Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

ローマの休日

2007年09月30日 13時27分41秒 | 洋画1951~1960年

 ☆ローマの休日(1953年 アメリカ 118分)

 原題/Roman Holiday

 監督/ウィリアム・ワイラー 音楽/ジョルジュ・オーリック

 出演/オードリー・ヘップバーン グレゴリー・ペック エディ・アルバート

 

 ☆G・ROCCAでシャンパンを。

 BAR/G・ROCCAはヘプバーンがペックと訪れるバーで、ヘプバーンはここで初めて煙草を吸う。片眉あがりのペックはアイスコーヒーを注文し、麗しのヘプバーンはシャンパンを注文する。

 ぼくはローマには想い入れが強く、なんつっても、ヨーロッパのなかでは最高に忘れ難い町のひとつだ。

 ローマにいったとき、この「G・ROCCA」は見つけられなかったが、しかしながら、ミーハーな17歳だったぼくは、しっかりとスペイン階段で「ジェラード」を食べてしまった。必死になって「真実の口」をさがし、嘆きの壁もさがした。なんとまあ、純粋な「休日」を過ごしたことだろう。

「ウィリアム・ワイラーってのは凄いんだよ」

 と、かつて黒澤明がとあるインタビューでいっていたことがある。

 なにが凄いのかわからなかったが、そのときから、ぼくは「ワイラーは凄いんだ」とおもって疑わない。

 ただ、ペックの部屋は当時からとっても好きだった。とても美しく作られてて、美術の勝利だ。あんな部屋で暮らしてみたいとおもっていたし、老後、ひとりであんな部屋で生活するのもいいなあとかおもってしまう。

 けれど、ぼくは日本人だから、やっぱり畳も欲しいんだけどね。

コメント

天と地

2007年09月29日 12時54分39秒 | 洋画1993年

 ◇天と地(1993年 アメリカ 141分)

 原題/Heaven & Earth

 監督・脚本/オリバー・ストーン 音楽/喜太郎

 出演/ヘップ・ティ・リー トミー・リー・ジョーンズ ジョアン・チェン

 

 ◇ベトナム共和国の崩壊

 映画そのものの力強さは確かにあるけど、

「あの時代にこういう女性もいたんだろうなぁ」

 という感慨しか湧いてこないのはなんでなんだろ?

 米国のベトナム戦争に対する見方はほぼ一致しているのにどうして似た事を繰り返すのか、ていうような主題の成立していないのが、本作の弱さかもしれないね。

コメント

オーシャンズ11

2007年09月28日 18時01分42秒 | 洋画2001年

 ◎オーシャンズ11(2001年 アメリカ)

 原題/Ocean's Eleven

 監督・撮影/スティーヴン・ソダーバーグ

 原案/ジョージ・クレイトン・ジョンソン、ジャック・G・ラッセル

 脚本/テッド・グリフィン 美術/フィリップ・メッシーナ

 衣装デザイン/ジェフリー・カーランド 音楽/デイヴィッド・ホルムズ

 出演/ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、アンディ・ガルシア、ジュリア・ロバーツ

 

 ◎七人の侍の巨大金庫を狙う犯罪者版みたいな?

 ずっと後になってからジョージ・クルーニーは贔屓になったんだけど、この映画が封切られた頃は、なんか色気のある男ばかり揃えようとしてんな~って受け取って、そのまんなかにいるクルーニーにもあまり好い印象はなかった。

 スターの顔見世映画としてはこんなものなんじゃないかな~とか。

 そういう印象しか残っていないのが、あまりにも寂しいんだけど、まあ、そんな感じの映画ではあるのかもしれないね。

 実際、この後もクルーニーはいったいなにがそれほどよかったのか、このシリーズを作っていくんだけど、なんでなんだろね?

