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スイマーズ 希望を託して

2022年11月30日 16時21分22秒 | 洋画2022年

 ☆スイマーズ 希望を託して(The Swimmers)

 

 マナル・イッサ演じるユスラ・マルディニは、途中までシリアの代表として五輪に出場したいと望んでるのがやがて難民チームの代表となるのを誇りにおもうようになるんだけど、その決意よりもかなり早い段階で、すでに彼女は難民チームの代表になってるってことを行動で示してるんだよね。このあたりはよく練られてる上手な脚本だっておもうんだけど、現実はどうだったんだろう?

 まあそれはともかく、五輪に対する憧れは世界の選手たちには共通したものだと信じてるんだけど、でもどうなんだろう、なんだか、日本と世界とは見えない壁みたいなものってないのかな。運動の世界に、政治や経済を入れるなっていう忘れ去られてしまったような大義名分はちょっとおいといて、祖国が存続するかどうかっていう瀬戸際の、自分の家族がダマスカスのようないつなんどき内戦に巻き込まれてしまうかもしれないような、そんな状態に追い込まれて、レスポス島へ行くために、ゴムボードに人数が溢れちゃうからって姉とふたりで泳いで人数を減らすっていう離れ業までして、それでリオ五輪にまで至るっていう、もはや、これは五輪をめざしたっていうだけの映画じゃないよね。

 サリー・エル・ホサイニ、頑張って監督したね。

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ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦

2022年11月29日 01時26分07秒 | 洋画2016年

 ◇ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦(Anthropoid)

 

 1970年代の映画か?とおもっちゃうような邦題なんだけど、内容とはまるでそぐわない。

 ただまあ、前半ていうか、エンスラポイド作戦ことSSのラインハルト・ハイドリヒの銃撃暗殺未遂事件にいたるまではそれなりに緊張感もあり、スリリングな展開だったから楽しめた。口がいつもなんとなく開いてるキリアン・マーフィもそれなりにまじな感じがしていいし、シャルロット・ルボンも綺麗で貞淑な雰囲気が醸されてて悪くない。最初はジェイミー・ドーナンが主役なんじゃないかって気がしたけど、やっぱりそうじゃなかったんだね。

 まあ、そんなことより、後半がいけない。エンスラポイド作戦(類人猿作戦)を実行した「暁の七人」は聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂で最後の銃撃戦に入るんだけど、どうも余分なものにしかおもえない。歴史的な重要な立て籠もりで、そこへいたるまでのさまざまな死が描きたいというものわからないではないけれども、人間ドラマにするんであれば、ハイドリヒのベンチを襲うところまでで充分な気がするんだけどなあ。

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テイクオーバー

2022年11月28日 23時52分31秒 | 洋画2022年

 ◇テイクオーバー(The Takeover)

 

 ホワイトハッカーのホリー・ブロートと最後に暴走するバスに乗り込んで跳ね橋の手前で止めようとするゲーザ・ワイズとがどうやって知り合ったのかわからないんだけど、初デートがやつの自宅で中華のデリバリーで春巻きをスープにつけて食べる小汚い喰い方を披露するっていう展開からして、あれこの映画は独創性がないのかなって心配してたら、やはり、そんな感じだった。

 でも、自動バスの顔認証はちょっとよかった。中国政府とがちに描かれてるのが凄いな~っておもうけど、たしかに顔認証ってのは恐ろしいな。顔認証を悪用されて、そこからすべての個人情報がひきだされて、預金も土地も証券も盗まれて、借金まみれのテロリストとかにされちゃう可能性もあるわけで。

 しかし、ホワイトハッカーとかいうんだあっておもっちゃったが、これは世界でも通用する言葉なのか?

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聖なる証

2022年11月27日 00時30分48秒 | 洋画2022年

 ◇聖なる証(The Wonder)

 

 横たわるキーラ・ロード・キャシディと山並みがぴったりと重なる。よく撮ったな~。床板の木目が浮き上がるくらい見事なセット。セットといえば、導入が現代のイギリスのスタジオだった。その一角に移動していって過去の時代の物語の始まりをワンカットで見せるんだけど、はたしてこのショットが必要だったのかどうか、わからない。

 けど、なんだ、食べてんじゃん。母親がキスして口移しで。あまりにも拍子抜けする信仰の正体。衰弱しても元気だわね。ま、だから、これが『ミッド・サマー』をひきずるっていうのかしらね。両方とも、フローレンス・ピューが主役だってことはまるで気づかなかったけど。

 子供の靴下を一緒に燃やす。フローレンス・ピューは、かつての夫との間に出来た子を失っていて、それにひきずられてきてるから、なおさら、少女キーラ・ロード・キャシディが気に掛かり、彼女が死んでしまったことにし、しかも失火によって亡骸も発見されなくなってしまったという過失にして済ませ、自分と出会った地元の新聞記者トム・バークに託し、やがて三人して村を出、あらたな天地をめざして船出していく。でも、これはつまり、うがった見方をすれば、神さまが子供を失ったフローレンス・ピューの純粋なおもいに対して、子を恵んでくれたのかもしれない。いや、そういうことか。

