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海峡

2024年11月26日 18時08分35秒 | 洋画1981~1990年

 ☆海峡(1982年 日本 142分)

 staff 原作/岩川隆『海峡』

     監督/森谷司郎 製作/田中友幸、森岡道夫、田中寿一、森谷司郎

     脚本/井手俊郎、森谷司郎 撮影/木村大作

     美術/村木与四郎 衣裳/川崎健二 音楽/南こうせつ

     主題歌/南こうせつ『友ありて』作詞:阿木燿子、作曲:南こうせつ 

 cast 高倉健 三浦友和 森繁久彌 吉永小百合 大滝秀治 笠智衆 藤田進 伊佐山ひろ子

 

 ☆1985年(昭和60年)3月10日、青函トンネル本坑全貫通

 

 無性に、この映画が好きだ。

 世の中にはいろんな人がいて、ただトンネル掘ってるだけじゃねーかといわれそうだけど、でも好きなものは仕方がない。森谷司郎の作品では『八甲田山』と双璧なくらい好きだ。だから、数年おきに無性に観たくなる。まあ、そういう映画があってもいいわけで、たぶん、ぼくの中でいちばん感受性のつよい時期に観た映画だからかもしれない。竜飛岬には行ったことがないから、この映画で描かれてる風の強さや海の荒さは想像がつかないけど、おそらく、撮影も大変なんてもんじゃなかっただろう。

 当時、ぼくはまだ大学生で、周りの連中は、ゴダールだ、トリュフォーだ、ベルトルッチだ、ルイ・マルだ、アラン・レネだと、ほんとにわかってるのかどうか怪しいものながら、いっぱしの映画通を気取ってたりしてたのに、ぼくだけが、黒澤明や森谷司郎の新作を楽しみにしてた。なんとなく時代から置き去りにされたような気分だったけど、そんなことは趣味なんだから仕方がない。サントラも買ったし、ビデオなんて何度観たかわからないくらいで、

 まあそれはこの作品にかぎらず、当時の東宝のシャシンはどれもこれもよく観た。健さんの演じるストイックな主人公の映画や、吉永さんの演じるひたむきで健気なんだけどどことなく薄幸な女性の映画や、森谷司郎の演出するどでかそうに見える映画はことのほか好きだった。ところが、ふしぎなもので、熱病のようなこの趣味はにわかに始まりわずか数年で途切れた。たぶんこの作品のあたりが頂点だったんじゃないかしらね。ただ、思春期に観た映画にはなにかしら影響されるもので、いまでも実話をもとにした物語は嫌いじゃないし、大いに興味もある。

 あ、でもさ、ここ数年、こういうたぐいの映画ってないよね。ぼくたちの世代はもう化石の世代になっちゃったんだろか?

(以上 2014年11月5日)

 

 健さんも吉永さんも若いなあ。

『黒部の太陽』からバトンタッチされるように物語が進行してゆく。健さんが龍飛岬から船を出して海底から石を掘り上げて、百万年前に海に沈んだ石を取り出していくんだけど、この調査が進められているとき、黒部では破砕帯にぶちあたっていた。どちらの現場もそうだし、おそらく日本列島はどこもかしこも破砕帯が待ち構えていて、地中に挑んでくる者たちの志をたしかめようとしているのかもしれないね。

 なんにしても、トンネル掘りの現場には熟練工の親玉が要る。そいつが現場を取り仕切ってくれないかぎり誰も動かない。それが森繁久彌で、健さんが誘う。

「津軽海峡は、ちゃんとした陸続きだったんだ。10万年くらい前まで。北海道が寒くなると、マンモスは南へやってきた」

「10万年前、マンモスが行ったり来たりしとったか」

「そこに、もう一度、人間がこの二本の足で歩いて渡れる道を造りたいんだ」

 てな感じに予告編に使えそうな会話がなされて、会議でも、この象徴的な台詞が使われる。

「津軽の海の底にトンネルを掘り、やがて本州の風を北海道に抜けさせる」

 龍飛に到着した森繁組、龍飛というのは龍が飛び上がると書くんだと、なるほど、そのとおり龍が飛び上がっとると高波を前にして怖じ気、こんなところに十年も居られるか、親方、九州へ帰ってのんびり過ごそうと騒ぐ連中に対して、

「帰りたい者は帰れ。おれぁ、残るぞ。龍が飛び上がろうが逆立ちしようが、ここまで来て、今さら逃げて帰れるか。(おれのいうことをなんでも聞いて)ついて来たんなら、もういっぺん、おれと一緒にやれ。大昔、マンモスが通った道を、わしらの手で、この本州から北海道へ風を抜けさせてやろうじゃねえか」

