Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

種まく旅人 みのりの茶

2021年03月23日 18時38分06秒 | 邦画2012年

 △種まく旅人 みのりの茶

 この『種まく旅人』というのはシリーズ化されている。前の作品も観た。どれもそうだけど、妙に好人物ばかりが出てくる。ずいぶん前にやっぱり旅のシリーズがあって、出てくる人達はみんな好い人で、撮り方がなんともオーソドックスで、ほんと、なんか昭和に帰ったような気持ちになる。もう少し外連味が合ってもいいような気がするし、映画的なダイナミズムが欲しいがまあ仕方ない。ただ、これ、じいちゃんがやってた茶畑を素人娘と素性をなんでか知らないけど水戸黄門みたいに隠してる官僚を受け継いでゆくっていう地に足がついているようでついていない物語だった。想像するだに、資金を集めるためには、とにかくわかりやすい教育映画にもできそうな話にしないとあかんかったのかもしれないけどね。

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るろうに剣心

2018年01月06日 00時06分07秒 | 邦画2012年

 ◎るろうに剣心(2012年 日本 134分)

 監督/大友啓史 音楽/佐藤直紀

 出演/佐藤健 武井咲 吉川晃司 蒼井優 青木崇高 江口洋介 香川照之 奥田瑛二 綾野剛

 

 ◎明治11年、帝都

 流浪人(るろうに)になった人斬り抜刀斎のその後の不殺(ころさず)の誓いがどうなるのかって話だ。

 実をいえば、かなり高を括って観たんだけど、これがどうして、おもしろかった。なんだか『龍馬伝』の続きを観てるような気がした。スタッフやキャストを見ればそりゃそうだろうって話だけど、でも、演出もカメラも演技もよかったし、なんといっても殺陣の斬新さはなんだかうきうきしたかな。

 ぼくはいつものとおり原作を知らないし、でも漫画に影響されてない分、単なる映画として観られたからかえって好かったとおもうんだけどね。

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ぱいかじ南海作戦

2016年05月30日 12時03分29秒 | 邦画2012年

 ▽ぱいかじ南海作戦(2012年 日本 115分)

 監督・脚本 細川徹

 

 ▽南風

 ぱいかじってのは南風っていう意味らしい。

 てことは、この題名は南風南海作戦っていう語呂が好いんだか悪いんだかよくわかんない題名にもなる。

 もう、ほんと、名は体を表すっていう諺はこういうことをいうんだろね。まあ椎名誠を好きな人にはおもしろいのかもしれないし、阿部サダヲやピエール瀧のファンも喜んでくれるかもしれないんだけど、いやなんていうのか、役者はつらいね。佐々木希や貫地谷しほりもさぞかしつらかったろう。でもいいか。スタッフもキャストも映画作りに参加すればギャラが貰えるんだから。できあがった写真を観るために代金を浪費するのも時間を浪費するのも結局はこちら側だけだもんね。

 そういうおもうのは僕だけか…。

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黄金を抱いて翔べ

2016年04月13日 23時31分46秒 | 邦画2012年

 ◇黄金を抱いて翔べ (2012年 日本 129分)

 監督 井筒和幸

 

 ◇240億の金塊強奪

 という話なんだけど、なんだか絵空事を無理してハードボイルドしちゃってる感じがしちゃってね、なんだろ、ちょっといまひとつ物語に入りにくかったような気がしないでもない。

 まあ、妻夫木聡は上手に演じてるし、この頃、なんだか自分の殻っていうかキャラクターを打ち破りたくてしようがなかったのかしらね。テレビの『天国と地獄』で犯人役を演ったのもこの頃じゃなかったっけ?妻夫木くんはどうしても好い子の印象がぬぐいきれなくて、自分でもそれをよくわかってるんだろうか、だから『悪人』とか演ったんだろうか。なにもそんなふうに自分を変えようとしなくてもいいのにっておもったりするんだけど、まあ本人にしてみれば違うんだろな~。

