Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

羊たちの沈黙

2007年06月30日 00時45分45秒 | 洋画1991年

 ☆羊たちの沈黙(1991年 アメリカ 118分)

 原題/The Silence of the Lambs

 監督/ジョナサン・デミ 音楽/ハワード・ショア

 出演/ジョディ・フォスター アンソニー・ホプキンス スコット・グレン テッド・レヴィン

 

 ☆バッファロー・ビル

 事件そのものがそれほど難しいものでもないし、物語の構成もさほど目新しいものは見られない。

 ところが全体を包み込んでる異様さはこれまでの映画にはほとんどないものだった。ことにレクター博士の異常っぷりには目を瞠った。

 ただ、この原作を書くのに、トマス・ハリスは6年間もかかったらしい。報われたからよかったようなものの、これがものにならなかったら、まじな話、大変とかいう次元じゃなかったろうね。

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海は見ていた

2007年06月29日 01時30分09秒 | 邦画2002年

 ◇海は見ていた(2002年 日本 119分)

 監督・脚本潤色/熊井啓 脚色/黒澤明 音楽/松村禎三 山本純之介

 出演/清水美砂 遠野凪子 永瀬正敏 吉岡秀隆 野川由美子 石橋蓮司 奥田瑛二

 

 ◇山本周五郎『なんの花か薫る』『つゆのひぬま』より

 追悼、熊井啓。

 黒澤明の遺稿を熊井啓が演出したっていうのが売りだったんだけど、じゃあどっちの映画なんだといえば、熊井啓の映画だろう。

 黒澤が『雨あがる』と『海は見ていた』のどちらを先に撮りたかったのか、ぼくにはわからないけれど、前者は川の氾濫、後者は岡場所の洪水と、どちらも豪雨を原因にする水が関係してる。

 なんで水だったんだろう?

 黒澤にとっての雨は昔から重要な要素だったけれども、最後までなんでそこまで水にこだわったんだろう?

 この水について、熊井啓はどう表現したかったんだろう?

 物語自体は他愛もない話で、問題になるのは最後の洪水だ。それをどうしたかったんだろうって、おもった。

 ただ、もともとのキャスティングは宮沢りえと原田美枝子だったらしい。このふたりが出演していれば、相当ちがった印象だったろう。

 悔やまれることといえばそれだけど、ま、いいか。

 ところで、熊井啓はおそらくとっても生真面目な人で、たしかに岡場所というか娼婦たちの生態や人生については、相当な憐憫や惻隠の情をもって見つめてきたにちがいない。

 当然、この登場人物たちにも思い入れはつよくなる。

 ただ、この映画は、黒澤の単純明解予定調和な物語をどれだけ艶っぽく出来るかというのが見所で、どこまでも粋に行かなくちゃいけなかったはずなのに、愛情の量が多すぎると、なんとなく垢抜けないものになりかねない。

 で、どうだったかっていうのは、見る人の考えることだわね。

 あとひとつ、CGが多用できないためか、それとも、大掛かりな水のセットを組めなかったためか、大水のカットが妙に浮いてしまうのはわかってたことだけど、残念だ。

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殺陣師段平(1962)

2007年06月28日 16時34分00秒 | 邦画1961~1970年

 ◇殺陣師段平(1962)

 監督/瑞穂春海 音楽/高橋半

 出演/市川雷蔵 中村鴈治郎 高田美和 田中絹代 山茶花究 上田吉二郎 須賀不二男

 

 ◇長谷川幸延『殺陣師段平』より

 大正初年、新国劇創立。

 もともと、黒澤明の脚色による映画は、1950年にマキノ雅弘が月形龍之介と市川右太衛門で撮ったものだ。

 これが興行的に成功したんだけど、マキノ雅弘としては不満があったんだろう。それでみずから脚本を書いて『人生とんぼ返り』と題して、森繁久彌と川津清三郎で撮った。

 残念なことに、ぼくはこの2本を観てないから、どんな映画だったんだろうっていう想像しかできない。

 だから、黒澤明の脚本がどのように改訂されて、本作が撮られたのかも、まるでわからない。たぶん、ほとんど手は入れられてないとおもうんだけど、どうなんだろう?

