☆八甲田山(1977年 日本 169分)
英題 Mt.Hakkoda
staff 原作/新田次郎『八甲田山死の彷徨』 監督/森谷司郎 脚本/橋本忍 製作/橋本忍、野村芳太郎、田中友幸 撮影/木村大作 美術/阿久根巖 助監督/神山征二郎 音楽/芥川也寸志
cast 高倉健 北大路欣也 緒形拳 栗原小巻 森田健作 秋吉久美子 前田吟 大滝秀治 藤岡琢也 島田正吾 小林桂樹 神山繁 竜崎勝 東野英心 新克利 下条アトム 菅井きん 加藤嘉 花沢徳衛 田崎潤 浜村純 大竹まこと 丹波哲郎 加山雄三 三國連太郎
☆追悼、健さん
2014年11月10日午前3時49分、高倉健死去。
享年83。
ぼくみたいな門外漢がなんかいったところでどうにもならないけど、健さんという人は映画俳優を超えたところにあるいわば孤高の存在だったような気がしないでもない。高倉健という映画俳優であるということをとことんまで突き詰めて、最後まで映画俳優として人生をまっとうした。だから、ほんとうの健さんがどんな人だったのかを知っている人間はもしかしたらきわめて少ないんじゃないかって気がしてならない。
とっても明るくて、気さくで、おしゃべりで、さびしんぼうで、たとえていえば珈琲好きな近所のおじちゃんみたいな、しかも田舎っぺで、けっこう乱暴なところもあったりして、けど、物事の筋道や礼儀をとおしてないと機嫌が悪くなるような、そんなどこにでもいる人だったんじゃないかって想像したりするんだけど、それが映画になるとさらに寡黙で、いっそう頑なで、じれったいほど不器用で、情熱をおもいきり内に秘めた、求道的な稀れ人になる。それはそのまま高倉健という人間で、健さんの場合、どんな映画であろうともその役は「健さん」だった。それは演技が上手とか下手とかいったものではなくて、ある物語に高倉健という人間がそのまま放り込まれたような演じ方だった。でも、それでいいんだよね。
で、この作品だ。
健さんの映画はいくつも好きな映画があるけど『八甲田山』は群を抜いてる。なんでなんだろって自分でもおもう。わからない。わからないながら、なにかどこかで自分の趣向と映画に描かれてるものが合致してる。ま、そんな自分でもわからないものをここで記しておこうとしたところで記せるはずもないわね。
この作品が封切られたとき、ぼくは高校生だった。もう観たくて観たくて、結局、授業を抜け出した。
当時は土曜日も学校があって、半ドンといわれてて、午前中だけ授業があった。でも、四時間目まで授業を受けていることに耐えきれなくて、脱走した。ぼくの田舎には駅前の坂をちょっと下った右手の路地に東宝の封切館があった。もちろん、そこへ急いだ。当時は映画は斜陽で、邦画なんて特にそうで、田舎の封切館なんて道楽で開けてるとしかおもえないような状態だった。だから、いつ来てもがらがらだった。世の中では大ヒットといわれてる作品も、そうだった。もちろん『八甲田山』だって例外じゃない。ぼくをふくめて10人いたかどうかって感じだった。で、またがらがらか~とおもってたら、その中に知った顔があった。いまでは故郷で教師をしている男だけど、当時、ぼくと顔が似てるとかいわれてた。なんでいるんだよと聞いたら、向こうも同じ質問をしてきた。授業中だろと。ま、おたがいどうやって抜け出したかはともかく、一緒に観た。
感動した。すげー感動した。
雪の中をひたすら歩み続けるのが、なんだか大学受験の勉強の日々のようにおもえた。ぼくはまるで勉強しなかったし、だから浪人もしちゃったし、ほんとにぼくみたいな怠け者はめずらしいっておもうんだけど、でも、この映画を観た帰り道だけは「がんばって大学の門まで歩いていこう」とおもったもんだ。けど、大学受験のことよりも映画製作のことに興味がどんどんと傾いた。困ったもんで、結局、それは受験勉強から逃避に過ぎないんだけど、橋本忍の書いたものをかたっぱしから読むようになっちゃった。当時、橋本忍は『砂の器』や『八つ墓村』とかいった大作をつぎつぎにヒットさせてて、ぼくは大がつくほどのファンだった。
その橋本忍の作品に、高倉健が出てる。
もう観なくちゃいられない作品だったんだよね。
当時の健さんは『幸福の黄色いハンカチ』『冬の華』『海峡』『新幹線大爆破』『野生の証明』『君よ憤怒の河を渡れ』『遥かなる山の呼び声』『ブラック・レイン』『四十七人の刺客』とか立て続けに出演してて、もう70年代の後半から80年代の健さんは大変な存在だった。『四十七人の刺客』だけ90年代だけど、ぼくの贔屓の作品はみんな当時に制作されたものだ。
そんなこんな、ともかくいろんなことがごっちゃになって『八甲田山』はぼくの中で特別な映画になってるんだけど、そうかあ、健さん、亡くなったんだね。この作品の冒頭には4人の主演級の人達がクレジットされる。高倉健、 北大路欣也、加山雄三、三國連太郎の4人だ。もう、ふたり亡くなっちゃったんだね。出演者の人達もそうだけど、少なくない人が鬼籍に入ってる。健さんと三國さんといえば、もはや別格といっていいような映画がおもいうかぶ。内田吐夢の『飢餓海峡』だ。哀悼もかねて、ひさしぶりに観ようかなあ。
ちなみに、こんなことをおもった。
健さんの葬儀は近親者のみで執り行われたらしい。それでこそ、高倉健らしいけりのつけ方だとぼくはおもう。この先、ひょっとすると「健さんを送る会」とかいって、映画関係者や俳優の仲間たちが声を出し、集まり、やけに賑々しく、かつ仰々しく、なにごとかの会がどこぞの葬儀場あたりで催されるかもしれないけど、はたして健さんはそんなことを望んでるだろうか。健さんにお世話になった人がもしも健さんを送ってあげたいとおもうなら、誰にも告げずにひとりで一輪の花を手にしてお墓を訪ねればいい。そして、ゆっくりと健さんに語り掛ければいい。それをしないで、社葬のような大きな場に大輪の花束を掲げてもらいたいとか、そんな形ばかりのことを健さんは期待しているだろうか。
断言してもいいが、それはない。
そんなことをされてしまったら、健さんが83年間にわたって積み上げてきたものが音を立てて崩れてしまいかねない。ぼくは、そうおもう。別な考え方もあるかもしれないけど、ぼくの考えはそうだ。もしも、健さんを送ってあげたいとさまざまな人達がおもったのなら、邦画各社が寄り集って、健さんのフィルムをデジタルリマスター化し、新国立劇場あたりをまるっと1か月借り切って、健さんの主演映画100本を無料で上映すればいい。そうしたことが、おそらくは、文化勲章を初めて授与された映画俳優への野辺の送りとなるにちがいない。