 いや実際のところ、これがこの設定そのままでパリだかニューヨークだかそんなところで展開してたらまた違った印象だったかもしれないけど、なんだか全体的にまったりしてる観があって、そういうあたり、キレが良くない。それと、ところどころ、なんていうのかな、そう学生運動のあった時代の特有の匂いっていうんだろか、そんな印象を受けたんだけど、勘違いかしらね。まあ、登場人物たちが悪ぶってるだけでいかにも好い人そうでどこから見ても悪人に見えないからそういう錯覚を受けるのかもしれないんだけど、そんなことないのかな。

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HOME 愛しの座敷わらし

2016年02月10日 19時36分05秒 | 邦画2012年

 ◇HOME 愛しの座敷わらし(2012年 日本 109分)

 監督 和泉聖治

 

 ◇座敷わらしの宿をおもいだした

 原作を読んでないからなんともいえないんだけど、たぶん、ほのぼの感でくるんでいながら現代社会の見えない病気を扱ってるんだろな~って感じはよく伝わってくる。認知症にしてもひきこもりにしてもコミュニケーション障碍にしても決して他人事でない問題なんだけど、それを真正面から取り上げるとどうしても陰鬱なものになってくる。そういうところをおもえば、座敷わらしによる癒しと復活というのはとっても救いがある。

 まあ、物語はそういうことで、映画そのものの作りということでいえば、難無くまとめられてるって感じがした。印象的な絵があったかどうか、ぼくもこのごろ物忘れがひどくなってきたものだからすぐに忘れちゃうんだけど、そんなことはともかく、草笛光子さんは凄いね。お年を召されてからというもの、どんどんと綺麗で若くなってるような気がするんだけどどうなんだろね。身体がよく動くし、声にも張りがあるし、すごいな~。

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グスコーブドリの伝記

2015年10月26日 00時13分30秒 | 邦画2012年

 ◇グスコーブドリの伝記(2012年 日本 85分)

 監督・脚本 中村隆太郎

 

 ◇ますむらひろしの猫

 どうしても『銀河鉄道の夜』と比較しちゃうのは、やっぱりキャラクターのせいで、こればかりはどうしようもないんだけど、当然ながらお互いに独立した作品なんだから中身はまるでちがう。どちらがどうとかいうことは抜きにして、ともかく『銀河鉄道の夜』が制作されたときからずいぶんとアニメも進歩し、絵作りにおいてはそのめざましさに驚いた。

 また、異世界をつくりあげるという点においては、いやまじ見事な出来栄えで、ファンタジーとしての濃度は実に濃い。宮沢賢治の世界観とキャラクターは上手にあしらわれているし、物語が流れていく上でそこに漂っている空気感もしっかりと感じられる。

 ただ、問題なのは、火山を噴火させることによってCO2を増やしイーハトーブを温暖化させ、冷害をふせぐというのが宮沢賢治がこれを執筆したときの主題だったようで、それをほとんど踏襲していることだ。たしかに佳境、火山を爆発させるために自己犠牲をともなってゆくという心映えの美しさは感じられるものの、物語よりもその設定には眉をしかめざるをえない。あまりにも安直に作り過ぎたんじゃないかって。ちょっと製作者側の考えが足りなかったんじゃないかと。

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シャニダールの花

2015年09月17日 02時33分52秒 | 邦画2012年

 △シャニダールの花(2012年 日本 104分)

 監督 石井岳龍

 

 △恐竜を絶滅させたのは花とかって

 のっけからとんでもないナレーションが入って、これは…と直感したら、案の定、そうなった。

 どうなったかというのはあえて書かない。少なくともそれが作品に対する礼儀というものだ。

 ただまあ、この映画、劇場で予告編を観たとき、あれれ、もしかしたらおもしろいのかなとおもってしまった。そういうことからいえば、見事に予告編に釣られた。予告編に漂っていたなんとも浮遊感のある冷めた雰囲気は本編にも残ってて、主演のふたり、つまり綾野剛と黒木華は雰囲気にはもしかしたら合っていたのかもしれない。