 内容は、いわずとしれた沢正こと沢田正二郎が、松井須磨子の芸術座を脱退して新国劇を旗揚げしたものの、いっかなふるわず、女と酒に目がなかったせいで落ちぶれた酔いどれ殺陣師市川段平と巡り合い、やがて「右に芸術、左に大衆」を合言葉に隆盛をきわめていくものの、立ち回りだけでは駄目だと感じて他の演劇に走る沢正と、殺陣のみに生きる段平との軋轢が生じ、やがて段平は死の床で一世一代の新しい殺陣を見せるというもので、まあ、いわゆる男の生きざまの真骨頂のような話だ。

 ただ、流石、大映。装置が見事なんだよね。

 女髪結い『村瀬』の店舗住宅は、正に写実そのものだ。田中絹代も地味な良い芝居だし、段平役の鴈治郎をはじめ、沢正の神経質なところを眼鏡姿の雷蔵がぴりぴりと演じてる。新人の高田美和もとっても可愛らしくていい。

 でもなあ、おしむらくは主役二人の絡みがちょっと希薄なんだよね。

 あ、ちなみに。いわずもがなのことながら、この作品がなかったら、丹下段平の登場する『あしたのジョー』は、産声を上げなかったんじゃないかっておもうんだけど、そんなことはないのかしら?

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北海ハイジャック

2007年06月27日 01時38分58秒 | 洋画1971~1980年

 △北海ハイジャック(1979年 イギリス 95分)

 原題/North Sea Hijack

 監督/アンドリュー・V・マクラグレン 音楽/マイケル・J・ルイス

 出演/ロジャー・ムーア アンソニー・パーキンス ジェームズ・メイスン

 

 △ジャック・デイヴィス『ffolkes』より

 イギリス、北海油田。

 軽いタッチの洋上活劇をめざそうとしたんだろうけど、ロジャー・ムーアの猫好き酒好き堅物貴族てな設定がまったく生きてなくて、製作者の自己満足にしかなっていない。

 英国北海油田に爆弾を仕掛け、占拠して身代金を要求するっていうありがちな物語を、実際の油田で大掛かりなロケを敢行してるものの、そんなことするくらいならもうすこしまともな人物設定をして、無理な軽やかさなんて出そうとしなければよかったのにね。それにしてもロジャー・ムーア、意外に小さいな。

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マトリックス

2007年06月26日 01時46分06秒 | 洋画2002年

 ◎マトリックス(2002年 アメリカ 136分)

 原題/The Matrix

 監督・脚本/アンディ・ウォシャウスキー ラリー・ウォシャウスキー

 音楽/ドン・デイヴィス

 出演/キアヌ・リーヴス ローレンス・フィッシュバーン キャリー=アン・モス

 

 ◎エナメルな兄弟

 ある意味、この作品は映画史の革命だった。

 なにがそうかって、やっぱりバレットタイム(マシンガン撮影)だろう。とはいえ、封切り当時はそんな映像だけが喧伝されてたけど、なかなかどうして、物語の構成と展開はかなり出来がよく、色褪せる事がない。

 すくなくとも、ぼくはそうおもってるんだよね。

 物語の構成や内容についてはいまさらここで書いても仕方ないんだけど、人間牧場以来の普遍的な主題ながら見事に大衆芸能化し、レトロかつ濃厚なフェチ世界を構築してる。

 別な言い方をすれば、物語自体は決して新しいものではないし、SFとしては新たな発見や衝撃はなかったんだけど、それがワイヤーアクションやアニメを元にしたカット割りなど、随所に見られる新鮮味と、数寄者好みの衣装と世界観が完成されてるんじゃないかと。

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どぶろくの辰

2007年06月25日 02時09分23秒 | 邦画1961~1970年

 ◇どぶろくの辰(1962年 日本 115分)