コメント

ナビィの恋

2007年09月27日 11時59分21秒 | 邦画1991~2000年

 ◎ナビィの恋(1999年 日本 92分)

 監督/中江裕司 原案・脚本/中江裕司、中江素子

 撮影/高間賢治 美術/真喜屋力 装飾/秋田谷宣博

 音楽/磯田健一郎、マイケル・ナイマン

 衣裳デザイン/小川久美子 衣裳/澤いずみ、金城美香

 出演/西田尚美、村上淳、村上淳、登川誠仁、平良進、津波信一、兼嶋麗子、宇座里枝

 

 ◎現実は違うけど

 沖縄と聞くだけで情緒豊かな感じがするようになった原因の本作は、おばあの一人舞台だ。

 で、おばあには名誉県民賞をあげたいんだけど、老人の恋という、充分ありえる世界が、異様な音と舞で幻想的にされたのが、さてよかったのかどうか、ぼくにはよくわからない。

コメント

地獄の黙示録 特別完全版

2007年09月26日 16時53分36秒 | 洋画1971~1980年

 ☆地獄の黙示録 特別完全版(1979年 アメリカ 劇場公開版153分 特別完全版202分)

 原題/Apocalypse Now

 原作/ジョゼフ・コンラッド『Heart of Darkness』

 参考/トーマス・S・エリオット『The Waste Land』『The Hollow Men』

    ジェームズ・フレイザー『The Golden Bough』

 製作・監督/フランシス・フォード・コッポラ

 脚本/ジョン・ミリアス フランシス・フォード・コッポラ

 撮影/ヴィットリオ・ストラーロ

 美術/ディーン・タブラリス アンジェロ・P・グレアム

 衣裳/デニス・M・フィル ジョージ・リトル ラスター・ベイレス ノーマン・バーザ

 特撮/リチャード・O・ヘルマー タイトル・デザイン/ウェイン・フィッツジェラルド

 音楽/カーマイン・コッポラ フランシス・フォード・コッポラ

 主題歌/ザ・ドアーズ 『The End』

 挿入曲/リヒャルト・ワーグナー『ワルキューレの騎行』

 出演/マーティン・シーン マーロン・ブランド ロバート・デュヴァル ハリソン・フォード

 

 ☆I love the smell of napalm in the morning

 この映画が公開されたのは、大学生のときだった。

 70ミリと35ミリの両方を観なくちゃいけないとおもい、有楽座で体験した。キャッチコピーどおり、劇場は戦場になってた。でも、よくわかんなかった。マーロン・ブランドが「horror、horror」といつまでも呟いてるように聞こえた。空耳かどうかは、いまだにわかんない。

 70ミリと35ミリのいちばん大きな違いは、70ミリ版は未完成というのか、メインタイトルとクレジットタイトルがなく、しかも、ラストの大宮殿の爆破の場面がないことだ。なんでそうなったのかってことについては、コッポラも言い訳がましく書いてるけど、ほんとのところは、コッポラの胸の中にしかなく、誰にもわからない。

 ただ、マーロン・ブランド演じるカーツ大佐の書き残した「Drop the Bomb. exterminate Them ALL」から想像することはできる。

 でも、ここでなんらかの意見を述べたところで仕方がない。だって、この映画について、その意味を探るのは、観た者が個人ごとにするべきもので、他人の意見はまあ置いといた方がいい。

 さて、かつての劇場公開版より、特別版の方が遙かに難解さは氷解している。

 とはいえ、まだまだ不十分だ。プレイメイトは3人いて、シンシア・ウッド、リンダ・ビーティ、コリーン・キャンプなんだけど、その内、エピソードが公開されたのは2人で、不時着する場面もなければ、基地についても語られていないし、デニス・ホッパーの最後も説明不足で、オーロールの場面も少ない事から考えれば、全編4時間程度が適当な尺なんじゃないかっておもうんだけど、コッポラが「最終版」を作ってくれることを切に祈るのみだ。

コメント

ペイ・フォワード 可能の王国

2007年09月24日 17時22分57秒 | 洋画2000年

 ◇ペイ・フォワード 可能の王国(2000年 アメリカ 123分)

 原題/Pay It Forward

 原作/キャサリン・ライアン・ハイド『Pay It Forward』

 監督/ミミ・レダー 脚本/レスリー・ディクソン

 撮影/オリヴァー・ステイプルトン 美術/レスリー・ディリー

 衣裳/ルネ・アーリック・カルファス 音楽/トーマス・ニューマン

 出演/ケヴィン・スペイシー ヘレン・ハント アンジー・ディッキンソン ジョン・ボン・ジョヴィ

 

