Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

レオン

2023年02月08日 00時46分55秒 | 洋画1994年

 ◎レオン(Léon)

 

 つまり『グロリア』と『タクシー・ドライバー』を足して割れば、この作品になるんかな?

 リュック・ベッソンが上の2作品を観てるかどうかは知らないし、そんなことはどうでもいいことなんだろう。ただ、個人的には上記2作品の方が刺激的かつ社会性を帯びた作品だったんじゃないかっていう気にはなる。

 けど、まあ、性的な興味の対象にされてたのがトラウマになってるらしいナタリー・ポートマンとしては思い出したくない作品なのかもしれないね。

 でも、この頃のナタリー・ポートマンは、なるほど、興味を惹いたんだろうなっておもうわ。

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ナチュラル・ボーン・キラーズ

2022年03月25日 17時15分18秒 | 洋画1994年

 △ナチュラル・ボーン・キラーズ(Natural Born Killers)

 

 東京のワンカットで、石原さとみと佐藤江梨子が並んで出てるとおもうんだけど、時代と年齢が合わないのはなんでなんだろう。で、あとで、ドラッグストアの逮捕戦で、9カットだけ出てるアナウンサー役の中村佐恵美だということはわかるんだけど、いや、二役なんだけど、前のミーハー姉ちゃんのときは石原さとみにものすごく似てるわ。

 ま、なんにしても、ボニー&クライドの現代版なのね。

 クエンティン・タランティーノの原案がどんなものだったのかわからないけど、オリバー・ストーンがもうちからづくで暴力性をひきださそうとした感じがあって、あんまりな~。でもいまおもえば、ウディ・ハレルソン、ジュリエット・ルイス、ロバート・ダウニー・Jr、トミー・リー・ジョーンズと、なんだか役者だけは揃ってるわ。

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カストラート

2015年08月24日 18時21分37秒 | 洋画1994年

 ◇カストラート(1994年 イタリア、ベルギー、フランス 111分)

 原題 Farinelli Il Castrato

 英題 Farinelli

 監督 ジェラール・コルビオ

 

 ◇協力IRCAM

 イルカムっていのはフランス国立音響音楽研究所のことで、ここのコンピュータがなければ、ステファノ・ディオニジの演じたファリネッリことカルロ・ブロスキの超音域を再現することは不可能だったらしい。ファリネッリの音域は3オクターブ半だったそうで、よくわからないんだけど、この歌声を聴いた女性の観客の中には失神する者までいたんだとか。すげえ話だ。

 ただまあローマ法王とかもこのカストラートをつくるための去勢を禁止したようで、本作のファリネッリが最後のカストラートなんだそうな。ふ~んてな話ながら、まあカストラートが出来上がるためにはいろいろな事情があったこともわかるんだけど、もしも、今後、このカストラートを扱った物語ができるとすれば、かなり濃い内容になるだろうことは容易に想像がつく、よね。

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オンリー・ユー

2014年11月19日 23時40分47秒 | 洋画1994年

 ◇オンリー・ユー(1994年 アメリカ 108分)

 原題 Only You

 staff 監督/ノーマン・ジュイソン 脚本/ダイアン・ドレイク 製作/ノーマン・ジュイソン、ケアリー・ウッズ、ロバート・N・フライド、チャールズ・B・マルヴェヒル 撮影/スヴェン・ニクヴィスト 美術/ルチアーナ・アリジ 衣装デザイン/ミレーナ・カノネロ 音楽/レイチェル・ポートマン 主題曲/ルイ・アームストロング『オンリー・ユー』 挿入曲/マイケル・ボルトン『Once in a Lifetime』

 cast マリサ・トメイ ロバート・ダウニー・Jr ボニー・ハント

 

 ◇デイモン・ブラッドリー

 役者というのはたいしたものだとおもわせるのは、この主演のふたり、マリサ・トメイとロバート・ダウニー・Jrは1980年代の後半、つきあっていたらしい。となると、別れてすぐの頃か、それとも別れるあたりかはよくわからないけれど、この作品の撮影があったことになる。出演するのが嫌だったかどうかはさておき、よくもまあノーマン・ジュイソンがキャスティングしたものだ。

 とはいえ、この映画が撮られたとき、ふたりはそろって低迷している頃で、実をいえばこの映画だって封切られたときの記憶はまるでない。マリサ・トメイは『いとこのビニー』で衝撃的なかわいさを披露したけど、それから10年間くらいはまるで記憶がない。ロバート・ダウニー・Jrも似たようなもので、なんだか、このふたりの経歴はよく似てる。だからといって、運命的ななにかがあるんじゃないかとまでおもったりするわけでもないけどね。

