尾道の風景ばかりでは飽きる。
だから猫、尾道の猫である。魚の街のためか、尾道には猫が多い。お寺の門前など涼しそうな所に寝転んでいる。ビジターなれしているために、通りかかっても知らん顔して寝ており、容易にポーズはとってくれない。
そこでカメラを近づけ揺り起こすと、「うるさいなぁー、もう、なんだよー!!」とつれないあくびをしてまた寝てしまう。もちろんゆさぶりをかけても起きない輩もいる。どこか猫天国のような気がするけど。
実は、街の中に動物がいるというのは、結構意味のある風景をつくりだす。その典型が奈良市だ。奈良公園のあたりにゆくと鹿が道路を徘徊している。そういう風景は、日本では奈良だけである。つまり共棲の風景である。
共棲とは種類の違う生き物が一緒に暮らすという意味である。この言葉は、しばしば計画用語として街づくりの場面で登場するのだが、本来は種類の違う生き物が棲むという意味であるにもかかわらず、人間同士の共棲という言い方をしてくれる。もちろん造語としてあえて使っているわけだが、どこかぴんと来ないコンセプトであることに変わりはない。
そんな能書きはいいからさぁ、もう少し寝かせてよ、と尾道の猫は、いいたげであった。
尾道
OLYMPUS E-P5,LEICADG SUMMILUX25mm/F1.4
ISO200,露出補正-0.3,f2.8.1/320
だから猫、尾道の猫である。魚の街のためか、尾道には猫が多い。お寺の門前など涼しそうな所に寝転んでいる。ビジターなれしているために、通りかかっても知らん顔して寝ており、容易にポーズはとってくれない。
そこでカメラを近づけ揺り起こすと、「うるさいなぁー、もう、なんだよー!!」とつれないあくびをしてまた寝てしまう。もちろんゆさぶりをかけても起きない輩もいる。どこか猫天国のような気がするけど。
実は、街の中に動物がいるというのは、結構意味のある風景をつくりだす。その典型が奈良市だ。奈良公園のあたりにゆくと鹿が道路を徘徊している。そういう風景は、日本では奈良だけである。つまり共棲の風景である。
共棲とは種類の違う生き物が一緒に暮らすという意味である。この言葉は、しばしば計画用語として街づくりの場面で登場するのだが、本来は種類の違う生き物が棲むという意味であるにもかかわらず、人間同士の共棲という言い方をしてくれる。もちろん造語としてあえて使っているわけだが、どこかぴんと来ないコンセプトであることに変わりはない。
そんな能書きはいいからさぁ、もう少し寝かせてよ、と尾道の猫は、いいたげであった。
尾道
OLYMPUS E-P5,LEICADG SUMMILUX25mm/F1.4
ISO200,露出補正-0.3,f2.8.1/320