Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

EOSな日218. 牧志市場の建替

2019年11月08日 | Okinawa

図1)牧志第1公設市場


図2.旧農連市場


図3.旧農連市場


図4.現在の農連市場


 ふぅーん、牧志第1公設市場建替え事業が始まったのか。したがって市場内の店舗は、近所の仮設建築に移転している。今日は超広角15mmレンズ持参だから、一気に壊される建物ぐらいはとっておこう。帰ってから読みこんだ画像を整理していたら市場の画像がない!!。違う建物なんかを撮っているわけさ。そこで過去画像から引き出した。

 市場を建替で都市の魅力が継承されるかというと、必ずしもそうではないことを、私は農連市場建替事業を傍観していて経験した。物流機能は整備されたが、都市の市場としての魅力が消えてしまったのだ。

 そうした市場の魅力がなんであったかと考えれば、それは、生業の糧を得る権利がみんなに与えられていたことだろう。物流業者、商店主、近郊から野菜をもってやてくる農家の人々、調達した野菜を漬け物にして(つまり付加価値をつけて)売り歩くお婆さん達といった具合に、多くの人々に対して均等に生業の糧を得る権利が与えられていたことだ。市場に行けば、そんな自由な空気と濃密なコミュニティがあっただろうし、そこが市場の魅力だったのだろう。

 市場の建替が行われると、新しい建物に出店できる条件が細かく定められ、その条件を満たした人達しか出店できないテナントビルにかわってしまう。もはや近郊農家から野菜をもってくる必要も無いし、お婆さん達が漬け物を売り歩く姿もなく、そして商いながらのコミュニティもない。それは市場の名前を借りたテナントビルだ。

 そんなふうにみてくると、日本の現代社会の姿に近づいてゆく。みんなに平等に生活の糧を得る権利を維持しようとする意識がない。それはアメリカ社会のように、平等に成功する機会を与える、こととも違うようだ。年老いたら忙しい人間達の邪魔だから老人ホームにでもいっててくれよ、といわんばかりの排他的日本の社会がある。

 そんな排他的社会の典型例のような新装された農連プラザをのぞくと、訪れる人がいない閑散としたビルだ。もちろん出店者を絞ったために以前と比較して出店数は少ない。さらにお客さんが皆無だしシャッターを降ろした店が多いのは驚かされる。それは私の見間違いで実は、かってのように夜中にやっているんですよと、いうことなのだろうか!?。つまり小さな生産者が生業の糧を得る権利があった市場が1つ消え、大きな物流システムだけが残ったと理解しておこう。

 

沖縄県那覇市

EOS1Dsmark3、EF16-35mmL

ISO400,焦点距離21mm,露出補正0,f/4.3,1/25

OLYMPUS E-M5、M.ZUIKO DG17mm/F2.0

ISO1600,焦点距離21mm,露出補正0,f/5.6,1/80

ISO1600,焦点距離21mm,露出補正0,f/5.6,1/80

SONYα6000,Carl Zeiss16-70mm/F4.0

ISO1600,焦点距離35mm,露出補正-0.3,f/4,1/60

 

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