 まあ、それにしても、ジプシー占いで聞かされる運命の人の名前デイモン・ブラッドリーだけれども、いかにもありそうな、それでいて印象の強い名前なのはどういうことなんだろね。まあ、そう感じるのはぼくだけなのかもしれないんだけど、ずっと前にこの映画を観た後、中身はすっかり忘れてたんだけど、デイモン・ブラッドリーっていう名前だけはしっかりおぼえてた。

 なんだか、マリサ・トメイみたいな話だけど、ぼくにとってはものすごく印象が強かったっていうか、語感がよかったのかもしれない。だって「デイモン・ブラッドリーっていう名前が頭の片隅にあるんだけど、これってどんな人間だっけ?」みたいに、実在していたかあるいは実在しているかする人間の名前だっておもってたんだから、いやすごい。

 ただおもうのは、イタリアってどうしてこうも恋物語の旅行先に選ばれるんだろね。『ローマの休日』の影響がいまだに残ってるのかな。ほんとにふしぎなんだけど、イタリアには人間を恋の虜にするなにか特別な空気でも漂ってるんだろうか?

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フォー・ウェディング

2014年11月17日 12時30分39秒 | 洋画1994年

 ◇フォー・ウェディング(1994年 イギリス 117分)

 原題 Four Weddings and a Funeral

 staff 監督/マイク・ニューウェル 脚本/リチャード・カーティス 撮影/マイケル・コールター 美術/マギー・グレイ 衣装デザイン/リンディ・へミング 音楽/リチャード・ロドニー・ベネット 主題曲/ウェット・ウェット・ウェット

 cast ヒュー・グラント アンディ・マクダウェル クリスティン・スコット・トーマス ローワン・アトキンソン サイモン・キャロウ ジョン・ハナー

 

 ◇生粋の英国人気質ってなんだ?

 ヒュー・グラント演じる32歳独身の英国人はそういう気質のために結婚し遅れてるらしい。けど、どんな気質なんだ、それ?っておもったりする。現在活躍している俳優の中で、ヒュー・グラントは稀有な存在といっていい。インテリジェンスにあふれながらも優柔不断で、お人好しで、たれ目で、顔が長くて、にもかかわらずナルシストで、けっこうわがままで、情にもろくて、甘ったれた小心者を演じたら右に出る者はいない。もちろん、この作品でもまちがいなくそうだ。で、英国人気質ってなんだ?

 そんなの知らね~よ。

 なんにしてもヒュー・グラントは、クリスティン・スコット・トーマスの重っ苦しい気持ちを知っているはずもないままに、結婚相手を探してるくせにまるで結婚する気もない呑気な怠け者で、時間にルーズで、女に手が早く、それでいて純真だったりする。けど、優柔不断なことは人後に落ちず、だから、本心も告げられないままに結婚へと流され、ほんとなさほど好きでもないアンナ・チャンセラーと結婚式を挙げることになるんだし、さらに式の真っ最中、結婚の誓いを破棄してぶん殴られるという、史上最強の情けない男にまで落ちていく。

 これが生粋の英国人気質なのかどうかはわからないけど、要するに典型的なダメ男だ。

 ところが、ヒュー・グラントって人はほんとに得な人だね。どんなに不幸になっても誰かが手をさしのべてくれたりする。甘ったるいマスクのせいなのか、母性本能を刺激する風情のせいなのかわからないんだけど、この物語の役はヒュー・グラントにしかできないのかもしれないね。だって、自堕落な3枚目は誰にでもできるけど、それなのにアンディ・マクダウェル演じる超金持ちの超美人と結婚できることになっていくっていうとんでもない大逆転をすんなり受け入れ、観客もまたそれを認めちゃうような俳優はそんじょそこらにはいない。

 ただ、どうなんだろう、世の中の男どもはそんなヒュー・グラントに憧れるんだろうか?

 ちなみに、ぼくは憧れるぜ。

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ワイアット・アープ

2014年04月28日 13時41分10秒 | 洋画1994年

 ◇ワイアット・アープ(1994年 アメリカ 211分)

 原題 Wyatt Earp

 監督 ローレンス・カスダン

 

 ◇いやもう、長い。

 どうしてケビン・コスナーの映画はこうも長尺物ばかりなんだろ?

