Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

シャイン

2014年05月31日 01時14分24秒 | 洋画1996年

 ◎シャイン(Shine 1996年 アメリカ)

 原題 Shine

 監督 スコット・ヒックス

 

 ◎欧米の役者は凄い

 ぼくはほんとに芸術的センスがなくて、音楽も当然ながらよくわからない。だから、デイヴィッド・ヘルフゴットっていう、精神的な病気をかかえたピアニストが実在しているってことも知らなかった。この映画ができたとき、家族たちは事実に反しているって猛抗議したそうだけど、たしかに、実際の家族としてみれば、いろいろと言い分はあるかもしれない。だから、心の病気をかかえている人の半生を映画化する場合は、より慎重にならなくちゃいけないんだろう。むつかしいところだけど、でも、この映画がもたらしたものは小さくないんじゃないかしら?

 まあ、そのあたりの複雑な事情はともかく、主役を演じたジェフリー・ラッシュは、たいしたものだ。手元のアップはデイヴィッド・ヘルフゴット本人らしいけど、引きの絵はそうはいかないんで、昔習っていたピアノの練習をふたたび始めて役をこなしたらしい。それは、10代を演じたノア・テイラーも、幼年期を演じたアレックス・ラファロヴィッツもおなじだ。たいしたものだ。こういうところが、欧米の役者は凄い。

 ただ、たしかにデイヴィッド・ヘルフゴットの半生記ではあるけど、それとともに、かれの恋愛体験記でもあるわけで、そちらの中心になっているのは、ワイン・バーで働いているソニア・トッドの目線だ。こうしたあたりも脚本はちゃんと練られてる。単に時系列だけを追い掛けた、年表みたいな映画じゃないところが、またいい。

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原子力戦争

2014年05月30日 20時20分03秒 | 邦画1971~1980年

 ◇原子力戦争(1978年 日本)

 当時のポスターを見ると、サブタイトルに「lost love」とある。

 なんじゃこりゃ?っておもうし、

 さらには本編のタイトルにはその表示がない。

 なんで?とまたおもう。

 いったい誰のlost loveなんだろ?

 原田芳雄だろうか?

 それとも風吹ジュンなんだろうか?

 わからない。

 ま、それはそれとして、時代を感じるな~。

 おそらく福島の原発なんだろうけど、

 原田芳雄が胸をおっぴろげたまま門からぶらぶら入っていこうとする場面がある。

 そこだけ、妙にドキュメンタリまがいな撮影になってるんだけど、

 たしかに物語の展開上、

 原田芳雄の恋人のトルコ嬢と心中したと見せかけて殺されたとおぼしき、

 原子力発電所の技師を呼び出した山崎なる男に詰問しようとするのはわかるし、

 ある種のデモンストレーションとして突入を図ろうとするのもわかるし、

 そうすることによって原田芳雄のなんも考えないチンピラの無鉄砲さを、

 ここで一気に表現しようとするのもわかるんだけど、

 やっぱり中途半端になる危険もあるし、

 むつかしいよね。

 にしても、

 大学に行ってるはずの市会議員の娘がトルコ嬢になってて、

 しかも心中したってことにされてるにもかかわらず、

 村人はいっさいそのことを噂しないばかりか、

 漁業組合長をしてる兄貴までその陰謀に加担してるってのはどうよ。

 旧家の面目を保つってこともあって妹殺しを認めたんだろうか?

 まじか?

 技師の妻の山口小夜子にいたっては、

 原田芳雄に自宅でも浜辺でも抱かれるのに、

 さらに原子力専門の化学者ともできてるっていう恐ろしい展開で、

 にもかかわらず、旦那が残した原発事故の証拠書類とネガを、

 原田芳雄に安易に手渡しちゃうというのはいったいなにを考えてるんだか。

 まじか?

 村人たちにしても、

 森の中で原田芳雄を追い掛け、結局は口封じをするっていう展開は、

 原発の補助金の方が漁業よりも事故の不安よりも大切だとする気持ちなわけだよね。

 まじか?

 ていうような内容で、

 やけに原田芳雄は胸を見せつけるんだけど、なんでだろう?