「行け、行くんだ。北緯41度を越えて北へ行くんだ。人間の歩いたあとに道はできる」

「マンモスが移動してる。足音が聴こえる」

 もう、マンモスと風を抜けさせるってことに集中させるしかないって感じだけど、好きだったなあ、こういう感覚が。

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札幌オリンピック

2024年11月26日 03時34分17秒 | 邦画1971~1980年

 ◇札幌オリンピック(1972)

 

 最初のカット、頭上からジャンプがフレーム・インしてきたときは、びっくりした。けど、佐藤勝の音楽はやけに明るくてイメージがきつすぎた。

 笠谷幸生とジャネット・リンは懐かしかった。でも、これって当時を懐かしむ人間だけの愉しみなんだろうなあ。氷の上をエッジが擦っていく音がやけに耳に残るのは、どういうことだろう。エッジはスケートだけじゃなく、スキーもそうで、無音の中に効果音のようにぎしゅぎしゅ入ってくるのはちょっと疲れた。

 篠田正浩の興味はどうやら選手よりも会場の整備員や報道班員といった裏方にあるようで、選手たちの買い物やファッションまで執拗に追いかけている。札幌の歴史もクラークまで遡って語られたりと、監督の興味が延々と撮されるのはどのドキュメントもおなじだが、詩歌の朗読めいたナレーションはちょっとあざとい。陶酔度が高いというのか、酩度が高いというのか。その中でも、岸田今日子の朗読する「ああ、オリンピック」がなんともしつこい。オリンピックの映画を観たいという人たちはその競技について観たいわけで、なにも裏方や選手の日常風景を観ていたいわけではないんじゃないかっておもうんだけどね。

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日本の夜と霧

2024年11月25日 12時49分55秒 | 邦画1951~1960年

 ◇日本の夜と霧(1960)

 

 ほぼ舞台劇なんだけど、台詞の失敗くらいじゃNGにできないほど予算がなかったのか、それとも大島渚は「それがリアルなんだ」というんだろうか?

 で、戸浦六宏、哲学論争で気張る。

「歌や踊りがマルクス主義とどういう関係があるんだ?ロシアやスイスの民謡を女の子と歌うことが革命となんの関わりがある?」

 映画の中でたったひとつほっとできた台詞なんだけど、この舞台劇のような大仰な台詞と長回しは、つまり、撮影期間が足りなかったってことね?長回しだし、フィルム不足だし、台詞を噛んだくらいじゃあNGは出してられないしね。

 しかし、この学生運動と戦前の青年将校たちはどうちがうんだろう?

「宗教なら信じるか信じないかの二者択一でいい。しかし、政治というメカニズムの中ではあれかこれかという押しつけはよくないとおもう。それではあらゆるエネルギーを汲み上げることはできない」

 戸浦六宏と渡辺文雄に向けられたこの台詞は学生運動にだけ向けられるものでもないような気がするんだが。ま、渡辺文雄は反論する。

「ひと握りの前衛が戦えば、あとの者はついてくるよ」

「しかしそのひと握りの前衛が前衛であるためにはあらゆる大衆の支援を必要とする。信じるか否かで切っていけば、それはもう政治じゃない。組織を抜きで学生運動は考えられないな」

 まあ、こうした主義主張のつよい自己陶酔したような台詞の応酬なんだけど、時代だけは感じるものの、映画に入り込むのは辛いなあ。

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にっぽん泥棒物語

2024年11月25日 11時34分24秒 | 邦画1961~1970年

 ◎にっぽん泥棒物語(1965)

 

 植木照男、がんばったね。

 昭和40年の作品だからカラー化が勧められてはいたもののまだまだ未熟なところもあったし製作費も嵩む頃なんだけど、この作品については、白黒が活きてる。松川事件のニュースがほんの一瞬挟み込まれるときに、なんの違和感ないからだね。

 ま、それはそれとして、当時の松川あたりをおもえば夜ともなれば真っ暗だったろうし、泥棒の林田(三國連太郎)が9人の真犯人とすれちがったときに顔がわからなくするためには画面を暗くしておく必要があったのかもしれないんだけど、やっぱり暗くてよく見えない。くわえて福島弁がわからないから、台詞がかなり聴き取れない。でもまあ、この二重苦がありながらも、おもしろかった。さすが山本薩夫。

 三國連太郎が花沢徳衛の仕入れてきた松川事件の容疑者が10万円の保釈金で出られたっていう情報に喜んだときの場面で、

「本来ならば、みんな無罪になっとるとこだ」

「無罪?それがなしておめにわかるだ?」

「おら、このまなこで、ず件の現場、はっきり見てんだ」

 このひと言から物語が俄然おもしろくなる。

 

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動乱

2024年11月24日 03時21分49秒 | 邦画1971~1980年

 ◇動乱(1980)

 

 昭和7年4月仙台から始まる。姉の手紙で脱走する展開は『銃殺』とほぼ同じ。脱走兵の永島敏行の姉が吉永小百合なんだけど、身売りサせられそうな貧農にしては小綺麗だし、訛ってないのが気になるなあ。