 ワイアット・アープの事績を忠実に描こうとすれば、たしかに長くなるのは当たり前かもしれないんだけど、観客からすれば「OK牧場の決闘の前後だけでいいからじっくり見せておくれな」といいたくなるかもしれない。すくなくともぼくはそうだ。とはいえ、映像はすこぶるよかった。重低音のきいた音響も悪くはなかった。ということは、つまり、絵づくりについてはほぼいうことはないんだけど、やっぱり、長い。

 そんなことはさておき、アメリカ人にとってOK牧場の決闘ってなんなんだろう?ぼくたちの国に見立てると、なんになるんだろう?決闘鍵屋の辻にでもなるんだろうか?そんなことをおもいながら、観た。ぼくだったら、コルト・シングル・アクション・アーミーに徹した話にするかもしれないな~。てなことをおもったりもした。

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ソフィー・マルソーの三銃士

2013年12月04日 19時05分59秒 | 洋画1994年

 ◇ソフィー・マルソーの三銃士(1994年 フランス 129分)

 原題 La fille de d'Artagnan

 staff 原作/アレクサンドル・デュマ『三銃士』『二十年後』

     監督/ベルトラン・タヴェルニエ

     脚本/ミシェル・レヴィアン ベルトラン・タヴェルニエ ジャン・コスモ

     撮影/パトリック・ブロシェ 美術/ジュフロワ・ラルシェル

     衣装デザイン/ジャクリーヌ・モロー 音楽/フィリップ・サルド

 cast ソフィー・マルソー フィリップ・ノワレ クロード・リッシュ サミー・フレー

 

 ◇1844年『三銃士』刊行

 最初につまらないことをいおう。

「ソフィー・マルソーと南野陽子を繋ぐものがあるとすれば、それはダルタニャンだ」

 なんでそうなるのか。

 一般に『ダルタニャン物語』と呼ばれる銃士ダルタニャンの人生を描いた物語は、3部に分けられている。その第1部がいわゆる『三銃士』で、第2部が『二十年後』となり、第3部が『ブランジュロンヌ子爵』だ。黒岩涙香が翻訳小説として出版した『鐡仮面』はその第3部に登場するんだけど、これは『ダルタニャン物語』から二次派生した鉄仮面の囚人を中心にした小説で、書いたのはフォルチュネ・デュ・ボアゴベイで、もともとの題名は『サンマール氏の二羽のつぐみ』だった。ただし、涙香が翻訳したのは原書じゃなくて、英訳本だったんで結末がちがう。この『鐡仮面』を、のちに江戸川乱歩が書き改めて『鉄仮面』として出版、さらに少年向きに書き直して『仮面の恐怖王』になった。今では長島良三が原書を翻訳した『鉄仮面』が読めるんだけど、活字嫌いのぼくは、小学校の頃に『仮面の恐怖王』を読んだだけだ。

 なんとも恥じ入るばかりだけど、この『鉄仮面』物はまだ別に派生した。小栗虫太郎の『二十世紀鉄仮面』ももちろんそうだが、少女活劇の代名詞のような『スケバン刑事Ⅱ少女鉄仮面伝説』も、その系列に入る。おお、やっと「ソフィー・マルソーと南野陽子を繋ぐものがあるとすれば、それはダルタニャンだ」というところに辿り着いた。

 で、なんでこんなことをたらたらと書いてきたかといえば、本作もとどのつまり、フランスのアイドル映画なんだよな~っていう結論からだ。画面も明るく、しかも囚われの身となったソフィー・マルソーは、映画『スケバン刑事』で南野陽子が囚われたときとまったく同じポーズをとるし、そういうあたりも、ファン心を刺激するのはどうしたらいいのかを、日仏の制作者たちはなんとなく嗅ぎ取ってたってことになるんだろね。

 てな感じの感想でした。

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ラストフライト

2013年09月21日 15時15分29秒 | 洋画1994年

 ◇ラストフライト(1994年 アメリカ 95分)

 原題 Amelia Earhart: The Final Flight

 staff 原作/ドリス・L・リッチ『Amelia Earhart: A Biography』

     監督/イヴ・シモノー 脚本/アンナ・サンダー

     撮影/ラウロ・エスコレル 美術/ビル・メイレイ 音楽/ジョージ・S・クリントン

 cast ダイアン・キートン ルトガー・ハウアー ブルース・ダーン ダイアナ・ベラミー

 