 ◇A kindness is never lost

 情けは人のためならずっていう話だ。

 ひとりが3人に親切にし、親切にされた3人がそれぞれ3人に親切にし、親切にされた9人がそれぞれ3人に親切にしていけば、やがて世界は親切で満たされ、世界は変わるっていう方法なんだけど、それを考えた主人公の男の子は、決して幸せじゃない。家庭内暴力の耐えないオヤジはどこかに家出しっぱなしで、おっかあはアル中でその経営するバーを手伝わないといけない。邦画で描いたら悲惨なことこのうえないけど、まあ、観れる。なんで観れるかはわかんないし、それについてはおいとこう。

 ともかく、主人公ハーレイ・ジョエル・オスメントはこの考えを実行に移そうとし、アル中の男、顔にやけどを負った先生、いじめられっ子に親切をほどこす。それと、先生とおっかあをくっつけようともする。たいがいうまくいったかとおもったとき、物語の予定調和どおり破綻する。これは、いい。けど、死んじゃうってのが、観客を泣かせたところで、どうしても後味が悪くなる。

 もちろん、恩送りっていうか、幸せの連鎖が起こるためには、少年の死といったような衝撃的なものがないと駄目かもしれないってことはある。だからこそ、少年を弔い、回り回ってきた親切のお礼になってくる長蛇の列が途切れないんだっていうラストになっていくんだけど、登場人物の死をもって感動を呼ぼうとする手法は、ぼくはあまり好みじゃない。

 まあ、なんていうんだろう、家族的な範疇で完結させてしまうところは物足りないけど、音楽とラスベガスの風景は良いし、DVや虐めやアル中を扱っているのも好いし、「世の中は糞だ」という言葉に凝縮されている物語の構図はあざといけど、それなりに活かされてるかな~ってなところが無難な感想かもしれないけどね。

コメント

ホワイトアウト(2000)

2007年09月23日 16時22分55秒 | 邦画1991~2000年

 ◇ホワイトアウト(2000年 日本 129分)

 原作/真保裕一『ホワイトアウト』

 監督/若松節朗 監督補/森谷晁育

 脚本協力/福田靖 脚色/真保裕一 長谷川康夫 飯田健三郎

 撮影/山本英夫 林淳一郎 佐野哲郎 北信康

 美術/小川富美夫 衣裳/川崎健二 直井政信 谷口みゆき

 特技撮影/村川聡 清渕健二 高橋勲 飯塚美穂 岸浦秀一 神谷誠 梶川雅也

 特殊効果監修/松本肇 特技助監督/菊池雄一 音楽/ケンイシイ 住友紀人

 出演/織田裕二 松嶋菜々子 佐藤浩市 中村嘉葎雄 石黒賢 古尾谷雅人 平田満

 

 ◇ホワイトアウトの意味

 気象用語なのかどうかわからないんだけど、簡単にいってしまうと、雪の積もった冬山とかで、雪や雲や霧がものすごく立ちこめて、視界のすべてが真っ白になっちゃって、もうどこか空だか地面だか、まったく見分けがつかなくなっちゃう現象をいう。

 ま、そのために目をやられちゃうところが出てくるので、こういう題名になったんだろうけど、それについては意味さえわかればいい。

 話も、これまた簡単にいってしまうと、ダイハード・ダム版あるいはクリフハンガー・ダム版っていうのが、いちばん納得できる。

 とにかく、がんばってる。ただ、あいかわらず邦画の特徴といっていい青い色調で、

「なんとかしてほしいんだけどな~」

 とかおもいつつ観た。

 洋画的な展開なのに、なんとも人物は湿っぽくて、邦画的な雰囲気は濃厚だ。主役の一人舞台になっているのも、なんだかブルース・ウィルスやシルベスター・スタローンが登場しようだけど、これはまあ、あらすじがそんな感じだから、仕方ない。

 とはいえ、織田裕二はがんばってた。

 かれがいなければ筋が進まないし、ぼくとしては代表作のひとつなんじゃないかっておもってるんだけど、そうでもないのかな?