 そして皇道派の五一五事件。皇道派かと問われる高倉健は「自分は軍人であります。政治に興味はありません」というが、これに対して小池朝雄が「国民が豊かになるにはまず国家が豊かにならにゃならん。そのためには強い軍隊が必要だ」という。まあ、定番の理屈だね。

 満洲朝鮮国境にて匪賊と戦い、陸軍の横流しした武器で負傷した部下が「日本帝国陸軍の兵隊はいったい誰のために死ぬのでありますか?」と叫ぶにおよび、高倉健は手紙をしたためる。

『國軍の御威光は今や地に堕ちたり。我が隊にはもはや医薬品なく、弾薬なく、食糧もなく、あるは兵士の御國をおもう忠誠心のみなり。我らが兵士らは辺疆の地にありて誰がために戦い 誰がために散らんとするや。ここに至り國軍の腐敗極まれリと閣下に直訴するも我ひとりの憤激の私情にあらずしてあまねく兵士らの声なき声というなり。閣下には国権を司る君側の奸賊らを今直ちに打ち倒し、國軍の改革こそ御国に対する急務なり。もしや閣下にそのご意思なしとするならば、我ひとりといえども御国のために暴発するを辞せず、もとより我が身はこの世に生を受けしときより大御心に対し奉り、一命を捧げるべしと』

 こんな感じで第一部が終わるんだけど長い。

 で、兵営やら会議やらは議論の応酬。

「おなじ日本国民でありながら、贅沢三昧な暮らしをしている奴がいる。一方、労働者や農民はいくら働いてもその日の飯が食えない。これが正しい国のあり方だといえるのか?」

「われわれは兵隊のために血気するんじゃないんですか?国防の第一線に立つ兵隊たちの家族がどんな暮らしをしているとおもってるんです?百姓は食えないから娘を売り、それでも食えないから首吊りをする、中小企業はばたばた倒産する、全国で小作争議や労働者のストライキが頻発し、それをいいことに財閥や政治家どもが豚のように肥えている。この期に及んで迷うということは同志に対する裏切りになりませんか?」

「五一五事件は一個人として蹶起した。だがわれわれはちがう。万一の場合、陛下の軍隊に汚名を着せることになる。しかしやるべき時がきたようにおもう」

 ベクトルがまっすぐすぎないか?

 感情的になりすぎた自己陶酔度が高いようにも感じるんだけど、森谷司郎、調子よくないなあ。

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帝銀事件 死刑囚

2024年11月23日 07時12分13秒 | 邦画1961~1970年

 ◎帝銀事件 死刑囚(1964)

 

 大学の時に初見したんだけど、そのときの印象とさほど変わらない。

 山本陽子が生き残りの女性事務員の役で、かわいすぎる。笹森礼子と出てくるんだけど、もちろん、ふたりとも綺麗なんだけどさ。

 ま、それはさておき、熊井啓はこれが初監督作品だそうな。ちからがあるなあ。

 事件で使用された劇薬はアセト・シアン・ヒドリンといい、これは陸軍の特殊研究所で取り扱われていたらしい。神奈川県川崎市稲田登戸の陸軍第九研究所、通称登戸研究所で、もちろん、一般人はこの存在はまず知らない。従って、すくなくとも画家の平沢貞道には、この劇薬を入手する手だてがない。ここに関係していた傷痍軍人の少佐を演じた佐野浅夫が上手に填まってる。見事なもんで、731部隊の生き残りっていう設定なんだけど、性根の据わった感じがあって好い。佐野は叫ぶ。

「戦争責任は敗戦国だけのものか?原爆だって、国際法上、違反ではないのか?」

 昭和日報の料亭での会議で、草薙幸二郎はいう。

「犯人が帝銀で言ってたスペンサー中尉が実際におりました。それから安田荏原支店のバーカー中尉も防疫の関係者です。共犯はこの辺からかならず出てくるとおもって追ったんですが、なにしろ相手は占領軍です。どうにも入っていけないんですよ」

 デスク役の鈴木瑞穂はいう。

「われわれにいま必要なのは、想像や推理なんかじゃない。はっきりした客観的事実だ。もし、米軍に共犯者がおれば、そんなものの処分は米軍に任せておけばいい。だが、帝銀に現れた犯人はまちがいなく日本人だ。われわれがこの事件を追及する大きな意味は、日本人がおなじ日本人になぜあんな残酷な真似をしたのかということじゃないのか?」

 そのとおりだ。

「弁護団が言ってたね。ジャーナリズムが毎日、クロと書き立てる。すると、大衆は批評もせずにそれを鵜呑みにしてしまう。戦争中とまるきり同じだ。その世論の大きな暗示が鑑定人に大きく作用している。裁判官にもその影響がなかったとはいえない」

 戦後の混乱期に限ったことじゃないな。

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日本万国博(Expo'70)