 けどまあ、なんていうんだろうね、シャニダール洞窟で発見されたネアンデルタール人の遺骸に花がついていたことから手向けられたのだろうと判断されて、現代人の70パーセントしか脳の容積がない原始人でも哀憐の心があったのだという証とされてきたものが、実はそうではなく花に寄生されたことで命を失った、つまり花に殺されたのだ、という発想だけは好い。

 ぼくだったら、こういう脚本にはしないな~。

 そもそもシャニダールの花について説明されるのが物語の後半で、しかもとても冷静とはおもえない悪役が怒鳴るように説明するのを見てるとなんだかな~とおもえてくるし、そもそも、こういう特異な設定の物語というのは、導入からもっと違った形があるんじゃないかって気がするんだよね。あ、いかん。礼儀を忘れてしまいそうだ。

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ツナグ

2015年08月15日 11時46分49秒 | 邦画2012年

 ◇ツナグ(2012年 日本 129分)

 監督・脚本 平川雄一朗

 

 ◇死者と生者をつなぐ使者

 昔から死んだ人と生きている人との橋渡しをしてくれる人はいた。

 イタコなどもそうだけど、そういうのが好きな人達のふしぎなネットワークを使えば、たいがいどの町にもひとりやふたりは死んだ人との交信ができたり、自分でも意識しないで交感できてたりするものだ。

 だから、この映画の場合、目新しさはほとんどないながら、そういう人達の扱い方が上手だったということになるのかもしれない。原作は読んでないから主人公の中を流れるツナグちからのある血についてはなんともいえないけれど、こういうちからをもった血があってもいい。かれらは霊能者かもしれないし、依頼人の心を読んでその心に映像を見せる超能力者かもしれない。でも、そんなことはどうでもよくて、依頼人に満足と感動を与えることができれば、それでいいわけだよね。

 で、こういう映画は、根っからの悪人を出したらダメで、そういう意味ではきっちりとコンパクトに作られてた。

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北のカナリアたち

2014年11月22日 13時02分35秒 | 邦画2012年

 △北のカナリアたち(2012年 日本 130分)

 staff 原案/湊かなえ『二十年後の宿題』 監督/阪本順治 脚本/那須真知子 撮影/木村大作 美術/原田満生 音楽/川井郁子 編曲・音楽監督/安川午朗

 cast 吉永小百合 森山未來 満島ひかり 勝地涼 宮あおい 小池栄子 高橋かおり 藤谷文子 石橋蓮司 塩見三省 松田龍平 柴田恭兵 仲村トオル 里見浩太朗

 

 △20年前の宿題

 とかいわれるとなんとなく抒情的な感じがするんだけど、これはないわ~。

 ぼくはその昔、かなりのサユリストだった。だから、こういう意見を吐いてもいいだろう。

 末期癌の旦那がいて、その転地療養のために実家のある北海道最北端の離島にやってきてそこの分校の教師をしながら暮らしていたっていう設定からして、ちょっと待ってよとおもったりする。だって、もう旦那は余命いくばくもないんでしょ?だったら、もうすこし気候の温暖なところで過ごさせてあげたいっておもわない?それとも吉永さんは柴田恭兵にさっさと死んでもらいたいとはおもってたわけ?と聞きたくなっちゃうじゃん。

 分校の先生をして、子供たちの合唱を見ていくってのはいい。なんだか『二十四の瞳』みたいだけど、ちょいと比べるのはきついかもしれない。

 けど、そんなことはさておき、この作品はきわめて陰湿な話なんじゃないかっておもうんだよね。

 人間の心の奥底はわかんないんだけど、やっぱり吉永さんは夫殺しをたくらんでたんじゃないかって気がする。末期癌の人間をさいはての島へ連れていって、なかば放っておくようなことをすれば死期を早めるのは自明のことで、そんな夫がいるにもかかわらず、若い刑事くずれの警官仲村トオルと不倫するんだから、もはや、夫への愛情なんてものは冷め切ってる。夫もそれがわかってるもんだから復讐心に燃えててっていうより、怒りに任せて犬を殺したりするほど心が捻じ曲がってるもんだから、海辺でバーベキューしてるときに「愛人に逢いに行ってこいよ」とかいって吉永さんを送り出してまもなく海へ飛び込む。

