかなと。また、ドワーフの王そのものに傲岸不遜な性格をもたせてしまったためか、ちょっと魅力が乏しいというのも影響してるような気がしないでもない。さらにいうと、エルフのケイト・ブランシェットと、半エルフのヒューゴ・ウィーヴィング、白の魔法使いのクリストファー・リーが仲よさげかどうかはわからないけど、とにかくひとつのテーブルで落ち着いて話しているのを見ると、顔見せとはいえ、なんとなく今回の話がまじに前日譚にすぎないんだなあって気になり、ちょっと消沈する。

 まあ、そんなこともあって、全体の構成が、第1部が半独立、第2部と第3部が前後編のあつかいになってるのは前作とおなじで、籠城戦をクライマックスに持ってくるのは仕方ないこととはいえ、めあたらしさがなくなってて、そこへ行くために第1部が用意されてるもんだから、辻褄合わせにちからが傾いてるためか、ピーター・ジャクソンの演出が強引かつ散漫な印象になっちゃってるんだろな。

 

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陪審員2番

2025年02月02日 22時59分01秒 | 洋画2024年

 ☆陪審員2番(Juror #2)

 

 この作品がなんで劇場で公開されなかったのか、わからない。すこぶる、おもしろかった。

 ニコラス・ホルトの、自分が実は過失致死させてしまったんじゃないか、真犯人は自分で、この事実を話せば裁判は逆転無罪になる、でも自分と妻子を守るためには事実を話すわけにはいかない、ならばどうすればいいのだろう、そうかこの轢き逃げ事件を無罪にしてしまえばすべてあいまいなままになるのかもしれない、という心理サスペンスがぎりぎり迫ってきて、いやまじ、ほんとに熟練の演出で、上手な映画だった。

 ニコラス・ホルトを追い詰めていく検察官トニ・コレットも冷静ながらも同時に耐えがたいほどの焦慮を見せる演技で、じつに好い。

 これが『十二人の怒れる男』とちがうのは、無実の罪を着せられているという設定はおなじながらも、良心的な正義感に燃えていくヘンリー・フォンダと、自分の罪は免れたいけれども自分のせいで無実の罪に追い込まれてしまうかもしれないというぎりぎりの良心に苛まれるニコラス・ホルトというのは、真反対の設定で、これが効いてるんだよね。

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林檎とポラロイド

2025年02月01日 23時27分16秒 | 洋画2020年

 ◇林檎とポラロイド(Mlla)

 

 ほ~『スカボロー・フェア』から始まるのがちょっと意外だった。

 アリス・セリベタリスがバスの中でいきなり覚醒するのと同時に、記憶喪失になってるのにも気がつくっていう出だしは好い。

 で、記憶回復プログラムを遂行してゆくうちに、ダンスホールに行って、酔いどれて、誰か誘ってトイレでその場限りのセックスをしろと、まあ、つぎつぎに指令が下ってくるんだけど、こんなことで記憶が回復するとはおもえない。それにしても、洋画はほんとにトイレでセックスする場面が多いなあ。

 淡泊な映画なんだけど、その単調さは飽きてくる。つまんないなあとおもうこともしばしば出てくる。

 ちなみに、林檎は記憶に効くらしい。なるほど、それで食卓に林檎が出されているのか。これ、ほんとに記憶喪失だったのかどうか、ほんとはなにもかもおぼえていて、過去の自分を消し去るために徹底して記憶を失くしたように見せているんじゃないのか、と考えることもできるんだけど、それについては、監督のクリストス・ニクはまるで語らない。才能はおそらくあるんだろうけど、商業的なものは好まないのかなあ。

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