 ◇1937年7月2日、南太平洋

 アメリア・メアリー・イアハートについては、もう今さら書き留めておく必要もない。

 リンドバーグと並んで空の英雄として名を馳せていた彼女が行方不明になったのは1937年7月のことだけれども、最後の交信は、記録によると「私達は今、157° - 337°線上にいます」とされてる。当時の日本の委任統治領だった内南洋のすぐ近くで、そんなことから日本軍が関与したとか彼女のほんとの使命は間諜だったとか取りざたされるけど、おそらく、そんなことはない。アメリカはごく純粋に太平洋赤道上空太平洋横断をめざしたのだろうし、たとえ、ハウランド島にたどり着けず付近のキリバス領のニクマロロ島(当時・ガードナー島)に不時着にしていたとしても、その捜索活動に、日本海軍は献身的に協力してるんだから。

 ま、そうした歴史的な背景はさておき。アメリカ人にとってアメリアは憧れの女性のひとりなのかもしれないね。日本でも昔『雲のじゅうたん』ってドラマがあったけど、女性飛行士を主人公にした物語がもうすこしあってもいいんじゃないだろか。ダイアン・キートンはとっても好感度の高い演技をしてるし、ルトガー・ハウアーも悪くない。ただ、好奇心旺盛でコケティッシュな性格になってるのはこの作品のアメリア像で、現実にどうだったかっていうのは、よくわからない。

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イヴォンヌの香り

2013年08月01日 13時01分12秒 | 洋画1994年

 ☆イヴォンヌの香り(1994年 フランス 90分)

 原題 Le Parfum d'Yvonne

 staff 原作/パトリック・モディアノ『イヴォンヌの香り』

     監督・脚本/パトリス・ルコント

     撮影/エドゥアルド・セラ 特殊効果/ジャン=ピエール・スーシェ

     美術/イヴァン・モシオン 衣装デザイン/アニー・ペリエ・ベルトー

     メイク/ジスレイン・トルトゥノー 音楽/パスカル・エスティーヴ

 cast イポリット・ジラルド サンドラ・マジャーニ ジャン・ピエール・マリエル

 

 ☆1958年、夏

「愛し過ぎるか、愛が足りないのかが、人間だ」

 どうしたところで、男と女は性の価値観もちがえば、人生に対する考え方も異なる。そんなことないよっていう向きもあるかもしれないけど、この映画には、そうした男と女とゲイの典型が描かれてる。もちろん、三人とも大仰な描かれ方ではあるけど、それなりに納得する。男は常に女の官能を見つめる側で、女は常に男の衝動を受け止める側で、ゲイであり、かつ老いてしまった人間は、男と女の愛の遣り取りの目撃者となる。男がロシア貴族の末裔であるかないか、女が女優を目指していたのかいないのか、ゲイが医師であり、かつアルジェリア紛争の地下組織に絡んでいるのかいないのか、そんなことはどうでもいい。

 かれらはレマン湖のほとりでひと夏を過ごし、男は女を愛しながらも愛が足りなかったために我儘な発想をして彼女を女優として大成させようとアメリカ行きを切望するけど、女は男を愛しすぎてしまったために相手の夢を壊してしまい自分が棄てられるのを恐れるためスイスに残ることを決める。ただ、男は結局のところ女を忘れることができずに12年後ふたたびレマン湖を訪れ、夢破れて相手も仲間もほんの少し残っていた活力も失ってしまったゲイと再会するけど、そこにはもう女はいなくて、おそらくその日暮らしのような恋を続けているに違いないと、取り残されたふたりは過去を回想することしかできなくなってしまってる。

 なんてまあ、寂しい映画なんだろう。

 恋をしているとき、人は生気に満ち溢れてる。

 レマン湖をゆく船の上でパンティを脱いで「これをわたしだとおもって」とかいって、さりげなく男のポケットに突っ込むのも、恋をしているから官能的な遊びに感じるけど、そうじゃなかったら、ただのアホ臭い行為でしかない。そんな官能のくすぐり方やくすぐられ方もさることながら、どうしてパトリス・ルコントは寂しくも儚い中年男の回想にしか興味がないんだろ?ルコントにとって男っていうどうしようもない生き物は、テーブルの下で絡んでくる女の脚に官能を疼かせ、彼女の育った部屋で彼女のすべてを知ることにかぎりない喜びを感じ、彼女の美しさも愚かしさもなにもかも冷静に観ている親族の言葉を無視し、ひたすら相手に溺れ、恋をする自分に自己陶酔し続けるしかない存在なんだろか?