2024年11月21日 22時15分36秒 | 邦画1971~1980年

 ◎日本万国博・Expo'70(1971)

 

 日本万国博(Documentary Film "Japan World Exposition, Osaka 1970)というのが、正式なタイトルなのかどうかよくわからない。

 クレジットでは『日本万国博』とだけ、ある。

 各国の風物詩のような点描から大阪天理丘陵の整地から始まり太陽の塔の顔がつけられてゆゆく家庭を経て、丁寧な手仕事による仕上げの様子、そして開会時の空撮。堂々とした正攻法の演出は、いかにも谷口千吉。くわえて、金管が鳴らされる間宮芳生の音楽がなんだかやけに好ましい。

 石坂浩二のナレーション

「1970年3月14日、アジアで初めて開催された日本万国博覧会の開幕です」

 ありきたりだが、のちに編集された『記録映画 日本万国博』のナレーションはもうすこし詳しい。

 ほお、香港は独立参加なんだね。

 このときしか歌われなかった合唱曲と梵鐘を打つ音色が開会式を盛り立てる中、いやあ、昭和天皇のご祝詞もやけに印象深いし、お祭り広場を起動させるのが名誉総裁の皇太子だっていう演出もさることながら、大阪の小学生のブラスバンドがいちばんに吹奏するのが『君が代行進曲』ってのは凄い。この国、立憲君主国家なんだとあらためておもったわ。

 新聞配達人が不要になる電送新聞というのがペルー地震を伝えているんだけど、そうかあ、ファックスは一時代を席巻したけど、令和の今はネットのニュースに取って代わられつつある。時代とはこういうものなんだよね。

 しかしそうかあ、ベトナムはパビリオンを出して参加してるけど、この時期はまだ戦争の最中なんだよね。インドシナ半島はまだまだ揺れ動いてて、それでも参加してる。大変だったんじゃないかな。てなことを考えてると、いつのまにか興味を引かれてることに気づく。淡々とした男目線ともおもえるようなドキュメンタリーなんだけど、日本人の見学の仕方もじつに素朴で、柔らかい物腰と礼儀正しさが好ましい。

 なんだか人類の進歩と調和ってのはこれくらいがちょうどよかったんじゃないかっておもえてくる。

 券売所の慌ただしさは凄まじく算盤片手の販売で、警備所もそれと変わらず、迷子探しにテレビ電話は使われたりするものの、自動化がほとんどなされていない昭和の風景がやけに懐かしい。

 人間洗濯機はなんかすごい。チリ館の前にモアイ像が展示されてるんだけど、人間洗濯機の方が注目されてる。

 アメリカ館にドジャース32番のサンディー・コーファックスのユニフォームが展示されてる。時代は変わるんだろうなあ。

 時代が変わるといえば、タイムカプセルは西暦2000年に開けられたんだろうか?あとひとつ、西暦5000年に開けられるものも埋められたらしい。白いブラジャーとパンティ、眼鏡と入れ歯とかが撮されているのがやっぱり男性目線の時代なんだろうなあ。で、そんな場面に、石坂浩二と竹下景子(ここでようやく登場な気がする)のナレーションがかぶさる。

「だけど、こんなに戦争ばっかりしてて5000年後に人間はいるのかな?」

「でも、案外、言葉も民族もひとつになって平和が来てるかもしれないわよ」

 そのあと、最後に子どもたちの朗読がなされる。

「人類がかつてないほど文化を築きつつあるこのとき、わたしたちは皆、ひとしくその恵みを受ける権利がある。お母様はケーキを絶対食べない、痩せるつもりなんですって。ぼくの村の人たちはみんな痩せている、一度でいいからお腹いっぱい食べてみたい。病気になっても心配なし、いつでもお医者さまに来てもらえる。お医者なんて見たことがない。わたしたちは戦争を知らない。今いちばんかっこいい遊びは戦争ごっこ。戦争になったらなにもかもなくなってしまう。戦争になったら僕なんかあっという間に。戦争になったら……。わたしたちの世界は明日どういうことになるか(略)」

 最後は、皇太子の閉会の辞のあと『ほたるの光の合唱行進曲』だ。すごいわ。

 ただ、ふしぎなのは『日本万国博・再編集版』という動画が存在しているのことだ。

 まるきり、ちがう。

 冒頭のアジア各地のモノクロームやら、会場建設のモンタージュやらいっさいなく、淡々と開会式、博覧会、閉会式が記録され編集されている。各パビリオンの空撮が、谷口版ではソ連館、アメリカ館の順に編集されてるんだけど、こちらはソ連館のアップはなく、アメリカ館から始まる。また、皇太子夫妻の入場の際も、皇太子殿下ならびに妃殿下がご臨場になりますとかしこまった言い方でナレーションされ、昭和天皇の臨場のときは越天楽が奏される。そういう時代なんだね。