 英題/Tatsu

 監督/稲垣浩 音楽/石井歓

 出演/三船敏郎 三橋達也 淡島千景 池内淳子 土屋嘉男 田崎潤 堺左千夫 小杉義男

 

 ◇中江良夫『どぶろくの辰』より

 土方でも、東宝は品が良い。

 ポスターのコピーは、

「豪快無比!大原野に炸裂する男性活劇巨篇!」

 ま、たしかに。

 もともとは中江良夫が新国劇の舞台のために書いた戯曲だそうな。それを田坂具隆が、大映で辰巳柳太郎主演の作品を撮り、さらにそれをリメイクしたのが本作ということになる。

 まあ、作品の系譜はそういうことだが、

「三船さんが中心となっていた時代の東宝は健全な活気があったんだな~」

 と想わせる肉弾相打つ明朗健全土方活劇だ。

 飯場もまるで汚らしいところはなく、悪役もまるで憎めず、みんな妙に垢抜けてて、風流だったりしてる。有島一郎の尺八がまさしくそれだ。

 まあ、三船敏郎が柄にもなく色恋に嵌まり、それも人妻に横恋慕し、ダイナマイトに火をつけて迫るなんていう度外れた面もあったりして、時間に余裕があるときには一度くらいはおさえておきたい感じもある。

 けどまあ、時代性っていうんだろか、いまではこんな飯場も飲み屋も見られない。

 日本の通過してきた道をほんわか鑑賞するにはいいかもしれない。

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雨あがる

2007年06月24日 11時22分44秒 | 邦画1991~2000年

 ◇雨あがる(2000年 日本 91分)

 監督/小泉堯史 脚本・題字/黒澤明 音楽/佐藤勝

 出演/寺尾聰 宮崎美子 三船史郎 仲代達矢 原田美枝子 井川比佐志 檀ふみ

 

 ◇山本周五郎『雨あがる』より

 1998年9月6日、黒澤明、没。

 正直、黒澤に撮ってもらいたかった。

 いつでも撮れるように準備されていたという作品だと知ったときから、どうしても黒澤が撮った『雨あがる』が観たくなってたからだ。

 ぼくが銀幕で黒澤作品に出合ったのは高校2年のときで、それまではテレビで『羅生門』と『七人の侍』を観ただけだった。それも、中学生のときだったからそんな印象も深くなく、ちょうどその頃『デルス・ウザーラ』も公開されたんだけど、なんだか観る気がしなくて、結局、大学になってから文芸地下で観た。

 まあ、高校から大学にかけて、ぼくは熱狂した。ちょっとおかしいんじゃないかってくらいの入れ込みようだった。

 ただ、そんな黒澤の晩年の作品については、まあいいたいことはあるけど、それでも『雨あがる』は黒澤の演出で観たかった。

 だからといって、小泉版『雨あがる』がどうとかいうわけじゃない。

 晩年の黒澤の絵はこんなふうになったのかもしれないな~ともおもった。ある意味、師の遺作を受け継いで撮り上げなくちゃいけないってのは、相当なストレスだったんだろうっておもうし、この作品が黒澤を野辺に送るものになったんだろうなあともおもえる。

 まあ、優しいだけでは生きていけないけど優しくないのは駄目だという主題が、ちょっとばかり厭味な感じで圧しつけられているような気もしないではない。優しさが欠点になっている人間が、克服も反省もせずに妻が開き直るというのが正解かどうか。ほんのちょっとだけど、そんなこともおもった。

 ただ、黒澤明のヒューマニズムは、山本周五郎のそれに近いんだろうし、一連の黒澤作品から漂ってくるものはみんな共通してる。そういう意味でいえば、ほぼまちがいなく、この作品は、黒澤の第2の遺作かもしれないね。

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豪姫

2007年06月23日 12時26分28秒 | 邦画1991~2000年

 ◇豪姫(1992年 日本 142分)