コメント

ハンニバル

2007年09月22日 15時42分59秒 | 洋画2000年

 ◇ハンニバル(2000年 アメリカ、イギリス 131分)

 原題/Hannibal

 原作/トマス・ハリス『ハンニバル』

 監督/リドリー・スコット 脚本/デイヴィッド・マメット スティーヴン・ゼイリアン

 製作/ディノ・デ・ラウレンティス マーサ・デ・ラウレンティス リドリー・スコット

 撮影/ジョン・マシーソン 美術/ノリス・スペンサー

 特殊メイク/グレッグ・キャノン キース・ヴァンダーラーン

 音楽/ハンス・ジマー 追加音楽/クラウス・バデルト スティーヴ・ジャブロンスキー

 挿入曲/ヨハン・セバスチャン・バッハ『Aria Da Capo』

 出演/アンソニー・ホプキンス ジュリアン・ムーア ジャンカルロ・ジャンニーニ

 

 ◇ハンニバル・レクターの恋

 おそらく禁じ手だったんだろう、レクターの恋というのは。

 人間は恋をすれば誰でも狂気に走る可能性がある。世はストーキングが希有なものではなくなり、空恐ろしい展開になってしまうこともある。博士の異常な愛情がこの先どのように変貌し傾斜していくのかをおもうと、もはや、その行き着く先はおぞましい展開にならざるを得ないんだろうけど、ともかく、この原作とはまるで結末の異なる映画の場合、どうしても完結編を創らざるを得ない展開にしてしまっている。善かったのか悪かったのかは、わからない。

 ただ、なんていうんだろう、A級の人々の作ったB級グロ超大作とでもいおうか。狂気の天才も、知的で官能的な女性に恋をしてしまえば単なる男になりさがる、という辛い現実を見せつけられてるような気がするのと、前作の神経をぴりぴりさせられるような興奮はなく、耽美に走ろうとしつつもグロに堕してしまったのが辛いところで、なんで、脳みそソテーとか獰猛豚の餌とか考えるかな~。

 こういうレクターのような強烈な登場人物は、完全な脇役にして、その悪としての存在が大きければ大きいほど、主役のFBI特別女性捜査官の挑戦と葛藤が生きてくるはずなのに、レクター自身が主役になってしまっては、どうしてもこういう歪な恋物語にしてしまうよりほかに仕方がない。

 なんで、レクターが人間的な恋心を持ってしまうんだろう。

 レクターという怪物はあくまでも怪物であって、危機とか窮地とか負傷とか、さらには殺されちゃうとか、あっちゃいけない。だから、たかが手錠から逃れるために手首を切るとかいうのはありなんだろうか?レクターらしくないんだよな~。そんな気がする。困っちゃうんだけど、もう映画になっちゃってるんだからね~。

 ただ、ぼくはジョディ・フォスターよりもジュリアン・ムーアの方が好みなんだけど、このシリーズに関していえば、ジョディの右に出る者はいないんじゃないかと。

 まったくオリジナルの映画だけの完結篇とか、できないんだろうか?

コメント

リリー・マルレーン

2007年09月20日 12時27分58秒 | 洋画1981~1990年

 ◇リリー・マルレーン(1981年 西ドイツ 120分)

 原題/Lili Marleen

 原作/ララ・アンデルセン『Lili Marleen』

 監督/ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー 脚色/マンフレッド・プルツァー・ファスビンダー

 撮影/ザヴィエル・シュワルツェンベルガー 美術/ハリー・ベアー 音楽/ペール・ラーベン

 出演/ジャンカルロ・ジャンニーニ メル・フェラー カール・ハインツ・フォン・ハッセル

 