 ま、それはそれとして。

「1970年3月14日、人類の進歩と調和をテーマに千里丘陵に開幕した日本万国博覧会。77か国、国連をはじめとする4つの国際機構、1政庁、6州、3都市、それに31の国内企業団体が参加し、会期183日の間に、内外の入場者6421万8770名を数え、万国博史上かつてない記録を残して9月13日、その盛況の内に幕を閉じました。アジアで初めての万国博を日本で開く、大阪府市、大阪商工会議所などが中心となって努力した誘致運動はその実を結んで1965年9月14日、万国博を日本で開催することが決定、その会場に千里丘陵が選ばれました……」

 という、なんともアクのないナレーションが続けられてゆく。

 たぶん、記録映画ってのは、こういうものなんだろね。

 ところが、中には啓蒙的なところもあって、広場に接して作られた展示スペースには、現代社会の持つ危機と矛盾をえぐり人間回復を呼びかける世界セクションとかあって原爆の写真を大きく展示したり、「人間性をとりもどせ」だの「人間はどこへいく」だのと大きな文字を掲げ、こんなアナウンスをしている。「人類は水爆によって太陽を、人工衛星によって月をとらえた、そのちからは巨大だ、だが、それは滅びるためのちからかもしれない、人間を幸福にするための文明は新しい不幸を生み、戦争や紛争、公害が事故、さまざまな矛盾が地に満ちている。国家、民族、宗教、階層などの違いはさまざまな差別と争いを起こしている……」といわしめたりして「調和の世界」を追い求めるように語られている。日本館「日本と日本人」では五つの塔に分かれて歴史や生活について展示がなされてるんだけど、そのひとつの塔の「悲しみの塔」には原爆の様相が京都の綴れによる展示がなされてる。圧倒的な展示だ。それで最後に掲げられるのが「答えよう いま 答えよう 明日のために あなたは すでに問われている 答えよう 自分のことばで」ていう文字パネルで終わるんだけど、いやまあ、なんか警鐘を鳴らしたり、未来を信じてたり、信じてなかったり、いずれにしてもてらい無く真正面から問題に対峙しているところとか、ほんとにまじめな時代だったんだね。ただ、ぼくはこういう展示でよかったような気もするよ。50年で取り返しが付かないくらいめちゃくちゃになっちゃったかもしれないけど。

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絞殺

2024年11月20日 15時55分13秒 | 邦画1971~1980年

 ◎絞殺(1979)

 

「…やってしまおう。…おしまいだ」

 西村晃が乙羽信子に言う。昭和五十年代の非行や家庭内暴力は戦後3番目の多さだったらしい。町内会や婦人会など、まわりの好奇な目に見られ、そのストレスに耐え切れず神経を病んでしまう。つらいだろうなあ。小金井から千住に越してきて、営んでいたスナックも移転させた。でも、変わらない。

 教師役は戸浦六宏。当時、いやらしい教師役は戸浦六宏か穂積隆信かっていう印象がある。ふたりとも憎々しげな演技が上手だった。戸浦さんの方がずる賢く、穂積さんの方がお人好しで小心なぶん卑怯さや卑屈さがよく表れてた。

 ちゃぶ台、茶だんす、家具調テレビ、レコード・コンポーネント、サイドボード、水割りセット、洋ダンス、ガラスケース入りの唐子人形、親のむつごとの声が生々しく漏れ聞こえる明かり障子とモルタル住宅、すべてが現役の昭和世界だ。

 懐かしの茅野駅。

 息子と養父殺しの娘の道行。蓼科湖畔、雪の白樺林で青姦するんだが、さらにお別れにと蓼科高原、城の平の頂きで八ヶ岳を見晴かしながらまぐあう。なんとも昭和臭いなあ。やっぱり懐かしいなあ。

「勉のしたことは、わたしにはよくわかります」

 乙羽信子の遺した書き置きにはそうあるが、新藤兼人の若者に対する言葉と見えなくもない。突破口のない、自己表現のできない、激情にかられてしまう若者に対する言葉だが、さて…。

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積木くずし

2024年11月19日 18時36分32秒 | 邦画1981~1990年

 △積木くずし(1983)

 

 いやまあ当時は不愉快で見る気もなかった映画なんだけど。非行と家庭内暴力はこの頃がピークだったのかもなあ…。

 つか、なんだか、テレビサイズだなあ。

 渡辺典子が不良に走る理由が後半にならないと見えてこないのと、前半はケンカしたりシンナー吸ったりするからってそれほど問題をかかえた非行少女には見えないのが、物語がわかっているだけに外された感じがする。ことに非行に走りつつも、母親のいしだあゆみには恋の悩みを泣いて相談するくらい良い子に見えるのがまだるこしい。途中、錦糸町の駅前を深夜にふらついて警察に捕まるとかゆーのも中途半端な気もするし。まあ、藤田まことが京都ロケに行ってるときにいしだあゆみからちからづくで金をせびろうとするところから徐々に凄くなってくるんだけどね。

 それにしても『絞殺』もそうなんだけど、子どもはたいがい部屋の中でどでかい音で、くそうるさい和風ロックを響かせる。なんで?

