仕事が終わり京都にたどり着くと、午後10時前。さてどこで飯をたべようか。そうだ、たかばしの新福菜館の中華そばだな。閉店前だから空いているだろうと思ったら、サラリーマンの列だった。相変わらず混んでいる。中華そばが食べたいと思うこと自体が冬の感覚に近づきつつある。
だから紅葉もまだなのに、もう冬ですか、と言いたくなる。
この頃、霞んだ都市の風景は、実に寂しい限りだ。確か去年の今頃は、佐渡に出かけていた。宿根木、高田と回っ
て帰りしなにみたのは、雪をかぶった妙高の山々だった。今年は、旅に出ないで沢木耕太郎の深夜特急を読んでいる。まあ、本で満足できるところが、幸いというべきかな。
旅と人生を重ね合わせて論じる人は多い。だがそれらが決定的に違うのは、旅には家に帰るという終わりが実に明確にある。だから旅について文章が書けるわけだ。松尾芭蕉も大垣で旅を閉じた。それが奥の細道という作品に結実している。終わりが明確でなければ、紀行文学も成立しないのだろう。
さて何を書こうとしたのか・・・。
木屋町四条下る
OLYMPUS PEN E-P5,M.ZUIKO DG12mmF2.0
ISO1250,露出補正-0.3.f5.6,1/60
だから紅葉もまだなのに、もう冬ですか、と言いたくなる。
この頃、霞んだ都市の風景は、実に寂しい限りだ。確か去年の今頃は、佐渡に出かけていた。宿根木、高田と回っ
て帰りしなにみたのは、雪をかぶった妙高の山々だった。今年は、旅に出ないで沢木耕太郎の深夜特急を読んでいる。まあ、本で満足できるところが、幸いというべきかな。
旅と人生を重ね合わせて論じる人は多い。だがそれらが決定的に違うのは、旅には家に帰るという終わりが実に明確にある。だから旅について文章が書けるわけだ。松尾芭蕉も大垣で旅を閉じた。それが奥の細道という作品に結実している。終わりが明確でなければ、紀行文学も成立しないのだろう。
さて何を書こうとしたのか・・・。
木屋町四条下る
OLYMPUS PEN E-P5,M.ZUIKO DG12mmF2.0
ISO1250,露出補正-0.3.f5.6,1/60