 ◇ハンナ・シグラの歌声に酔え

 ララ・アンデルセンが「リリー・マルレーン」のレコードを出したのは、1939年。

 でも、まるきり売れなかったらしい。それが、たまさかドイツ兵の慰問のためのレコードに紛れ込んでいたことから、戦場で流され、世界的な大ヒットになった。

 マレーネ・ディートリッヒがこれを吹き込んだのは、亡命先のアメリカで、ぼくなんかはどちらかというと、ディートリッヒ版の方が印象が濃いものだから、映画を見たとき、ん?と一瞬とまどい、やがて「そういうことだったんだ~」と納得した。

 ま、ララ・アンデルセンの自伝が元だそうだけど、原作を読んでないぼくは、どこまで脚色されてるのかはよくわからない。

 でも「リリー・マルレーン」の誕生秘話としては、よくできてる。ただ、惜しむらくは、詰め過ぎてちょっと余韻に欠ける気もするんだよね。編集のおもいきりが良すぎるっていうんだろうか、とにかく、めまぐるしい。ナチの首脳陣が描かれていないためか、歴史的な面の展開も難しく感じられる。

 けどまあ、ファスビンダーがそれだけ、ひとりの女性に拘ってるのもわかるし、ララ・アンデルセンの半生を客観的に見つめてたってことにもなるんだろね。

 ま、それはそれとして、ハンナ・シグラの嗄れた歌声は、逸品だわ。

コメント

マーキュリー・ライジング

2007年09月19日 13時02分56秒 | 洋画1998年

 ◇マーキュリー・ライジング(1998年 アメリカ 112分)

 原題/Mercury Rising

 原作/ライン・ダグラス・ピアソン『Simple Simon』

 監督/ハロルド・ベッカー 脚本/ローレンス・コナー 、 マーク・ローゼンタール

 撮影/マイケル・セラシン 美術/パトリシア・フォン・ブランデンスタイン

 衣装デザイン/ベッツィ・ヘイマン 音楽/ジョン・バリー

 出演/ブルース・ウィリス アレック・ボールドウィン キム・ディケンス チィ・マクブライド

 

 ◇男の価値は髪の毛の量で決まるもんじゃない

 そんなおそまつなキャッチを使って…とはおもったものの、こういうあほくさい言い回しはけっこう好きだ。

 ハリウッドに限らず、窮地に落とし込まれた子供を偶然に救ってしまった主人公が真実を追求して戦う、という構図は、もはや定番で、この作品も例に漏れない。

 この場合、たいがい主人公はタフガイあるいは無鉄砲な女性というのも同様だし、子供はたいがい事件を目撃してしまうか、偶然に機密を知ってしまう。あとは、佳境にいたるまで、どうやって何度もふりかかるピンチを切り抜けてゆくか、そのハラハラドキドキ感で疾走していくわけだけど、そういうことからいえば、この作品は成立すべくして成立してる。

 ただ、いくらなんでも、国家を担う暗号システムが、あたかも挑戦するかのようにパズル雑誌に掲載されるのはちょっと強引だし、自閉症の天才児ならば、ほかにもいる可能性は十分ある。それと、暗号システムを読み取った少年が、家族もろとも抹殺されそうになるというのはわかるんだけど、いつしか周囲が善人ばかりになってゆくのも都合が良すぎる観がないでもない。

 けどまあ、突っ込みどころはいくつかあるにせよ、ラストまで引っ張っていくのは、定番であるがゆえのことかもしれないね。

コメント

ヒッチャー(1986)

2007年09月18日 18時54分44秒 | 洋画1981~1990年

 ◎ヒッチャー(1986年 アメリカ 97分)

 原題/The Hitcher

 監督/ロバート・ハーモン 脚本/エリック・レッド 音楽/マーク・アイシャム

 撮影/ジョン・シール 美術/デニス・ガスナー 衣装デザイン/ジャック・マカネリィ

 挿入曲/ミッキー・ジョーンズ『Don't Stop Loving Me』

 出演/ルトガー・ハウアー クリスチャン・トーマス・ハウエル ジェニファー・ジェイソン・リー

 

 ◎オリジナル版は3時間?

 とかいうことを、なにかで聞いた。

 おっそろい。そんなB級超大作があるんだろうか?

 まあ、なんにせよ、やっぱり元が一番だ。なんの前触れもなく、乗り込んできたヒッチハイカーにいきなり襲われるというのは、怖い。ルトガー・ハウアーなら、なおさらだ。この役者はなんでもこうも狂気に包まれてるんだろう?