 しかし、あれか、これ、子どもの不良化は親に原因があって、とくにこの場合、藤田まことの浮気と夫婦のいびつな喧嘩がそうなんだけど、こうしちゃうと非行と家庭内暴力の映画ながら普遍性がなくなるんじゃないかなあ。いやそんなことより、やけに藤田まことが好い人で、なんでこんなに物分かりがいいのに浮気してるんだろう?

 で、林隆三演じる相談員に頼るしか術がないって感じなのは、ほんとうにそうしたからなんだろうか?

 話は変わるけど、穂積隆信が俳優座の第3期ってのは知らなかったわ。

 

 

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第五福竜丸

2024年11月15日 15時10分54秒 | 邦画1951~1960年

 ◇第五福竜丸(1959)

 

 今見ると、なんか身が入らない。まあ、新藤兼人の特徴のひとつなんだろうけど、やっぱりどことなく明るい。宇野重吉のとぼけた風味がそう感じさせるのかもしれない。いや、本人はいたって大真面目に演技してるかも。ま、そんなことはいいんだけど、ピカドンを見たときの船員たちの、最初の、見世物を見るような反応がやけにリアルだ。特撮が当時としては妙に上手で、これは『ゴジラ』なんかもおなじことを感じる。

 徐々に被曝状況がわかってくるのとともに、宇野重吉とその妻の乙羽信子ら家族たちに焦点が絞り込まれていくんだけど、ここもまた悲劇を煽るような演出はない。どことなくあっけらかんとした悲劇で、これもまたいい。

 ただ、主張されるところは自明だからことさら声を大にする必要は無いって新藤兼人は判断したのか、宇野重吉演じる久保山愛吉が真っ黒に日焼けして焼津に帰ってくるところから死の床に就くまで、強烈な起伏もなく語られていく。現実の写真や家族の嘆きの方がつらい。だからか、物足りなさもあるにあるけど、これでいいんだろうなあ。

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日本列島

2024年11月14日 18時50分01秒 | 洋画2023年

 ◎日本列島(1965)

 

  日本はアメリカに255の基地を提供している、ていうナレーションから始まる。これだけでも十分に衝撃的だ。

 物語は、CIDのリミット曹長が殺されたことから始まる。死体が、否も応もなくアメリカに運ばれる。これに対して日本の警察は憤るが、CIDもまた困惑する。この不可思議な事態について、宇野重吉はいう。

「米軍に圧力が掛かった事件ですね」

 では、圧力をかけたのは誰か。上層部か?

「いや。軍じゃないでしょうね。もっと強大な、おそらく…」

 捜査会議は揉める。刑事は歯嚙みする。

「被害者は日本国内で死んでるんだ、われわれにも調べる権利がある。占領下ではない。日本は独立国としてお互いに協定を結んでるんですからね。それを無視して…」

 宇野重吉の教え子のオンリーが死ぬんだけど、その蒲団の口許に包丁が置かれてる。小刀のかわりに包丁を置くしかないっていうことなんだろうけど、当時はみんなこういう風習を守っていたんだろうか?

 神奈川県稲田登戸の陸軍化学研究所が登場してくる。紙幣の贋造が為されているのは、ドイツの印刷機だと。ここで映されてるのは本物だろうか?

 黒幕は元キャノン機関の唐沢栄一郎。大滝秀治だ。悪党がよく似合うなあ。

 宇野重吉は芦川よしみにいう。

「戦後七年の間に、スパイ機関は大変な資金を稼いだんですね。それらの金は、イラン、イラク、ラオス、ベトナムなど東南アジアにまで流れていったらしい」「なんに使われたんでしょうか?」「経済攪乱による兵器、戦略物資の購入など。あの辺じゃ、内乱とかクーデタとか、いろんな事件がつぎつぎと起こったでしょう?日本でもなにが起こるかわからん。最近、どっからかまた大量の麻薬が日本に流れ込んできてる。それに、新しい偽ドルも。(略)さらにもうひとつ、極東ブランチというスパイ機関があってね、リミット事件もそこからの圧力で揉み消されたんじゃないかと(略)こうした世界中のスパイ組織が入り乱れ、絡み合って対立し、政治そのものにまでなってきているのが日本の現実です。だから怖いですよ。それが外からはなにひとつわからないんで」

 下山事件からスチュワーデス殺人事件につづく。これらがみんな一連の極東ブランチによる仕業だというのが熊井啓の主張するところなんだけど、松本清張をおもいだしたわ。

 

 

 

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東京オリンピック

2024年11月12日 16時44分58秒 | 邦画1961~1970年

 ☆東京オリンピック(1964)

 