 ていう疑問はどこかにすっとんじゃうような感じだった。

 そうしたあたり、佐藤慶がなんとも人間臭くて、

 奥さんと子供を置いての単身赴任の記者だから、

 案の定、地元の女とできちゃうわけで、

 でも、いつかはその女を捨てて本社に返り咲きたいっていう欲望があって、

 そのためにはせっかくつかんだ原発事故の記事が差し戻されても、

 テレビ局や他の新聞社に持ち込むというほどの正義感はない。

 いやまったく人間臭い。

 ちょっと気になったのは、原子力専門の大学教授かなにかの岡田栄次で、

 いかにもモノがわかったように、

 炉心溶融について「チャイナ・アクシデント」という単語を使う。

 アメリカでブラックユーモアのように使われていたものを紹介したという設定だけど、

 これはちょっとね~。

「チャイナ・シンドロームじゃない?」

 とかいっちゃいたくなる。

 そもそも、アメリカだからチャイナ・シンドロームなわけで、

 チャイナ・アクシデントだったら中国でなにか起こらないといけなくなっちゃうでしょ。

 映画の『チャイナ・シンドローム』がなかったら広がらなかった言葉なんだけど、

 どうやらそれまではたしかにブラックユーモアとしては多少知られていたらしい。

 この『原子力戦争』の方が『チャイナ・シンドローム』よりも一年早く製作されたから、

 こういう言葉のふしぎな伝えられ方をしちゃったんだろね。

 ただ、1978年当時、こういうゲリラ的かつ挑戦的な映画が作られたことは、

 まじな話、すごいとおもうし、よくやったな~っていう気もする。

 ただ、これって実は、

 当時の話だから原子力発電所になってるわけで、

 中世のヨーロッパとかだったら、

 悪魔の棲んでる城かなにかがあって村人が洗脳されちゃってて、

 そこに恋人を追い掛けてきた旅の男が登場して、

 結局のところ巨大なちからに立ち向かうんだけど返り討ちにあっちゃった、

 みたいな話とおんなじなわけで、

 物語の骨格ってのは変わらないんだな~ともあらためておもった。

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プライドと偏見

2014年05月29日 22時48分08秒 | 洋画2005年

 ◇プライドと偏見(Pride & Prejudice 2005年 イギリス)

 18世紀のイギリスにかぎらず、

 多かれ少なかれ、女性が嫁ぎ先を漠然と夢見るとき、

 玉の輿に乗りたいとおもうのは、世の常なんじゃないか?

 ぼくが女の子だったら、もちろん、そうおもう。

 好きだったら貧乏だっていいじゃんか~といえるのは若いときだけで、

 年食って、人生いろいろと辛いことを味わったりして、

 ああ、貧乏は嫌や~とかおもったりすると、

 地位と名誉と財産と才能に恵まれてる人間を、

 ものすごく羨ましくおもったりするもんだ。

 でも、人間ってやつはほんとにめんどくさい生き物で、

 自尊心が高く、つまり高慢だったり、

 ついつい他人を色眼鏡で見、つまり偏見を持ったりして、

 人間関係がぎくしゃくしちゃったりする。

 そういうのは良くないよっていってるのがこの映画だ。

 ただ、

 地位だの名誉だの財産だのといったつまらんものは置いといて、

 物事にしても人間にしても素直に見ようよっていわれてるんだけど、

 そのあたりはちょっぴり理想主義的な匂いもしないではない。

 だって、

 肩書とか資産とかとは別に、

 キーラ・ナイトレイもマシュー・マクディファンも、

 もうひとつ、なかなか手に入れられないものを持ってるんだもん。

 綺麗だとか、恰好いいとかいう、外見だ。

 ま、要するに、

 美男と美女だから成り立つ世界っていう側面を持ちながら、

 素直に恋愛すれば、いつかかならず幸せになれるものさっていわれてるような、

 家柄も地位も肩書も名誉も資産も財力も、

 ちょっとばかし遠いところにあるぼくは、

 それでも蚤のようなプライドを持ちながら、

 そんなふうに偏見の眼差しで、この作品を見ちゃうんだよね。

 だから、最初にも書いたように、

 玉の輿っていいよな~とか、

 恵まれてる人間だったらよかったな~とか、

 ついついおもったりしちゃうんだ。

 でもさ、

 ときどき、そんな自分を反省しつつ、こうもおもったりする。

 自慢ばかりする高慢な人っていない?