 渋さの狂気というのか、形而上学的な狂気というのか、悲しみを秘めた狂気というのがいちばん近いかもしれないんだけど、とにかく、理由は最後までわからない。

 自分を拾ってくれた運転手に、自分を殺してもらいたいがために、家族や警察や、恋の予感のする女までも皆殺しにし、パトカーも護送車もトラックも、ついにはヘリコプターまで木っ端微塵にして、ひたすらクリスチャン・トーマス・ハウエルを恐怖のどん底に叩き込み、徹底的に理不尽な状況に追い込んだ時に生まれてくる殺意を待ち、自分を殺させるという、まったく理解不能な行動におよぶ。

 凄すぎるのは、人物設定や筋の運びだけじゃない。

 映像がものすごく綺麗で、絵になってるんだから、困る。

 このシリーズに出続けたハウエルは、中身のまるで異なる彼の監督作が、本来は洋服会社のエロチック乗っ取り劇にも拘わらず『ヒッチャー95』と邦題されたりして、なんだか、生涯、ヒッチャーに追われ続けるっていう、恐ろしいほどの運命づけをされちゃうのが、ちょっぴりかわいそうな気もしないではないよね。

コメント

東京フレンズ The Movie

2007年09月14日 13時30分56秒 | 邦画2006年

 △東京フレンズ The Movie(2006年 日本 115分)

 監督/永山耕三 脚本/衛藤凛

 撮影/猪本雅三 美術/磯見俊裕 音楽/Sin

 歌/大塚愛『ユメクイ』『tears』『フレンズ』『Mackerel's canned food』

 出演/大塚愛 松本莉緒 真木よう子 小林麻央 瑛太 佐々木蔵之介 佐藤隆太

 

 △サバイバルカンパニー通称サバカン

 若手の役者たちがなんかぞろっと出演してるんだ~ていう印象はある。

 ただまあ『夢の蔵』っていう居酒屋で働いてバンドや役者でデビューする青春群像ってのはわかるんだけど、観ようによっては我儘かつ配慮足らずのヒロインがNYまで行く理由がなんだか稀薄な感じがして、残された者もふくめて、まわりの連中がまじかってくらいに善人すぎる世界を小気味いいと感じるのか、気味が悪いと感じるのかはさまざまだろうし、青春ドラマっていうのは、いろんな意見があっていい。

 で、ふとおもったんだけど、その年代ごとに青春ドラマってのはあって、時代を下るにつれて社会から乖離しているんじゃないかって気もする。社会ってのは、単なる巷ってだけじゃなくて、政治とか家族とか郷土とか、もちろん、社会の抱える問題もふくまれる。

 自分たちだけの世界っていうか、個人的な空間っていうか、そういうものだけを見つめていられて、個々人の夢だけを追える時代は、おそらく幸せな時代のひとつといっていいんじゃないかしら?

 昔の青春ドラマは、その古臭さはあるものの、地に足がつきすぎてて、いいかえれば現実味がありすぎて、観ていて辛いところもあったから、それなりの問題提起があった。

 かといって、現代の青春ドラマにそれがないかといえば、もちろん、そうじゃないとはおもうんだけどね。

 ま、時代だな~。

コメント

ショーシャンクの空に

2007年09月13日 17時08分10秒 | 洋画1994年

 ◇ショーシャンクの空に(1994年 アメリカ 143分)

 原題 The Shawshank Redemption

 原作/スティーヴン・キング『刑務所のリタ・ヘイワース』

 監督・脚本/フランク・ダラボン

 撮影/ロジャー・ディーキンス 美術/テレンス・マーシュ

 衣装/エリザベス・マクブライド 音楽/トーマス・ニューマン

 挿入曲/ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト

 『歌劇・フィガロの結婚』第3幕「手紙の二重唱」やさしいそよ風が(1786年)

 出演/ティム・ロビンス モーガン・フリーマン ウィリアム・サドラー ボブ・ガントン

 