 監督/勅使河原宏 音楽/武満徹

 出演/仲代達矢 宮沢りえ 三國連太郎 松本幸四郎 真野響子 井川比佐志 山本圭

 

 ◇富士正晴『たんぽぽの歌』より

 1634年6月18日、豪姫、没。

 うまく説明できないんだけど、語り口になんとなく違和感があった。

 前作の『利休』と似た映像美は、たしかに感じられる。でも、どことなく物足りない。なんでかはわからないんだけどね。

 背景も物語も激しくうねっている筈なのに、展開の仕方になにか勘違いがあったために失速したんだろうか?

 豪姫がどんどんありきたりの女性になっていってしまうのが、ことに残念。

 まあ、ぼくたちが戦国乱世の姫に憧れるのと、当時の姫の実際とはおおきく異なっているだろうし、そこに、原題的な味付けをしようとしても、人生そのものが決まっているから、なかなか難しいかもしれない。

 でも、古田織部を「おじい」と呼んで慕っていたという設定は悪くないから、そのつながりからいえば、高山右近ともっと昵懇にして余計な人物をあてがわない方が好かったんじゃないじゃないだろか。

 秀吉の養女として奔放に生きた青春時代を送ったんならなおさらのこと、きまじめの極致、宇喜多秀家との結婚を臍にして、少女から女へ変貌を遂げていくさまを、宮沢りえにはもっと演じてほしかった。

 衣装も装飾も豪華なもので、なんにもいうことはないのに、なにかがちがうような気がするんだよな~。

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利休

2007年06月22日 01時44分44秒 | 邦画1981~1990年

 ◎利休(1989年 日本 135分)

 監督・企画・生花・カメオ出演/勅使河原宏 音楽/武満徹

 出演/三國連太郎 山崎努三田佳子 松本幸四郎 中村吉右衛門 山口小夜子 細川護煕

 

 ◎野上彌生子『秀吉と利休』より

 ドナルド・リチーまで出演してるぞ。

 勅使河原宏の人脈の広さをまざまざと見せつけられる。

 それと、豪華絢爛ながらも侘び茶をよく心得た演出は、さすがというほかない。

 夜明け前の朝露に濡れた椿といい、水盤に散る梅といい、これもまた、さすが、草月流の家元だけあって見事というほかない、てなことを素人のぼくが口にことすら憚られるよね。

 ただ、人物描写については、いろいろな批評があるだろう。やけにリアルというか、あまりに生臭すぎる秀吉と利休だったしね。ぼく個人としては、人間臭いところが好きだからいいんだけど。

 まあそのあたりは演出家の趣味なわけで、そういう人物設定が気に入るかどうかは観客それぞれだ。

 そうしたことは、衣装にも、装飾にも、いえる。絢爛たる桃山時代の頂点といっていい時代と舞台なんだから、豪華にならざるをえないよね。

 そんな世界の中に、なまぐさくて仕方のない主役ふたりがいるわけで、このアンバランスさはひととおりじゃない。

 やっぱりそのあたりの不均衡ぶりってのは、生け花に通じるのかな?

 生け花の芸術性は、不均衡な安定にあるんじゃないかとおもうことがある。ひとつひとつはとんでもなく捻じ曲がっているのに、それが大きなひとつの作品として仕上がったときには、すべての花や茎がふしぎな均衡と調和に包まれている。

 この映画も、そんな匂いがあるんだわ~。

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千利休 本覺坊遺文

2007年06月21日 00時45分23秒 | 邦画1981~1990年

 ☆千利休 本覺坊遺文(1989年 日本 107分)

 監督/熊井啓 音楽/松村禎三

 出演/三船敏郎 萬屋錦之介 奥田瑛士 加藤剛 芦田伸介 上條恒彦 東野英治郎

 