 生徒と助けるとかそういう人道的なことじゃなく、もはや自殺に近い。

 腹いせだよね。

 で、田舎の人間ってのは口さがないから、旦那をおいて不倫しているすきに旦那が自殺まがいの死を迎えたっていう事実が島中に広がる。当然、島にはいられないよね。ここでおもうのは、子供たちにしてみれば裏切られたっていうおもいが強いわけで、いくら先生のことが好きでも、自分たちをおいて乳繰り合ってたばかりか、その間に旦那が死んじゃったりした教師をいつまでも好きでいられるんだろうか?そのあたり、まるで現実味がない。やっぱり『二十四の瞳』にはおよばない。

 で、20年後だ。

 どうして成長した生徒たちはみんな自分たちを裏切った先生に対して素直なんだろう。いや、それどころか、先生もまたなんで反省の色が見られないんだろう。子供たちの心配をしてるお節介な元先生って感じにしか見えなくて、そもそも生徒たちの心に深い傷をつけたのが自分だっていう意識がほとんど見られない。こういう演出はないわ~。それと、現代が舞台になったとき、吉永さんは一挙に脇役になっちゃうんだよね。そりゃあ子供たちのつながりの話になるんだから仕方ないにせよ、どうしてみんながみんな画一的なんだろね。

 吉永さんがいつまでも綺麗なのはわかる。

 20年前を演じるための若づくりもまあいろんな意見はあるもののやっぱりたいしたものだ。

 けど、いつまでも可憐でいいはずがない。島を追われ、図書館の司書になって人目を避けるように暮らしてきたんなら、もっとぼろぼろになってて、髪も真っ白で生活ももうちょっと惨めな感じでいた方がよかったんじゃないかしら。モデルルームのような綺麗なマンションに棲んで、引退して悠々自適に棲んでる独身元教師に見えちゃう。過去の自分のしでかしたことへの戒めもないし、島の暮らしは忘れ去られてるし、だいいち、置いてきた父親の里見浩太朗との関わりはどうなってんだろう。つまり、吉永小百合という映画女優を汚すことはご法度なのだね。そのために、どんな汚れ役であろうとも綺麗にしないといけないような不文律ができちゃってるのかもしれない、それも製作者側の無意識の内で。恐ろしい話だ。

 でもさ、ほんとうに吉永さんのことをおもって、欧米の映画に負けないようなリアリズムの映画を作ろうとするんなら、とことんまで老けメークをして、みじめな環境に追い込んで、自分の不倫中の夫の自殺はなかば夫殺しともいえるような自戒の中で生きてて、かつての教え子を訪ねてもけんもほろろの扱いをされて、それでも生徒のことが心配だといったら「この偽善者がっ」と怒鳴られるくらいな役どころでないとダメだったんじゃないかっておもうんだよな~。

 ま、余計なお世話かもしれないけどさ。

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おおかみこどもの雨と雪

2014年11月10日 17時38分38秒 | 邦画2012年

 ◇おおかみこどもの雨と雪(2012年 日本 118分)

 staff 原作・監督/細田守 脚本/細田守、奥寺佐渡子 キャラクターデザイン/貞本義行 美術監督/大野広司 衣装/伊賀大介 劇中画/森本千絵 音楽/高木正勝 主題歌/アン・サリー、作詞:細田守、作曲:高木正勝

 cast 宮崎あおい 大沢たかお 菅原文太 染谷将太 林原めぐみ 谷村美月 春名風花 麻生久美子

 

 ◇富山に行きたい

 いまさら筋立てをうんぬんするのもなんだから、やめとく。

 で、観てて、なんとなくおもったのは国立に行ってみよかな~と。一橋大学って東大とならんで大学の校舎の見本みたいなところがあるじゃん。だからこの際、出かけてみてもいいかなと。そんなことおもってたら、富山にも行ってみたいな~とおもえてきた。劇中、花とこどもたちが棲むことになる古民家は、富山にあるらしい。雪が暮らしていくであろう山も富山だそうな。富山地方鉄道の上市駅にある観光案内所を訪ねれば、たいがいのことはわかるんだそうな。へ~ておもった。いまや、この国の観光は、アニメを中心に回ってたりするんだろか?