 こんなものを食べた、こんなものを買った、こんなところに行ったとかって、

 そんなの聞きたくないし、

 あんたのほんとのところを話してくれればいいんだよっていいたくなるし、

 それって、今の自分がどれだけ心が淋しいのかの裏返しでしょ?

 とかともいいたくなっちゃう。

 プライドも偏見もいかにさもしいものかが、

 この21世紀の日本でもわかるよね、いやまじで。

 いやほんと、

 ぼくも含めて、人間ってやつは、高慢と偏見と理想の狭間を、

 行ったり来たりする生き物なんだよ。

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ゴシカ

2014年05月28日 02時19分03秒 | 洋画2003年

 ◎ゴシカ(Gothika 2003年 アメリカ)

 ペネロペ・クルスが大のご贔屓なぼくは、

 養父殺しで捕まり、精神病院に収監されながら、

 悪魔に毎晩レイプされ続けるのよ、なんて訴える彼女の登場で、

 これはもう凄い映画にちがいないとおもってしまった。

 たしかに、

 ペネロペ・クルスの担当医になってるハル・ベリーも決して嫌いじゃないし、

 その彼女が帰宅途中で白い少女の幻影に出くわして記憶を失い、

 自分の研究室でめざめたときには、

 すでに自分の夫を惨殺して逃げてきた後で、

 どれだけ自分が得体の知れない何者かに憑依されてると訴えたところで、

 ペネロペ・クルスと同じように精神病患者扱いされて、

 結局、自身のちからで悪魔なのか霊魂なのかわからないモノと交感しながら、

 夫殺しの真犯人とぺネロぺを犯し続ける悪魔の正体を究明していくなんて、

 しかも唯一の手掛かりが幻の少女が血糊で描いた、

「not alone」

 の文字だけだってのがなんともそそられるじゃん。

 中盤までの物凄さは後半になって失速する感は多少あるけど、

 すべてが陰湿なエロスに満ちてる感じは嫌いじゃないな。

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迎春花

2014年05月27日 02時01分19秒 | 邦画1941~1950年

 ◇迎春花(1942年 満洲)

 満映と松竹の提携作品ってのは実にめずらしく、

 しかも李香蘭が主題歌まで歌ってるなんて、

 いやまあなんて貴重な映画なんだろ。

 とおもって、それだけの興味で観てみたんだけど、

 意外にちゃんとした映画だった、

 とかいったら叱られるだろうか?

 奉天や哈爾浜の風景も見られるし、

 氷祭りみたいなものもあったりするし、

 なんといっても、李香蘭と小暮実千代のスケートシーンもあったりで、

 話が、社長令嬢と親日満洲人の娘が建設会社のエリート日本人を争うっていう、

 なんともありきたりなものとはいえ、

 結局は女性がふたりとも恋よりも自分の道を選んでいくなんていう、

 当時としてはかなり先進的な女性像が描かれてたりするわけで、

 まあよく撮れたもんだな~と感心しちゃったわ。

 とはいえ、

 主題歌の『迎春花』が『蘇州夜曲』のようなインパクトがない分、

 映画もまたそれくらいな印象で、

 とりとめのないほんわかさの漂ってるものではあったけどね。

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新しい人生のはじめかた

2014年05月26日 01時49分24秒 | 洋画2008年

 ◇新しい人生のはじめかた(Last Chance Harvey 2008年 アメリカ)

 ダスティン・ホフマンとエマ・トンプソンの恋愛って、

 それだけでも22歳の年の差があるわけなんだけど、

 どうなんだろ?

 娘の結婚式に呼ばれたのに、

 義父にヴァージンロードを取られちゃうCM音楽作曲家の男が、

 婚期を逃した不器用で奥手の、

 小説を書くことが趣味という孤独な四十代後半の女に対して、

 ストーキングまがいのつきまといをして、

 すったもんだの末にもしかしたら伴侶になるかもしれないね、

 みたいなラストで締めくくっちゃうのって、

 はたしてアリなんだろか?