 ☆井上靖『本覺坊遺文』より

 天正19年2月28日、利休切腹。

「死ではなくなる。無ではなくならん」

 これはいったいどういう意味か、ということが主題だといっていい。

 実は簡単な謎解きなんだけど、映画で結論は出していない。

 まるで、利休が本覺坊をつきはなすように、

「その答えは、おのれひとりで出すものだ」

 とでもいわれているような気分になる。

 師として、また、矜持を持ち続けたひとりと男として、利休は描かれている。利休の死についての謎は、もちろん、わからないままだ。けれど、そこに断固たる意地のようなものがあったであろうと、井上靖と熊井啓はいっている。

 それを三船敏郎は、茶の手前だけでなく、茶掛けに榊で水を飛ばすさまで、たしかなものとして表現した。おそらく、三船敏郎を除けば、日本映画界には誰もできなかっただろう。

 加藤剛の古田織部はちょっとばかり生真面目すぎて、たしかに死の盟約を交わす者のひとりとしては上出来だけれど、織部という偏屈な人間をおしだすにはちょっと出来がよすぎる。

 萬屋錦之介は、この映画が遺作になった。佳境、床の上で、まるで前田利家の最期のように、まぼろしの脇差を手にして切腹の見立てをし、そして死を迎える。

 利休の死の謎を解き明かしたのか、それともそれは幻想だったのか、おそらく本人にもわからないまま死を迎えることになるけれども、

「わしは切腹はせぬよ。切腹はせぬが、茶人だよ」

 枯れた風情ながら、やはり得意の台詞まわしでいいきった錦之助の、東映で時代劇の若として君臨した錦之助の、遺作にふさわしいものだった。

 やけにものわかりのいい知的で文化的な秀吉を演じた芦田伸介も、東野英治郎も、上條恒彦も、奥田瑛二も、誰もが与えられた役をしっかりと演じているのがひしひしとわかり、それに競うようにもっていった熊井啓の演出も好い。

 画面は芸術的というより枯れた佇まいをしっかりと捉えながら、利休の切腹を表現する桜吹雪は一挙に幻想的な芸術性を見せつける。

 音楽も、安土桃山時代の音とはおもえない現代的な印象ながら、結局のところ、登場人物たちの内面の音を奏でている。

 80年代の傑作のひとつといっていいかもしれないね。

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スターリングラード

2007年06月20日 01時50分35秒 | 洋画2001年

 ◎スターリングラード(2001年 アメリカ、ドイツ、イギリス、アイルランド 132分)

 原題/Enemy at the Gates

 監督/ジャン=ジャック・アノー 音楽/ジェームズ・ホーナー

 出演/ジュード・ロウ ジョセフ・ファインズ レイチェル・ワイズ エド・ハリス

 

 ◎ウィリアム・クレイグ『Enemy at the Gates』より

 現在の地名はヴォルゴグラード。

 その地で、1942年6月28日から1943年2月2日まで戦いがあった。世にいうスターリングラード攻防戦で、この映画はそこで行われた狙撃戦の実話が小説化され、それを映像化したってことになってる。

 けど、この実話っていうのが微妙で、攻防戦において257名を射殺したっていうソ連の狙撃兵ヴァシリ・ザイツェフと、ドイツの狙撃学校教官エルヴィン・ケーニッヒの息詰まるような戦いっていうふれこみなんだけど、実はソ連側にしかその資料はない。

 そもそもドイツ側に狙撃学校はなかったし、ケーニッヒっていう少佐も確認できない。つまり、ザイツェフの名誉をつくりあげるための創作だったみたいなんだけど、どうやら、原作はそのでっちあげた資料をもとに書かれたんだろね。

 こういうのはソ連ではありがちなことだったかもしれないけど、ヴァシリ・ザイツェフが実在している分、ちょっとかわいそうかもしれない。

 ただ、だからといってこの映画がつまらないかといえば、そんなことはないし、映画としての出来は決して悪くない。ことに導入部分は圧倒的で、全編英語という違和感を吹き飛ばすくらいの凄さだ。