 たしかに、映像はたいしたもんだ。

 チングルマとかの花々や雨やら雪やらといった自然の景色はほんとうによく描けてるし、溜め息が出そうになる。でもさ、これは主観の相違だからなんともいえないんだけど、貧乏女子大生の花はいったいなんのために大学に通ってたんだろね。ぼくが見落としてるのかもしれないけど、将来はこんなことをしたいとか、こんなふうになりたいとか、そういう夢や憧れみたいなものはあったんだろうか。どうもそれがいまひとつわかんないんだよね。それともうひとつ、花は実家っていうか故郷に帰れない事情があったんだろうか。彼女の大学生になるまでの暮らしぶりがまるで見えてこないのはなぜなんだろう。

 それは花の相手の狼にしてもおんなじことがいえるんだけど、なんで都心に出てきてたんだろう。国立はたしかにいいところだけど、ふたりが暮らし始めるのは善福寺川の流れてる西荻あたりらしく、吉祥寺とかとなりだし、けっこうな都会だ。日本狼の末裔ならもっと山奥にいて、人里には近寄らないんじゃないかなと。実際、雪は野生にめざめて山へ入っていくわけだしね。

 おそらく、ぼくがおもうに、彼は人狼の村から都会に憧れて出てきた青年なんだろう。なんだか手塚治虫の『バンパイア』みたいだけど、彼の生まれた村には、どちらかが人狼の両親がいて、おおかみこどもの兄弟姉妹がいて、やっぱり誰か人狼の祖父母や曾祖父母やらがいないと、とてもじゃないが血脈を維持できない。どういう血脈になってるのかわからないんだけど、人狼の一族はともかく年頃になると人里におり、人間あるいは人狼と出会い、子孫をつくるのが慣習になってるのかもしれないね。そうじゃなければ、彼が国立に現れることはできない。

 ただ、ぼくは『美女と野獣』とか観てもおもうんだけど、女の人って凄いな~と。相手は、人狼だぜ。それも、まぐわうときには狼になってるわけで、劇中もそういう画面になってるけど、いや、まじめな話、いくら好きでもぼくにはできない。そんな無粋なこというんじゃねえよとかって怒られそうだけど、観てる最中からそれは気になってた。こういう人間はファンタジーは観てはいかんのかもしれないが、観ちゃったものは仕方がない。つまりは、花も狼も過去がよく見えず、花については将来もよく見えない。そのあたりはわざとぼかしてあるんだろうけど、ぼくみたいに気になっちゃう人間もいたりする。

 ところで、花を観てると、アニメっていうか、漫画にもよく登場する、ファン層にとっての理想的な女の人ってこんな感じなんだろかっておもえてくる。いや、ぼくは昔からこういう健気な女性は嫌いじゃない。常に朗らかで無心で無欲で、つよいお母さんになっていこうってする女性は、好きだ。いや、好きだった。というのは、けっこう、気が強いし、頑固だし、わがままじゃない?かと。なんかね、アニメ・キャラの普遍さを感じちゃうのよ。