 ◇希望とはいいものだ

 作品の中で映画が上映される。それが、リタ・ヘイワース主演の『ギルダ』だ。彼女は赤毛がトレードマークだったんだけど、もともとは濃い茶色で、映画デビューの際に染めたものだ。マリリン・モンローの前にセックス・シンボルとして爆発的な評判をとった。

 作品中、モーガン・フリーマンがあだ名を聞かれて「Red」と答えるところがある。アイルランド系だからさと付け加えるんだけど、姓が「Redding」だから当然そうなる。とはいえ、原作でも重要な鍵になってるリタ・ヘイワースに掛けてるとも考えられないかしら?ま、どうでもいいことなんだけどね。

 ちなみに、活字の読めないぼくにしては珍しく、昭和の終わりから平成の初めにかけて、読み耽った作家がいる。それがスティーヴン・キングで『刑務所のリタ・ヘイワース』も読んだ。原作を読んだときはそれほどおもしろいともおもわなかったんだけど、スティーヴン・キングはなんでかわからないけれど、前面にホラーが押し出されてない小説が映画化されたとき珠玉の作品になる。ふしぎだな~っておもうわ。ま、それもどうでもいいことだ。

 ただ、ぼくにはよくわからないことがある。

 なんで、この作品が大絶賛されるのかってことで、たしかに悪い出来ではないし、こぢんまりとした良質の作品ではあるけれど、人がいうほど凄い出来なんだろうかと思ってしまうのは、ぼくがひねくれているからなんだろうか?極限情況からの脱出という活劇要素は低いけど、人間の我儘と心の裏表を微妙かつ皮肉を込めて紡いでゆく過程は。地味ながら実にうまい。

 終身刑にされていた人間が恩赦で放り出されたとき、もはや年を取りすぎてて、外に出ること自体が恐怖になるという皮肉、かつ、外に出て生きていくことそのものが最大の罰という皮肉の積み重ねはあまりにも哀れで、そこに希望はない。希望を得るには資金が必要で、それをどうやって手に入れるかが問題で、それについて爽快感はあるし、ラストだけようやく青空になる解放感もあるけど、そのあたりのことをすべてひっくるめて考えても、ぼくには感動という言葉とはちょっと異なる映画におもえたんだけどな~。

 もちろん、人はそれぞれなので、ぼくみたいな風変わりな人間の感想なんか、どうでもいいことなんだけどね。

コメント

蝉しぐれ

2007年09月12日 13時25分34秒 | 邦画2005年

 ◇蝉しぐれ(2005年 日本 131分)

 原作/藤沢周平『蝉しぐれ』

 監督・脚色/黒土三男 撮影/釘宮慎治 美術/櫻木晶

 衣装デザイン/林田晴雄 岩崎敬二 内海真敏 斉藤育子

 音楽/岩代太郎 主題歌/一青窈『かざぐるま』

 出演/市川染五郎 木村佳乃 緒形拳 原田美枝子 加藤武 柄本明 大滝秀治 原沙知絵

 

 ◇丁寧な絵作り

 時間を掛けて撮ったって感じは、とってもよく出てて、そうしたところ、好感がもてた。役者たちもそれなりに落ち着いた感じだったし。

 でも、前半がちょっと長過ぎるような気がしないでもない。物語の展開に対する姿勢の差なんだろうけど、子役と大人役とをわけるのであれば、尚更、延々と続く前半は考えて欲しかったかな~とか、関係のない素人はおもっちゃうんだけど、これはおそらく、原作に対する思い入れの差かもしれないね。

 それと、殺陣はかなりリアルに作られてる気がするんだけど、そうであるだけに、妙な剣法に違和感がないこともない。

 ちなみに、この原作の映画化は15年の歳月が掛かったとかいうことを予告編で観た。まあ、映画というのは、そういうものなのかもしれないから、びっくりするわけではないし、映画ってのはもともとそうあるべきものなんじゃないかなともおもったりする。

 小説だって、作者の頭に発想が浮かんでから20年30年経ったときに、ようやく脱稿されるってこともあるんだから。

 ものを作るってのは、ほんと、難しいよね。

コメント