 あ、それと、やっぱりジャン=ジャック・アノーで、レイチェル・ワイズの美しさ故に「オッケー!」と認めてしまう濡れ場は、上手だ。

 ただまあ、ジュード・ロウとエド・ハリスの狙撃手同士が西部劇のように渡り合うのは、たしかにぴりぴりした緊張感はあったけど、すこしばかり都合よすぎな気もしないではない。

 こういうところが、ソ連側の資料に頼ってしまった部分なのかもしれないね。

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天国の門

2007年06月19日 22時53分15秒 | 洋画1971~1980年

 ◇天国の門(1980年 アメリカ 219分)

 監督・脚本/マイケル・チミノ 音楽/デヴィッド・マンスフィールド

 出演/クリス・クリストファーソン クリストファー・ウォーケン ジョン・ハート

 

 ◇1892年4月、ジョンソン郡戦争

 大学時代、この作品は憧れだった。

 なんせ、製作費が4倍以上に膨れ上がり、ユナイテッド・アーチストを倒産させても尚、撮り続けて完成させたにもかかわらず、製作費4400万ドルの10分の1も稼ぐことができなかったといういわくつきの作品だ。傾斜した性格の大学生が憧れないはずがない。

 当時のつたない記憶によれば、たしかこの映画はテアトル東京で封切られたんじゃなかったかっておもうんだけどね。ぼくがシネラマを体験した最後の作品だったんじゃないのかな。

 で、あらためて観たんだけど、いやもう疲れた。必死になって撮りあげたことはたしかに評価に値するとはおもうけど、さすがに長い。だれるしつらい。

 とはいえ、イザベル・ルペール、かわいいな。長い芸歴だね。たいしたもんだ。

 ダグラス・シグモンドのカメラは惚れ惚れするけど、このつまらなさはやっぱり監督のこだわりのせいかもしれないね。

 でも、非情になって、移民とそれを駆逐しようとする全米牧畜協会との闘争に絞って、クリス・クリストファーソンとクリストファー・ウォーケンの三角関係だけを絡めて徹底的に編集すれば、おもしろい映画になるっておもうんだけどな。もったいないな。

 いや、それよりなにより、なんかこの脚本、おかしくないか?

 戦闘中にいきなり『去年の今日はパリにいた』だの『人は皆、草だ』だの『悲しいことだ』だのと嘯きながら撃たれるジョン・ハートのことではなく、殲滅されそうになってる移民たちが出鼻を挫こうとするのはわかるけど、インディアンの襲撃みたいでなんとも合理性を欠いてて、こんな戦いして撃たれてもな~って気になる。

 かれらの戦いはもちろん自分たちを守るためなんだけど、構図としては、自分たちを殺しに来たはずの殺し屋クリストファー・ウォーケンが協会に反旗を翻して孤独な戦いを開始し、なぶり殺しになっているのをイザベル・ユーペルに知らされ、それを助けに行くことで戦闘が始まるとしなくちゃね。

 で、この前座の後で、丸太戦車の攻防にならないとあかんのに、それがどうもちぐはぐなんだ。

 つまり、どうも入り込めない。

 封切り時に観たときもたぶんこういう印象だったんだろう。これはさ、要するに脚本がパンクしたんだね。共同執筆者が必要だったね。

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ワイルドシングス

2007年06月18日 01時37分36秒 | 洋画1998年

 ◇ワイルドシングス(1998年 アメリカ 108分)

 原題/Wild Things

 監督/ジョン・マクノートン 製作総指揮/ケビン・ベーコン

 音楽/ジョージ・S・クリントン

 出演/マット・ディロン ネーヴ・キャンベル デニス・リチャーズ ビル・マーレイ

 

 ◇未公開シーンが見たい

 と、誰にもおもわせるのは、もちろん、エロチックバージョンになっているからだ。

 通常、ディレクターズカットとか完全版とか未公開シーンの収録版とかつけるけど、この作品の場合、未公開シーンはすなわちエロチック場面なんである。まあ、そういう映画だからこそ、物語上になんのつながりもなく登場人物もまるで違う作品が、シリーズとして5作も作られてるんだろうけど。

