尾道からしまなみ海道にはいった。しまなみ海道はサイクリングロードが併設されているのだが、そこはものすごく脚力が必要だ。実は、橋の部分よりも陸地の方が距離がはるかに長く、それも山だから当然アップダウンが多いのだ。そりゃちと勘弁願いたい。
私は、いつもホテルはいると最初に窓をあけることにしている。このJALシティは大正解である。松山城が凛とみえている。日本の城の中で江戸時代から残されている城は、実は、姫路城や彦根城など大変数が少ない。松山城もそうした江戸時代からの城である。本物だけが持つ迫力が静かにただよってくる。うん、なかなか良い。
天守閣は、街のランドスケープにもなるし当時の藩主の権力の象徴なのかもしれないが、実は、天守閣は藩主の住まいではありません。普段は麓にある二の丸などの屋敷で藩政にあたっているのである。
だから天守閣は、戦国時代の名残であり、望楼やたてこもった時の最後の戦の場である。戦のない江戸城に至っては、落雷で天守閣を消失していらい、これが再建されることはなかった。つまり建築学的には、物干し場程度の機能しかない。
城とは何かと言えば、実は、城は大きな広場の固まりなのである。その一角に天守閣や諸々の小屋があるにすぎない。戦の時に大勢の兵士が何日も立てこもるのであるから、寝たり、飯を食べたり、武器の手入れをしたり、あるいは武器や兵糧がおかれたりと、実は、大変大きなスペースを必要とする。したがって城には大きな広場が不可欠なのである。だから、実は、城=天守閣という認識は間違いですといってもよいだろう。
このように勉強してゆくと、私達の日常生活がいかに通俗的な観点であふれていることがわかるだろう。目に見えることだけが事実ではないと言うことの証左だといえよう。
松山市 松山城
OLYMPUS E-P5,LEICA MACRO ELEMARIT45mm/F2.8
ISO200,露出補正-0.3,f6.3,1/500
私は、いつもホテルはいると最初に窓をあけることにしている。このJALシティは大正解である。松山城が凛とみえている。日本の城の中で江戸時代から残されている城は、実は、姫路城や彦根城など大変数が少ない。松山城もそうした江戸時代からの城である。本物だけが持つ迫力が静かにただよってくる。うん、なかなか良い。
天守閣は、街のランドスケープにもなるし当時の藩主の権力の象徴なのかもしれないが、実は、天守閣は藩主の住まいではありません。普段は麓にある二の丸などの屋敷で藩政にあたっているのである。
だから天守閣は、戦国時代の名残であり、望楼やたてこもった時の最後の戦の場である。戦のない江戸城に至っては、落雷で天守閣を消失していらい、これが再建されることはなかった。つまり建築学的には、物干し場程度の機能しかない。
城とは何かと言えば、実は、城は大きな広場の固まりなのである。その一角に天守閣や諸々の小屋があるにすぎない。戦の時に大勢の兵士が何日も立てこもるのであるから、寝たり、飯を食べたり、武器の手入れをしたり、あるいは武器や兵糧がおかれたりと、実は、大変大きなスペースを必要とする。したがって城には大きな広場が不可欠なのである。だから、実は、城=天守閣という認識は間違いですといってもよいだろう。
このように勉強してゆくと、私達の日常生活がいかに通俗的な観点であふれていることがわかるだろう。目に見えることだけが事実ではないと言うことの証左だといえよう。
松山市 松山城
OLYMPUS E-P5,LEICA MACRO ELEMARIT45mm/F2.8
ISO200,露出補正-0.3,f6.3,1/500