今年の1月7日からアップさせた1秒間に70mは走る新幹線車窓からのルーラル・スケープも、雪の風景で始まり雪で終わった。
1年間モノクロームで撮り続けていると、やまり季節毎の変化があり、それによって景観の見え方も随分違ってくるようだ。この沿線は、特に法律で地区指定されたエリアではなく、至極普通の日本の集落なのだが、それでも生活風土と日本建築の関わり合う美しさを垣間見せてくれた。
そういう風土的日常の美しさは、刺激と変わりもの好きでオブジェクト志向の現代人が関心持つとは思われないが、まぎれもなく日本の生活風景なのである。
そして東京人が京都にやってくるときに必ず眼にする風景であるが、京都の風景は愛でても、こうした風景が話題になることはまずない。そう彼らは、スマホで京都のお店の予約したり居眠りしている間に、通り過ぎてゆく風景でもある。
司馬遼太郎の長編紀行「街道を行く」の始まりは滋賀県小松であった。伝統的な風景が点在する程度にしか残されていない京都と比べれば、マザーレイクをようする滋賀県にはまだ連続する景観、そして風土と生活とが関わり合う景観が残されているところが多い。
また機会があれば、RURAL SCAPEを訪ねてみたいと、京都に棲む美意識がそう思わせるかなぁー(笑)。そんなことを思いながら、2013年が過ぎてゆく。
新幹線・京都-米原
OLYMPUS PEN E-P5, LETCA MACRO ELEMARI T 45mmF2.8
ISO6400,露出補正0,f3.2,1/8000
1年間モノクロームで撮り続けていると、やまり季節毎の変化があり、それによって景観の見え方も随分違ってくるようだ。この沿線は、特に法律で地区指定されたエリアではなく、至極普通の日本の集落なのだが、それでも生活風土と日本建築の関わり合う美しさを垣間見せてくれた。
そういう風土的日常の美しさは、刺激と変わりもの好きでオブジェクト志向の現代人が関心持つとは思われないが、まぎれもなく日本の生活風景なのである。
そして東京人が京都にやってくるときに必ず眼にする風景であるが、京都の風景は愛でても、こうした風景が話題になることはまずない。そう彼らは、スマホで京都のお店の予約したり居眠りしている間に、通り過ぎてゆく風景でもある。
司馬遼太郎の長編紀行「街道を行く」の始まりは滋賀県小松であった。伝統的な風景が点在する程度にしか残されていない京都と比べれば、マザーレイクをようする滋賀県にはまだ連続する景観、そして風土と生活とが関わり合う景観が残されているところが多い。
また機会があれば、RURAL SCAPEを訪ねてみたいと、京都に棲む美意識がそう思わせるかなぁー(笑)。そんなことを思いながら、2013年が過ぎてゆく。
新幹線・京都-米原
OLYMPUS PEN E-P5, LETCA MACRO ELEMARI T 45mmF2.8
ISO6400,露出補正0,f3.2,1/8000