 ま、そんなことをおもいながら映画を愉しんだけど、まわりの自然や衣装や調度や車や街の美しさがあるから、サンドラ・マジャーニの容貌と肢体が際立つんで、ロケーションの大切さを、ルコントはこれでもかってくらいに語ってくれる。それにしても、きぬぎぬの朝に流すサンドラ・マジャーニの涙はなんとも印象的で、彼女がいかにイポリット・ジラルドを愛しながらも、男の夢に自分が組み込まれてしまうことに恐れ、戸惑い、失望し、これが最後の交合なのよって囁こうとしているかをその涙だけで表現しちゃうんだから、たいしたもんだよね。いや、まったく、唐突な別れほど、相手を忘れられなくするものはないってことを、中年男の指南役ルコントは、よく知ってるわ。

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インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア

2013年06月23日 20時12分06秒 | 洋画1994年

 ◎インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア(1994年 アメリカ 124分)

 原題 Interview With The Vampire

 staff 原作・脚本/アン・ライス『夜明けのヴァンパイア』

     監督/ニール・ジョーダン 撮影/フィリップ・ルースロ

     美術/ダンテ・フェレッティ 特殊メイク/スタン・ウィンストン ミシェル・バーク

     衣裳デザイン/サンディ・パウエル 音楽/エリオット・ゴールデンサル

 cast ブラッド・ピット トム・クルーズ クリスチャン・スレイター アントニオ・バンデラス

 

 ◎クリスチャン・スレイターに捧ぐ

 学生の頃、萩尾望都の漫画が好きで、中でも『ポーの一族』は大好きだった。この映画を観てておもいだしたのは、その一篇『メリーベルと銀のばら』だ。筋立ては異なるけど、印象はほとんど同じだった。ヴァンパイアたちが歴史の陰でひっそりと生きていたっていう発想は、どうやら、洋の東西を問わずに同じものらしい。死なないっていうことは人類の憧れでもあるけど、それはそのまま恐怖の対象になる。死ぬことも恐怖なら死なないことも恐怖だけど、ぼくだったら、たとえヴァンパイアになっても生きていたい。そんなふうに、誰もがヴァンパイアをとおして生死について考えがちだ。

 ただ、この映画が封切られたとき、ぼくは勘違いしてて、全編を通してインタビューだらけのものにちがいないと思い込んでた。だから、クリスチャン・スレイターがもっと出てくるものと信じてた。でも、そうじゃなかった。早とちりもいいところだけど、ヴァンパイア諸君は、みんな、一見の価値があるくらい美しかった。まあ、欲をいえば、ラストのどんでん返しっていうか、お決まりの死人復活劇のために前後のインタビューが作られてるんだとしたら、なんだかな~っておもっちゃう。もうちょっとクリスチャン・スレイターに、ヴァンパイアの歴史と実在について深いところまで探ってほしかったかな~と。

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34丁目の奇跡(1994)

2012年12月24日 18時17分57秒 | 洋画1994年

 ◎34丁目の奇跡(1994年 アメリカ 114分)

 原題 Miracle on 34th Street

 監督 レス・メイフィールド

 出演 リチャード・アッテンボロー、エリザベス・パーキンス、ディラン・マクダーモット

 

 ◎In God We Trust

 あまりにもアメリカ的な物語だけど、嫌いじゃない。我々は神を信じるというモットーを米国民が持ち続けるかぎり我々は同様にサンタを信じるというのが主題ってことになるんだけど、だからといって主人公の正体についてかなり曖昧なままお茶を濁した観に見えなくもない。こういうあたりは現代社会においては仕方のないことかもしれないね。でも、ちょっとばかり辛いところかな。

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レジェンド・オブ・フォール 果てしなき想い

2008年12月11日 01時07分03秒 | 洋画1994年

 ◇レジェンド・オブ・フォール 果てしなき想い(1994年 アメリカ 132分)

 原題/Legend of the Fall

 原作/ジム・ハリソン『Legend of the Fall』

 監督/エドワード・ズウィック 脚本/スーザン・シリディ、ビル・ウィトリフ

 製作/エドワード・ズウィック、ビル・ウィトリフ、マーシャル・ハースコヴィッツ

 撮影/ジョン・トール 美術/リリー・キルヴァート

 衣装デザイン/デボラ・スコット 音楽/ジェームズ・ホーナー

 出演/ブラッド・ピット アンソニー・ホプキンス ジュリア・オーモンド カリーナ・ロンバード

 