 そりゃあ、誰だって、

 自分が孤独だと自覚したら、

 そこからなんとかもがきだそうとして、

 新たな恋の相手を探そうとするかもしれないけど、

 ちょっとばかり都合が好すぎるような気もするし、

 あまりにも安易な声掛けっていうかひと目惚れっていうか、

 話の展開がわかりすぎるくらいによくわかっちゃうのは仕方ないけどさ。

 でも、まあ、

 熟年の夢物語とでもおもえば許せる範囲かもしれないね。

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重力ピエロ

2014年05月25日 13時05分00秒 | 邦画2009年

 ◎重力ピエロ(2009年 日本)

 意外な拾い物が落ちてきたっていう印象だわ。

 ぼくは世間の流れに疎くて、

 どんな小説が流行ってるのかまるで知らないし、興味もない。

 それは役者にしても歌手にしてもおんなじことで、

 そういう意味からすれば、まったく社会から取り残されてる。

 だからといって生きていけないわけじゃなく、

 ほら、こうしてなんとか棲息してる。

 で、この映画なんだけど、

 人間って、いろんなふうに生息していっちゃうんだな~って気がした。

 ま、それは最後にふりかえってみたときの感想なんだけど、

 途中まではきわめて興味深いサスペンスを見てるような感覚だった。

 自分がかつての連続暴行魔によって犯された母親から生まれたという事実、

 父親の出所はつまり自分たち家族の崩壊を予兆させるのではという不安、

 父親に対する殺意故のかつての暴行現場への放火と、

 遺伝子の配列を暗号化したことでの自分なりの告白、

 そうした弟の過激な行動に気づき、弟を救おうとする兄の兄弟愛、

 そうした兄弟をじっと見つめながら癌を受け入れる父の家族愛、

 家族以外の他人からは理解されないと苦悩する弟へ向けられる、

 全身を整形してでも愛されたいと渇望する後輩の恋慕、

 そんなことどもが一緒くたになって推理劇になってるわけで、

 原作がおもしろいのか脚本がうまくまとめているのか、

 ぼくにはよくわからんのだけど、

 でも、出来のいい邦画だったな~って感じだ。

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セルピコ

2014年05月24日 12時42分17秒 | 洋画1971~1980年

 ◎セルピコ(Serpico 1973年 アメリカ、イタリア)

 アル・パチーノが演じたフランク・セルピコっていう警官は実在してて、

 ニューヨーク市警の麻薬課に所属する刑事だった。

 当時のニューヨーク市警は汚職が蔓延して腐敗しきっていたみたいだけど、

 なんだか、映画で描かれるニューヨーク市警はいつも両極端で描かれるよね。

 ま、ともかく、

 この頃のニューヨーク市警はことにひどかったみたいだ。

 で、そうした腐敗に憤っていたのが正義感のセルピコだったんだけど、

 1971年に同僚に撃たれるっていうとんでもない状況になった。

 もっとも、

 シドニー・ルメットはそこに至るまでのセルピコの内と外を描いてるわけで、

 どちらかといえば、

 政治的な糾弾に走るよりも、風変わりで一徹なこの刑事について、

 いろんな側面から見つめてみたいって感じに見える。

 でも、

 世の中の不正や悪意を真正面から描くのは、

 観客にとってみればけっこう重い。

 それより、

 どんな正義感でも人間なんだから清濁あわせもってるわけで、

 そういう人間像をじっくり追いかける果てに、

 社会の不条理や理不尽さをひしひしと感じるように仕立ててくのが、

 監督や脚本家の力量なんだろね、たぶん。

 もちろん、そこにはアル・パチーノの演技力もある。

 賄賂を受け取らず、ひたすら正義を貫こうとすればするほど孤立し、

 つぎつぎに分署をたらいまわしにされ、

 どんどんと危険な環境に追い込まれるのを見てると、

 ほんっとに警察ってところはどうしようもない組織だなっていう憤りが、

 自分の中にこみ上げてくるようになるのは、

 そうしたシドニー・ルメットやアル・パチーノのちからによるものだろう。

 もちろん、そういう状況はどの世界にもあることで、

 長いものには巻かれろといわれてもそうできない不器用な人間もたくさんいる。

 セルピコは結局、アメリカ社会になじめず、やがてスイスに船出するけど、

 故郷を愛するが故に戦ってきたのに、

 その故郷から認めてもらえずに捨て去らなくちゃいけないときの気持ちは、

 いったいどんなだったんだろう。

 

