Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

PEN LIFE787. 1割のまともな日本人

2013年11月11日 | Kyoto city
 日本人の本質を垣間見るときがある。それは残念ながらほめられた気質ではない。
 新幹線の一人しか通れない通路を歩いてゆくと、向こう側からやってくるオバハンがいる。目が合うとすぐに眼をそらして知らないそぶりをして近づいてくる。いや前から人が来るなんて知らんかったと言わんばかりの知らんぷりを決め込んでいる。
 叔父さんの場合は、もう眼中にないと言わんばかりの傲慢さで近づいてくる。どうしてよいかわからないので、このまま進んでしまおうと言う魂胆だ。
 結局、オバハンやオジサンよりも年長であり、重い大きな荷物を持っている私が、あいている座席スペースに身を寄せることになる。狭い通路をお互いに身をよじって通り抜けるよりは、空いている座席スペースに身をよせた方が、お互いにすんなり通過できるのである。
 そこで日本人の本質が見える。わかんなかくても前にす進む無謀な行動。やばかったと思ったら知らんぷりを決め込むずるさ。やばいと知っていても眼を向けないという逃避性。威張っていればどうにかなるとというはったり根性。そういう威張っている人が何かの拍子に立場が悪くなると突然弱腰に変身するという甘えの構造。これらは9割方の日本人に該当する本質であると言ってよい。
 欧米人は、みていないようで人の行動をよく観察している。もっといえば、相手がどうして欲しいかがよくわかる。だから自分は、どう行動すればよいかという判断ができる。そういう点では、欧米人の方が日本人よりもはるかに親切だと思うことが旅をしていてわかる。
 つまり9割の日本人の本質は、陰険なのである。そういう陰険な人種にどういうわけかカメラがまとわりつく。つまり陰険にネチネチと自慢するわけだ。だからカメラの世界というのも、当然陰険な世界だ。わたしなどはあまり近寄りたくない。
 新幹線の通路に話を戻すと、私が空き座席に身をよけると同時に、前から歩いてくる人も空き座席に身をよけていた。お互い眼を合わせて苦笑いである。そう1割のまともな日本人なのである。 

木屋町通
OLYMPUS PEN E-P5,M.ZUIKO DG12mmF2.0
ISO200,露出補正-0.3.f5.6,1/100
コメント
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