 ◇20世紀初頭、モンタナ

 ふと、おもったんだけど、日本の田舎でもこの映画はそのまま成り立つんじゃないかと。

 とある田舎に大地主の家があって、まあ、時代は明治から大正にかけてのあたりで、三人の息子をもった豪農がいたとしよう。

 その末っ子が許嫁をつれて家に来るんだけど、そのとき、長男も次男もそろってその美貌に惑溺しちゃうんだ。で、兄弟三人がいっぺんに日露戦争とかに出征しちゃって、まったく不運なことに三男坊が死んじゃう。当然、許嫁は泣き崩れるんだけど、それを次男が慰めちゃう。ところが、次男は彼女を家に残したまま、海外に行っちゃうんだな。このあたりは次男がヒロイズムに包まれてるんで仕方ない。

 で、しばらくして帰郷すると、村から町へ出た長男は事業で成功して、議員にもなって、許嫁も嫁にしてる。父親だけが村に残ってて、しかも足を悪くして動けず、老い耄れてる。そこへちょっとわけありな女が流れてきて次男とできちゃうんだけど、次男が警察沙汰になったとき、その女が流れ弾で死に、次男は牢に繋がれちゃうんだ。すると、長男の嫁になったはずの許嫁が面会に来て、恋慕の情を告げるんだな。

 けど、次男が拒絶しちゃったもんだから、行き場もなくなった許嫁は自殺しちゃう。なんだか大変な状況になったところへもって、次男がさらに女を撃ち殺した警官に復讐しちゃったもんだから、事はいよいよ大変になるんだけど、これを父親と兄が救うわけだ。で、次男はふたたび海外へ向かうんだけど、ここで大団円。

 あらま、日本に置き換えても十分に兄弟の骨肉の恋愛劇になっちゃうのね。

 ということは、結局のところ、20世紀の初頭という時代は、どこの国でも似たような大家族がいて、社会はなんとなくキナ臭くて混沌としてるってことなのかしら?

 でも、それは同時に、似たような物語もまた作り易いってことなんだよね。

 ま、そんなことはいいけど、アンソニー・パーキンスはやはり好いわ~。ブラッド・ピットはもうすこし野性味があってもいいかなって気がした。ま、そんなことはなにもかも吹き飛ばしちゃうくらい、画面は美しく、このために感情を抑えた演出にしてるって感じだったけどね。

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未確認生命体 M・A・Xマックス

2008年06月02日 19時14分22秒 | 洋画1994年

 △未確認生命体 M・A・Xマックス(1994年 アメリカ 87分)

 原題/Man's Best Friends

 監督/ジョン・ラフィア 音楽/ジョエル・ゴールドスミス

 出演/アリー・シーディ ランス・ヘンリクセン フレデリック・レーン

 

 △バイオテクノロジーで誕生した犬兵器

 獣人交婚にはならないんだろか?

 いやまあ素朴にそうちょっぴりおもっただけで。

 忠実な友達の筈が、異常なストーカーと化す犬と女と博士の物語は、誰もが想像するとおりに運ぶ。動物愛護のヒロインが、もう少し頭が良くて行動的であれば別な展開もあったろうにな~と、筋立てと演出のいまいちさが、ぼくとしては残念なんだよね。

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ショーシャンクの空に

2007年09月13日 17時08分10秒 | 洋画1994年

 ◇ショーシャンクの空に(1994年 アメリカ 143分)

 原題 The Shawshank Redemption

 原作/スティーヴン・キング『刑務所のリタ・ヘイワース』

 監督・脚本/フランク・ダラボン

 撮影/ロジャー・ディーキンス 美術/テレンス・マーシュ

 衣装/エリザベス・マクブライド 音楽/トーマス・ニューマン

 挿入曲/ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト

 『歌劇・フィガロの結婚』第3幕「手紙の二重唱」やさしいそよ風が(1786年)

 出演/ティム・ロビンス モーガン・フリーマン ウィリアム・サドラー ボブ・ガントン

 

 ◇希望とはいいものだ

 作品の中で映画が上映される。それが、リタ・ヘイワース主演の『ギルダ』だ。彼女は赤毛がトレードマークだったんだけど、もともとは濃い茶色で、映画デビューの際に染めたものだ。マリリン・モンローの前にセックス・シンボルとして爆発的な評判をとった。