 ま、そのあたりは余談。

 この作品を観ててもうひとつ感じたのは、差別っていう主題だ。

 人間は差別をする生き物だ。肌の色、民族、宗教、偏差値、もうありとあらゆるものが差別になる。

 ましてや、人狼なんてのは忌避される骨頂のような存在だから、当然、人里はなれたところで子供を育てたいとおもうだろう。つまりは、差別されるおそれのある人間関係っていうめんどくさいものから避難したっていうことになる。この捉え方っていうか受け取り方が正しいとはおもわないけど、ともかく花と子供は引っ越した。ほんとなら父狼の生まれ育ったところに行けばいいのに、それは話してもらえないうちに死んじゃったってことなんだろか。ま、それはいいとして、人間は差別されない世界に棲みたいと願う。人狼と交婚して、おおかみこどもを産み落とした女性としては、自分だけでなく子供たちもまた差別の対象とされるおそれがある以上、できるかぎり正体のばれないところに棲むしかない。このあたり、明るさと朗らかさに包まれてはいるし、自然の中ですくすく成長していくさまを見ることができるから、なんとなく素通りできちゃうんだけど、視点をちょっとずらしてみるとかなりつらいものがある。こどもたちは自然はあるけど都会はなく、不便さはあるけど便利さはなく、さまざまな動植物とは分け隔てなく接することができるけど、いろんな人間どもとは腹を割って話せないし、恋愛についても草平のような理解者が現れないかぎりままならない。だから、雪は山へ入らざるをえなかったのかもしれないね。

 つらいなあ。

 ぼくがこの作品で感じたひとことは、それだった。

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鍵泥棒のメソッド

2014年07月15日 13時15分43秒 | 邦画2012年

 ◇鍵泥棒のメソッド(2012年 日本 128分)

 staff 監督・脚本/内田けんじ 撮影/佐光朗

     美術/金勝浩一 音楽/田中ユウスケ 主題歌/吉井和哉 『点描のしくみ』

 cast 堺雅人 香川照之 広末涼子 森口瑤子 荒川良々 小野武彦 木野花 柊瑠美

 

 ◇多重構造

 売れない役者と謎の殺し屋と婚活中の女性編集長とくれば、

 まあ、それだけで複層的な話だってことは見えてくる。

 しかも、殺し屋が銭湯で滑って転んで記憶喪失になってしまったという、

 とてつもないちから技によって事態が急展開し始めれば、

 これはもはや人物の職業だけではなく、

 人格そのものが複層的になるわけで、

 かといって難解にしていないあたりは、

 内田けんじという才能ある監督の性格みたいなものなんだろう。

 そもそも銭湯に行く殺し屋というのはどういう人間なのかって話で、

 ここに物語の鍵があるわけで、一般的な殺し屋なら行かないはずだ。

 にもかかわらず銭湯に入ってきたという考えられないような庶民的行動が、

 最後のどんでん返しに生きてくるわけなんだろね、たぶん。

 ともかく、

 売れない役者が殺し屋になってしまったことで人を殺すことのできない殺し屋になり、

 謎の殺し屋が役者になってしまったことで銃火器を絶妙に扱う役者となるわけだ。

 でもそれは、

 役者があたかも自分が殺し屋であるように依頼人に見せるという演技をするんだけど、

 殺し屋の場合はもうちょっと複雑で、

 そもそも殺し屋としての演技をしていたために、

 記憶を失う前の自分はたぶん役者だったんだろうと信じて役者稼業を続けることができ、

 記憶を取り戻してからはふたたび殺し屋であるという演技を続けるというわけで、

 まあ、なんというか、多重構造が幾層にも絡み合ってるものだから、

 ひとことでは説明しにくいんだけど、

 そういうところがおもしろく感じられたんだとおもうんだよね。

 でも、それぞれを演じてた役者さんたちは、

 みんな大仰ながらも喜劇をちゃんと演じてました。

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天のしずく 辰巳芳子 いのちのスープ

2014年07月03日 12時33分26秒 | 邦画2012年

 ◎天のしずく 辰巳芳子 いのちのスープ (2012年 日本 113分)

 staff 監督・脚本/河邑厚徳 撮影/本田茂

     音楽/吉田潔 朗読/草笛光子、谷原章介

 cast 辰巳芳子

 