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ブンミおじさんの森

2022年11月26日 18時13分27秒 | 洋画2010年

 ◇ブンミおじさんの森(ลุงบุญมีระลึกชาติ、Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives)

 

 観終わって残っているのは、森から聴こえてくる虫の声だけで、ほんとうに聞こえてたかどうかわからないけど、そんな淡い印象だけが残った。まあ、森の息遣いなんだろうけど、これって要するに、日本でいうとお盆に亡くなった人が帰ってきて、ついでお迎えをしてくれたっていう話じゃないの?とおもったりした。

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ザ・ホスト 美しき侵略者

2022年11月25日 18時42分11秒 | 洋画2013年

 ◇ザ・ホスト 美しき侵略者(The Host)

 

 なるほど、アメリカも青春小説が大流行りなのか。つってもアメリカの場合は派手な分、青春ファンタジー小説なんだろうけど、これもその範疇をまるで出ない。

 シアーシャ・ローナンは地味な顔立ちだけど整い過ぎてて冷たさを感じちゃうからこういうのはちょうどいいかもしれないね。

 けど、異星人なのか未来人なのか地底人なのか妖怪なのかどうでもいいとおもっちゃうのは、人間ではないそいつらの特徴的なものがなくて、あまりにも人間臭いってことなんだろうな。

 よくウィリアム・ハートとダイアン・クルーガーが出たな~って気がしたわ。ま、ダイアン・クルーガーの場合はシアーシャ・ローナンに寄生しちゃうわ人類の高潔さを知るわそのせいで自己犠牲になるわってくらいの主役だからな~。

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太陽はひとりぼっち

2022年11月24日 01時07分33秒 | 洋画1961~1970年

 △太陽はひとりぼっち(L'eclisse)

 

 愛の不毛っていうより、物語の不毛なんじゃないかってくらい僕には理解しがたい。何度観ても、そうだ。

 好いのは、ジョヴァンニ・フスコ作曲の主題曲だね。

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アナザー・カントリー

2022年11月23日 01時41分59秒 | 洋画1981~1990年

 ◇アナザー・カントリー(Another Country)

 

 あまりにも常識的な範疇の非常識的な世界で、上品さと知的さが破綻を防いじゃってるもんだから面白味に欠けるんだな、たぶん。コリン・ファースほか、みんな若いね。でもまあ、どれだけ見直してもよく理解できないのは、淡々とし過ぎてるからだとおもうしかない。

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マイ・インターン

2022年11月22日 01時53分25秒 | 洋画2015年

 ◇マイ・インターン(The Intern)

 

 ロバート・デ・ニーロが好い人になってるとかって信じられないんだけど、こういう時が来ちゃったんだなあって、しみじみおもっちゃう。アン・ハサウェイのための映画としかおもえず、でもなんとなく現代的な男女交替が主題のようにおもえちゃうけど、じつは熟練の番頭さんが若女将を助けるっていう、昔ながらの物語なんだよね。

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シシリーの黒い霧

2022年11月21日 23時25分51秒 | 洋画1961~1970年

 ◇シシリーの黒い霧(Salvatore Giuliano)

 

 原題にあるとおり、サルバトーレ・ジュリアーノの半生とその死について考察していく映画なんだけど、いやまあ、戦時中の過去と当時の現時点とが交互に語られて、シシリー独立のために政府軍と独立義勇軍が衝突するありさまの中で、のちに義賊とされたジュリアーノの姿が描かれてはいるんだけど、わかるようなわからないようなどうにも難しい。

 難しいのは要するに画面をひいているからで、シシリーのひとびとに出演してもらっているだけでなく、いやというほどの群衆場面の連続で、まじな話、誰が誰だかよくわからない。フランチェスコ・ロージの演出力は買うものの、これを観ながら頭の中で整理するのはなかなか至難の業だ。

 なぜって、結局、殺害された理由も犯人もわからないままだからだね。

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コロンバス

2022年11月20日 18時16分44秒 | 洋画2017年

 △コロンバス(Columbus)

 

 小津安二郎に触発されたという話だが、小津の映画はこんなにつまらなくないぞ。

 けど、いいこともいう。ゲームと読書、少年と教授、集中力の問題ではなく興味の欠如の問題なのだ。なるほど。

 すべてのカットがアンバランスなシンメトリック、非対称でありながらバランスを保つっていう矛盾するような見事な画面になってるかとおもったら案外そうでもなかった。ジョン・チョーのずっとおりあいの悪かった父親の建築学者がこの旅先で倒れるあたりまでは画面が実にいいんだけど、薬物中毒の母親を抱えた建築家志望のヘイリー・ルー・リチャードソンと知り合ってからはどうも同じ構図が目立っちゃったり、ごくふつうの構図だったり、建築学的な構図が崩れちゃう。これはいただけない。

