◇間宮兄弟(2006年 日本)
ぼくは、曖昧カタカナ語は使わない。
だから、ハートフルとかいう言葉も使わない。
だって、意味がわかんないんだもん。
で、この映画はハートフルな映画らしい。
どういう意味かはわからないけど、
気持ち悪いいつまでも子離れできない母親に、
これまた気持ち悪い兄弟ばなれできない子供みたいなオタクまがいの兄弟がいて、
結局、人生の辛さがわかったようなわからないような呑気さでいるから、
いつまでたっても結婚できないし、こんなんじゃあかんぜとおもいながらも、
やっぱり温室の中がいいんだよねっていう平和ぶった話ってこと?
とかいったら、あかん。
もう一歩ふみこんで、もうちょっとだけ深いところがあるかもしれないと考えよう。
原作を読んだことがないから間違ってるかもしれないんだけど、
たぶん、この兄弟は、かなり苦労人の母親に育てられたんだろう。
母親は夫を早くに亡くしたか出ていかれちゃったかして、
ともかく辛酸を舐めて育てたから、
子供には苦労させたくないし、自分が惨めだとおもわれたくもない。
だから常に奇妙な明るさをふるまい、作り笑顔で接し、
中古のロールスロイスまで買っちゃったりする。
そんな母親に育てられた兄弟は、
自分たちの生まれついた惨めさをよく噛み締めていて、
家族の絆ほど強いものはないと固く信じていて、
自分たちの城をかたくなに死守しようとしている。
かれらにとって集めた本やフィギュアとかのグッズは、
宝物であると共に、自分の人生そのものなんだよね。
だから、丁寧に扱うし、乱雑な部屋にはしない。
すべてにおいて几帳面というのは、やや神経が過敏すぎるわけで、
交感神経が不調なのか、自律神経が失調しているのかどうかは知らないけど、
ともかく、常人とはちがった人間であるということだ。
兄弟は自分のわがままはいえずに育ったから、
他人を傷つけることはもちろん兄弟で傷つけ合うこともない。
それは自分を傷つけることになるから、そういう意味でいえば、
かれらは強いようで非常に弱く、もろい。
だから、かれらはガラス細工のような心と体と環境を維持するために、
毎日をとても清潔に、几帳面に過ごしている。
他人に対して常に優しく、人間としての礼儀を保ち、つつましく生きている。
それが仮面なのか本来の姿なのか気づかないけれど、
自分が他の人間と違ってしまっていることにも気づかずにいる。
こんな兄弟に恋人ができるとはちょっとおもえないんだけど、
でも、そこにこの作品の主題があるんじゃないか?
だって、この兄弟はなんにも悪いことはしていないし、
健康で、素直で、温和で、従順で、勤勉で、惻隠の情にあふれている。
つまり、日本人としては申し分ないわけだ。
けれども、実際はもてない。
どころか、ちょっとばかり気色悪がられてたりする。
「そんなのまちがってるだろ」
といったとしたら、いったい、まちがってるのは誰なんだろ?
日本国なのか、日本人なのか、それとも人間の社会なのか?
そういうことをやんわりといっているような気がするんだよね。