 ◎手仕事は気力だ

 料理家でもあり、随筆家でもある辰巳芳子さんの料理は、

 その食材を選ぶところから仕上げまで、ともかく丁寧だ。

 それはおそらく目黒長者丸に生まれて、祖父母からも可愛がられ、

 さらに鎌倉雪の下に移り住んで後まで、いっさい変わることがないんだろう。

 ただ、それもこれも、気力によるところは大きいんじゃないかしら。

 意見もしっかりしてる。

 一年半もかけた撮影の中途、東日本大震災が起こる。

 辰巳さんは、映画の中でこんなふうにいってる。

「あの原発の事故は未来を奪った」

 たしかにそうだ。

 ここで辰巳さんがいっているのは個人の未来ではなく、

 もっと漠然としてて、日本とか日本人とかの未来をいってる。

 しかも辰巳さんの家の庭では、いろんな花が狂い咲きしたという。

 鎌倉の自然までもがおかしくなってると。

 このあたりは、随筆家の辰巳さんが見えてくるんだけど、

 料理家として食材や自然を見つめているからいえることでもあるんだろう。

 それにくらべて、ていう話になるんだけど、

 ぼくの毎日は、実にさびしく、さもしい。

 料理に費やす時間がないんだよな~とかいうのは、自己弁護だ。

 気力も体力もなく、だらだらしてるだけなのを棚に上げて、

 そんなことをいってるんだから、あかんね。

 ただ、日本の料理は日本の食材で、というのはわかる。

 また、自然の素材のみで、というのもわかる。

 そうしたい。

 食材の自給率がどんどんと低下して、

 海外から農薬まみれかどうかは知らないがともかく格安の食材が入ってきて、

 スーパーでもそれを率先して売り、消費者もそれを求め、

 外食産業でも自宅でも海外の野菜が並び、それを食べる。

 それでいいじゃんか、という消費者に対しては、それでいいよね、とおもう。

 けど、

 ぼくはちょっとだけだけど、国産の食材にはこだわりたい性質だ。

 ただ、現実的な問題もある。

 お金持ちはいざ知らず、消費者の多くは、

 料理教室に通っていられる人達はさておき、

 みんな毎日朝から晩まで働いて、恋人とつきあったり、家族を養ったりしてる。

 当然、買物は簡単に済ませたいとおもうし、料理の時間は短くしたいし、

 とにもかくにも食材は安いに越したことはない。

 そんな状況の日本人にとっては、

 辰巳さんの命のスープは憧れの存在なんだろう。

 ほんとに、むつかしいところだ。

 誰でも気持ちとふところに余裕を持ちたいし、

 余裕をもった暮らしをして、余裕をもった食事をしたい。

 でも、日々の生活に疲れ果てて、そんな余裕のよの字も考えられなくなる。

 だからって、命のスープを物販するとかなったら本末転倒だ。

 ぼくたちはいったいどうしたらいいんだろう?

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踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望

2014年06月09日 02時11分31秒 | 邦画2012年

 ◇踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望(2012年 日本)