 作品中、モーガン・フリーマンがあだ名を聞かれて「Red」と答えるところがある。アイルランド系だからさと付け加えるんだけど、姓が「Redding」だから当然そうなる。とはいえ、原作でも重要な鍵になってるリタ・ヘイワースに掛けてるとも考えられないかしら?ま、どうでもいいことなんだけどね。

 ちなみに、活字の読めないぼくにしては珍しく、昭和の終わりから平成の初めにかけて、読み耽った作家がいる。それがスティーヴン・キングで『刑務所のリタ・ヘイワース』も読んだ。原作を読んだときはそれほどおもしろいともおもわなかったんだけど、スティーヴン・キングはなんでかわからないけれど、前面にホラーが押し出されてない小説が映画化されたとき珠玉の作品になる。ふしぎだな~っておもうわ。ま、それもどうでもいいことだ。

 ただ、ぼくにはよくわからないことがある。

 なんで、この作品が大絶賛されるのかってことで、たしかに悪い出来ではないし、こぢんまりとした良質の作品ではあるけれど、人がいうほど凄い出来なんだろうかと思ってしまうのは、ぼくがひねくれているからなんだろうか?極限情況からの脱出という活劇要素は低いけど、人間の我儘と心の裏表を微妙かつ皮肉を込めて紡いでゆく過程は。地味ながら実にうまい。

 終身刑にされていた人間が恩赦で放り出されたとき、もはや年を取りすぎてて、外に出ること自体が恐怖になるという皮肉、かつ、外に出て生きていくことそのものが最大の罰という皮肉の積み重ねはあまりにも哀れで、そこに希望はない。希望を得るには資金が必要で、それをどうやって手に入れるかが問題で、それについて爽快感はあるし、ラストだけようやく青空になる解放感もあるけど、そのあたりのことをすべてひっくるめて考えても、ぼくには感動という言葉とはちょっと異なる映画におもえたんだけどな~。

 もちろん、人はそれぞれなので、ぼくみたいな風変わりな人間の感想なんか、どうでもいいことなんだけどね。

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ブルースカイ

2007年07月07日 18時22分26秒 | 洋画1994年

 ◇ブルースカイ(1994年 アメリカ 101分)

 原題/Blue Sky

 監督/トニー・リチャードソン 音楽/ジャック・ニッチェ

 出演/ジェシカ・ラング トミー・リー・ジョーンズ クリス・オドネル パワーズ・ブース

 

 ◇Blue Skyの意味

 青空、とかいうのはたしかに意味のひとつなんだけど、この場合、もうすこし他の意味がありそうだ。で、やっぱりあった。Blue Skyは、とくにアメリカだと、漠然とした、とか、具体性のない、とかいう意味を持つ。そこから発展して、無価値、無駄、非実用的、とかいう意味になるらしい。なるほど、だったら、この映画における題名はなにを指してるんだろう?

 トミー・リー・ジョーンズの演じた、うすぼんやりした夫なんだろうか?

 それとも、ジェシカ・ラングの演じた、お色気たっぷりのちょっとキレ気味の妻なんだろうか?

 どちらも無価値な人間のようにおもえるんだけど、この夫は、それでも、原爆実験に巻き込まれて被爆したカウボーイを放っておけず上司に立ち向かうし、この妻は、その上司と浮気をしながらも、陰謀によって精神病院に送られて廃人扱いされる夫のために戦うんだから、漠然と無駄な人生を送っているような人間でも、ときとして、真っ青な空のように晴れ晴れとした人生の一時に立つことができるっていうような主題が、この題名には秘められてるんだろね。もちろん、いつの時代も軍部は真実を隠蔽したがるという寓意もあるんだろうけど。

 ただ、この映画、4年間もお蔵入りしてた。ジェシカのアカデミー賞はたしかに好演ながら、諸事情からお蔵入りしていた事への反発その他があったようにも想えちゃう。ま、反核っていう問題を、家族映画にしちゃう手腕はたいしたもんだ。

 ちなみに、監督のトニー・リチャードソンは、バネッサ・レッドグレイヴの元夫だ。となると、いよいよ、反核の主題が濃厚になってくるんだけど、残念なことに映画が公開される3年前に亡くなってる。封切を見てから真っ青な天に上りたかったんだろうにね。

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