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ジャック・サマースビー

2014年05月23日 20時13分16秒 | 洋画1993年

 ◇ジャック・サマースビー(Sommersby 1993年 アメリカ)

 原題 Sommersby

 監督 ジョン・アミエル

 

 ◎実は

 フランス映画『Le Retour de Martin Guerre』のリメイクらしい。らしいってのは、ぼくがその元の作品を観てないからで、ジェラール・ドパルデューとナタリー・バイだったらDVDとかになってないのかな?

 ま、それはいいとして、そもそもは実話が基になってる。

 マルタン・ゲール事件っていうんだけど、フランス領バスク北部アンダイエで起こった事件だ。1548年に失踪した男マルタンが、1556年に帰ってきたんだけど、まるで人となりが変わっていて、とんでもない男がきわめて紳士になってた。周りの人々はそれを歓迎したんだけど、ところが、この男はマルタンじゃないだろうってことで、1559年に告発されて、翌年、裁判にかけられた。ただ、この裁判ではほとんどの村人が男の無罪を信じてた。だって、とってもいいやつだったからだ。ところが、この裁判中に本物のマルタンが帰ってきた。イタリア戦争に従軍してたらしく、片足は義足になってたらしい。で、この男が何者かといえば、アルノー・デュ・ティルっていう詐欺師だった。アルノーは詐欺罪と姦通罪で有罪を宣告されて絞首刑に処せられたんだけど、まじか?てな話ではある。なんで夫だってわからなかったんだっていう疑問もあるし、村人連中もなんで本人だとわからなかったんだっておもえちゃわない?けど、事実なんだから仕方がない。

 で、この話が1982年にフランスで映画化され、さらに、リチャード・ギアとジョディ・フォスターが主演で、リメイクされた。まあ、微妙な駆け引きの恋愛映画になってて、結局のところ、夫がどうしようもない奴だったから、夫だといつわってきた男を選んでしまったって話になるんだけど、これを有罪にもってくるために、いろいろと伏線まじりの物語が展開する。こういうあたりは上手だとはおもうものの、事情はあるにせよ、どうしても詐欺を働いている男が主人公になるのは、事実として処刑されてる分、難しいのかもしれないね。 

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不撓不屈

2014年05月22日 19時52分41秒 | 邦画2006年

 ◇不撓不屈(2006年 日本)

 飯塚事件ってのは、ぼくは知らなかった。

 TKCっていわれてもなんのことかわからなかった。

 無知をさらけだすようで恥ずかしい話ながら、

 TKCってのは、栃木県計算センターの略称で、

 栃木県宇都宮市で、飯塚毅法学博士により、

 会計事務所と地方公共団体に専門特化した計算センターとして、

 設立されたものなんだそうだ。

 で、その飯塚毅会計事務所に、

 1963年6月24日、

 いきなり国税庁の税務調査が入って、

 所長以外の4名の職員が法人税法違反教唆の容疑で逮捕起訴されるんだけど、

 なんとか無罪判決を勝ち取ることができたっていう原作が映画化されたものらしい。

 なるほど、だから、なんだか昔っぽい感じの絵づくりなんだ~、

 と観終わってから納得してたんじゃあかんよね。

 けどまあ、

 昭和38年から45年まで続いた裁判と国会闘争を、

 ぼくみたいな無知な人間にもわかりやすく描いてはいるんだけど、

 社会派ドラマの常道っていうのか、

 どうしても権力に立ち向かう堂々っぷりが、ぼくにはまぶしすぎる。

 それはそうと、

 滝田栄っていう俳優は、ほんとにこういう役が似合うね。

 正義と理想に燃えて、どんな障害も克服していきそうな感じだ。

 インドで修業したりとかの話も聞くけど、

 なんでこんなにきちんとした人がいるんだろうって感心する。

 それにしても、

 なんだって国税庁はここまで嫌がらせをするんだろね。

 そのあたりの究明が、

 なんだか家族の絆にすりかえられていっちゃってる気がして、

 ちょっとばかり物足りなさを感じちゃうのはぼくだけなんだろうか?