 で、そんなこともあって一歩まちがえれば退屈な映画になっちゃうだろうな~っとおもって観てたら、まちがった予測だったことがわかった。一歩どころか正面切ってド退屈な映画だったわ。

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クイーンズ・オブ・フィールド

2022年11月19日 20時09分38秒 | 洋画2019年

 ◇クイーンズ・オブ・フィールド(Une belle equipe)

 

 観始めておもったのは、フランスって女子サッカーの草リーグはないのかなってことだ。

 男のサッカー・チームが喧嘩が理由で出場停止になり、そのせいで解散の憂き目に遭わされそうになるのはいい。でも、その最後の3試合をこなせばもしかしたらリーグに残れるかもしれないってことで、奥さんたちが選手になって奮闘するってのはなんだかおもしろそうな筋立てではあるんだけど、女子サッカーのリーグがあったらだめなんじゃないのって誰でもおもう。

 だとしたら、そもそも設定に無理があるんじゃないのかな?

 それが納得いけばまあおもしろい映画ではあったんだけど、最後になってリーグを仕切ってる協会から女が男の代わりに出場するのは公式には認められないからその3試合は無効だとかいってくるのはどうよ?ってことだ。で、奮闘は無駄だったねってことになるわけで、なんだか意気消沈しちゃわないかね。

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移動都市 モータル・エンジン

2022年11月18日 21時17分06秒 | 洋画2018年

 △移動都市 モータル・エンジン(Mortal Engines)

 

 まあ、これはないだろうってことをいえば、たとえば、この原作の『移動都市』が上梓されたのは2001年のことで、この映画がパクったんじゃないかっていう『ハウルの動く城』の原作の『魔法使いハウルと火の悪魔』が上梓されたのは1986年のことらしい。ところが、イギリスでは都市が移動するっていう発想はかなり前から存在していたようで、そういうあたりから類推すると、もともと似たような発想の世界が、ふたつの原作になって上梓されたものの、とてつもない絵面のアニメーションが世に出てしまったせいで、この凄まじいCGの映画が製作されてもやっぱり「ハウルじゃん」っていう批難は出てきてしまうのは仕方がない。

 そうなるともはや日本の観客たちは止まらなくなり「ラピュタもじゃん」ってことになって、もはや廃墟みたいな中世まがいの建物をみればラピュタって話になる。おいおい待てよ、そもそもラピュタの発想のもとはどこだよっていいたくなるけど、おかまいなしだ。なんだかね。

 ま、そんなことは承知で制作されたんだろうけど、なんにしも不幸な映画だね。

 実際、ハウルじゃん。

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ファースト・マン

2022年11月17日 21時52分57秒 | 洋画2018年

 ◇ファースト・マン(First Man)

 

 絵面が凄い。当時のサターンロケットの画像を修正したカットは効果的に挟み込まれてるものの、ロケットが振動する画面の揺れはとてもじゃないけどCGじゃできないだろう。どうやらスクリーンプロセスの最新型を使って、多くのカットを撮ったらしいんだけど、いやまじ、CGは使いたくないんだよねっていう監督デイミアン・チャゼル、ええ感じだぜ。でもまあ、この人はほんとうに音楽が好きなんだね。なんか宇宙の場面とか観てるとキューブリックみたいな気もした。

 ニール・アームストロング役のライアン・ゴズリングだけど、チェゼルの好みなのかもしれないんだけど、どうにも寡黙だな。ほんとうのアームストロングがどんな人間だったかわからないけど、この寡黙さが全体の雰囲気になってる。まあ、妻役のクレア・フォイもちょっと陰気で生真面目な感じだし、全体の調和はとれてる気がしたわ。

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傷だらけの栄光

2022年11月15日 22時42分01秒 | 洋画1951~1960年

 ◇傷だらけの栄光(Somebody Up There Likes Me)

 

 まあ『ロッキー』と『あしたのジョー』の原点ってことで。

 ちなみにこの映画が公開されたのは1956年、日活で石原裕次郎の『勝利者』が公開されたのはその翌年の1957年。ほほお。くわえて『あしたのジョー』が始まったのは1967年。なるほど。丹下段平じゃなくて三橋達也が石原裕次郎に夢を託すっていう構図は、いったい誰の発想だったんだろう?

 ロッキー・グラジアーノ(ロッコ・バルベラ)を演じたポール・ニューマンの相手役の白木葉子じゃなくてピア・アンジェリは綺麗で上品で、なるほど、このあたりも原点なのねって感じはあったかな。

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