 オリンピックは人類の持っている夢のあらわれである。

 という字幕が消えるや日輪のアップ、そしてそれと二重写しとなるように巨大な鉄球が映し出され、戦争に翻弄されたオリンピックの開催年が詠み上げられ、古めかしいビルが叩き壊され、代々木公園、体育館、国立競技場が完成し、望遠レンズで撮られたクルマとヒトとコンクリートがきゅうぎゅうに密集された東京の街にメインタイトルが重なる。そしてオリンポスの丘から始まる聖火ランナーのリレーに沿ってアジアの各地が映し出され、日本の最初は沖縄のひめゆりの塔。本州に入れば広島の原爆ドームに空撮で入り、平和公園で日の丸の小旗をふって出迎える人々のまんなかを抜け、京都の古道を、霊峰富士の裾野を聖火ランナーがゆく。開会式に登場する各国は、キューバ以外の国はあらかた隊列や足並みをそろえている。聖火が点灯されるときはもう列は乱れて選手はばらばらになって喝采を送っている。これだけでもう市川崑のいわんとすことがわかるような気になる。スローモーションが、実に良い。走る前、投げる前の緊張感がひしひしと伝わる。そして閉会式。緊張感はなくなり、解放感だけが湧き上がる。戦争が終わった光景をおもいだした。字幕が掲げられる。市川崑の言葉だろう。

「夜

 聖火は太陽へ帰った

 人類は4年ごとに夢をみる

 この創られた平和を夢で終わらせていいのであろうか」

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戦争と人間

2024年11月11日 18時08分41秒 | 邦画1961~1970年

 ☆戦争と人間 第一部 運命の序曲(1970)

 

『満蒙はわが日本帝国の生命線である』

 この映画の肝は奉勅命令だ。満鉄付属地外への出兵は天皇陛下のご命令がいる、すなわち奉勅命令の伝宣が必要だと、中谷一郎演じる河本大作は、芦田伸介演じる満洲伍代にいう。

 この満洲伍代は、甥の歓送会の席上、実業家の市来善兵衛の「蔣介石が北伐を始めるや否や日本は現地居留民の保護を名目に山東へ出兵したんだが、いや、これをもってまたぞろ中支線以南の反日感情を燃え上がらせて、おまけに北京の張作霖が負けるとなると、中南支はおろか満洲からもなんの収穫も期待できなくなるわけだ。よほど慎重にやってもらわんと」という慎重な意見に「いかんいかん、そんな弱腰じゃ」と活を入れ、在留邦人の生命財産が実際に侵されようとするときに、外務省の舌三寸や片々たる文書でこれが守れますかねと前置きし、昭和映画史に残る名台詞をぶっ放す。

「軍人さんの出番なんだよ」

 芦田伸介の演技は特出すべきもので、北京の軍人や浙江財閥の要人とホテルへしけこんで情報を得ている謎の酒店オーナー岸田今日子が、太腿に足をからませて「ね、日本軍は山海関に出兵するの?」と尋ねたときも「しなけりゃ出させるまでさ」と嘯く。これに「どうやって?」と岸田今日子が被せれば、その股間に膝を突っ込んでみせる。岸田今日子も大した玉で「こうやって?」と股をしめれば、芦田伸介「そこのホテルに部屋をとってある。ひさしぶりにひと汗かかんか?」岸田今日子「いいわね」となるが、なんとまあおとなのやりとりだろう。そこへ現れるのが奉天総領事館の石原裕次郎なんだが、芦田伸介はいう。なぜ、こんにちまで満蒙の未解決問題を山積させておくのかね、あんたがたに任せておいたんでは満洲の夜明けは来ないねと。石原裕次郎は余裕を見せる。

「あなたがたのやり方では満洲の夜明けは血で染まりはしませんか?」

 むつかしいところだ。伍代の次男中村勘九郎は、貧しい人の多さを嘆くが、総帥滝沢修はそのとおりだと頷くが、しかし、と息子を諭す。

「貧しい人は確かに気の毒だ。しかし、貧乏をするにはそれだけの理由がある。はじめから金持ちの人間はいない。人生の終わりまで貧乏なのは、その当人に責任の大半があるということだ。貧乏人が多いということは、国が貧乏だということだ。だから日本は豊かになろうと考えている。豊かになるにはそれに必要なちからを持たなければならない。今、日本の貧乏を解決するには、貧乏を泣くことではない。日本に当然の権利のある満洲をどしどし開発して、日本から貧乏をなくすように努力することだ」

 滝沢修がいうとどんな強引な意見でも妙な説得力があるなあ。

 ま、それで柳条湖事件。関東軍司令部に総領事館から石原裕次郎到着、軍出動命令について統帥権の発動を取りやめてもらいたいと交渉。しかし、領事館は関東軍の統帥に容喙干渉しようというのか、それが領事館の方針か。総領事代理があきらめて帰ろうとするとき、待ってくださいと石原裕次郎が止め、もうひとつの名台詞がほとばしる。