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クレイグスリストキラー

2014年05月21日 19時43分23秒 | 洋画2011年

 △クレイグスリストキラー(2011年 アメリカ)

 クレイグスリストってのは、オンラインのコミュニティーサイトらしい。

 で、ここに登録した女性を狙った連続殺人犯を、

 2009年当時、クレイグスリスト・キラーって呼んでたみたいだ。

 犯人が捕まったのは4月20日のことなんだけども、

 この犯人は医学生で婚約者もあって将来も嘱望されたそうで、

 でも、異常性がどうしても抑えきれずに犯行を重ねて、

 結局、

 こんなふうにテレビでセミドキュメントにされちゃったわけだけど、

 さすがにテレビ映画な分、

 異常性や残虐性はかなり抑えられてる。

 映画だったらもうすこし濃厚なものになったとはおもうけどね。

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BRAVE HEARTS 海猿

2014年05月20日 12時05分17秒 | 邦画2012年

 ◎BRAVE HEARTS 海猿(2012年 日本)

 その昔、エアポートシリーズという映画があって、

 3作目が『エアポート'77 バミューダからの脱出』だった。

 ジャンボジェット機ボーイング747が、

 バミューダ海域のカリブ島沖に墜落して、

 水深30メートルくらいの海底に着座、

 これをアメリカ海軍が救助するっていう筋書きだったんだけど、

 当時高校生だったぼくは、ロードショーでこれを観た。

 まあ、おもしろかった。

 海はとっても綺麗だったし、

 なんだか高級なおとなたちの映画な感じじゃんっておもった。

 アメリカ海軍が全面的に協力してるってのが謳い文句で、

 かなりわくわくしたんじゃないかな~。

 で、この作品なんだけど、

 なんていうか、

 航空機事故におもいいたるってのはわからないでもないし、

 これはこれで愉しめた。

 お決まりのあらすじで、

 どうやったら感動させられるかってのが先行してる気もして、

 そういうところはすこし水戸黄門的な匂いがし出したけど、

 これはこれでいい気もする。

 絵も音楽も『エアポート77』より雰囲気いいしね。

 まあ、40年も前の映画とくらべる方がまちがってるんだろうけど。

 ただ、

 ぼくたち外部にはよくわからないながら、

 4作目にして味噌をつけちゃったね。

 このあと、海猿のシリーズは作られないんだよね。

 ぼくとしては好きなシリーズだったからちょっぴり残念ではあるけど、

 仕方ないことなんだろな、たぶん。

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トランスフォーマー ダークサイド・ムーン

2014年05月19日 18時24分03秒 | 洋画2011年

 ◇トランスフォーマー ダークサイド・ムーン

  (Transformers: Dark of the Moon 2011年 アメリカ)


シカゴのトランプ・タワーのペントハウスが、パトリック・デンプシーが地球を裏切ってロージー・ハテントン=ホワイトリーを拉致した先とはおもわなんだ。

 それにしても、さわがしいね。

 ストーリーがずいぶん込み入ってる分、説明箇所が少なく、つぎつぎにCG場面が展開して、ほんど、めまぐるしいわ。

 シカゴに宇宙人が飛来してそれを防ぎきるというだけの話だったら、それはそれで落ち着いて観られたかもしれないんだけど、そもそもアポロ計画が月になんか墜落したものの正体をつきとめるためのもので、まあ金属生命体の宇宙船なんだけど、それについて全地球的規模で陰謀があったとか、それが切っ掛けで、オートボットと人類の仲がこじれるとかいった、根本となる話が枝葉みたいな扱いになってる。

なるほどそゆことねって話だけど、ひたすらマイケル・ベイお得意のスローモーション活劇が展開されると、たしかに迫力はあるものの、どうにも眼がついていかなかったりする。

 観るのも理解するのも、けっこう大変だったわ~。

 ちなみに、ミーガン・フォックスが降板して、あらたなヒロインにロージー・ハテントン=ホワイトリーが起用されたんだけど、なんだかプロポーションはいいんだけど、この設定がよかったのかどうか、ちょっと唐突だ。