 そうかあ、終わっちゃうのか~。

 なんだかんだいっても、

 テレビシリーズから映画になって成功したのは、

 この『踊る大捜査線』と『海猿』のシリーズなんだから、

 テレビという宣伝効果抜群の代物には舌を巻くしかない。

 よく『北の国から』が映画化されなかったもんだっておもうけど、

 まあ、それはそれとして、

 ぼくももう年をとってしまったのか、この『踊る』シリーズは、

 観終わると同時に、ほぼ、内容を忘れる。

 おそろしいもんで、断片的なことは覚えてるんだけど、

 結局、どれがどれだかわからなくなるんだ。

 ことに、

 この『FINAL』はみんなのある種のけりをつけないといけないから、

 余計に余分な脱線が多くなってしまい、

 こちらを立てればこちらが立たずみたいな感じになってたような…。

 結局、最終回というのは、

 主要な人物たちが辞める辞めないで右往左往することになり、

 それが上からの圧力によるものなのか、

 それとも自分の身体の不調によるものなのかっていう違いはあっても、

 往々にして、そういうもんだ。

 さらには、ずっとひっぱってきた恋愛未満の関係をどうするのかっていう、

 きわめてミーハーな興味も最後までひっぱらないといけない。

 つまりは、核心であるはずの事件が希薄になりかねない。

 もっとも、

 このシリーズは常にいっぱい事件が起こって、

 それが知恵の輪みたいにこんがらかってくるところが味噌なんだけどね。

 とはいえ、

 ぼくは、実をいうと、

 テレビシリーズは映画の第3作目が公開されてからようやく観た。

 それくらいなものだから熱狂的なファンってわけではもちろんない。

 にもかかわらず、これであらかた制覇したわけだから、

 いやまじ、テレビの宣伝効果はたいしたもんだ。

 これからは、ネットの宣伝効果が膨れ上がっていくんだろか?

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BRAVE HEARTS 海猿

2014年05月20日 12時05分17秒 | 邦画2012年

 ◎BRAVE HEARTS 海猿(2012年 日本)

 その昔、エアポートシリーズという映画があって、

 3作目が『エアポート'77 バミューダからの脱出』だった。

 ジャンボジェット機ボーイング747が、

 バミューダ海域のカリブ島沖に墜落して、

 水深30メートルくらいの海底に着座、

 これをアメリカ海軍が救助するっていう筋書きだったんだけど、

 当時高校生だったぼくは、ロードショーでこれを観た。

 まあ、おもしろかった。

 海はとっても綺麗だったし、

 なんだか高級なおとなたちの映画な感じじゃんっておもった。

 アメリカ海軍が全面的に協力してるってのが謳い文句で、

 かなりわくわくしたんじゃないかな~。

 で、この作品なんだけど、

 なんていうか、

 航空機事故におもいいたるってのはわからないでもないし、

 これはこれで愉しめた。

 お決まりのあらすじで、

 どうやったら感動させられるかってのが先行してる気もして、

 そういうところはすこし水戸黄門的な匂いがし出したけど、

 これはこれでいい気もする。

 絵も音楽も『エアポート77』より雰囲気いいしね。

 まあ、40年も前の映画とくらべる方がまちがってるんだろうけど。

 ただ、

 ぼくたち外部にはよくわからないながら、

 4作目にして味噌をつけちゃったね。

 このあと、海猿のシリーズは作られないんだよね。

 ぼくとしては好きなシリーズだったからちょっぴり残念ではあるけど、

 仕方ないことなんだろな、たぶん。

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のぼうの城

2014年04月09日 01時55分32秒 | 邦画2012年

 ◇のぼうの城(2012年 日本)

 オリジナルの尺は240分だそうな。

 観てみたい気もするけど、どんな場面がカットされてるんだろね。

 まあ、東国無双の美人として知られる甲斐姫のくだりについては、

 のちに大坂城に入って秀吉の側室になるわけで、

 さらにいうと、

 のぼう殿こと成田長親は忍城攻めの際はすでに45歳になっているわけで、

 もっといえば、

 当主だった氏長は当時42歳で、

 そういうことからいうと、

 長親と甲斐姫はとてもじゃないけど、恋愛関係にはなれない。

 だって、甲斐姫は当時、芳紀まさに18歳なんだもん。

 ま、そんな歴史的な事実はどうでもよくて、

 物語は、その描かれた物語を愉しめばそれでいい。

 ただ、なんていうのか、長親の身を挺した狂言がクライマックスで、

 それに励まされた家臣どもが、

 最後の賭けに出るっていうのが佳境なんだけど、

 もうすこし派手なアクションを起こしてほしかった気もちょっとする。

 まあ、ないものねだりなんだろうけど。

 それと、

 CGは、この頃の邦画はほんとに頑張ってて、

 これについては、それなりに愉しめた。

 そんな感じかな~。

 ちなみに、

 甲斐姫はいろんなところで小説のネタになってて、

 その分、この作品ではヒロインになってるんだけど、

 これから先もいろんな人が書いていくんだろね。

 ま、いろんな甲斐姫がいていいとおもうな。

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