 まあ、高校教師やら警官やら弁護士やらがさまざまに反覆離反結託分裂して、女子高生のレイプ疑惑から殺人まで、どんでん返しの連続で見せようとした意気込みは買おう。

 ただ、ケビン・ベーコンが製作総指揮までして作るほどの作品かどうか、ちょっとむつかしいところではあるんだけどね。

 でも、主役というのか、物語の狂言回しになる人間に焦点が定まらず、たぶん、マット・ディロンが最後まで引っ張るんだろうな~とかおもってたら、あにはからんや、超天才児だったという意外な事実を抱えたネーヴ・キャンベルと、弁護士役がまるで似合わないビル・マーレイが主要人物だったなんて、う~む、まあ、愉しんだんだからいいか。

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夜半歌聲 逢いたくて、逢えなくて

2007年06月17日 00時54分36秒 | 洋画1995年

 ◇夜半歌聲 逢いたくて、逢えなくて(1995年 香港 98分)

 原題/夜半歌聲 The Phantom Lover

 監督/干仁泰(ロニー・ユー) 製作/張國榮(レスリー・チャン)

 音楽/鮑比達

 出演/張國榮 呉倩蓮 黄磊 司徒卓漢 劉琳 張正元 周正

 

 ◇オペラ座のレスリー・チャン

 1937年に製作された馬徐維邦の『夜半歌聲』をリメイクしたものらしいけど、そのまたさらに元は、いわずとしれたガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』だ。

 ルルーの偉大さにいまさらながら感心するけど、戦前の上海映画に『オペラ座の怪人』が作られてたってのは、むろん、共同租界があったからだろね。

 もっともハリウッドの『オペラ座の怪人』とはかなり違ってて、より切ない恋愛物に仕上がってる。元ネタありと言われるのが可哀相なくらいだ。

 まあ、そんなこともあって、レスリーが映画化を望んで、みずからプロデューサーを買って出たんだろうけどね。

 実際、かっこよかったし。

 ちなみに、この映画は、北京語と広東語のバージョンがあるらしい。ぼくは知らなかったんだけど、最初からふたつの版をつくるのは香港では珍しいことなんだそうだ。

 まあ、それほど、この物語が中国中に浸透してるって証なんだろうけど、ちょっと日本では考えられない話だわ。

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フィフス・エレメント

2007年06月16日 00時49分19秒 | 洋画1997年

 △フィフス・エレメント(1997年 フランス 126分)

 仏題/Le Cinquieme element

 英題/The Fifth Element

 原作・監督/リュック・ベッソン 音楽/エリック・セラ

 出演/ブルース・ウィリス ミラ・ジョヴォヴィッチ ゲイリー・オールドマン イアン・ホルム

 声/ジャン・レノ

 

 △ダイハード宇宙版

 100億円もかけたの?!まじ?!って、ちょっとびっくりしちゃうわ。

 おバカ映画、と決めつけてしまうのはちょっと抵抗はあるけど、すくなくとも、ぼくの趣味かどうかはむつかしいところだ。

 ブレードランナーとアルマゲドンとトータルリコールのパロディ?とかおもわず想っちゃったくらいだから、いったいどこに根本からの独創があったんだろうとも感じるし。

 聞くところによれば、この物語は、リュック・ベッソンが16歳のときにおもいついたそうだ。でも、映画にかぎらず、物語を作りたいな~とかおもってる少年は、多かれ少なかれ、こんな話を中学や高校のときには考えるもんじゃない?

 ただ『レオン』の大成功によって資金ができたってのが大きかったんだろね。なんだか、いきなりお金を儲けちゃったことで気が大きくなって、どでかい屋敷を建てちゃう人間の気分に似てるような気もするわ。

 まあ、イスラム調の楽曲はなんか良かったけど、最初に虫系異星人の登場からして見る気がちょっと削がれる。発想はわかるんだけどね~。

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