「今、日本の運命の決定的瞬間がわたしたちの上をよぎろうとしています。…わたしたち外交官は、軍の公道に関してそれが如何に理に適わない行動であってもなんらなすことができないと無力になってないでしょうか。もしそうだとしたら、わたしは今日かぎり外交官を辞めざるを得ません」

 そして高橋悦史が「おんな!」と恫喝して栗原小巻を暴行しているとき、その恋人にして医者の加藤剛は、最後の名台詞をいう。

「戦争状態の人間には消毒の方法はないよ」

 かくして満洲事変は為され、戦火は上海へ飛び火する。新興財閥伍代家の運命もろとも物語は進んでゆくことになる。

 いや〜、ひさしぶりに映画を堪能したわ。

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銃殺

2024年11月10日 03時05分47秒 | 邦画1961~1970年

 ◎銃殺(1964)

 

 菊の御紋を戴いた厳しい扉を開けて、丹波哲郎演じる相澤三郎の永田鉄山暗殺事件から始まり、この扉が丹波さんがやってくると閉じ、タイトルが被さり、また開くと、陸軍練兵場になってる。うわ、最初から合成じゃん。

 青年将校の会議で、こう意見が出る。

「軍隊を使用して直接行動に出るのは、陛下ご自身が、重臣元老を斬らねばならないとお考えになったときだけ許されるべきだ。わたしには陛下がそうお考えになっているとはおもえないのだ」

 しかしこれは否定され、うやむやになる。

 将校鶴田浩二は牛鍋をつつきながらいう。

「ここ2、3年、どん底の生活苦に喘いでいる農民や労働者の家庭では、一家の働き手を兵隊にとられて自分の娘を売らなきゃならない悲惨な親もある。その一方、兵隊の中には自分の貰った慰問袋をそっくり家(うち)に送っている者もいるんだ。こんな現状の中から強い兵隊ができるとおもうか。士官学校時代は考えてもみなかったし、それに直面した現代だって、どえしてやることもできない。しかも、いったん戦争になれば、その兵隊たちを弾の中に突撃させる。それが将校なんだ」

 昭和維新、昭和維新と血気に逸る青年将校たちはなにがしたかったんだろう。そのひとり、 江原真二郎、ここでも栗林役だ。まあそれはいいとして鶴田浩二の見逃してやった脱走兵が、病の母親と吉原に身売りすることになっていた妹を殺して首をくくる。その焼香に訪れた鶴田浩二と井川比佐志に農民の女がいう。

「中隊長さま。息子を兵隊に出すのも、娘が身売りするのも、みんな、お国のためでございましょうか?」

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二・二六事件 脱出

2024年11月09日 14時07分38秒 | 邦画1961~1970年

 二・二六事件 脱出

 

 冒頭、秘書官の三國連太郎が帰ってくると応接間にふたり、よく似た男がいる。首相ともうひとり。応援演説に立った代議士。これで、あ〜このふたりが入れ代わるのかと察しはつくんだけど、複雑なあらすじな分、これは良い伏線だ。庭を眺めて赤坂までの地下道は使えるのかと尋ねる伏線もわかりやすい。中原ひとみと久保菜穂子がふりはじめた雪を眺める静けさのあと官邸襲撃が始まる静と動の展開もいい。

 高岩肇、親切で上手い脚本だ。

 ただまあ、斬られたり撃たれたりしたときの断末魔はあいかわらずの東映調で、音楽もそうだが、ちょいといただけない。

 特高部曹長の高倉健の登場はやや遅いけど、長いプロローグは二・二六事件の官邸襲撃の前に持ってくるのもなんだか役者中心になって野暮だから、これでいい。この脚本はじつにうまくて、健さんが出勤したところへ官邸斜め前の官舎から電話、これが三國連太郎で、総理の死命の確認に来いと。健さんは道路が封鎖されてるからむりだと無碍に断る。伏線の連続だね。

 三國連太郎が総理の代わりに代議士が死んだと知るのはそれからで、この時間差もいい。

 部下が見た枕元の人影を幽霊だと一笑した織本順吉がいい。ただひとり疑いをもって女中部屋まで探しにくるあたり、けっこうどきどきするわ。

 さらに千葉真一がいい。班長どのの健さんの部下なんだが、ひとり、襲撃時に潜り込んで押入れの総理を確認したただひとりの若造憲兵なんだが、血気盛んな純粋さがいい。

 撮影がんばってる。雪の総理官邸のオープンだけじゃなくて、模造戦車の隊列の横をゆく歩兵部隊もだが、憲兵隊司令部の切り返しはスクリーン・プロセスだ。健さんと千葉真一の後ろを戦車部隊がゆく。三宅坂の横の堀はたぶん書き割りに合成、凄い。

 音楽。ラスト曲はええね。

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