 まあ、ミーガンとスタッフの確執については知らないし、どうでもいいことながら、セクシーな面は削ぎ落される分、ヒロインの印象は薄い。

『トランスフォーマー』は子供も観るだろうに大丈夫かってくらい、ちょっとばかしエロティックが面が強調されてたけど、そのあたりは脚本家の交代もあったりして薄められた分、なんだか活劇ばかりですこしばかり食傷地味になるわ。

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ボッカチオ'70

2014年05月18日 00時00分21秒 | 洋画1961~1970年

 ◇ボッカチオ'70(Boccaccio '70 1962年 イタリア)

 とはいえ、ボッカチオの詩が原作になってるわけじゃなくて、

 1970年におけるボッカチオ的な体裁をとった愛と官能のアンソロジーだ。

 まあ、

 マリオ・モニチェリ、フェデリコ・フェリーニ、ルキノ・ヴィスコンティ、ヴィットリオ・デ・シーカ、

 なんていう連中がアンソロジーを編むなんてことは奇蹟に近いわけで、

 よくもまあ成立したな~って感じではある。

 実際は、モニチェリの知名度が低かったために他の3名のアンソロジーにされ、

 1998年まで、ぼくらは完全版を観ることはできなかった。

 ただ、

 当時はかなりセンセーショナルだったかもしれないんだけど、

 ぼくはフェリーニの撮った、

 アニタ・エクバーグ主演の『アントニオ博士の誘惑』がいいなあ。

 いやもうエクバーグのあまりにも豊満すぎる肉体は、

 男が翻弄されるにはもってこいで、

 日本人だったら、こんな経験したら、たじろいじゃうだろな~。

 あとの3作はちょっと物足りなさがあるんだよね。

 たしかにロミー・シュナイダーは硬質な中に官能が匂うし、

 ソフィア・ローレンの官能的な体には萌えあがるものもあるけど、

 物語がどうも古色蒼然とした観が出てきちゃってる。

 そこへいくと、

 フェリーニはさすがに時を超えて新鮮味があって、

 人生を官能的に茶化したようなすっとぼけ方が、

 ここでも魅力になってる気がするんだよね。

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桜田門外ノ変

2014年05月17日 13時22分37秒 | 邦画2010年

 ◇桜田門外ノ変(2010年 日本)

 このブログのDENBEYというのは、ぼくのひいひいじいちゃんの名前だ。

 いちおう、世襲名だから、いまでもきちんと届け出すれば、

 ぼくも傳兵衛っていう名前を名乗れる。

 まあ、名乗らないけどさ。

 で、その傳兵衛さんが生前、ことあるごとに、

「井伊掃部が死んだ朝の雪はすごかった」

 と、口癖のようにいってたらしい。

 当時、傳兵衛さんは17歳だったっていうから、

 たぶん、記憶ちがいじゃないんだろう。

 その日に降った牡丹雪は、関東から関西一円に降り積もったみたいだ。

 さぞかしすげえ雪だったんだろね。

 で、

 世にいう桜田門外の変だけど、

 これは、安政7年3月3日(1860年3月24日)早朝、

 江戸城桜田門外において、

 水戸藩の脱藩浪士17名と薩摩藩士1名が、

 彦根藩の大名行列約60名を襲撃して、大老の井伊直弼を暗殺した事件だ。

 ところが、この映画は、

 安政4年(1857年)正月から始まって、

 文久2年(1862年)5月11日に終わる。

 暗殺の中心人物のひとり、関鉄之介の斬首が最後のくだりになるんだけど、

 変そのものの描写はさほど多いわけではなくて、

 どちらかというと、

 暗殺した浪士たちのその後に重点が置かれてる。

 これは好みの分かれるところで、

 その点、ずいぶん前に撮られた三船敏郎主演の『侍』は、

 変そのものが佳境に用意されていたから、

 観る側としても焦点がかなり一致してたような気がする。

 まあ、原作に沿った脚本らしいんで、

 純彌さんの構想というわけではないんだろうけど、

 吉村昭はたぶん関鉄之介という人間を見つめたかったのかもしれない。

 この映画は、どちらかといえば、茨城に建てられたオープンセットが有名で、

 30万人くらいの観光客を集めたみたいで、

 そういうことからいえば、

 地域振興の映画制作としては成功だったんだろね。

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